San Francisco Life

最後のサンフランシスコ・デイズ

僕はいま、San Francisco International Airportにいる。


僕のサンフランシスコ・デイズも、これでいよいよ終わりだ。


アメリカに来る前にイメージしていたサンフランシスコの日々と、
振り返って思うサンフランシスコの日々。


何のどこがどう違って、どこが期待通りで、どこが期待以上で…、
今となっては渾然一体となってしまっている。


僕は、世の中で言う働き盛りで、


そして…、


多くの人々が生活に忙しく追われているであろう40歳を挟む年齢で、
日本を離れてサンフランシスコにやってきた。


40歳。


それは、人生のだいたい半分でもある。
だから、人生の「これまで」と「これから」を見通すには、
理想の立ち位置だったように思う。


僕は、サンフランシスコと言う美しい街で、
3年間と言うまとまった時間を持つことが出来た。
本当にありがたいことだったと思う。


僕はCIISで、カウンセリングサイコロジーという学問と実践に触れながら、
客観的にこれまでの40年間を振り返り、主観的にこれからの40年を考えることができた。


Pacific Instituteのインターンとしてレジデントと向き合う日々の中で、
老いとは何か、死とは何か、そして、生とは何か、人生の本質について考える
機会をたくさん頂いた。


サンフランシスコという多様性に溢れる街で知り合った人々との触れ合いを通して、
異質を受け入れる、あるいは異質と共存する寛容さと温かさを身をもって
体験することができた。


僕は、それらのサンフランシスコの日々の中で、笑い、怒り、哀しみ、嘆き、感動し、
そして、泣いた。このブログでもたくさん書いてきたように…。


僕がこの3年間で得たものを説明するのは難しい。


でも、それを敢えて表現するなら…、


僕は、とても普通になった、ように思う。


いろいろな感情をごく普通に味わえる自分になった。
いろいろな想いをごく普通に表現できる自分になった。
僕は、ごく普通の自分を手に入れた。


普通、それは英語で言うと、“Ordinary”。


もうそろそろGateに向かわないといけない。


昨年の11月、12月、そして今年の1月にかけて、本当にたくさんのことがあった。
どてもDeepな3ヶ月間で、このブログにはとても書ききれなかった。


落ち着いたら、そして、そうしたいと思ったら、また少し書き足したいと思う。


ひとまず、僕のサンフランシスコデイズはこれで終わりです。


今までこの拙いブログを読んで下さった方々、コメントをくださった方々、
本当にありがとうございました。


いつかどこかでお目にかかれることを、あなたのプロセスを、
僕のプロセスを語り合えることを楽しみにしています。


あなたのこれからの人生も、たくさんの素敵なDaysで溢れますように!
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Tai-chi(太極拳)グループのみんなによる送別会

Pacific Instituteで僕のクライアントだったEMさんの息子、
Tengが20年以上も毎朝Doroes Parkで続けているTai-chiのグループがある。


土曜日の朝の集まりが一番大きくて、毎週12名―20名ぐらいのメンバーが集まる。
その多くのメンバーが、10年、15年来の友人関係にある。


僕は、去年の夏ぐらいからこの輪に入れてもらった、
一番の新参メンバーだ。


Tai-chiの動きのわからない僕を、いつも真ん中に置いてくれて、
どの方向を見てもベテランたちの動きをフォローしやすいように配慮してくれた。


とても温かいコミュニティだ。


僕自身は決して長い付き合いというわけではなかったけど、
主催者のTengの人柄を表しているのか、とても素晴らしい人たちばかりが
集まっていて、僕はこのグループが大好きだった。


