CIIS/Graduate School life

アフリカンアメリカンならではのカルチャー

先日、CIISの友だちが催してくれた送別会の席で、
MさんのパートナーのJonからこんな話を聞いた。


ある日、2人が歩いていると、Bart Stationの近くで、アフリカンアメリカンの
若者が近寄ってきて、Jonにこう尋ねた。


“Hey OG, can I holla at you for a minute?”


OG
とは、スラングで“Original Gangster”、
Hollaは、スラングで“Talk”のことなのだそうだ。


「おじき、ちょっと話しかけてもいいかな?」


Jonはこう応えた。


“Yeah. what's up, youngster?”


「もちろんさ、若いの。何だい?」


その若者曰く、家まで帰るお金が無いので、Bart(電車)に乗るお金を
恵んでくれないか、ということだった。


Jonは、その若者に、どこまで帰るんだ?いくら欲しいんだ?と聞いて、
自分のお財布から20ドル札を抜いて、その若者に渡した。


それは、電車賃には少し多い額だった。


当然、それを見ていたMさんは、Jonの行為が理解できなくて問い質した。


「ねえ、どうしてお金を渡したりしたの?」


「それが俺たちのカルチャーなのさ」


その時、JonはMさんにそう答えただけだった。


ちなみに、Jonもアフリカンアメリカンだ。


僕は、その話に興味を持って、Jonに尋ねた。


「良くそう言うことをするの?」


「いや、もちろん毎回じゃない。


彼は、俺をOGと呼んだ。それは、俺に対する敬意の表明だった。
また、そいつは通りすがりの誰にでも声をかけているわけでもなかった。


そいつの口ぶり、様子から、嘘を言っているんじゃないと俺は判断したんだ。


と言っても、俺のワイフは、俺の行為を理解できないようだったけどな。
その時は面倒だから説明しなかったんだ。


でもさ、TJ、考えても見ろよ。


もし俺が断ったとするだろう。
その若い奴が困って、その辺で、盗みや殺しでも働くかもしれないと想像してみろよ。
相手はもちろん、そいつの人生にとっても悲劇だろ。


20ドルで、そのリスクを摘むことが出来るんだ。
ちょっと多めに渡してやって、その辺で昼飯でも食えることが出来たら、
尚更、いいだろう?


そうやって、お互いを助け合うのが、俺たちアフリカンアメリカンのカルチャーなのさ」


それを隣で聞いていたMさんも、改めて感じるところがあったようだった。


「カリフォルニアじゃ、あまり感じることはできないのだけど…、


Jonの家族に会うために南部に行ったときに、確かに、アフリカアメリカンの
独自の連帯感を感じたわ。


あの連帯感があってこそ、奴隷時代の悲劇を乗り越えることが出来たのかなって思った。


TJも、いつか南部に行ってみるといいかもしれない。いろいろ感じると思うから」


確かに、アメリカは大きくて、多様な国だ。
「アメリカでは…」と、一般化して語るのが難しい。


サンフランシスコに住んでみて感じたことなのだけど、日本に住んでいるときに
よく聞いた“全米大ヒット”、“全米が感動の渦に包まれた”等という表現は、
この国では実際にはあり得ないように感じている。


とにかく、アメリカは広大で、人種も多様で、時差もあって、州によって法律も違って、
一人ひとりが個人主義を信奉する国なのだ。


同じ国民なんだから、「全米」あるいは「全国」という一般化が成り立つはずだと
考えるのは、日本という狭い国土を無意識の前提としているからこその
世界観なのかもしれない。


帰り道、別々の方向に向かう僕たちは、駅で反対側のプラットフォームで向き合った。


僕が無意識に置いている日本的な前提には、どんなものがあるだろう…。


互いに異なる文化背景を持ちながらアメリカで出会い、
一緒に生きていくことを決めた2人を眺めながら、僕はそんなことを思った。
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CIISの友人とのお別れ会

CIISで知り合った日本人留学生のMさんとNさんは、僕よりも1セメスター先輩に当たる。
昨年の6月に2人ともCIISを卒業して、2人とも、それまで付き合っていたアメリカ人の
ボーイフレンドと結婚をした。


彼女たちは、しばしばパーティを催してくれて、僕もそれに招かれたので、
みんなと仲良くなった。


Mさんが先週の土曜日にお別れ会を企画してくれた。
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今週の木曜日に、今度はNさんがお別れ会を企画してくれた。
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MさんもNさんも、夫となったアメリカ人たちも、その都度集まってくれた。


MさんのパートナーであるJonからは、こう憎まれ口を叩かれた。
彼はとてもスマートで社交的で弁の立つナイスガイだ。


「ヘイ、TJ、俺たちはお前の為にいったい何回集まれば良いんだ。アッハッハ。
俺たちは、お前のことが本当に好きなんだよ。気づいていたかい?」


感謝の気持ちでいっぱいだ。


今週末からは、Pacific Instituteの新旧インターンたちが企画してくれている
送別会が続く。


あと2週間でアメリカを発つことになるのが信じられない。


僕のサンフランシスコ・デイズも終わりが近づいている。
それは、3年間書き続けてきたこのブログとのお別れでもある。


まだ実感が無い。

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SupervisorとのTermination(関係の終了/お別れ)

