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2010年8月

その後の選択肢について考える

いよいよ僕にとってのLast Semesterが始まった。


CIISの旅路も、あと僅かだ。


自分で言うのもなんだけど、僕は、特に今年になってから、落ち着いて、
いろいろ自分を見つめる機会が持てているんじゃないか、そんな風に感じている。


一つは、プラクティカムサイトのPacific Instituteとの出会いが大きい。
レジデント、インターン、スーパーバイザー、素晴らしい人たちとの出会いは、
自分を見つめる多様なパースペクティブを僕に与えてくれている。


もう一つは、Helgeとのセラピーセッションだ。
セラピーがこんな風に機能するとは思わなかった。


といっても、セラピストとクライアントとの相性もあるだろうから、
巡り合わせの運もあったのかもしれない。


さて、そのセラピーセッションが、水曜日にあった。


前回のセッションで、次回は、Family Constellationの手法を使って、
僕の人生のプライオリティについて探究してみようということになっていた。


というわけで、僕たちは早速、その課題に取り組んだ。


Family Constellationとは、CIISのFamily Dynamicsのクラスで体験した手法だ。
その時のインストラクターがHelgeだった。


クラスでは、クライアント役の生徒は、自分の家族をクラスメートの体を使って、
空間に配置していく。


父親の位置、母親の位置、兄の位置、姉の位置、妹の位置、弟の位置、
そして、自分自身の位置。誰と誰が近くて、誰と誰が疎遠で、誰かの視界には
誰かが全く入っていなくて…。


位置と体の向きで、自分に映っている家族の構造、配置をその場に創り出す。


そして、配置されたクラスメートは、インストラクターの指示に従って、
そこに置かれた自分に湧き起ってくる感情をただ述べる。


寂しい、孤独を感じる、怒りが沸き起こってきた、何故だか悲しい、いろいろだ。
本当に主観の世界のワークなのだけど、これが不思議なことに、深く機能する。


この手法を使うと言うのだ。


Helgeは僕に紙を複数枚渡した。そして、CIISの卒業後のキャリアの選択肢を
一枚ずつ紙に書くようにと言った。


言われるままに僕は可能性を一枚ずつ紙に書いた。


1. 1年間の世界一周旅行に出る
2. 会社に戻り、アメリカで働く
3. 自分のビジネスを日本で立ち上げる
4. 会社に戻り、日本で働く
5. OPTを利用して、アメリカでインターンとして働く


Helgeはそれらをシャッフルして、裏返しにして、自分にも、Helgeにも
わからないようにして、床に並べるようにと言った。


僕はそれを横一列に並べた。


何をするのかと思っていたら、Helgeは、深呼吸をした。
これから、それぞれの紙の上に乗るのだと言う。


そして、その紙の上に乗った時にどういう感情が内面に起こってくるか、
それを僕に伝えるから書きとるようにと言った。


…。


とりあえず、言われるがままにやってみようと思った。


Helgeは、裏返しにされた紙の上に乗り、
その時に、内面に湧き起ってくる感情を僕に伝えた。


一枚が終わると、深く深呼吸をして、感情をニュートラルな
状態に戻して、そして、次の紙の上に乗った。必要であれば、
紙の上から下りて、もう一度、その上に乗って、
伝わってくる自分の感情を確認した。


彼が僕に伝えたコメントを簡単に書くと以下の通り。


1. 良い気分じゃない。壊れやすい感じ。悪くはないけど、エネルギーを感じない。
2. 下半身は安定していて、上半身は自由に揺れる感じがする。遊び心があって楽しい。
3. 力強さを感じる。自分がとても大きくなった感じがする。でも、息をするのが苦しい。
4. 高くそびえているように感じる。静かで安定している。良い感じだが、堅苦しい。
5. 弱さを感じる。不安定だけど柔軟性はある。でも、良い感じがしない。


僕も彼も、裏返しにされた紙に何が書かれているかわからないので、一枚ずつ、
めくりながら、僕が写し取ったメモと照らし合わせて行った。


Helgeは僕が世界旅行に出ようとしていることを知っている。
それに情熱を持っていることを知っている。


だから、僕もHelgeも、1に対して、Helgeがもっともネガティブなバイブレーションを
感じたことに驚いた。


僕たちは、このことについて話し合った。


強いて、Helgeの印象を是として、この選択肢のネガティブな面を考えてみた。


例えば、僕は、おそらく旅先で出会う人たちにも、CIISやPacific Instituteで
体験しているような深い会話を期待している。でも、普通に考えてみて、
旅先で出会う人々に、同じような深さを期待するのは無理だろう。
僕がいま、サンフランシスコで生きている世界は、ある意味、特殊なのだ。


あるいは、“キャリア”を考える選択肢としては、
世界一周は不適切だったのかもしれない。


でもそれ以上に、大きな気付きがあった。


僕は、この年齢までに留学、この年齢までに世界一周、と人生を区切って
プランニングをしてきた。


留学と世界一周は、僕が自分の人間形成の為にする人生の2大目標だった。
そして、それが終わったら、社会に、仕事に、家庭に全力で向き合おうと
考えていた。


でも、その人生を区切って考える思考方法自体が、
僕の人生観を制約していたかもしれないことに気がついた。


僕は、留学後、そして、世界一周後の人生を考えると、
何となく、その後の人生の空気が薄くなるような、息苦しさを感じていた。


社会に、仕事に、家庭に向き合う。
それはとても素敵なことなのだろうけど、ただ負うべき責任のみが存在しているような
イメージを持っていた。


そういうものなのだと、無意識に思いこんでいた。


安定と自由を同時に手に入れ、且つ、その両方を楽しむという視点とバランス感覚を、
人生からまったく消し去ってしまっていた。


仕事をしても、家庭を持っても、仲間と家族と一緒に自由を楽しんだらいい。
人生の可能性を探究したらいい。そして、頑張ったらいい。


人生を計画によって分断する必要はない。自分のままに続けていいのだ。
人生とはプロセスなのだから。


そういう意味で、Helgeが、経済的な安定と“世界”を感じ続けることが出来る
選択肢2に対して、安定と自由と楽しさのバイブレーションを感じたことは
とても理にかなっていて面白いと思った。


あっという間に、50分が過ぎた。


最後に、Helgeが笑いながら言った。


「このワーク、実は、クライアントとのセッションでは
数えるほどしかやっていないんだ。だって、頭がおかしいと
思われるかもしれないだろう? 


でも、TJは、Family Constellationを何度も経験しているし、
色々な可能性にオープンだから、試してみたいと思ったんだ」


今日、何か結論が出たわけじゃない。
僕の人生を考える、新たな視点と材料が提示されただけだ。


Helgeとのセラピーセッションは、僕のサンフランシスコデイズの
大切な一部になっている。

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ニューヨーク…。

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たった4日間の短い滞在を終えて、サンフランシスコに向かった。


行く前は、ニューヨークの何がそんなに人を引き付けるのか。
東京とニューヨークでは、何がどう違うのか。
とても興味があった。


東京とニューヨークでは、何が一番違うのだろう…。


一つは人種の多様性だ。


いろいろな人種が共存しているから、人々を共通の常識で縛ることができない。
人々の意識や行動を制限する枠が東京よりも緩いのだろう。
それが解放感に伴うエネルギーを生んでいるような気がする。


もう一つは、セピア色のビルディング群の間を流れる大量の原色、
つまり、街に溢れる黄色のタクシーだ。


でも、それ以外に、ニューヨークと東京にどういう違いがあるのだろう。
今回の滞在では、僕はニューヨークに、東京を大きく超えて、僕を惹きつける要素を
何も感じることが出来なかった。


逆に、ニューヨークには無くて、東京にはある魅力なら、いくつも
挙げることができそうな気がした。


他の人には感じることができて、自分には感じることができないニューヨークの魅力が
あるのであれば、それを今回、感じることのできなかったことは、とても残念だった。


でも、


実際に生活してみたら、また違うのだろう。
実際に住んでいる人たちと幅広く交わり、もっと深いレベルで交流してみたら、
また違うのだろう。


そんなことを考えながら、JFK空港を発った。
ちなみに、帰りの便はノースカロライナのシャーロット・ダグラス国際空港で乗り換えがあった。
3時間ほど空港で時間を過ごし、サンフランシスコに戻ってきた。


ちなみに、


当たり前のことだけど、サンフランシスコとニューヨークも違う。
街の規模の違いは当然のこととして、戻ってきて最初に感じた違いは、空気の形と味だ。
サンフランシスコの空気は、丸くて甘い。


もし東京にサンフランシスコのような人種の多様性を加えることができたら、
ニューヨークのような雰囲気になるのだろうか。


東京、サンフランシスコ、ニューヨーク…。
次は、ヨーロッパの都市を知りたい。


その次は…。

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ニューヨークの文化

ニューヨークのBlue Noteに行った。
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その日登場したアーティストは…、偶然にも日本人だった。


彼女はピアノの前に座ると、目を閉じた。
少しの間があり、そして薄暗がりの中に、彼女のピアノが響いた。


その音は、一瞬で暗闇ごと観客のハートを鷲掴みにした。


彼女の体が音に合わせて揺れる。表情も豊かに変わる。
原盤を叩きながら、声でリズムを取っているのが聞こえる。


アア…。ウーア。ヘイ。


彼女は自分が奏でるメロディに、自分の存在そのものを溶け込ませていく。


僕は、途中から、ピアノを聴いているのではなく、
彼女の存在そのものを聴いているような錯覚に陥った。


そんなに広くはないBlue Noteの空間が、彼女の存在で満たされた。


最後は、拍手大喝采のスタンディングオベーションだった。


ピアノという楽器を媒介にして、たった一人で聴衆と向かい合い、
真剣勝負のやり取りをする。その姿は感動的だった。
組織人にはあまり無い種類の潔さを感じた。



ブロードウェイでミュ-ジカルも観た。
MAMMA MIA !だ。
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席は、あまり期待をしていなかったのだが…、正面のど真ん中だった。


ミュージカルでは、役者は大きな声で歌って、体全体を使って、踊って、演技をする。
すべての表現スキルが凝縮されている。


必ずしも大きく派手な動きをする人にでは無く、
体にセンターを感じる動きをしている人に目が行く。


観客は、おそらく初めての人たちが大半なのに対して、
役者は、毎日、同じセリフ、同じ動きを演じている。


毎日の繰り返しを、毎回新鮮に演じて、観客に感動を与える。
大変なことだ。


演劇は嘘の世界だ。だって、“演じている”のだから。
でも、演じているのだけど、人を感動させることが出来る。


それはなぜか。


それは、きっと、本気だからだろう。
本気だけが人を感動させることができるのだろう。


最後は、全員の観客が立ち上がり、大歓声を舞台に送った。
そして、舞台の上の役者と一緒にABBAの音楽に合わせて踊りまくった。


アメリカには文化が無いとは良く聞く話だけど、
ニューヨークの夜には文化を感じた。

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自由の背中

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自由の女神、Liberty of Statueは、僕が想像していたよりもだいぶ小さかった。
僕が奈良の大仏や鎌倉の大仏に見慣れている日本人だからだろうか。


それよりも、


対岸に立ち並ぶウォール街の摩天楼の方が、よっぽどインパクトがあった。


アメリカは自由の国だと言う。その象徴が、この女神の像だ。
でも、正確には、アメリカは自由と競争の国だ。


その競争の象徴が、マンハッタンの超高層ビル群なのかもしれない。


今のアメリカには、本当の意味で、僕たちが憧れていた自由などあるのだろうか。
アメリカ的な自由は素晴らしいのだろうけど、その自由には、必ずセットで
くっついてくるものがある。


自由と責任…、
自由と孤独…、
自由と競争…、


究極の自己責任と、誰にも繋がることのできない一人ぼっちの孤独と、
生活の隅々にまで行きわたる激しい競争。


この前提の上にあるのが、今のアメリカ的な自由なんじゃないだろうか。


とてもタフでハードな条件だ。


セラピーが盛んな理由もわかる気がする…。


繰り返すけど、


競争の象徴の摩天楼は、想像していた通りに大きかった。
自由の象徴の女神は、思っていたより小さかった。


それが今のアメリカを端的に表しているんじゃないだろうか。
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グローバルリーダーとは何か

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僕が日本で務めていた会社の仲間がNYにいる。
彼は現在、NYオフィスを立ち上げ、そこの責任者をしている。


早朝、空港から彼にテキストメールを打ったら、すぐ返信の電話がかかってきた。
ちょうど、仕事で徹夜明けで今から寝るところだったと。


早速、会おうという話になった。


Park Avenue沿いの一等地にあるオフィスを案内してもらい、
NYの街を案内してもらった。


その間、僕たちはずっと仕事関連の話をしていた。
仕事の話とは、アメリカでグローバルリーダーの育成、あるいは、
コーチングビジネスをどう展開していくかということだ。


日系企業を対象にサービスを展開しようと思ったら、壁は二つある。


一つは、日系企業では、予算の決定権は日本の本社が握っているケースが
大半ということだ。つまり、NYだけで話がまとまらないので、日本の本社を
巻き込む必要が出てくる。


もう一つは、グローバル教育を行おうとする場合に、
地域平等主義の壁が立ちはだかるということだ。つまり、北米だけに
教育を施すわけにはいかないので、南米でもヨーロッパでも、
アジアでも平等に、という話になってしまう。


いずれも、実施までにかなりの調整が必要になる。


日系企業のみを相手にしている限り、早晩、ビジネスの展開に限界が見えてくるのは
明らかではないだろうか。


そもそも、日本のマーケットは、今後、縮小していく一方だ。
だから、視線を世界に向けることが必要になるのだが、向けた視線の先が
日系企業と言うのであれば、そこに開かれた未来を見ることはなかなか難しい。