その人たちが、先週の金曜日、僕のために送別会を催してくれた。
主催者は、Teng。場所は、Drores parkに近くにあるTengの家だ。


彼がTengだ。
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ポトラックパーティ。


開始時間ちょうどの夕方6時半。
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そして、人が少しずつ集まり始める。
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自分の持ってきた料理を自分でお皿に盛りつける。
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次々と玄関のブザーが鳴る。
早く上がってこい、とTengが言う。
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どんどん人が集まる。
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料理も、どんどんテーブルの上に並ぶ。
これは何だ、レシピは何だと、料理の上を会話が交錯する。
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TJ, 料理だけじゃなくてこっちも撮れ、とTengが言う。
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料理を乗せたお皿を手にリビングルームに戻る。
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大きな円が出来る。
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EMさんのもう一人の息子、Markが皆にシャンパンを注ぐ。
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楽しい時間は、あっという間に過ぎていった。
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このブログでも触れたけど、MarkとTengの母親であり、
僕の大切なクライアントでもあったEMさんは、昨年12月23日に他界した。


Markは立ち上がると、皆の前で、僕の方を見てこう言った。


"He is my family. We lost one but gained one."


僕たちの家族は、一人を失った。でも、新しく一人を得ることが出来たんだ。

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二つの社会の間のバランス感覚

金曜日、2年前のサンフランシスコ三田会で知り合って、以来、
とても親しくさせて頂いているYuri夫妻と一緒に食事をした。


Valencia StreetにあるDOSAという南インド料理のレストランで
送別会を催してくれたのだ。


ご主人のNoahさんはアメリカ人の弁護士で、日本語も堪能だ。
Yuriさんは、会計士だ。現地の会計事務所に勤めていて、バリバリ働いている。
なのだけど、とても温かい2人だ。


僕にとっては、まさに、気の置けない関係と呼ぶにピッタリの人たちで、
会うたびに、いつも楽しいひと時を過ごさせて頂いている。


Yuriさんは、僕に、アメリカで生きる日本人の一つのモデルを示してくれた。


彼女は、国としての日本とアメリカの長所短所を踏まえながら、
どちらとも心理的に適度な距離を保っている。


実は、Noahさんにも、同じ雰囲気がある。


Yuriさんは、現地の日本人社会とも付かず離れずの関係を保ち、実際には、
アメリカ社会の方に根を下ろし、アメリカという現実と向き合いながら
暮らしている


アメリカと日本の、どちらかに肩入れすることもない。
「バケーションで訪れる日本って、すごく居心地が良いの…」と、さらりと言ったりする。


どちらにも肩入れしない在り方が、何かこう…、
ニュートラルな優しさを感じさせてくれるのだろうか。


個人的に、


アメリカにいながら、現地の日本社会に、現地の日本人の人間関係に
強く縛られている日本人を見ていていると、辛くなる。


でも、日本人としての自分を振り切るために、限りなくアメリカ人になろうとしている
日本人も、見ていてなぜか哀しくなる。


これらのどちらの立場も取ることが出来ずに、関係性から孤立している日本人も
少なくないように思う。


いずれの立場に陥ることなく、しかし、現地に根をおろして生きる、というのは、
案外難しいことなのかもしれない。


Yuri夫妻に会うたびに、そういう微妙なバランス感覚の中で生きることの一つの
モデルを見ているような気持ちになる。


ここアメリカで、これからの人生においてもずっと繋がっていけるであろう
尊敬できる同世代の2人の友人を持てたと言うのは、本当に嬉しい。

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たくさんのFarewell Parties

ありがたいことに、SFで出会いお世話になった人たちから、
たくさんのお別れ会を企画して頂いている。


この1月は毎週末に何かしらの送別会の予定が入っている。
CIISで知り合った人たち、Pacific Instituteで知り合った人たち、
Tai-chiを通して知り合った人たち…、いろいろだ。


平日は、個別に食事をしようと声を掛けられている。


それは、お世話になったSupervisorだったり、Pacific Instituteの
マネジメントスタッフだったり、レジデントのご家族だったり、CIISのスタッフだったり、
もちろん、CIISやそれ以外で特に仲良くなった友だちだったりする。


