San Francisco Life

サンフランシスコの“きれい”と、東京の“きれい”

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サンフランシスコは“きれい”な街だ。


本当に。


でも、東京に比べると、


道路はボコボコしているし、路肩はヒビが入ったままになっているし、
浮浪者は多いし、20年前ぐらいの古い年式の車も走っているし、
変な匂いのする通りも多い。ゴミもよく落ちている。
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日本人の僕の感覚だと…、けっこう汚い。


でも、


確かに“きれい”なんだ。


…。


東京も、“きれい”な街だ。


道路は滑らかに舗装されているし、路肩も整っているし、
浮浪者は街中には少ないし、古い年式の車は見かけない。
匂いも、さほどじゃないし、ゴミも大して落ちていない。
余談だけど、歩いている人の身なりも“きれい”だと思う。


東京は…、


清潔だ、とっても。


でも、美しいかと言われると…、


どうだろう。


「きれいな街、サンフランシスコ」と、「きれいな街、東京」。

「美しい街、サンフランシスコ」と、「清潔な街、東京」。

「汚いけど、美しいサンフランシスコ」と、「清潔だけど、美しくはないかもしれない東京」。


僕の主観だけの問題じゃないとしたら、
サンフランシスコが汚いけど美しい理由って何だろう…。

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なぜバラバラなのか、連帯しないのか?

アメリカにはたくさんのアジア系アメリカ人が住んでいる。
その中で、日系人人口は、中国系、フィリピン系、インド系、
ベトナム系、韓国系に続いて6番目ということだ。
他のアジア系人口が年々増加する中、日系人は減少傾向を辿っているらしい。


この意味するところは何だろう…。


話は飛ぶようだけど、
海外に住む日本人は、横のつながりが希薄だ、バラバラだという話題は、
サンフランシスコに住む僕の周辺でもよく出る。


そういう問題意識を持つ人からすると、他のアジア系民族に比べて、
日本人のネットワークは脆弱に映るし、他民族の繋がりやまとまりがうらやましくも
映るのだろう。その気持ち、分からなくもない。


なぜ日本人はバラバラなのか、なぜ連帯しないのか?


自分自身を振り返った時に、心のどこかに、「いつかは日本に帰る…」という
意識があることに気づく。自分の意識のセンターには日本がある。
アメリカに住んでいても、真の意味で、アメリカがセンターに来ていない。


限られた期間のアメリカ滞在に、無理して日本人の集まりにコミットしなくても
いいんじゃないか…、という意識が働くのだろうか?


いや、この理由だけじゃ十分じゃない。
だって、短い期間だってお互いに助け合うことはメリットがあるはずだから。


なぜ日本人はバラバラなのか、なぜ連帯しないのか?


更に自分自身を考えてみると、どうだろう…。
日本人同士が集まった時にできる“力学”のようなものから
可能な限り距離を置きたい自分がいるのかもしれない。


ある知人は、その力学を「小さな世間」と表現した。


「小さな世間」では、ある意味、人間関係自体が目的になるから、合理的には
説明できない「力学」が働く。そこには、読み合う必要のある「空気」が生まれる。


その「空気」は重苦しく感じる時もあるし、心地よく感じる時もある。
大概は重苦しい…、かな。


困るのは、何かに自動的にスイッチが押されて、自分がその「空気」醸成に
加担してしまう時があることだ。僕はそんな自分が好きじゃない。


…。


人が日本を飛び出す理由はそれぞれだ。
日本が大好きだけど飛び出してきた、という人も確かにいる。僕がそうだ。
でも、日本の「空気」に窒息しそうになってアメリカにやってきた人も多い。


日本が嫌で飛び出してきた人は、ここアメリカで日本人同士で連帯しようと思うだろうか。


仮に、そう思っても、一方で日本を否定しながら、もう一方で日本人の連帯を
主張することは、裏表あるコインの表だけが欲しい、というようなものではないか。
日本人の集まりに、漏れなくついてくるのが「空気」なのだと思うのだが、どうだろう…。


再度、考えてみる。


なぜ日本人はバラバラなのか、なぜ連帯しないのか?


いま思うのは、その必然性が、他のアジア人と比べて薄いだけじゃないのか。


例えば、日本に帰ること前提としている日本人と、一生そこに住むことを前提としている
アジア人とでは、連帯に対するコミットが違うのは当然だろう。


それは、戻れる場所がある人と、無い人との違い、とも言えるかもしれない。
僕たち日本人には、いつでも戻れる“豊かな国”がある。


なぜ日本人はバラバラなのか、なぜ連帯しないのか?


いろいろ言いながらも、日本人は、結局、他国の人に比べたら、
恵まれた状態でアメリカに来ているんじゃないか。金銭的にも、立場的にも。
だから、本気で連帯する必要がないんじゃないか。


なぜ日本人はバラバラなのか、なぜ連帯しないのか?


…。

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秋とSIERRA NEVADA BEER

涼しいサンフランシスコの8月も、もう終わる。


でも、今日のサンフランシスコは、ものすごく暑かった。
どのぐらい暑かったかというと、夜10時にSIERRA NEVADAの
PALE ALE BEERを1ダース、safewayに買いに行ったほどだ。


Fall Semesterが始まり、新しいスケジュールとなり、Greeterの仕事も
日曜日の朝だけとなった。だから、今日は久しぶりにクラスも仕事もない
金曜日だった。


山ほど課題に出されているReadingに取り組んでいたのだけど、
あまりの暑さで集中力が続かない。


サンフランシスコの家は、暖房などの寒さ対策はできているのだけど、
一年を通して全般的に涼しい気候のせいか、暑さ対策の脇が甘い。


窓を開けたくなる。開けてもいいのだけど、日本ほどではないにせよ、
やっぱり虫が入ってくる。


僕は、涼しい風が吹きだしてきた夜7時に、思うように進まないReadingを
いったんストップして、近くのStern Grove Parkに散歩に出かけた。


空には月が奇麗だった。もしその隣に、もう一つ小さな、歪な形をした月が
見えたら、村上春樹の「1Q84」の世界だな、なんて思いながら見上げた。
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公園を二周した。


日も沈み、帰りに道路を横切ると、下り坂の遠くに小さく見える海と、
その上に広がる大きな空が、夕焼けで真っ赤に染まっていた。
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これから9月、10月と、サンフランシスコでは、秋がしみじみと深まっていく…、


のではなく、


インディアンサマーと呼ばれるもっとも快晴で、空がどこまでもブルーに染まる、
最高のシーズンが到来する。


以前、JR東海の「そうだ京都、行こう」に、僕の好きなこんなコピーがあったのを
思い出した。



子供はひと夏ごとに、
大人はひと秋ごとに、
なにか大事なものを身につけていくように思います。




日本で秋が深まる時期に、
サンフランシスコではもう一つの夏が始まる。二段式ジェットエンジンみたいに。


秋らしくないサンフランシスコの秋。
いや、厳密には、“秋”とは呼べないかもしれない、サンフランシスコの秋。


秋の力を借りず、僕は今セメスター、どんな大切なことを身につけられるだろうか。


なんてことを、SIERRA NEVADA BEERの2本目を飲みながら書いています。


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「人間はみんな同じ」を考える

経済と安全はリンクしている。僕らはある程度、お金で安全を買っている。
だから高いホテルは、だいたい安全な場所にある。
安いホテルは、それなりの場所にある。


これは、住む場所にも当てはまる。
サンフランシスコでも、安全な場所に住みたい人は、それなりのコストを払う。


多民族の住む社会では、経済と安全というファクターに、人種というファクターも
絡んでくる。


サンフランシスコでも、だいたい白人が多い地区、アジア系が多い地区、
ラティーノが多い地区、黒人が多い地区があり、それなりに、経済と安全という
ファクターと相関があるようだ。ちょっと残念なことかもしれないけど。


で、学区だ。


クラスメートが、今学期から、高校生になった従姉弟を、毎朝、車で
学校に送り届ける仕事が増えたと嘆いていた。


中学校までは、住んでいる地域にある学校に通っていたのだが、
高校進学にあたっては、サンフランシスコのダイバーシティ政策によって、
高校ごとに人種が一定割合に強制的にミックスされるのだ。


だから、一定割合の生徒は、自分の通っている学区以外の高校に
行かなくてはならなくなる。


例えば、白人の生徒が、黒人の多く住む居住区にある高校に、
黒人の生徒が、アジア系の多く住む居住区にある高校に、
アジア系の生徒が、ラティーノの多く住む居住区にある高校に、
ラティーノの生徒が、白人の多く住む居住区にある高校に。


とは言っても、各高校での人種構成が均等になるわけでなく、
そのマジョリティはその地域の人種が占めている。つまり、
アジア系の多く住む地域にある高校の生徒の6割はアジア系、
その他の4割が他の人種というように。


いろいろな理由があって、4年前からその政策が実施されているそうだが、
一部の父兄から、非常に評判が良くないとのこと。


つまり、それなりの目的があり、高いコストを払って安全な地域に住んでいるのに、
なぜ自分の子供を“危険な”地域にある学校に通わせないといけないのか、
という不満だ。


そのクラスメートの従姉弟の場合も、歩いて10分の場所に高校があるのに、
それとは違う、車で25分の場所にある治安のさほど良くないエリアにある
高校に行かねばならないということだ。


僕の住んでいるサンセット/パークサイド地区にも高校がある。
アジア系が多く住む地域だが、帰り際、MUNIのバス停にたくさんの
高校生がいる。そこでは、きれいに人種ごとにグループが別れている。


一筋縄にはいかないらしい…。


「人間はみんな同じ」という言葉がある。


最近、その言葉自体の是非ではなく、それを発する時、その人は、いったいどのぐらいの
深さからその言葉を発しているのだろうと考えるようになった。


マザーテレサやダライラマがその言葉を発するのと、
その辺りの、例えば僕などが発するのとでは、同じ言葉でも、意味の深さも響きも、
まったく違ってくるからだ。


だから、簡単に言える言葉じゃないような気がしている。


人間はみんな同じ、だから人種を超えて通じ合えるのか。


もちろん、僕自身、実際にそう言う経験もしている。その一方で、


人間はみんな同じ、だから、人種を混ぜ合わせようが混ぜ合わせまいが、
異質を排除するという点では、どの人種もすることは変わらないのか。


そういう経験も、身を持ってしている。


いま僕がすべきことは、おそらく、どちらの見解に固まることではなく、
ひたすら深く深く経験していくということなのだろう…。


その両方を。



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Departures(おくりびと)

たいへん遅ればせながら、今日、観に行った。

Clement ST.にある場末の映画館で今日まで上映されていると聞いたから。

中に入ると、そこは、横に5列、楯に10列ぐらいしかない、とても小さな部屋だった。
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最終的な観客は15人ぐらい。
僕以外は、全員、白人のそれも年配の方ばかりだった。


僕なんかよりもたくさんの死を見送ってきた人たちだろう。
映画の前半には笑い声が、後半からすすり泣く声があちこちから聞こえた。


素晴らしい映画だった。
小さな映画館の中に、池に石を投げた時のように、感動の輪が何度も広がっては消え、
広がっては消えた。僕の右目からも一筋の涙が流れた。


人の最後をお世話する神聖な仕事、納棺師。
周囲の白い目にも関わらず、そこに意味を見出し、「プロフェッショナル」として
成長していく主人公。仕事に向き合う姿勢に、感じるものがあった。


感じたことは他にもいくつもあるのだけど、二つだけ。


人は死んだら仏になる…。
魂の方ではなく、残された、死体の方を仏と呼ぶ。そして丁重に扱う。
改めて、その日本人の感性を不思議に思った。


死生観…。
どう生きるかについてはいつも考えているつもりだ。
でも人生の「生」の部分にだけフォーカスしていた。
だから、それだけだと単なる「生観」だ。

「死観」つまり、「死」を考えるとは、
一般論としての死だけではなく、自分の、個人的な死をどう考えるか。
そして、どう死ぬかだけでなく、死んだらどうなるかまでも含んだ考え方だろう。
宗教の思想にも近いのかもしれない。

「死観」に支えられていない「生観」はない。逆も然りだ。
だから二つをバランスよく考えることが大切だ。

ちなみに、CIISに来た理由は、自分の「世界観」を拡げよう、深めよう、
明確化しようと思っていたから。

直感として、プロフェッショナルとして生きる上での最終的な拠り所は、
本人の世界観だと思っていたから。

でも、「世界観」だけでは充分ではない。
どういう「死生観」をもってクライアントに接するのか。
それを前面に出さずとも、背骨としては重要だろう。

今日、深めがいのある新たなテーマがドーンと目の前に提示された気がした。

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「海辺のカフカ」と「1Q84」

秋セメスターが始まったら、課題図書以外に余暇の本を読む時間はない。
だから、秋セメスター開始が間近に迫ったここ数日を使って、
僕の部屋にあった村上春樹の二つの小説を一気読みした。
彼の本を“原書”で読めることに感謝をしながら。


「海辺のカフカ」の主人公は15才だ。
「1Q84」は、もう一つの1984年の物語だ。


ページを右から開く。

文字を上下に追う。

日本語の本は、どこまでも僕の目に優しい。


とりたてて感想は書かないけど、「海辺のカフカ」の方が面白くて、
「1Q84」の方がドキドキした。


彼の本を読むといつも感じるのは、
もっと自分の目を使って、注意深く日常を観察してみよう、
もっと想像力を働かせて、目に見えないもう一つの世界に想いを馳せてみよう、
ということだ。


二つの小説を読み終えてから、
1984年に僕はちょうど15才だったことに気がついた。

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バリカンで刈ってみる

アメリカは、自立が尊ばれる国だ。自分で出来ることは自分ですることが、
尊ばれる。芝刈り、ペンキ塗り、家の修理…。


そういう気風が、僕の中にも宿りつつあるのだろうか。


昨日、Walgreensでバリカンを買った。34ドル99セントの一番高いやつを。
どうせなら高性能の方がいい。


そして今日、早速、使った。


部屋にビニールを敷いて、大きな鏡の前に上半身裸で座って、自分の頭を自分で刈る。
生まれてはじめての経験だ。


バリカンの刃に、いくつかあるもののうちから6mmのキャップをかぶせた。
スイッチを入れたら、想像以上に大きな音で驚いた。


僕はしばらくその刃の動きを眺めてから、イッキに右のもみあげから剃り上げた。


…。


僕がいつも通っていたのは、家の近くにある香港チャイニーズ系のbarberだ。
このあたりでは、9ドルで一番安い。いつもチップを2ドル足して、締めて11ドル。
シャンプーも何もないけど、悪くはないdealだった。


いつも同じ長さでお願いをしていた。でも、いつの頃からか、おばさんは
以前は3種類で使い分けていたバリカンの刃を、2種類しか使わなくなった。
それに併せて、僕の仕上がりの髪の長さも短くなった。


コスト的にも、顔のタイプ的にも、僕は短い方が気に入っているので、
何の問題もなかったのだが…、前回、髪を刈られた自分の頭を
鏡でまじまじと観て、ふと思ったのだ。


なんだ、これなら自分で出来るんじゃないか。


それだけの話だ。


今日の出来栄え?


しばらくは帽子を被る必要がありそうです。


写真?


ですので、お見せできるほどのものではありません。


目下の課題は、耳周りと、襟足をどうやって刈るかです。


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カメラの有無と、僕の意識

およそ3か月前にカメラを無くした。
というわけで、その間、写真の無いブログを書いていた。


最近、再びカメラを手に入れた。ある人の厚意に甘えたのだけど。


で、それによって気づいたことがある。


日々を過ごす中で、

カメラを持つと、僕の意識は外に向く。
カメラが無いと、僕の意識は内に向く。

カメラがあると、風景観察に意識が向く。
カメラがないと、内省描写に意識が向く。

ずいぶん、意識の持ち方が変わってくるんだなと。


1年半前のCIISの入学式で学長が言ったワンフレーズを思い出す。


新入生の皆さん、これから始まる内なる旅へ、ようこそ。


そう、僕は内なる旅をするためにCIISに来たんだっけ。


自分の内的世界にもレンズを向けて、シャッターを押し続けないと。

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仙人の隠れ家

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サンフランシスコ三田会で知り合い、以来、お世話になっている
在米30年の大御所がいる。自称“仙人”だ。だから、ここでは仙人と呼ばせて頂く。Dsc01561











いつも僕たち若手(?)を気にかけてくれていて、機会があると、
いつものメンバーを、幾つもある秘密の隠れ家に招いてくれる。


今回の隠れ家は、Clement ST.の外れにあった。


恐る恐る暖簾をくぐると、最高の「握り」と土佐の銘酒「酔鯨」と、
一見おっかない、日本でも少なくなってきた職人肌の「おやじ」が
僕たちを歓待してくれた。


実は、僕は待ち合わせ時間の5分前に着いたのだが、
その時、仙人は既にカウンターに座って、奥のカウンターに座って、
おやじとビールを酌み交わしていた。


ここのおやじは、これぞと思う客、馴染みの客とは、
一緒に酒を酌み交わしながら、親睦をはかるのだそうだ。


僕は、仙人の仲介もあって、その場で軽く挨拶をした。


とにもかくにも、出てくるものすべてが旨かった。


豪放磊落なそのキャラクターとは180度違って、おやじの握る寿司は、
シャリ少なめで上品で繊細だった。
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ネタも日本でもなかなかお目にかかれないぐらいのクオリティだった。
サンマの握りを口に入れた時、メンバーから歓声が上がったぐらいだから。


「仙人って、日々、霧と霞を食べて生きているものかと思ったら、
けっこうローカロリー・ハイプロテインな良いもの食べているんですね!」
なんて、つまらないツッコミを入れたりした。


18時から始まった会は、延々続き、22時を過ぎるとおやじは「酔鯨」の一升瓶を
抱えて、僕の隣にどかっと座った。そして、ぐびぐびと僕のグラスにその酒を注いだ。


サービスだと。


そこから先、話した内容は記憶の遠くだけど、おやじは僕の頭を
ポカポカ叩きながら、「おい、おめえ、また来いよ!」と何度も
言ってくれたのを覚えている。Dsc01567











いつも心配り細やかな仙人は、ちょっと気にしたのか、
「TJくん、おやじは誰の頭でも叩くわけじゃないんだよ。愛情表現なんだよ」
とフォローを入れてくれる。


ええ、わかっております。


僕はけっこう良い年齢なのだけど、こうして素晴らしい人たちに
見守られながら、ここサンフランシスコでもこうやって元気に生きている。
感謝感謝だ。


最高のJapaneseな夜だった。
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Zooを考える

先週、San Francisco Zooに行った。いつも利用するMUNIのLラインの
終点なので、僕の住んでいるところからはとても近い。


最近はゴリラの赤ちゃんが生まれたらしく、市内でそのポスターも良く見かける。


この動物園、行くのは3回目なのだけど、なかなか地味な動物園だと
思っていた。特別なアトラクションがあるわけでもないし、何と、ゾウもいない。


でも、動物園好きの連れ合いが言うには、ここの動物は、上野動物園の動物よりも
元気だと。そう言う視点で見たことがなかった。


確かにキリンは走っているし、Photo










ライオンは起きているし、
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ゴリラは伸び伸びしているし、
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熊はお茶目だ。Photo_3











でも…、

本当に自然の中に野生動物として住んでいるときには、この比じゃ無いのだろうな。


人間に限らず、動物は環境の生き物だ。動物園に連れてこられた動物たちだって、
その空間に違和感を感じているのかもしれない。如何に模してあっても、
僕がサンフランシスコの日本庭園に違和感を感じるように。


先のブログでイルカについて触れたこともあって、動物園の社会的意義について
ちょっとググって見た。


人間のエゴから始まったアミューズメントとしての動物園の位置づけ以外にも、
現在は、教育施設、種の保全、生体の研究、いろいろあるらしい。
そして、それら一つ一つに対する賛否両論も。


もしかしたら、北海道の旭山動物園の成功も、ある視点から観た時の成功と
いうだけのことなのかもしれない。


目にするものすべてに意味と歴史があり、それらに対する議論がある。
社会とは、好奇心さえ持てば、考えることに事欠かかない場所らしい。
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The Cove

それは、いまアメリカで公開されている、日本のイルカ虐殺をテーマにした
ドキュメンタリー映画だ。和歌山県の太地町が舞台になっている。


クラスメートに勧められて観に行った。


日本では、年間2万3千頭のイルカが殺されている。多くは食用肉にされ、
一部は世界の水族館に売られている。


地元の漁協の人たちと、反捕鯨運動家たちとの押し問答や、
イルカが湾に追い込まれ、大量に殺されるシーンはとてもインパクトがあった。


僕は捕鯨問題(彼らによるとイルカもクジラの一種ということだ)について
深い知識はないけど、


①知能の高いイルカは一切殺すべきではないという反捕鯨の視点と、
②食用資源として科学的データに基づいて捕獲をしているという捕鯨擁護の視点、
という、大きく二つの視点があることぐらいは知っていた。


でも、 ①には、「知能」を問題にするのは人間のエゴではないか。
他の家畜動物、実験動物は何の問題にもならないのか、という反論が待っているし、

②には、この映画を見て知ったのだけど、イルカの肉は食用としては、
含まれる水銀量が多すぎて危険なのにも関わらず、そのデータを伏せて、
イルカを獲り続ける正当な理由はどこにあるのか、という反論が待っている。


もちろん、他にもたくさんの言い分があるのだろう。


僕のアメリカ人のクラスメートは、すぐ「TJはどういう立場をとるのだ?」
「どういう行動をするのだ?」という風に来るから、この手の政治的話題は
ちょっと苦手なのだけど…、

僕にとってこの映画は、捕鯨というテーマを通して、彼らの視点で、日本という国は
こう切り取ることができることができるのだ、という見方を知れたこと、

そして、この映画をどういう文脈で受け取るにせよ、そういう“事実”が日本にあることを
知れたことが収穫だった。

今年のサンダンス映画祭で受賞しているこの作品、日本では公開されるだろうか?

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二つのTower

先週、スタンフォード大学とUCバークレーを訪れてきた。


ライバル関係にある二つの大学には、それぞれシンボルタワーがある。
Hoover TowerとSather Towerだ。


僕がこれらのキャンパスを訪れるのは2度目だったのだけど、
前回、スタンフォード大学を訪れた時は夕方だったので、Hoover Towerに登れなかった。
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だから、今回、それぞれのタワーから二つの大学のキャンパスの眺めの違いを
感じるのを、とても楽しみにしていた。


ところが、UCバークレー訪れたら、Sather Towerは工事中で登れなかった。
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なので、Sather Towerからの眺めは、前回訪れた時に撮った写真を使って、
それぞれのTowerからの眺めをご紹介します。別に、このことに何か
意味があるとは思わないけど…。

Hoover Towerからの眺め(スタンフォード大学)
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Sather Towerからの眺め(UCバークレー)
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ではまた!

