Practicum/Pacific Institute

旧インターン仲間たちによる最後の送別会

僕は、今年のインターンと去年のインターンと、
期の違う2つのグループを経験している。


昨年のインターンの仲間たちによる送別会が、昨日の日曜日、
クリニカルディレクターだったAninの自宅で催された。


この集まりは、僕にとって特別だった。このメンバーとのお別れが済んで、
初めて僕のサンフランシスコ・デイズは終わりを告げることができるのだ、
と思っていた。


期の途中にも関わらず、特例として僕をインターンとして採用してくれたAnin。
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そして、途中から新しいメンバーを迎えることが自分たちが先の半年間に
作り上げてきたグループに与える影響を体験的にも学問的にも
知り尽くしているにもかかわらず、僕がインターンに加わることを
温かく迎えてくれてくれた僕の大好きな仲間たち。
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ここでの出会いによって、僕は、“アメリカ”という社会、あるいは、
“アメリカ人”の人間関係に、日本人として溶け込んでいく自信を与えてもらった、
と言えるかもしれない。


国が違えば、言語も文化も価値観も違う。人間関係の結び方も違えば、
コミュニケーションスタイル、感情表現の仕方も違う。


それでも、人間として触れ合うことが出来る同じ部分がある。


そこをお互いの起点として、その後の付き合いの中で、お互いの違いを理解していく。
硬い言葉でいえば、違いについて合意をつくっていく。


合意をつくっていくプロセスとは、その人の、文化的バックグランドも含めた
人間性をお互いが受け入れていくことである。
起点がしっかり結び合っていれば、それができる。
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僕は二日後にサンフランシスコを発つ。
だから、これがサンフランシスコでの最後のFarewell Party.


今この瞬間を感じよう。刻々と過ぎていく時間を噛みしめよう、
そう思っていたのだけど…、


感じようとする矢先に、あっという間に時間は過ぎ去ってしまった。
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パーティの途中、僕の知らない間に、皆は一人ひとり抜け出して、
別の部屋に行って、僕にメッセージを書いてくれていた。
最後に、僕はそれを手渡された。


僕は一人ひとりとハグをする。
みんな、目に、涙を浮かべてくれている。


サンフランシスコを離れる実感が、まだ良く持てていない僕以上に、
彼らの方が、僕との別れを深く感じてくれている…。


不思議な気持ちになった。


去る人間よりも、見送る人間の方が、「今この瞬間における、
その人がこの場にいる価値」というものを深く感じることが出来るからなのかもしれない。
だって、その場でこれからも生きていく人たちだから。


Aninが言った。


「皆がどれだけあなたを大好きだったか、愛していたか、そして、あなたがどれだけ
大きなものを私たちに残してくれたか…。TJ、本当にありがとう。」


僕たちは、再会を約束した。


East BayにあるAninの家からは、Mollieがサンフランシスコまで車で僕を送ってくれた。
Bay Bridgeを走っているときに、窓から見えるダウンタウンの大きな夜景を見ていたら、
その日、はじめて目頭が熱くなってきた。


夜10時に家に着いた。


僕たちは車を降りると、もう一度、ハグをした。
長い長いハグをした。


Mollieの目には、やはり涙が浮かんでいた。


僕たちは、もう一度、再会を誓い合った。

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僕のサンフランシスコファミリー

先週の土曜日、僕が参加する最後のTai-chiの集まりだった。


Pacific Instituteで僕のクライアントだったEMさんの息子Tengが
20年以上にもわたってDoroles Parkで続けているTai-chiのグループだ。
もう一人の息子、Markもずっと参加をしている。


以前、Tengが僕にこう話してくれたことがある。


「もちろんTai-chiはしっかりとやる。自分もしっかり教える。
でも、それだけじゃなくて、この場は、メンバーが何でも話すことができて、
別に何もしなくても良くて、ただ安心して居ることのできる集まり、
それをいつも目指しているんだ」


確かに、この集まりには、人種を超えて、いろいろな人が集まっている。


Tai-chiの後、Tengの家に行って、Tengの用意するコーヒーと、
皆が持ち寄ったお菓子や果物をつまみながら、侃侃諤諤、世相を語る。
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こう言う場は、自然にできるわけではない。


この場をつくるために、維持するために、さらに発展させるために、
Tengがまるで皆の母親のように、気を配り、世話を焼いている。


だから、オープンな集まりなのだけど…、誰でも参加できるわけじゃない。


僕たちが、朝、Tai-chiをしていると、それを見ていた人がしばしばTengに尋ねる。
いつやっているんだ?自分も仲間に入っていいのか?


