« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »

2010年6月

ロールプレイと感情表現

今週のGloriaとのSupervisionで、Gloriaからこんなことを言われた。


「あなたにとって英語が第二言語と言うこともあるのかもしれないけど…、
あなたの使う言葉は、ダイレクトで、オープンで、ごまかしと嘘が無くて、
ずいぶんと心に響くのよね。自分ではどう思っているの?」


日本にいる時、自己開示はとても苦手だった。でも、CIISで慣れてしまったのか、
それとも日本語でないことが逆に効を奏しているのか、その点は、
ずいぶん進化したらしい。


そう思いきや、Hakomiのクラスで3人組になってワークをしたときに、
こんなフィードバックを受けた。


「TJの話にはとても引き込まれたけど、もしかしたら、
日頃、自分の中で何度も自問自答して、整理できた話をしていなかったかい?」


なるほど…、一考の価値がある指摘だと思った。


さて、CIISのクラスでは、クライアント役が、自分がプラクティカムで経験した実際の
クライアントになりきって、セラピスト役の生徒とロールプレイをすることがある。


それぞれの生徒が、プラクティカムで色々なクライアントを担当して、
貴重な体験を積んでいる。


でも、深さとユニークさいう点では、僕のPacific Instituteでの体験は特別らしい。
他の生徒から羨ましがられる。


もちろん、Pacific Instituteが、Agingに伴う健忘症や認知症を専門に扱うユニークな
ファシリティであることもある。でも、それ以上に、そこではクライアントと人間的に
関わる度合いが他のセンターに比べて圧倒的に濃いことが大きな理由だと思う。


先週のPsychological Research & Assessmentのクラスで、ロールプレイがあった。


クライアント役の生徒は、自分がプラクティカムで担当している
実際のクライアントを演じ、セラピスト役は、そのクライアントの症状について
リサーチをする、というものだった。


このロールプレイで、僕はクライアント役を担当することになった。
そこで、このブログにも何度か登場している元ハーバード大学のプロフェッサーS氏を
演じることにした。彼の特徴はすべて頭の中に入っていたから。


ロールプレイでは、実際に彼が僕に話した内容を話して、
彼が僕を怒鳴ったように怒鳴って、その後、彼が自分の境遇を悲しむように
僕は悲しんだ。


とても迫真の演技に見えたらしく、インストラクターや周りの生徒も僕に注目し、
クラスの全員がS氏の人格にものすごく興味をもったようだった。


ちなみに、僕はCIISのクラスでロールプレイの後にしばしば尋ねられる。


「TJは、日本で役者の経験があったの?」


もちろんないのだけど、日本でしていたコーチと言う職業柄は大きく影響をしている。
あるいは、日本にいるときに、イッセー尾方さんの演出を手掛けている
森田さんのワークショップに参加させて頂いたことは、色々な意味で影響を
与えてくれているのかもしれない。


役者…。


それは演じる技を持つ人だ。つまり、本物では無いのに、いかにも本当らしく
振る舞うことが出来る人のことだ。


ビジネス経験が無いのに、ビジネスマンの悲哀を演じることが出来る。
人を殺したことが無いのに、鬼気迫る人殺しを演じることが出来る。
自分にとって自然ではない感情を、その場で自由に創り出すことが出来る。


それはいったいどういうことなのだろう。


本物らしく演じるためには、自分の人生の中に、それと似た感情を探しだす
必要があるはずだ。そして、その感情を膨らませる。
どう膨らませるかはおそらく役者としてのイマジネーションの世界だ。


S氏は、統合失調症、ナルシシズム、ボーダーライン、
全ての要素を持っているような人だ。そして、いま認知症が進みつつあり、
感情はますます不安定になっている。


その日、僕がクラスメートから称賛を得るほどにS氏をそれらしく
演じていたということは、きっと僕の中にも、S氏のような、
ある意味“狂気の感情”があると言うことなのしれない。
それは演じている最中に少し感じたことだけど…。


もし、誰もが心の中に暗い何かを持っているのだとすると、
狂気と正気とを分ける境目は、いったいどこにあるのだろう。


そんなことを思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

“時間の概念”が僕たちの悩みに与えている影響

CIISのインストラクターJudyeが、興味深いショートフィルムをシェアしてくれた。


僕たち人間が、いかに時間の概念に囚われているか、
もし、自分が囚われている時間の概念を深く理解することが出来たら、
いろいろな悩みが解決に向かうだろうという内容だった。


そのショートフィルムによると、ここ30年の研究によって以下のようなことが
分かっているそうだ。


世界中の人たちは、大きく3つのタイムゾーンの中を生きている。


Past Oriented(過去志向)
Present Oriented(現在志向)
Future Oriented(未来志向)



一つ一つの要素は、更に2つの要素に分解される。
だから、詳しくは、僕たちは合計6つあるタイムゾーンのどれかを生きていることになる。
順に見ていく。


1. Past Oriented(過去志向)
明るい過去にフォーカスする“Past Positive”と、
暗い過去にフォーカスする“Past Negative”。


“Past Positive”を生きる人は、写真やアルバム、寄せ書きなどを大事に
生きているかもしれない。あるいは、家族の記録や行事をとても大事にしている
かもしれない。


更にその概念を広げていくと、伝統や文化を保存したり、保護したり…、
そういったことの全てが含まれてくるかもしれない。


次に、“Past Negative”を生きる人は、傷ついたこと、裏切られたこと、失敗したこと、
後悔していること等々、思い出す過去は悲劇的な出来事ばかりだ。


一般的に、セラピーやカウンセリングがターゲットにしている人は、
この層に生きる人たちかもしれない。


2. Present Oriented(現在志向)
ここに生きる人も2つに分けられる。


一つは、“Hidonistic(快楽主義的)な生き方”だ。
苦痛を避け、この瞬間の快楽と刺激を求めて生きる。
酒、たばこ、SEX、博打、薬物…、そういう世界だ。行きすぎると中毒になる。


もう一つのPresent Orientedは、“運命論的な生き方”だ。
人の人生は、生まれた地域や貧困など環境、あるいは宗教などによって、
大方、決められてしまっている。だから、計画を立てることを拒否し、
今あるままをあるままに生きるとする考え方だ。


3. Future Oriented(未来志向)
“Future Oriented”とは、現代社会を生きる多くの人々が採用している生き方だ。


これも2つに分類される。
一つは、より良い未来や夢に向かって努力をしたり、将来に備えて
いま何かを我慢をする生き方だ。誘惑を避けて、貯金をする、勉強をする、
ダイエットをするなどはそれに当てはまるかもしれない。


コーチングや自己啓発のアプローチは、こういう志向を持った人々に
作用するのだろう。


もう一つは、いくつかの宗教の教えがそうらしいけど、本当の“ライフ”は、
肉体の死滅後に始まるとする生き方だ。輪廻転生もその一つかもしれない。
善行によって未来、天国、あるいは転生後のより良い人生に向けて徳を積むわけだ。


身も心もある教えに捧げて、欲望を抑制し、功徳を積む生き方をしている人を、
僕は知っている。


ちなみに、


人間は生まれた時は、全員が“Present Oriented”だ。
赤ちゃんは常に、この瞬間の刺激と快楽を求めて生きている。


人間が成長する、学校や家庭で教育を受けるというのは、ある意味、
いまここの快楽のみを求め続ける赤ちゃんの“Present Oriented”の状態を、
未来のより良い状態のために今を我慢する“Future Oriented”の状態へ導く
教化のプロセスと言えるのかもしれない。