僕には、2人のIndividual Supervisorがいる。


一人は、Pacific InstituteのSupervisorのLaniで、もう一人が、
CIISのSupervisorのGloriaだ。


僕は、この1年間、毎週、2人のSupervisorからSupervisionを受けていた。


昨日、Gloriaとの最後のセッションだった。
正確には、最後のセッションを持ったのは先週で、今週は、
Terminationのお祝いを兼ねて、Dinnerをごちそうになった。


基本的に、クライアントや生徒とセラピールームの外で接点を持つことは、
セラピスト、あるいはスーパーバイザーとしての職業倫理上、あまりないのだが、


CIISの卒業、Pacific Instituteの卒業、そして、セラピストとも、スーパーバイザーとも、
クライアントとも、レジデントとも、アメリカで知り合った友人たちとも、
そして、アメリカとも…、


Terminationばかりが続く僕を想いやってくれて、一つぐらい楽しくお別れをしましょうと、
企画してくれたのだ。


場所は、彼女のOfficeの近くにあるイタリアンレストランだった。


僕たちは、これまでのセッションを振り返りながら、いろいろなことを話した。


彼女もJewishで、彼女の祖父母は、東ヨーロッパからの移民であったことも、
その時、初めて知った。そして、彼女の夫はドイツ人で、彼の祖父母は、
ナチスの一員だったことも知った。


Gloriaには、娘が2人いる。僕に写真を見せてくれた。
アメリカの東海岸と西海岸を代表する大学を卒業している。
どちらもとても優秀な成績を修めて卒業をしたそうだ。


その時、Gloriaは、「娘たちはドイツ人とユダヤ人の間に生まれて、少し複雑な
少女時代を送ったの…」と言って笑った。


とても爽やかな時間だった。


食事を終え、レストランを出て、僕たちはFillmore Streetを少し歩いた。


一つ目の交差点で、彼女は僕に言った。


「いつかあなたもSupervisorになった時、生徒とのTerminationを何度も
経験するかもしれない。その時は、今日のことを思い出してね。
自分がしてもらったことは、どんどん新しい世代に繋いで行くの」


僕は頷いて、Gloriaにもう一度お礼を述べた。


僕たちは握手をして…、


そして、


別々の方向に歩きだした。

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認知症を持つクライアントへのセラピー

“remembering self(記憶の中の自分)”と
“experiencing self(この瞬間を体験している自分)”。


このFall Semesterに履修したHakomi Refined Methodのクラスで、
Hakomiの創始者であるRon Kurtzが紹介した2つのSelfの考え方だ。



2002年にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマン氏が、
このアイデアを提唱している。とても興味深い。


日本語のサブタイトルも選べるのでどうぞ。


remembering selfとは、記憶の中にいる自分だ。
クライアントが過去の出来事を話しているとき、そのクライアントは、
remembering selfの話をしている。


一方、 クライアントが今この瞬間に感じていることを話しているとき、
そのクライアントは、experiencing selfの話をしている。


experiencing selfとは、いまこの瞬間を体験している自分だ。
過ぎていく瞬間をひたすら体験していく。そして、それらの体験は
experiencing selfのリソースとなっていく。


ダニエル・カーネマン氏は、幸せについて考えるとき、
これらの2つのselfを区別して考えるべきだと述べている。


「過去を振り返った時に自分の人生に満足している」ということと、
「今この瞬間を幸せに生きている」ということは、まったく別のことだと。


そして、彼はこうも言っている。


“Remembering self is a storyteller”


私たちの記憶は、事実ではなく、創作された物語を私たちに伝えている。
そして、その記憶は、しばしば私たちが今の瞬間を生きることを阻害する
要因にもなっている。


experiencing selfとremembering selfとのスムーズな関係は、なかなか難しい…。


さて、


experiencing selfとremembering selfについて長々と書いたことには理由がある。


僕がCIISで学んでいるCounseling Psychologyには、いろいろがな学派がある。
いずれも“self”という欧米的な概念を軸に展開しているのだが…、


そこには大きく、


experiencing selfにフォーカスし、今この瞬間に起こっていることから
心の真実に迫ろうとする学派と、


remenbering selfにフォーカスし、過去の物語を辿り、意味を組み替えたり、
原体験を探ることで、心の回復を図ろうとする学派があるように思う。


例えば、前者がHakomiやGestalt therapyで、後者がPsychoanalysisや
Psychodyanmicsだ。


実際には、両学派とも、2つのselfを行ったり来たりするのだけれども、
置いている軸足が違う。


ここで僕に芽生えた問題意識とは、純粋にexperiencing Selfのみに働きかける
アプローチは可能だろうか、ということだ。


というのも、僕がPacific Instituteで担当しているクライアントは認知症を患っており、
それはつまり、remenbering selfが壊れつつある状態だから。
彼らが過去の記憶を辿ることは難しい。