僕は、はっきりと聞いたわけじゃないけれど、Tengはほとんどの場合、
やんわり断っているように見える。でも、時々、Tengは、新しい人を
オブザ―バーとして自ら呼んできたりもする。


だから、この集まりは、やんわりと開かれていながら、やんわりと閉じている。


その開閉のさじ加減を決めているのは、Tengだ。
凝集性とある程度の温度と湿度の保たれたコミュニティとは、
そういうものなのかもしれない。


僕は、Tai-chiメンバーも良く知っているEMさんのインターンだったこと、
彼女の息子であるTengとMarkが、僕を本当の家族のように思ってくれていることも
あって、いきなり、真ん中に入れてもらった。


日本に帰る前にだいたいの動きをマスターできるようにと、別の日程にわざわざ
特別にトレーニングもしてくれた。


Tai-chiの集まり。


それは、僕が、ここサンフランシスコで手に入れることのできた、
本当に貴重な、温かい繋がり、仲間たち、コミュニティだ。


その日の夜、僕は、Tengの家にディナーに招かれた。


実は、もう何度も何度も食事に招いてもらっていて、その度に、TengとMarkと
別れを惜しんできた。でも、これが本当に最後のディナーだ。


いつものメンバー、YaoYanも来た。
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EMさんの実子はMarkだけなのだけど、EMさんが息子と娘と呼んだ
TengとYaoYan。そして、最後に、僕。


僕のサンフランシスコファミリー。
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一人の人間の中でのバランス

先週の日曜日、Pacific Instituteの創設者で、CEOでもあるNaderから、
彼の自宅に夕食に招かれた。お別れ会を兼ねて、と言うことだった。
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Naderが僕を気に入ってくれているのは知っていた。
同時に、僕は、彼が典型的なアントレプレナー気質で、一緒に働くのはとても
難しい人間であることも知っていた。


僕は、Pacific Instituteで素晴らしい経験を積むことが出来た。
それは間違いない。


しかし、


良くあることなのだが、Pacific Instituteは事業を急拡大しているために、
マネジメントと人材の育成が追い付いていない。


スタッフに彼の素晴らしいVisionとPhilosophyが共有されていない。


Naderが気づいていないか、あるいは、彼が直面することを避けて
無いことにしてしまっている問題のせいで、現場が混乱している。


僕は、ほとんど毎日、Pacific Instituteを訪れていたこともあって、
レジデントの家族や、Caregiverからたくさん意見を聞いていた。
もちろん、僕自身が思うところもたくさんあった。


2人のSupervisorからは、こう言われていた。


「TJが見て、感じた問題点は彼に伝えるべきだわ。レジデントの為に。
あなたはものすごく評判が良いから、彼も耳を貸すと思うの」


そのディナーには、彼の奥さんとその姪、Naderの母親と、
Naderの妹でpacific InstituteのディレクターでもあるElkeも一緒だった。


その場がラストチャンスかもしれなかったのだが、
笑いの絶えない和やかな雰囲気で、仕事の話をする空気でもなかった。


というわけで、僕は本来の趣旨に則った、とても楽しい時間を過ごした。


ドイツ人とイラン人のハーフで、アメリカで育ったNader。


MFTの資格を持ったセラピストであり、同時に、ドイツ文学の博士でもある。
物事の本質を考えぬく力、独自のビジョンと描き、それに向かって物事を前に
進める力は圧倒的だ。


