San Rafaelにて
San Rafaelは,、Bayを挟んでSan Franciscoの北に位置する、とても小さな、
洗練された町だ。
僕は、Pacific Instituteの昨年のインターンだったMikeとhikingの待ち合わせを
するために、この街で2時間を過ごした。
歴史的にも貴重だと言われている、
街を見下ろす位置にあるSt. Raphael Churchに行ってみた。
中に入る。とても広い。
男性の独唱によるアベマリアが歌われていた。
上を見ると、正面の壁にイエスキリストが十字架に
掛けられている像が掲げられている。
厳かな雰囲気とアベマリア、誰でも敬虔な気持ちになる。
彼の足もとに、身を捧げたくなる人の気持ちが、何となくわかるような気がした。
前方に小さな集団がいた。
Funeral(告別式)だ…。
15人ぐらいの参列者の、とても慎ましやかなFuneralが行われていた。
僕は、これも何かの巡り合わせかなと思って、目立たない左の最後方の
長椅子の端に座った。
途中で抜け出すつもりだったのだけど、司祭者が起立してください、と
言ったので起立したら、僕も、その風景の一部になってしまった気がして、
抜けることが出来なくなってしまった。
しばらくすると、彫刻の施された白い棺とそれを運ぶ喪服の男性たち、
花束と蝋燭と、そして、白い服を着た司祭が、4人の子供を先頭にして
回ってきた。
僕は、静かに頭を下げた。
何年も、何十年も、いや、何百年も、ずっと繰り返されてきたセレモニーなのだろうと
想像した。他の誰かが亡くなっても同じように見送って、いつかは自分も見送られて…。
古い教会だから、きっとこの人が生まれた時も、ここで洗礼のセレモニーが
されたはずだ。コミュニティの一員として生まれ、歓迎され、コミュニティの
一員として生きて、コミュニティの一員として誰かを見送り、いつかはコミュニティの
一員として自分も送られる。
生まれた時と亡くなる時、どちらも当事者としての記憶はないのだろうけど、
生きている時にそれを見て知る。
代々繰り返されてきたのと同じやり方で、自分が生まれた時にどう歓迎されたのか、
自分が死んだ後にはどう見送られるのか、それらががわかっている、
周囲と共有されているというのは、いざというときに安心感があるだろうなと思った。
結局、途中から参加したその式は、30分ほどで終わった。
僕は、教会を後にした。
街中にあるインド料理のレストランで昼食をとった。
そして、いまスターバックスでコーヒーを飲みながら、この文章を書いている。
今日のサンフランシスコは雨、サンラファエルは曇り空だ。
ハイキングトレイル入口の住宅街に広がる紅葉が綺麗だった。
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