しかし、彼らのexperiencing selfは総じて健在だ。


果たして、experiencing selfのみにフォーカスするアプローチとは可能なのだろうか…。


僕は、先週提出したHakomi Rifined Methodのファイナルペーパーで、
この問題意識を、Hakomiの創始者、Ron Kurtzにぶつけた。


僕は、そのペーパーの前段でこんなことを書いた。
認知症を抱えているクライアントとのセッションでは、以下のような特有のことが起こる。


1. クライアントはしばしば1分前に話した会話を覚えていない。
同じ質問を何度も何度も繰り返す。

2. 過去の記憶を遡ることが難しい。
クライアントの話が、過去の実体験からきているのか、
それとも妄想からきているのか、判断が難しい。

3. セラピストを自分の人生における過去の誰かとみなして、
激しい転移や投影を起こすことがある。

4. 防衛機制が機能しないので、セラピストに対し情動や欲求をストレートに
表現することがある。

5. 自分が思い込んでいる話の文脈を離れることが難しい。
会話の方向性の軌道修正ができない。

6. セラピストの顔や名前は覚えていないが、エネルギーレベルでは認識している。
相手が自分を好きか嫌いか、あるいは、相手のエネルギーの変化にとても敏感である。

7. 自分の気持ちや考えをメタファーで表現すること多いので、
セラピストはそれを読み解く必要がある。 

8. Boundaryの概念が薄く、スキンシップを好む。

9. 何かを一緒にすることよりも、ただ一緒にいることの方が大事だったりする。
その際の、彼らの小さな動きや変化に実は大きな意味があったりする。

10. セッションで、クライアントは完全にいまこの瞬間のみの時間を生きているか、
完全に違う時間を生きているか、そのどちらかである 。

11. 言葉を使った自己表現が困難なことが多いので、
アートを使ったセラピーが適していることが多い。

12. 体調、機嫌、調子が毎日、あるいは時間ごとに異なるので、
通常のセッションのように日時を決めて定期的に会うことが難しい。
セラピスト側に柔軟性が求められる。


ちなみに、後期高齢者へのセラピーには3つの目的があると言われている。
1.Preparation for death(死への準備)
2. Finish unfinished business(未完了の完了)
3. Life review(人生の振り返り)



個人的には、1の大目的の元に、2と3の目的があると捉えている。
認知症を抱えているクライアントに、3を行うことは難しい。
よって、その目的としては、2がクローズアップされる。


僕は、簡単なケーススタディと、僕が採るアプローチをペーパーに書いた。


よくあることなのだけど、いつも温和で笑顔の優しいHAさんが、
セッションに訪れた僕を、既に亡くなっているご主人か、兄と勘違いをして、
激しく怒りをぶつけることがある。


彼女は鬼のような形相になって、僕を怒鳴りつける。


「あんた、なぜそこにいるの?!偉そうにして!何でも自分が上だと
思っているんでしょう!私を見くびって!何こっちを見ているの!
その目つきはなに?何が言いたいの?いつまでそこにいるの?
あっちに行けと言っているでしょう!!!」


ここで、僕にはいくつかの選択肢がある。


その場を1時間ほど離れて、HAさんがクールダウンした頃に再び戻って
セッションを始めることもできる。でもその頃には、彼女はすべてを忘れている。


仮に僕が一時間前のことを尋ねても、


「あら、私があなたにそんなことを言うわけがないでしょう」


そう微笑まれたりする。


書くまでもないことかもしれないけど、このようなケースで、
「僕はTJです。あなたのセラピストで、あなたの夫でも兄でもありません」 と
理性的に説明をすることは役に立たない。


それにもかかわらず、2を目的とした場合、僕はその場に踏みとどまり、
彼女の世界に入り込み、僕は、彼女が思いこんでいる過去の誰かになり切る
必要がある。


そして、彼女の怒りの理由を尋ね、彼女に謝るのだ。


「HAさん、ごめんなさい。そんな失礼なことをして…」


それによって、彼女が抱えている何かが完了する時もあるし、
もちろん、しないときもある。定かなことはわからない。


ペーパーには、こんなことも書いた。


別のクライアントのEMさんのことなのだけれども、認知症と鬱を患っていて、
セッション中もずっと目をつぶって沈黙をしていることが多い。


しかし、そんな沈黙の中でも、彼女は僕の手を強く握りしめている。
そして、その手が揺れたり、彼女の指がタイプを叩くように動いたり、
僕の手にキスをしたり、大きなため息があったり、首が横に振られたり…、
いくつかの動きがある。


通常のHakomi Therapyでするように、その動きから、
クライアントの深層に迫っていくことは可能なのかどうか、と尋ねた。


驚いたのは、ペーパーを提出した翌日にRon Kurtzから返答が来たことだ。


認知症を抱えるクライアントのexperiencing selfにアプローチする方法として
とても参考になった。 要点は以下の通り。


1.静かに、温かく、親切な在り方を心がけること。

2.Contact Statementを活用すること。 Contact Statementとは、
クライアントが今この瞬間にしている無意識の動きを、 柔らかく自然な声で
指摘すること。そして、指摘した後は、静かに間を取り、 何が起こるか
よく観察すること。

3. 相手を癒すようなスキンシップを心がけること。
肩や背中に静かに手を置いてみること。
できたら、その時は沈黙していること。

4.クライアントが、その瞬間に体験している感情を出来るだけ短い言葉で
シンプルに伝えること。余分な言葉によって相手の感情のプロセスを阻害しないように。


Dear Mr. Suzuki,

I was moved by the unhappy situation faced by those poor elders with dementia.