でも…、


周りに人材が集まらない。皆、離れていく。


カリスマティックな魅力があるのに、自分が一番でないと気が済まない
ナルシシズム的なあり方が、彼の周りから人を遠ざけてしまうのだろう。


意見が衝突すると、相手を徹底的にやりこめてしまう。
周囲はそれを見ているから、萎縮してしまう。
意見を言わなくなってしまう。


いま、僕には、彼の周りにはイエスマンしかいないように見える。


僕は、そのディナーの場で、Naderから週明けの木曜日に行われる
彼の講演会に誘われた。Castro Valleyにある病院で催される大きなイベントだった。


木曜日の朝、彼が運転する車に乗って、僕は会場に向かった。


彼のスピーチは、聴衆のハートをあっと言う間に掴んだ。
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Visionを語る彼は、とてもパワフルだ。
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Naderが語る理想と、Naderが経営するPacific Instituteの実際は違うんじゃないか。
彼をそう批判するのは簡単だ。


でも…、


高い理想を持ち、その理想を社会に向けて語る勇気を持つ人が極端に少ないのが、
今の世の中ではないだろうか。


Naderを見ていて、いつも思う。


優れた哲学者であると同時に、優れた実践者であることは、とても難しい。
優れた起業家であると同時に、優れた経営者であることは、とても難しい。
強くあると同時に、自分の弱さを認め、それを受け入れ続けることは難しい。
幅広い心理学の知識を持ちながらも、それらを自らに当てはめて考えることは難しい。


すべては、バランスなのだろうけれども。

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第一回目のConsultation Group

Pacific Instituteのインターンシップが終了した夕方、
昨年の旧インターンの4名の仲間たちがスタートさせたコンサルテーショングループの
初回の集まりに呼ばれた。


主催者はAndrewで、メンバーは他に、Mollie、Heinz、
そして、SupervisorだったAninだ。


あいにく、Aninは急用で直前に参加がキャンセルになった。


会の趣旨は、それぞれが違うインターンシップ先で経験を積んでいる現在、
定期的に集まって、ケーススタディ、セオリー、人間としての成長、
プロフェショナルとしてのサポート、などなどについてディスカッションをして、
お互いに高め合って行こう、というものだ。


“インターンシップ”と言う場が終了したら、今度は自らそういう場を生みだし、
メンバーとの関係を継続的に深めて行こうとする姿勢は、大いに見習いたい。


さて、


個人的にしばしば感じているのだけど、セラピストとは孤独な商売だ。


実際に、独立してクライアントを取るようになると、
部屋でクライアントと向き合うことが日々の仕事になる。


来る日も来る日も、椅子に座りながらクライアントの話を聞き続ける…。


ハードだ。


ところが、セラピストは、仕事のストレスを発散させるために、
レストランやバーなどの公共の場で、友人にクライアントの話をするわけにはいかない。
周囲に誰がいるかわからないし、そもそも、それは守秘義務に反してしまう。


クライアントとセラピールームの外で会って、人間的な触れ合いをすることもない。
サイコセラピーという、関係性を扱う繊細なサービスの質に余計な影響を与える
恐れがあるからだ。


思うに、セラピストとは、公私ともに、結ぶ人間関係に強い制約条件が
課せられてしまうとても窮屈な職業なのかもしれない。


その結果、人間関係を専門としているはずのセラピストの人間関係は、
狭窄しがちになる。人間関係に揉まれる場や機会が少なくなる。


それをどのように防ぎ、自らを耕し続けることが出来るか。
セラピストとして成長し続けるために、とても大事なテーマだ。


Andrewの今回の試みも、その一環だ。


ディスカッションの後、僕たちは簡素なディナーを楽しんだ。
Andrewの息子、Mikeも輪に加わった。


Andrewは言った。


「長く運営していくこと、それ自体がこの集まりの一つの目的でもあるんだ。
TJは記念すべき初回のメンバーだ。TJがいつかアメリカに戻ってきたときに
いつでも参加できるこういう場があるって素晴らしいだろう?」


本当だ。
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インターンシップ最終日

2011年1月17日、Paific Instituteでのインターンシップ最後の日だった。
スタートしたのが去年の1月18日だったから、ちょうど1年間ということになる。