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「考える人」と現代社会

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去年、サンフランシスコにある、全米でもっとも美しい美術館と言われている
Legion of Honor Museumに行った時、Rodinの「考える人」を身近に見て感動した。

それは、正面ゲートの外に飾られていた。


今週、スタンフォード大学のキャンパスにある美術館に行ったら、何と、そこにも
「考える人」があった。こちらは室内に展示されていたけど。


恥ずかしながら、どちらが本物なんだろう、なんて考えていたら、「考える人」は、
世界に70体ほどあり、日本においても国立西洋美術館を始めとする複数の美術館が
所蔵していることを知った。


どうやら、「考える人」は、世界中で考えているらしい。


それが世界中にたくさんある理由は、ブロンズ鋳造の際の「石膏原型」があるので、
複製が可能だから。


でも、フランスにあるロダン美術館から“本物”と認定されているのは、
Rodinの生前に複製された21体のみだとか。もしかしたら、Rodinの死後、
彼の残した「型」を使って、ひと儲けをたくらんだ人たちがいたのかもしれない。


そんなこんなで、いろいろな理由から、“本物”は生前のものまでと、
“権威”によって定められたのだろう。


沈思黙考する彼を眺めながら、思った。


世の中は、「考える人」を余所(よそ)にして、

「0」から「1」を「創造する人」と、
「1」から「∞」に向けて「ビジネスを生み出そうとする人」と、
「∞」を「21」に「規制する人」によって回されているのかもしれない。


現代社会に、物事を、独りしっかりと深く「考える人」が生きていけるスペースは
果たしてあるだろうか…。
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閑話2/独断で、偏見

・もちろん、とてもスレンダーな人もいるのだが、レズビアンの分かりやすいタイプには、
超短髪で、なぜかポチャッとした、かなり太めの女性が多い。

彼女たちは、なぜ似たような体型をしているのだろう、と考えていたのだが、
今日、ふと思ったのが、ここアメリカ社会において、特に男性からの
「細さ」に対するプレッシャーから解放されているからじゃないだろうか。

どうだろう…。


・セラピーが盛んな地域は、西海岸と東海岸。その中でも特にニューヨークと
サンフランシスコだ。

共通点は、海の近くということを除くと、
知的階級が多く住んでいることと、民主党支持層の多い都市エリアということだ。

セラピーは、ハートランドと言われるアメリカ中部のカントリーエリアでは盛んではない。
これらの地域の特徴は、保守的で共和党支持層が多く、キリスト教の影響が強いことだ。
彼らの多くは、週末に教会に行く。そこにはコミュニティがある。
そこで、いろいろなつながりを感じることができているから、
セラピーが必要ないのかもしれない。

一方、リベラルで、中部に比べてキリスト教的な生活習慣から解放されている
東海岸と西海岸の都市生活者は、古くからの因習から自由になったのだろうけど、
同時に何かを失った。

彼らは、精神的安定を得るための何かを欲している。

そんな都会に住む民主党支持者たちにとって、セラピーに通うとは、
教会コミュニティが与えてくれていた何かの“代替物”、といったら語弊があるだろうか…。


・自立、自立、自立。アメリカ人は、国からも、家族からも、
とにかく他人から自立した存在であろうとしたがる。それが美徳なのだ。

なのに、社会の基本ユニットは2人だ。なぜだろう…。

だからなのかどうか知らないけど、彼らは独りでいることを極端に恐れて、
極端に寂しがって、常にパートナーを探しているように僕には見える。

自由と独立の理想を謳いながら、ところがどっこい、アメリカ人は、
実は、人一倍、パートナーへの依存心が強いんじゃないだろうか。

そんな“お互い依存症”のカップルがつくる家庭だから、子どもに居場所がない。
おまけに、互いの想いが熱いうちはいいけど、冷めてくると、“私の自由と独立”を、
忘れていた権利として、ぶんぶん振り回したくなる。

旺盛すぎる独立心と、その反動からくるのかもしれない極端なパートナーへの依存が、
多くの社会的病理を引き起こしているようにも思うのだけど…。


・アメリカ人は、どこまで行っても他人のせいにする。
いやいやそれは、言いすぎかもしれないけど。

でも、例えば、僕の周りでは、アメリカが世界で評判が悪いのはブッシュのせい。
彼を選んだのは…、共和党の支持者たち。
私は民主党支持だから、もちろん、私のせいじゃない。

でも、ブッシュにしてみたら、彼を選んだのは“アメリカ国民”なのだろう。
そして、彼は、そのルールに則って、自分が信じることをやったのだ。

民主主義というシステムがその通りに機能する社会、且つ、個人主義が
浸透している社会とは、もしかしたら、最後の最後まで、責任を他人のせいに
できる社会なのかもしれない。そして、最後の最後まで、“私は正しい”と
言いきれるのだ。

どうだろう…。

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サンフランシスコの自転車トリビア

ようやく、澄むように爽やかな青空が広がり出したサンフランシスコです。


今朝、自転車で大学院に向かう途中のVan Ness ST.とMarket ST.の交差点で
信号待ちをしている時、空を見上げると、カモメが一羽、高層ビルディングの間に
急降下しては、気流でふわっと浮き上がって…、それを何度も何度も繰り返していた。


遊んでいるんだなと思った。


カモメの白が、サンフランシスコの空の青と、朝陽の眩しさと、
空気の透明さを紡いでいるようだった。


先週、ジャパンタウンからの帰り、自転車に乗って、交通量の多い、
通り慣れない大通りを走っていた。


サンフランシスコの道路の両端には、だいたいどこも、いつもたくさんの車が
駐車してある。だから、僕はその脇を走ることになる。


信号待ちをしていると、後ろから自転車で来たおばさんが、
僕の前にスーッと自転車を止めた。そして、いきなり僕にこう言った。


「ねえ、あなた、いらぬおせっかいかもしれないけど、こういう大通りを走る時は、
なるべく道路の真ん中を走らないとだめ。車が後ろから来てもかまわないから、
端ではなく、真ん中を走りなさい」

「えっ」

「道路に止まっている車の横を走っていると、自転車に気がつかず、駐車してある車が
急に走りだしたり、ドアを開けたりして、事故に合う人がものすごく多いの」

「そうなんですか。わかりました。ありがとうございます」

「いいわね、真ん中よ!」

「はい」

「聞いてくれてありがとう!」


Thanks for listening to me !
と笑顔で言い残して、彼女は颯爽と道路の真ん中を走って行った。


昭和のラムネのような、爽やかさだった。


また別の話。


自転車でCIISに通いだして間もない頃、ゴールデンゲートパークから続く
Panhandleエリアで、並走して走っている2台の自転車を追い越したら、
次の信号で止まった時に、横から怒鳴られた。


「危ないじゃないか!追い越すときはちゃんと声をかけろ!分かったか?!」
みたいな感じだったと思う。


いきなりで面食らって、2列で走っていたお前らも悪い、と言い返せなかったのが
悔しかった。


でも、それよりも、追い越すときは何と言えばいいのだろう?という疑問の方が
先に浮かんだ。


その後、しばらくの間、自分が自転車で追い越されるとき、何と言われているか耳を
澄まして聞くようにした。


すると、親切な人たちは、
「On Your Left(or Right)!」 か、あるいは「Coming Left(or Right)!」
と言っていることがわかった。


まあ、その前にベルを買っちゃたけどね。


いらぬトリビアした。

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マジョリティとマイノリティのダイナミズム

先日、ニュージーランドのウェリントンに住むニュージーランド人の
友だちからメールがあった。


彼は、ニュージーランドに住むアメリカ人とドイツ人の友人から、
ニュージーランド人は、なかなか本音を言わないので打ち解けられないと
不平を言われたのだが、TJはどう思う?というものだった。


なんだか、面白いと思った。


ここサンフランシスコでは、ドイツ人のサーシャとアンナと、ジャパニーズの僕が、
アメリカ人は表面的にはフレンドリーだけど、深く付き合うのが難しいと、
よく話題にしていたので。


そう言えば、先日、ある集まりで会った、インド太鼓奏者のアメリカ人から、
彼が日本に短期滞在した時の経験として、日本人は礼儀正しいけど、
なかなか打ち解けてくれなかった、と聞いた。


場所は変われど、どこでも似たようなことが起こっている。
だから、僕が、時折、アメリカで感じる“何か”も、別に特別なことではなさそうだ。


話を戻すと、ニュージーランド人の友だちの問題意識はこうだった。


よく欧米のIndividualism(個人主義)と、アジアのCollectivism(集団主義)の
文化の違いがクローズアップされるけど、その国に溶け込める溶け込めないの原因は、
それだけじゃないんじゃないか。だって、ニュージーランドはイギリス文化の影響を
強く受けているにも関わらず、彼らからそう思われるのだから、というものだった。


おそらく…、


文化の違いもあるのだろうし、それに関連したマジョリティとマイノリティの
ダイナミズムも働いているのだろうと思った。


自分がマイノリティの立場の時、マジョリティのグループとの違いを強く意識するように
なる。いや、敏感になると言った方が適切かもしれない。


そして、マイノリティの立場の者同士は、互いに文化の違いを越えて共通点を
意識するようになる。実際はともかく、意識がそれを見つけるように働く。


僕と、サーシャとアンナにもそういうダイナミズムが働いているのかもしれない。


別のアングルで考えてみる。


例えば、関西人と関東人。
日本国内で両者を比べれば違いの方が目立つかもしれない。

生まれも育ちも大阪だった僕の大学時代の友人は、東京に来た当初、
その違いに文句ばかり言っていた。

イントネーションは勿論、蕎麦の汁の色、味付け、マクドナルドの呼び方、
エスカレーターの立ち位置、人情、ぜんぜん違う!と。

でも、彼が、外国で、例えば、アフリカのタンザニアで、関東出身の日本人と
出会ったとすると、関東と関西の違いよりも、日本人としてのお互いの共通点の方を
意識するだろう。周りがアフリカ人ばかりだったら、まあ、当たり前の話かもしれない。


とすると…、どうだろう。


異文化に溶け込む溶け込めない、という主観は、結局は、文化の違いというよりも、
マジョリティ・マイノリティという相対的なもので、より強く決まっているのだろうか。
もちろん、この二つには重なりもあるのだろうけど…。


僕は日本ではマジョリティとして、今はアメリカでマイノリティとして暮らしている。
だから、いろいろと感じるし考える。


自分が再びマジョリティの立場になった時、マイノリティの立場の人たちに
どういう態度で接することができるだろう。


その時、僕自身の「Diversityな生き様」度合が試されそうな気がする。


<付録>
アメリカの差別問題を考える時にとても参考になる素晴らしいビデオが
CIISライブラリーにある。"Color of Fears"というタイトルだ。

アメリカという国の差別、つまり白人の持つPriviledge(特権)の問題について
理解を深める上でとても参考になる。

そのビデオは、白人、黒人、ラティーノ、アジア系のアメリカ人がそれぞれ2名ずつ
集まって、二日間にわたってアメリカの差別問題を話し合うというものだ。

そのビデオの中で、白人のアメリカ人からこんなセリフがあった。

「白人が有色人種にする差別にフォーカスされているけど、自分たちだって、
他のグループを互いに差別しているんじゃないのか。ラティーノはアジア系を、
アジア系は黒人を、黒人はラティーノを…」

それに対して、ある参加者の発言が印象深かった。

「その通りだ。有色人種同士だって互いの差別はある。
でも、決定的に違うのは、白人は厳然たるパワーを持っているということだ。
その点が、有色人種同士がする差別とは、決定的に違うのだ…」

僕はこのセリフの含意をまだ充分に酌みきれていない。

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季節感が薄れていく…。

もちろん、サンフランシスコにだってそれなりに「四季」はある。
日本ほどクッキリハッキリじゃないけど。


だからなのかは知らないけど、僕はこちらでまったく季節感のある言葉を
使わなくなった。


土用の丑は鰻だね、とか、カツオが食べ頃だね、とか、
はっさくが美味しい季節だね、とか、アジサイももう終わりだね、
とか、梅雨が明けたね、とか夏らしい入道雲だね、とか…。


せいぜい使うのは、今日は暑いね、今日は寒いね、晴れたね、霧だね、ぐらいだ。
まあ、文化・風土の違いはもちろん、英語だからというのもあるのだろうけど。


ちょっと前に、ファーマーズマーケットにイチゴがたくさん並びだした。
最近は、さくらんぼだ。


旬を味わうために、ここ1週間ほど、かなりサクランボをガシガシ食べている。
おかげでちょっとお腹を壊し気味だ。


果物ネタを続けると、


僕はアメリカに来て、リンゴはそもそも酸っぱい果物だったことを思い出した。
日本のリンゴはすべからく甘いから。こちらでもフジリンゴは人気だけど。
他は酸っぱい。


バナナが黄色ではなく、その前段階の緑を通り越して、本当に青い色の段階で
売られているのに驚いた。最初は、恥ずかしながら、もしかしたらそういう種類
なのかもしれないと思った。食べようとしたが、だいたい皮が硬くてうまく剥けないし、
口に入れたら渋かった。なんであんなに青いままに売っているんだろう…。
カメラを無くしてしまったので、写真でお見せできないのが残念です。


というわけで、


梅雨とも、蒸し暑さとも無縁で、
今日もジャケットが必要なぐらいに寒いサンフランシスコからでした。

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日本人に危惧される日本の日本人

日本で言う初冬のような寒さが続いている今週のサンフランシスコです。


さて、先日のSF三田会で、08年に慶應大学を卒業をしてアメリカでファイナンスの
勉強をしたくて、バークレーにある英語学校に通っているフレッシュマンと知り合った。


積極的で社交性も向上心もある青年だ。そんな彼が、せっかくアメリカに来てまで、
どうして日本人の集まりである三田会に参加しようと思ったのか、という話になった。


曰く、


「語弊があるかもしれないし、差別的な発言に聞こえてしまうかも
しれないんですけど、語学学校に来ている日本人って、人間としての
レベルが低いんです。話題のレベルも。

それに比べると、三田会に集まる人たちは、レベルが高くて勉強になって、
僕はそれがすごく嬉しいし、楽しいんです」


実は、これに似た話題は以前、別の若者からも聞いて、このブログに書いたことがある。


人としてのレベル…、か。


でも、その一方で、


国際協力で世界を飛び回る日本人の友だちが言っていた。


世界で開かれている国際会議に、日本人が不在だと。
言語の壁もあるのだろうけど、果たしてこれでいいのだろうか…、
というのが彼女の問題意識だった。


というわけで、これらの話から強引に推論するに、


海外に学びに出る日本の若者の多くが、尊い志があるのだろうけど、
結局は日本の大学に入れる学力もないために語学学校に流れている。
もちろん、そういう人ばかりじゃないのは僕も知っているけど…。
貴重な経験なのだから、そこでいろいろ異文化を学べばいいのだろうけど、
哀しいかな、同国人でいつも固まってしまう。その結果、アメリカに
来ていながら、日本にいる時より狭い世界で生きている。


一方、名の知れた日本の大学に入った“優秀な”若者は、そのまま有名な企業に入る。
こんな時代だ。そこである程度計算できるエスカレーターライフが期待できるので、
更なるリスクを冒してまで海外に出ようとは思わない。頭が良いだけに。
企業派遣のMBAぐらいがせいぜいのチャレンジだ。結局、多くは日本に引きこもる。


いずれも話を分かりやすくするための極論でした。
失礼致しました。


ちなみに、僕の友人も、優秀な人が多いのだが、そのほとんどが日本にいる。
男性は、特に。僕の世代だと、会社では管理職となり、人生でも家族を抱え、
一様に成人病の不安を抱えたりしながら、みんな目の前の“現実”に
一生懸命向き合っている。


“現実”と言ってもそれはおそらく、日本の常識で考える“現実”だから、
“Japanese Reality”なのだろうけど。


これを書いている僕だって、偉そうなことを言えない。
極楽トンボに見えるかもしれないけど、いつも頭には日本がある。


…。


SF三田会でも気づいたことなのだけど、参加者はEldersとYoungersが中心だ。
その真ん中の、僕の世代のMiddle Age、それも特に男性は、案外少ない。


先日、日系製薬会社に勤めていて、NYに駐在する2歳年上の友人が
言っていた。みんな日本の本社時間を気にしながら仕事をするので、
仕事がエンドレスに続くのだと。


NYに来たって、世界に出たって、何のことはない、日本のビジネスパーソンは
いつも“Japanese Reality”を引きずっているのだ。
だから現地に溶け込む気概に乏しい。


まあ、それも仕方ない。


あなたが仮に“優秀”な日本人男性で、日本で名の知られた良い大学を卒業して、
知名度の高い良い会社に務めているのだとしたら、あなたは、そのことで、
日本社会の中でたくさんの有形無形の特権を得ている。
意識的にも無意識的にも。


海外で個人として勝負をしようと思ったら、その特権はすべて剥ぎ取られてしまう。
ゼロから自分の信用を作るのはとても大変だことだ。まして言葉の壁は高くて分厚い。


そんな“優秀”な日本人男性が、強いて海外に飛び出る動機なんてあるのだろうか。
やっぱり、“Japanese Reality”な生き方を選んだ方が賢いと考えるのが自然だろう。


一方で、もしあなたが優秀な日本人女性だとしたら、話は別だ。
日本を飛び出したくなる理由はよく分かるような気もする。


話が長くなり、どんどん逸れてしまった。


話を戻すと、


僕の友だちのセリフじゃないけど、「これでいいのかな?」というのは、
海外に住んで、日本と日本人を日本の常識の外から眺めた時に
誰でも感じることなのかもしれない。


日本を離れた多くの日本人は、日本に住む日本人のことをかなり危惧している、と思う。

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哲学し続ける人

「哲学とはすべてを疑うことであり、物事の基本を体系的に考えることである」


先週の日曜日は、そんなSさんの言葉のままの生きざまに触れた一日だった。


Sさん1964年に慶応の哲学科を卒業して1年後、アメリカに船でふらりとやってきた。
以来アメリカ在住40年になる、自称元祖フリーターだ。


ここカリフォルニアで、ガーデナーとして暮らしてこられた。


そんな慶応の大先輩であるSさんとの出会いは、サンフランシスコ三田会だ。


何気ない立ち話の中から、正しい距離と方角が把握できて、
面積がゆがんでいない世界地図を発明して、特許を取られたというお話を伺った。
そこで、ぜひその地図を拝見させてくださいとお願いをして、今回に至ったのだ。


実際にお話を伺うと、その地図の話は序章に過ぎなかった。
なぜその地図をつくる必要があったのか、そちらのお話の方が非常に興味深かった。


Sさんは独自の理論を掲げて、40年にわたってプレートテクトニクス学説
代表される地球科学の権威たちと議論を重ねてきた。


彼の“地球観”はこうだ。


僕たちの住む大陸は、もとから地球に存在した一部ではない。


実は、実際の地球は、ドングリのような形をしている。つまり、丸いんだけど、
その上半分の表面を大陸がドングリの笠のように覆っている形なのだ。
こんな感じだ。
A7420a9daac15193d9dbe4ecd16ff0d5








よりリアルに捉えようとするのなら、
頭の中に地球儀をイメージして、北極のポールをフランスの位置に
移してみる。


すると…、


地球上の大陸の90%が北半球にくるのだ。だから、上のドングリのような形になる。
ちなみに、それを「陸半球」と呼ぶ。海が大半になる南半球は「海半球」だ。


で、彼の着想はこうだ。


地球にはもともと海のみがあって、大陸は地球の一部として存在したのではなかった。
はるか昔、大きな流星が地球にぶつかった時、地球に覆いかぶさる形で
大陸が生じたと考えたらどうなるだろう…。


彼は、40年にわたってその理論体系を構築してきた。
そして、そのイメージを具体的につかめる世界地図が欲しいと思った。
でも、存在しないので自分で作った。そういうわけだ。


彼の人生哲学にも触れる6時間にわたる大レクチャーだったので、
僕が聞いてきた話をすべてここに紹介できないのが残念だ。


Sさんの自分の着想を信じ、人生をかけてそれを探求し続ける姿勢、
権威に受け入れられなくてもブレない在り方に感じるところがあった。

その着想を持つことで知り合えた学会の権威やジャーナリスト、
そして、彼の着想を認め、一編の小説に仕上げた松本清澄氏との
交流のお話は、心にしみるものがあった。


「僕が積み上げてきた理論が間違っているのなら誰かに教えてほしい。
これまでたくさんの地球科学の第一人者と議論をしてきた。
でも納得のいく反論をしてくれた人は誰もいないかった。
僕が間違っていてもいいんだ。納得したらすぐに改めるから。
その方が、間違った理論を信じて死んで行くよりいいからね」


人生をかけて「哲学」し続けるSさんはとても若々しく、
まるで創世期の地球のように熱い方だった。

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たくさんのお話を伺う BBQ at Bodega Bay

前回の続きです。

サンフランシスコ三田会には、アットホームな和気あいあいとした雰囲気がある。
どうも他の三田会経験者の話を伺うと、サンフランシスコ三田会が特別らしい。
女性が中心となって仕切っているということもあるのかもしれないが。


現在のサンフランシスコ三田会の雰囲気は、いろいろな出来事を乗り越えて、
歴代の実行委員たちが努力と時間をかけて作り上げてきた賜物なのだと、
現在の代表からお話を伺うことができた。


魅力的な人たちが中心となって支えている会だから、魅力的な人たちが
会員に集まる。


今回のBodega BayのBBQパーティでも、それらの方々とのたくさんの
出会いがあって、貴重なお話を伺うことができた。
そのほんの一部分をご紹介します。


・サンフランシスコ三田会の雰囲気がとてもよい秘密はなんですかと、
アメリカ滞在30年を超える世話人の女性に尋ねてみた。

「私はね、ここに住んでいるの。だから、いつか帰ってしまう、
海外赴任してきた人たちとは会へのコミットの強さ違うのよね。
サンフランシスコ三田会は私の人生の一部なの。
だから、この会を良くしていこうという想いの強さが違うと思うの」

「私がアメリカに来た頃、本当に三田会に助けられたわ。だから、
皆にも恩返しをしたくてね。」

「三田会には、同じ教育を受けてきた人たちっていう安心感があるわ。
これは大きいわ。私はこちらで『変な日本人』に一番苦労させられたから」


・BBQパーティに日本人の奥さまと参加していたアメリカ人男性。
リタイヤ生活を満喫している元弁護士で、彼の人生の哲学についてお話を伺った。

「地球はね、岩にすぎないんだよ。たまたま、あなたが生まれた岩の上は、
誰かが日本と名付けた場所だった。僕が生まれた岩の上は、
誰かアメリカと名付けた場所だった。でも、基本は僕たちは一つの
岩の上に生まれたに過ぎない。どこに生まれようがみんな同じなんだ。
どこに住むのも自由なんだ。

だから、僕たちはTribalismに気を付けないといけない。
いつもそれは僕たちの意識に潜んでいる。例えば、アメリカ人は、国内では僕たちは
白人、僕たちは黒人と別れて固まる一方で、ヨーロッパの国々に対しては
僕たちはアメリカ人だ、としてひとつに固まる。でもそう言っているヨーロッパとアメリカは、
他の多くのアジアやアフリカの国々対して、僕たちは先進国だとして固まる。

状況に応じて意図的に基準を変えながら、僕たちはいつも固まろうとするんだ」


・新しい地図を発明して、日米で特許申請をした方のお話を伺った。
それは、世界中の何処にいても自分の位置を中心に、正確な方角、位置、距離、
国の面積をビジュアルに正しく捉える事が出来る。
従来の図法にありがちな「歪み」をすべて排除した実用的な地図なのだとか。

「サンフランシスコの真西は、どこだと思う? 日本じゃないんだよ。
正確に言うと、パプアニューギニアからオーストラリアのあたりになるんだ。

じゃあ、東京の真東はどこになると思う?実は、アルゼンチンのあたりになるんだ。

他にも面白いことがたくさん分かる。

実はね、北極のポールの位置をフランスに持ってくると、上半球に陸の90%が
集まるんだ。下半球はほとんどが海になってしまう。それを陸半球と海半球と
呼ぶんだけど、それを見ると、大陸はいまも全部続いているんだなって実感できるよ」

確かに、世界地図は、僕たちの世界観をかなり制約している。
アメリカで使われている世界地図で、「太平洋」に対して日本人が持つようなプラスの
イメージを持つことは難しいと思う。だって途中で切れているし。
アメリカ人にとって太平洋は、国の「裏側にある海」みたいなイメージなんじゃ
ないだろうか。

それは、僕たちが日本で使っている地図で、大西洋の形を想像しにくいのと一緒かも
しれない。途中で切れているから。

アメリカとイギリスの距離だってイメージしにくい。

僕は、後日、その地図を見せて頂く約束をした。すごく楽しみだ。


・冷凍ではない本格的な納豆を、ということで、納豆作りのベンチャーをソノマで
始めた男性にお話を伺った。

「アメリカで納豆を?ベンチャーですね!」とよく言われるのだとか。
その時、「いやいや、ベンチャーではなくて、アド・ベンチャーです。
男の究極の遊びですよ」と応えるそうだ。

日焼けした顔と、格好いい笑顔とスタイリッシュな雰囲気。50代前半とおっしゃって
いたけど、とてもそうは見えない若々しさだ。

何だか、彼の生きざまに惹かれるところがあって、今度、お話をゆっくり
聞かせてくださいとお願いをした。

ちなみに彼の納豆の商品名は「手づくり納豆」。
ベイエリアの一流どころのスーパーにはすでに進出しているそうだ。

ただ、冷凍ではないので、お惣菜のコーナーに置かれているとのこと。
ジャパンセンターのニジヤにも置いてあるそうなので、納豆ヘビーユーザーの僕としては、
次回、購買必至だ。
Product2








長くなりました。
ここに書ききれなかった話は、また機会を改めて。

ではまた!