すると、いずれアメリカの現地企業に打って出ることが必要になる。


ここから、僕たちの話は色々展開した。


その方向を目指そうとすると、人材の壁が立ちはだかる。


アメリカ人と対等に英語で交渉ができる日本人はどこにいるのか。


英語が出来るというだけでは不十分だ。
アメリカ企業のニーズが何かを把握し、問題を解決するための商品・サービスを開発する
必要が出てくる。英語を話す能力に加えて、創造的な仕事をする能力が必要になる。


そういうアメリカ人を雇えば済むと言う単純な問題でもない。
そもそも、上に描いたような人材は、アメリカ企業でも引く手あまただ。
わざわざ日系企業に就職先を求めないだろう。


それに、外部から即戦力の人材を調達するのみで、人材の内製化ができないのであれば、
ノウハウはその外部人材に蓄積はされても、組織に蓄積されない。
長期的に見て、デメリットが多い。


だから、どうすれば、そのような人材を育てることが出来るのか、
それが重要になる。それが、ビジネスの種になる。


海外で現地のニーズを把握し、現地の市場を切り開いていける日本人。
海外で現地の人と関係を結び、現地の人をマネジメントしていける日本人。
できることなら、日本の文化や伝統の素晴らしさを現地で広めていける
人材であれば、なお素晴らしい。


グローバルな舞台で力を発揮できる日本人。
そう言う日本人なら、きっと日本で仕事をさせても優秀なのだろう。


いや…、どうだろう。
本当にそうなのか、ちょっと立ち止まって考えてみる必要があるかもしれない。


「海外で活躍できる人材」と「日本で活躍できる人材」。


僕たちは、この2つを同じクオリティと考えているだろうか。
それとも、まったく別物だと考えているのだろうか。


どうも、グローバルリーダー、グローバル教育とは、
「海外で活躍できる人材」=「日本で活躍できる人材」という図式が
成り立たっていないからこそ生まれた言葉のような気がするのだけど…。


僕たちは、日本の優れたリーダーが、海外で必ずしも通用するとは限らないと
考えているんじゃないだろうか。


あるいは、海外の優れたリーダーが必ずしも日本で通用するとは
限らないと考えているんじゃないだろうか。


だから、日本でも海外でも通用するグローバルリーダーが必要と考えるのだ。
グローバルリーダーとは、日本でも、アメリカでも、ヨーロッパでも、
南米でも、アフリカでも、等しく効果的なリーダーシップを発揮できる人材のことだ。


ところが、この前提に立つならば、その逆も然りでないとおかしい。
つまり、日本で通用している優れたリーダーには、グローバルでも成功できるリーダーの
要素があるだろうし、アメリカで通用している優れたリーダーにも、グローバルで成功できる
要素があるはずだ。


では、いったいその共通項は何なのか。そして、相違点はどこなのか。


成功者をモデリングしている多くのリーダーシップ論を見ると、
グローバルリーダーになるためには、神様、あるいは聖人のような
人格者を目指すか、あるいは、権力を完全に掌握して結果を出し続ける
超トップダウンの辣腕ヘッドになるか、そのどちらしかないような気がして、
リアリティの無い机上の空論のように聞えてしまう。


いや、


まったく逆で、そもそもグローバルリーダーなんて
存在しないのかもしれない。実は、国際人が存在しないように。


グローバルと言う言葉は、何かを「一般化・普遍化」するための言葉だ。


だから、グローバルリーダーシップとは、本来は、世界のどこでも通用する
リーダーシップのことを指しているのだろうけど、実際には、アメリカ人には、
アメリカ的なリーダーシップが必要になるし、
ドイツ人には、ドイツ的なリーダーシップが必要になるし、
日本人には日本的なリーダーシップが必要になるはずだ。


それぞれの国や文化では、まったく違うスタイルのリーダーシップが必要になるのだ。


一つの国や地域で成功しているリーダーシップは、他の国や地域へ単純に
あてはめることができるようなものではない。リーダーシップが発揮されている前提条件、
つまり、場のカルチャーが違うのだから。


それを無視して、あたかも普遍的なリーダーシップのスタイルがあるかのように謳う
グローバルリーダーシップは、人間や国の多様性を無視した非現実的な
コンセプトだと言えないだろうか。


いかなる国や文化にもダイレクトにあてはまる経営学や心理学は存在しないはずなのに、
いかなる国や文化にもあてはまるリーダーシップがあるかのように考えるのは、
どうなのだろう。


グローバルなんて言葉を取っ払って、リーダーシップを考えた方が、
よっぽど具体的で、すっきりするような気もする。


アメリカ人らしいリーダーシップとは何か。
日本人らしいリーダーシップとは何か。
ドイツ人らしいリーダーシップとは何か。
インド人らしいリーダーシップとは何か。
中国人らしいリーダーシップとは何か。
あなたらしいリーダーシップとは何か。


…。


グローバルリーダーとは何か。
僕たちは、このテーマについて、もっともっと正面切って話していった方が
良いのだろう。堂々巡りでもいいから。
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ニューヨークに行く

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先週から今週にかけてニューヨークに出かけてきた。


直前にチケットをチェックすると、JFK空港への到着予定は、
深夜の12時15分となっていた。


amとpmを間違えたのだ。


チケットを買いかえると高くなるので、そのままの飛行機に乗った。
空港で夜を明かすのも、ひとつの貴重な経験になるだろうと思った。


サンフランシスコから約6時間。


JFK空港のターミナル7に到着する。


深夜も開いているフードコートはどこかと尋ねると、ターミナル4に行けと言う。
国際線ターミナルだ。


Air Trainに乗って移動する。


そこに着くと、Peet's Coffeeだけがオープンしていた。
空港夜明かし組が何人もいる。
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サンドイッチとコーヒーを買う。


席に座り、本を読み、パソコンに向かう。


途中、僕の向かいの椅子にラティーノのファミリーが入れ替わり勝手に座って、
何やら声高に話し出す。テーブルも占領されそうな勢いだった。


しばらくしたら、どこかに移っていった。


僕は、朝6時20分に席を立った。


チャイナタウンに行こうと思った。
お腹がすいていたし、サンドイッチ以外で安くお腹を膨らませることが
できると思ったから。


再び、Air Trainの駅までターミナル4を歩く。駅員に行き方を尋ねると
親切に教えてくれた。


終点で乗り換えて、Aラインに乗る。


ニューヨークの電車は、サンフランシスコのMUNIやBARTよりも、
僕の知っている日本の電車に近い。千葉県の総武本線を思い出した。
違いは、周りが黒人ばかりと言うことだ。途中から地下鉄になった。


チャイナタウンで腹ごしらえをし、ついでに、ほとんどチャイナタウン化している
リトルイタリーでジェラートを食べた。


とにかく、今日はNYの街を歩こうと思った。


僕は、街中をゆっくり北上した。
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ニューヨークの空はもう秋だった。空はどこまでも青く、高かった。
刷毛で掃いたような雲が白く擦れていた。

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季節感の薄いサンフランシスコでは味わえなかった感情に久しぶりに
触れた気がした。


ユニオンスクエアのファーマーズマーケットも、秋らしい品ぞろえだった。
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途中に寄ったスターバックスで、僕はこの文章を書いている。


東京もニューヨークも、都会の空気はどこも似ている気がした。


多くの人が憧れるニューヨーク。
徹夜明けの初日、僕は、まだニューヨークの魅力を発見していない。
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EさんのBirthday Lunch

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先週の木曜日がEさんの92歳のバースデーだった。


僕は、Eさんの息子のMarkとTengに招かれて、Pacific Instituteの近くの
レストランで昼食を一緒にとることになっていた。


11時半にPacific Instituteで待ち合わせをした。


この日、Eさんのエネルギーレベルは極端に低かった。
ずっと俯いていて、今にも消え入りそうな雰囲気だ。


二人の息子が心配して話しかけるのだけど、首を振るだけだ。


昼食に行くのはやめて、部屋に戻ってベッドに横になるかと尋ねても、
反応が無い。


結局、僕たちは、連れて行って様子を見ることにした。
無理だったら、昼食は諦めて連れて帰ろうという話をした。


レストランの席に座っても、ずっと俯いているEさん。
座っているだけでも辛いのか、隣の息子、Markに寄りかかっている。


Eさんはメニューをちらっと見たのだけど、首を振って、
また俯いてしまった。


Markがメニューを見て、Eさんの為にヨーグルトと果物と生クリームの
ミックスドリンクを頼んでみようと言った。


Tengは、Eさんの加齢に伴う糖尿病を気にして心配して、よせと言ったのだけど、
他に注文すべきものも見つからず、最終的に、首を縦に振った。


Eさんは、Markに手伝ってもらって、紫色のヨーグルトドリンクを口に運んだ。
一口飲むと、顔色が少し変わった。


萎れていた植物に水を与えた時のように、Eさんの変化が見てとれた。


Eさんは、無言のまま、ヨーグルトドリンクをゆっくり、何回にも分けて
自らの手で口に運んだ。


Markがそれを見て、大きく安堵のため息をついた。


そして、自分の注文したワッフルに付いていたカットされたバナナとメロンを
Eさんのお皿に乗せると、Eさんはゆっくり手を伸ばして、それを掴んで、
口に運んだ。


それを見ていたTengが、今度は自分の注文したサンドイッチをEさんに手渡した。
すると、Eさんは、それをガシガシと噛み切るようして口に入れた。


僕は、それを見てから、初めて自分の注文したオムレツに手をつけた。


Eさんは、食べると言うよりも、エネルギーを無心に摂取している、
そんな様子だった。


一息ついたのか、Eさんが顔を上げた。
僕と目が合うと、この日、初めて笑顔を見せてくれた。


食は命に直結している。
食が人の命に与えている力を見た気がした。

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Pacific InstituteとAgesong

僕がインターンをしているPacific Instituteは、ジェロントロジー(老年学)の研究機関で、
インターンシッププログラムを提供している非営利組織だ。


でも、実際にレジデントが住んでいる施設は、
Agesongという営利組織によって運営されている。


だから、僕はPacific Instituteに所属するインターンなのだけど、
Agesongが運営する施設で働いていると言うことになる。


ちなみに、Pacific InstituteもAgesongも、経営者は同一人物だ。
非営利組織のPacific Instituteは寄付金によって運営され、
Agesongは、売上金によって運営されている。


いろいろなクオリティのお金を、幅広く集めるシステムなのだろう。


さて、 火曜日、スタッフのStevenと一緒に、ベイエリアにある
3つのAgesongの施設を回った。


Stevenは、2年前、Pacific Instituteのインターンだった。
ただのインターンでは無く、Aninも一押しのスーパーインターンだった。


整理整頓に長けていて、明るく、人の気持ちに良く気づく。
今年からスタッフとして採用された。


その彼が、ベイエリアの施設を視察に回ると言うので、一緒に付いて行った。
各施設で提供されているインターンプログラムの進捗、
内容をヒアリングすると言うのだ。


僕は彼に付いて各種ミーティングに参加し、話を聞き、施設を見学させてもらった。
そのおかげで、色々なことが見えてきた。


同じAgesongであっても、各施設では、規模も違えば、住んでいるレジデントの特性も違う。
だから、すべての施設で、同じ構造、同じ内容のインターンプログラムをあてはめることが
出来ないのだ。


ベイエリアのオークランドには、湖を挟んで2つの施設がある。
いずれも、Agesongが既存の施設を買収したものだ。


Lakesideにある施設は、認知症のレジデントのケアに特化している。
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認知症のレジデントがが暮らしやすい建物の間取り、構造、部屋の工夫が素晴らしい。
各フロアの中央にオープンな広間がある。レジデントは、安全に徘徊することが出来る。
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Lakesideは去年からインターンプログラムがスタートしており、8名のインターンがいる。
去年いろいろ問題があったのだが、今年から実力のある新しいクリニカルディレクターが
アサインされて、上手く回り始めている。


もう一つの施設、Lake Merrittは、1927年に建てられた由緒あるホテルを買収して、
施設に転用したものだ。自立した生活を送ることが出来る、自立した老人たちが
住んでいる。
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ヨーロッパ風の建物で、湖の正面に立っている。部屋からの眺めがきれいだ。
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一階は、湖全体を見渡せるパブリックのレストランになっている。
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ただ、元ホテルなだけに、各フロアにミーティングルームや、
社交ルームがあるわけではなく、建物の構造が、コミュニティを築いていくのに
難しい造りだと思った。


ここは今年の9月からインターンプログラムが3名でスタートする。


以前、このブログで少しだけ紹介した、Agesongのもっとも新しい施設、
Emeryvilleは、4階と5階が自立したレジデント、 2階と3階は認知症の
レジデントのフロアになっている。
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ジムやプールもある。
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廊下、部屋、ダイニングルーム、とても贅沢に空間が使われている。Dsc08432

この施設では、今年の8月からインターンプログラムが6名でスタートした。
既に一ヶ月が過ぎようとしているのだが、インターンプログラムが上手く回っていなかった。


クリニカルディレクターの経験不足もあって、インターンプログラムの構造が
出来上がっていないのだ。インターンだけでなく、スタッフも混乱していた。


僕の所属するサンフランシスコには、二つの施設がある。
LGCビルディングには、AgingやAlzheimerなどによる認知症のレジデントが住んでいる。
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もう一方のHVCビルディングには、精神疾患を持つレジデントが住んでいる。
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サンフランシスコの施設には、非常に優秀なスタッフが揃っていたのだが、
他の施設のテコ入れのための異動があったり、人が辞めたりして、
その安定が崩れた。 僕たちは次のステージに速やかに移行する必要がある。