その日は、Duty Dayの当番に当たっていて、自分のクライアントであるか否かに
関係なく、フロアを歩き回り、すべてのレジデントを必要に応じてサポートするという
日だった。午後3時までの役割だ。


朝9時半から始まるスタンドアップミーティングに参加して…、
それから、僕はLGCビルディングに向かった。


いつもと同じように、各フロアを訪れ、レジデントやCaregiverと会話を交わして、
今日が最後の日なんだと、お別れの言葉を添えた。


認知症を抱えているレジデントは、僕のことをすぐ忘れてしまうのかもしれないけど、
それでも、“You were very kind to me. I will miss you”と悲しんでくれた。


彼らは、僕のことを覚えていることが出来ない。
だからこそ、僕は彼ら一人ひとりのことを覚えておいてあげないといけない。
そんなことを想いながら、一人ひとりを訪ねた。


午前中、現在は2人だけになってしまった、
僕のクライアントのHAさんと、LJさんの部屋も回った。


彼らには、今日が最後の日であることを確認のために伝えて、
帰る前にもう一度、訪れるからねと伝えた。


Terminationの準備は、およそ2か月前からしていた。
だから、最後の日だからと言って、別に何かを特別なことをするわけでもない。
あっと言う間に、午後2時半になってしまった。


僕のクライアントで昨年の12月に亡くなったEMさんのルームメート、
Cさんの部屋を尋ねた。Cさんは、身寄りが無いのだけど、心身ともに
とても健康で、クリアで、いつも僕に素晴らしいアドバイスをくれた人だ。
たくさんお世話になった。


彼女はいつものように、部屋でクロスワードパズルをしていた。
僕を見ると、「ヘイ、ボーイ、ついに最後の日ね」と笑った。


部屋に入る前は何も感じていなかったのだけど、
その部屋に入って、亡くなったEMさんの空いたままになっている
ベッドに腰掛けて、Cさんの笑顔を見た瞬間に、涙があふれてきた。


Cさんは、静かに立ちあがると、僕を黙ってハグしてくれた。


「いつもあなたの幸せを祈っているわ」


彼女はそう言った。


「僕も…」


僕は辛うじてそう言って、涙を拭いて、彼女の部屋を出た。


僕は同じフロアに住む、僕のクライアントのLJさんの部屋に行った。
94歳のアフリカンアメリカンのLJさんは、妻で93歳のAJさんと
部屋のソファに座っていた。


彼は僕を見かけると、“Hey kid, what's up?”と笑った。
僕はやっぱり涙があふれてきた。


彼は、“I love you, kid”と言って、ハグしてくれた。


一階に住む、もう一人のクライアント、HAさんの部屋も訪れた。
あいにく、彼女はベッドの上で、お昼寝をしていた。


彼女は、認知症が進行するに従って日本語しか話せなくなってしまった
日系アメリカ人だ。


僕は、そっと彼女の手に触れた。彼女は、目を開けると、
僕にうっすら微笑んだ。


僕は、最後のお別れの挨拶に来ました、と伝えた。


彼女は、静かに頷いた。そして…、再び目を閉じた。
僕は、そのまま部屋を後にした。


僕は、地下一階のインターンルームに戻り、ネームタグを外して、
鍵を自分のロッカーに置いた。


これで、本当に最後だ。


僕は荷物を持って1階に行き、玄関を出て、建物を振り帰った。
この場所で、本当にたくさんのことを学ばせて頂いた。
最高のプラクティカムサイト、最高の1年間だった。


たくさんの出会いと学びと思い出を、どうもありがとう。
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新インターン仲間たちによる送別会

先週の土曜日、僕がプラクティカムに通うPacific Instituteの
インターン仲間たちによる送別会があった。


僕は、期の途中からプラクティカムを始めたおかげで、
半年間ずつ、新旧2つのグループのインターンと知り合うことができた。
いずれもハートのある素晴らしいメンバーたちだった。


今回の送別会は、新しい期のインターンたちによるものだ。


仲間の一人が、家を会場として提供してくれた。
アメリカでは良くある、みんなが食べ物を持ち寄るポトラック形式のパーティだった。


会場となったSteveの家は、PresidioというNational Parkの中になる。
Partyは午後2時から。


僕は自転車で彼の家に向かった。
快晴だった。
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先に着いていたメンバーが、僕をベランダから見つけると手を振った。