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サンフランシスコ三田会 BBQ at Bodega Bay

2009071215004611










サンフランシスコ三田会でお目にかかって以来、大変、お世話になっている
大先輩からお誘いいただいて、誰もが参加できるわけではない、
こだわりの海鮮バーベキューパーティに参加してきた。


誰もが参加できるわけではないというのは、
BBQの海産物を市場で仕入れているのだが、新鮮な魚、海老、貝、ウニなどなど、
仕入が難しく、量に限りがあるからだ。


僕たちはジャパンタウンのKabuki Hotelの前に朝10時に集合して、
チャーターしたバスでサンフランシスコ北部にあるBodega Bayを目指した。


Bodega Bayはワインで有名なソノマの近くで、
途中に、ヒッチコックの名作「鳥」の撮影現場に使われた教会がある。


周囲は、いまもその映画の雰囲気のままの小さな町だ。



バスの中は楽しい歓談タイムだった。


特別な、人数限定のこだわりの会というだけだって、参加者はアメリカ生活が
20年とか30年という大御所たち揃いだ。
つまりそれは、人生のそれだけの時間をともに異国の地で助け合いながら
過ごしてきた関係ということだ。


「私たちは、親戚以上よ!」


確かに。僕はその関係を見せていただくだけでも勉強になった。


正午少し前に目的地の浜辺につく。すべてセッティングがされている。
ホストの山本さんという方が調達から始まって、現場をすべて仕切ってくださっていた。


現場についたら、力仕事が待っているぞ!と諸先輩から脅されてきたのだが…、
何も出番がなかった。


皆のために縁の下の力持ちを自ら喜んで引き受ける。
周囲もそれに対する感謝の気持ちを忘れない。慶應義塾の校風だ。


こういうBBQパーティや、三田会自体も、お互いのそういう「心意気」で成り立っている。
だから、会に感謝の温かい雰囲気が流れている。


失礼ながらライバルのW大ではお目にかかりにくい姿勢かもしれない。
もちろん、あちらにはまた別の素晴らしさがあるのだが。


この海鮮BBQパーティ、現地で生まれ育った2世の子たちも何人か参加していた。
その子たちが、SF三田会に参加することで、日本の古き良き文化を学べるのだと
言っていた。


到着早々に、ビールとワインを片手にワイワイがやがや談笑が始まった。


イワシが丸ごと何匹もバーベキューの網の上に並べられた。
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ここアメリカで、あんなに新鮮で立派なイワシを丸のまま頭から食べれるなんて
夢にも思わなかった。野趣に溢れる最高の味だった。

生ウニもすごかった。あれほど肉厚の、濃厚なウニを食べたのは、
10年前に北海道の礼文島を旅したとき以来だろうか。
味が充分に濃いので、醤油をつけなくても美味しく食べられるのだ。
思いっきり堪能した。

伊勢エビのみそ汁も、「伊勢エビ」の名から湧きあがるイメージ以上の美味しさだった。


バスのチャーターの関係で、僕たちが浜辺にいられたのはきっちり3時間。
あっという間に過ぎ去った。 僕はお礼の挨拶もままならないまま、
イワシの丸焼を片手に帰りのバスに乗り込んだ。


続く。

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伝統と個人主義

高校生の頃、英会話を習っていた。


そのアメリカ人の先生が日本語を教えてくれというので平仮名を
教えてあげた。ある平仮名が、どう見ても変な形で、読めないので、
僕は親切に教えてあげた。そうじゃないよ、こう書くんだよ、と。


それに対する彼の対応は、こうだった。


「いいんだ。これが僕の字なんだ」


今思えば、それが僕の人生における、初めての「個人主義」との出会いだった。


日本の伝統文化のほとんどに「型」があるような気がするけど、どうだろう。
すべての武道に「型」がある。お茶にも「型」がある。
能や歌舞伎などの世界にも「型」がある。箸の持ち方にも「型」がある。


みんなその「型」を学ぶところからスタートする。


でも、その段階から、これが僕の「型」だ!
と個人が主張しだしたら、「伝統」は育つのか、育たないのか。
あるいはどう育つのか。


「型」を学ぶまでに○○年。


日本の寿司屋で、愚直に下働きを何年もやる人がいる一方で、
アメリカでは、そんなの関係なく寿司を握っちゃった人たちが、
美味しいロールをたくさん発明した。


インターナショナルに活躍する友だちが、以前、ハッとさせられた
エピソードとして、こんなことを書いていた。


彼女はあるパーティで尋ねられた。


「どうして、あなたは寿司を握らないの?」

「それは…、握るには何年も修行が必要だから」

「えっ、そう?そんなの関係なく、楽しんで握ればいいのに」


僕たちは、「型」や「伝統」に過剰に意識するあまり、
最初から何かを意識の外に置いてしまっているところがなるのかもしれない。


「型」は、過去の知恵の集積だ。言葉でない、体を使った形での。
それを虚心に真似ることは、継承されてきた知恵に対するリスペクトでもあるのだろう。


それに感謝しつつ、新しさを。


同時に、個人主義の国アメリカで、どう「伝統」が育つのか興味がある。
というより…、疑問だ。

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San Francisco LGBT Pride Parade

サンフランシスコ時間の6月28日、今日が、そのパレードの日だった。


数日前から、街を闊歩するレズビアンの女性が目立ち始め、
ゲイのカップルが路上や駅で、手をつないでいたり、
キスをしているのを見かけるようになる。


1年前のブログにも書いたけど、僕は去年、道路の最前列で、
パレードの先頭から終わりまでじっくり見た。


今年はもういいやと思っていた。
同性愛のクラスメートは日頃からたくさん周りにいるし、
去年はあったイベント自体の物珍しさももうなかったから。


でも今朝、大学院に行くと、すぐ前のMarket Streetでちょうどパレードが
始まるところだった。 大学院に寄る前にちょっと足を伸ばしてみた。


パレードは、レズビアンのハーレーダビッドソンの大行進で始まる。
地鳴りのような爆音と奇声とともに彼女たちがやってきた。


沿道の観客が、拍手と歓声でそれに応える。 続いてきたのは、
ゲイの男性による自転車の大行進だ。


その時、ちょっと印象的な出来事があった。


前方がつかえて、行進がストップした。


すると、大きなステレオを2台積んだ自転車に乗ってやってきた中年男性が、
道路の真ん中に自転車を止めた。


そして、ある曲を大音量で流し始めたのだ。


その曲は、


“Man in the Mirror”。


Michael Jacksonだ。


他のパレードの参加者が、スピーカーのついた自転車の周りを
大きくグルグル回り始めた。


何台も何台も…。


沿道の大勢の観客も、曲に合わせて手拍子を始めた。体を揺らし始めた。
アメリカ人の、彼の死を悼む想いが伝わってきた。


なんだか…、とても奇麗な時間だった。


僕はそれを見届けて、大学院に戻った。


“Man in the Mirror”。
彼が予定をしていたイギリスツアーも、こんなイメージだったのかな。

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夜の街を疾走する

僕は週2回、22時過ぎのサンフランシスコの街を自転車で疾走している。


自転車の前に白色の点滅灯を、後ろに赤の点滅灯を、さらに、
背負っているリュックに更にもう一つ赤の点滅灯をつけて。


僕は火曜日と金曜日、Greeterのシフトの関係で、22時までCIISにいる。
その日一日、最後のクラスを受けた人たちを見送ってから、
僕はSunsetにある家に向けて、ペダルを踏む。


サンフランシスコの夜は、日本に比べてとっても暗い。
24時間のコンビニエンスストアが、東京のように街中に散らかってもいない。


僕は繁華街を抜けて、いくつもの住宅街を抜ける。


途中、ゴールデンゲートパークを小さく横切る。
この時間帯はスプリンクラーが芝生に水を撒いている。
残念なことに、その何台かは、僕が走る道にも大きくはみ出して、水を放射している。
最近は上手にかわせるようになった。


パーク内にある高くて大きな木々の枝は、空の闇に溶け込んでいる。
前方には月が孤独に照っている。この道の先は…、海だ。


冷たい夜風を両腕に感じながら、僕は無言でペダルを踏む。
風を切る音しか聴こえない。


白と黒と、無音の世界の中で、前と後ろの三つの点滅灯だけが、
忙しくぺちゃくちゃ話している。


なんとなく…、


サンフランシスコの街外れの夜は、宮澤賢治の世界みたいだ。

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“Partly Cloudy” by Pixer

先日、Pixerの新作「Up」を観に行ったとこのブログで書いたけど、
「Up」が始まる前に、これから公開される映画の紹介と一緒に
あるショートムービーが流れた。


Pixerの映画ではお約束のようにあるらしいけど、
僕は知らなかった。


赤ちゃんを運ぶコウノトリと、赤ちゃんをつくる雲の神さまとの絆の物語。


それがすごく面白くて、優しさと哀しみを包みこんだ温かいユーモアに、
僕は思わず声を出して笑ってしまった。


事前のほっこりしたショートムービーによって、本編の世界にすぐに入れるように
観客の体を温めたり、「場」の空気を和ませたりするのは、
お笑いの「前説」と一緒の位置づけかもしれない。


その「Up」の前篇に流れたショートムービーを見つけたのでご紹介します。


「Partly Cloudy」
(または、なぜか音と映像がずれているのですが、こちらで)


5分ぐらいです。お時間のある時にぜひ!
Cloudy

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Up



Pixarの最新作「Up」を3Dで観てきた。


というのも、先日、サンフランシスコ三田会で講演をして下さった、
慶應メディアデザイン研究科の稲蔭教授が、これまでのピクサーの作品の中で
もっとも素晴らしい、とおっしゃっていたから。


実は、恥ずかしながら僕はピクサーの作品を観るのは初めてだった。


この「Up」、主人公は、
妻を失い人生の晩年を迎えた身寄りのない頑固者の「老人」と、
その家にボランティアをしようとやってきたボーイスカウトの「少年」と、
そして、その老人と妻が幼いころに二人で南アメリカにある大きな滝の隣に
建てることを夢見ていた「家」だ。


この映画、主人公が体が不自由な老人ならではの、ユーモラスな表現や動作が満載だ。
なるほど、ここでこういう風に笑いをとれるのかと。


「老人」と、孫の年齢にあたる「少年」が主人公にしたのは、
現在のアメリカが失いつつある世代間の交流を問題提起したかったからのか、
それとも、増えつつある、高齢者層にもターゲットを合わせるという野心的な作品に
したかったからなのか、
あるいは、「冒険」は自らの意志さえあれば、どこにもでもある、いつでも始められる、
何歳になってからでも、誰と一緒でもできる、というメッセージを込めたかったからなのか。


それにしても、映像技術の革新はすごいと思った。
人の表情や、動作、風景、細かい表現などすべてにわたって。


でも…、


画像が「リアル」になればなるほど、その「リアルさ」が、
物語の持つ「ファンタジー性」を消してしまうような感じがしたのは気のせいか。


例えば、この「Up」では、風船をつけた家が飛ぶ。それを操縦する。
仮に、この映画が実写版だとしたら、「そんなことはないんじゃない」なんて、
そのシーンを観たとき、多少、冷めてしまうかもしれない。


おそらく、これからもどんどん進む映像上の技術革新が、僕たちの空想の領域を
どんどん侵略してくるのだろうけど…、ファンタジーをファンタジーとして楽しめる
映像としての境界がどこかにあるのかもしれない。
行きすぎた映像技術の革新は、僕たちの感動を蝕むだけなんじゃないかと、
ちょっと危惧したりもした。


と書いたものの、この「Up」、確かに素晴らしい作品です。
日本上陸の際にはぜひ!!!


もうちょっと詳しい内容はこちらで。


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新しい時代、クリエイティブ社会のリーダー

少々、長い文章です。


僕は自分が受けてきた、あるいは現在受けている「大学院教育」の中で、
疑問に思い続けていることがある。


一つは、「起業家精神」だ。


大学院でそれを教えることは可能なのだろうか、ということ。
慶應ビジネススクールで学んでいた時に感じた疑問だ。
僕が学んだ10年前は、起業家精神を持った学生をいかに社会に送り出せるか
ということが大きなトレンドだった。でも、失礼ながら、慶応ビジネススクールが
そういう学生を育てることに成功しているとは思えない。
そもそも、起業家精神、ベンチャースピリッツを「教え」ようとすること自体、
本来のベンチャーマインドの趣旨から言って矛盾があったような気がする。


もう一つは、「共感する心」だ。


大学院でそれを教えることは可能なのだろうか、ということ。
これは現在CIISで学んでいて感じることだ。「共感」は、カンセリングサイコロジーの
基本であり、同時に、要諦だ。しかし、それは本を読んで身につくものではない。
真の共感力は、ロールプレイを繰り返したところで身につくものでもないだろう。
「情操教育」と言うと初等教育のようなイメージがあるけど、もしかしたら、それは、
知識や思考や理性に偏重してきた高等教育の、未開拓分野なのかもしれない。


というわけで、実は今の大学院は、もっとも大事なことを学べる「場」になっていない
のかもしれない、なんて感じていた。


といっても、僕は自分の関係したこの2つの大学院、とても好きだし、
気に入ってもいるけど。


話が少し飛ぶようだが、


昨日、サンフランシスコ三田会で講演会があった。
話し手は、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科の委員長、稲蔭正彦教授だ。


僕はたいへん恥ずかしいことに、稲蔭教授の名前を存じ上げなかった。
だから、たいへん失礼ながら、講演も期待していなかった。


それは…、とんでもない間違いだった。


講演テーマは、「クリエイティブ社会におけるメディアデザインの役割とリーダー育成」。


世界の潮流は、B-school(ビジネススクール)からD-shool(デザインスクール)に
移っている。なぜなら、アップルやピクサーの話を持ち出すまでもなく、
デザインが世界を変える力と、今後のデザイン産業の可能性は計り知れないから。


産業だけではない。デザインは美術館の外に出て、世界の街中や
僕たちの日常生活の至るところに入り込んでいる。


ところが、そのデザインは「数字」で計量することができない。
だから、現在のB-Schoolの教育モデルでは「デザインを分かる人材」を育成できない。


今の産業社会には、デザインの可能性を理解して、追求して、それを評価できる
リーダーが不在だ。


そこへリーダーを輩出しようというのが、新設された大学院の目的だ。


稲蔭教授は、これからのリーダーに求められる4つの創造性の領域を提示した。
それは、「デザイン」「マネジメント」「テクノロジー」「ポリシー」。
これらのリーダーは、この4つの交差する領域に立てる人材である必要がある。


なぜなら、市場が、社会が、その交差領域の何かを求めているから。


すると、どうだろう。


従来のビジネスモデルでは、各分野からそれぞれのスペシャリストを集めてきて、
チームを作ろうということになるのではないだろうか。


しかし、どんなチームにもリーダーが必要だ。そのリーダーを決める必要がある。


そのリーダーは、それぞれの分野の人が言っている言葉や世界観を理解できる
必要があるのだが、現状はどうか…。


ちなみに、スティーブジョブズには、それがある。
だから再生を遂げたアップルの現在(いま)がある。


でも、日本の署名な経営者の顔を浮かべても、「デザイン」という言葉にマッチする人が、
残念ながら僕には思いつかない。


ここで話を最初の問題提起に戻そう。


「創造性」を大学院で教えることは果たして可能なのだろうか。
僕は、そう質問をしてみた。


稲蔭教授は、「創造性」を謳うこの大学院で、生徒にこう言うのだという。
この大学院が教えることのできるものはない。我々にできるのは、創造性を
刺激する環境を用意することだけだと。


創造性は、教えるものではなく、育てるもの。
言葉にするとシンプルだけど、意外に分かっていなかった。


だから、


ビジネスマンに必要な「起業家マインド」は教えるのではなく、育てるもの。
そういう認識があれば、慶応ビジネススクールの教え方だってもっとユニークなものに
なるに違いない。ケーススタディの次のメソッドが必要だ。


カウンセラーに必要な「共感する力」は教えるのではなく、育てるもの。
そうだとしたら、どういう環境を用意することが大学院に求められるのか。


ついでに言うと、リーダーシップを「育てる」環境とはどういうものだろう。


稲蔭教授の言うように、これからの大学院が、


「ちょっと先の未来を覗くことのできる場」
「個人が実社会では担保されないリスクに挑むことができる場」
「異分野からの才能が自由に交流し、新しい知恵の創造が促進される場」


もしそうなれば、本当にこれからの日本が楽しみだ。教育も楽しみだ。
僕もぜひ何かの一翼を担ってみたい。

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DiversityとCreativity

大柄で、身体能力が高くてバランスのとれた、同じサイズの選手たちを揃えることが、
これからの日本のシンクロナイズドスイミングのチーム作りでは、特に大事な要素に
なると、以前、何かの記事で読んだことがある。もっともな話だと思った。


さて、


ここからはダンスの話。


仮に、あなたがそのような恵まれた素養を持ったダンスチームと
コンぺをすることになったしよう。


あなたに与えられたメンバーは、「それなり」に踊れる。
でも、背の大きさはみんなバラバラ。おまけに、小学生が二人混じっている。
更に、不利な条件(?)として、一人ひとりのダンス能力は競合チームにやや劣る、
かもしれない、としよう。


どうやったら勝てるだろうか…。


そのひとつの答えが、ここにある。


前者の恵まれている仮定したチームの名前は、Flawless
後者の恵まれていない(?)と仮定したチームの名前は、Diversity


イギリスの人気オーディション番組「Britain's God Talent」の話だ。


Diversityは、Susan Boyleをはじめ、並いる強豪たちを押さえて、
昨日の決勝戦で見事優勝した。


彼らは、先に挙げた弱みらしき部分を、ほとんど強みとして活かしている。
「視点を変える」とはこういうことかもしれない、と思った。


僕は、面白くて何度も見たけど、ダンスの細かい部分の完成度は、毎回、Flawlessの方が
上だったように思う。でも、Diversityにはそれを上回るクリエイティビティがあった。
彼らのパフォーマンスには、いつも、ダンスの枠を超えた「何か」がある。
ダンスに「異質」を混ぜるのが上手い。


Diversityは、その名前のとおり、「多様性」を上手に活かしたチームだった。
いつか、何かの参考にするために、一つのモデルとして心にとどめておこうと思う。


さて、以下は両チームの予選からのパフォーマンスです。
比較しながら見ると面白いかもしれません。


<予選>
Flawless 
Diversity 

<準決勝>
Flawless 
Diversity 

<決勝>
Flawless 
Diversity


ではまた!

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才能と、物語と感動。

イギリスのオーディション番組、「Britain's Got Talent」の準決勝が始まった。


僕はweb上で結果と映像を確認しているだけだけど、以前このブログで触れた予選
比較して、その違いに感じることがたくさんある。


予選と準決勝では何が大きく違うのかと言うと、何と言っても「期待値」だ。
準決勝では、観客は最初からパフォーマンスに期待している。


しかし予選では違った。
番組の趣旨からいっても、パフォーマーたちはさほど期待されていない。
そもそもが素人なのだから。


だから、その素人が観客や審査員の「期待」を裏切るパフォーマンスを見せた時、
大きな感動が生まれた。


パフォーマーたちは、
つい先日まで多くの観客と同じように「自分たちのサイド」にいた人たちなのだという事実。
そして、諦めずに努力を重ねてきたのであろうその歳月。
さらに、チャンスをつかむために舞台に立ったその勇気。
最後に、事前に共有されている彼らの人生のもろもろのストーリー。
それらが僕たち観客の想像力をかきたて、パフォーマンスの感動の増幅機として働いた。


でも、準決勝では、その増幅器が働かない。
なぜなら、観客の期待値は最初から高いから。パフォーマーの背景にある、
処々の物語は既に期待値に織り込まれてしまっているから。


多くのパフォーマンスの感動を生みだしてくれた「ギャップ」は既に埋まっている。
だから、準決勝では、純粋に「才能」が問われてしまう。


いや、もし準決勝でも何らかの方法で「ギャップ」を作り出せるパフォーマーが
いたら、それも何かの才能だろうと思う。同時に、準決勝のプレッシャーの中で、
予選を上回る驚きと興奮を与えることができたのであれば、その才能はかなり
突き抜けているということだ。


個人的な見解だけど、準決勝で予選を越える感動を与えてくれたパフォーマーは少ない。
予選とは違う緊張感もパフォーマーたちに影響していたのかもしれないけど。

そんな中でも僕が素敵だなと思ったパフォーマンス、
Julian Smithのソプラノサクセフォン。

すごいなと思ったパフォーマンス、Aiden Davisのダンス。


毎回高まっていく観客やクライアントからの期待を越えつづけることの
できる一握りの人が、Tatentとして輝き続けることができるのだろう。


なんだか、つまされる話だ。


さて、いよいよ明日が決勝です。
詳しくはこちらで。

http://talent.itv.com/


<付録>
才能は「驚き」を与えてくれる。でも、それは「感動」とは少し違うのかもしれないと思った。
真の感動は、才能だけではなく、そこにパフォーマーの人生を感じたり、
自分の人生を重ね合わせたりした時に起こる。つまり、そのパフォーマンスに何かの
「物語」を発見した時に。
2 Grandは、おじいさんと孫娘のペア。準決勝では予選以上のパフォーマンスで
見事決勝進出を勝ち取った。彼らには、感動があった。今や失われつつある
「大家族」という物語が、パフォーマンスを効果的に引き立てた。
「物語」は、感動を膨らませてくれる。

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アメリカ人とイギリス人はまったく違う

何度か話題にしたことだけど、僕はこちらに来る前、
アメリカとヨーロッパの区別をほとんどしていなかった。
言葉のとおり、「欧米」とひとくくりに捉えていた。


でも、ドイツ人のアンナと話していると、「欧」と「米」はしっかり
分けて考えないといけないんだなとつくづく思う。


そんな話をアンナにしたら、こんな答えが返ってきた。


「実は、私もなの。アメリカに来る前は、イギリス人とアメリカ人って
同じだと思っていたの。でも、実際は全然違うのよね。同じ言葉を話して、
文化も似ているはずなのに。こちらでイギリス人に会うと、
みんな、アメリカ人とイギリス人はまったく違うと、口を揃えて言うわ」


なるほど。


以下は、ちょっと似ているけど、ちょっと違う話。


先週、大学院からの自転車での帰り道、オーシャンビーチで、
同じく自転車で僕を追い越して行った白人のおじさんから、
追い越し際に声を掛けられた。


「ヘイ、どこかで会ったことがなかったかい?サイクリングショップか
どこかかな?」

(ちっ、俺をナンパか?)

こちらでは、日本人の常識には無いことがよく起こる。

「人違いだと思うよ。僕、学生だから」

「おおそうか」

と彼は自転車を並列させながら話かけてくる。

「で、何を学んでいるんだ?」

満面の笑顔で僕に話を振る。

「カウンセリングサイコロジーを学んでいるよ」

「おおおっ、そうか!どのぐらい学んでいるだ?」

いちいち大きなリアクションだ。

「もう1年半になる」

「なるほど!」

そして、彼は続けた。

「その一年半で学んだことを、一言で言うと何だ?ぜひ俺に教えてくれ」

むむっ?一言で?

このおっさん、なかなかいい質問をするじゃないか。
一言で表現すると何だろう?はて…。


というわけで、一言じゃなかったけど、今学期、ファミリーダイナミクスで感じた、
日米の文化の違い、家族の在り方の違い。特に感情を扱い方の違いに驚いた、
と話した。


すると、彼は大きくうなづきながら言った。


「実は、俺の両親はイギリス人なんだ。先祖代代のね。彼らもまったく
感情を家族の中で扱うことなんてしなかったよ。アメリカ人が特別なのさ。
このベイエリアの家族は特にね。」


実は、彼の専門は、ミュージックセラピーで、アーティストなのだとか。
彼は僕の通うCIISの教授陣にも知己が多いと。


別れ際、ぜひこの本を読むといい、と一冊の本を推薦してくれた。
ちょうど読みたい他の本があったので、早速、アマゾンで注文した。


本当のところはわからなかったけど、疑ってすみません。

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日本人留学生のSATC

今月、CIISを卒業した日本人留学生の家に招かれての食事会があった。
日本人4人の中で男は僕一人。そして、彼女たち全員がアメリカ人の
ボーイフレンドを連れて来ていた。改めて、女性は逞しいなと思った。
ちなみに、そのボーイフレンドたちもみんな素敵な奴らだ。


Around30sから40sにかけての、日本を飛び出してきた魅力的で元気な日本人女性たち。
込み入った話になると、その場は日本語トークになる。


「私、最近ね、日本人男性もなかなか悪くないと思うの。
アメリカ人男性はね、貯金の概念がまったくないし。
将来の安定性に欠けるっていうのかな…」

「こういう国だから、アメリカ人男性はいつも強さをアピールしなきゃいけないのよね。
でもつくづく思うんだけど、この国の男って、外見とは裏腹に、内面がものすごく脆いの」

「やっぱり、結婚を考えだすと、お金、SEXは大事な要素だ思うの。
今の彼はお金が心配。SEXは、まあまあ…ね」


話題となっていることも知らずに、男性陣は、部屋の向こうで
歓談している。多少、こっちが気になっているみたいだけど。


僕は向こうにも行って話に混ざる。


「おいTJ、アメリカでのDating(デート)のルールはな、その期間中は
誰と会ってもいいんだ。別に、他の人と関係を持っても構わない。
それがDating期間中の、まあ、お互いの了解事項。
でも、コミットしたら話は別さ。」

「へえ、コミットってどうするのさ」

「口頭の約束さ。そうお互いが合意した時点でコミットが成立するのさ」

「じゃあ、君は彼女にコミットしたんだね」

「もちろんさ!決まっているだろ、ガハハ!」


国を問わず…、
女性に比べて男の現状認識はどこか甘いようだ。


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ブラジルからの研修医

AnneのルームメートJonsonはブラジルからUCSFに研修に来ている、
20代のブラジル人の若手医師だ。ブラジル人らしからぬ、と言っては
叱られるかもしれないが、細やかな神経の持ち主の物静かな好青年だ。


いずれは医師としてアメリカで働きたいのだという。
そのために彼は日夜猛勉強をしている。来るべき将来に向けて、此処アメリカでも
医師として働けるように。


優秀な彼は、先日、何かの試験を受けて、当然のことながら、素晴らしく良い成績を
修めたとのこと。そして、来週の2次試験で、臨床のテストがあるのだそうだ。


その試験では、役者が来て、患者の演技をする。
そして、医師は、彼らとの問診の中から患者の症状を特定するのだとか。


で、練習のために僕とAnneに患者役で協力をして欲しいと。


もちろん、二つ返事で引き受けたのでした。


実際には、43のケースが用意されていて、役者はそこから役をつくるのだそうだ。
それぞれのケースに病気の症状や生活背景が80項目ぐらい書かれている。
医師からこの質問が来たら、この症状の患者はこう答える、という情報も
そこに入っている。それを見せてもらって、僕たちも役に臨んだ。


試験官によるチェックポイントはたくさんあるのだけど、
Jonson曰く、今日のポイントとしては特に次の6つをフィードバックしてほしいと。

1.質問をする際に許可をしっかり取っているか?
2.専門用語を使って患者を混乱させていないか?
3.敬意を払ったソフトなやり取りをしているか?
4.入室前にノックをしているか?
5.患者の名前を間違えることなく、ファミリーネームで呼んでいるか?
6.患者の目をしっかり見て話しているか?