“先進国”と言われる国々は、この“Future Oriented”の生き方を
採用しているケースが多い。


ただ、僕たちが“Future Oriented”を生きるためには、計画を立てた時点で、
未来にそれが実現できると信じる必要がある。


実現できないことが分かって努力をする人はいないだろうから。


例えば、インフレーションが激しい社会や時代を生きる人は、
未来の為に貯金をしようと思わないかもしれない。


あるいは、崩壊した家族関係を生きた子供は、いつも破られる親との約束に、
成人してからも未来を信じることが出来なくなっているかもしれない。


だから、僕たちが“Future Oriented”のタイムゾーンを生きるためには、
ある社会的な条件が前提となっているように思う。


…。


10分間のショートフィルムの中には、他にも興味深いTipsがたくさんあった。
話が広がりすぎてしまうので、ここには書かない。


このショートフィルムの結論は、冒頭にも書いたように、
人間の悩みや関係性の悩みの多くは、私たちが囚われている時間の概念によって
引き起こされていることが多い。だから、それに気づくことによって、
抱える悩みの多くは解決に近づくだろうと言うことだった。


話は飛躍するようだけど、


そういう意味で、世界を旅してみる、世界を知ることは良いことだと思う。
留学もいいかもしれない。


そこで、自分の育った社会とは違うタイムゾーンの存在を知る。
あるいは、知り合った人を通して違うタイムゾーンの価値観に触れてみる。
あなたは、生きている社会のタイムゾーンの違いによって、悩みや抱えている
問題の質が異なってくることに気づくかもしれない。


それによって、自分の生きているタイムゾーンや悩みの種類を客観的に
見つめることができるだろう。


あなたの悩みや無力感は、どのタイムゾーンの社会を生きることによって
生じているのだろう。どの時間の概念に囚われることによって生じているのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Pacific InstituteでのEvaluation(評価)

僕のPacific Instituteでのプラクティカムは、CIISの外部でのプラクティカムだけど、
CIISのカリキュラムの一環として行われている。


だから、セメスター毎にEvaluation(評価)があり、それがCIISに送られる。
つまり、それは僕のPacific Instituteにおけるこの半期の成績表になる。


そのEvaluationとフィードバックが、先日、SupervisorのAninからあった。
そもそも、そう言う評価があるというのを、その時、初めて知ったのだけど…。


結論から言うと、


僕はものすごく高い評価を得た。


「アメリカ人は大げさだから、みんなこんな感じなんだろうな…」


その時はそう思って聞いていたのだが、


その評価表にサインをして、CIISのPlacement Officeに提出した翌日、
CIISのスタッフから、メールが届いた。


「TJ、ものすごい高い評価、すごいわ!!!書かれているコメントも感動的よ。
TJ、これをコピーして、一部を自分のものとして保管しておくことを勧めるわ」


そう書かれていた。


Aninからは、確かに、日々、たくさんのポジティブフィードバックをもらっていた。
今週のスーパービジョンでもこう言われた。


「通常は8月から始まるインターンで、TJをイレギュラーに一人だけ1月に
採用すると言うのは私たちにとってチャレンジだったの。


でも、私はあなたに会った時に、あなたの魂やオーラに触れて、
あなたの人への接し方を見て、絶対に採用したいと思ったの。


私の直感はあたっていたわ。


あなたは素晴らしく環境に適応して、他のインターンにたくさんの刺激を
与えてくれているわ。


あなたの仕事ぶりを見て、もっとしっかりしなくちゃと焦っているインターンも
いるだろうと想像しているの。


だって、あなたのクライアントには、あなたがインターンを担当するようになって
前進した人がたくさんいるから。


私はそれを本当に嬉しく、誇りに思っているの。


とにかく、TJを迎え入れたことは、私たちにとって最高のGiftになった。


これはお世辞じゃなくて、本当のことよ」


褒め言葉を額面通りに受け取ろうとしない日本人のカルチャーをよく知る
Aninから、そう念を押された。


気難しいクライアントとも、対立することなく同じサイドに回って信頼関係を
築いていける。クライアントの家族とも親しくなり、協力関係を築くことができる。
スタッフやCaregiverとも良好な協力関係を築いており、彼らからの評判も良い。
細やかな観察力と、ユニークで深い洞察力を持っている。
感情的に安定していて、動じないあり方をしている。
新しいチャレンジをすることに躊躇がない。


確かに、そんなことが、Evaluation Paperのページごとにある自由記入欄に
たくさん書かれていた。


この7月で、インターンの総入れ替えがある。新しいインターンが21名やってくる。
Aninが抜け、新しいスーパーバイザーが3名やってくる。


環境はガラリと変わる。


いまの自分に自信を持って、閉じることなく、環境の変化と向き合っていきたいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

“幸せ”についてのリサーチ

Pacific Instituteで人生の後半を生きるたくさんのレジデントたちと接して、
ずっと考えていることがある。


それは、幸せとは何だろう、ということだ。


CIISのReseach&Assessmentのクラスの関係で、こんなタイトルの記事を読んだ。


“What Makes Us Happy?”


ハーバード大学の男子卒業生、268名を72年間にわたって、追跡調査をしている研究だ。
もっとも長期にわたる研究の一つと言われている。


その調査で、良い人生を送っている人には、7つの共通点があったそうだ。
その内容を挙げると、


1.employing mature adaptation or defences
(自己を抑圧することなく周囲と良い関係を築いている)
2. education(教養がある)
3. stable marriage(安定した結婚生活を送っている)
4. not smoking(たばこを吸わない)
5. not abusing alchole(過剰なアルコール摂取をしない)
6. some exercise(適度な運動をしている)
7. healthy weight(健全な体重を保っている)


興味を引いたのは、50歳の時にこの質問に対して、5個か6個当てはまった人の
半分が80歳の時にも心身ともに幸せと答えたのに対して、3個以下しか
当てはまらなかった人の中で、80歳のときに幸せと答えた人は
誰もいなかったということだ。


50歳までの生活習慣が、残りの人生の幸福感に大きな影響を与えると
言うことだろうか。


この研究の責任者であるVaillantは、総論風にこんなことを述べている。


「いろいろな要素があるが、この研究から明らかに言える唯一のことは、
幸せであるために人生を通じてもっとも大事なことは、あなたが他者と
どういう関係を築いているか、どういう関係性の中を生きているか、
ということだけだ」


社交の力、あるいは、人間関係を構築する力が、人生の幸せ度合いを
決めるもっとも大きな要因と言うことらしい。


そして、それはどうやら、コミュニケーション力と言うよりも、
謙虚さ、忍耐、愛情といった人としての“在り方”のことを指しているらしい。


このリサーチを読んでから、“Happiness Across the Life Cycle”というタイトルの
別の記事を読んだ。


2002年から2003年にかけて行われたヨーロッパ21カ国、
3万人に対するリサーチ結果と言うことだ。


そこでも、幸福感は、結婚、子供、高い教育レベル、信仰、そして、
収入の増加と高い相関があると述べられ、健康状態の悪化や離婚は、
幸せ感に危機的なインパクトを及ぼすとあった。