I can imagine how difficult it must be for you and your fellow therapists
to work with such compromised people.

I like your idea of relating to the experiencing self as a way to help them.

So, here are some ideas I have about that.

The first thing, and I'm sure you know this, is to remain calm and kind.
Even if the person you are dealing with isn't seeing you at all,
they may respond to your emotional-attentional state. It can't hurt.

Second, the main way to related to the experiencing self is simply
to make contact statements.I did not teach about them in the workshop.
A contact statement is a statement that names the other person's present experience.
It is delivered in a soft, neutral voice. After giving one, it is best to wait attentively
and silently for the other to respond or react.

You are letting the other's experiencing self know that you are aware of
what it is experiencing at the moment.

It may be that by your doing that, the other's experience changes a bit.
That change is the "reply". You must continue to notice such changes and
you can contact them. So, in effect, you are having a "conversation" with the experiencing self. That may have a beneficial effect.

I don't know. I've never worked with a person with dementia.

I also think a comforting touch can be helpful. A hand on the back or shoulder or touching the person's hand or holding it. Do so in silence, is what I'd recommend.
Comforting touch is as old as the first mammal.

Lastly, about naming the other's present experience.
Make you statement as brief as possible. Name the experience in the simplest way possible.

For example: if the person is sad or teary-eyed, just say, "sad, huh."
It is best to not be intrusive, to not distract the person but help them notice
their own present experience and, again, to let them know that you are aware of
what they are experiencing and, through your tone of voice, show empathy.

I also like your idea of responding, when appropriate, as the brother or whomever.
Your example was, to my mind, a good one. If she thinks you are her brother,
be a good brother. Saying you're sorry seems to me to be helpful.
There's no point in trying to convince her that you're not her brother,
I don't imagine. So, why not offer something that might help her.
I have done similar things in therapy sessions with people who weren't burdened
by dementia and it helped.

That's all I can think of at the moment.
If you try these things, I would very much appreciate your letting me know
how they worked.

Best of luck,
Ron Kurtz

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CIIS最後のクラス

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今週の木曜日、僕がこのFall Semesterに履修していた
Integrative Seminarが終了した。少人数のゼミナール形式のクラスだ。


同時にそれは、僕がCIISで履修する最後のクラスでもあった。


まだ提出するPaperが残っているものの、卒業に必要なすべてのクラスを
履修し終えたことになる。


最後のクラス…。


僕の生活の中心は、CIISからプラクティカム先のPacific Instituteに移っていたし、
別に何の感慨もないだろうと思っていたのだけど…、


クラスの最初にいつも行うチェックインの時間に話をしたら、
不覚にも涙が出てきた。


いや、正確には、出てきそうになった。
危うくこらえたのだけど。


この3年間、自分を掘り下げるプロセスだらけのCIISのクラスを履修し続けたにも
関わらず、結局、僕はクラスで泣くことはなかったと、実は残念に思っていたので、
ギリギリに少しだけ達成できたことを恥ずかしく、同時に嬉しく思った。


クラスでは、一人ひとりが思い出の品を一つずつ持ち寄りシェアをし、
卒業に関してこれまで支援してくれた人への感謝の意を述べた。


そして、クラスメート一人ひとりに配られたカードにメッセージを書いて、
交換した。


残りの時間は、ポトラックパーティだった。
教室で、料理とワインと会話を楽しんだ。


クラスメートの中に、2年前にグループダイナミクスのクラスで一緒だった女性がいる。
とても優秀な女性で、きっと素晴らしいセラピストになるだろうと僕は確信している。


その彼女が僕に言った。


「この3年間でね、実は私が一番影響を受けたのは、TJ、あなたよ。
あなたから受けた影響のことなら、私はたくさん話せるわ。


特に、心に残っているのはね、あなたからもらったフィードバック。


あなたは私にこう言ったの。


“Anne、あなたを例えると、Round Smooth Rockだ。表面がすべすべしていて、
とてもきれいな岩なのだけど、誰も登ることが出来ない”


すると、隣に座っていた気の強いお調子者のMarieが、
TJに尋ねたわよね。


“あら、面白い!じゃあ、私は何?”


あなたはこう応えたわ。


“Marieは、ゴツゴツしたでこぼこの岩だよ。見た目は悪いんだけど、
誰でも登ることができる”


皆が、その通りだと大笑いしたわよね。


でね、私は、あれ以来、“Round Smooth Rock”の意味を
ずっと考え続けているの。


良くも悪くも、自分自身の本質をこのぐらい見事に表現してくれている
メタファーはないと思ったから…。


このセメスターに履修している別のクラスで、私はそのことについて、
ファイナルペーパーを書いたのよ」


過去、2つのクラスで一緒になったことのあるJonathanからはこう言われた。


「TJ、君の話す言葉は力があるんだ。気づいていたかい?
英語はTJにとって第二外国語なのに不思議だよね。


口から出る言葉が…、自ずと詩になっているんだ。
だから、魅せられるし、とても考えさせられるんだ」


僕の英語がイマイチだから詩みたいに聞えるんじゃないか、
と勘ぐってみたけれど、最後のクラスと言うおめでたい場でもあるし、
嬉しくそのまま受け取った。


3年前を思い出した。


僕はクラスで何が議論されているのかまったくわからなかった。
2人組、3人組のロールプレイがたくさんあるクラスで、英語の聞き取れない自分を、
話せない自分を情けなく思うとともに、クラスメートに対していつも申し訳なく思っていた。