特に1は重要だそうだ。
「今から症状について尋ねますけどよろしいですか?」
「少し生活に立ち入った質問をしますがよろしいですか?」
「個人情報に触れる質問をしますがよろしいですか?守秘義務は必ず守ります。
でも、答えるのが嫌な場合は、無理して答えなくていいですからね。」


与えら得た25分間の試験時間の中で病気を診断するために、Jonsonが
尋ねるべき項目は山ほどある。


アメリカというお国柄もあるのかもしれないが、ドラッグ経験や性生活、
パートナーの有無やそのジェンダーなども大切な質問項目だ。


彼にとって、おそらく良かった(あるいは不幸だったのか)のは、
Anneは心理学の博士で、僕はコーチであり、且つカウンセリング
サイコロジーを学んでいる学生だということ。


褒め言葉を交えながらも、本質をついた容赦のない厳しいフィードバックが
飛んだのでした。


ジョンソン、ぜひ患者とのコミュニケーションを大切にする素晴らしい医師に
なってください。



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SonomaとGallery

先週末の土曜日、ドイツ人の友だちAnneとSonomaに行った。
Anneは車を持っているのだ。ソノマはサンフランシスコから車で約1時間。
カリフォルニアワインの産地だ。


著名なワイナリーがたくさんあって、試飲ができる。


こじんまりした街の中心から車を30分も走らせると葡萄畑が広がり出す。

僕にはアンデルセン童話の中ぐらいでしか親しみのなかった葡萄畑。

先日、カメラを無くしてしまったので、その風景をお見せできないのが心から残念だ。


僕たちは、BENZIGER FAMILY WINARYという、小さいけどとてもきれいなワイナリーに
寄って、ワインを試飲した後、酔いざましに葡萄畑を散歩した。


その日のソノマは快晴で、とても暑かった。サンフランシシコは曇りで霧が出て、
とても寒かったのだけど。


今回のソノマへのドライブで、葡萄畑以上に印象に残ったことがある。
それは、写真家Lisa KristineのGalleryに立ち寄ったこと。ソノマのダウンタウンにある。


サンフランシスコ出身の彼女は、60カ国以上を旅して、写真を撮っている。
ギャラリーでは素晴らしい写真の数々と一緒に、彼女のドキュメンタリービデオが
流れていた。


被写体といかに一瞬で信頼関係を築くか、不意に訪れる偶然をいかにとらえるか。
そんなことを静かに微笑みながら語る彼女がいた。思わず、そのDVDを買った。
25ドル。写真は高すぎてとても手が出なかった。


彼女の作品は、日常の閉塞感を打破してくれる何かに溢れている。
彼女の作品からは風が吹いてくる。その未知の世界からの風に頬を撫でられていると
気分がリフレッシュする。元気が湧いてくる。

いくつかご紹介します。
Dunes

Twilight1zanzibar1999








Warriorspng2000









Kumbhmelaindia2001










他にも、ジャズが聴こえてくるオープンテラスのカフェでコーヒーを飲んだりして、
とても美しい一日になった。


快晴だったソノマからの帰り、道路のずっと向こうに見えた
サンフランシスコの街は、相変わらず巨大なガスのボールに包まれていた。


それはまるでハリーポッターの世界に出てくるような魔術師や魑魅魍魎の住む
暗黒都市のように見えた。さしづめ、ゴールデンゲートブリッジは霧の中にそびえる
冷酷な地獄の門か。


僕たちは、その霧の中に時速100キロで突っ込んだ。

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Friends3

順番は前後するけど、先週末、アメリカ人のクラスメートJulesと公園で
ねっ転がりながら話をしたとき、印象に残ったことがあった。


彼女は、フロリダ育ちで、サンフランシスコに来る前は、ニューヨークに5年間住んでいた。
映画が大好きだという。特に、人生に深く入っていくマニアックな映画が。

「サンフランシスコでもよく映画館に行くわ」

「へえ、一人で?それとも、趣味の合う友だちがいるの?」

「そう!いるの」

「でも、そういう友だちがよく見つかったね。サンフランシスコは初めてで、
友だちはいないって言っていたから」

「アハハ。インターネットで見つけたの」

ちなみに、レズビアンの彼女は、現在のパートナーもインターネットで見つけた。

「だって、私、こっちには知り合いが一人もいなかったから…。
TJが可笑しく感じているのは分かるわ。でも、とっても合理的なの」


そう、僕からすると、アメリカでは、友情や愛でさえも、気軽にインターネットで
手に入ることができるんだ、なんて印象に映る。でも、こちらではそういう行動は
すごく一般的だし、すごく自然だ。出会い系的なやましさもない。


こちらの人にとっては、たびたび本人の意思とは関係ない次元で話が進む、
縁談の仕組みの方がよっぽど不思議に映る。


アメリカは、自由と独立の国。個人主義の国で、自分のSelfを軸に物事を
考える人たちの国。18歳を過ぎたら、子供は家族から完全に離れることを
推奨される。自分の人生は自分で歩めと。


でも…、なぜだろう。


アメリカ人のパートナーを求める欲求は、ものすごく強い。
強い自己を求め、そう振舞おうとする割に、一人で存在することなんてまったく
考えられない人たちのようにも思える。常にパートナーを求めている。


多くのアメリカ人が抱える、「自立すること」と「パートナーを求めること」との間の葛藤。
俺は俺だ、私は私よ、とパートナーシップを組みながら、お互いが毎日近距離で
主張し合うのだからなかなか大変だ。


これを解決するポイントが、互いに「健全なBoundary(境界)」を持つこと。
そして、そのサポートこそセラピストの主な仕事と言えるのかもしれない。
ここ、アメリカでは。


アメリカ人は、なかなか不思議な国民性の持ち主だと思う。

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Friends

サマークラスが始まる前の少しの休み。この4日間ほど、人に会ったり
しながら、のんびりと過ごしている。


一昨日、Hyojungに久しぶりに再会した。彼女とは、去年の夏、
American Academy School(AAE)で知り合って仲良くなった。


才媛の彼女はいま、ミズーリ州立大学のマスコミュニケーション学科の
博士課程に在籍している。


ランチをしながら、お互いに近況を話す。


彼女が言う。


「韓国でもセラピーって今ひとつ普及していないわ」

「へえ、日本ではだいぶ変わってきたけど。まあ、普及しているって
ほどではないけどね。でもなぜ普及していないんだと思う?」

「韓国ではね、みんな、他人のゴシップにすごく興味があるの。
だから逆に、自分のゴシップを話しちゃいけないってプレシャーが
強いんだと思うのよね。ほら、セラピーで話す内容って、基本的に
ゴシップに近いことも多いじゃない」

なるほどなあと思う。

彼女は続ける。

「たとえば、韓国や日本では歴史的に鬱や精神分裂病って
病気と思われていなかったところがあるんじゃないかしら。
だって、例えば鬱になっても、『人生にはそういうことってよくあるから気にしない、
気にしない』なんてアドバイスをもらって終わり、みたいなところもあるし…。
精神分裂病だって、何となく、そうなんだなって感じで、隣近所でサポートしていたと
思うの」


逆に、僕も彼女の考えていることや悩みを聞く。


こう言ってはなんだが、僕はコーチという職業柄、そして、現在、勉強している
内容もあって、かなり良い聞き手だと思う。


話しをしていて感じたのは、多くの悩みは、かなりの部分、当人の所属している
文化的な規範に拘束されていることから起きるんじゃないかな、と。


つまり、韓国人の彼女にとって悩みになることでも、日本人の僕には悩みにならない。
だって、違う常識で生きているから。それをフィードバックする。
そのことを知ることで、彼女の肩の力が抜けたりする。


国籍の違う友だち同士では、よくこういうことって起こるんじゃないだろうか。


彼女は翌日ミズーリに戻る。僕と同じくサマークラスをとるために。


晴れ渡ったサンフランシスコの昼下がり、とてもいい時間だった。


別れ際、人生で最も幸せなことの一つは、世界中にたくさんの茶飲み友だちがいる、
そんなことかもしれない、なんて思った。

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何が観客を巻き込むのか

最近ハマったのが、イギリスのオーディション番組「Britain's Got Talent」。
歌、ダンス、演奏、珍芸…、いろいろな才能が出てくる。


僕が興味を持って見ているのは、何が観客を感動させ、何が審査員を
惹きつけているのか、ということ。


どうも、才能だけじゃないようだ。
才能が、それぞれの個性やそれまでの人生の作り出す「文脈」と合わさった時に、
プレゼンテーターは観客を自らの「世界」に巻き込むことに成功しているように思える。


それらを見比べながら見るのが面白い。


まず、僕のお気に入りから二つ。


先のブログでも紹介したけど、Susan Boyle
彼女はお世辞にも良いと言えない容貌と、高齢と、自信満々の態度。
そして、そこからイメージできない美声と歌唱力。それらの鮮やかなギャップによって、
彼女は一声を発したその瞬間に観客を惹きつけてしまった。


それと対照的なのがJamie Pugh。彼の舞台あがり症というストーリーと、
無愛想さと、妙な間と沈黙は、一気に審査員と観客を惹きつけた。
僕は、最初に彼のパフォーマンスを観たとき、自分が何に引き込まれているのか
よくわからなかったけど…。


惹きつけてからは、実力が問われる。それはもちろんだけど、実力を発揮する
前段階で、プレゼンテーターの職業や年齢はもちろん、表情や態度や審査員との
簡単なやり取りでつくられる「文脈」が、観客の「聞く耳」を立てさせているように思う。


強いて言えば、つくり出される「感動」=「文脈」×「才能」と言えるだろうか。


プレゼンテーターの醸し出す「文脈」が観客の共感を誘い、その共感の上に
発揮される「才能」が「感動」を大きくする。


だから、自分の「才能」に限界を感じても、豊かな「文脈」を築くスキルがあれば、
観客に与える「感動」をカバーできるということだ。


余談だけど、審査員は本当の「才能」に出会った時、あまり笑っていないように思う。
どこかの瞬間に、必ず真顔になっている。


次に、「文脈」の幅や深さが圧倒的に小さいけれど、桁外れの「才能」で
審査員と観客を圧倒してしまったのが、次の12歳と11歳だ。


まず、Shaheen Jafargholiの歌。彼は歌の神さまに愛されている感じが全開だ。
歌と自分が一つになっている。僕はただ歌うことが大好きなんですってオーラが
伝わってくる。実は、彼は審査員に選曲が悪いと歌を途中で止められた。
でも、曲を変えて歌った曲で、さらに審査員と観客の度肝を抜いた。
試練を軽く乗り越えてチャンスにしてしまった。彼には、突き抜けた才能と、
そういう人が持つ特有の無垢さがある。


次に、Aidan Davisのダンス。すべて独学だそうだ…。本当に圧倒的な「才能」だ。
このぐらいの年齢の子が持つ、ただそれをすることが大好きなんだという
ストレートさが伝わってくる。大人と違って、「文脈」が薄いことが、
逆に彼の「才能」を鮮やかに引き立てている。
僕たちは、彼の素晴らしい「才能」に純粋に驚き、そして、堪能することができる。


二人とも、歌が自分そものので、自分がダンスそのものな感じだ。
母親が、彼らの才能に対して大きな役割を果たしているのが共通点だ。


次は、この3つだ。
Flawless
クオリティが優れているのはもちろんだけど、スピーディで統率感もあって、
全員の表情の一つ一つまでがダンスと演出に組み込まれている。
さすがにこのグループの上をいくダンスは出てこないんじゃないのかな、
なんて思っていた。でも翌週に、個人的にはさらに「へー!」と思える別のグループが
出てきた。それが次のDiversity。

Diversity
そのクオリティ以上にすごいと思ったのが、ダンスの中に物語が組み込まれていること。遊び心のある演出も盛りこまれていること。だからワクワク感があると驚きがある。
先のFlawlessと比較をして、ダンスという枠を超えて、こういう方向に踏み出すことで、
さらに先に行くことがきでるんだ、なんて勝手に思った。
人間の創造性に限界はないんだなと、改めて感じた。

Stavros Flatley
単にクオリティ勝負ではない、遊び心とコミカルさで、観客の心を掴んだ親子。
自らが本当に楽しんでいるオーラが溢れている。計算ではない、素の喜びの表情が
会場を盛り上げる。しかし、ポーズの際には必ず体の向きを観客に向けて
一瞬止めている。その間が、観客をパフォーマンスに巻き込むスペースを
作っているように思える。一つ一つの細かい動きがとても大事にされている。
例えば、子どもが登場するとき、走りながら体を会場に向けてひねって、一瞬、
動きを止めているのがわかる。こういう細かいところをしっかりキメているから、
楽しい中にある「本物度合い」が観客に伝わるのだろう。感動の度合いと質は、
僕の中では上の二つとはまた違う感じだけど、多くは「文脈」によっているからかな。
そんなことを考えた。


長くなりました。


最後は、Julian Smithのソプラノサックスで。
流れるような、素敵な曲です。


ではまた。

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サンフランシスコ・デイズ

実は、このブログのタイトルは、
鴻上尚史の本「ロンドン・デイズ」をもじってつけたものだ。


彼は、僕とほぼ同じ年齢の39歳の時に、ロンドンの演劇学校に 1年間、留学をした。
この本はその時の体験をまとめたものだ。なかなか面白い。


話し変わって、今朝、ドイツ人の友だち、アンナから電話があって、
「ベイ・トゥー・ブレーカーズ」を観に行くことになった。

それは、サンフランシスコの観光の目玉の一つにもなっていて、
参加者が10万人を超えると言われている12キロの仮装マラソンだ。

僕たちはヘンテコリンな格好をしている人を眺めながら、ゴールデンゲートパークを
歩いた。その時の会話の中で、アンナが偶然に、「ねえ、クリス・アイザックの曲で
サンフランシスコ・デイズって歌があるの。知ってる?私、けっこう素敵な歌だと思うわ」
と教えてくれたので、僕はその存在を知った。

彼女が親切にURLを送ってくれたので、歌と歌詞をご紹介します。
ちょっと古い歌みたいだけど。


San Francisco Days

I still love you
I still want you
I still need you
Don't hang up and say goodbye

Walking on the beach last night and hoping things would be alright
But later lying on her bed, it's you I saw instead
Thinking of the one I love
You know what I'm thinking of
San Francisco days, San Francisco nights

I met a girl in Mexico
And should have told her then I know
That I still think of you
We never will be through
San Francisco days, San Francisco nights
San Francisco days, San Francisco nights

I still love you
I still want you
I still need you
Don't hang up and good-bye

Walking down on Market Street
And feeling my heart skip a beat
To see someone that looks like you
I guess that I'm not through
Dreaming of the one I love
You know what I'm dreaming of
San Francisco days, San Francisco nights

I'm headed for that Golden Gate
And hoping I won't be too late
To find the one that I still love
It's you I'm dreaming of
San Francisco nights
San Francisco days, San Francisco nights
San Francisco days, San Francisco nights
San Francisco days
San Francisco
San Francisco nights
San Francisco
San Francisco
San Francisco


ちなみに、ベイ・トゥ・ブレイカーズの様子をブログに載せようと思って、
写真を撮ったのですが、出先でカメラを無くしてしまいました。


何たる失態!


だから、もうしばらくこのブログでは写真を紹介できなくなりました。
ああ、残念。

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閑話(かんわ)1/空続き

P5100017









ここ数日、サンフランシスコは快晴です。


最近、気にいっている言葉があります。


「そ・ら・つ・づ・き」


何となく自分で思いついた言葉だけど。


「陸続き」じゃなくて、「空続き」。


誰とでもいつも繋がっている感じ、
誰とでも自由に繋がっていける感じが気に入っている。


あなたとおいらは空続き。
いつでもどこでも誰とでも空続き。


というわけで、
CIISの学生は、いまファイナルレポートの真っ最中です。


みなさまも素敵なGW最後の休日を。
ではまた!!!

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日本人の適応性

最近、つくづく感じるのは、日本人は、なかなか面白い民族かもしれないぞということ。


まず、他国の人に比べて、相対的に何でも食べることができる。
魚も豚も鳥も牛も、クジラでさえも。イタリアン、フレンチ、中華、エスニックetc、
基本的に何でもOK。

サンフランシスコで出会った人、特に留学生の中には、中華は苦手とか、
和食はダメとか受け付けないとか言う人も意外にいる。
食べ慣れていないということだけかもしれないけど。


お酒もそう。日本酒はもちろん、ビールでもウイスキーでもワインでも、
基本的に何でも飲む。

箸はもちろんだけど、スプーンやフォークを使うことも苦にしない。

個人差はあるけど、総じて食事に対する適応性がとても高いと思う。
宗教的なタブーが少ないせいもあるのかもしれない。


スポーツもそう。
ベースボールもサッカーもバスケットボールも比較的何でも楽しんで観戦できてしまう。
だから、だいたいどのスポーツもマンガの題材になっている。

アメリカにきて思ったけど、サッカーとベースボールの両方を楽しめる国民は、
案外少ない。これって、密かに面白い現象だと思っている。

イタリアとブラジルからの留学生は、サッカーは詳しいけどベースボールは…、
という感じだし、アメリカ人は、サッカーがいま一つだ。そして、アメリカ人に多いのが、
アメリカンフットボールは観るけど、バスケケットボールは観ないのでさっぱりとか、
傾向がはっきりしていること。


スポーツだけじゃない、文化もそう。
日本人は、オペラやバレエやアートも、わからなければ、それなりにそういうもんかと
最後まで鑑賞できる忍耐力を持っている。


だから、日本人はどこにでも出かけて行ける。くっついても行ける。


ここに書いたことなんて、日本にいる時は、ごく普通のことで気にも留めなかったけど…、
実は、僕たちはなかなか大したものなのかもしれない。


ところが、生活や社交の場に対する適応性は抜群に富んでいるはずなのに、
多くの人たちはある要素に苦しむことになる。


それが…、


コミュニケーションだ。そして、英語だ。


学校教育のせいだけとは言わないけど…、もう少し何とかならないものか。

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スタイルを変えていく

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対ロッキーズ戦、サンフランシスコジャイアンツ勝利の瞬間。


小さい頃、野球少年だった僕には、大リーグは夢のまた夢の世界だった。
野球からは離れてずいぶん経つ僕だけど、ずっとRoger Clemens(ロジャー・クレメンス)の
ピッチングを生で観たいと思っていた。


というのも、彼は、300勝以上を挙げ、大リーグ史上最高の投手といわれているから。
でも、その最強右腕も引退間近と言われている。観たい観たいと思っていたが、
そんな機会が来るかどうか…、と思っていた。


でも、先日、似た形で夢がかなった。


それが、Randy Johnson(ランディ・ジョンソン)。
300勝まであと4勝と迫り、奪三振数では、クレメンスの上を行く大リーグ史上2位。
そして、クレメンスより1歳若い45歳の彼も、やはり引退間近と言われている。
大リーグの歴史に輝く最強左腕だ。


ずっとずっと昔、彼のインタビューを観たことがある。こんなことを言っていた。
「ピンチングで大事なことは、投げるボールの速さじゃない。いかに、バッターの
タイミングを外すかだ」


当時、もっとも速い球を投げると言われていた彼のコメントだったので
印象に残っていた。


幸運なことに、彼は今年からサンフランシスコジャイアンツに所属している。
そして、先日、観戦に行った日が彼の登板日だった。
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往年のスピードはないはずなのに、
いきなり5連続三振から始まった彼のピッチングは圧巻だった。


僕は3塁側のバックネット寄り、グランドに近い席から見ていた。
横から見ていても打者が空振りするとき、前に投げたボールと球速が
異なっているのが分かる。彼の腕を振る速さは同じなのに…。
おそらくスライダーか何かを放っているのだろう。昔、インタビューで言っていた通りだ。


淡々と三振の山を築いて、彼は297勝目を挙げた。


彼は、ハードトレーニングに加えて、年齢に応じたピッチングスタイルに変えることに
成功したから、45歳の今も輝かしい成績を残せているのだろう。


ふと思った。


これは、人生のスタイルやコミュニケーションスタイルにも当てはまるのだろうか。


20代、30代、そして40歳…。
僕の場合、これまでどうだったか。そして、これからはどうしたいのか。


あなたは?


彼の背中が問いかけているような気がした。
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二つの故郷を持つ意味

日本にいる時に三軒茶屋のベルリッツに半年ほど通った。


その時に、仲良くなったニュージーランド人の講師がいる。
好奇心旺盛で、探究心があって、政治経済文化、そして人生に造詣が深い。
まだ20代半ばなのだけど、僕は今もたくさんのことを教わっている。


彼は日本人の女性と結婚して、いまは母国のウェリントンに戻り、
大学院の博士課程で政治学を学んでいる。


今もたまにChatで話す。いつも僕の動向を気にかけてくれているみたいだ。
ありがたいことだ。


先日、久しぶりにChatをした。


「サンフランシスコの生活には、もうすっかり慣れたんじゃない?
そうそう、添削してあげるから、いつでもレポートを送っておいでよ」


まだ実現していないけど、いつもこう言ってくれる。


「うん、だいぶ慣れたよ。君の住むウェリントンほどじゃ無いと思うけど、
サンフランシスコはすごくいい街だよ」 と答えると、彼はこう言った。


「アハハ。それは良かったね。ウェリントンもね、多様性にあふれる素晴らしい街だよ。
でも今はね…、住んでいた世田谷を懐かしく恋しく思うよ」

「そっか、世田谷もいい街だったよね。僕も住んでいたから」

「でもさ、いずれわかると思うんだけど、これでTJも僕の仲間入りだよ、おめでとう!」

「何の?」と聞くと、彼はこう言った。

「国を超えて故郷を二つ持ってしまったということさ。日本とサンフランシスコに。
僕は世田谷に住んでいるとウェリントンが恋しくなり、ウェリントンに住んでいると
世田谷が恋しくなる。いつでも恋しさだけが募るんだ」


なるほど。確かに、それは困ったことだ…。


いやいや、きっと素敵なことだ。
そうに違いない。


附録)
彼と話しているときに、ニュージランドとオーストラリア両国の関係が話題になった。
この両国、ライバルでもあり、友好国でもあり、お互いに言いたいことを言い合えて、
互いのタブーをけなし合えるユニークな関係らしい。

彼の紹介してくれた、両国の関係を皮肉いっぱいに描いたYou Tubeに、
ある種の健全さ(?)を感じたのは気のせいか。
ビデオ途中に出てくる"infantry"とは「歩兵連隊」のことです。
よかったらどうぞ。

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40th Birthday

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先日、サンフランシスコで2回目の成人式を迎えました。
そう、2回目です。


ひっそりと過ごす予定が、以前、サンフランシスコ三田会で知り合った、
在米歴30年の大先輩の仙人Kさん、そして、アメリカで結婚をして、
仕事をしながら逞しく生きている二人の後輩ビューティーズ、
ユリさんと未奈さんと、そのご家族が心づくしのお祝いをして下さいました。


場所は、ユリさんのご主人ノアさんのご実家。
彼の母親が住む、高級住宅街Hillsboroughにある邸宅に招いて頂いたのでした。
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鹿やリスが庭に遊びに来る、古き良きアメリカを感じる大きくて素敵なお家です。
どのぐらい素敵な場所かというと…、二人が結婚を挙げる場所に選んだぐらい!
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最高の空間で、最高の手料理と最高のワインと最高の会話で、
身に余るもてなしをして頂きました。スペシャルケーキまで頂いてしまって…。
みなさま、お忙しい中、本当にありがとうございました。
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改めて、40歳。


20歳や30歳の時と違うのは、40歳というカーブの向こうに、
何となく「人生の終わり」が見えるような感じがすることぐらいか…。
別に、そんな悲観的なわけじゃないけど。


ふと思う。
人生の終わりが見えない若い時には、ひたすら希望を持って人生を前に進めばいい。
でも、終わりが見えてしまったらどうなるんだろう。
前に進んだら、それだけ終わりに近づくだけだ。

さらに思う。
でもだからこそ、その年齢になって、現在(いま)というプロセスに、より感謝が
できるようになるんじゃないか。


そう。終わりを感じるからこそ、プロセスに感謝できる。


だから、40歳。


きっと、現在(いま)に感謝もできるし、未来にまだ突き進める、
素敵な年齢だ。
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Susan BoyleとPaul Potts

先のブログで、遅ればせながらと断ったうえで、
Susan Boyleについて触れたら、多くの方から、2年前のPaul Pottsは、
更に素晴らしかったと思う、という声をたくさん頂きました。


というわけで、恥ずかしながら、更にさらに遅ればせながら、拝見したら…、


うわっ、確かに!