今回、僕は、各施設のディレクターやマネジャーと会うことで、
Agesongのファイナンスの状態についても、ほんの少しだけ伺い知ることが出来た。


現在のAgesongのファイナンスの状態は、必ずしも良好では無いらしい。


アメリカ経済、カリフォルニア州の経済が特に悪いために、
自立したレジデントが部屋を購入してそこに住むタイプのファシリティでは、
かなり空き部屋が目立っている。30%程度の稼働率だと言う。


しかし、


この時期を乗り切れば、Agesongの未来は明るい。
なぜなら、ベイエリアは、大きな高齢者のマーケットが見込まれているからだ。


他施設との比較の中で独自性を打ち出すために、Pacific Instituteが提供・運営する
インターンプログラムはAgesongの大きなセールスポイントになっている。


インターンによるグループアクティビティ、あるいはインターンとレジデントの
個人セッションが、Agesongのセラピューティックな環境の一翼を担い、
レジデントに対するきめの細かなアプローチを可能にしている。


だから、サンフランシスコ以外でのインターンシッププログラムを速やかに立ち上げ、
各施設で提供されるインターンシッププログラムを均質化することが、
Agesongのマーケティング的に急務なのだろう。


すると、


今年からシステムを大きく変更して、インターンのトレーニングをサイトごとではなく、
コストをかけてでも、毎週、全員が一か所に集合してトレーニングを実施するように
なったことも合点がいく。


Pacific InstituteとAgesong、 非営利組織と営利組織、
物事は、大きな絵の中で色々な思惑が絡み合いながら動いている。Dsc08436

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5Rhythms Dance(ファイブリズムズ ダンス)

日本人の日常の自己表現から、踊りが消えたのはいつ頃からなのだろう。


お祭りなどの機会や、クラブなどの特別な場所を除いては、
多くの日本人は、日常の中でほとんど踊ることはないと言っても
過言ではないのだろうか。


ビジネスの世界でも、お酒を飲んで、盛り上がって、せいぜい歌(カラオケ)で
終わりだ。酒宴の場で、気分が盛り上がって皆が踊りだす、なんてことは
あまり聞かない。


でも、踊ることはとても大事だ。


なぜか。


踊ることは、言葉以上に、より自由で深い自己表現を可能にしてくれるから。
言葉を間接的で象徴的な表現方法とすると、踊りは、魂の直接的な表現方法だから。


それらのことを、僕は“言葉”で理解していた。


火曜日、インターン仲間が誘ってくれて、“5Rhythms Dance”のダンスクラスに
参加してきた。


場所は、Mill Valleyにある、緑に囲まれたオシャレなコミュニティセンターだった。
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“5Rhythms Dance”とは、「踊りの瞑想法」と言っていいかもしれない。
体を使って自由に自分を表現しながら、自分を体感していくのだ。


僕の参加したクラスは、毎週火曜日、夜6:30から8:30まで催されている。


入り口で学生証を見せて、10ドルを支払う。
時計の針は6時10分を指していた。


ドアを開けると…、センスの良い音楽がフロアに流れ、既に15人ほどが自由に、
バラバラに踊っていた。


みんな、自由な格好をして、自分の世界に入って、ステップを踏んで、
腕をまわして、首を逸らせて、背骨を丸めて、ある人は小走りに、
ある人は立ち止って…。


見ていて、とても恥ずかしい。


僕は、来たことを少し後悔した。


仕方が無いので、隅っこ行って、準備運動をするふりをして、
踊っている人たちを観察した。


周囲にお手本を探して踊る、という雰囲気では無さそうだった。
踊りが上手いとか下手とかじゃなくて、自分の世界に入っているかどうかが
大事なようだと言うことは、すぐに見て取れた。


僕は、勇気を出して、その場の中に一歩を踏み出した。


体はすべて知っているはずだ。
音楽に身を任せて、体が自然に動き出すのを待つ。
体がどの方向に動きたいと思っているのか耳を澄ます。
これは、Expressive Art Therapyで習った、Authentic Movement
(オーセンティックムーブメント)の知識だ。


でも、待てども暮らせども、体は動きださなかった。


理由は簡単だ。


とっても恥ずかしいから。


これは、日本では絶対に流行らないだろうな、と思いながら、
僕は意識的に静々と動かしだした。


すぐに、誰かの動きを参考にしようとする自分に気がついた。
誰かの動きを真似しようとすると、そのこと自体が、逆に僕を目立たせてしまうように思った。


また、もし誰かの動きを参考にするのであれば、この場に来た意味もないように思った。
僕は上手く踊りに来たわけじゃない。踊りを覚えに来たわけでもない。
他人基準の表現ではなく、自己基準の表現をするために来たのだ。


この場では、下手は下手なままでいた方が、ごく自然な感じに思えた。


6:30になると、インストラクターが瞑想の合図をして、深呼吸をして、
5つのステップの一つ目を簡単にガイダンスした。


そして、音楽が流れ、また参加者は自由に、バラバラに踊り出した。


誰かの踊りに合わせて、輪が出来たりする、と言うことは一切なく、
互いにコミュニケーションをすることもなく、ただみんなバラバラに踊るのだ。


やっぱり絶対に日本では流行らないだろうなと思いながら、僕も体を動かした。


どうしても、自意識過剰になってしまう自分がいた。


変化が訪れたのは、インストラクターが、近くの人と流れの中でペアになって、
と行った時だ。


僕は、背の高いおじさんと踊りながらペアになった。
良く言えば、ジャンレノのような雰囲気だった。


ペアになると、不思議なことが起こった。


そのおじさんだけしか視界に入らなくなった。


恥ずかしさが消えた。


そして、二人の間に呼吸のようなものが生まれ、僕は、その呼吸に吸い込まれるような形で、
踊ることができるようになった。


そのおじさんも、よくよく見ると、ずいぶん雑な動きをしているし、
逆に、その雑さが味になっているようにも思えた。


これをきっかけに、僕は吹っ切れた。


あとは、とても楽しかった。


ほぼ、ずっと踊りっぱなしだった。


僕は最後、インストラクターとペアになった。
彼女がハードに動くから、僕もハードに動かざるを得なかった。


本当にたくさんの汗をかいた。


最後、皆で円形に座って、簡単な一言ずつのシェアがあった。


僕は、こう言った。


「最初はとても恥ずかしかったけど、途中から、体の喜ぶ声が聞こえた」


何故だか知らないのだけど、僕の時だけ、皆が「おーっ」と言って、
「ぜひその声を聴き続けるように」と声が飛んだ。


アジア系の男性が、こういう場に来るのが珍しかったからだろうか。


ヒューマンポテンシャルムーブメントの文化を継承している
北カリフォルニアならではのアクティビティだと思った。


このダンスクラス、僕の中で小さなブレークスルーを起こしてくれたらしい。


木曜日の今日、Pacific InstituteでDrummingのアクティビティがあるのだけど、
輪の中央で、ドラムのリズムに合わせて、苦も無く率先して踊る自分がいた。


後に続く人が次々現れ、場が大いに盛り上がった。
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旧インターンの定例会

Pacific Instituteには、現在、僕を含めて昨年からの旧インターンが4名いる。


一人は、もう一年間、インターンを続ける。
一人は、1ヶ月間だけPacific Instituteの卒業を伸ばして、8月いっぱいインターンを続ける。
一人は、この8月から2ヵ月間の休暇をとって、その間、大学院の卒業に向けて
学業に注力する。彼女は10月にPacific Institute戻ってきて、
来年1月までインターンをする予定だ。


その休暇中のインターンが、2か月の間に起こるであろうレジデントや
組織上のいろいろな変化を定期的にキャッチアップしていたいと
呼びかけたのが始まりだった。


というわけで、僕たち4名は、この8月から、毎週月曜日にPacific Instituteの近く、
Hayes Street沿いにあるバーに夕方5時に集まることになった。


夜7時までの2時間ほどの間がHappy hourで、
ビールが一杯3ドル50セントで飲めるのだ。


この集まりが、なかなか良い。


一人ひとり、異なる人生のバックグラウンドを持ちながらも、Pacific Instituteの価値観を
しっかり共有している。メンバーの一人は、既に大学院を卒業しており、
他の3人も大学院の卒業が間近だから、この世界の知識を充分に持っている。
更に、インターンとして、実際の経験も方々で積んできている。


だから、毎回、いろいろなディスカッションが出来る。


今回のメインーテーマは、
「何がクライアントに変化を起こすのか」ということだった。


Pacific Instituteのメインアプローチである、“Existential Humanistic Approach”の
観点も踏まえながら、いろいろ話をした。


人は、体験を通してでしか、本当の意味で変わることが出来ない。
だから、セラピーを通してクライアントが変わっていくためには、
セッションの中でクライアントが何かを体験する必要がある。


その体験とは、自分が向き合うことを避けている感情から逃げずに、
ただその感情と一緒にいる、と言うことだったりする。


通常の生活の中では、クライアントはその感情と向き合うことをしない。


大事な点は、


おそらく、そのクライアントはセラピーセッションに来ても、
もしセラピストから何の働きかけも無いのであれば、クライアントは自分の感情と
向き合うことはせずに、いつも通りのネガティブループをただ繰り返し回るだけかもしれない、
ということだ。


だから、セラピストは、ただ相手の話に耳を傾け、共感し、安心できる環境を
提供するだけでは、不十分かもしれない。


クライアントが、避けている自分の感情を体験できるために、
セラピストはプラスアルファとして何をする必要があるのか。


おそらく、


セラピストは、クライアントの話を聞きながら、自分の中に湧き起こってきた
主観的な体験を使う必要がある。


それは、セラピストとクライアントとの間で、今、この場で起こっていることを
扱うと言うことだ。自分がたった今、クライアントに感じている印象を相手に
伝えると言うことだ。


それによって、クライアントが自分の感情に向き合えるように誘うのだ。


今日、話したのは、だいたいこんな内容だった。


ではなぜ、クライアントが、直面するのを避けている自身の感情と向き合うこと、
あるいは、その感情から逃げずにただ一緒にいることが、解決策のアドバイスや、
その感情を知的に理解することよりも機能するのだろう…。


とても興味がある。


次回以降の会で、みんなに投げかけてみよう。
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新インターンのCraig

Craig(クレイグ)は、新しいインターンの一人だ。


Aninが、まだ来期もPacific Instituteのスーパーバーバイザーを務める予定だった
6月頃、インターン採用の面接をほぼ終えたAninから、僕はしばしば、
「TJ、来年も、本当に素晴らしいインターンたちが来るわよ。楽しみね!」
と聞かされていた。


その中で、特に良く名前が出ていた一人が、Craigだ。


元ドラマーで、音楽関係のビジネスを大学で専攻し、その業界で数年間働いてから、
カウンセリングサイコロジーを学ぶために大学院に進学した。


大きな体で、物静かで、柔らかい雰囲気で、地に足がついていて、
どことなく茫洋とした雰囲気があって、カウンセリングサイコロジーを学ぶ人たちに
ありがちな人生の影を感じない、まっすぐな青年だ。


確かに、不思議な魅力がある。


気難しいクライアントからも、信頼を得るのが早い。
今日、元ハーバード大学プロフェッサーのS氏が、いつも誰にでもするように、
彼を怒鳴る瞬間があったのだけど、まったく動じずに受け止めていた。


僕は、毎週月曜日にDuty Dayの当番が彼と一緒で、
また、木曜日にDrumming Groupを一緒にファシリテートしていることもあって、
彼のその人間性がどこから来るのかとても興味深く観察していた。


昨日のお昼、久しぶりにサンフランシスコは青空だった。
お昼に、近くのカフェにコーヒーを買いに行くと、その前にある公園で
彼がベンチに座ってサンドイッチを食べていた。


僕は彼に声をかけて、隣に座った。


これまでのところPacific Instituteでの調子はどうか、
どうしてカウンセリングを学ぼうと思ったのか、そんなことを
尋ねるところから会話を始めてみた。


彼は、その温厚な柔らかい雰囲気からは伺い知れなかった、
彼の生い立ちの一端を少しだけ話してくれた。


6年前、彼は白血病と診断されて、闘病生活を送っていたことが
あったのだそうだ。今は完治しているのだけど、3年ごとに検査入院をする
必要があるんだと彼は笑いながら言った。


僕は、彼の人間性に対して僕が感じている印象を伝えてみた。
そして、それはその病気を乗り越えたところから来るものと思うか、
尋ねてみた。


すると、彼は笑いながら言った。


「そう言ってくれて、ありがとう。確かに、僕の病気の体験は何らかの影響を
与えてくれているかもしれない。


でも…、


いまTJが言ってくれた印象を、僕はまさにTJに感じているよ」


しばらく間を置いてから、彼はこう続けた。


「一つだけすごく記憶に残っていることがあるんだ…。


白血病と診断されて、死ぬかもしれないと目の前が真っ暗になって、
通院しながらの闘病生活が始まったんだけど、ある日、気づいたんだ。


例えば、こうやってベンチに座っていると、自分の周りで色々な人が自分の人生について
不平不満を言うのが聞えてくるわけだよね。


パートナーと喧嘩をしたとか、誰それが嫌いだとか、
仕事が忙しいとか、つまらないとか、給料が低いとか…。


そういう風に、人生の日常に起こるいろいろなことで悩める人たちを、
とても羨ましく思ったんだ。


ほら、白血病と診断された僕の悩みは、生死に関することだったから、
それを前にしたら、日常のいろいろってプライオリティが下がるだろ。


その時、もう一度、日常のいろいろで悩めるようになりたいと思った。
もしかしたら、日常のいろいろで悩めるって、とても幸せなことなんじゃないかって
思ったんだ」


レジデントからだけではなく、同じインターンの人生からも、
たくさん学ぶことがある。

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Quality of Life

サンフランシスコはとても寒い日が続いている。


でも、一歩、郊外に出ると、そこはカリフォルニアだ。
抜けるような青空が広がっている。


日曜日、旧インターン仲間のMikeの誕生日と言うことで、
Mikeの弟のAndrewと3人でハイキングに出かけた。


僕たちは、昼食を一緒に取りながら、お互いの近況報告と、
どこにハイキングに行くかを話し合った。
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サンフランシスコ周辺には素晴らしいハイキングコースがたくさんある。
僕たちは、高級住宅街のMill Valleyから、杉の大木が生い茂るMurewoodsに
延びるDepseaというエリアをハイキングコースに選んだ。