そして、年をとることが幸せ感に与える大きな負の要因については、
友人や伴侶に先立たれることによる、人間関係の喪失が挙げられていた。


このリサーチで興味深かったのは、人が何を幸せと言うかは、
人生のステージによって大きく異なるということだ。


だから、幸せとはこれだ、と一般化することが出来ない。


当たり前のことかもしれないけど、案外、忘れがちな視点だ。


人生のステージによって、僕たちの嗜好は変わる。
20代、30代では、輝かしいキャリアが幸せの大きな要因になるかもしれない。
しかし、50代以降、70代、80代では、その順位はかなり下がる。
その代わりに、別の要因が上昇してくる。


ある日、キャリアの為に犠牲にしたきたものの大きさに気づかされるというのは、
ライフサイクルの変化に、自分の価値観の変化が対応できなかった結果と
言えるのかもしれない。


人生のステージに応じて、嗜好や価値観の優先順位を柔軟に変化させる。
同時に、人間関係や暮らし向き、健康状態などの境遇・環境の変化を最小限に抑える。
これらを同時に出来るのなら、人は幸福感を一定のレベルに保てるのかもしれない。


そんなことを考えた。


ちなみに、このリサーチでも、家族と友人は、国やライフステージを超えて、
幸福に最も大きなインパクトを与える要因だと述べられていた。


自分のこれまでの人生を振り返り、これからの人生を考えた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Dさんの逃亡劇

Dさんは、77歳の白人女性のレジデントだ。
認知症だけど、普通に話している分には、何も問題が無い。
肉体的にも健康で、知的で、とても皮肉屋だ。


ところが、彼女は、急にある瞬間の記憶を忘れてしまうことがあって、
独りで暮らすのは危険だろうということで、2か月前から
Pasific Instituteに住むことになった。


ところが、彼女はそれが気に入らない。
何と言っても、彼女は自分は正常だと思っているのだから。


自分が認知症であることを認めていない彼女は、機会を見つけて、
Pacific Instituteを逃げ出そうとする。


それをいかに防止するか、CaregiverもスタッフもInternも頭を悩めている。


色々な変遷があって、現在、彼女はフロアの出入り口にロックがかかる
2階に住むことになった。彼女は、そのロックの暗号をいかに盗み見るか、
毎日、ダイニングルームに座って、人の出入りの瞬間を全身全霊を
注いでチェックしている。


Pacific Instituteの基本スタンスは、Client Centered Approachだ。
セラピューティックな環境で、いかにレジデントに快適に過ごしてもらうか、
皆が努力をしているのだが、最近、Dさんは、それを逆手に利用するようになった。


例えば、先々週、こんなことがあった。


彼女が、地下フロアで行われるGroup Activityに参加したいと言うので、
僕は彼女と一緒にエレベーターに乗り込んだ。ところが、彼女は途中の1階で
降りて、2階には戻らないと言う。家に帰ると言う。2階には戻りたくないから
戻らない。その一点張りだ。


彼女の気持ち、わからなくもない。
結局、僕は、彼女の気が変わるまで、1時間その場に一緒にいた。


この出来事をケアミーティングで採り上げ、
どう彼女に対応すべきか、インターン全員で話し合った。


そのミーティングで、二人のインターンが、外出する前に二人の間で戻ってくる
時間を取り決めておくと彼女はしっかりと戻ってくる、という体験談をシェアした。


ところが、先週、同じインターンが40分で戻ると言う約束を彼女として
散歩に出かけたのだが、彼女は出先で戻ることを拒否し、結局、その日、5時間、
インターンやスタッフを巻き込んで外に居続けた。


どういう法律かわからないのだけど、アメリカでは、僕たちはもちろん、
警察でさえも、戻りたくないと言う彼女を無理やり施設に連れ戻すことは
出来ないのだそうだ。


でも、彼女に何かあったら僕たちが責任を負うことになる。


だから、変な話だけど、僕たちにできることは、彼女が怪我をしないように
注意をしながら、戻りたくないと言い張るずっと傍らに居続けることだけなのだ。


彼女は、それを知って、ますますそのように振る舞うようになった。


それらの出来事があって、僕たちは、彼女を外に連れ出すことにとても慎重に
なった。とても残念なことなのだけど…。


ところが、土曜日の夕方、どういうわけか看護婦が彼女を外に出してしまった。
すると、彼女は出先で戻らないと言い張り、お金もないのにHayes Streetの
高級レストランに入り、席に座って動かない。


Caregiverとその看護婦が彼女にくっついてレストランの入り口で
うろうろする羽目になった。


たまたま夕方、バークレーでのセミナーの帰り、Pacific Instituteに寄った僕は、
ヘルプを頼まれたのだが、僕にだって、何もできない。


レストランに行って彼女に会って話をしたけど、
「私は二度と戻らない」という彼女の答えは変わらなかった。


結局、夜8時半過ぎに、レストラン側が他のお客さんの迷惑になると言う理由で
警察に連絡を入れ、彼女は警察の手で病院に連れて行かれた。


お互いの信頼関係が崩れると、負のスパイラルが回り出してしまう。
これで、僕たちはますますDさんを外に連れていくことが出来なくなった。
とても残念なことだ。


僕たちは、今後、Dさんにどう対応すべきなのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ドラマ“in TREATMENT”で文化を考える

Dsc07433_2
今日、The C.G.Jung Institute of San Franciscoが主催するセミナーに参加してきた。


朝9時から夕方4時までのプログラム。


場所はUCバークレーで、テーマは、アメリカで大人気のテレビドラマ、
“in TREATMENT”を題材にして、セラピーセッションにおけるCultural Complexについて
話し合うというものだった。


以前、ブログにも書いたけど、このテーマについて、イスラエル人留学生がCIISで
プレゼンテーションをした。


とても刺激的で、面白かったので、今回のセミナーも楽しみにしていた。


セミナーは、基調講演、パネルディスカッション、質疑応答という順に進んだ。Dsc07435

パネリストは、3人のユング派セラピストと、映像学をUCバークレーで教えている講師と、
オリジナルのイスラエル版をアメリカ版に翻訳し、現在も、脚本家として
このテレビ番組に関わりつづけている女性の合計5名だった。


話の中で興味深かったのは、番組製作サイドが意図しなかったところで、
視聴者はそれぞれのカルチュラルコンテクストから番組を見ていると言うこと。


例えば、イスラエルのオリジナル番では、セラピストもクライアントもイスラエル人だ。
登場するクライアントの一人にエリートパイロットがいるのだが、アメリカ版では、
それを黒人の役者が演じた。


多くのアメリカ人の視聴者は、アメリカの黒人と白人の奴隷制度の歴史の
コンテクストの上に、そのセラピーのやり取りを観ることになる。


そこには、同じ脚本を使っていても、イスラエル版では生じることのなかった
物語がアメリカ人の視聴者に生まれている。


あるいは、アメリカ版では、セラピストのPaul役を演じているのは、
アイルランド出身の役者だ。ちょっとしたアクセントの違いや、ジェスチャー、
人との関わり方の違いで、アメリカの視聴者にはそれが自然にわかるらしい。


すると、アメリカ人の視聴者は、アメリカにおけるアイルランド人の歴史と言う
コンテクストに則って、彼とクライアントとのやり取りを観ることになる。


そこでも同様に、イスラエル版では生じることのなかった物語が
視聴者側に生まれている。


実際の製作サイドの裏話としては、文化的コンテクストは一切考慮されず、
俳優としての実力本位でキャスティングがなされたそうだ。


ちなみに、僕は、それら二つのコンテクストとは関係ないところで、
このドラマを観ていた。


アメリカは多民族国家だ。キャスティングするときに、何色の皮膚の俳優を
起用するかによって、視聴者のコンテクストが代わる。例えセリフは同じだったとしても、
違う物語が生まれる可能性がある。