すごい。
何度も観てしまった。


Susanの時と比べて、男女の持つ雰囲気の違い、あるいは演出の仕方や
選曲の違いもあるのだろうけど、彼女のコミカルで、温かくて…、という雰囲気に比べて、
Paulは、自信がなくて、陰鬱で…。


見てもらうと分かるけど、Susanは、登場する段階から腰に手を当てて、
胸を張って、堂々としている。

「最初はみんなが私を侮る。でも、そんなのわかっているわ。慣れっこよ。
歌が始まったらそうは言わせないから、見てなさいっ」てオーラが出ている。


Pottsには、それがない。「どうせ僕は…」という雰囲気全開だ。
歯並びの悪さを隠すためか、最初から笑顔もひきつっている。


だからこそ、


彼の素晴らしいパフォーマンスとのギャップが大きい。
そのギャップがドラマをつくる。感動を大きくする。


本当に何度も何度も観てしまった。
教えてくれたみなさま、ありがとうございました。


当時の、彼の予選と決勝のパフォーマンスが出ている画像があったので、
彼のウィキペディアと一緒に載せておきます。


私と同じく、「遅ればせながら」の方がいましたら、ぜひどうぞ。

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サンフランシスコの生活ゴミ回収

実は、サンフランシスコ生活で一年ほど抱えていた疑問が昨日解けた。
どんな疑問かと言うと、トラックのゴミの回収の仕方について。


サンフランシスコでは、各家庭が指定の黒・緑・青のゴミBOXを保有していて、
そこにゴミを捨てる。僕の住んでいる家だと、1Fのガレージに置いてある。
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毎週決められた日に、それを家の前に
出しておくと、トラックがその中に入ったゴミを回収してくれる。
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僕の住んでいるところでは毎週月曜日がそれにあたる。
ちなみに、緑が生ゴミ、黒が一般ゴミ、青がリサイクルだ。
黒と青を回収するトラックは同じで、緑はまた違うトラックが回収に来る。


で、何が疑問だったかというと、黒と青を回収するトラックだ。


せっかく分別しているのに、一緒に混ぜて回収している、ように見える。
遠くから見ると特に。なので、僕はずっと疑問に思っていた。変だぞ、と。P4140066_3











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学校でアメリカ人のクラスメートに聞いてみた。でも、自分も同じ疑問を
持っていたとか、え、そうなの?と逆に聞き返される始末。
つまり、誰も知らなかった。


というわけで、昨日の朝、回収している人に直接聞いてみた。
忙しそうにしているところ、申し訳ないと思いつつ。


分かりにくかったんだけど、ちゃんと内部で分かれていました。
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右にリサイクル、左に一般ごみ。丁寧に教えてくれました。


写真も近くで撮らせてくれて、ありがとうございました。


実は、クラスメートとかけをしていた。

僕は混ぜて回収している。
クラスメートは、いやいや、やっぱりそんなことないんじゃない?

というわけで、僕の負け。カフェでお茶をおごらなくては。

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家→坂→海→Park→街→CIISの通学路

Golden Gate Parkにて。
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自転車による通学が続いている。片道約1時間。


晴れて風の穏やかな日には、家の近くのTaraval St.を一気に走る。
それは海まで一直線の下り坂。ほとんどペダルを踏む必要がない。
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そして、海に出てからは、Ocean Beachを一気に北上する。
平坦だけど、風の強い日には、ガッツがいる。
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ほら、木がこんな風になっている。
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しばらく走ると、ゴールデンゲートパークの西端にぶつかる。
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そこからゴールデンゲートパークを東に横断するのだ。
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更にそこから、Panhandleという木漏れ日の落ちるサイクリングゾーンを抜ける。
写真じゃ伝わらないと思うけど、サンフランシスコの陽射しは強く、風はとても冷たい。
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そして、街中に入る。
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そうそう、自転車用のレーンはあるものの、道には、車、他の自転車、ジョギング、
散歩中の歩行者、犬、そして、ゴールデンゲートブリッジの中には、
馬に乗った保安官もいる。
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だから、僕は、風を切る音を聞きながら、神経を八方に研ぎ澄ませる。


そのことで、日々、自分の中に“野性”が戻ってくるような気がする。
それが、嬉しい。


というわけで、帰り道、夕陽の染めるOcean Beach。
いま、サンフランシスコの日没は、19時30分ぐらいです。
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ではみなさま、また元気な一週間を!

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唐揚げとコロッケ

先週の金曜日、ルームメートのKさんが帰国した。


Kさんは、社会人を経験したあと、TOEFLの勉強をするために、
2年前サンフランシスコに来た。
頑張ったけど、こちらでは思うように点数が伸びなかった。
行きたい大学院に最後のチャレンジするために、サンフランシスコでの生活を
いったん切り上げて、日本で仕切り直す決心をしたのだ。


いろいろな人生がある。


そんな彼女のために、前々日の水曜日、他のルームメートにも声を掛けて
キッチンにて「手造りの唐揚げ&コロッケ」によるささやかな壮行会を催した。


手作り、といっても僕にその技術は、未だない。
同じルームメートにSUSFでホテルマネジメントを専攻している、料理上手の
まなみちゃんがいる。個人的に、料理を趣味にできたら最高だろうなと
常々思っていたので、ぜひぜひ一緒に作ろう、料理を教えてくださいませと
お願いをした。


というわけで、監督のもと、楽しそうに油の温度を計る、わたし。
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唐揚げづくりに勤しむ、わたし。P4020119











料理には、食材を「選ぶ」楽しさ、料理を「創る」楽しさ、作品を「食べる」楽しさ、
などなどがあって、その気があれば文化も歴史も学べるし、創意工夫を
試せる余地がたくさんあって、とにかく実利的で奥が深いのがいい。


ちなみに、魚を三枚に下ろせるようになるのが目標です。


作品たちと一緒に。
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ここから時間をちょっと飛ばして…、
金曜日の朝、Kさんを玄関で見送った。


サンフランシスコでのルームシェア…。
人の出入りがあるたびに、ちょっとした感傷が起こる。

年齢はもちろん、通う学校も違う。普段はさほど交流もない。
広くもなく、深くもなく、お互いの人生が一瞬交差しただけな僕たち。
考えてみたら、不思議な関係だ。

人生をいつか振り返ったとき、これらの出会いにも、
やはり何かの意味があったのだと思うのだろうか。

そう、思いたい。お互いに。

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「生活」と「人生」は違う

なぜサンフランシスコで、シリコンバレーの傍にいながら、
薦められた梅田望夫の本ではなく、たまたま手に取った
遠藤周作の方に惹かれるのだろう…。


「生活」と「人生」は違う。遠藤周作の言葉だ。


日本には「生活」しかない、と彼は言う。
仕事や名声、社会的地位などは、その人にとって「生活」の領域に属するのだと。
しかし、我々は生活だけで生きているのではない。
我々には社会的生活とは異なった個人的人生もあるのだと。


更に、彼はインドで、こう感じたそうだ。


インドでは生活と人生が一緒になっている。日本では生活しかない。



だから…、


おそらく、「キャリア」と「人生」も違う。
僕たちの世代,の多くはこれを分けて考えない。


あなたは、いま輝かしいキャリアを歩んでいるのかもしれないけど、
果たして、「人生」を生きているのだろうか。


「あなた」-「学歴や職歴など」=「あなたの生きている人生」だ。


もしかしたら、移項した方がわかりやすいかもしれない。


「あなた」=「学歴や職歴など」+「あなたの生きている人生」


学歴や職歴など「生活」の経歴をさっぴいた時に残るものが、
あなたの生きた「人生」の大きさなのだ。


コーチは、主に「生活」の分野を扱っている。
一方で、セラピストは「人生」を扱うのかもしれない。


僕は…、


そのどちらも扱いたい。
あなたが、より大きく、あなたらしいあなたであるために。



<補足>
以前このブログでちょっと触れたけど、
「芸術体験という真実があなたをつくる」

今週末日本に帰国するルームメートが、
キアヌ・リーブス主演の「Sweet November」を貸してくれた。
サンフランシスコが舞台の映画だ。

昨日、この映画を観た。

「生活と人生」、「キャリアと人生」、
つまり、「人生を生きるとはいったいどういうことなのか」。
今更だけど、いろいろな作品でテーマになっているのだなと思った。

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Blue Bottle Coffee

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ノースビーチに数ある個性派カフェではなくて、また別の話。


サンフランシスコでは、シアトル生まれのスタバやタリーズを
利用せず、バークレー生まれのPeet's coffee&teaに入るのが
正道かもしれない。高級感のあるdeepな味は、他の2つよりも
上のように思う。


でもね、それよりも、格段に美味しいのがある。
それが、Blue Bottle Coffee.


まだサンフランシスコに2店舗しかないけど(全米でもそうかな)、
コーヒーの味なんかにまったく詳しくない僕が、おおおっ、
これは違う、と唸ったぐらいだ。


オーガニック、無農薬、48時間以内に焙煎したコーヒー豆を使用。
あとサイフォン式と言うのが特徴、かな。


いつも長い列ができている。
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値段は、上記の大手チェーン店よりも少し高い。
でもそれだけの価値がある。


いつか日本でも誰かが始めるだろうか…。
もちろん、僕がやってもいいかもしれない。アハハ。


でも、そのぐらい違いのあるCoffeeだ。
機会のある方は、ぜひ!
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風光明媚

今週、大学院はSpring Break。
久しぶりにサンフランシスコの海の近くを歩きました。


僕の出身は、千葉県の九十九里浜、の近く。
親元を離れてからは、東京はもちろんだけど、
横浜、博多、神戸と海に縁のある街で暮らしてきた。
海や水のある風景は落ち着くんだな。


昔、日本を車でぐるぐる旅したときにこんなことを感じた。


通り過ぎた名前も知らないたくさんの港町。
それらは四国でも北海道でも、つくりや匂いや空気が似ていた。
それは漁に生きる人たちの「生活」の色合いだったように思う。

同じ港街でも、観光都市サンフランシスコにそんな色合いはない。
港のあるFISHERMAN'S WHARF一帯は、観光客相手のお土産物屋や
シーフードレストランがひしめいている。
言うまでもないことかもしれないけど、ここは、Peet'sのコーヒーを片手に、
風光を楽しむ場所なのだ。


僕はFERRY BUILDIUNGの前からEMBARCADEROを西に、
路面電車に乗った。
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FISHERMAN'S WHARFの喧騒を避け、その先のAQUATIC PARKへ。
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FORT MASONと、そこから眺めたGOLDEN GATE BRIDGE。
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途中にあるPALACE OF FINE ARTS。
この6月、ここでCIISの卒業式が催される。
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更に足を伸ばして、GOLDEN GATE BRIDGEへ。
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少し南下して、サンフランシスコの西端にある、SUTRO HEIGHT PARKで夕陽を眺めた。
この向こうが、日本だ。
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懐かしい歌詞が思い浮かんだ。


海は 広いな / 大きいな / 月が のぼるし / 日が しずむ
海に おふねを / うかばせて / 行ってみたいな / よそのくに


僕はいま、その「よそのくに」にいる。
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University of California, Berkeley(カリフォルニア大学バークレー校)

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Tシャツ一枚で歩けるような天気に恵まれた今日、
UCバークレーを訪れてきた。

キャンパスのシンボル、Sather Tower。
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そこからキャンパスを眺めてみる。吹き抜ける風が気持ちいい。
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UC Berkeley Art Musium(美術館)と…、P3190147











Phoebe A. Hearst Musium of Antholopology(人類博物館)にも
足を伸ばしてみた。
人類博物館は、その展示物以上に、そのとても力強い
明確なミッションが印象的だった。
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今年に入ってからのキャンパス訪問は、スタンフォード大学、SFSUに
続いて3校目。

http://ookina-ki.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/stanford-univer.html
http://ookina-ki.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/san-francisco-s.html

UCバークレーも想像以上に美しい大学だった。


このキャンパスには色濃い文化が流れている、と感じた。
「感情系の雰囲気」、とでも言うのだろうか。その点は、「理性系」の
スタンフォード大学とは大きく違う。
周辺のオシャレなアベニューの雰囲気が流れ込んでいるからなのか…、
キャンパスに「別世界観」「閉じてる感」がない。その点はSFSUとも違う。
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アメリカの大学らしい素敵な風景にもたくさん出会えた。P3190035
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夕方、サンフランシスコ三田会で知り合った、現在、UCバークレーの
博士課程でナノの研究をしているT君と待ち合わせた。
忙しい研究の合間を縫って研究室を案内してくれた。


ちょうど授業をしている教室があったので、外から一枚。
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彼は慶應を卒業後、東大の修士課程に進み、そして昨年、
UCバークレーの博士課程にやってきた。
いま、28歳の新進気鋭の教授の研究室に属して、日々研究に
打ち込んでいる。


「結果を出さないのなら、来期から契約を更新しない」
教授から、日々、そうプレッシャーをかけられながらの研究活動だそうだ。
アメリカでは、研究者の世界も競争は熾烈だ。


僕は彼に聞いてみた。

「こちらの研究室の学生の質って、日本の学生と比較して、どう?」

「うーん、そうですね…。質は変わらないと思うんですが、やる気が
違いますね」

「やる気?」

「ええ。日本ではまずは修士課程に2年行って、それから博士課程を
どうするか考える人が多いんです。こちらの学生は、初めから
5年間研究する覚悟で入ってきてますから」


彼はアメリカに来て、研究者にこそコミュニケーション力が必要だと
痛感しているそうだ。専門性の深さだけでは不十分で、やり手の教授に
なればなるほどプレゼンもうまいと。そのためには、研究室に籠って
ばかりではだめだ、と。この地で、いかに人間関係を広げていけるかが大事だと。


やらなきゃいけないことは、本当にたくさんある。
確かに、UCバークレーはそんな刺激に溢れていた。
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フィットネスクレイジー

先週の土曜日に初めて行ったGym、Sava Poolは朝6時から開いている。


その方が空いているだろうと、月曜日、無理して朝5時半に早起きして
出かけてみた。まだ、外は真っ暗だ。


おおっ、暗闇に、Gymの明かりが煌々と照っている。
まずは、ちゃんと空いていたことに感動した。
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すると、どうだろう。
僕の予想に反して、広めに設定された5コースには、既に、
1コースあたり平均4人は泳いでいるではないか!


さすが、フィットネスクレイジー大国 アメリカだ…。


みんな速い。常連か。その割に、太い。


僕も、そんなみなさまに迷惑をかけないようにと、全力で泳いでしまった。
日本人の性(さが)だ。早朝から20往復。1キロ。休みなし。


疲れた。でも気持ちいい。


実は今朝も行ってきた。
僕も、きっとクレイジーだ。


余談だけど、


泳いでいるとき、ふと考えた。


泳いでいると気持ちいい。それはなぜなのだろう。


…。


その瞬間、僕は「Here & Now」を生きているからだろうか。
それとも「無」、つまり何も考えていないからだろうか。


…。


おっと。
前からターンしてきた人とぶつかりそうになった。

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Gymで泳ぐ

サンフランシスコは、スポーツの春、らしい。


今日も近くの公園では、


少年野球。P3150031











青年バスケ。
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中年テニス。
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更には、端っこの方で太極拳に勤しむ老人たち。


年齢によってきれいに分かれている。


ふむ…。


さて、僕は今日、プールで泳いできました。
サンフランシスコに来て初めて!


日本では10数年間、毎週2回、ジムで泳いでいました。
なので、サンフランシスコでも、「泳ぎたい泳ぎたい、でも、お金がお金が」と、
常々思っていたのでした。


ところが、なんと、今週の火曜日、家から歩いて10分の場所に、
公営プールを見つけたのです。CHARLIE SAVA POOL。
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一回4ドルなり。中を見せてもらうと、どうも出来たばかりらしく、きれい。

いいじゃない!

早速、翌日の水曜日に行く。
ところが、点検のため休み。手書きの張り紙がしてあった。
他に来た人も諦めているし、まあ、仕方ない。

翌日の木曜日に行く。また閉まっている。「あれっ?」と思う。
中にいるスタッフに尋ねると、「実は、水の濾過機が壊れている。
思いのほか、修理に時間がかかっている。明日は大丈夫だ。
技師もそう言っている」とのこと。

さらに翌日の金曜日に行く。すると、何とまた閉まっていた。
今度は、タイプしたオフィシャルバージョンで故障のためと書いている。
ヘイヘイ、と思う。他のお客も呆れていた。


でも、ふと思った。


実は、これも称賛すべきアメリカの一部なのではないか、と。


僕たちは、「アメリカは自由の国だ!」と称えながら、
「MUNI(バス&メトロ)がよく遅れる」と文句を言ってはいけない。
おそらく、それは自由の美徳と裏表一体なのだ。


僕たちは、「日本の電車はオンタイム!」と称えながら、
「日本の生活は慌ただしいのよね」などと文句を言ってはいけない。
おそらく、それは勤勉の美徳と裏表一体なのだ。


「アメリカはとっても自由の国!且つ、電車はいっつもオンタイム!」
という風にはならないのだ。それには無理があるのだ、おそらく。


だから、今回の件でも
「日本ならそんなの2時間で直すぞ!なんで、連絡もなしに、
修理に3日間もかかっとんねん!」と、僕のように怒ってはいけない。


「君はまだ、この自由な国アメリカをよくわかっていないようだね、
ふふん」と笑われてしまう。でも、誰に笑われるのかは知らない。


というわけで、4日目の土曜日の今日、初プールでした。
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水につかると、体中の細胞が歓喜しておりました。
思わず1キロ、泳ぎました。おかげで、いま眠いです。



<補足>
こちらのプールはどんな流儀なのだろう、
日本と何が違うのだろうとドキドキしていたのですが…。

案の定、ロッカーに鍵がない。でも、となりの人は立派な鍵を持っている。
「どこで手に入れたの?」と尋ねると、「鍵は自分で持ってくるんだ」とのこと。
ほう、自己責任か。クールだ。
その人の鍵はこんな感じ。キラッ。
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コースは、上級、中級、初級に分かれている。泳ぐときは、
日本と同じく、コースを左側通行。でもアメリカの道路は、
右側通行じゃなかったっけ?この違い、いったいどういう感覚なんだろう。

サンフランシスコでは、刺青もファッション。
日本のジムだと入場を断られてしまいそうな刺青をした人たちもいる。
今日、間近でその刺青を眺めてつくづく思った。その柄は小学生が
描いたみたいな鳥だったり、花だったりしている。とても大味だ。
もう少し、何とかならなかったのか…。でも本人は満足そうなので、
当然のことながら、僕は何も言わない。

というわけで、今日一日の体験からだけど、日本と比べて、
こちら方が、遅い人が速い人にコースを進んで譲るように思う。
「場」と「空気」が読めないはずなのに(?)、そこにはちゃんとパブリックマナーがある。
僕は日本ではジムを4つ経験したけど、コースを譲らない人が多かった。

でも、もちろん、いいことばかりじゃない。日本の方が優れていることもある。
だから、このブログで小さな声で言おう。

アメリカ市民よ、全員とは言わないが…、
泳ぐときには、スイミングキャップをかぶりなさい!

このプール、しばらくハマると思います。

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芸術体験という真実があなたをつくる

この3月いっぱいで約1年半のサンフランシスコ生活を
終えて日本に帰るルームメートと、今朝、キッチンで立ち話をした。


彼女は一昨年の11月にサンフランシスコにやってきた。
なぜなら、キアヌ・リーブス主演の映画「Sweet November」が
大好きだったから。そのサンフランシスコが舞台のラブストーリーを
僕は知らなかった。


彼女は、昨日日本からサンフランシスコにやってきた妹をドロレスパークに
案内するのだという。なぜなら、そこはその映画のラストシーンに登場する
場所だから。


彼女は、その映画についてイキイキと語ってくれた。
僕と同じサンフランシスコの風景の中で暮らしていても、
彼女の中には、僕とはまったく違うものが見えているのだろうと思った。
豊かで、甘美で、透き通った何かを。


僕にとっては日常の生活シーンが、彼女にとっては別次元の眩しい
人生のワンシーンになる。映画に疎い僕は、そんな彼女を羨ましく思った。


「人生体験の事実ではなく、芸術体験の真実が創造性を生む」


遠藤周作の言葉だ。小説家の人生にだって、毎日、感動的で、人生を
考えさせてくれる示唆に富む出来事なんかめったに起こらない。
これまで読んだ音楽、絵画、文学などの芸術作品が、自分の
小説家としての創造性を支えてくれている、という文脈だった。


僕は、日本の田舎育ちだ。豊かな自然の中で育った。
芸術には、本当に疎かった。大学1年生の5月、サークルの女の子が
自己紹介の趣味の欄にモネとかダリとか書いてあるのを見て、
いったい何のことだか皆目見当がつかなかった。


僕はずっと人生体験が創造性を生むのだとばかり思っていた。
直接経験だけが自分を育てるのだとばかり思っていた。


ずっと海外に興味があった。大学4年生の時、念願だった内閣府主催の
「東南アジア青年の船」に乗った。その時、外国では日本のことばかり
聞かれるので驚いた。もっと驚いたのは、自分がそれに何一つ満足に
答えられないことだった。


それからは、まずは日本を知ろうと、外国への興味関心は封印した。
そして、日本を旅した。京都、奈良に何度も訪れた。平泉にも行った。
出雲大社にも伊勢神宮にも鳥取砂丘にも屋久島にも知床にも四万十川にも、
注目される前の黒川温泉にも石見銀山にも行った。
鎌倉や浅草は言うまでもない。すべては日本を直接体験するためだった。


それはそれでとても良かったけど、時間とお金がかかるのが難点だ。
だから、僕は世界に飛び出るのにえらい時間がかかっちまった。


そんな僕からこれから世界に飛び出ようとする人に一言伝えたい。


一昔前は、日本の古典芸能や純文学を知っておくと良かったかもしれない。
でも、今は違う。


Haruki Murakamiの小説と、Takeshi Kitanoの映画。


これらには一通り目を通しておくように。


これらの作品について、自分の感想と自分の考えを自分の言葉で
述べれるだけで、あなたは、自立した日本人として、目の前の人と
繋がっていける可能性が高くなる。一目置かれる可能性も高くなる。


芸術体験の真実が、あなたの人間としての深さと奥行きを作ってくれる。
それを通してつくられる人としての魅力はグローバルに通用する。


健闘を、祈る。

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高度経済成長時代の生きざまに触れる

先月参加したサンフランシスコ三田会でお目にかかった
慶応の大先輩K氏のご自宅にお邪魔してきました。
(K氏の正体がバレないように?、逆光の写真を使ってみました)
P3090023_2










財閥系一流企業の元商社マンで、現在、貿易コンサルティング会社の経営者。
アメリカ生活30年。本当に気さくで飾らないお人柄。サンフランシスコ三田会の顔と
言われている名士です。


実は、先の三田会ではお話しする時間もなく、残念に思ったので、
「宜しかったらお話を聞かせて頂けませんか?」と後からメールを
打ったのでした。


その時、当日、同じテーブルだった「自称おやじキラー」M女史と、
同じく「自称おやじキラー」Y女史の二人のBeautiesにも声を掛けていました。
本当に自称通りなら、確度が高まるかなと思って。
(まさにその通りでした!)