家の窓、ドアは空き放たれていて、音楽がかかっているのが聴こえる。
僕は冷蔵庫を勝手に開けて、ビールを飲む。
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メンバーは、三々五々に集まる。
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僕は誰かが到着するたびに、その一人ひとりとハグをする。


彼らは自分の持ってきた料理を適当にテーブルの上に並べると、
ビールを片手に、会話の輪に加わる。
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Steveの飼っている猫も楽しそうだ。
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ベランダから見える海の方向に、日がどんどん傾いていく。
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日が暮れる前に、今集まっているメンバーで写真を撮ろう。
Margaritaがそう言った。
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Barbaraが用意をしてくれたケーキが出て来た。
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「お店にちゃんと頼んだのに、スペルが間違っているのよね…」
そう言って、Barbaraは、その場でナイフとフォークを使って、tをjに、何とか変えた。


僕は、簡単なスピーチをした。


再び、いろいろな場所に会話の輪が出来る。
部屋に流れる音楽が変わり続ける。
鳥のさえずりと汽笛の音が窓の向こうから聞える。


日が落ちて…、人は、来た時のように三々五々に帰り始める。


僕は、会話を止めて、近寄ってくる一人ひとりとハグをする。


ベランダに出ると、立ちこめる夜霧が気持ち良い。


爽やかな、本当に爽やかな一日だった。
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最後のグループスーパービジョン

先週の水曜日が、Pacific Instituteで僕が参加する最後のGroup Supervisionだった。
6ヶ月間と言う期間だったけど、皆が僕との別れを惜しんでくれた。


一人ひとりが僕との思い出をシェアし始めた。


最後に、仲良くなったStuartが言った。
彼は、僕よりちょうど10歳年上だ。


「初日、皆で参加する研修があったよね。僕はclinical directorのAninからも、
去年から引き続きインターンを続けたBarbaraからも、いろいろな人から、
TJにはもう会ったか?TJとはもう話をしたか?ってたくさん聞かれたんだ。
とってもDeepな男だからって。本当にそうだった。
ここでTJ出会えたことを感謝しているよ。僕が悩んだときにくれた示唆に富む
アドバイス、本当に忘れないよ。」


不覚にも、堪えていた涙が溢れてきた。


SupervisorのLaniが、こう言った。


「TJは、周囲にいる人たちに影響を与えるGiftがあるわ。
文化と言葉の壁を超えて相手と深く繋がっていけるGiftがある。
あなたは、本当にAffectiveな人間よ。あなたから学べる機会が、
もうここには無いと思うと本当に寂しくなるわ…」


みんなが頷いた。


Pacific Instituteでは、通常、インターンプロラムは8月からスタートする。
だから僕は、去年のインターンメンバーより半年遅れてインターンプログラムを始め、
今年のインターンメンバーより半年早くインターンプログラムを終了することになる。


僕は去年の8月を跨いで、去年のインターンと今年のインターン、
別々のメンバーを半年ずつ知ることになった。
だから、2倍の友人を持つことが出来た。


しかし、


それは同時に、2倍の別れを持つことでもある。


たくさん出会い、たくさん別れ、たくさん喜び、たくさん悲しむ。
本気で繋がろうとする出会いと別れをたくさん繰り返すことによって、
少しずつ…、何となく…、人間が深まっていくのかもしれない。


週末の土曜日は、今年のインターンたちによる僕の送別会だ。
明るく、爽やかに、お別れしたい。

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Guest HouseでのTermination

KHさんとのTerminationを完了させるために、Zen HospiceのGuest Houseを訪れた。


KHさんは、日系アメリカ人の二世だが、日本語を話すことはできない。
第二次世界大戦時のアメリカにおけるインターンメントキャンプ
(日系人の強制収容所)の経験者だ。


僕のクライアントの一人だったのだが、
昨年の12月にHospice CareのためにPacific Instituteを出ることになった。


当時、KHさんは肺炎を患い入院をした。その入院先の病院から
そのままZen HospiceのGuest Houseに移ったので、
僕はお別れを言うことが出来なかった。