スタート地点は、緑があふれる軽井沢のような住宅街の中だった。
僕たちは、オシャレな道を歩きながら徐々にハイキングコースに入っていった。
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高台の上に立って、青空と太陽と爽やかな風と木々の香りを
五感のすべてを使って感じる…。


本当に久しぶりだった。
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ちなみに、弟のAndrewは、90年代の後半に日本のに4年間住んでいた。
NECに勤めていたのだ。その後、帰国し、UCバークレーでMBAを修得した。


現在は、エレクトロニクス関連企業への投資に特化したサンフランシスコの
ベンチャーキャピタルに勤めている。


平日は良く働き、週末は良く自然に親しんでいる彼に、僕は尋ねてみた。


「日本とカリフォルニアのQuality of Lifeを比べてみて、どう思う?」


彼は言った。


「日本はとても楽しかったよ。長い歴史もユニークな文化もある。


でも、サンフランスコでは、車を一時間も走らせれば、
本当に豊かな自然に出会うことができる。


もし自然が好きなら、カリフォルニアに勝る場所は無いね。
スキーとハイキングの場所に事欠かない。


僕はもう、他の場所に住みたいと思わないよ。
ここでの生活に心底満喫しているからね。」


隣で、Mikeも頷いていた。


僕が日本でお世話になったコンサルティングファームの先生は、
ずっと昔、アメリカの企業に勤めた後、カリフォルニアで会社を立ち上げた。


そして、日本に戻ってくる際に、会社の場所を、東京ではなく芦屋に
置くことに決めた。


“Quality of Life”を考えての決断だったと、以前、話を伺ったことがある。


ちなみに、そのコンサルティングファームのクライアントの大半は東京だった。
僕たちは、ほぼ毎週、伊丹空港から羽田空港に飛ぶことになった。


緑と文化に溢れる芦屋の住環境を楽しみながら、東京で勝負する。
それはそれで、面白い生活だった。


もしかしたら、今は、カリフォルニアでの生活を楽しみながら、
東京で勝負するということも可能な時代なのかもしれない。


考え方と、実力次第だ。


カリフォルニアを心から愛する、ニュージャージー出身の
MikeとAndrewの話を聞きながら、いろいろ考えた。
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Anin's 60th Birthday

Aninは、この7月までPacific Instituteの元クリニカルディレクター、
且つ、スーパーバイザーだった人だ。僕は大変お世話になった。
現在は、僕のメンターでもある。


そのAninのバースデーパーティーが土曜日にあった。


60歳になった彼女は、区切りの年齢を盛大に祝いたいと言うことで、
自らがバースデーを主催した。


彼女は、新旧のたくさんの友人たちに声をかけ、
日本やブラジルなど海外に住む友人にも招待状を送っていた。


ノルウェーに住む親友からの欠席の返事を受け取った時に、
Aninは、ちょっと残念そうに僕にこんなことを言った。


「普通に考えたら、海外に住む友人は出席できないだろうけど、
それでいいの。もちろん、来てくれたらものすごく嬉しいけど。


一番大事なことは、こうして案内状を送ることで、
私がいつもその人との繋がりを大切に思っていることが伝わることなの」


パーティーは夜7時から11時まで。サンフランシスコ市内のアートギャラリーを
貸し切って行われた。招待客は、食べ物や飲み物の差し入れを持って、
好きな時間に来て好きな時間に帰る。


壁には素敵な絵が飾られていて、フロアにはAninの好きな60年代のロックが
鳴り響いていた。


そこには、Pacific Instituteのインターンたちも来ていた。
僕たちは、再会を喜び合った。


僕たちは自由に食べ物と飲み物を取り、会話を楽しんだ。


そうしている間にも、フロアの中央には自然にダンスの輪が出来て、広がって、
狭まって、また広がって、消えて、また輪が生まれて…。


そんなことが何度も繰り返された。
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パーティー。


それは、主催者の人間関係が起点となって、見ず知らずの人が出会い、
繋がっていく場だ。だから、内輪の集まりとは少し違う。


自らが主催者となり、ホスト役に徹しながら、交わりを楽しむ。
自らが起点となって、たくさんの出会いと笑顔をみんなに提供する。


異業種交流会とか、そういうのではなく、ただ純粋に、プライベートの個人として出会い、
個人として交わり、個人として繋がることを、ただ楽しむ。


それに徹したパーティーには、一期一会の哲学を感じる。


もっと人生に、素敵なパーティーを。
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EさんとMonchhichis

僕のクライアントのEさんの調子が、ここ数日、あまり良くない。
沈痛な面持ちで、目を閉じて、椅子に座っている。


先週の金曜日、Eさんは、ダイニングルームで一人で遅めのランチを食べていた。
僕が話しかけると、弱々しく微笑んで、首を振った。


いつも以上に、元気が無い。


僕は、食事を終えたEさんを屋上のRooftopに連れて行った。
そこは綺麗なテラスで、陽光がたくさん注ぎ込んでいる。
そのまま部屋に戻るより、気分転換にもなって良いだろうと思った。


僕は、彼女をソファに座らせた。
Eさんは、深く腰掛けると、そのまま目を閉じた。


僕は、彼女の手を握って、ただ一緒に傍にいた。
他に何をするでもなく、ただ、手を握っていた。


Eさんと一緒に過ごす、今この瞬間だけに意識を集中させようと思った。


20分が過ぎた。


Eさんは、ずっと目を瞑ったままだった。


眠ったのだろうか…。


いや、彼女の僕を握る手は、力が入ったままだ。
眠ってはいないのかもしれない。


彼女の呼吸のペースに、自分の呼吸のペースを合わせてみる。
心持ち、ペースが速い気がする。


僕の手を握っている彼女の細い手を眺めてみる。
92年間、彼女のために働いてきた手だ。


目をつぶっている彼女の全体を眺めてみる。
ユダヤ人の彼女は、1歳のときに、ロシアからの移民としてアメリカにやってきた。
90余年を生きて、そして、人生の最後の時期に、日本人のインターンと出会った。
普通なら交わることのない人生の線だ。たくさんの偶然が重なって、ここで出会った。


そのお互いにとっての意味とは何だろう…。


40分が過ぎた。


彼女は眼を開けた。そして、僕を確認すると、静かに頷いて、そして、首を振って、
また目を閉じて…、沈んでいった。


そのあとは、彼女はずっと目を閉じたままだった。


結局、1時間まるまる、Eさんの手を握りながらそのまま一緒にいた。


あるタイミングでEさんの膝を軽く撫でた。
彼女が目を開けたところで、そろそろ戻りましょう、と伝えた。


彼女は頷くと、ゆっくり、少しよろめきながらソファから立ち上がった。


3Fの彼女の部屋に戻ると、ちょうど息子のMarkが、彼女を日課の散歩に連れ出すために、
Pacific Institueを訪れたところだった。


僕は、彼女の状態を彼に伝えた。


Markが心配そうに声をかけても、Eさんは、ただ首を横に振るだけだった。


Caregiverは彼女の血圧を図った。いつもより低いということだった。
熱も計ったけど、平熱と言うことだった。


僕たちはとても心配しているのだけど、何か具体的な手立てがあるわけでもなく、
ただ沈み込んでいるEさんを見守るだけだった。


その時、僕は、先週、ある本を読んだとき、こんなことが書いてあったことを
思い出した。


「昔、老衰と思われて亡くなった人の大半の死因は、
実は、脱水死によるものだったことが多い」


僕はキッチンに行ってリンゴジュースを手に入れてきた。
コップに注いで、「Eさん、ジュースだよ」と差し出すと、
Eさんは受け取り、ゆっくりそれを飲んだ。


少し、生気が戻ったように思った。


しばらくして、Markが「散歩に行くかい?」と尋ねると、Eさんは頷いた。


僕たちは、3人でいつもより短いコースの散歩に出かけた。


Eさんは少し、元気を取り戻したようだった。


部屋に戻ってくると、Markは、新しい人形をEさんに渡した。


実は、少し前に、もう一人の息子Tengが、Eさんにチャイナドールを持ってきたことがあった。
とてもきれいな可愛らしい人形で、それをEさんがとても気に入って、
だいぶ元気を取り戻したことがあったのだ。


ところが、残念なことに、その人形が壊れてしまった。それ以降、二人の息子が
どんな代わりの人形を持ってきても、Eさんが再び興味を示すことがなかった。


ところが、


今回渡した人形は、再びの大ヒットだった。


Eさんは、ものすごく喜んだのだ。
その人形を手に取ると笑顔になり、愛おしそうに見つめ、
そして、キスをした。いつも僕にするように…。


その人形は、


日本のモンチッチ(Monchhichis)だった。



ふと、僕は日本で、モンチッチに似ているとよく言われたことがあったことを思い出した。
何となく髪の毛の具合や、頭かたちのフォルムを指してのことだったように思う。


知らなかったのだけど、モンチッチは、世界中で愛されている日本発のぬいぐるみの
一つなのだそうだ。


僕は、嬉しそうにモンチッチを見つめるEさんの隣に座りながら、
モンチッチ似の僕の外見が、Eさんとの信頼関係づくりに
与えていたかもしれない好影響について、少し考えた。
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新しいスーパーバイザー

Pacific Instituteの僕の新しいスーパーバイザーは、Laniだ。
Chinese Americanの女性で、CIISの博士課程でも教鞭をとっている。


実は、Laniは以前からAninと同じPacific Instituteのスーパーバイザーだった
僕は、ほとんど接点が無かったのだけど、去年も、何人かのインターンの
Individual Supervisionを担当していた。


サイコダイナミクスをベースにしたRelational Approachが専門だ。
とても気さくで、異文化への造詣も深く、とにかく引き出しが多くて、
アプローチのアングルが多様だ。


彼女にスーパーバイズされていた去年のインターンたちからの評判もとても高かった。


僕は既に、2回ほどセッションを終えた。


彼女は温かくてクールな、不思議な雰囲気を持っている。
Aninとはまた違ったタイプだ。


Laniの専門は、僕の外部のスーパーバイザー、Gloriaと同じだ。
だからだと思うのだけど、彼女たちのアプローチには少し通じるところがある。


僕は、スーパービジョンで、クライアントのこと、自分自身のこと、アプローチのこと、
チャレンジのこと、上手くいったこと、いかなかったこと、行き詰ったこと、
いろいろ話すのだけど、かなりの頻度で、こういう質問が来る。


「それがあなたに意味するところって何?」
「何があなたにそう思わせたのかしら?」
「そう感じたことについて、あなた自身の中に何か思い当ることがある?」


少しでもアンテナに引っかかるところがあると、それを正直に相手に投げかける。
そして、その意味を相手と一緒に探る。時に、彼女自身の洞察が語られる。


だから、僕は、常に自分を振り返ることになる。


僕のこれまでの経験で言うと、
何気なく、深く考えずにした発言や反応が、実は自分自身の本質に迫る近道だったりする。


それらのアプローチは、平たい言葉で言うと、カウンセリング的な突っ込みとも言えるし、
今この瞬間に、セラピストとクライアントとの関係の中で起こっていることへの
フィードバックとも言える。


実は、日本にいるときに、こういうアプローチをされるのが大嫌いだった。
でも、困ったことに、するのは大好きだった。


いま、僕はスーパーバイザーにそういうアプローチをされて、本当にありがたいと思っている。
セラピューティックな信頼関係の中でされるフィードバックは、素晴らしく機能する。
加速度的に自分を深めていける。自己防衛をする必要なく、
どんどん自身を探っていける。


セラピストやスーパーバイザーによってしっかり守られているセラピューティックな空間は、
人間を集中的に成長、成熟させる孵化器のようなものかもしれない。


このしっかり守られている、という感覚は日本ではなかなか体験できない類のものだと思う。
CIISが価値を置いている世界の一つだ。


ちなみに、CIISのファカルティメンバーでもあるLaniは、
初めてのセッションのときに、笑いながらこんなことを言った。


「CIISは、とてもユニークな大学院だわ。良く言えば先端だし、悪く言えば傍流。
サンフランスコスタイルカウンセリングの総本山みたいなところね」


アメリカでもっともセラピーが盛んな都市と言われているのは、
ニューヨークとサンフランシスコだ。CIISは、その一方の中心的な存在なのだから、
なかなか結構なことだと思った。


僕は、彼女のGroup Supervisionも受けている。
今の僕にとって、いろいろなスタイルを知ることは、とても勉強になる。


引き続き、とても楽しみだ。

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3番目の息子

僕のクライアントのEさんは、もうすぐ92歳になる。


実の息子のMarkと養子のTengが、毎日、交代で彼女を見舞いに来て、
彼女を散歩に連れ出す。なかなか出来ないことだ。


僕はEさんの担当として、時間の許す限り、その散歩に一緒に
付いて行くようにしている。


もし何かあった時には助けられるだろうし、
Eさんの家族とコミュニケーションが図れるし、
何よりも、人数が多い方がEさんも楽しいだろうと思うからだ。


先日、珍しく、MarkとTengが一緒にPacific Instituteに来て、Eさんを散歩に連れ出した。
それを聞いた僕は、いつもの散歩コースを追いかけてみた。