当日は、K氏行きつけのイタリアンレストランで、Mummの
赤ワインを飲みながら、楽しいひと時を過ごしました。


その時の話から、K氏は実はクリントン元大統領がアーカンソー州知事の頃からの
昵懇の間柄で、その後の大統領選挙も傍で支えていたという有名な経歴の方だと、
知りました。


お昼のあとは、Embarcaderoの高層ビルディングにあるご自宅に
お邪魔し、お茶とデザート三昧。奥さまも交えて、時間の経つのも忘れて、
再び話を伺いました。それにしても、ベランダからの眺めが……。
P3090020_2










K氏は高度経済成長時代を全力疾走してきた世代。
僕はバブルをぎりぎり知らない世代で、
後輩のM女史Y女史は就職氷河期世代。


それぞれ、経験してきた「日本」が違う…。


もともとパワフルな二人が、さらにパワフルなK氏の話を聞いて、
「日本に、会社を使って無限の可能性を追求できて、何でも実現できるんだと
自分を純粋に信じて働けた時代があったんだなと知って、日本人としての
プライドを確認できたような気がします」
と言っていたのが印象的だった。


ちなみに、二人のBeautiesの苗字は外国姓。
日本を飛び出て、現地の企業で働きながら、十二分に逞しく、しなやかに、
美しく生きている。


ああ…、ふと思った。


僕は今、自分の思ってもいなかったところで、狭い枠の発想をしていないだろうか。
未来の生き方も、保守的に縮こまろうとしていないだろうか。
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(Beautiesの年齢がバレないように?、ピンボケ写真を使ってみました)

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ジョギングコースをご一緒に

雨も上がり、気持ちよく晴れ上がったので、
久しぶりにジョギングに行った。


いつも同じコース。
近くに、「Stern Grove & Pine Lake Park」という、
夏には無料ライブ・音楽会が催されることで知られた公園があるのだ。
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ご近所紹介も兼ねて、そこまでご一緒に。


早速ですが、家の玄関を出る。
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そして右方向に走り出す。するとこんな風景が広がっている。
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走りながら、視線を左に向けると、
こんな風に家々が並んでいる。
P2270014











突きあたりのVICENT St.を右に折れる。
そして、まっすぐ。
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この左手に野球グランドを眺めながら走る。
テニスコートとバスケットコートもある。みんな自由に、
勝手に、楽しく使っている。


次の道を左折。突きあたりのここを、グニーーーーンと右に曲がる。
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道なりに1分ほど走ると、左手に公園の入口がある。
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白い柵の向こうは、急な坂道。
そこを降りていく。P2270036











すると、右手に、「もうちょっと整備された感じの東京大学の三四郎池」
みたいなのがある。渡り鳥のオアシスになっている。P2270041












そこを抜けると、緑の芝生が目の前に広がる。
P2270052











いつも、犬を連れた散歩の人たちがいる。
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こちらの犬は、よくトレーニングをされている。
まず、吠えてきたり、飛びついて来ることはない。
同じコースを走る僕を追い越して行ったり、P2270090











真ん中の芝生で
寝っ転がったり、それぞれの時間を楽しんでいる。
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と、アメリカンなワンちゃんたちを信頼しきっていたのだが…、

あるワンちゃんにカメラを向けたら、
サンフランシスコで、はじめて吠えられ、飛びかかってこられた。
なんとなく、このワンちゃんの緊張感、伝わります?
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この写真のあとは、興奮したでっかいワンちゃんたちに囲まれて、
いやはや、噛まれるかと思った。


さすがアメリカのワンちゃん、プライバシーには厳しいぜ。


さて、それ以外は、いつもいたって平和なこのコース。
考えをまとめたり、深めたりするのにとてもいい。


京都には「哲学の道」がある。
茂木さんが書いていたけど、考え事をするには、脳が思考に
耽ることのできる、余計な気の散ることのない慣れた道を歩くのが
良いらしい。それが脳をいい感じに思考のゾーンに導いてくれるというのだ。
西田先生が、外からの余計な刺激をうけることなく、
ぼーっと?、自分に沈殿しながら哲学することができた道、ということなのだろう。


僕の場合、そこまで格好よくも、おおげさでもないけど、
慣れ親しんだ、このジョギングコースはイイ感じだ。
かなり気分転換になる。だいたい3周。


そして、なんと、実はこの公園の奥に、
「もう少しエコロジーな感じを追求した日比谷野外音楽堂」みたいな
ステージがある。ここで夏、音楽会が開かれるのだ。
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舞台の上から、ガランとした観客席に向かって、


「Hey folks !」


と言ってみた。
当然のことながら、何の反応もない。
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というわけで、ここから引き返す。
お疲れ様でした。

なんだか…、何と言うこともない内容で、
失礼いたしました。


明日のサンフランシスコは雨らしいぜい!!!!

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“Human Pace”なMUNI

もう違和感も何もなくなったけど、
サンフランシスコのMUNI(バス&メトロ)は、決してHigh Paceではなく、
かと言ってLow Paceというわけでもなく、日本と違ってPunctualでは絶対になく…。


そう、何と言うか、イイ感じに“Human Pace”です。


最近は、坂の向こうから登ってくるMUNIから、えっちらおっちらと、
声が聞こえるようになってきたような気がする(な、わけないか…)。


Lラインと、
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JラインP2250008











働く人もHuman Pace。
昨日のWest Portal Stationで、こんなことがあった。
というよりも実によくある。


MUNIがしばらく動かない。運転手が交代するらしい。
やや遅れてきた交代の運転手、手にWalgreens(ドラッグスストア)の
袋を抱えている。そして、満面の笑顔で、


「いやあ、買い物に時間がかかっちまったよ」


そして、40秒ほど同僚と談笑をしてから、運転をしだす。
買い物袋をドサッと運転室において。

生活が職場に入り込んでいる。
こういうの、日本ではあまり見なくなった光景かもしれない。
妙に新鮮だったので、運転室に置かれたWalgreensの袋の証拠写真。P2170052













ちなみに、MUNIが遅れることはしょうっちゅうだ。
理由はいろいろだ。ドアが突然閉まらなくなって、ストップしたり。

壊れて開かないドアがそのままになって、
「Out of service」と手書きの張り紙がしてあって、
そのまま運転されていたりもする。

これはMUNIがサロンパスをして仕事をしている感じかな。
(痛てて、痛てて…って感じで)
本当にHumanな感じなのだ。


話変わって、最近のHot Topicsから。


Lラインのとても太った黒人の運転手。
その人が、MUNIの車内放送を全部、広東語で話す。それも得意そうに。
このエリアはチャイニーズが多いのです。


彼が放送をしだすと、周りの中国系アメリカ人が「あれっ、今日は変だな」と
お互いの顔を見回す。ただ、続く、英語の放送がない。


というわけで、それ以外の僕たちは、何を放送しているのか
わからない。


もしかして、過剰サービスではないのか?!


といっても、なんにも車内放送をしない運転手もいるから、
その辺は、各自の自由らしい。Human Paceだ。


こんなこともあった。


Churchと30thにある教室に行くためにJラインに乗った時。
むっ、何かが動いたぞ!と思ったら、でっかい犬だった。
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別に、盲導犬というわけでもない。
飼い主に連れられてただMUNIをご利用しているのだ。P2180088











別の日。
僕がいつも利用しているLラインの終点は、San Francisco Zoo(動物園)。
先日、乗り込むと、車両の後方で何やらバタバタ音がする。


運転手に声をかけられた。


「おう、兄ちゃん、中に鳩がいっぱい入っちゃってさ。
まあ気にしないでくれ。終点はZooだから、そこで降ろせば
ちょうどいいだろ。ガハハ」
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鳩が、僕の脇の通路を、前に飛んで行き、後ろに飛んで行き、を繰り返す。
5羽ほど…。


というわけで、サンフランシスコのMUNIは、Animal味にも溢れているのでした。


補足)
MUNIは、Lineにもよるのですが、日本と比べたら、スリとか、
ドラッグ・アルコール中毒らしき人とか、安全面はいろいろです。
そういう意味では“Human Base(?)”、と言えるのかもしれません。

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San Francisco State University(SFSU)

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最近なぜか、CIIS以外の世界観に無性に触れたく…。

今回は、前回のスタンフォード大学に続いて、
http://ookina-ki.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/stanford-univer.html
サンフランシスコ・ステート・ユニバーシティ(SFSU)を見学してきました。

特に、TESOL(英語教授法)では全米屈指の大学と言われています。
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案内してくれたのはルームメートの真那未ちゃん。
ホテルマネジメント専攻の2年生。
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ご厚意もあって、朝一番のマーケティングの授業に潜らせて頂きました。


大教室で僕を待っていたのは…、


いろいろな髪の毛の色。


昔、僕が抱いていた“アメリカ留学”に限りなく近いイメージがそこにあった。
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講師はスーツを着ている。
実際にビジネスに携わっている実務家らしい。

パワーポイントを使っての説明に、学生からはポンポン質問が飛ぶ。
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マーケティングのレクチャーを聴きながら、
昔々、疑問に思っていたことが蘇ってきた。


「そもそも論」で恐縮だけど、そもそもマーケティングって学問なのか…。


この疑問の前提は、本来、学問とは真理を探究していくものじゃないのか、ということ。
ここでいう真理とは、セオリーであって、まあ、半永久不変なもの、という意味だ。


でも、社会も、市場も絶えず変化している。
それにつれて、マーケティングのセオリーも変わっていく…。
だから思うのが、絶えず陳腐化していくセオリーって、いったい何なのだろう、
ということ。


例えば、僕がMBAを修得したのは10年も前。
もし僕が、そこで習ったことを、今も金科玉条のごとく、ビジネスシーンで
振り回しているのであれば、僕の頭の中は、かなり時代に取り残されている、
ということになるんじゃないか。


僕自身の経験から言えば、
MBAで1000近いケーススタディに取り組む目的とは、
「(意思決定の)反射神経を研ぎ澄ます」ということにあったように思う。
その後の人生で、どんな仕事についても大丈夫なように。


当時のケースの中身やセオリーなんて、こう言っちゃなんだが、覚えていない。


繰り返すと、マーケティングという「学問」分野。
現場の知恵が大学教授によってセオリーになった頃には時代が移り変わってしまう。


だから、マーケティングはその最先端にいる実務家たちの話の方が
圧倒的に面白い。


ちなみに、今日の講義の中心は、市場のセグメント。
マーケティングの基本だが、競合との差別化を打ち出すためにも重要だ。
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その説明を聞きながら、何かといえば、「人はそれぞれ違う!」と
「個性」と「違い」を強調する多様性と個人主義の国アメリカで、
マーケティングのセグメンテーション(市場を特性に応じて細分化し、
グループ化すること)の考え方が生まれてきたのは興味深い。


そうそう、余談ですが、今日のクラスはほぼ満員。
僕は遠慮して、椅子には座らず、大教室後方に立って聞いていた。
途中、遅れて教室に入ってきたのは日本人の女の子。
今日はあまり勉強する気ないのかな。床にペタッと座って、手帳を開いて、
プリクラを眺めてる。
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(おら、いま懐かしんどらんで、もっとレクチャー聞かんかい!)


と思ったけど、もちろん、口には出さず。当たり前か…。


クラスが終わると、近寄ってきたこれまた日本人の男の子とカフェに消えていきました。


(おらおら、お国仲間で固まらず、もっと散らばらんかい!)


と思ったけど、もちろん、口には出さず。これも当たり前か…。


最近、サンフランシスコで日本人若者を見ると、
無性に説教がしたくなる私でした。「お前ら、夢はあるのか?!」と。
はい、余計なお世話でした。すみません。


さて、クラスの後、「黒人の生徒が少ないのはなぜ?」と、
こちらは夢に向かって邁進中の真那未ちゃんに聞いてみた。


「サンフランシスコの家賃のせいじゃないかしら。
郊外に行けば、もっと安い生活費で済ますことのできる
他のステートユニバーシティもあるし」とのこと。

ちなみに、このキャンパス内にも学生用の宿舎があるけど、
住むだけで月約1000ドルだとか。


やはり、アメリカ社会の抱える格差なのか…。


学内のカフェに、ゲームコーナーがあるのには驚いた。
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(おらおらおら、なんでゲーム…)


とちょっと思ったけど、
そのゲーム機、日本製なのがわかってなぜかバツが悪かった。


そうそう、マーケティングのクラスで思ったのが、
英語のレクチャーがすごく聞き取りやすい。


それもそのはず、慣れ親しんだビジネス用語の
オンパレードだったから。


なるほど、僕がCIISで聞き取りで苦しんでいるのは、
心理学の専門用語に不慣れなせいもあったんだなあ、と。


他の世界を知ることで、自分の世界を相対化できる。
それによって、自分の固定観念に揺らぎが生まれる。


というわけで、陽射し眩しく、若さ溢れるSFSUのキャンパスでした。
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キッチン

いきなりで恐縮ですが…。


「それは、TJさんの基準じゃないですか!!!
少しぐらい、いいじゃないですか!!!」


今日、家で、キッチンの共同スペースにものを一切置くな!
洗いものは出しっぱなしにせずすぐ洗え!と注意した僕に対して、
ルームメイトの一人、24歳クンのやや逆切れなコメントでした。


相手の感情噴火は、こちらの感情噴火の呼び水になる。


(ゴゴゴゴゴーーッ、ドドドドドーーッ。キターッ!)


何だと、てめ~~~!


その瞬間、僕の中で誰かがつぶやいた。


(感情的になったら負け)


えっ、誰?


その正体は…、


僕の中の「社会クン」でした。


ファミリーダイナミックのクラスでもしみじみ感じたんだけど、
日本では、家族に限らず、会社でも、社会でも、
つまり、人のいるところならどこでも、自分の感情を押さえるんだなあ。
それが大人。それが社会人。


感情的になったら負け。


いま思えば、感情的になると、何がどう負けるのだろう…。
本人が感情的になったことさえ後悔しなければ、
問題なんて何も無いような気がしなくもない。


だって、それでスカッとして、良い決断を下せばよいわけで。
クラスメートのアメリカ人女性を見ていてそう思う。
今度、誰かに聞いてみたい。


と、言うわけで、
ぐぐっと込み上げてくるおいらの怒りの感情はどうしてくれようか、
押さえるべきか、吐き出してぶっつけるべきか、
さて、どっち?このハウスシェア生活、長期的に見てどっちが得?


僕は、目の前の24歳クンと、自分の中のTJクンの
二つの感情を相手する。


でも、まあ、せっかくだからと、


「ダメものはだめだ!その少しだけが、いまの体たらくだ。
自分の散らかしたものを見てみろ!!!」


と言ってみた。まあ、自分で言うのもなんだが、
感情の出し方としては、100点中の20点だ。


で、どうなったかって?


感情を出した後は、日本人は妥協がしやすい。


僕は、「ならば料理に使うワインだけは置いていい」と
速やかに提案して、24歳クンの、僕の“基準”では、
山のように散らかしてあった調味料、鍋、その他を、
共同スペースから撤去させた。


こういう妥協の運び方は、ずいぶんと社会人的だな、
と思いながら。


共同生活も、夫婦生活も、生活に関して客観的なルールや
基準があるわけでもない。


では、どうするのか。


日本スタイルで、お互いに我慢、我慢になるのか。
アメリカンスタイルで何でもオープンにガチンコにぶつかるのか。
それとも、「第三の道」があるのか。


いずれにしても、僕自身に関して言えば、感情を押さえこむ以外に、
発露させた自分の感情を上手に扱う術をもっと知っておく必要がありそうだ。


いやいや、それ以前に、僕は、「自分の感情に触れる」ということに、
意外や意外にまったく慣れていないのかもしれないぞ。


うむ…。


というわけで、キッチン。
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補足)
ファミリーダイナミクスのクラスで感じていることですが、
アメリカ人のファミリーと比較して、日本人は、家族の中で、
「感情」的なことについて、あまり話をしない。

それはアメリカ人にとって、日本人は家族の中で、
人生で本当に大切なことを話さない、という風に
見えるらしい。

これは、引き続き、考えたいテーマです。
なので、後日また。

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あなたが本を書くための、3人。

昨日、いつもお世話になっているクラスメートのStephanieから、
彼女の友人でフランス人のLuluの誕生会をやるから来ないかと
誘われて、フェリーに乗ってLarkspurまで行ってきた。


フェリー乗り場で、通勤にセグウェイを使っている人に会った。


「足が不自由でね。毎日使っているんだ」とのこと。
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さて、誕生会のメンバーは、Stephanieと、彼女のパートナーのJim、
Jimのお母さんの86歳のEllen、そしてLuluと僕。


Stephanieのファミリーには、去年、クリスマスパーティや、
冬休みのLake Tahoですごくお世話になった。


彼らは、ものすごくインテリ。集まれば、いつも教養が口から噴き出す。
使う言葉は文学的でシャレていて、話すスピードは速くて、
話題は政治経済文学音楽と多岐にわたって、ジョークも
どんどん飛ぶ。僕は…、そう、とにかく、大変だ。
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で、その時の話題から、かろうじて一つだけ。


Jimが、「いまね、本を書いているんだ」とのこと。
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彼曰く、数年前にサンフランシスコで受けたWrithingの
セミナーが本当に素晴らしく、目の覚めるような
感動があったんだと、まるで昨日のことのように話してくれた。


「TJ、いいかい。書きたくても書けない“Writer's Block
(ライターズブロック)”がどういう時に訪れるかというと…、


同じ部屋に3人の登場人物を同時に招いてしまう時に起こるんだ。


その3人とは、
“Crazy Child(クレイジーチャイルド)”、
“Writer(ライター)”、そして、
“Editor(編集者)”だ。


彼らの役割は、精神分析で言う、イド、エゴ、スーパーエゴの役割と同じさ。


彼らを同じ部屋に同時に入れてしまうと、
お互いに足を引っ張り合って、頭がスタックしてしまう。


それがWriter's Blockなんだ。


だから、そうしないために、
まず“Crazy Child”だけを部屋に入れる。


そして、何でもいい。文の順番も構成も何も関係ない。
ただ、筆に任せて書くんだ。とにかく、思いついたことを書きまくる。
書きまくる。書きまくる。


それを終えたら、“Crazy Child”は部屋の外に出す。


そして、“Writer”を部屋に入れるんだ。彼の仕事は、
“Crazy Child”の書いた表現や言い回しを修正しながら、
文章を磨いていくこと。


それを終えたら、“Writer”は外に出す。


今度は、“Editor”を中に入れる。
彼は“Writer”が磨いた文章を、ああでもない、こうでもない、
と批判的に検討するわけだ。全体のより良い構成を考えたりね。


これが、僕が今まで受けた中で、もっと有益なライティングトレーニングでね。
なるほどと、クラスの途中で思わず声を出して笑ってしまったぐらいさ」


Jim、素敵なナレッジシェアでした。
僕もアメリカにいるうちに本を書こうと思っていたので、
ものすごく有益なアドバイスでございました。


Happy Valentine's Day !!!
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経営コンサルタントの仕事

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前々回のブログでスタンフォードのビジネススクールを、
ほんのちょっと見てきたことについて触れたました。
それを書いている時に思い出したこと。


先日参加したサンフランシスコ三田会での話なのですが、
テーブルをご一緒させて頂いた、初老のジェントルマンが
いらっしゃいました。


その大先輩の名簿の仕事欄がSelf-Employedとなっていたので、
どんなお仕事ですか?と尋ねたところ、
フリーで経営コンサルタントをしておられると。


クライアントは、日本人と、アメリカの日系人がほとんどで、
アメリカ滞在歴はもう20年になるということでした。


日本では、家業の製紙会社の経営者を長くやられて
おられたというご経歴の持ち主でもあり、


「TJさん、経営者はね、本当に孤独なんですよ」


という言葉から始まった、彼のお話はとても面白かった。


でね、どうもその大先輩のお話を総合するに、
僕の印象では、彼の仕事は「経営」コンサルタントではないぞと。


では、何ぞやというと、


それは、経営者の「人生相談役」、みたいな感じなのです。


だって、相談される内容が、「経営」はもちろんなのですが、
子供の進学から奥様とのSEXまで多岐にわたっているのですから。


挙句の果ては、
「先生、今度、この経営コンサルタントを雇おうと思うのですが、どう思いますか?」


(それを相談される私は、いったい何者と思われているのだろう…)


と、ひとり苦笑いをすることもあるとか。


そのぐらい信用をされている。
だから、クライアントにとっては、他の誰かと比較・競合のしようがない、
という存在なのでしょう。


彼曰く、


「真の経営者は、コンサルタントのマネジメントの知識などをあてにしない。
コンサルタントを雇うとき、その人間性を、その信用を買うのです」と。


だって、経営者は、本質が孤独なのですから。
それを何とかしたいのですから。目先の売り上げも大事だけど、
そっちの解決の方が、緊急、且つ、長期的にも重要な課題なのですから。


僕は、経営コンサルタントの仕事を考える時に、いつも思い出す言葉がある。
これまたいつも可愛がって頂いている人生の師の言葉で、
その人は、住友系の財閥企業のカリスマ部長と言われている。
大手外資系コンサルタントを何社も使う立場にあった人だ。


「おいTJ、社運をかけて経営コンサルタントを雇う経営者は、アホだよ」


コンサルタントは、責任を取らない。
経営者しか意思決定の責任を取れないのだから。


ちょっと話がそれました。戻します。


海千山千の経営者の、人間としての孤独感を和らげることが
できるというのは並大抵の仕事ではない。
そして、そのニーズは常にあるということだ。


こういう仕事内容は、コンサルタントというよりは、
コーチ、あるいはセラピストと呼ぶ方が、適しているのかもしれない。


でもね、真の経営者から信頼を得る人間としての力や信用は、
大学の勉強では身につかない。MBAや、セラピストの資格を
取ったところでどうしようもない。


だから、たぶん、ここCIISでも学べない。


さて…。
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(写真は、いずれもスタンフォード大学構内にある教会と美術館にて)

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スタンフォード大学Stanford University

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この地域には珍しく、今日は小雨模様の天気。

スタンフォード大学のメディカルスクールで研究をしている
ドイツ人の友だちAnneが案内をしてくれた。

授業料と家賃の固定費のみで年間500万円の費用がかかる。
まさに、良家の子女のための学校だ。
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とても奇麗な建物、舗装されたごみの落ちていない滑らかな道、
刈り込まれた芝、点在する見事なパームツリーに清潔なベンチ、
品のあるオブジェの数々。まさに秩序ある世界。
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さらに続けよう。
調和のとれた統一感のあるクリーンで、温室のようなキャンパス。
勉学に集中できる、全てが用意された最高の環境。
理想郷と言ってもいいんじゃないだろうか。
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一方、サンフランシスコはどうだろう。
街には溢れる喧騒、通りには浮浪者…、道路はボコボコ、
坂道だらけで、空には電線だらけ。
アンモニア臭の漂う道も多くて、霧も出る。
雑多で混沌。まさにカオスな世界だ。
良く言えば、ステンドグラスのような街だけど…。


カルトレインで1時間。
僕は、スタンフォードとサンフランシスコに、
HeavenとHellぐらいの差を感じた。


MBAを学ぶGraduate School of Businessの校舎にも行ってみた。
P2120139










教室は、思ったよりもシンプルで古くて、僕が学んで
いたときの慶応ビジネススクールと同じ雰囲気だ。P2120156










ここで、選りすぐりの秀才たちが、全てがお膳立てされた、
クリーンな環境の中で、経営の最高のエッセンスを学ぶ。
厳しい競争と、選ばれた人間関係のネットワークに揉まれて。


で、ふと思った。


“スタンフォード”という学習環境には、人間の象徴と言えるかもしれない
「無駄」と「矛盾」と「混沌」が、限りなく、無い。


道理で、ここでMBAを修得する彼らの頭から「にんげん」が
抜け落ちてしまうわけだ、と言ったら言い過ぎだろうか。


企業は、「無駄」と「矛盾」と「混沌」に溢れた心をもった「にんげん」が集まり、
働き、そして、動かしているのだが…。


スタンフォードとサンフランシスコ。
実は、どっちがHeavenで、どっちがHellなのか。


ふむ…。


ちょっとクリティカルに考え過ぎかもしれない。


でも、スタンフォード大学は、いつの日か、やっぱり来たい学校だ。
その時は、教える側として。
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ではまた!

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San Francisco Mita-kai 新年会

サンフランシスコ三田会の新年会に参加してきました。
場所は、サンフランシスコから少し南に下ったBurlingameにあるイタリアンレストラン。
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去年は、年代別のサブグループの集まりに一度だけ
参加できただけだったので、正式な三田会行事への参加は、
実質、初めてでした。
http://ookina-ki.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-19bc.html


聞くところによると、
サンフランシスコ三田会は他地域の三田会に比べて盛況だとか。
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理由はいくつかあるのでしょうが、勝手な感想として、


一つは、女性が仕切っていること。
会長のサックミサ子さんはじめ、ツワモノ系で仕切り系、且つ、
魅力的な姉御が多い。例えば、①70年代以前の卒業生は会長、
②80年代卒業生ではT島女史、③90年代卒業生では、KM女史、
④2000年以降の卒業生でも…、どの代にも必ず複数名いる感じです。

二つ目は、若手が多いこと。
シリコンバレーが近くにあるせいか、IT系の日本企業に勤める
男女を問わず若手の参加者が多い。メーカーの技術者、研究者、あるいは、
スタンフォードやバークレーの留学生だったりします。

三つ目は、年配者が大切にされていること。
これは、慶応のカルチャーなので、どこの三田会でも同じかも
しれませんが。若い人が年代が上の人を立てるコミュニケーションを
上手にとります。だから、年配の実行委員OBも、若手の実行委員を
余裕しゃくしゃくに、楽しみながらサポートしています。

四つ目、これが最後ですが、参加者を歓迎しようとする
実行委員(世話人)全員のパッションとコミット!