また、僕が帰る前にぜひ知り合っておくと良いと、人を紹介してくれる人もいる。
おかげで、今週は、毎日、誰かと会う予定が入っている。
本当にありがたいことだ。


僕は3年前、一人も知り合いのいないアメリカに単身でやってきた。
まったくのゼロから生活を始めたことを考えると、
今の状況は、少し感慨深くもある。


思えば、日本を旅立つ前も、仲間たちにたくさんの送別会を催してもらった。
彼らからたくさんの励ましと想いを受け取った。


いつも背中に感じていたその温かさが、この3年間の歩みを支えてくれたように思う。


そして…、


僕はこの2月にアメリカを発つ。


再び、背中に温かさを感じている自分がいる。

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2010年の大晦日

2011年がスタートした。


2010年の大晦日、僕は1年前にCIISを卒業した日本人の友人の家に招かれた。
彼女は、現在、セラピストとしてのインターンとヨガインストラクターの
資格を目指して、邁進中だ。


彼女は、昨年の8月に長年付き合っていたアメリカ人男性と入籍をした。


ただ、お互いに愛し合っていながらも、彼女はこれまでの人生において
自立した生活を経験することなしに結婚をしてしまった自分に納得感が持てず、
今年から籍を入れたまま、別居してみることを決めた。


期間は決まていない。自分が納得するまでなのだそうだ。


自分が大切にしたい結婚生活と真摯に向き合うために、
未完了を完了させたいと言うことなのだろう。


僕は、旦那の方も良く知っている。とてもスマートで、心優しいエンジニアだ。
そんな彼女の想いを快く受け止めた。


僕たちは3人で、2010年の大晦日を過ごした。
まったりと、これまでの人生と現在(いま)を夜更けまで語り合う、
素敵な時間だった。


彼女たちの家は、サンフランシスコの高台にある。
眺めの素晴らしい場所だ。その家も、この1月で引き払うそうだ。


僕自身、何度も食事に招いてもらってお世話になった家だ。
お邪魔するのはこれが最後になると思うと、感慨深かった。


形あるものだけではない。形の無いものも、いろいろが変化していく…。


大晦日の夜はあいにくの雨だったのだけど、日付が変わるとき、
2011年の合図となる花火が、遠く海の方向に低く打ち上がるのが見えた。


2010年、自分をこれ以上ないぐらいに深く耕す機会と出会いに恵まれた一年だった。
2011年も、いろいろなと機会と出会いと可能性にオープンであり続ける自分でいたい。