両脇を二人の息子にそっと支えられて歩いているEさんが見えた。


僕を見つけると、MarkとTengがEさんに言った。


「ほら、3番目の息子が歩いてきたよ!」


僕が駆け寄ると、Eさんは顔を上げて、小さく微笑んで、僕の手にキスをした。


僕たちは、通りかかった女性にお願いをして、4人の写真を撮ってもらった。


そんな僕たちに興味を持ったのか、その女性が尋ねてきた。


「ねえ、あなたたちは、どこからやってきたの?」


僕たち3人は、ほぼ同時にPacific Instituteを指さして言った。


「あそこ!僕たちの母さんが住んでいるあのビルからさ!」
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Speak out(声を上げる)

Pacific Instituteでは、毎朝9時15分から10時まで、“Stand up meeting”が催される。


各ビジネス部門の責任者と、Caregiverの責任者と、ナースが一同に会して、
前日までのレジデントの出入りや動き、事故、全体のマネジメントに関する情報などを
交換、共有するのだ。


そこに、インターンが2名、毎日日替わりで参加し、レジデントに関する情報を記録する。
そして、その情報をインターン全員にメールで共有するのだ。


さて、先のブログで、評判が高かったはずのPacific Instituteの
Caregiverに起こっていること、最近、目につくネガティブな徴候について触れた。


例えば、先週の金曜日、LGCビルディングの1Fに住む、加齢による体の衰えが
著しいレジデントが、自力でご飯を食べられないにもかかわらず
Caregiverから食事のサポートをしてもらえていなかった。
彼女は、ご飯をすべてテーブルと床の上にこぼしてしまっていた。


疑問に思った僕が尋ねると、Caregiverはナースの指示によるもので、
如何ともしがたい、と傍観者の立場をとっていた。


僕はその日の夜、マネジャーに詳しく状況を書いてメールをした。
土曜日、日曜日にもCaregiverからのサポートがないと、そのレジデントの
命にも関わることになりかねないと思ったからだ。


でも、そのマネジャーから返信が来たのは日曜日の午後だった。
それも、たった1行の短いメールだった。


その翌日、月曜日のStand up meetingで、
そのマネジャーはこの件について何も触れなかった。


実は、3週間前には、重度の認知症のレジデントが住む2Fで夕方以降に起こっていること、
フローターという忙しいフロアを自由に動いて手伝う人が1名アサインされているのだが、
そのシステムが機能していないこと、2FのCaregiverの負担が重すぎて燃え尽き症候群の
一歩手前にいることを、彼女の上のシニアマネジャーとエグゼクティブディレクターに伝えていた。
でも、これまでのところ、状況は何も変わっていなかった。


以上のこともあって、僕は月曜日に参加したStand up meetingの最後に声を上げた。


まずマネジャーに、メールした後の状況がどうなっているのか確認した。
彼女はまだ調べていないとのことだった。
僕は、金曜日の状況を全体の前で説明した。


ついでに、全員に、夜7時半以降にLGCビルディングの2Fを訪れて、
そこで何が起こっているのか自分の目で確認してほしいと言った。
担当のCaregiverたちが置かれている状況と、疲れきっていることを説明した。


ぜひもう少し詳しく話を聞かせてほしいと言われたので、
ミーティングの後に個別に状況を説明する時間を取った。


普段、インターンは状況確認の質問をすることがあっても、問題提起をすることは
ほとんどない。


ましてや、比較的、静かな日本人と思われていた僕がそれをやったので、
インパクトがあったようだ。


実は、


先月最後のAninとのスーパービジョンで、僕は彼女からこんなことを言われていた。


「Pacific Instituteの掲げるビジョンは素晴らしい。でも、まだ道半ばなの。


TJ、私はあなたがPacific Instituteでいろいろ観察して、いろいろな事に
気づいていることを知っているわ。でも、それをきちんと声に出して届けない限り、
物事は良い方向に解決していかないの。


認知症のレジデントは、自分の置かれている状況を説明することが出来ない。
要望を伝えることもできない。


あなたが彼らの代わりに気づいて、あなたがそれを彼らの声として周囲に
届けていかないといけない。わかる?


私がいなくなったら、誰もそれをあなたの代わりに言ってくれる人はいない。


すべてはレジデントの為なの。その声を届ける責任があなたにはあるの。


もちろん、多くの人を前に、そういう発言は慎むべきと考える
日本のカルチャーもあるのかもしれない。でも、大事なことなの。


あなたがこれまでに私に伝えてくれた指摘は、どれも的を射ていたわ。
あなたは、とても鋭い感性をしているの。よく気づくの。
あなたの意見は、必ず全体の為になるわ。


だから、ぜひ声を上げるようにして」


Aninは、何か少しでもおかしいことを感じると必ず声を上げていた。
常に、レジデントのことを第一に考えていたし、僕たちインターンの声をマネジメントに
届けていてくれたし、インターンの立場を政治力学の風あたりからいつも守ってくれていた。


僕たちは、いや、僕は、それに全面的に頼ってしまっていた。


でも、いまAninはいない。経験を積んだインターンたちもいない。
僕が言わないと、レジデントの声を代弁してくれる人は誰もいない。


今朝、エグゼクティブディレクターが、僕に会うなり話しかけてきた。


「TJ、先日のあなたの“Critique(批評・批判)”はとても良かった。
この組織には、Critiqueが必要なの。誰かが言ってくれないといけなかった。
声を上げてくれたあなたにとても感謝しているわ」


Aninが守ってくれるあまり、僕は、少し自分自身を小さく表現していたようだ。


先月Aninが退任してまだ間もないけど、
僕は、自分の中にポジティブな変化を感じている。


自分自身が本来の適正サイズを目指して、
どんどん大きくなりつつあるのを感じている。

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新インターンとレジデント

Pacific Instituteに新しいインターンがやってきて、2週間目に入った。


最初の一週間目は、とても神経質そうにたくさんの質問を周囲にしていた
新インターンたちだったけど、実際に自分のクライアントと会って
会話を交わして、丸一日、Duty Dayの担当者として施設で過ごすと
だいぶ落ち着いてくる。


一日の終わりに会うと、誰と、どんな会話をして、どんな発見があったのか、
みんな、活き活きと機関銃のように話しかけてくる。


レジデントたちも、新しい環境に上手に対応をしているようだ。


不思議なのだけど、新しい人がフロアを訪れると、フロアの雰囲気が変わる。
人の存在が場に与える影響は面白い。例え、その人が何もしなくても、
明らかに何かが変わる。


レジデントもそれに気づいている。


でも、しばらくすると、その人と場の両方が溶け合ってくる。
両方が変化して、その人は場の一部になる。


そのきっかけを作るのは、だいたい認知症の進んだレジデントたちだ。


彼らは出会う人にいつもオープンだ。
初めて会った新インターンにも嬉しそうに心からの笑顔で接する。
だから、緊張していた新インターンも笑顔になる。


その関係性を見て、他のレジデントも新インターンに対して安心感を覚えるようになる。


だから、彼らが新インターンの水先案内人となっている。


認知能力が健全なクライアントの中には、まだ緊張している人もいるようだ。
でも、それは当然のことで、時間が解決してくれるだろう。


僕が、自分自身の体験として新鮮に感じたことなのだけど…、


旧インターン16名が去ることを寂しく思っている最中に、
ある日突然、新インターン22名に出会う。


すると、自分の中に、「新インターンとの人間関係」と言うまったく新しい画面が立ち上がる。
これまでにまったく存在しなかった画面だ。それが、しばらくの間、
旧インターンとの画面と並列して存在するようになる。


そして、次第に、新インターンとの画面が前面に出て、旧インターンとの画面は
後ろに下がる。


たくさんの情報が、新インターンの画面にアップされるようになり、僕はその画面を
記憶が起動する時のメイン画面に据えるようになる。


やがて、その画面のみを通して、僕は世界を見るようになる。


こうして、新しい世界が、僕の世界になっていく。


同じことがレジデントにも起こっているんじゃないだろうか。
環境の変化に上手に対応している彼らを見て、そう思った。


そう考えると、ガラリと環境が変わったり、一気に人間関係が変わると言うことは、
ドラスティックな分だけ、逆に、人々は対応がしやすくなるのかもしれない。
大きな変化の直後は、ノスタルジックに浸っている暇が無いから。


その意味で、毎年、インターンが入れ替わるPacific Instituteのような場所は、
高齢のレジデントたちにとって、とてもユニークなのかもしれない。


定期的に別れと出会いがあり、レジデントはその都度、新しい人間関係を
結んでいく必要がある。もし、自宅で暮らしていたら、人間関係はどんどん
狭まっていくだけだろうから…。


新しい出会いによって、人が自分の新しい側面を発見していくのは、
Pacific Instituteのレジデントとインタ―ンの関係でも同じだ。


新インターンは、レジデントに対して固定観念がないぶん、
新しい関わり方と新しいチャレンジをする。それによって、
レジデントに新しい変化や驚くような科学反応が起こることが多々ある。


でも、それらは過去のインターンたちとの出会いと別れの
積み重ねの上に成り立っている。


ただ出会うだけでは、人は大きく変わらないのかもしれない。
別れがあってこそ、次の出会いの意味が深くなる。
それによって、人は、本当の意味で変わっていけるのだと思う。


…。


小さい頃は、いつも“始まり”だけが人生にあった。
歳をとると、“終わり”だけが人生を占めてくる。


幾つになっても、“始まり”と“終わり”を人生の中にバランス良く持つことは大事だ。
人生に澱みをつくらないために。
いつも健全に自己成長をするために。
現在(いま)を意識的に生きるために。


そんな環境がPacific Instituteにはある。
それがレジデントへの一番のギフトになっている。


新インターンとレジデントの関わりを見ていて、そんなことを思った。

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土曜日の2つのパーティー

先週の土曜日は、ちょっと忙しい一日だった。


今年、CIISを卒業した日本人の友だちから、彼女のアメリカ人パートナーの
誕生パーティーに招かれていた。サンフランシスコ市内の彼女たちの家で
13時スタートだった。


そして、夕方17時、慶応義塾大学つながりで、サンフランシスコ三田会で知り合った方の
ご自宅の夕食に招かれていた。場所は、サンフランシスコ郊外で車で1時間ぐらいの
場所にあるPetalumaだった。


さて、お昼の誕生パーティーで、彼女は僕に耳打ちをした。
実は、彼女は妊娠二カ月目で、この8月にパートナーの彼と正式に結婚することを
決めたそうだ。そして、アメリカでMFT(Marriage and Family Therapy)の
ライセンスを修得することを目指すのだと言う。


もともと日本でセラピストの道に進むことを主要な選択肢として考えていた
彼女だったので、大きな決断たったと思う。


彼女は30代半ばだ。
そんなところからいろいろ話が広がった。


「この年齢になると、すべてを同時並行で進めないといけないの。
プラクティカム、子供、ライセンス、etc…。TJもわかるでしょう?」


まさに、その通りだ。


若いころは、一つのことに集中しながら、まずこれ、次はこれ、
と順番にこなしていくことが出来た。


でも、今は違う。


大学院を卒業して、インターンを終えて、それから資格を取るための所定の経験を
積んで、試験を受けて合格して、それから結婚をして、子供をつくって、家族を持つ。


なんて考えていると、家族を持つまでに、あっという間に10年は過ぎてしまう。
一つずつ順番に成し遂げていくと、人生の時間が足りなくなってしまうのだ。


ある年齢になると、自分にとって大切なことを、全部、
同時並行で進めなくてはいけない。


彼女は、そのことに、ものすごいストレスとプレッシャーを感じていると
言うことだった。


一つを選ぶことが、必ずしも他の一つを諦めることを意味せずに、
時間をずらして一つ一つ順番に達成していこうとするプライオリティの立て方は、
若いうちの特権なのだ。


今の僕たちに、時間はとても貴重だ。
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夕方からは、サンフランシスコ三田会で知り合った方のホームパーティに招かれた。
彼女は、インターナショナルスクールで教師を務めるアメリカ人の旦那様と結婚をして、
日本とアメリカに家を持ち、二人で太平洋を往復する生活を続けている。


息子さんと娘さんと犬が家族メンバーだ。


息子さんは、サッカーで奨学金をもらったほどの腕前で、
娘さんは、カリフォルニア大学デイビス校のひと夏のプロジェクトで、
世界中の高校生から優秀な生徒を募集・選抜し、ひと夏の間、最先端プロジェクトの
メンバーとして教授から1対1で指導を受けると言う栄誉を受けている現役の高校生だ。


三田会の繋がりで、4名が夕食に招かれた。
とても楽しいひと時だった。
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アメリカに住むご家族からパーティに招かれると、いつも、
“Quarity of Life(生活の質)”について考えさせられる。


ご主人は言った。


「この場所に初めて来た時、乾いた空気、済むような青空、豊かな自然…、
まさに理想の場所だと思ったんだ。だから、ここで仕事を探すことに決めたんだ」


物事を決めるとき、仕事よりも、住みたい場所が先に来るんだな、と思った。


一緒に招かれていた、アメリカ人のパートナーと結婚をして、
アメリカに住んでいる日本人女性は、アメリカに住むことを決めた理由として、
こんなことを言っていた。


「高校生の時、初めて留学をして、そのホームステイ先の家族の生活に
とてもインパクトを受けたの。若いカップルだったけど、彼らの豊かな生活空間と、
仕事の後に家族で過ごす満ち足りた時間…。日本でこのクオリティの生活を
手に入れるのは、至難の業なんじゃないかと思った」


確かに、その通りかもしれない。


毎日、満員電車に揺られて、残業と接待が当たり前で、転勤があれば
住む場所もそれに応じて変えることが当然と考えられている日本社会では、
ごく一部を除けば、このクオリティを手に入れることは容易ではない。