その一例ですが、
2か月前に、会開催の最初のお知らせメールが届く。
1か月前に正式のメールが届く。
数日前にリマインドメールが来る。
前日にも来る。

会場までの足がないと、その調整の労も厭わずにやってくれる。

会場に着くと、名札はもちろん、初めて参加した人のための
「お世話係」がちゃんと用意されている。

お世話係は、会が始まる前に、責任を持っていろいろな人に
その人を紹介して、初参加者がその場に溶け込みやすいようにする。

名簿などの配布物は、表紙に本人の名前の記載されたものが渡される。

挨拶、司会、乾杯、ゲームの進行などは、各年代からバランスよく選抜されている。

誰かが前で話しているときに、ガヤガヤしだすと、
だれともなく、「静かに~!聞いて~!」とやんわりと
声が飛ぶ。


本当に全員で作っている「場」なのだと感じました。


さて、会の最後は、慶応義塾らしく、肩を組んで全員で「若き血」の熱唱です。
サンフランシスコでやると、何となく「東洋の奇行」に感じなく、もない。
でも、僕、好きだけど。
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というわけで、学P2090020びの多い、そして、楽しいひと時でした。




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Chinese Lunar New Year Parade

2月7日、ダウンタウンのユニオンスクエアからチャイナタウンに
いたる一帯で、旧正月を祝うパレードがありました。


道路の両脇は人でいっぱい。
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道路の向こうにある百貨店のMacy'sから見下ろしている
見物客もいる。P2080038_2












17:00から始まったパレード。
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山車は、とても中国的。去年の6月に同じダウンタウンで見た
ゲイパレードとはずいぶん趣が違う。
http://ookina-ki.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/gay_pride_parad.html
まあ…、当たり前か。


最も印象深かったのは、大音量の爆竹とともに、近づいてきた真っ赤な光の龍。
ものすごいスピードで僕の目の前を翔け抜けて行った。P2080082_3
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いま、「部外者」の僕は、ここサンフランシスコで、日本で言う四季の
移り変わりを、自然ではなく、こういうパレードで感じている。


言うなれば、このパレードも僕にとってはその程度の位置づけだ。
(だって、サンフランシスコの2月の代表的な『観光』行事だし…)


でも、多民族な街や国で実際に暮らす「当事者」たち、
例えば、中国系アメリカ人にとって、今日の日は、異国の地で
自分たちのアイデンティティを再確認し、一体感を醸成する…、
いや、もしかしたらそれ以上の意味があるのかもしれない。


帰りのMUNIの中で、きれいに民族衣装を着飾った小さい子供を
連れている何組ものチャイニーズ系ファミリーを見かけて、
そんなことを考えました。

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「絆づくり」とBENIHANA

経営コンサルタントの塩田先生の言葉。


「絆づくり」は、
「一杯のコーヒーより、一杯の飯。一杯の飯より、一杯の酒」


コミュニケーションの深さと時間の長さの関係を言った言葉だろう。


でもね、ここサンフランシスコでは、
男を誘うとゲイと思われるし、女を誘うにはこちらの英語力が頓に問われてしまうので、
日本にいる時とはまた違った角度と知恵とガッツが必要になる。


さて、


「あんた、まだBENIHANAにも行ったことがないの?」


とクラスメートのLisaが言うので、試しに一緒に行ってみた。
故ロッキー青木のお店。サンフランシスコではジャパンセンターにあるP2070062











各テーブルを8人前後のお客が囲む。コックが目の前で
パフォーマンスをしながら料理をし、サーブしてくれる。
鉄板の上でチャーハンを炒める時、それを固めて、
ハートの形にしてみたり、卵を焼く時、それを鳥の形に
描いてみたり、エビのしっぽを上にぽいと飛ばして、
頭のハットで受けてみたり、玉ねぎのリングを重ねて、
そこから蒸気を出して、火山の噴火を演出して見せたり…。
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とにかく、不景気とは思えない盛況ぶり。
味も良かったし、日本酒も「真澄」なんかが置いてるのが嬉しかった。
個人的に、「絆づくり」には、ちと賑やか過ぎる店かなと思ったけど…。
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でもね、仲間の誕生日を祝うために集まっていた、同じテーブルの別のグループ。
彼らの表情を見るに、BENIHANAは、仲間の「絆を深める」には、
最高の場所のようで…。うーん、ナイス!
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Anneとの再会

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昨年、僕が英語学校のAAEで知り合って、本当に仲良くなった
友だちがドイツ人のSascha。そして、その彼女がAnneです。
http://ookina-ki.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/lassen_volcanic_1.html


二人とも、ハンブルグ大学の組織心理学の博士課程に在籍。
昨年、Anneがスタンフォードで1年間研究するのに合わせて、
Saschaも一緒にやってきて、彼の方は英語学校に通っていたのでした。


専門性から人生のことまで、いろいろ何でも話せる外国人の親友。
本当に貴重な存在です。


食事はもちろん、ヨセミテ、ラッセン等の国立公園にキャンプを背負って、
一緒に泊りがけのハイキングにも行きました。そこから学んだことは、
いまCIISで学んでいるのに勝るとも劣らないインパクトがありました。


二人とも昨年9月にドイツに帰国。
今度はAnneだけが、再び1年間の予定でリサーチのために
2月1日にサンフランシスコに戻ってきたのでした。


彼女は、ドイツ帰国中に博士論文の口頭試問に合格し、
見事、ドクターになっての再訪米です。


MissionのSushi Zoneでお寿司を食べて、それから、CastroのCafeで、
ビールとワインを少々。近況、過去、未来と、たくさん話しました。


3月にはSaschaも休暇を取ってサンフランシスコにやってきます。


サンフランシスコという異国の地で、
流れ去っていく時間ばかりではなく、カーブを描いて戻ってくる時間もある。


それが、とても楽しく、そして、とても楽しみ。


ではまた!

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Black Church

アメリカ人クラスメートから、Black Churchに行くので、
一人じゃ心細いから、良かったらお前も来ないかと誘われて、
行ってきました。


Black Churchとは、African American(黒人)の人たちの教会。


そのクラスメートは、白人でカソリック。
参加するのは初めてとのこと。当然ながら、僕も初めて。


というわけで、FillmoreとEddyの交差点にある、
Coltrane African Orthodox Churchに行ってきました。


ミサは12時からスタート。15時まで。


通りに面した教会に似つかわしくない建物。
中は、コーチング研修会場のような感じ。
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30個の椅子がきれいに並べてある。
参加者は全員で28人。うち4人が白人らしき人。黄色は僕一人。


実は、12時に着いたら、もう演奏が始まっていた。
ボーカル、サックス、2種類のドラム、ベース、ピアノ。
ものすごい大音量。


静かに祈るっていう感じじゃない。


演奏者も参列者も、ソウルフルな音楽に体を任せて震わせて…、
まるで、自分の「魂」を神さまに叩きつけているような感じだ。


神さまとの対話は、理性じゃなくて感情で行うものらしい。


さて、その神さまの絵は、向かって正面にある。
イエスキリストの大きな絵だ。


肌の色は…、黒だ。


黒人のイエスキリスト。


もともとアラビアの出身なのだろうし、
こっちの肌の色の方が本物には近いのかもしれない。


でも、その絵の表情には、「慈愛」みたいな優しさはなくて、
何かものすごく強い意図をもって、まっ正面からこちらを見据えている感じだ。
僕には、日本の寺院で、「不動明王」の像を見ているときの感覚に近いものが
あった。


さて、この演奏、なんと13:30まで続いた。
まさにミサというより、エンターテインメントだ。


これから、牧師の話が始まるという段になって、
僕を誘ったクラスメートが、なんと、頭が痛い、もう出よう、等と言う。


というわけで、残念ながら出てきちゃったのだけど…。


同じキリスト教のミサのスタイルが、人種によって
こうも変わってくるのか、というのが驚きだった。


全身を使って祈りを表現する彼らの向こうに、
アフリカ大陸が見えたような、気がした。

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匝瑳市(Sousa-shi)とSan FranciscoのFarmers Marketを比較してみた

マーケットは文化の宝庫だ、と思う。

というわけで、実家のある匝瑳市のファーマーズマーケット。
地元で採れたものばかり。すべての野菜が奇麗に包装されている。
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San Franciscoでよく行く、West Potal Stationの近くのファーマーズマーケット。
安くてものがいい、と思ってよく利用している。全ての野菜がバラ売り。
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もうちょっと具体的に見てみる。
匝瑳市のファーマーズマーケットの大根。
規格が揃ってほとんど工業製品の領域だ。
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San Franciscoのファーマーズマーケットの大根。ひょろひょろねじれている。
でも、こちらで見る大根は、どこのお店でも、みんなこんな感じ。
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これまた匝瑳市のお店で撮った人参。
同じサイズの、きれいな橙色のニンジンが3つずつ袋分けされている。
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そして、San Franciscoの同じお店の人参。
ひょろ長くて、ヒビが入っていて、
ところどころ削れている。良く言えば、自然。個性、がある。
だから、僕は、自己責任で一本ずつ選ぶ。
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どちらが良いというのではなく、ただ、違いが面白い。おしまい!

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日本人の集まり

昨年は、こういうことに、さほど積極的で無かった私ですが、
先の土曜日、YukaとKazuの後に、立命館大学から交換留学生として
CIISにやってきたSatokoに声をかけて頂いて、ある日本人の集まりに
参加して来ました。


主催者は、アリを研究しているドクターのご夫妻。
参加者は、骨を研究しているドクターのご夫妻。
立命館大学で「死産」について研究をしている助産婦の
ライセンスを持ったマスター。彼女がSatokoです。
そして、皮膚の研究をしている韓国人のドクター。
この写真では見えませんが、アリ博士の愛犬、クミンちゃんが
左後方で、大人しくベッドにお座りしています。
P1250014










なんだか、お互いに異分野の、妙に高学歴なメンバーたち。
共通点は、サンフランシスコの民宿みたいな「すずめのお宿」に
泊まったことがあるということだけ。それも違う時期に。


接点がなさそうにもかかわらず、お酒抜きでも話がはずんだのは、
各人の愉快な人間性と美味しい日本の料理のせいだけでなく、
やはりお互い異国で共通の苦労があるからか。


僕以外は、全員がこちらに来て、まだ半年ぐらい。
僕だって、たった一年間だけど、それでも彼らより情報量・体験量は格段に多い。
ちょっと話をするだけで、ちょっと話を聞くだけで、誰かを慰めたり、
励ますことができたり…、少しでも誰かのお役に立てるかもしれないんだ、
などと今更ながらに感じたのでした。


なんでアメリカに来てまで日本人の集まりに…、などと
多少なりとも思っていた去年までの自分が恥ずかしい。


自分のことしか考えてなかったなと、反省したのでした。はい。

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人生の先生に再会する

順番があとになりましたが、再び、日本滞在時の話です。


僕には、「人生の先生」と心から呼べる方が3人います。
その筆頭が、株式会社CMCの塩田先生です。
40年のキャリアを持つ、日本における経営コンサルタントの
草分け的な存在です。


僕が大学生3年生の時、ゼミに講演に来てくださり、以来、
勉強会に参加させて頂いたり、別荘にお邪魔させて
頂いたり、本当に可愛がって頂きました。


いま74歳。現役バリバリです。
お忙しいにも関わらず、「おい、久しぶりに飯でも食おうや」と、
お声をかけていただき、貴重な時間を過ごさせて頂きました。
飾らない、ストレートで、愛情あふれる照れやなお人柄は
相変わらずでした。


貴重なお話をたくさんいただいたのですが、コーチングにも通じる、
僕の中に、特に印象に残ったことを少し。


「TJ、お前なあ、コンサルタントなんて自分の土俵を持たない惨めな
仕事なんだぞ。人様の土俵で仕事をさせて頂いているんだ。そのことを
忘れちゃいかん。自分の土俵があるなんて、偉そうにするから間違いが
起こる。謙虚にならないといかん」


「金、カネ、かね…。カネじゃねえんだぞ、大事なものは。
そりゃ、俺だって仕方ないから請求書は書くよ。
でもな、コンサルタントのフィーなんて、お布施みたいなもんだ。
俺たちは、お布施をもらって生きてるんだ。もらえて、はーっ、ありがたや、
って思わないとな」


「大事なのは絆だ。俺が30年来、言い続けてきたことを、いま、
みんな言いだしているよな。でもな、お客は1円でも安く買いたい。
企業は1円でも高く売りたい。そんな下心が見え見えの中、
絆もくそもあるもんか、だよな」


「コンサルタントの仕事…。それは、みんなに思い出させて
あげることじゃないのか。本当に大切なものを。儲け儲けで
忘れがちになるものを」


「コンサルタントで大事な心構え…、それは、“Change Chair Mind”、だな」


銀座でしゃぶしゃぶを御馳走になって、お別れしました。


先生の背中、ちょっと小さくなってたな。
俺、もっと頑張らないとな。


「いつまでも勉強してないで、早く帰ってこい!」
という先生のメッセージが、ちょっと響きました。


先生、お体にお気をつけて。
今後とも、そして、いつまでもご活躍、ご指導ください。


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Inauguration(就任式)

1月18日に日本から戻ってきました。


そして、2009年1月20日、時差ボケを押して、今年初めて大学院に行きました。
Obamaの就任式を教室で見るために。


東海岸で12時にObamaのスピーチが始まるということは、
西海岸、つまりサンフランシスコでは9時に始まるということ。
8時半に425号室に入ると、そこには既に教授をはじめ、
生徒で溢れていました。でも、みんな少し緊張の面持ち。


副大統領の宣誓、いくつかの余興のあと、いよいよObama。
教室は、緊張感のあるシーンという音に包まれる。


Obamaのスピーチが始まる。彼のメッセージを一言も逃すまい。
次代に語り継がれるであろう歴史的な一コマを眼の前にしているのだから。
みんな、そんな気持ちなのだろう。全身全霊で耳を傾けている。
途中、目頭を押さえる生徒が何人もいた。
P1210076










画面に映る大観衆、教室に集ったCIIS の関係者を眺める。
何だか、Obamaという現象に対して、すごく一つにまとまっているように見える。


でも、このバラバラな国で、それがかえって不自然にも思えたりして。
シニカル過ぎ、かな。


実際、この多民族国家アメリカを一つにまとめるものって何だろう。
僕は、彼のスピーチの最中、そんなことを考えていました。


建国の理念…、なのか。


でも、僕の未熟な経験だけから言えば、理性だけで
人はまとまらない。


もっと本能や感情に近いものが必要なんじゃないか。


すると、敵…か。


これは政治的にはわかりやすい。
歴史的にも、為政者は外部に敵を作り出すことで国民をまとめてきた。
Obamaにとってそれは何なのか。


アフガニスタンのテロ組織になるのか、ロシアか中国か、
それとも、環境問題なのか。


彼のスピーチに出てきた言葉、God Bless You。
何となく僕には違和感があったけど…。


改めて、アメリカ国民の彼に対する期待は高い。


でも、一人のリーダーの力ですべてを変えることができるほど、
いまの世界は単純でもないだろう。
リーダーが変われば、自分たちのスタイルは今のままで、
社会は良い方向に向かっていく、そんなことは無いだろうから。


アメリカ国民は、何かに耐える準備は出来ているのだろうか。

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Some photos in Kamakura, Tokyo, Kyoto

“Kamakura” is one of the most beautiful and historical cities in the suburbs of Tokyo.
Kamakura1


Kamakura2










“Shibuya” is the city of young people in Tokyo.Tokyo_shibuya1










Tokyo_shibuya2_2










Tokyo Metro
Tokyo_metro1










Tokyo_metro2










“Kyoto” is one of my favorite places all over the world.
Kyoto_sta










These photes are taken early in the morning in Kyoto.
Kyoto2










Kyoto3










Kyoto5










Kyoto7










Of course, we have much more beatiful scenerlies in Japan.
These pictures are parts of them.
If you think Japan is a monoculture country,
you may misunderstand the essence of Japan.
We have many Japanese style diversities in the country.
You will realize them when you visit Japan.
I would like to guide you at that time !

See ya!!!
P1110590 







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CIISの友だちに京都で会う

CIISに来たばかりの時、右も左も、上も下もわからない僕を本当に
親切にサポートしてくれた由香とマーカスに会いに、京都に
行ってきました。


当時、由香は立命館大学からの交換留学生としてCIISで学んでいて、
僕と1セメスター重なったのでした。


彼女は現在、博士課程への進学を目指して忙しい中、
美味しい手料理で歓待してくれて、2泊もさせてくれて、
おまけに学生だからと北野天満宮にも案内してくれて、
本当にありがとう!
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さて、初日の夜、夫のマーカスが、
「明日は、TJと一緒に愛宕山に行くんだよ!!!」と、
僕の知らないところでプランを練りこんでくれていたので、
翌朝、冷え込みが厳しく、空からチラリチラリと白いものが
舞っているような気がする中、気合いの入ったマーカスと
愛宕山を目指して、由香から借りた自転車のペダルを
踏みだしたのでした。


その、気合い満々のマーカスです。
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大発見だったのですが、京都市内は自転車で回ると本当に
楽しい!!!


「マーカス、楽しいねー!」
「本当だよ、楽しいよ!!!」


さて、自転車に乗って、有名なお寺の近くをいくつも横切るのですが、
マーカスは一向に立ち寄ろうとしません。力強くペダルをこぎ続けます。
でも、神社の近くに来ると、「あっ、この神社いいんだよ。ちょっと寄ろう!!!」
これまた気合い充分に立ち寄るのです。名前も聞いたことがないような
神社に、幾つも。


不思議に思って、尋ねてみました。


「へー、マーカスはお寺ではなくて、神社の方に興味があるんだね。
珍しいねー。興味があるの?」


マーカスの答。


「タダだから!!!」


…。


というわけで、小雪舞う中、気合いをこめてペダルを
踏む気合い十分なマーカスの後姿。
P1130102











「愛宕山の上は吹雪いているよ。今日はアイゼンが無いと無理だよ」
と地元の人がアドバイスをしてくれましたが、マーカスは、
笑顔で「大丈夫だよ!!!」


と言うわけで、雪の中、約4キロの山道を気合いを入れて歩くマーカス。
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ようやく到着した、誰もいない15時頃の愛宕神社。
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行きの登りもきつかったけど、帰りの下りもきつかった。
ふくらはぎがパンパンになりました。


トータルで8時間ぐらい眺め続けたマーカスの後姿から、
西洋人の「気合い」というものを学ばせて頂きました。
マーカス、ありがとう!


由香、次に会うのは、京都かな、サンフランシスコかな…。
いや、どこか世界の街角かもね!!!
再会を楽しみにしています。

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お世話になっている方に会う 3

T姉御は、もとの仕事がキュレーターだったので、美術館めぐりが好き。
といわけで、丸一日、お伴をさせて頂いたのでした。


「今日は、いつもよりちょっと少なめで、5つ回りましょう!」


というわけで、午前中に上野駅に集合して、
「東京国立博物館(福沢諭吉展)」
「上野の森美術館(没後40年 レオナール・フジタ展)」
「出光美術館(文字の力・書のチカラ)」
「サントリー美術館(japan蒔絵 宮殿を飾る東洋の煌めき)」
「Bunkamuraザ・ミュージアム(20世紀の始まり ピカソとクレーの生きた時代)」
この順で回ったのでした。


これらの間に、姉御行きつけの蕎麦屋へ行って、
お勧めの卵焼きと、まあ、一杯。


どれもが、素晴らしかった!


個人的に発見があったのが、国立博物館の福沢諭吉展。
自分の2009年の基本スタンスとなる言葉と出会えました。
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その言葉は…、


「独立自尊」。


塾生ならだれでも知っている言葉です。


僕は去年の大学院の生活を振り返り、この留学生活をより意味のあるものに
するためには、今年は、もっと自分のあり方に、アメリカの個人主義的な
要素を取り入れることが必要と考えていたのでした。


福沢諭吉は、若かりし頃、3回洋行し、サンフランシスコも
訪れています。


もしかして、アメリカで僕がいま感じているようなことを、
彼もまた感じたんじゃないかとイマジネーションが膨らみました。


ミーイズムにつながりそうな「個人主義」ではなくて、「独立自尊」。
福沢は、「洗練された個人主義」という意味をこめて、
「独立自尊」と表現したのではないか、そう思えたのです。


いずれにせよ、自分が探し求めている「言葉」が、未知の
ボキャブラリーの中にではなく、自分の既知のボキャブラリーの中に
あったことが驚きでした。


自分のアメリカでの経験が古い言葉と結びついて、
それが新しい命と意味を持って立ち現れてきた、そんな感じです。


というわけで、今年のテーマは、


「独立自尊」


です。P1160412
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お世話になっている方に会う 2

T姉御のご自宅にお邪魔しました。

一緒に出迎えてくれた母上さまは84歳です。
そうは全く見えない美貌と健康ぶりです。
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いろいろな人がお年賀の挨拶に訪れます。
今年は、いま、渋谷のBunkamuraで開催されている
「20世紀のはじまり ピカソとクレーの生きた時代」展の
キュレーターの方と、それらの美術品を貸し出したドイツの
デュッセルドルフ美術館の副館長の女性も見えました。


そして、お節料理とお酒で、楽しいひと時を過ごさせて頂くのです。


ドイツからのお客様が感嘆したお節料理。
ジャパニーズアート、ここに極めりです。
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僕はこの日本的な温かい時間に身をゆだねながら、
以前、このブログに書いた、アメリカで招かれたクリスマスパーティを
思いだしていたのでした。


そっか、日本にだって同様のスタイルのパーティがあったんだ。


親しい人たちが三々五々に集って、食事を頂いて、お酒を飲んで、
楽しく会話をする。ホストが全責任をもってゲストをもてなして、
ゲストは「御馳走様でした、楽しい時間を過ごさせていただきました」と
お礼を述べて帰っていく。


ホストが豊かな気持ちと、人との絆や繋がりを大切にする心を
持っていないと、こういう場を毎年持つだなんて、
なかなか出来ないことだと思う。


いつか、ぜひ自分もホスト側に回りたい。


19時に中座して、鎌倉から千葉に帰宅。
お礼のメールを出しました。


T姉御から、「今、洗い物の片付けが終わったところよ!」と
返信が来たのは、夜中の2時近くでした。
甘えっぱなしで済みません。
そして、最高に素敵な時間をありがとうございました!
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会社の仲間に会う

世の中で言われるのと違って、
社会人になってからだって、30歳を過ぎてからだって、
親友はいつでも出来るものなんだ、ということを教えてくれたのが
今の会社の仲間たちです。


そもそもコミュニケーションのプロ揃い。
ハートもいいやつらばかり。


神楽坂で、新宿で、信濃町で、九段下で、東京で…。
たくさん飲み語りました。


そうそう、早稲田対帝京の大学ラグビー決勝戦も観に行きました。


いまアメリカに帰ってきて感じるのが、
あっ、僕は、こいつらとの集まりに、すごく救われたんだな
ということです。


どう救われたのかというと、


自分を確認させてくれたというか、
立ち位置を思いださせてくれたというか…。


昨年のアメリカでの大学院生活は、
ブログでは伝えきれない何倍もの大変さがあったのですが、
その渦の中で自分を見失ってたなと。


「もしかして、俺、アメリカ人になろうとしてたのかも…」


なんて、振り返ってみて思いました。


でも、どこの国に行っても、自分は自分であって、結局は自分になるのだから、
そのままの自分を信じる、自分をよしとする、それでいい。
そんな気持ちにさせてくれた、とでも言うのでしょうか。


こちらに戻ってきて3日目。
出国前と少し違って見えるサンフランシスコとCIISの風景に、
それを実感しています。


仲間たちに、感謝!
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大学の仲間に会う

いつもブログにコメントを書いてくれるのが「たつお」。
インターカレッジの企画サークル仲間で、大学一年の時からの付き合いです。


彼は一昨年、めでたく結婚をしました。
美人で、フレンドリーで、竹を割ったような性格の奥さまです。


「TJ、結婚ってさ、想像していた以上に、本当に楽しいんだよ!」


と、たつおは顔をデレデレにして言うのです。
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当時からアイデアマンで愛情深いキャラの彼が、昨年の1月にした家族企画。
興味深かったので、当人の許可を得ず、ちょっとご紹介します。


たつおと彼のお父さんと、奥さんのまこちゃんと彼女のお父さんと、
4人でヨーロッパを旅行に行ったというのです。
(実はもっと多くを募ったのだけど、集まったのがこの2名だったと
ことらしいですが…)


たつお曰く、


「大変なことも多かったんだけどさ、僕たち二人でする旅行よりも
何倍も楽しかったんだよ!!!」


これまた顔をデレデレにして話すのです。


僕の親もそうですが、彼らの親も60歳の半ばをとうに超えているのですから、
何と言いますか、年齢から来るイイ味のボケをたくさんかましてくれたというのです。
奥さまのまこちゃんの方はそれなりに、楽し大変だったみたい。


「私、気を使って日本からお蕎麦を持って行ってあげたの。
荷物だったけど、親が途中で日本食が恋しくなるんじゃないかと思って。


だから、彼らのためにイタリアのホテルでソバを茹でてあげたの。
パスタの国でソバよ!


