引き出す、について
クライアントの主体性を謳っているのがコーチングなのだけど、
「毎回のコーチングでは、いかに『引き出せるか』、これをミッションにしています」
と、以前、会社の後輩が言うのを聞いて、違和感を覚えたことがあった。
理由は良くわからなかったので、その時は何も言わなかった。
もう3年以上も前のことなので、そのことはずっと忘れていたのだけど、
河合隼雄の「『老いる』とはどういうことか(講談社+α文庫)」を読んでいて、
ふと思いだした。
なぜ違和感を覚えたのか。
言葉のあやかもしれないけど、「引き出す」と言った時に、
その主体は、コーチ側にあるのか、それともクライアント側にあるのか。
「教える」と一緒で、実は「引き出す」も、その関係性の主体はコーチ側に
あるんじゃないか。
だって、その時、クライアントは、「教えられる」のだし、「引き出される」のだろう。
いずれにせよ、受け身だ。
もし、教えるでもない、引き出すでもないとして、
本当にクライアントが主体になれる関係があるとしたら、
それはいったい何だろう、そんなことを考えた。
ちなみに、
その「老いるとはどういうことか」の中で僕の目を引いたのは、こんな文章だ。
壮年の大人は「オレについてこい」とばかり子供たちを引っ張り上げようとするのに
対して老人はそんなにせっかちにならず、むしろ、子どもの魂から流れてくるものに
沿いながら、それを導くことを考える。
クライアントの魂から流れてくるものに沿う。
それって一体、何を、どうすることだろう…。
もちろんコーチングとセラピーとでは違うのだろうけど。
というわけで、今からサーシャとアンナとアリゾナに行ってきます。
このブログ、一週間ほど休みます。
みなさま、素敵な週末を!
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