日本では考えたことのない視点だった。


実際の脚本を担当したパネリストがこんなことを言った。


視聴者が前提としている男性像、女性像をベースにしてセリフは組まれている。
イスラエルの女性は、男性と同じく徴兵制があり、非常に個性が強い。
アメリカ人の女性は、イスラエル人の女性に比べたらそうではない。


セリフをそのまま翻訳して使うと、違和感が生じてしまう。


あるいは、


イスラエルでは空軍パイロットはスーパーエリートだ。
国民にそのコンセンサスがあり、その前提の上で、脚本が組まれている。
スーパーエリートが実は深い悩みを背負っていると言う、その濃淡が
物語の基本プロットになっている。


ところが、アメリカでの空軍パイロットはイスラエルほどの高いステータスではない。
すると、アメリカ版では、彼の仕事がパイロットであることによって生じる
物語の光と影の濃淡が薄くなってしまう。


…。


“in TREATMENT”はセラピーセッションをテーマにしたコミュニケーションの
ドラマなので特に、文化の違いの影響がダイレクトに現れる。


ドラマの脚本の翻訳を通して文化を考えるという視点は、
改めて、とても興味深いと思った。


夕方、バークレーからサンフランシスコに戻ってくると…、


街はクレイジーな余韻に包まれていた。


今日は、第40回目のLGBT Pride Paradeに日だったのだ。


Bayを挟んでバークレーとサンフランシスコでは、今日一日、
まったく違う時間が流れていたようだ。


僕は、賑わいの続くCity Hallの人ごみの中を横切って、家路に就いた。
Dsc07473

| | コメント (0) | トラックバック (0)

セラピストと詩人

CIISでも、Pacific Instituteでも、生徒やインターンによる
プレゼンテーションがしばしば行われる。


そこで感じるのは、パワーポイントというのは、
ビジネスフィールドのスキルなのだなということ。


カウンセリングサイコロジーのフィールドには、ビジネスのバックグランドを
持つ人が少ないためか、クラスでプレゼンにパワーポイントを使う人には、
あまり出会わない。出会ったとしても、そのスキルはさほどでもない。


その代わりに…、と言っては何だけど、


僕に新鮮に映ったのは、プレゼンに“詩”を使う人が多いと言うことだ。


CIISのあるクラスでも、インストラクターがこんなことを言った。


「セラピストは、詩に精通しているに越したことはない」


詩…。


僕は、これまでの自分の人生のプレゼンシーンで“詩“を
読み上げたりしたことはなかった。


先日、Pacific Insituteの創設者でCEOのNaderによる勉強会があった。
彼はドイツ人とインド人の両親を持ち、アメリカに住んでいる。
まだ50代半ばだろうか。


彼はスタンフォード大学でサイコロジーの博士号をとった。
ビジョナリーで、とてもシャープな頭脳の持ち主だ。


その勉強会で、彼は何冊かの本を持ってきた。
そこから彼が重要だと思うセンテンスを読み上げて、
我々はカウンセリングサイコロジーをどう捉えるべきなのか、ダイアローグ形式で
考えを共有していった。


Naderの持ってきた本は、全部、カンセリングサイコロジーとは関係のない本だった。


その中に、また、詩があった…。


なぜ、カウンセリリングサイコロジーの勉強会で詩なのか。


そんなことも、みんなで話し合った。


すべてのセラピーの理論や考え方は、時代の影響を受けている。


時代の影響を受けていない何かが表現されているもの。
それが、時代を超えて読み継がれてきた古典だ。
その中に、当然、詩も含まれている。


では、時代に影響を受けないものとは何か…。


それは、人間の本質的な部分ではないか。


我々は、古典から、人間の本質的な部分について、
たくさんのことを学ぶことが出来る。


特に詩は、魂の奥にあるものを表現している。
だから、我々は詩を通して普遍的な宇宙にさえ
触れることができる、と言えるのかもしれない。


もし、セラピストの仕事が、クライアントの魂を啓くこと、
あるいはクライアントの魂を成長させることにあるのなら、
我々が、詩から学べることは大だ。


他にも、詩に精通することでセラピストが学べることはたくさんある。


例えば、詩は、読み手の、より能動的な態度を要求する。
おそらく、受け身では詩を理解することは難しいだろうから。


もしかしたら、クライアント自体が、セラピストにとって“詩”のような存在と
言えるのかもしれない。


クライアントは、ロジカルに全てを説明し尽くしてくれるわけではない。
魂に抱える何かを言葉で説明しきることはできない。


セラピストは、彼らの発する言葉、使う表現、言葉と言葉の間の沈黙、
言葉以外の部分、それらの表現から、自分の魂に届いてくる何かを掴む。


そして、セラピストは、それらを再び言葉にして相手に返したりする。
そのままの形で、あるいは解釈と言う形で。


それらは、詩人が宇宙と向き合いながらしていることと似てないだろうか。


あるいは、


我々は、詩のメタフォリカルな表現からもたくさんのことを学べるだろう。


人間の内面世界は複雑多彩だ。


クライアントが、言葉で正確に形容することができない内面世界を、
メタファーを使って表現することは多い。


セラピストには、そのメタファーに対して洞察を働かせ、
クライアントが伝えようとしている内面世界を理解する能力が求められる。


あるいは、クライアントが言葉では的確に掬いきれない感情を、
逆にセラピストが、詩的でメタフォリカルな表現で的確に捉えることができたなら、
それによってセラピーのプロセスが進むこともあるかもしれない。


セラピストは、話し言葉という道具を使ってクライアントの深層に迫ろうとする。
詩人は、書き言葉と言う道具を使って人間の本質を表現しようとする。


いずれも言葉と言う不完全な理性の道具を使って、魂と言う混沌とした感情世界を
探究したり、表現しようとする点では似ているのかもしれない。


セラピストと詩人の共通点を興味深く思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

“普通な人生”について

先のブログにも触れた通り、先週の金曜日、土曜日、日曜日と
僕はディナーやバーベキューに招かれて、たくさんのカリフォルニアらしい
生活に触れた。とても楽しかった。


ところが、週が明けてから、僕の中に何か喪失感と言うか、
不安感がうっすらと漂った。


その言葉にならない感覚を、今日のセラピーセッションのテーマにした。


…。


いつの頃からか、僕はいつも目標や夢を前方に掲げて、
現在(いま)を“犠牲”にする生活を続けてきた。


いや、“犠牲”と言う言葉は強すぎるかもしれない。
それはそれで楽しかったし、後悔もないから。


ただ、ずっと夢や目標にドライブされ続けてきた。
だから、立ち止まることをよしとしなかった。わかりやすく言えば、現在を否定して、
より良い未来に向けて、自己投資する生き方だった。


考えてみれば、自己投資とは便利な言葉だ。
どんな無味乾燥な現在(いま)にでも意味を与えてくれるのだから。


僕の場合だと、仕事で成果を出すために読み切れないほどの本を買って、
アメリカに留学するために貯金をして、実力を磨くために仕事も頑張って…、
そんな日々だった。


アメリカに来る前に家の本を売り払おうと思って数えたら、5年間だけで
買った本は1000冊を超えていた。


当時の僕は、自分の生き方を“普通な人生”の枠に
押し込めてしまいたくなかった。


ここで言う“普通な人生”というのは、うまく表現できないのだけど…、
強いて言えば、仕事をして、結婚をして、家庭を持って、子育てをして、
家を建てて、というプロセスを踏みながら、分をわきまえて、
内なる充実を目指す完結した生き方のことだ。