僕は、これまでずいぶんキャリアに偏重した人生を送ってきたように思う。
でも、あたりまえだけど、キャリアは、人生のほんの一部でしかない。


キャリアだけでは無くて、
自分が過ごしたいライフスタイル全般から人生を捉えることができたら…、
これまでとはまったく違う世界が目の前に開けてくるのかもしれない。


僕は、何を軸にして、これからの人生を創造していこうとしているのだろう。

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S氏とのFriendship

元ハーバード大学プロフェッサーのS氏の体調と精神状態が芳しくない。


周囲にヒステリックに怒鳴り散らし、性差別的発言、
人種差別的な発言を吐き、時に、唾を相手に浴びせたりして、
レジデントやCaregiverを困らせている。


体力の衰えも甚だしい。
痩せて来て、いつも愛用しているGパンが、ベルトをしても間に合わないぐらいに
ずり落ちている。


死期が迫っていることによる錯乱状態、と言っても良いかもしれない。


やむを得ず、薬が処方されているのだが、それでも感情の起伏が激しいので、
なるべく、みんな遠くから見守るようにしている。
そう言うと聞こえは良いのだが、なるべく直接関わらないようにしている、
と言った方が正しいかもしれない。


ところが、彼はいつもHVCの建物の玄関入口に座っているので、
みんな、無視するわけにもいかずに声をかける。


そして、ちょっとした事が引き金となって、彼は激昂する。


ちなみに、


僕は、彼にとても好かれている。
と言っても、彼が激昂するのは、僕に対しても同様だ。
例外はない。


彼の認知症は進んできている。同じセリフ、同じ質問を何度も繰り返す。
でも、彼は、僕の名前はしっかり覚えている。TJという名前をとても気に入って、
自分のミドルネームにしたぐらいだから、なかなか忘れないのかもしれない。


その彼は、僕を見つけると、右手を高く上げて、「ヘイ!ヘイ!」と
声をかける。


「お前は、TJだな?JapaneseのTJだな?なぜ俺がお前の名前を覚えているか
知っているか?それは俺のミドルネームだからだ!」


これが、僕たちの会話が始まるお決まりのフレーズだ。


昨日、僕を見かけた彼は、僕を呼んで隣に座れと言った。


そして、こう言った。


“Lovers are for the moment, but friendship is forever”
(恋人関係は一瞬でしかないが、友情は一生続く)


少し間をおいて、彼はこう続けた。


「友情を大事にしなくてはいけない。わかるな?」


「ええ、わかります」と僕は答えた。


恐る恐る尋ねてみた。


「でも…、それはなぜか、聞いてもよろしいですか?」


すると彼は断言した。


「恋愛感情は移ろうものだからだ。だが、友情は違う」


僕は更に尋ねてみた。


「友情は、なぜ長く続くのでしょうか?」


彼はもっと強く断言した。


「友情とは、Judgeの無い関係だからだ!」


そうか…、Judgeの無い関係が友情なのか。新鮮だった。
ちなみに、この考え方はTherapistの基本姿勢にも共通する。


もし、Non-Judgmentalな姿勢が対人関係におけるひとつの理想的なあり方と
言えるならば、この姿勢を、友情やTherapeuticな関係の外でも意識し、
実践することは、とても意味のあることだろうと思った。


そして、彼はこう言った。


“Friends stay with you all your life, whatever you do”
(お前が何をしようとも、お前に何が起ころうとも、
        一生離れずにいるのが友人というものなんだ)


実は、その時、僕は、隣のビルに行く用事があったので、それを彼に伝えた。
彼の逆鱗に触れるかなと思ったけど、そうではなかった。


彼は快く受け入れて、こう言った。


「俺は、お前の友人だ。何があっても、お前の友人だ。
例え、お前が人を何人殺そうとも、Judgeをしないで傍にいるのが俺だ。
それを忘れるな!」


S氏は東海岸の名だたる名門大学のプロフェッサーを歴任してきただけあって、
いろいろトラブルを起こしながらも、時々、とても素敵なことを言う。


僕たちは、固い握手をして別れた。


僕とS氏との間には、あとどのぐらいの時間が許されているのだろう。
出来る限り、彼のもとを訪れるようにしたい。

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Caregiverのあり方、いろいろ。

Pacific InstituteのCaregiver(レジデントを介護する人)たちは良く働く。
とてもハードな仕事にも関わらず、いつもベストを尽くしている。


だから、評判がとても良い。


インターンにとって、彼らへ敬意を払いながら、良い関係を築いていくことが、
Pacific Instituteの哲学である、Therapeuticな環境をレジデントに提供していく上で、
とても大事だ。


最近、僕は、彼らの仕事を手伝い、間近に接するようになるにつれて、
ここPacific Instituteにおいても、Caregiverの働き方に対して、
組織と人とマネジメントの問題がネガティブな影響を及ぼしていることを
強く感じるようになってきた。


でも、完璧な組織など無いのだから、当然と言えば当然なのかもしれない。


今週の水曜日、認知症を患い、英語を話すことのできない日系アメリカ人の
レジデントが昼食をとっていた。


彼女は、ほとんど食事を平らげていたけど、隅っこにまだ細かな野菜が残っていた。
彼女はそれを一か所に集めて食べようとしていた。


しかし、あるCaregiverがそのお皿を下げようとした。
自分たちの休憩時間が後に控えているし、彼女は早くお皿を片付けたいのだ。


僕は、彼女がまだ食べたいと言っている、とCaregiverに伝えると、
彼女は、「えっ、まだ食べるの?」という表情をして、
“Oh my God!”と言った。


そして、そのレジデントがお皿の一角に集めていた野菜を崩して、
スプーンで掬い、彼女の口に入れた。


そして、彼女はそのお皿を下げようとすると、
そのレジデントは、「未だ残っている…」と言った。


それを聞いた僕は、Caregiverにそれを伝えると、
彼女は、もっと迷惑そうな表情をして、再び、“Oh my God”と言った。


彼女がもっと食べたいと意志表示をすることが、なぜOh my Godなのだろう…。


僕が、その残りの野菜をスプーンに乗せて、彼女の口まで運んだ。
そして、まだ野菜は残っていたにも関わらず、そのCaregiverは、
その間に、お皿を下げてしまった。


「あっ…」というレジデントの小さな声だけが残った。


今週の木曜日、夜7時過ぎに、LGCビルディングの2Fを手伝いに行った。
2Fには、かなり認知症の進んだレジデントが住んでいる。


夕食後の同じ時間帯には、1階と3階はとても静かなのに、2Fだけが、
カオスの状態になっている。だから、Caregiverの負担が大きい。


少しでも人手があると彼らは助かるのだ。


案の定、大勢が徘徊し、掴みあいの諍いを起こしたり、他人の部屋に入ったり、
それを止めさせるための怒声が響いたり、トイレに行きたい、食べたはずなのに
夕食はまだか、家に帰るためのタクシーを呼べ、倒れるリスクのあるレジデントで
車椅子に乗っていないといけないのに立ち上がって歩き出そうとしてる…。


この2Fのフロアをメインに担当してる2名のCaregiverは、一人は中国、
一人はビルマの出身だ。


他の1Fと3Fのフロアは、フィリピンとアフリカのエチオピアとエリトニア出身の
Caregiverが占めている。


フローターと言うシステムがあって、一人、各階を自由に動いてサポートに回る
Caregiverがいるのだが、彼らの世界におけるグループの力学も働いているのだろう。
自分と同じ国出身のCaregiverがいるフロアに行ってしまう。


仕事のハードな2Fを避け、相対的に、負担の少ない1Fと3Fに
行って、多くの時間を費やしてしまうのだ。


2Fの負担について、先月、僕の口からマネジャーに伝えたのだが…、
何も変わっていないとのことだった。


このフロアに住む18人を二人のCaregiverにカバーするのは難しい。
半年前までは、レジデントの数は14人だったので何とか回せたが、
今はそれも限界だと言うこと。


いろいろ話を聞くと、どこに問題があって、どう変えると良いと思うのか、
彼女たちは明確なアイデアを持っている。


僕は彼女たちに、マネジャーはこの時間帯に、このフロアに来て、
何が起こっているかを見て、状況を把握しようとしたことはあるのかと尋ねると、
彼女たちの知る限り一度もないとのことだった。


このマイノリティCaregiverの二人は、いつも、レジデント誰一人けがを
させないようにと一人ひとりにコミットしている。細かく対応している。
とても優秀だ。


他の曜日の同じ時間帯に訪れたとき、違うCaregiverのペアが2Fを担当をしていた。
彼らは、疲れているのは同様だったけども、レジデントが何をしようが、
基本的にはノータッチだった。だから、実際は、Caregiverのクオリティも
いろいろなのだ。


僕は彼女たちが燃え尽き症候群にかかってしまうのではないかと心配している。


今日、1Fで体がとても不自由で、入院先から帰ってきたばかりのレジデントが
昼食をとろうとしていたのが…、フォークもスプーンも持つことが出来ず、
自分の指を口に運ぶことさえもできず、息を切らせて、
食事すること自体が重労働になっている。


結局、食事をテーブルの上にすべてこぼしてしまって、
食べることが出来ていない。


僕は、なぜ彼女が食事をとるのをサポートしないのか、とCaregiverに聞くと、
「ナースが、彼女は自分で食事をとる必要がある」と言ったからだと言う。


リハビリを兼ねているのだろうか…、と思ったが、
少なくとも彼女は、何も口に入れることが出来ていないのであれば、
その意図は本末転倒ではないか。


僕が「ナースはどこにいるの?」と尋ねると、今日はここにいないと言う。


「この状況を見ずに、指示だけを残しているのはおかしいんじゃないか?」


というと、Caregiverは申し訳なさそうに、頷いた。


ナースとCaregiverのヒエラルキーもあるのだろうし、
ナースからそう言われている以上、何か起こった時にCaregiverたちは
責任がとれないと言うことなのだろう。


同じフロアに自分の親を見舞いに来ていた訪問者が、僕たちのやり取りを
耳にして、“I hear you”と言った。


「君の言うことはもっともだ。状況を見ないで指示だけ出すのはとても簡単なことだ」


僕は、Caregiverに言った。


「OK、じゃあ僕が彼女の食事を手伝うよ。僕が勝手にやったたことで、
君たちには責任は無い、それでいいだろう?」


Caregiverは、申し訳なさそうにSorryと言い、そして、Thank youと言った。
彼らも、本当は手を貸したいのだ。


とても優秀なフィリピン人の男性Caregiverがいる。
僕もとても頼りにしている。


でも、一昨日の午後3時45分に、ある認知法のレジデントから排泄物の
強い匂いがしたので、彼に、彼女のおむつを取り替えてもらえるか、と頼んだ。


すると、彼は、目をそらしてこう言った。


「彼女は、自分で立ち上がることが出来ないんだ。
だから、いったん、部屋に連れて帰ってベッドに移動させて、寝かす必要がある。
そして、おむつを取り替えて、再び、車椅子に乗せて、午後4時45分から始まる
夕食の為にダイニングルームに連れてくる必要がある。だから…」


結局、夕食後にベッドに寝かすから、その時にまとめてやりたいと言うことなのだ。
ちなみに、夕食後と言うことは午後6時前後だ。


効率という概念で考えるとわかるのだが…。


僕は、レジデントを一人、車椅子からベッドに移すだけで、
Caregiver二人係の重労働だということを知っていた。


彼は、日頃、とても有能なCaregiverだ。
僕は、彼に同情すべきなのか、それとも、べき論に徹してリクエストすべきなのか。
状況を知れば知るほど、グレーな領域が自分の中に拡がってくる。


でも、認知症ではないレジデントだとこうはいかない。
「おむつが濡れた。すぐに取り替えてほしい」とストレートに要望する。


それでもCaregiverがなかなか取り替えに来ないと、騒ぎ出す。
だから、Caregiverたちも許す限り、早く対応しようとする。


一方、認知症のレジデントは、その声が無い分、割りを食っていることになる。
だから、僕たちが彼らの声を届けないといけないのだろうけど…。


先日、あるレジデントが、下腹部が燃えるように痛い気がすると訴えた。
僕があるCaregiverに伝えると、彼女は、「そのレジデントはいつもそうなのだ」と言った。


同じレジデントが、トイレに行きたいと言っていると彼女に伝えると
「10分前に連れていったばかりだから大丈夫だ。彼女は時々混乱するのだ」と言った。


昨日、同じレジデントが顔がかゆいと訴えているので、そのCaregiverに伝えると、
「彼女はいつも体全身がかゆいという症状を持っているのだ」と言った。


でも、同じ日に彼女がその痒みを、毎日、彼女を見舞いに訪れる息子に云うと、
息子はすぐに薬局に軟膏を買いに行った。


本来は、Caregiverにも、これに近い態度が求められるべきだろう。
少なくとも、ここPacific Instituteでは、Therapeuticな環境を提供することが
哲学なのだから。


先月まで、3Fに意地が悪いことで有名なレジデントが住んでいた。
人種差別的な暴言を吐くし、時に暴力を振るうこともあったので、
Caregiverだけではなく、同じフロアのレジデントからも疎まれていた。
実は、インターンにも敬遠する人がいるぐらいだった。


でも、Caregiverを統括するマネジャーが変わって、
そのレジデントへの関わり方に対して、Caregiver側に深い理解を示すように
なってから、状況が少しずつ変わりだした。


彼の身から出た錆とはいえ、Caregiverたちが、
彼の要望を後回しにするようになったのだ。


例えば、おむつを交換してほしい、Caregiverにと依頼してから実際に
交換させるまで時に、彼は1時間以上待たされることがあった。


普段から忙しいCaregiverにとって、忙しいから後でする、
という言いわけをつくるのは簡単だ。


もちろん彼は怒鳴る。
僕は彼の苦情を聞かされて、僕の口からCaregiverにおむつの交換を依頼に
行ったことがしばしばあった。


こういうことが頻繁に起こるようになると、Pacific Instituteにとってプラスでは無い。
というのも、そのフロアに自分の親を見舞いに来る家族もそれを目撃することになる。