幸い、KHさんのいるZen HospiceのGuest Houseは、
Pacific Instituteから遠くない。


KHさんの娘のLyndaは、KHさんを見舞うために、
毎日、Pacific Instituteを訪れていたこともあって、KHさんのインターンの僕は、
Lyndaといろいろ会話を交わすようになった。そして、信頼関係を築くことが出来た。


Lyndaからは、Guest HouseにいつでもKHさんを訪れに来てほしい、そして、
帰国前に、一度、会うことができたら嬉しいと言われていた。


彼女は、Guest Houseを訪れた僕を歓迎してくれて、
事前に用意していたのであろうお礼のカードと小さなプレゼントを僕にくれた。
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左側の説明書きには、


“The guardian of those at life's crosseroads
(人生の岐路にいる人たちの守り神)”とあり、


右側には、Lyndaの僕への感謝の気持ちが書かれていた。
“Many thanks from KM  and her family for all your work and compassion.”


93歳のKHさんは認知症を患っている。しかし、久しぶりに会う僕を、
笑顔と体の動きで歓迎してくれた。


僕のことを覚えてくれているのだと思った。


そして…、


彼女は以前よりも健康そうに見えた。


実は、こういうことはよく起こる。


家族は、その身内の死期が近いと判断して、安らかな最期を迎えられるように
Hospice Careのための施設に移すのだが、そこでなされる手厚いケアの為に
逆に元気になり、来た時よりも良い健康状態で施設を出ることになる。


Hospice Careの施設に入るためには、医者の診断が必要で、
そこへの滞在期間は6カ月間、よほどの理由があれば、
2年まで延長が可能と言うことらしい。


しかし、延長の要件を満たすための基準は、かなり高いそうだ。


身内が元気になるのは嬉しい、しかし、仮に施設を出ることになった時、
その先に施設をどうするか…。良いサービスを受けるためにはそれなりの費用もかかる。
いつどのタイミングで判断をすればよいのか…。


Lyndaは、自身が感じている複雑なストレスを僕に話してくれた。


僕は、KHさんと2人になって、彼女が運動の為に車椅子で歩く斜め後ろを
一緒に歩いた。


KHさんは、オートロックの掛っている玄関まで進むと、その場で止まり、
しばらく動かなかった。


何を思っているのだろう…。
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この日、また一つTerminationが完了した。

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クライアントとのTermination(関係の終了)プロセス

インターンとしての生活も1年間が過ぎようとしている。
今月の17日が最終日だ。


セラピストとクライアントと言う関係を結んできたレジデントと
その関係を終了させること(Termination)は、インターンとして、
とても大事な仕事だ。


通常のインターンプログラムは、8月にスタートするので、
一年後の7月がその終了の時期に当たる。


僕はイレギュラーに去年の1月からスタートさせたので、
今がその時期に当たっている。


去年のインターンが、7月にその時期を迎えていた時に、
クライアントと関係を終了させるときに、もっとも深い学びがあると、
当時、クリニカルディレクターだったAninがしばしば言っていた。


特に、後期高齢者を対象としているPacific Instituteの場合、
その関係は、素の人間としての触れ合い、というとても深いところまで
行くことが多いから、毎年、いろいろなドラマが生まれる。


僕は、この1年間、4人のクライアントを担当していた。


一人は、昨年の12月末に他界した92歳のEMさん、
一人は、ホスピスケアの為に12月半ばに施設を去った93歳のKHさん、
一人は、夫婦でPacific Instituteに住んでいる94歳のアフリカンアメリカンの男性LJさん、
一人は、日系アメリカ人で、現在は日本語しか話せなくなってしまった87歳のHAさん。


僕は昨年12月に、一度に半分のクライアントを失ったことになる。
とても喪失感が大きかったのだけど、僕のインターンが1月に終了することを考えると、
不思議な巡り合わせのような気もしている。