あれから、3年間…。


僕はここアメリカで、影響を受けるだけでなく、影響を与えていた。
気づかないうちに、たくさんのクラスメートに影響を与えていた。


僕は、CIISが与えてくれた時間と経験に感謝し、
それを通り抜けてきた自分を誇りに思った。
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創始者から学ぶということ

Ron KurtzはHakomi Methodsの創始者だ。


創始者からトレーニングを受けると言うのは、とても貴重な機会なのだと実感した。


それは当然のことなのかもしれないけど、RonはHakomiの創始者だから、
デモセッションや質疑応答による参加者との関わりの中で、彼の言動だけでなく、
あり方も含めたそのすべてが、Hakomi Methodになっている。


無理なく、自然な形で彼のパーソナリティの中で統合されている。


これは、見ている人にインパクトを与える。
すべてがパワフルな学びの機会になる。


そのことに感謝をした。


しかし、


それと同時に感じた別の側面もある。


僕たちは、Hakomiの考え方やメソッド、スキルを学ぶために今回のワークショップに
参加しているのだが…、


Hakomiのメソッドやスキルは、Ronの個性から生み出されているものだ。
Hakomiの理論も、Ronの個性によって構築されたものだ。


だから、Hakomiの理論、そして、メソッドやスキルは、Ronの個性とマッチした時に
最もパワフルにシナジーを発揮する。


少なくとも、僕はそう感じた。


人の個性は、一人ひとり違う。
だから、どんなワークショップに参加しても、どんなメソッドやスキルを学んでも、
必ず一人ひとりが編み出していかねばならない領域が僕たちを後ろで待ち構えている。


そこから、ある一つの問いが常に僕たちに投げかけられている。


“あなたがクライアントに使おうとしているその理論やメソッドは、
あなたの生き方とどのように関係しているのか”



たくさんの行われたRonによるデモセッションで、
クライアントにもっとも良く機能していたのは、Hakomiの理論でもメソッドでも
スキルでもなかったように思う。


それは、Ron Kurtzのプレゼンスだった。


皮肉のように聞こえるかもしれないけど、
今回の“The Refined Hakomi Method Workshop”と名付けられたワークショップで
僕にとって本当に学ぶべき価値のあったのは、その考え方やメソッドではなく、
彼のプレゼンスだった。


Ronは、Hakomiが大切にするプレゼンスを、“Loving Presence”と呼んだ。


その“Loving Presence”を醸し出すためには、大きく2つの要素を習慣的に
意識する必要があるとのことだった。


一つは、セラピストとしてクライアントと向き合った時に、目の前のクライアントの中に、
自分が愛することのできる要素を発見しようとすること。相手の話を聞くことよりも、
まず何よりも先にそれを意識すべきとのことだった。


二つ目は、常に、今この瞬間にいること。
今この瞬間にいるとは、今この場に起こっていることと一緒にいること。
それは、クライアントに起こっていること、セラピストである自分の内面に起こっていること、
クライアントと自分との間に起こっていること、すべが含まれる。


この2つが、Loving Presenseの根底になるだろうと言うことだった。


Ronは、まさに二つの中を現在進行形で生きていた。


この3日間、僕は会場の最前列、ほぼ彼の正面に座っていたのだけど、
それを彼の体の隅々から感じた。


そして、


改めて、Hakomiの考え方やメソッドを学ぶとは、実は、Ron Kurtzを学んでいること
なのだと思った。僕たちが学んでいるのは、Hakomi Methodと称したRon Kurtzなのだ。


だから、語弊があるかもしれないけど、ライセンスを取って認定ハコミセラピストを
名乗って彼に続いても、決して、Ron Kurtz以上に優れたハコミセラピストは
現れないだろう。


だって、Hakomi MethodイコールRon Kurtzなのだ。
どちらがRonかという比べっこをして、Ronに勝る人はいないだろう。


もちろん、勝らなくてもいいのかもしれない。


でも、僕たちはHakomiに限らず、どこかで、○○認定セラピストという枠を
超えていく必要がある。


それを平たく言えば、


自分のスタイルを確立する、あるいは生き方を理論やメソッドと融合させる、
あるいは、自分のやり方の創始者になる覚悟を持つ、ということ言うことだ。


世にあるすべての理論やメソッドは、自分自身の生き方との関係を抜きにして
クライアントに使っても、本来の威力を発揮しないのだから。


創始者から学ぶと言うことは、いろいろ考えさせられる。
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The Refined Hakomi Method Workshop 3

3日間の濃縮したワークショップだった。


Hakomiが目指しているものは、
僕の理解した範囲で言うと、クライアントが自らの過去を違う文脈の中で
再体験することによって、人生に新たな選択肢をつくること。


そのユニークなところは、クライアントのコミュニケーションの中に
何度も繰り返し現れる“非言語のメッセージ”に注目することだ。
それは“Indicator”と呼ばれる。