実は、そのレジデントには、同じフロアを訪れる家族たちも多かれ少ながれ、
“被害”を受けたことがあるので、ある意味、問題児であることは周知の事実では
あったのだが…、


高いお金を払って入居しているにもかかわらず、必要なサービスを
適宜受けられていないとなると、彼らの中にも、疑問が沸き起こる。


Caregiverにとってレジデントはお客さまだし、この施設は、彼らの家なのだ。


ちなみに…、


自分の家族を、2年なり3年にわたってほぼ毎日施設を訪れている人たちは、
フロアの人間模様を良く見ている。


誰が信頼できるCaregiverで、誰が信頼できないのか、よく見ている。
どこに問題があるのかもよくわかっている。


僕は、その家族たちからも、少しずついろいろな話を聞かされるようになった。


今回、いくつか、ネガティブなことを書いたけど、それでも、Pacific Instituteが、
他の施設に比べて、格段に良いサービス、プログラムを持っていることも事実だ。


その家族たちだって、全般的には、Pacific Instituteを高く評価しているのだ。


言うまでもなく、Caregiverの質は、こういうサービスを提供する施設の生命線だ。
もし僕が経営者だったら、すぐに手を打ちたいと思うことばかりだが、実際には、
彼らに現場の声は届いていない。


いま、彼らはPacific Instituteの規模拡大に忙しいのだ。


僕がこういうことに興味を持つのは、日本で、組織と人とコミュニケーションに関する
問題を扱う仕事をしていたこともあるのだろう。


でも、いま僕は、ここでは一介のインターンでしかない。
マネジメントや監督責任について、積極的に関与する立場にいない。
もちろん、対処療法的に色々手伝っているけど、
本質的な解決には至らない。


僕はPacific InstituteのレジデントもCaregiverたちも大好きなので、
もう少し何とかなればと思う。


いろいろ難しい。

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心のサンクチュアリを探る瞑想

いろいろと整理がついて、心が軽くなった状態で、いつもの水曜日、
Helgeとのセラピーセッションを迎えた。


さて、今日は何を話そうか…、良いテーマが思い浮かばなかった。


それを話すと、Helgeはこう言った。


「もし興味があれば、“心のサンクチュアリを探す瞑想”をしてみるのはどうかな」


正直言うと、その瞬間はあまり乗り気がしなかった。


「いや…、せっかくだけど、何か話したいことがありそうな気がする。
そう言えば、前回のセッションで、僕にとって人生の成功とは何か、
について話をしたいと言ったことを思い出した」


と言うと、Helgeは、笑顔で応じた。


ところが、話そうとすると、考えが全然まとまらずに、
言葉が出てこなかった。


というわけで、僕は言った。


「今日は、そのタイミングじゃないみたいだ。
その瞑想を試してみる方がいいかもしれない」


するとHelgeは、


「もちろん、いいよ。そのサンクチュアリから、
TJの成功に関する問いを考えてみると違った発見があるかもしれないしね」


と言った。


僕は、深呼吸して、ソファの上に胡坐をかいた。
そして、目を閉じて、Helgeのインストラクションに従った。


「リラックスするように…。


深く深呼吸をして、その呼吸を辿って、自分の中に深く深く下りていくように…。
そして、自分の一番奥底にある、自分が一番安らげる世界をイメージしてみるように…。
その世界は過去に行った場所でもいいし、空想の場所でもいい。」


Helgeは、ゆっくり5つ数えるので、カウントするごとに、より深く、より鮮明な
イメージを探ってみるようにと言った。


一つ目で青い景色が見えたような気がした。
二つ目、それは空かなと思った。
三つ、四つと続くうちに、僕は、海の中に漂っている自分に気がついた。


そして、五つ目、僕は、真っ青な海の、水面の表面近くでもなく、あまり奥底でもなく、
光が届く辺りの海の層を漂っていた。


“Oneness(すべてはひとつ)”


僕は漂いながら、そんな無言のメッセージを体全体に感じていた。


Helgeは、しばらくの間、その世界をありありと感じてみるようにと言った。


僕はその世界に身を浸した…。


そのイメージの中にメッセンジャーを登場させるようにとの声が聞こえた。
すると、僕のイメージの中に、ウミガメが出てきた。


そのウミガメは、空を舞う鳥のように、海の中に漂う僕の周りをくるくる舞うように泳いだ。
ウミガメは、地上での動きは遅いけど、海の中での動きは俊敏だ。


その世界に身を置いたまま、そのウミガメに質問をしてみるようにとの声が聞こえた。


僕は、そのウミガメに問うてみた。


「成功とは何?」


ウミガメは何も応えてくれなかった。


ただ、僕の頭の中に、


“You know...”という言葉だけが響いたような気がした。


何度質問をしても、“You know...”とそれだけが響いた。


再び、声が聞こえた。これから5つ数えるので、ゆっくり意識を外に向けるように、
現実世界に戻ってくるようにと。


僕が目を開けると、Helgeは僕に紙とクレヨンを手渡した。
3分ぐらいで、瞑想中に思い浮かんだイメージを描いてみるようにと言った。


Pacific Instituteで表現アートセラピーのトレーニングを受けていたので、
抵抗なくスムーズに書くことが出来た。
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海の中に漂っていると、体が海水を媒介にして拡がっていく感じがする。
自分の体が溶けて無くなる感じた。すべてが一つだ。


この意識に立った時に僕にとって成功とは何を意味するのだろう…。


ウミガメは、ヒラリヒラリと僕の周りを泳いでいた。


ウミガメは…、


陸での動きはゆっくりだ。


もし、このウミガメが僕だとしたら、
ここで言う“陸”とは、僕が他者基準の世界で生きている時を表しているのかもしれない。
社会の柵や他者基準に、自分の存在が囚われてしまっている状態だ。


一方で、ウミガメは、海の中では自由にスピーディに、自由自在に泳ぐことが出来る。
ここで言う“海”とは、僕が真の意味で自分基準の世界で生きている時の状態を
表しているのかもしれない。


僕にとって、生き方が制約されてしまう“陸”という世界ではなくて、
自由にスピーディに生きることが出来る“海”という世界はどこなのか。


言われてみれば、確かに、僕は知っているような気がする。


その世界に飛びこむ勇気だけがあればいいのかもしれない。
自分を信じることさえできればいいのかもしれない。


もうひとつ、


一番最初に聞えたイメージ、Oneness(すべてはひとつ)。


ここから考えてみることは、僕の人生の選択肢、あるいは、人生を見る目を色々と
広げてくれるかもしれない。


もし、この瞑想をしないで、僕にとっての成功とは何か、を考えたら、
おそらく、キャリア上の成功、あるいは家族や友人など豊かな人間関係を持つと
言った成功、というように決められた枠の中、あるいは方向性で成功を考えたかも
しれない。


ビジネスの世界での“成功”と言うと、代表的なものは、
お金、キャリア、規模、地位、称賛、名声だ。いずれも、基準は外部指標だ。


でも、それを否定して、例えばCIIS的なスピリチュアルな世界での“成功”ということで、
家族、愛、スピリチュアリティ、貢献、コミュニティ、絆などを考えてみたとしても、
いまの僕にとっては、これもある意味、外部指標をスピリチュアルな世界の基準に
置き換えただけなのかもしれない。


いずれの世界も、基準が外部にあることに変わりはない。


もちろん、外部指標が基準になっていても良いのかもしれない。


そう言うことも含めて、自分が本当に深いところで何に納得するかが大事なのだろう。


本当に自分が納得できる真実に触れるには、なかなか時間がかかる。
近道に意味はない。かけた時間もその真実の大事な一部だろうから。


結果的に、自分の真実に触れることが出来なくても、
そのためにかけた時間が自分を納得させてくれたりする。


それを考えないことも、妥協することも、避けることもできるだろう。


でも、いつかは必ず直面することになる。
人生の未完了は、必ず人生の最後の最後まで付いてくる。


出来ることならば、体力と時間があるうちにしっかりと向かい合うべきだ。


これはPacific Instituteのご老人たちとの日々の交わりの中で、
僕が感じていることだ。

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Existential Humanistic Psychotherapyのトレーニング

今週の水曜日から、毎週一回のPacific Instituteのトレーニングが始まった。


ベイを挟んで3つの場所に分散しているインターン約40名が一堂に会する必要がある。


開催場所をどこにするか、いろいろ議論があったのだけど、最終的に、
月の第1週はEmeryvilleのサイト、第2週と第3週はSan Franciscoのサイト、
第4週はLakesideのサイト、第5週のある月は、その週は、各サイトごとに
トレーニングを行うということになった。


サイト間でシャトルを走らせるアイデアも出たのだけど、コストがかかり過ぎると
言うことで、結局、個人が持つ車に乗り合わせて、交通費・ガス代全額と、
マイルごとに規定の費用をPacific Institute側が払うと言うことで落ち着いた。


というわけで、今週の初回のトレーニングは、Emeryvilleで行われた。


各サイトごとで行っていた去年までのトレーンングとは大きくシステムが変更された。
各サイトのレベルを均一に保つということと、より新しいチャレンジをするという
意図があってのことで、どういうトレーニングを行うのだろうと思って興味を持っていた。


蓋を開けてみると…、


スタンフォード大学で博士号を取っているCEOのNaderが、彼の人脈を使って、
故Rolo May博士やIrvin D Yalom博士と並んで、Existential Humanistic Therapyの
中心人物と言われるKirk Shneider博士と、正確な名前を忘れてしまったのだけど、
彼と同じグループの女性のセラピストを連れてきた。


みんな、大いに興奮していた。


と書いたものの、僕は彼らを知らなかった。


一か月ほど前に、CIISの友人がこれを読むと良いと貸してくれた本の著者が、
偶然、Kirk博士のものだったので、偶然の一致に驚いたぐらいだ。


そして、もう一人の女性は、Yalom博士とずっと一緒に仕事をしてきた
セラピストということだった。この二人が、今後、講師を務めるとのことだった。


トレーニングの時間は2時間だ。決して長くはない。


二人は、手短に自己紹介と自分の考えていることを簡単に話すと、
すぐにデモをすると言った。


女性の講師の方がセラピストを務めるので、クライアント役のボランティアを
僕たちから1名募った。San Franciscoのサイトから、僕がとても仲良くなった
韓国系アメリカ人のStuartが手を挙げた。


およそ30分間のデモだった。


Stuartは、とても温かくて思慮深い男だ。


彼は皆の前でもあって、とても緊張していた。
叩き上げの理系ということもあって、デモと言えども、なかなか本当の気持ちを
セラピストに語ろうとしなかった。且つ、カウンセリングサイコロジーを
学んでいるので相手の手の内も知っている、デモの意図も心得ているだけど、
だからこそ、そう簡単に素直な扱いやすいクライアント役を演じたりはしない、
できないという強い意志も感じられた。


そのセッションの8割の時間は、プロセスが前に進んでいると言う印象は無かった。


でも、本音を語ろうとしない、心を開けないStuartに対して、セラピストは、
彼のそのままを受け入れて、付かず離れず、柔らかく彼と一緒にいた。


穏やかに彼の前に座り、温かく彼を見つめて、指先もつま先も、
微動だにしていなかった。


その間もやり取りはゆっくり交わされている。


話がどこに向かっているのかわからない、ある意味、宙ぶらりんの状態のまま
クライアントと一緒に居続ける。これはなかなかタフな作業だ。


でも、彼女は、セッションの方向を自ら示すようなことは一切しなかった。
セラピストの意図、言動、あり方のすべてが、クライアントの意識や感覚を
現在(いま)に向かわせる、ということだけに注がれていた。


これは、なかなか説明が難しい。体験してみないとわからない類のものだ。


Stuartは、20分ぐらいたったところで言った。


「このセッションがどこに向かっているのか、僕にはわからない」


セラピストは、静かに微笑みながら言った。


「私にもわからない。でも、どこに向かうかを選ぶのは、
あなたに与えられた機会だと思うの。あなたはいったいどこに
向かいたいのかしら」


最後の5分間で、Stuartは今の自分の苦しみを控えめに語った。
それは意図したと言うよりも、ごく自然に出てきたもののように思えた。
皆の前で泣くわけにはいかないから、今はここまでしか話せないとも言った。


でも、その時、二人の間には、既に信頼感、安心感のようなものが
醸成されていることわかった。


そこでデモセッションは終わった。


このセッション、Therapeuticなプロセスが前に進んでいたとは思えなかった。
しかし、そのプロセスは確実に深まっていた。


そう言う視点で、このデモを眺める必要があったと言うことだ。


Therapeuticなプロセスが深まる、とはどういうことなのだろう。
何によって深まるのだろう。僕は見過ごしたのだろうか。


感想のところで僕は質問をしたら、それこそ、このトレーニングで
深めていくことであって、次回以降に学んでいくと言うことだった。


感想がもう一つだけある。


今回のデモで、熟練したセラピストの、いま起こっている変化を掴む感覚は、
Nannno(ナノ)の単位ぐらいにきめが細かいように思った。


それは、ちょっとした呼吸や表情、話の文脈、エネルギーの流れの変化だったりする。
それをキャッチする感覚がとてつもなく非常に鋭い。


僕自身、クライアントを前にした時、今この瞬間の変化や情報に、
いまの100~1000倍ぐらい敏感になる必要があるかもしれない。


最後のまとめで、全体をオブザーブしていたKirk博士が言った。


「セラピストのあなたの前で、いまその瞬間瞬間に何が明らかに
なりつつあるのか、強く意識しなさい。


クライアントの語る“Story”とクライアントの“Being”、そして、
これらのダンスが相互に織りなす影響と変化に着目しなさい」


この抽象的な概念が、トレーニングを通して、一人ひとりの中に
具体化していくのだろう。


新生Pacific Instituteのトレーニングプログラムがいよいよ始まった。

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惜別と不安感の完了

前回のHelgeとのセッションで、Aninとのスーパーヴィジョンで涙したこと、
それによって、旧インターンとの別れも、自分の中で一区切りできたことを
報告した。


自分の感情を味わう、ということがHelgeとのセッションのテーマでもあったので、
Helgeは今回のことをとても喜んでくれた。


もし、Helgeとの半年間のセッションを経験せずに、今回のことを迎えていたら
また違った感じ方をしていただろうと思う。


改めて、いろいろな出会いと出来事と、それらの巡り合わせに感謝をした。


Helgeから、8月から始まる新インターンと、新体制に対しての感想を聞かれたので、
腹部のあたりに、大きな石が回転しているような違和感がある、と応えた。
要は、不安感があると言うことだ。