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Good Byeをプロセスする

CIISでは、“プロセスする”と言う言葉がしばしば使われる。


「自分で自分の内側を探究する、発見的に掘り下げていく」
そんな意味だろうか。


先週、僕はCIISの最後のクラスを終えて、今日、最後のペーパーを提出した。
順調にいけば、ただ卒業を待つだけだ。


もちろん、次に向けてすべきことは山ほどあるのだけど。


CIISが終わり、そして、プラクティカム先のPacific Instituteの終わりが続く。
僕のサンフランシスコ・デイズも終わりが近づきつつある。


最近は、何か特別なことをしているわけでもないのだけど、
自分についていろいろ考えたり、感じたりすることが多くて、
感情的に疲れる毎日だ。


こういう状態を、“プロセスしている”と言うのだと、CIISで久しぶりに
再会した友人にそう言われて、納得した。


以前、ブログで少し触れたことがあるのだけど、
作家の遠藤周作氏が、“生活”と“人生”の違いについて書いている。


生活とは、仕事やキャリア、地位や名声やお金…、
生きていくための日常のいろいろだ。


では、人生とは…、


わかりやすくシンプルに言うと、僕たちが人生と思っているものから、
仕事とキャリアに関わるものをすべて差し引いた後に残っているものだ。


生活を充実させることは、とても大事だ。
でも、忘れがちなのだけど、その後ろに果てしなく広がっている
人生を視野に入れておくことも大事だ。


僕たちは、日常の生活を生きるのにとても忙しい。
だから、人生についてじっくり考える事が少ない。


遠藤周作氏曰く、


人生について考えるためには、生活の中に「しーん」とした時間が
入り込んでくることが必要ということだった。


その「しーん」とした時間を、彼は、「人生の時間」と呼んだ。


それをもたらしてくれるものは、幸せや喜びよりも、苦悩の方が多い…。
彼はそう書いた。


話は変わるけど、


手元に、友人が貸してくれた一冊の本がある。
借りっぱなしになっている。


その本を読んで、僕は、「さようなら」の語源が、「そういうことならば」
「そうであるならば」という接続詞だったことを知った。


英語でも調べると、“Sayonara”の文字上の意味は、
“If it is to be that way...”という風にあった。


それを僕たちは、Good byeの意味として使うようになった。


新鮮な発見だった。


現代の日本社会では、Good byeという意味で「さよなら」を使うことは、稀だろう。
特別なケースにしか使われない。


そもそも、人と人の出会いは縁で、人が決められるものではないという
人生観があるからだと思う。


“もしそういうことならば…”、お別れして、
“もしそう言うことならば…”、再会するのだ。


考えてみれば、「袖触れ合うも多生の縁」と言う言葉があるぐらいだ。
今生でGood byeと言っても来世で再び出会うのだから、人が自らの意思で、
Good byeということは意味のないことなのだろう。


Good byeを言うことを諦めた社会、そして、言わなくなった社会、
それが、現代の日本なのかもしれない。


でも、ここアメリカでは少し事情が違う。


日本に比べると、遥かにGood byeに積極的に向き合う。


サンフランシスコで知り合った仲間たちがたくさんのPartyを企画してくれている。
その呼びかけにも、"To say good bye to TJ" とある。


そのたびに、何かが僕の胸をチクリと刺す。


改めて、


僕は、日本にいた時、Good byeと真剣に向き合ったことが無かったんだなあと思う。
良く言えば、何となく繋がっている優しさ…、と言えるのかもしれないけど。


Pacific Instituteでのインターンも、今日で残り、ちょうど一ヶ月となった。
たくさんのGood byeが僕を待っている。


今日のサンフランシスコは朝から強い雨が降っている。


たった今、ルームメートが一人、日本に帰国するために家を出るのを見送った。
大学を卒業したのだ。


タクシーの乗り込む彼女に、さよなら、と言うべきかどうか迷ったけど、
やっぱり、言えなかった。


「また…」とだけ言った。


僕は部屋に戻って椅子に座った。


今の僕には、たくさんの「しーん」とした時間がある。


いいことだ。

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たくさんのTermination

CIISの秋セメスターもほとんど終わりに近づいている。
今週が最後のクラスだ。つまり、僕はCIISを卒業するということだ。


セラピストとは、何のプロフェッショナルか、尋ねられたら、
それは“Relationshiship”のプロフェッショナルのことだ、と答える。


僕はCIISでそう教わった。


だからこそ、


カウンセリングサイコロジーの世界では、
Termination(関係の終了)がとても大事なテーマとして扱われる。


僕は、Pacific Instituteのクライアントの一人ひとりと関係性を
終了させていかないといけない。


プラクティカムのTherapistとして始まったクライアントとの関係は、
プラクティカムが終わったら終わるのだ。


どんなに人間的な結びつきが出来ていたとしても終わらせないといけない
そういう言う決まりだから。


だいたい、長ければ2ヶ月、短ければ1ヶ月ほどかけて、
インターンとクライアントはTerminationをテーマに話し合いを重ねていく。


そして、毎年、インターンの誰もが、多かれ少なかれクライアントとの間に
ドラマを経験する。それが一番の学びだったりする。


Termination(関係の終了)。


僕のセラピストであるHelgeとの関係もそうだ。


原則として、セラピストとクライアントはセラピールームの外で会うことはない。
人と人との関係性とは非常に微妙なものだ。外で知ったお互いの情報から
余計なダイナミズムを発生させることで、無用な投影や転移、逆転移が
起こることをことを避けるためだ。


たかだか毎週1時間ほどの関係とは言え、そこで話される内容は深い。
セラピストとクライアントと言う制限された関係であるものの、
当然、信頼関係も生まれている。


だから、Terminationについて話し合うことがとても大事になる。
それについて、僕たちはいつから話し合おうかと、
最近、Helgeが確認するようになってきた。