セラピストは、クライアントが無意識にしているいくつかの“Indicator”の中から
適切なものを見抜き、それをクライアントの意識に上らせる。
そして、それを意識的に促進させたり、制限させることによって
クライアントの中に想起されてくる感情を共に探る。


その感情は、過去の記憶に紐づいている。


その記憶を、クライアントはセラピストと一緒に探究する。
クライアントは、その過去の記憶をセラピストが生みだす“創造的な方法”によって、
セラピーセッションという文脈の中で新しく体験をする。


“創造的な方法”とは、定型があるわけではない。
その時のテーマ、クライアントが置かれている状態、クライアントの個性、
あるいは、セラピストとの関係性によって、その都度、セラピストによって
編み出されていく必要がある。だから、創造的なのだ。


それらの再体験のプロセスで、クライアントは未完了の大きな感情に
直面するかもしれない。防衛メカニズムが働くかもしれない。


それを乗り越えるための、あるいは乗り越えた後の、溢れる感情を癒すために、
Hakomiでは、通常のセラピーではあまり使われない手法が用いられる。


非言語の、時には言語を伴う“スキンシップ”だ。


この3日間を通して、Hakomiとは、つくづく体験のセラピーなのだと思った。


Ronは、ワークショップの中で、2002年にノーベル賞を受賞した行動経済学の
Daniel Kahneman氏が提唱している“2つのSelf”という概念について触れた。


Remembering Self(思い出している自己)と、
Experiencing Self(体験している自己)”だ。


クライアントが話をしている時、クライアントは果たして、
どちらの自己の話をしているのだろうか。


クライアントは、記憶の中の過去の物語を話しているのだろうか。
それとも、今この瞬間に現在進行形で体験している時間のことを話しているのだろうか。


セラピストは、それを区別して聞く必要がある。
あるいは、その両方を同時に聞いている必要がある。


というのも、


人は、往々にして記憶からの過去の物語、あるいは創作された物語を話しがちだけど、
体では、いまある自分の状態のことを、いま体験している時間のことをリアルに正直に
伝えていたりするものだから。


Ronは言った。


「クライアントの話す過去の物語に関心を奪われてはいけない。
もっと、クライアントが今この瞬間にしていることに目を向けなさい」

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The Refined Hakomi Method Workshop 2

“旧来のHakomiと新しいHakomiとの違いは、一言で言うとSimplify(簡易化)したことだ”


Ronはそう言った。


セッションで繰り返し現れるクライアントの無意識的な行動(Indicator)を的確に掴み、
そこから、クリエイティブに働きかけてクライアントの深層に迫る。


Ronは続けた。


その人の人生は、今この瞬間に、その人が無意識に繰り返し使う
言葉や表情、しぐさ、動きに端的に現れる。


なぜなら、人生とは“習慣的に現れるもの”の積み重ねだから。
“習慣”とは、人生なのだ。


午前中、僕たちは4人組のワークを行った。


一人がクライアント役。残りの3人はオブザーブ役になる。
クライアントはリラックスした姿勢を取り、目を閉じる。


オブザーブしている3人は、目を閉じているクライアントの表情から何が伝わってくるか、
その人ついて何が読み取れるかを観察する。


5分間ぐらい。


そして、感じたことをクライアント役に伝える。


呼吸、顎、眉間、顔の傾き、姿勢、口元、顎の線、顔に浮かぶ皺、皮膚の張り、
髪の質や髪型、服の着こなし…。あるいは、在り方、雰囲気、エネルギー、
そして、5分間のそれらの移り変わり。


観察すべきことは山ほどある。
個人的に、まずはそのことに驚いた。


そして、この場で初めて会った人たちにも関わらず、オブザーブ役のフィードバックが
互いに的を射ていたことに、僕たちは改めて驚いた。


Here and Nowに人生のすべてが現れている。セラピストはそれを汲み取ればよい。
そのためにはクライアントとその場に“一緒にいる”ことが何よりも大切になる。


なのに、


セラピストが、頭の中にセッションのAgendaを持ち、何かとクライアントに
働きかけようとすることは、クライアントを重要なサインを見逃すことになる。


午後、3人組のワークを行った。
役割はセラピスト、クライアント、オブザーバーだ。


セラピストは、クライアントに一言だけ褒め言葉を静かに投げかける。
例えば、“You are a good person...”


クライアントが求めれば、何度でも投げかける。
そして、その後、クライアントは内面に想起されたことを話す。


セラピストとオブザーバーは、やり取りの間のクライントの反応を見る。


セラピスト役は、クライアントからIndicator(繰り返し現れる言葉やしぐさ)を見つけだし、
そして、クリエイティブな方法でクライアントの意識の深層に迫る。


僕がセラピスト役になった時、クライアントが、自分の優しい感情を表現するときに
胸に手をやることに気がついた。オブザーブ役の人に、クライアントの
胸の位置に手を当ててみるようにと依頼をした。


クライアントは、その手の上に自分の手を重ねながら、何度も深い深呼吸をした。


「温かい。私がずっと求めていたのは、この温かさのような気がする…」


何分その状態を続けたのだろう。
クライアントの閉じている目に、うっすらと涙が浮かんでいるのがわかった。


パワフルだ。


Ronは、ワークショップの中で、たくさんのQuate(引用)を使う。


その一つに、Gandhiからものがあった。


"Keep your thoughts positive because your thoughts become your words.
Keep your words positive because your words become your behavior.
Keep your behavior positive because your behavior becomes your habits.
Keep your habits positive because your habits become your values.
Keep your values positive because your values become your destiny."