そしたらね、私の父ったら、感謝の言葉一つ言わずに、
『薬味は…、無いのか?生姜とか、ネギとか』って言うのよ。


頭に来ちゃって。『ないわっ!』って言ったら、その隣で、
たったん(→たつお家でのたつおの呼び名です)のお父さんが、


『わさびは…』


なんて言うの。
もっと無いに決まっているじゃない!だから、調子が狂っちゃって」


と、たつおと違ってキリリと、これまた楽しそうに話してくれるのです。


というわけで、急な話にも関わらず、駆け付けてくれた仲間たち。
近況を語り合って、それぞれ公私ともに人生に変化があったりして…。
一つ一つを受け入れて、逞しく、人生を前に進めているアラフォーたちでした。
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高校の仲間に会う

大晦日、元旦は実家で過ごしました。
超ド級の田舎で、家の周囲はこんな感じ。
P1010216 










とにかく何もなさ過ぎて、九十九里浜まで約6kmの道のりを
最大の娯楽と称して、歩いてしまう自分がいました。
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さて、何もないながら、1月2日は、いつも高校時代の仲間と市内の
ファミリーレストランで会うのが恒例。みんな家族を連れての参加。
一年ぶりの再会と近況を報告し合う。
ちなみに、僕は去年参加できなかったから二年ぶり。


高校を卒業してから毎年続いていて、年をおうことに
話題が変わってくるのが面白い。


20代は仕事や夢の話が多かった。
結婚してメンバーに子どもができてくると教育の話。
30代になるとゴルフとローンの話。
今回は初めて健康の話が出た。年かっ!?


あっ、写真撮り忘れた。

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日本に一時帰国をしました。

去年の12月27日にサンフランシスコを経ち、日本に一時帰国していました。


自分がはたしてどう変わったのか、日本で何を感じるか、
とても楽しみにしていました。


MUNIからBARTに乗り継いで、SFOへ。
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11時45分SFO発のNW27に乗りました。
機内で久しぶりに日経を見つけ、手にします。

さて、何を感じるか!


紙面の上をなぞる視線の運び方にちょっと違和感があって、
左脳の上の方がちょっとモゾモゾした感じがしましたが…、
すぐに慣れました。


成田まで11時間半フライト。
ひたすら映画を観る。
ラッセルクロウの「A Good Year」という映画が良かったな。


久しぶりの成田空港。ゲートを出る。
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おお、日本人ばっかりじゃないの!
当然のことながら、周囲で話されている言葉は日本語。
サンフランシスコでは、街で日本語を耳にすると、
それがマイノリティの言語として、何だか違う音色を持って
耳に飛び込んで切るような気がしたのですが、こちらでは、
マジョリティの言語として耳に飛び込んでくる。


でも…、すぐに慣れました。
一瞬で、聞こえてくる日本語に耳が立たなくなった私でした。


成田へは父が車で向かいに来てくれたのですが、
実家へ向かう道は、道路がアメリカと違ってまっすぐではなくて、
カーブのタイミングがすぐに来るんだなと感じましたが…、
家に着くころには、すぐに慣れました。


というわけで、あんまり、気の利いた発見がなく…。
すみませぬ。そのことが、自分で逆に不安になったりして。


久しぶりに日本のテレビをつけると、CMはアイドルがたくさん出ていて、
知的じゃないなとか。お笑いの日本語のスピードって結構速いんだなとか。
暗いニュースばっかりだな、とか。


でも、すぐに慣れちゃいました。


去年、必死で積み上げてきたアメリカが、簡単に僕の中から抜けていく…。


タハハ…。

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偉大なる島国(?)アメリカ

アメリカ人のパスポート保有率が20%以下ということを
言いたいのではなくて、今回も、旅先でアメリカ人と話をしていて
感じたこと。


「えっ、西海岸と東海岸?そりゃ、まるっきり違うよ。
南部と北部だって、まったく違うし。
本当にアメリカは大きくて、ダイバーシティに
溢れているよ」


こう胸を張るアメリカ人は多い。
確かに、その通りなのだと思うのだけど…。
そういう人に限って、どうも、何かがイマイチだ。


「この国は全てが違うんだよ!」で思考が停止して、
アメリカを客観的に捉えることを阻害しているというか…。


何かが自己中心的で、何かが視線を曇らせているというか…。
そう感じるのは気のせいだろうか。


でも、何に引っ掛かるのだろう…。


そっか…。
もしかしたら、すべてをアメリカ内部の、国内基準のみで比較しているからなのかな、
と思った。


アメリカという限定された地域(?)で比較すれば、
西部と東部、北部と南部で違いの方が目立つのは当たり前だ。


でも、日本人の僕から見ると、南部も北部も、東部も西部も
まあ、確かに違うのだろうけど、アメリカはアメリカじゃん。
それらの違いより、共通点の方が目立つ。


だって、日本のみの国内基準で、大阪と東京を比べたら、
やっぱりこうなるだろう。


「大阪と東京でっか?そりゃ違いまっせ。まったくあべこべですやん。
そりゃわかりやすいとこから言いまひょか?
うどんの汁の色がちがいますやん。
エスカレーターの立つ位置が違いますやん。
大阪は何と言っても人情の町。東京とは違いますわ」


でも、そこにアメリカを加えて、3つで比較すると…、どうだろう。
大阪と東京の共通点の方が目立つんやないだろうか。
まあ、当たり前の話や。


アメリカの国外基準の欠如。
できたら、ヨーロッパ基準ではなくて、
アジアとか、南米とか、アフリカとかの比較基準。
アメリカ人さんには、ちと、それが足りんのちゃいますやろか。


でも…、ここに書いた僕の考えだって、変わるかもしれない。
僕だって、日本人の思考の枠を逃れられてないだろうから。


アメリカをよく知れば知るほど、
「ここは、本当にそれぞれだ!多様だ。アメリカは一般論で語れない」
となるかもしれない。
(多少、そんな予感がないでもない)


アメリカは移民の国だ。これまでも、いま、おそらくこれからも。
だから、異文化は、日本のように外側からやってくるのではなく、
国の内側から生まれてくる。


だから、ダイバーシティは、対応を考えるものではなくて、
そこにある現実だ。


こういう感覚は、日本で生まれ育った僕には乏しい。


ここから先は余談だ。


それにしても、だ。


日本で考えてみると、僕だって、日本の西と東、南と北では、
ずいぶん文化が違うことは知っている。
日本だって多様性の国なのだ。


でもなぜ、僕は「日本では…」と一般化してものを言えるのだろう。
アメリカ人は、「アメリカでは…」と、一般化して言わないのに。


だから…、逆に、それが日本を観る僕の視点を、どこか曇らせている
ということかもしれない。なんだか、不思議だ。

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クリスマスパーティ

12月25日、クリスマスパーティに招かれてきました。
先日の12日にクリスマスパーティに招かれた時、
そのパーティを主宰していたStephanieの友人のWilliamsが、
どういうわけか僕を気に入ってくれて、予定がないなら25日も
お出でよ、と誘ってくれたのでした。


この写真だと、かなり厳つい感じなのですが、実際は、
オープンで、笑顔が魅力的なタフガイなのです。
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参加者は、人間が15名と、犬が2匹に猫1匹。
アメリカのクリスマスでは、当然といえば当然だったのでしょうが、
本当に親しい近親者たちのみが集まるパーティで、
僕は参加してみてそれに初めて気がついたのでした。
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クリスマス料理は、でっかいターキー、そして、ポテトのグラタンと
パンプキンのシチュー。お酒はシャンパンとワイン。
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始めて体験するアメリカのクリスマスは、とても温かいものでした。


Pc260025












さて、このパーティのメインは、プレゼント交換。
(僕は知らずに持って行ってなかったのですが…)
持ち寄った50ドル相当のプレゼントはクリスマスツリーの下に
置かれています。


誰がどのプレゼントを買ってきたのかわかりません。


各人が番号の振られた紙をひきます。
番号が一番の人からプレゼントを選ぶことができます。
そして、その場でプレゼントを開いて、皆に見せるのです。


さて、このプレゼント交換のユニークなところは、
番号が2番以降の人たちにあります。


2番の人は同様にプレゼントを選びます。そして、その場で開けます。
その時、自分のプレゼントを見て、自分より前の人のプレゼントの方が
良かったら、それを指名して、自分のものと交換できるのです。


「Keepする」のか「tradeする」のか、です。


そして、ぐるぐる回って、一巡して、最後、1番の番号札を
持った人が、自分の手元にあるプレゼントを「Keepする」のか、
「trade」するのか選ぶのです。


親しい者同士の中にも、憎めない打算が働いて、
みんな盛り上がっていました。
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Pc260060











そして、最後は、それとは別に皆が特定の個人に買ってきた
プレゼントを交換するのです。それも、ツリーの下にまとめて
置いてあって、名前が振られているので、どんどん当人の手元に
渡ってPc260118いきます。












主催者のWilliamsとRobertは、包装されたチョコレートやクッキー
などのプレゼントも併せてたくさん用意しているので、全員が、
5つか6つのプレゼントを持って帰ることになります。


僕にも、思いがけずプレゼントがありました。
StephanieとJimから、JazzのCDを2枚。
以前、車の中でラジオでその曲がかかっているのを聴いて、
「良い曲だね、誰が演奏しているの?」と尋ねたことのある
アーティストのものでした。


うーん、アメリカ人のアクノレッジメント…。


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傷つくことのできない大人たち

超・自戒を込めて書いています。


アメリカで、日本からの留学をしている年配の方々と話す機会があります。
そのチャレンジ精神には頭が下がるばかりです。


でも、もっともっと、自戒の念を込めて。
僭越ですが、そういう人たちと話していて、多少…、退屈に感じることが、多いのです。
うーん、僕はなぜかなと考えていました。僕の問題なのかなと。


で、最近、見えてきたこと。


あっ、そうか。僕がそう感じる時、そういう人は、今の体験から掴んだものを
話してないんだな、と思ったのです。


昔の経験や過去の書物から得た知識で話をしている。


で、これまた何でだろうと考えていたのですが、
再び、なんとなく見えてきたこと。


あっ、もしかして、傷つくことができないのかな、と…。
思いっきり、ズタズタに、深く傷つくことができない。


それはそうだ。
日本で努力と苦労を重ねて積み上げてきたものがあるのだから。


だから、“そういう場面”に出くわすと、安全な過去の体験や知識に逃げ込む。
その現場に、それ以上、踏み込むことをしない。
なぜなら、傷つくから。


そして、安全な、その場所からコメントが飛んでくる…。


それに比べて、先月、新しくルームメイトとして越してきた二人。
27歳のデザイナーを目指している哲学好きの太郎くんと、
高知県の高校を卒業後、すぐにこちらの大学に入学した
アメリカ3年生活になる純真無垢で、土佐訛りの抜けない
真那美ちゃんは二人とも似たタイプ。


不器用に、ぎこちなく現実にぶつかって生きている。
全部、自分の口に入れてみて確かめないと前に進めないタイプ。
「ガリッ、うわっ」「あっ、これは食べれる」
「何これ、ペッペッ」全部、そうやって確かめている。


だから、二人ともぼろぼろに傷ついている。
もちろん、今も。そして、元気に。


そういう経験から、自分の、人生をかけて確かめたものだけを
ストレートに話す二人だから、洗練されていない言葉だけど、
僕にはものすごく響く。学びがある。


僕自身は、どうだろう…。
アメリカで傷つくことを恐れていないだろうか。
過去からものを言っていないだろうか。
いまこの瞬間から自分の言葉を紡ぎだしているだろうか。


ちなみに、太郎くんは、この不景気のアメリカで、
Optical Practical Training終了後の、就職の最後のチャンスにかけて、
急遽、サンフランシスコの滞在予定を変更して、昨日、
ニューヨークに旅立ちました。


というわけで、一昨日、家で催した、ささやかな、
お別れの手作りコロッケパーティで。


ボロボロな(?)二人の写真です。
Photo






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サンフランシスコも冷えてます…。

このところ、サンフランシスコはとても寒くて、
毎日こんな感じの空です。


週末、Ferry Buildingから望んだBay Bridge。
Larkspur














みなさまも風邪など引かれませぬように…。


今日は短くこの辺で。
ではまた!


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Open Houseのクリスマスパーティ

昨日、クラスメートのステファニーの友人が毎年催す
クリスマスパーティに招かれました。


「彼らはね、毎年、クリスマスツリーにすごく凝るの!奇麗よ」


確かに!
高い天井を目指して、目一杯に飾られた手作りツリーは、
見る人を包み込むような温かさがありました。
Xmas_tree














さて、この17:30から23:00までのオープンハウスパーティ。
招待された人たちは、その時間帯の好きな時に来て、
好きな時に帰ります。


僕たちは夜19:30に到着。
2階に上がると、そこにはワインやシャンパン、
そして、軽食が用意されていました。


先にいらした皆さん、やあやあと、自然に僕たちを会話の中に
招いてくれます。


皆、手ぶらでやってきます。メインディッシュは人。
出会いと会話を楽しみ、
「ああ、とても素敵な時間を過ごしたわ!サンクス!」と帰っていく。


「費用とかどうしているんだろう…」と、すぐに考えてしまうのは
日本人の性か。


「こういうパーティを主催して、みんなに感謝されて、
楽しいひと時を過ごすことができて、それ以上、何があるんだい?」
そんな感じ。


パーティ後半の様子です。
Party_atmosphere










ステファニーと彼女のボーイフレンドのジムと、
ジムのお母さんのエレンと一緒に。
Stephanie_family









エレンは、とてもそう見えないけど、86歳です。
キャリアウーマンの魁として、ラジオ局のディレクター、
教育事業の起業など、著名人と仕事をしてきた華麗な経歴の
持ち主です。


今もものすごい量の本を読み、ジャズをこよなく愛し、
何でもビシバシ言うけど、柔軟な思考の持ち主で…。
会場でもいろいろな人との会話を元気に楽しんでいました。


さて、そろそろ…と、夜22:30過ぎに外に出ると、外の空気は
ものすごくヒンヤリ。
その日は、15年ぶりに、月が地球に最も近づく日なのだとか。
心なしか、夜空に浮かぶ月は大きく見えたような…。


月に見守られながら、まだまだ、これから夜更けまで
続きそうなパーティなのでした。
Party_goodnight















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留学の実際

いま3ヶ月間だけの短期契約で、ハウスシェアをしている男の子がいます。
上智大学を出てから、ロードアイランドデザイン大学を卒業して、
デザイナーになるために努力をしているのですが、この不景気もあって、
就職の壁が厚く、苦悶しています。


これまで話す機会もなくて、今日の午後、初めてキッチンで
立ち話をしました。


彼曰く、

「日本企業では、MBAやロースクール以外の『留学』は軽く見られて
しまうんですよ。留学生に対するイメージも、就職に際してはあまり
良くなくて…」


その理由は、

「何かで読んだんですけど、アメリカには、日本から年間3万人の
留学生が来るんですよ。でもその9割が1年以内に帰国するんです。
それはビザや留学制度の関係だったり、理由はいろいろなんですが…。
1年でも、留学は留学。世間的にはそうなるんです。
でも、1年で英語はできるようにならないし、その期間でアメリカのいったい
何が分かるんだろう、なんて思っちゃうんです。そういう人たちが留学生の
イメージを作っちゃっているんです。
こういう言い方したら失礼かもしれないですけど、僕はそういう人たちと
一緒にされたくなくて。でも現実は…」


なかなかユニークな子で、僕自身もちょっと刺激を受けた、
彼のコメントをいくつかご紹介します。


「僕は、留学するならしっかりと受験して、しっかりとした日本の大学を
出てからと決めていたんです。大学受験は1年浪人しました。
よく受験の弊害って言われているけど、僕は受験は大事だと思うんです。
なぜ、この試験はこういう問題を僕たちに課しているんだろう…。
僕はいつもそういう風に考えるようにしていたんです。
そして、僕が行きついた理解は、少なくとも、課された試験問題に対して
正解を導ける力や、正確に解釈できる理解力がないと、大学の授業には
ついていけないということなのだろうと。つまり、その学力が無い状態では、
大学の授業を受けても仕方がないってことだと思うんです」


「アメリカで、高校を卒業してから、日本の大学に行かずに
アメリカの大学に留学をしている日本人に何人も会いました。
面白いなって思える人、いなかったですね…。甘い感じなんです。
基礎的な学力がないのにアメリカに来ても何も身につかないんですよ。
中途半端な英語を話して、半分、アメリカ人になったつもりでいる。
そういう日本人を見ると、これでいいのかなって思います。
余計なお世話しれないんですけど…。だから、僕はそうならないように
チャレンジしているんですけどね」


「僕、高校時代偏差値が40台だったんです。だから、一生懸命勉強して、
上智にはぎりぎり入りました。僕の専攻は、哲学でした。
ラカンが好きだったんですけど…。でも、僕の周りはみんな滑り止めで
来た人たちばかりで、そういう人たち、テンション低かったですよ。
僕は、やっと入れたので感謝感激だったんですけどね。
でも彼ら頭いいんです。僕なんかよりもずっと。
僕は、入学してからも、まだ頭が十分ではなくて、授業について
いけなかったんです。だから、彼らがサークル活動している間、
僕は同じことしていちゃダメだと思って、研究室に通って教授と
対話したり、自分で研究会を立ち上げたり、いろいろしました。
そんな中で、僕は、初めて理解できたんです。大学って、こうやって
自分で学んでいく場なんだって。自分で何でも学んでいいんだって。
自分で自分のことを学ぶ場なんだって。」


「TJさん、哲学科に来る奴って、変なやつが多いんですよ。
僕のクラスメート、6割が鬱でしたから。
だから、日常の会話に、普通にこんなセリフが出てくるんです。
『最近、飲んでる?』って。お酒のことじゃないですよ。
抗鬱剤のことですよ。ちょっと異常でしたよ 笑。」


彼とは2時間ぐらい話しました。
こんなに日本語でじっくり話したのは久し振りだなあと。


彼は、就職のチャンスが少ないサンフランシスコは諦めて、
この18日に、もう一度ニューヨークに引っ越して、
最後のチャンスに掛けてみると言っていました。


そんな彼が、最後に僕に問うたこと。


「TJさん、ソクラテスの『無知の知』ってご存知ですよね。
その本当の意味、ご存知ですか?僕はこの意味を知ったとき、
哲学を専攻しようって決めたんです。
それは『不知の自覚』って意味なんですけど…」


さて、それはいったい何でしょう?

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今どきの若者と日本の企業教育

こういうテーマには、自分の「おっさん度」を感じます。
でも、いいのです 笑。


僕はいまハウスシェアをしています。
ルームメートは、全員が自分より一回り以上年下の日本人。
CIIS(大学院)やAAE(英語学校)のみならず、ここでもまたいろいろな
発見があります。


というのは、「世代」というDiversityがあるから。


彼らを見ていて、つくづく感じるのが、
日本の若者は、会社に入って初めて集団生活の
基本を学ぶようになるんだなということ。
多くの新入社員にとっては、大した仕事もさせてもらえず
つまらないかもしれない、入社1年目~3年目までのあの時代に。


ではそれまではどうなのか、というと…、


野放図!


の可能性が高い。


だって、今は義務教育でも集団生活の態度とかマナーとか
あまり教えないだろうし。もちろん家庭でも。


義務教育では学級崩壊、大学教育では私語による授業の崩壊が
叫ばれているいるけど、もしかしたら、企業教育は、日本の教育の
最後の砦かもしれない、なんて思う。
「日本の企業教育が廃れたら、日本も廃れる」ぐらいに。


おっと、話が逸れました。


というわけで、僕は、社会人経験のない今どきの若者たちと同じ屋根の下で
暮らしています(普段、接点はほとんどありませんが…)。
そして、彼ら、彼女らのほとんどが高校を卒業して、
アメリカに来て、初めて一人暮らしを始めるのです。


だから、僕のルームメイトたちとの日常生活は“Diversity”に溢れている。
その意味、ご理解いただけますか?アッハッハ。


で、ここは個人主義の国、アメリカなのです。
個人主義の風に、ちょいと吹かれている彼らに、
「それは、こういうもんだ!」って教え方は歓迎されないのです。


では、僕はその現実にどう対応すればいいのか。


「おいおい、TJはコーチなんだから、コミュニケーションスキルを
駆使すればいいじゃない」ってあなたは思うかもしれない。
例えば、リクエストのスキル。「こうしてほしい、こうしないでほしい」と、
アクノレッジの気持ちを込めて、短く簡潔に、同じ目線で、
相手に伝えるという、例のあれ。


ところが!


生活全般にわたってリクエストしまくるのは、こっちもあっちも大変なのです。
ビジネスならまだしも、生活は、お互いの「基準」のレンジが違いすぎるから。


というわけで、今日のところの結論。


やっぱり、「教育」なのだと思う。
ここで言う教育っていうのは、良くも悪くも、レンジを揃えるための、
「ダメなものはだめ、こういうものだっ」というトップダウン式の、
ゆとり教育では歓迎されなかった、狭い意味での、旧い(?)「教育」。


それは、きっと能力のある人には窮屈で、能力のない人には退屈な教育。
もしかしたら、企業でなされるこういう教育が、入社3年目までに
3割の若者が会社を辞める理由になっているのかもしれないけど…。


個人的に、そういう教育を受けるのは僕も苦手だから、彼らに同情もするけど、
それを通り抜けている人と、いない人の違いも大きいのだよ、と言いたい。


あっ、ちなみに、社会人以前にちゃんとこういう教育を
受けてきた人は、そして、その意欲があるのなら、
次なる高みを目指して、胸を張って世界に飛び出していけばいい。
日本人の気配り・心配りは世界のどこでも評価されるだろうし、
力のある子には日本の学校も会社も社会も窮屈だろうから。


えっ、ところで、なに?
いま、お前はルームメートに何もリクエストしていないのかって?


いや、ガッツリしてますよ。でも、日本にいる時よりも
かなり気を使いながら。


ではでは。

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クリスマス前の雰囲気

最近、英語学校で知り合ったトルコ人の友だちに、
「TJが日本で学んできたことは、お金儲けに関することばかりなんだね。
人生はお金儲け意外に大事なこともたくさんあるのに…」と指摘され、
「まあ、知っていたけど確かに」と、そんな自分をちょこっと恥ずかしく
感じている今日この頃です。


そういえば、世界中から生徒が集まってくる英語学校(AAE)で、
「大学時代に何を学んでいたの?」
「アメリカで何を学びたいの?」と聞いたり、聞かれたりして、
「ビジネス」「マーケティング」との回答が多いのは、
圧倒的に日本人と中国人とタイ人。
(思いっきり僕の周辺に限られた情報ということで
断言させていただきましたが…)


義務教育を終えて、18歳から23歳ぐらいの間。
人生のこの時期に、もっと考えるべき大事なものがあるのではないか…。
なんて、日本で、大学ではマーケティング、大学院では
マネジメントを専攻していた僕が、自戒を込めて。


さて、クリスマス間近のサンフランシスコ。
商業主義全開の日本と違って、本場(?)のイルミネーションは地味です。


サンフランシスコに住んで、改めて感じているのが、
日本では生活シーンのあらゆるところに商業主義が浸透しているんだなということ。
イルミネーションに限らず、看板、POP、チラシ…、
クリスマスに限らず、ハロウィン、バレンタイン…、
ファッションや色の流行だって、商業主義に導かれてる。
店内やモールにはいつも音楽と宣伝が流れて、
視覚的にはタレントがあちらこちらに商品を抱えて登場している。


ついでに、日本で感じる清潔さや便利さ正確さは、必ずしも文化の影響だけでなく、
やっぱり、商業主義の影響も多大にあるだろうと思うのです。


というわけで、本日のサンフランシスコ、
ダウンタウンの午後の雰囲気です。
Dt01










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Dt03










<おまけ>
用事があって出かけた
ジャパンセンターの今日の雰囲気。
Jt01









この閑散さが…、

素敵。

ではまた!


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良くも悪くも、一般化

サンクスギビングは、日本のお正月に似ている、と思いました。
SAFEWAYやWalgreensでさえも閉まり、通りは閑散と…。


油断をしていました。次回はもっと計画的に過ごそう。
これから、クリスマスにかけて、アメリカは何となく
ウキウキ気分が続くのだそうです。


さて、渡米して10か月を過ぎました。
印象も移ろっていきます。


例えば、サンフランシスコに来た当初、いたく感心したことの一つ。
それは、若者が、MUNI(市営バス・電車)でよく席を譲ることでした。


で、サンフランシスコで最近、見えてきたこと。
譲るように決められていない席では、必ずしもそうでもない。
あるいは、同じくMUNI。進行方向に二つ並んだ椅子の通路側に
座っている人は、自ら席を窓側に移動して、通路側の
椅子を空けて、他の人が座りやすくなるような配慮は、
まずしない。そのままドカンと座っている。


というわけで、僕のサンフランシスコでの印象は、
①「ルールで譲るように決められている席は、
当然のこととして良く譲る」。でも、
②「ルールで決められていないことについては
別に気を利かせたりしない」


日本の印象は、
①「ルールで譲るように決め