僕には、2人のスーパーバイザーがいる。
現在は、Pacific InstituteでアサインされているLaniと、
CIISからアサインされているGloriaだ。


2人とも、とても信頼できるベテランセラピストだ。


セラピーではなく、スーパーバイズなので、セッションでは、僕の自分のことではなく、
僕のクライアントのことを話す。だから、セラピーとは異なるのだけど、
いかなる関係性も自分時便の内面と無関係ではありえない。


だから、彼女たちとのセッションの中では、しばしば僕の内面に関することも
テーマに上る。


僕はスーパービジョンで、僕のクライアントとのTerminationについては
もちろん、僕とスーパーバイザーとのTerminationについても
話し合うことになる。


プラクティカムが終了する来年1月が過ぎたら、僕はすぐアメリカを発つ。
それは、サンフランシスコとのTerminationだ。


留学することは小さいころからの憧れで、CIISに来ることは、
7年越しの計画だった。だから、CIISを卒業するとは、
自分の夢とのTerminationだ。


そして…、


それは、人より少し長かった僕の青春とのTerminationでもあるのかもしれない。


サンフランシスコで出会い、親交を得たたくさんの人たちとのTerminationもある。
この場合は、いろいろなTerminationというよりも、Good byeと表現することの方が
適切かもしれないけど…。


アメリカに来る前の自分と、実際にアメリカに来て3年間を過ごした後では、
仮にそのまま日本にいた時とは違う内面の変わり方をしているのだと思う。
その自覚はあまりないのだけど、考えないといけない。


それはおそらく、自分の中にある、日本のある部分との
Terminationになるのだろうと思う。


残りのサンフランシスコデイズ、


たくさんのTerminationが僕を待っている。

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涙したい

土曜日、日曜日、月曜日…、ぽろぽろ涙を流して泣いた。
何回も何回も…。


僕はこんなに泣けるんだ、と驚いた。


CIISに来る前は、カウンセリングサイコロジーを学ぶことによって、
自分の心をもっと上手に扱えるようになって、逞しく、強くなれるのだと
思っていたのだけど…、実際に僕が手に入れたのは、どうやら、それとは真逆の
自分のようだ。


僕は、日本では、あまり泣いたことが無かった。
おそらく、日本社会で生きる多くの男性がそうであるように。


怒ったら負け。泣くのはもってのほか。感情はコントロールするものと教えられた。


泣くのは弱いからだ。男らしくないことだ。恥ずべきことだ。
本当に悲しかったら泣けないものなんだ。


これらは、どこで覚えた言葉なのだろう…。


だから、何かがあった時には、その悲しみに向き合わないようにするために、
余計に仕事に没頭する。あるいは夢に向かって、更に自分を加速させる。
心を他に向けるために徹底的に自分を忙しくする。


カウンセリングサイコロジーでは、悲しみや苦しみの感情に直面しないようにするための
心の働きは、すべてディフェンスメカニズムだと教わった。


そして、僕はそれがけっこう上手かった。


土曜日の朝、ある出来事があって、僕は、自分の心のディフェンスメカニズムを
これまでのように働かせることはストップさせようと強く強く思った。
いまの僕に必要なことだと直感したから。


そうしたら、哀しくてたまらなくて…、
でも、その気持ちに正面から向き合って、一緒に居続けて…、


すると、涙が次から次へと溢れて来て…、泣くしかなかった。


シャワーを浴びながら声を上げて泣いた。


僕はこう言う風に泣くのか…。
自分に驚きながら泣いた。


翌日の日曜日、去年のインターンだった友だちと久しぶりに会う約束になっていた。
お昼を一緒に食べて、サンフランシスコの街を歩きながら話していたら…、
涙がまた溢れていた。