Helgeは、その不安感がどこから来ると思うかと尋ねた。


僕はこう応えた。


「僕の勝手な思い込みかもしれないけど…、
まったく新しい人たちのグループに入るときに、言葉の壁もあって、
一段下に見られてしまうのではないかという心配があるのだと思う」


すると、Helgeはこう尋ねた。


「前の旧インターンのグループでは、そういう心配は無かったの?」


僕は、この質問で思い出したことがある。


実は、僕は、Pacific Instituteに来る直前まで、グループやコミュニティに対して
全く期待を持っていなかった。


アメリカでいう“コミュニティ”というものに、どことなく違和感を
覚えていたからかもしれない。実際に、コミュニティの大切さを謳うCIISでも、
特別に強い絆や繋がりを感じたことはなかった。


だから、このプラクティカムでも、僕はスーパーバイザーのAninと、
レジデントたちから人生を学ぶために、Pacific Instituteに行くのだと思っていた。


3月の終わりにインターンが一人抜けて、グループスーパービジョンの
メンバー枠が一人空くまで、僕は、約2ヵ月間、Aninのインディビジュアル
スーパービジョンを週2回受けていた。僕にとっては好都合で、そのことに
とても満足していた。


でも、3月にグループに合流して、毎週会うようになってから、
僕はいつの頃からか、このグループにすごく愛着を持つようになっていった。


Helgeは僕に質問を続けた。


「TJは、半年遅れで彼らと合流したわけだよね。それはそれで、大変なことだったと
僕は思うんだ。TJは結果的に、彼らと素晴らしい信頼関係を築くことが
出来たわけだけど、どんな特別な努力をしたんだい?」


僕には何も思い浮かばなかった。


おそらく、日頃の僕のレジデントへの接し方や、グループの中での発言、
インターンルームで交わした何気ない会話の中から自然に醸成されただけだ。


この瞬間に、僕はハッと気がついた。
そして、それはHelgeの意図だったのかもしれない。


そうか、別に何をする必要もない。新しい人間関係を不安に感じる必要もない。
僕は自分のままに、自分として振る舞っていればいいだけだ。


最後のグループスーパービジョンで、インターンたちが口々に言ってくれたことを
思い出した。


「私たちがTJをこのグループに迎い入れることが出来たのは、本当にラッキーだった。
TJの存在によってグループの質が変わった。たくさんの洞察と貢献をありがとう!」


僕の向かいに座っていたAninが、僕を見て、笑顔で深くうなづいた。
涙目だった…。


僕はみんなからたくさんもらって、そして、たくさん貢献をした。
きっと、これからもそうに違いない。


この日この瞬間をもって、旧インターンへの尽きない惜別と、
新インターンを迎えてのスタートに対する余計な不安を持つことは終わりにしよう。
素直にそう思えた。


この8月から、CIISは卒業まで残り5カ月、Pacific Instituteの卒業まで6カ月だ。
悔いの残らないように全力で駆け抜けようと思う。

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Eさんのキスの理由

先週、最後のスーパーグループスーパービジョンがあった。


ポトラックパーティ形式で、皆で料理を持ち寄って、
このメンバーで集まることのできる最後の時間を楽しんだ。
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一人ひとりが、クライアントとの最後のセッションのことこと、
この1年間の自身の成長のこと、思い思いのシェアをした。
とても爽やかな時間だった。
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インターンの一人、Andrewは50代で、非常に思慮深くて、シャープで
皮肉の利いたユーモアが得意で、温かい性格の持ち主だ。


Andrewは、彼のクライアントの一人、Tさんとの最後のセッションのことを
シェアしてくれた。Tさんは、80代の男性レジデントで、
軽度の認知症を患っている。


「今までありがとうございました。来週からは、
新しいインターンがセラピストして、Tさんを担当することになります。」


Andrewがそう言うと、Tさんは軽く応じた。


「おお、それは良いことだ」


そして、しばらくの沈黙の後、Andrewにこう尋ねたそうだ。


「で、わしの現在のセラピストは誰だったかな?」


認知症を専門に扱うPacific Instituteでは、こういうことが良く起こる。
インターンはそれぞれがクライアントとの関係の中で、似たような体験を
持っているので部屋が全員の笑い声で包まれた。


さて、


Eさんは、92歳の僕のクライアントだ。


コミュニストとしてアメリカの歴史の一角を彩り、89歳までは自立して、
エネルギッシュで、社交的な生活を続けていた。


ところが、89歳のときに道で転んで、腰の骨を骨折してから、
それまでの自立した生活が不可能になってしまった。


以来、24時間ケアのPacific Instituteに住んでいる。


僕は、エネルギッシュな頃のEさんを知らない。


いつも部屋の椅子に腰かけ、腕を組み、目を静かに閉じている姿しか知らない。


“Life is hard...”


“My life is miserable...”


僕と会うと、いつもこう言う。
そして、僕にキスをするのだ。


Pacific Instituteで、Eさんを担当するセラピストとして僕がEさんに
初めて紹介された時、Eさんは僕の顔に両腕をゆっくり伸ばして、
lip to lipのキスをした。


僕はもちろん、周りも驚いた。


彼女には、中国人の養子がいる。そして、実の息子が日本人の女性と
結婚していたことがあって、ハーフの孫がいる。そういうこともあって、
僕を身近に感じたのだろうと言うのが周囲の見解だった。


会うたびにキスをされることに、最初の数週間は多少の抵抗もあったのだけど、
今はもう慣れた。


Eさんは、僕に会うまでずっと目を閉じて塞ぎ込んでいるのだけど、
僕を見ると、笑顔になる。そしてキスをする。


ところが、最近は、セッションのたびに5回ぐらいキスをするようになった。


“Life is hard...”
少し間をおいて、キスをする。


“ My life is miserable...”
少し間をおいて、キスをする。


Eさんはなぜ僕にそんなにキスをするのだろうと、改めて不思議に思った。
そこで、先週のセッションで、僕は初めてEさんに自分からキスをしてみた。


「Eさん、いつも僕に優しくキスをしてくれてありがとう…」


いつもEさんがするように、ゆっくりと、彼女の顔を両手で包むようにしてキスをした。


そのことによって、僕はひとつ気づいたことがある。


両手を伸ばして、Eさんの顔に触れて、キスをするその瞬間まで、
僕の頭の中の思考はストップしていた。何も考えていなかった。


もしかしたら…、


Eさんは、僕とキスをするその瞬間だけ、自分の人生の深い悲しみを、そして、
歳をとることの憂鬱を忘れることが出来ているのかもしれない。


そんなことを思った。


僕は最後のグループスーパービジョンでこのことをシェアをした。
キスの理由と意味について、大いに議論が盛り上がった。


昔、レジャーも趣味もスポーツも、究極の目的は、“思考を停止させること”だと
教わったことがある。


人間は、あれこれ考えることをストップできない生き物なのだ。
だから、みんな、あの手この手で、考えることをストップさせたい。
現代社会は、そのための商品とサービスで溢れるようになった。


若くて健康であれば、それが利用できる。


でも…、


歳をとって、体が不自由になった時、僕たちはどうすればよいのだろう。
どうしたら、過去や未来を考えることから逃れることが出来るのだろう。
僕はまだ答えを持っていない。


「またあとで戻ってきますね」


セッションの後に僕がそう言うと、Eさんは、穏やかな笑みを浮かべた。
そして、目を閉じて、うつむくと、いつもの静かで深い憂鬱の中に沈んでいった。


より幸せに年を重ねることは、とても難しい。

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Mさんの“無条件の肯定的な関心”

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Pacific Instituteのインターンに求められる大事なTherapistとしての姿勢のひとつに
“Unconditional Positive Regard(無条件の肯定的な関心、あるいは配慮)”がある。


僕たちインターンは、レジデントに対して、そのような姿勢で接することが
できるようにトレーニングを受ける。


僕も当然、そのように意識して取り組んできたのだけど…、


最近、つくづく感じるのは、“Unconditional Positive Regard”の姿勢で
いつも人と接しているのは、僕たちインターンではなくて、
レジデントの方なんじゃないか、ということだ。


Mさんは、まさに、その先生だ。
彼女は先月、93歳になった。


会うと、いつも満面の笑みで歓迎してくれる。
“I love you, I love you, I love you”、そして、
“I don't want to lose you”と3回ずつ言いながら、
僕たちの腕をしっかり抱きしめてくれる。


彼女はインターンの誰にでもそうして接してくれる。


先日も、みんなで公園に散歩に出かけると、そこでギターを弾き語っている
若者に話しかけた。まさに、無条件の肯定的な関心を持って。
世代のかけ離れた若者たちと一瞬にして打ち解けてしまった。
そして、音楽に合わせて、リズムを一緒にとって、そのひと時を楽しんだ。
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Mさんは、優しいばかりじゃない。正義感にもあふれている。
こんなことがあった。


インド人女性のインターンが、グループアクティビティで、
ある詩人の作品を読み上げた時、意地が悪いことで有名なある
男性レジデントがこんな言葉を投げかけた。


「なんてひどい発音だ!肝心な詩が台無しだ。
こんなひどい朗読は人前でするもんじゃない!」


その瞬間に、すくっと立ち上がって、その男性に向かって、真っ先に、
抗議のクレームをしたのはMさんだった。


「なんてことを言うの!彼女の英語は素晴らしかったわ!」


そして、インド人のインターンに言った。


「あなたの朗読は本当に心がこもっていた。素晴らしいわ!!!
ぜひ次の詩も読んで私に聞かせて!!!」


Mさんは、しばしば、僕にこんなことを話してくれる。


「あのね、私の人生のPhilosopyは3つなの。


誰も傷つけないこと。自分も傷つかないこと。
そして、もし目の前に助けを求める人がいたら、何でもしてあげること。


私にとって、それらはとっても大切なことなの。
さて、私はいま、あなたに何をしてあげられるかしら?」


とにかく、みんなMさんが大好きだ。


さて、先週の最後のグループスーパービジョンで、そのMさんを1年間担当していた
インターンのMollieが、最後のセッションをした時のエピソードをシェアしてくれた。


外出が好きなMさんと午後、二人で散歩に出かけたそうだ。


Hayes Street沿いを歩いていると、Mさんがある店の前で立ち止まった。
店の中は薄暗い。そこは、ゲイが集まることで有名なバーだった。


Mさんは興味津々に言った。


「うん、私はこのお店に入りたいわ」


Mollieはちょっと迷ったけども、一緒に入ることにしたそうだ。
ハッピーアワーで、若者がカウンターに座ってお酒を飲んでいた。


ジュークボックスから音楽が流れていて、二人が奥に入っていくと、
ちょうどAbbaのDancing Queenが流れたそうだ。


Mさんは、その音楽に合わせて、踊りだした。体を揺らせて、ステップを踏んで、
手拍子をとって、そして、いつものように満面の笑みで。


Mollieもそれに合わせた。


すると、カウンターに座っていた二人の男性が近寄ってきたそうだ。


「お婆さん、ダンスがすごく上手だね!感動したよ!
僕たちはただのQueenだけど、お婆さんは、本物のDancing Queenだ!」


Mollieは言った。


「彼女は、先月、93歳になったのよ。あなたたちが見ているのは、
まさにエンジェルのダンスよ」


「へえー、そうなんだ」と 驚く二人に、Mさんはいつものように言った。


「I love you, I love you, I love you, honey」


そして、彼らの手にキスをした。


5秒前に初めて会った人に、I love youと言われて、心からのキスとハグされる。


その瞬間、多少距離を取っていた彼らのガードが一気に溶けていく様子が、
傍にいたMollieにはとても良くわかったそうだ。


Mさんは、その後も、店の中を歩き回って、お客に声をかけてかけられて、
店に置かれているビリヤード台に興味をもって、いろいろ触って、
球を両手にとって、その重さをかみしめて…、おそらく彼女にとって
人生で初めてであろう世界を堪能したそうだ。


その話を聞いて、スーパーバイザーのAninが言った。


「幾つになっても、探究心と、好奇心と、感謝の心を忘れずに、
未知の交差点に踏み出していく…。


私たちが、Mさんに学ぶことはたくさんあるわね」


彼女をインターンとして1年間担当したMollieは、土曜日にPacific Instituteを去った。
インターンを卒業したのだ。


セラピストとクライアントと言う関係で始まった僕たちインターンとレジデントとの
関係は、卒業後に続くことは無い。


つまり、どんなにクライアントが望んでも、原則、会ってはいけないことに
なっているのだ。


今日、僕がMさんの部屋を訪れると、MさんとMollieが二人で映った写真の入った
小さな写真立てが部屋に置かれていた。


Mさんが、次のインターンと出会うまでに寂しくならないようにと
Mollieがプレゼントしたものだった。

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