“考え(thoughts)”-“言葉(words)”-“態度・振る舞い(behavior)”-
“習慣(habits)”-“価値観(values)”-“運命(destiny)”。


改めて、


The Refined Hakomi Methodとは、


セッションにおけるHere and Nowに繰り返し現れるクライアントの習慣的な
“口癖(言葉)”と“仕草(態度・振る舞い)”から、クライアントの“ビリーフ
(価値観、あるいは考え)”に迫り、結果として、クライアントの“生き方(運命)”に
変化を与えようとするものなのだろう。


ただし、Ronはこんなことも言った。


“セラピストは、クライアントを変えることはできない。
できるのは、クライアントが変わるための機会を与えることだけだ。”


セラピーセッションの中で、人生に“違い”をつくったクライアントは、
セラピールームの外で、つまり現実世界の中で、自分でプラクティスを
していかねばならない。


それは、刺激に対して、従来のように反射的なReaction(反応)をするではなく、
理性的なResponse(対応)をするためのトレーニングを自分に課すと言うことだ。


結局、自分の運命に違いを創るのは、自分でしかない。

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The Refined Hakomi Method Workshop

今週末、ウィークエンドのクラスを履修している。
金曜日の夜2時間と、それに続く土曜日と日曜日は終日のクラスになる。


Hokomi Method(ハコミセラピー)の創始者、Ron Kurtzが3日間、
教えに来るというめったにない機会だと聞いていたので、
とても楽しみにしていた。


Ronは、どっしりとしていて、愛情に溢れていて、皮肉とユーモアを交え、
絶妙な間を取りながら話をする人だった。


ちなみに、Hakomi Methodとは、Gestalt Therapyと通じるところがあり、
Body-Centered Psychotherapyの一翼を担っている。


Here and Nowの体験を重視し、クライアントの体、仕草、表情などの動きや
変化を糸口に、心の奥深くにあるものを探っていく。


金曜日の今日は、2時間のみのセッションだ。


どっしりと教室の前に座ったRonは、彼が創始したHokomiをさらに一歩進めた
Refined Methodとして、最近、自身が行ったワークショップでのワンシーンを
ビデオを使って僕たちに見せた。


そこにすべてがわかりやすく反映されていると。


それは、デモセッションだった。


クライアントの女性が、Ronと向き合う。
Ronは向き合った彼女が、自分の髪を神経質にいじることに注目をする。
そして、それを優しく指摘した。


Ronはビデオの中で、傍にいたスタッフに彼女が髪をいじる動きが出来ないように、
隣に座って、彼女の腕を軽く押さえるようにと言った。


髪をいじることが出来なくなった彼女は、そのことによって内面にある感情が想起される。
その感情を味わうことで、彼女の中にある記憶が思い起こされる。


その記憶を、Ronと一緒にセラピーの場で実践してみる。


記憶の再体験だ。


その再体験のプロセスを、セラピストであるRonによって120%受容されることで、
クライアントは過去にしたものとは異なる体験を新たにすることになる。


彼女の人生に“違い”が生まれた瞬間だ。


体に現れる何気ない動き、しぐさ。
それは無意識からの自分に対するフィードバックデータだ。


セラピーの場合に提示されるデータとは、数字とは限らない。
それは、ある出来事に対して浮かび上がってきた感情であったり、昨日見た夢であったり、
その場で描かれた絵であったり、いまここで感じている体の感覚だったりする。


Ron Kurtsの提唱するHakomi Methodでは、そのデータとは、その場で繰り返される
体の動き、表情、仕草、フレーズ、声のトーンということなのだろう。


彼は提示されたデータをクライアントと一緒にクリエイティブに探究する。


彼はクライアントの深層を辿っていくための糸口になるそれらの“体の動き”を、
“Indicator”と呼んだ。


Refined Hakomi Methodでは、セッションの中で適切なIndicatorをどう見つけるか。
それが重要なポイントになる。


次に重要になるのは、その“Indicator”をセッションの中でどうクリエイティブに
扱うかということだ。“Indicator”を促進させたり、抑制させたり…、
柔軟に試行錯誤していくことが求められる。


最後は、クライアントが自発的に意識の深層を辿るプロセスに、自然な態度で
寄り添っていくということだ。その時、沈黙が大事な役割を果たす。


明日以降、それらを実践の中で修得していくことになる。


楽しみだ。

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3週間に1回のGathering(集まり)

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Jonは、30歳のユダヤ系アメリカ人だ。


カナダ国籍も持っていて、本人曰く、これまでの人生をNomad(遊牧の民)のように
海外を転々としながら生活をしてきたそうだ。アイルランドや、ノルウェーにも
長く住んでいたことがあると聞いた。