月曜日の朝、Pacific Instituteの朝ミーティングの後、仲良くしてもらっている
2年目のインターンが声をかけて来て…、そうしたら僕はまた泣いていた。


午後12時からのPacific InstituteでのLaniとのスーパービジョンでも泣いた。
午後3時からのGloriaとのスーパービジョンでも泣いた。


Gloriaとのスーパービジョンから戻ってきて、レジデントのEMさんの隣の椅子に座った。


認知症と鬱を患っているEMさんは、いつもは無反応なのに、彼女は僕をじっと見つめて、
笑顔を浮かべると自分の紅茶の入ったカップを静かに僕に差し出した。


僕はまた涙が落ちそうになった。


すべては僕から切り出した話だった。
だから、自業自得なのだ。


でも、これがこんなに悲しいことだとは思わなかった。


あの人も、きっと海の向こうで泣いているんだろうなと思う。
でも、潔い人だから、歯を食いしばって耐えているんだろうなとも思う。


僕は、自分の計画と心のプロセスを促進させないといけない。
もっともっと未来に向けて遠くに飛ぶために。
何よりも自分自身のために。


だから、身と心とをもう一度軽くしたい。


そんな我儘を受け入れてくれた彼女の器と優しさと愛に感謝しながら…、


僕はまた涙したい。

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もてなしのスタイルの違い

SuzanneとDenissとその家族たちと一緒に数日間過ごさせてもらって感じたのは、
この家庭には何でもあって、決定的に無いものがある、ということだ。


それは…、


気配りの空気。


別に、悪い意味じゃない。


言えば何でも出てくるし、自分で何でも取りに行けばいいのだけど、
自分から行動を起こさないと何も出てこない。


水も、マットレスも、タオルも枕も、お昼ごはんも出てこない。


普通、人と人の間には、何か、見えない“気”のような繋がりがあって
温かい配慮が流れている感じがするものだけど…、


ここでは、そこにあるのはただの空間で、窒素と酸素と二酸化炭素が
スースーと流れているだけのように僕には見えた。


だからと言って、居心地が悪いわけじゃない。
家族の絆が無いわけじゃない。


Suzanneの両親も、家に泊まりに来ていた。2人とも80代だ。
お爺さんは、とても静かで、よく家のことをする。


彼は翌朝、Dish Washerの中にあるお皿を片付ける。
残りの汚れたお皿をDish washerに入れてセットする。


こまごまと動く。


僕は、それを見ると申し訳なく思うのと同時に、体が動いて、
お爺さんを手伝う。


でも、Suzanneやお婆さんや他の親類たちや友人は、それを手伝うわけではない。
新聞を読んでいたり、テレビを見ていたり、音楽を聞いていたり、散歩に出たりする。


僕はお皿を片づけながら考える。
僕が感じている申し訳なさは、いったいどこから来ているのだろう。
皆は感じていないようなのに…。


そして、別に手伝ったからと言って、お爺さんは僕にお礼を
言うわけでもない。


その場にいる人と人の関係性から、何かを迫られることが一切ない。


あくまでも、“自分次第”だ。あなたがしたいことをその場でするだけだ。
そして、周囲はそれをリスペクトする。


人がいつもと同じ自分でいることができるようにすること。あなたらしさを尊重すること。
そういう“もてなし”のスタイルも、慣れると、そこそこ心地よい。
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幸せに辿りつくためのプライス

Thanksgiving中に滞在していたLAでは、僕は、アメリカ人の友だちの
叔母のご自宅にお邪魔をしていた。その叔母の名前がSuzanneで、
夫の名前がDennisだ。


2人とも弁護士の資格を持ち、経済的に大成功を収めている。


彼らは、UCLAのLaw Schoolでクラスメートとして出会った。
Suzanneはワシントン州の出身で、会社を休職して法律を学びに来ていた。
一方、Dennisはカリフォルニア州のLA生まれLA育ちだった。