それはもちろんとても価値のあることだと思うのだけど、
僕は距離を置いていた。


ところが、この週末にかけての3日間、現在(いま)に根を張る生き方に触れた。


家族でオーガニックのスーパーに出かけ、ああだこうだと食材を選び、料理を作り、
気の置けない友人を招き、自分が満足する空間で、豊かな人間関係に触れながら、
美味しい料理を食べ、現在(いま)という時間が過ぎるのを楽しむ。


「いいな…」と思った。


それは、とても“普通”の生活だった。
そして、それは、僕が、夢を追う生活の中で犠牲にしてきたものかもしれなかった。


いや、


この3日間の経験だけが僕にそう思わせたのではないのかもしれない。
というのも、僕が日々、Pacific Instituteで触れているレジデントたちの人生は、
僕の人生の優先順位に大きな影響を与えてくれているから。


僕は、サンフランシスコやCIISやPacific Instituteでのあれこれから、
本質的な人生の価値観の部分にたくさんの影響を受けている。


そんなことを改めて発見した、今日のHelgeとのセラピーセッションだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

景色が輝きだす

「残りの滞在期間が6カ月を切ると、少しずつ景色に変化が起きてくるわよ」


この3月にドイツに帰国したAnneが僕に残した言葉だ。


スタンフォード大学での2年半の研究員生活を終えてドイツに戻った彼女は、
ベルリン大学を経て、ドイツ南部の都市にある大学に準教授として赴任することが
決まったと、彼女のボーイフレンドのSaschaから聞いた。


Anneの言葉じゃないけれど、最近、少しずつ、サンフランシスコの風景が
揺れ出し始めたのを感じる。


見慣れて固定されていた景色が、鮮やかさを増してきた。
日常の景色の一部が大気に溶け出して、光を反射しているような感じだ。


不思議な感覚だ。


朝の通学路、自転車で海に向かってTaraval Streetを一気に下りるときに、
木漏れ日の落ちるGolden Gate Parkを一気に駆け抜けるときに、
風を切る音を聞きながら、意識して辺りを見回して、
深く息を吸い込んだ。


現在(いま)を感じるために。そして…、
Dsc06861
Dsc06880
Dsc06896
Dsc06906
Dsc06928
Dsc06937_2
いつの日か、サンフランシスコの日々を振り返ったときに、
いつでもこれらの風景を、自分の血肉の一部として、
内側に感じることが出来るように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Californiaな週末

Dsc07052
日曜日、Pacific Instituteのインターン、Mike主催のBBQパーティがあった。


先週の金曜日、彼の通う大学院、Institute of Transpersonal Psyochologyの
卒業式があったのだ。


彼の両親が東海岸のニュージャージーからやってきているので
友人も招いてみんなでBBQをするのだと言う。


場所は、MarinのMacnears Beach County Park。
素晴らしい天候に恵まれた。


Mikeには、3人の兄弟がいる。彼は真ん中で、僕と同い年だ。
彼の弟もサンフランシスコに住んでいる。


彼の弟Andrewは、80年代、日本企業が飛ぶ鳥を落とすような勢いだったのを
受けて、日本語を学び、コンピューターサイエンスを学び、NECに勤め、
日本に3年間住んでいたことがあるのだと言う。


現在は、その知識と経験を生かし、エレクトロニクス関連企業への
投資を主な仕事をしているのだと言う。
Dsc07239

Mikeの両親は、二人ともバイタリティに溢れる不思議な人だった。
二人とも、法律上のパートナーは別にいて、法的なパートナーを別々に
持ちながら、二人で一緒になり、子供を3人儲けて、暮らしているのだと言う。


二人は対等なパートナーと言う感じで、僕の目からは、とても仲の良い、
良い意味での他人、という風に映った。これも一つのカップルのあり方なのだろう。


父親の名前は、Chales。博士号を持っていて、自分の会社を経営している。
67歳で、世界中を飛び回る現役のビジネスマンだ。


日本、アジア、中東、オーストラリア、南米、アフリカ、本当に世界中をくまなく
ビジネスで旅したそうだ。日本では、三菱電機が主なクライアントだったと言う。
Dsc07076

「どんな時も、幾つになっても、オープンに人と接することを忘れてはいけない。
その次に出会うひょんな人が、君の人生を左右する大事な人かもしれないんだから。
その可能性を誰も否定できないだろう?僕の人生でも、そういう出会いが何度も
あったよ」


「世界中を回ったけど、できるだけ、自分の国と遠いところを旅するのがいいよ。
全然違うからね。学びも多いよ」


「スキューバは面白い。友人から勧められているんだけど、中東の紅海でする
ダイビングは、それはもう筆舌に尽くしがたい素晴らしさらしい。
ぜひ君のリストにも加えるべきだよ」


そんな会話をしながら、一緒に肉を焼き、野菜を食べ、ワインを楽しんだ。


お腹が膨れたら、辺りをみんなでゆっくり散歩した。
澄み渡ったカリフォルニアの空の下には、たくさんの幸せが広がっていた。
Dsc07172

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Perfect Day

Dsc06994_2

Andrewは、Pacific Instituteのインターン仲間だ。
トレーダーの仕事をしながら、セラピストになるために大学院に通っている。


先週の土曜日、彼の家に同じインターン4名と食事に招かれた。
彼は、その集まりを“Salon”と呼び、年に4~5回催すのが趣味なのだそうだ。


仲間を自宅に招待し、手づくりの食事をふるまう。食事の前に、肩の凝らない程度の
ちょっと深いテーマについて、フリーディスカッションを2時間ほどする。
ちなみに、今回のテーマは“Self-care”だった。


セラピストにとって、Self-careは大事なテーマだ。


以前、CIISで台湾からの留学生Chienと“Self-care”というのは、
ずいぶんアメリカ的な概念じゃないか、と話し合ったことがある。


自己責任で、自分をCareする。個人主義のアメリカでは、このSelf-careは
かなり高い優先順位になる。Self-careのためにクラスを休み、Self-careのために
プラクティカムを休む。それが理由になる。


組織や全体の為に身を尽くすことを重んじる傾向の強い日本人には、
SelfとCareというシンプルな単語の組み合わせの割に、それは僕たちの
社会生活からはずいぶん遠い概念じゃないのだろうか。


相応しい日本語訳は何だろう。


話の流れで、「あなたにとってのPerfect day(完璧な一日)とは何か?」という
話題になった。


朝、6時に起きて、瞑想をして、ジョギングをして、午前中はゆっくり読書をする。
そして、お昼にはレストランで友人と会い、ゆっくりとランチを楽しむ…、
みたいなコメントが多かったように思う。


僕は、目的のある一日が過ごせればいい、
その程度にしか考えていなかったのだけど、チャイニーズアメリカンのJimmyから、
「TJは、生産的な一日が過ごせるといいと思っているんだね」と言われて、
「なるほどな、生産性か…」と日本人的な価値観の自分に気づかされたりした。