2011年の元日、Pacific InstituteのクライアントのHAさんの
ご家族のご自宅に招かれた。


HAさんの娘さんと、お孫さんと、娘さんが小さなころからお世話に
なっている叔父さんと、僕の4人で、お正月料理を頂いた。
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HAさんは、アメリカで生まれたのだけど、
家庭の事情で1歳のときに祖父に連れられて日本に戻り、
日本で育てられた。日本人と結婚し、2人の子を儲け、
38歳の時に、家族と一緒にアメリカに移り住んだ。


以来、50年近くアメリカに住んでいる計算になるのだけど、認知症を患い、
第二外国語である英語を話す能力を失ってしまい、今は、日本語しか話せない。


セラピストとしての倫理規定だと、セラピストは、クライアントはもちろん、
クライアントの家族ともセラピールームの外で会うことは無い。
理由はいろいろある。そのことについては、これまでも、
このブログで時々触れてきた。


僕は、スーパーバーザーと相談をして、結局、御招きに預かることにした。


いずれにしても、僕自身のプラクティカムがこの1月の終了するのだし、
クライアントのご家族には、これまでの感謝の気持ちを伝えたいという
明確な目的があることだから、大きな問題は無いだろう、自分で判断しなさい、
と言うことだった。


おかげで、僕はとても日本らしいお正月を迎えることができた。


食事をしながら、HAさんの生い立ちについて、ご家族の歴史について、
いろいろな話を伺うことが出来た。


そして…、


例え、Pacific Instituteがどんなに評判の良い施設であったとしても、
例え、重度の認知症を患っていると言えども、自分を育ててくれた親を施設に
預けることがどれほど罪の意識に苛まれるものか…。


涙ながらに心情を語ってくれたご家族に、僕はいろいろなことを考えされられた。


最後、別れ際に、僕はご家族に対して、僕自身がHAさんからどれほど
たくさんのことを学ばせて頂いたかお礼を述べた。


その時、HAさんとのインターンとしての関係について、
自分の中で一つ区切りがついたような気がした。


認知症を患っているHAさんは、施設に住んでいるので、
元日のこの食事の場にはいなかった。


今日、クリニカルディレクターに、HAさんとそのご家族と相性の合いそうな、
僕の次に彼女を担当するのに適当と思われるインターンを推薦した。


僕には、まだあと少し、Pacific InstituteでHAさんと接することのできる時間がある。
最後の最後まで、僕が彼女に出来ることを一緒にしたい。

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会話の題材としてのYou tube

日付が遡るのだけれども、


クリスマスイブの日に、Pacific Instituteのスタッフ、Kerriの家に夕食に招かれた。


以前、彼女のパートナーのJohnと会う機会があって、 3人で話が盛り上がり、
その続きをしようと約束をしていたのだ。


2人とも僕より年齢が少し上で、Kerriは白人のアメリカ人女性で、
Johnは南アフリカ出身の白人男性だ。
とても気さくな2人で、東洋に関する造詣も深い。


家の中は、2人の共通の趣味の東洋のオブジェと、Johnの母国のアフリカのオブジェ、
そして、アメリカ的な解放感があって、とても不思議な雰囲気があった。


Dinnerの後に、Johnが僕に尋ねた。


「TJ、お勧めのYou tubeは何かあるかい?」


「えっ?」と聞き返すと、


彼らは、面白いYou tubeを発見すると、それを見て2人でしばしば
ディスカッションをするのだと言う。 面白い時間の使い方だと思った。


彼らが紹介してくれたYou tube から2つ。


一つはAwareness Testに関するもの。
「白いチームが、何回、ボールをバスまわしするか数えてください」 というクイズだ。



もう一つは、年老いた父とその子の関係のもの。
父と子の関係にいろいろな投影がなされて、見る人の感想がまったく異なるのが
面白いそうだ。


ちなみに、Johnは、このビデオを自らが教鞭をとるサンフランシスコにある
Golden Gate Universityのクラスで、ディスカッションの教材に使っていると言っていた。



さて、唐突ですが、


2010年、このブログを通して、様々な出会いを頂きました。
読んでくださって、どうもありがとうございました。


2011年も、皆さまにとって素晴らしい年になりますように!

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