UCLAで2人は恋人同士となった。卒業後、Suzanneはワシントン州に
戻らなくてはいけない。2人は友人として別れることを選んだ。


それから、年に3回ぐらい電話でやり取りをして、5年に一回、
大学の同窓会でSuzanneがLAに来た時に食事をすると言う関係が続いていた。


両人とも35歳で別々の人と結婚。


お互いに不幸な結婚だったと言う。


Suzanneのパートナーは、素晴らしい男性だったそうだが、
仕事でプレッシャーがかかると人が変わったようになって、
Suzanneと周囲の人を傷つけたそうだ。


Dennisは、その時、付き合っていた女性が妊娠をしたために
結婚をした、ということだった。


当時の、お互いの弁護士としてのキャリアは素晴らしく、
お互いのパートナーも弁護士として同様に素晴らしい成功を収めていて、
誰もがうらやむカップルだったそうだ。


その後、Suzanneは47歳で離婚。
Dennisは49歳で離婚をして、その年に、お互いが49歳で再婚をした。


LA滞在中の先週土曜日の朝8時、皆が起きてくる前にソファに座っていた
Suzanneといろいろ話す機会があって、上記のような少しプライベートな話に
触れることになった。


「何でも聞いてくれて構わないわ」と、彼女が言ったので、
僕はもう少し踏み込んで尋ねてみた。


「1度目の結婚の時も、おそらく、賢いあなたのことだから、いろいろ考えて相手を
選んだと思う。でも、結果的に不幸な結婚になってしまった。
そして、いまはDennisと結婚して幸せだと言う。1度目と2度目では、
結婚の時の相手を選ぶ基準の何が違ったの?」


彼女は、少し考えてから、こう言った。


「違いについて考えたことは無かったけど…、


一度目の結婚のときはね、頭の良さ、キャリア、人間としての魅力、の3つで選んだわ。
でも、今はね、同じ価値観、同じ世界観、同じユーモアセンス、
この3つがとても大事だと思うの。


これらは、前の結婚のときには、私のリストには明らかに無かった要素ね」


「でもDennisには、後半の3つだけでは無くて、頭の良さも、キャリアも、
人間としての魅力もあると思うけど…」と僕が言うと、
Suzanneは、「そうね、私はラッキーだわ」と笑った。


彼女は続けた。


「それと…、


相手がストレスをどうコントロールする人なのか、それを知っておくことも
大事だと思うわ。ほら、普段は見えなかったりするものだから。


それに加えて、私の場合だと、強いselfの持ち主であることは大事ね。
動じない自己のある人。伝えたいことを伝え合える関係であることはとても大切。


私は、言いたいことを言うわ。でも、そのことによって相手を萎縮させて、
私がそれを利用するような関係にはなりたくないの」


彼女は、いまセミリタイヤの生活だそうだ。
Dennisと一緒に暮らすために、ワシントン州での仕事を手放して、
カリフォルニアに移ってきた。


「輝かしいキャリアを手放すことには躊躇は無かったの?」


僕がそう尋ねると、彼女は言った。


「私には、過去の仕事で自分が本当に納得できる出来栄えのプロジェクトが
2つあった。もうこれ以上の仕事は、後にも先にもないだろうって思えた。


実際に、その後、それ以上の仕事には出会えなかったわ。
その経験は、私のキャリアへの執着を薄めさせたかもしれないわね…」


「キャリアとリレーション…。


自覚があるのだけど、どうやら私はキャリアとリレーションの二つのバランスを
取ることがあまり上手じゃないタイプのようなの。


その点、Dennisは私より上手いわ。


働くときは働く。働かないときは働かない。
訴訟が起こっているときには、週60時間。朝7時から夜中まで働くけど、
そうではないときには、午後2時に帰ってきて、2人で映画を見に行くわ」


「キャリアだけ見ると、私は、Very successで、DennisはGreat Success。
私が働かなくても、生活には困らないの。


彼は、私にリタイヤライフをプレゼントしてくれた。
そう思っている。


私は、今は弁護士としては、気の向いたときにだけ、興味の湧く仕事を
引き受けているの。自分でリズムとペースを作ることのできる今の生活に、
私はとても満足しているわ」


彼女が、現在のライフスタイルと、リレーションを手に入れるために支払ってきた
プライスと人生の紆余曲折を、少しだけ伺い知ることが出来た。


人生にも、キャリアにも、リレーションにも、長い間にはたくさんのことが起こる。
判断を誤ることもある。だからこそ、時々の判断に縛られることなく、
長期的な視野で、いろいろな可能性に自分を開いておく知恵を持ちたい。
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