MarinにあるAndrewの家は、豊かな緑に囲まれていて、
テラスのある大きな窓からは光が燦々と降り注いでいた。


家の中には、Andrew手づくりの玄人跣の品の良い家具が置かれていて、
日本ではなかなか味わえない空間がそこにあった。


彼の趣味と言う、オーストラリア原産のBearded Dragonが、
部屋の片隅にある水槽から、何とも言えない存在感を放っていた。
Dsc07012

“生産性”からは離れて、豊かな時間と関係性を楽しむ。
こういう人生の味わい方は、ここアメリカで知った大事な学びの一つだ。


その日は、僕にとって、まさにPerfect Dayだった。
Dsc07036

| | コメント (0) | トラックバック (0)

再び、クライアントの家族に食事に招かれる

先週金曜日、夜7時のMission Dolores Park。
Dsc06986

Eさんは、Pacific Instituteでの僕のクライアントだ。
現在92歳だ。いつも静かに部屋のソファに座って目を閉じている。
僕のことを、とても好いてくれている。


アメリカでは、輝かしかった60年代をGolden Sixtiesと呼び、
不況の嵐に見舞われた30年代をGreat Thirtiesと呼ぶらしい。


激動の30年代を生きた人には、魅力的で逞しい人が多いと聞いた。
日本で言えば、明治人の気質みたいなものだろうか。


Eさんは、コミュニストとして、社会活動家として、その時代を全力で駆け抜けた。
アメリカの歴史の一面を彩った人と言っても良いと思う。


89歳までとてもパワフルに生活をしていた。ところが、外出中に転倒し、
腰の骨を骨折してから、心身の歯車が狂いだした。


以来、今日までPacific Instituteに住んでいるのだが、衰えが著しい。


二人の息子、MarkとTengが交代で、毎日、彼女に会いに来る。
そして、散歩に連れ出す。Markが実子で、Tengが養子だ。
最近、Eさんは、僕のことを3番目の息子と呼んでくれている。


先週の金曜日、MarkとTengから夕食に招かれた。
そのTengの家は、Mission Dolores Parkのすぐ近くにある。
今回が二回目だった。


その時のブログにも書いたけど、通常、セラピストがクライアントと
セラピールームの外で会うことは避けるべきこととされている。


街中で、例えば、買い物途中やレストランや映画館や野球場でクライアントと
偶然に出会ったとき、あなたはいったいどう対応すべきか、というのがCIISの
クラスで議題になったりするぐらいだ。


もちろん、クライアントの家族と会うことも同様だ。


それらの理由は、お互いに無用の転移感情が起こりやすくなったり、
守秘義務の情報が外に漏れてしまったり…、セッションの進行やクライアントの
自己探求を阻害するかもしれない感情の動きが起こりやすくなるからだ。


今回の件に関しても、僕は、事前に二人のスーパーバイザーに相談をしていた。


Pacific InstituteのスーパーバイザーのAninには、
「クライアントのファミリーに食事に招待をされたインターンは、
この4年間に一人もいなかったけど、今回のケースは、問題ないと思うわ。
何か気になることがある?」と言われた。


CIIS認定の外部のスーパーバイザー、Gloriaからも、
僕の担当している層のクライアントには、必ずしも、セラピストの原則が
そのまま当てはまらないこと、原則は、時々の判断で柔軟に判断することが
大切だと言うことをアドバイスされた。


ちなみに、Gloriaは癌患者やエイズ患者へのセラピーも専門領域なのだが、
先日、末期がんで闘病中の女性が結婚式を挙げた時、その式にだけ
出席したそうだ。彼女の姿を見届けるために。その後に催されたパーティは
辞退したそうだけど。


前回と同様に、食事はとても楽しいものだった。
中国生まれで、タイ育ち、在米生活40年になるTengが、料理の腕をふるってくれた。
Dsc06988

食事をしながら、いろいろな話を聞く。


Eさんの人生はもちろんのこと、
彼ら二人が、いかに母親を大切に想っているか。
Pacific Insituteを選ぶ前に、どれだけ多くの施設を見て回ったか。
Pacific Insituteは、家族の目からどう映っているか。


Eさんの88歳の時の写真を見せてもらう。溢れんばかりのバイタリティが
伝わってくる。たった3年前まではこうだったのだ。現在の彼女を思うと、
切なくなった。


経済的な話も伺うことが出来た。
毎月7300ドル、それを3年間、保険の適用なしに支えているのだそうだ。
当時住んでいたEさんの家を売り払い、そこから費用を捻出しているそうだが、
それでも負担は大変なものだと言っていた。


経済的な問題は、おそらく、Pacific Insituteに住むレジデント、
彼ら彼女たちを支えているどの家族もが抱えている問題だ。


それだけの負担によって支えられながらも、Pacific Instituteに住む
レジデントの大半が幸せとは言えない。


それが現実だ。


それは、施設に対する不満から来るのではなく、もっと本質的な、
年老いたことによる自身の境遇から来ている。


幸せに歳をとる、あるいは幸せに歳を取っていただく、
あるいは、幸せに最後を迎える、幸せに最後を迎えていただく、と言うのは、
本人にとっても家族にとっても、とても難しい。


年老いて、且つ、幸せにいる。


その答えは何だろう…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

根を下ろすことと、横方向の成長

ここは、東京か?ニューヨークか?それとも架空の未来都市だろうか?
僕は、摩天楼の立ち並ぶ大都会にいる。


僕はスーツにYシャツ姿だ。そして、モダンなハイテク高層ビルディングの一階で、
エレベーターが到着するのを待っている。


周りにはビジネスマンしかいない。でも、知り合いは誰もいない。


エレベーターのドアが開いた。僕は、エレベーターに乗り込んだ。
そのエレベーターは音も無く、静かに上昇を始めた。


…。


そのエレベーターは、どんどん加速し続けた。既に、ものすごいスピードだ。
なのに、エレベーターは加速することを止めない。


何かがおかしい。これは何階建てのビルディングだったろう…。
このままだと、ビルの天井にぶつかって大破するしかない。
焦りと不安が襲ってきた


エレベーターは加速をし続ける。そして、僕はエレベーターをどうすることもできない。
死ぬのだろうかと身構えた瞬間に、エレベーターは進行方向を、上から横に変えた。


上昇するのではなく、スキーのゴンドラのように、猛スピードで上空を横切り出したのだ。


進行方向が見える。視界が広がる。どこまでも続く大都会を眼下に眺める。


視線の先に、とても大きな建物が見えてきた。
出発したのと同様に、とても近代的で大きなビルだ。


僕の乗ったエレベーターは、そのビルに吸い込まれた。


…。


僕はエレベーターを降りて、街に出た。
そこは、やはり大都会だったものの、出発地点の街に比べたら、
少し鄙びていて、開発の途中にあるような印象だった。
そして、大きな運河が流れていて、そこを運行する船も見えた。


僕はその運河を目指して歩いた。


…。


僕は、アメリカに来てから、何回かこの夢を見ている。
つい最近も見た。何を意味しているのだろう…。


Helgeとのセッションでこの夢を採り上げてみた。


Helgeは、僕の話を聞きながら、夢の中に出てきた要素を書き取っていった。


ビル、ビジネススーツ、エレベーター、上昇、横に進む、空、河…。
それら一つ一つを口にして、どんな感じがするか、そして、それらの言葉から
どのような連想が浮かぶか僕に尋ねた。


高層ビルディングは、ビジネスの世界。
スーツは仮面。
エレベーターは、自分の意志が及ばない環境。
上昇は、圧迫と不安と死。
横は、希望と開放と展開。
空は可能性。
運河は、ゆっくりとした時間の流れと、そのエリアに活力と豊かさをもたらす存在であることと、
より大きな世界へと通じる道。