少しイエス・キリストに似ている。
そう指摘したら、色々なところで良く言われるんだと笑った。


頼んだらポーズをとってくれた。


…。


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彼は現在、CIISでSomatic Psychologyを学んでいる。
僕とは学部が違うのだけど、2年前、ひょんなことから知り合って話をするようになった。
CIISでは、長い付き合いになる友だちの一人だ。


誰にでもオープンで気さくで、聞くと話すのバランスがとても良くて、
だから友人が多い。


ありがたいことに、僕と話すことにとても興味を持ってくれている。
昨年は、僕の英語力向上の助けにもなるだろうからと、定期的にCIISのCafeで会って、
話をする時間を持ったこともあった。


つい最近、僕と誕生日が同じだったことを知った。


お互いに、プラクティカムが始まって、CIISに行く機会も少なくなり、
顔を合わせる機会も減っていたのだが、今セメスター、久しぶりに再会した。


それ以降、3週間に一回ぐらいのペースで、日曜日に僕の家から徒歩15分ぐらいの
ところにあるWestportal Stationの前にあるカフェレストランで会って、
一緒にお昼を食べながら、ディスカッションをしている。


昼食が終わると、周囲を散歩しながら、ディスカッションを続ける。


高級住宅街がすぐ隣なので、綺麗に整った家々の間を歩きながら、
お互いに話を続ける。
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今日は、セラピーにおいて、感情のCause(原因)とSourse(源)の違いは
何かと言うことで延々とディスカッションをした。


要は、クライアントがある状態に陥っているときに、Cause and Effect(因果関係)の
考え方を取ると、Causeを探しに過去を辿ることになる。


ところが、Somatics PsychotherapyやGestalt Therapyなどの、
Here and Nowの体験を重視するアプローチでは過去を辿ることをほとんどしない。


では何を辿るのかというと、今この瞬間に、その感情が生まれているSourseだ。
Sourseを奥深く探り、そのSourseを意識しながら一緒にいる、
というアプローチをとる。


Sourseを奥深く探るとは、過去を辿ることと何が違うのか。
Cause(原因)とSourse(源)は何がどう違うのか。


そんなディスカッションだった。


もちろん、結論は無い。


いずれにしても、クライアントに起こっているEffect(結果)から、
そのCause(原因)を辿ろうとするとき、僕たちは頭、つまり認知機能を使っている。


言いかえると理性を使って、記憶を辿り、Causeを特定する。


でも、どうだろう。


自分がいま苦しんでいる感情が、過去のどの体験から来ているのかなんて、
あるいは、たった一つの出来事から来ているのかどうかだなんて、
深刻なPTSDを除けば、正確なところは、誰もわからないのではないか。


クライアントの立場で僕たちがしているのは、語弊を恐れずに言えば、
それらしき体験を過去の記憶の中に見つけて、とりあえず、
それがCause(原因)だと信じることだ。


6~7歳より前の認知的な記憶を鮮明に覚えている人なんてあまりいないだろうから、
覚えている範囲の記憶の中からそれを特定する必要がある。
そう考えると、ずいぶん、根拠が薄い気もする。


もちろん、本人がそう信じているであれば、それでいいのかもしれない。


セラピーセッションでは、クライアントは、その原因と思しきものに
自分が付与した意味づけを、セラピストのサポートを得て客観的に知り、
それに別の意味づけが可能かどうかを考えてみる。


それによって違う人生の物語が生まれ、そのCause(原因)が及ぼしていた
Effect(結果)から自由になることができる。


と考えると、セラピーとは、心や感情を扱うと言いながら、ずいぶん、
認知的で、前頭葉で行うゲームのようにも感じる。


知的かもしれないけど、真実に迫るような深さはない。


おそらく、過去にCause(原因)を辿りだした時点で、意識の働きが、
感情から理性にバトンタッチされてしまうのだろう。


そうではなくて、


感情を、純粋に感情として辿るためには、別のアプローチが必要ではないか。
認知機能と言うフィルターを通さず、起こっている感情をそのまま深めて、
そのSourse(源)に迫っていくことは、可能なのだろうか。


もしそれが、体の感覚を使うことで可能になるのなら、
その理論的な背景とは何なのだろう。


そんなことを、ああだこうだと話しながら、僕たちは、午後の昼下がり、
緑あふれる高級住宅街を散歩した。


この散歩には目的地は無い。僕たちには3時半ぐらいまでには切り上げようと言う
合意があるだけだ。


カリフォルニアらしい抜けるような青い空と、
ハロウィーンの飾り付けに使われる薄いクモの巣のような白い雲と、
海から吹いてくる冷たい風が気持ち良かった。


途中にトレイルを見つけた。


迷ったけど、僕たちはそれを登ることにした。どこにで出るのかわからない。
僕たちは、雨上がりで泥濘んだ細い道を、ただただ登った。
草木のフレッシュな匂いが、気持ち良かった。
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やがて…、


僕たちは高台に出た。


そこには、素晴らしい眺めが広がっていた。


こんな場所が近くにあるなんて知らなかった。
まるで、セラピーのプロセスようだね、と僕たちは笑った。
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