そんなことを話したと思う。


その夢から広がる連想を、深めたり狭めたりして、体の感覚を確認しながら
セッションは進んだ。


エレベーターが上昇していくとき、僕には不安感があったのだが、
よくよく考えてみると、その不安感は、加速することによる不安感ではなく、
大地からどんどん離れてしまうことへの不安感だったと言うことに気づいた。


大地に根を下ろす。大地と共に生きる。安定と落ち着き。つまり、“Grounded”だ。
旅や動きや変化を愛する僕には、これまでに、あまりなかった感覚だ。


僕は、場所を決めて、そこにしっかりと根を張るタイミングに来ているのだろうか。
あるいは…。


僕の意志とは関係なく加速し続けるエレベーターは、
より大きなシステムに組み込まれるか、あるいは、より大きなダイナミズムに巻き込まれるか、
あるいは、人間関係に絡め捕られるかして、個人の自由な意思で生きることが難しい
社会環境を思い出させた。


Helgeは、横方向に、空を飛ぶように進むエレベーターのイメージにも
興味を持ったようだった。


縦の上昇がビジネスの世界における成長と成功を意味しているのだとしたら、
軌道を変えて横に進む成長や成功とはTJにとって何を意味するのだろう。


全ての夢の意味を探究するのに50分間は短かった。
終わりの時間が来てしまった。


Helgeは、“横方向の成長とは何か”という問いを頭の隅に置きながら
日々を過ごしてみるといいかもしれないと、セッションの最後に僕に言った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Invite you a dinner

癇癪持ちで、怒鳴り散らすことで有名で、ある意味、その人間味もあって
インターンから愛されているレジデントが、元ハーバード大学のプロフェッサーS氏だ。


最近、心身の衰えが著しい。


同じ言葉、同じ質問を何度も繰り返す。記憶もかなり曖昧になってきている。


僕がPacific Instituteに来た5か月前には、Pacific Inatituteから200mぐらい
離れたところにあるCafeに、Walkerを使って歩いていくことが出来たのだが、
いまは、それはとても難しい。椅子から立ち上がるのがやっとだ。


食事もすごく偏食になってきた。3度の食事を食べたくないと言い張り、
唯一、口に運ぶのはピーナツバターとジャムのサンドイッチ、といった具合だ。


先日もペースメーカーのバッテリが切れかかっていると言って、
受付でスタッフに、かかりつけのドクターに電話をさせていた。


ドクターが、何も問題はないと言っても、不安を訴え続け、数分後には
再び、ドクターに電話をかけるようにとスタッフに訴える。


近くを通る人には、その不安から来る怒りをぶつけていた。


そこにたまたま僕が通りかかった。


S氏は、「おっ、TJだな?お前は日本人のTJだな?」と僕を呼びとめた。
僕は、一応、彼のお気に入りの一人だ。


S氏は、いつものお決まりのフレーズを口にした。


「お前、俺の名前を知っているか?ソウル・TJ・ガレンだ。
俺のミドルネームはJapaneseだ。つまり俺は、三分の一、Japaneseというわけだ」


彼の顔に、笑みがこぼれた。


彼は僕の名前をとても気に入って、それを自分のミドルネームにした。
確か、3か月前の出来事だ。以来、事あるごとに、それをいろいなところで繰り返す。


彼は、僕に一緒にソファに座るように言った。


僕が隣に座ると、彼は、いかに今自分が不安に襲われているかを話しだした。


「俺は、最近恐ろしい夢ばかりを見るんだ。


例えば、一昨日の夢で、俺はイランにいた。
そこで、ある聖者が、とても貧しい村の人々から、食べ物を買うお金を稼ぐ
知恵を授けて欲しいと頼まれたんだ。


その聖者は何をしたと思う。


一人ひとりの村人から、悲しみの涙を集めて、それを瓶に入れて、
飲料として売るようにと勧めたんだ。


お前、この話をどう思う?」


僕は、彼に良く英語のことで怒鳴られるので、極力、刺激しないように話を
聞くようにしていた。


「とても深い話だと思う」とだけ答えた。


更に彼は続けた。


「昨夜は、夢の中で、俺の部屋に知らない奴が入ってきて、
俺の母親が死んだと告げたんだ。こんな恐ろしいことがあるか?
お前なら、母親が死んだと伝えられたら、どんな気持ちになる?」


彼は、感極まって、今にも泣きそうな顔になった。


そんなやり取りの間も、彼は、彼を心配して話しかけたり、
挨拶をする人がいると、容赦なく噛みつき続けた。


「なぜお前は俺に笑いかける?何が可笑しいんだ?馬鹿ほどよく笑う!」
「How are youだと? 興味もないくせに決まり切ったことを尋ねるな!
いったいお前は俺の何をわかって話しかけているのだ?!」


さんざん怒鳴り散らした後に、彼は隣の僕にポソリと言った。


「おい…、こんな俺はミステリアスか?」


僕は、答えた。
「ええ、ミステリアスです。でも、そこがとても魅力です」


すると彼の顔は一気に紅潮した。


「馬鹿野郎!!!ミステリアスじゃない。ヒステリカルか、と聞いたんだ!!!」


「たったいま怒鳴られているので、ヒステリカルです!!!」
僕は即答した。


彼は、もっと何か言おうとしたらしいけど、その言葉を飲み込んだ。


時計は午後4時を指していた。夕食の時間まで、あと45分ある。


彼は僕に尋ねた。


「夕食の時間まで、俺と一緒にいてくれるか?」


「ええ、もちろんです」と僕は答えた。


あと20分だな。あと10分だな。あと5分だな。彼は時計を見るたびに、
時間を数えた。そして、こう言った。


「俺は、お前をディナーに招待したいんだ。一緒に、食べてくれるか?」


僕は以前それを断って、大いに怒鳴られたことがある。


「もちろんです」と応えた。


というわけで、4時45分に2階のフロアに上がり、5時に他のレジデントに混ざって、
彼のテーブルで一緒に夕食を食べた。


彼は、テーブルの皆に僕を嬉しそうに紹介する。


「おい、みんな、俺の日本人の友だち、TJだ。
俺が、ディナーに招待したんだ!」


S氏は、食事をサーブするのに忙しいCaregiverたちを何度も呼びとめる。


「俺がディナーに招待したTJだ。みんなに紹介しよう。
ちなみに、俺のミドルネームは…」


お決まりのフレーズを繰り返した。
僕は、S氏から何度も同じ僕の自己紹介を聞かされるCaregiverや、
他のレジデントに申し訳ないと思いながら、テーブルに座っていた。


誇らしげな彼の顔を見ながら、僕は彼と一緒に食事を取った。


彼は、自分の食事を拒否し、ピーナツバターとジャムのサンドイッチを別注文し、
それだけを口にした。


その途中で、彼は言った。


「自分の食事が終わったら、気にせずに行っていいからな…」


S氏は、だいぶ落ち着きを取り戻していた。


僕は食事のお礼を言って、夕方6時から始まるCIISでのクラスの為に
Pacific Instituteを後にした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

忘れられてしまうと言うこと

Pacific Instituteでは、毎週木曜日にGroup Supervisionがあり、
インターンは、そこでケースプレゼンテーションをすることになる。
先週の木曜日が僕の番だった。


僕は、Hさんについて発表することにした。
Hさんは、認知症が進行するにつれて日本語しか話せなくなってしまった
86歳のJapanese Americanの女性だ。


僕はPacific Instituteに着くと、まずHさんに会いに行く。
彼女が一階に住んでいることもあるのだけど、僕が訪ねるのを心待ちに
してくれていて、気持ちの良い一日のスタートが切れるからだ。


Hさんは、僕の名前を覚えることが出来ない。
でも、僕の顔はしっかり覚えてくれてくれている。


そして、いつも僕のことを“Izumi-san”と呼ぶ。
それは彼女の幼馴染の一歳年下の男の子の名前だ。
小さい頃、彼女は彼に恋をしていたらしい。


Hさんは、僕を通して、その“Izumi-san”を見ているのかもしれない。


だから、今は僕も自分のことを“Izumi-san”と名乗るようにしている。


さて、もともと、その日に僕がプレゼンをすることになっていることは知っていたので、
彼女の娘さんにもいろいろインタビューが出来ていた。


そして、以前、One-day Projectとしてこのブログでも紹介したとおり、丸一日、13時間、
Hさんと一緒に過ごしてていたので、いろいろ感じたこと、新たに発見したことなど
発表すべき内容はたくさんあった。


今回のプレゼンテーションは、朝5時に彼女が起床してから、
夕方6時半に彼女が就寝するまで、彼女の隣で車椅子に座って、
一緒に時間を過ごした体験をまとめたものだった。


一つ一つの出来事を写真に収めて言って、解説を加えた資料として使った。
最終的に、74枚のパワーポイント資料になった。


当日のプレゼン終了後、


SupervisorのAninを初め、他のインターンからもスタンディングオベーションが起こった。
そのプレゼンは、そのぐらい皆にインパクトを与えて、大成功だった。


クリエイティビティ、ユーモア、Hさんへの愛情、洞察、全てが散りばめられていて…、
このグループのプレゼンテーションの基準を一気に上げてくれた素晴らしい内容だった。
すごく感動した。Aninからは、そう言われた。


さて、


そのHさん、今週月曜日に会うと、いつもの通り、僕を歓迎してくれて、
僕が自分の髪を切って、髪型が変わっていたことを認識してくれた。


木曜日の朝、彼女に会いに行くと、様子が少し変だった。
ダイニングルームで声をかけると、反応が鈍いし、表情がどこか遠い感じがした。


「Hさん、今日の体調はいかがですか?」と問いかけると、
「うん、悪くはない」と彼女は答えた。


そして、次に、彼女は僕に尋ねた。


「えっと…、あなたは誰?」


「僕ですか? あれ、毎日、会っているじゃないですか。
忘れちゃったんですか?」


僕がそう答えると、彼女はこう言った。


「あれ、そうだったかな…。そう…。でも、うん、知らない。
あなたは誰だったかな…。私は知らないの」


僕は、ちょっと背筋が冷たくなった。


「Izumiですよ、ほらいつも、“Iaumi-san”、そう呼んでくれていたじゃないですか」


「えっ、Izumi-san?そうだった?本当に? そうだったかな…」


彼女の表情は、青白いままで、どこか遠くを見ているようだった。


彼女に何が起こったのだろうか?


僕はCaregiverに、昨夜、何か彼女に起こったかどうか、
何か変化があったかどうか確認をした。別に、普通通りで何も変わったところは
なかったという答えが返ってきた。


僕は、再び、彼女のところに戻った。


彼女は、隣に座った僕に何の反応も示さなかった。
少し、眠そうに見えた。


「それで…、あなたはなぜここにいるの?」


「Hさんとお話をするためにですよ」


「そう…」


僕は彼女から離れた。
少し、気持ちを落ち着けるために。


僕が彼女から離れるとき、彼女は、いつもするように、
「どこかに行くの?また戻ってきてくれる?」と尋ねてくれなかった。
それが、寂しかった。


僕は地下一階のインターンルームに戻って、深呼吸をした。


なぜ、僕はいま寂しい想いをしているんだろう。
彼女は認知症なのだから、こういうことも起こりうるとわかっていたはずじゃないか。


最初、Hさんの方が僕に愛着を感じているのだろうと思っていた。
でも、こうなってみると、僕の方が彼女に愛着を感じていたのかもしれないと思う。


その時、同じインターンのMollieが部屋に入ってきた。


彼女に僕とHさんに起こったことを話してみた。
彼女は僕よりも半年早く、Pacific Instituteでインターンを始めている。


彼女は自分の似たような経験を話してくれた。
そして、最後にこう付け加えた。


「この年齢層の人たちとの関係性では、これは当然のこと、当たり前のことと
思っていいことは一つもないの」


僕はその日、夕方からCIISでクラスがあった。
帰り際、1階のダイニングルームをのぞくと、Hさんは車椅子の上で転寝をしていた。


今日、Hさんが僕を忘れてしまったのは、一時的なことかもしれないし、
もしかしたら、二度と思いださないのかもしれない。それはわからない。


僕がここで出来ることは、彼女の過去の記憶の有無に関わらず、
彼女と共に過ごす、いまこの瞬間にしっかりと向き合うことだけだと思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

それは誰の都合なのか

今週のPacific Instituteのクリニカルミーティングで、こんな議題が上がった。


食事することを拒否するレジデントに、食事を勧めるのは、
一体誰のためなのだろうか…。


一人で食べることが出来ないレジデントの食事をサポートすることは、
実際には、僕たちインターンの役割ではない。Caregiverの役割だ。


Aninがこんなことを言った。


「歳を取ると、味覚の感覚が衰え、味も香りも口の中の感触も楽しめなくなってくる。
例え、お腹がすいていたとしても、食事に対する興味自体が失せてしまう。
そんな彼らに、食事をただ強制するということをしてはいけないわ。


私たちにできることは、どうすれば彼らが食事に興味を持てるようになるか、
ということだけなのかもしれないけど…」


例えば、ある80代後半の認知症のレジデントの口元に、Caregiverが、
食事を乗せたスプーンを運ぶ。でも、そのレジデントは、歯を閉じたまま
「イーッ」と口を横に開いて、食事をとろうとしない。


僕たちインターンも、Caregiverたちもレジデントに元気でいてほしいと
思う気持ちは一緒だ。そして、僕たちは、彼らの努力と、日々の試行錯誤を
身近でいつも見て、知っている。だから、出来る限りの努力と協力をしたいと思う。


スタッフも同様だ。献立を工夫する。食事をペースト状にする。器を変える。
果物が好きなレジデントには、果物をたくさん用意するようにする。
彼らなりに努力をしてくれている。


でも、それはいったい誰のための行為なのだろう。
日々の皆の努力を認めた上での問いかけなのだ。


そのレジデントは、自分の死を本能的に悟って、そのプロセスを歩もうと
しているのかもしれないのだ。そして、僕たちがする働きかけは、
それを阻害しているだけかもしれないのだ。


小さい子供を二人育てているインターンが、こんなことを言った。
子育てでも同じことを感じると。


食事を取ろうとしない子供に食事を取らせるとき、
これはおじいちゃんのために、これはおばあちゃんのために、
これは…、そう言って、一口一口食べさせるのだそうだ。


みんなが笑った。アメリカでは、小さいころに誰もが経験している事柄らしい。


彼女は続けた。


「でもそれは、親としての都合や、自分の中にある不安から来ていることが
多いように思う。子供は、実は、自分の体が何を欲しているか、
どのぐらいの量を必要か、知っているのだろうから。」


食事をとらせようとするその行為は、本当のところは、一体、誰のための
行為なのだろう…。僕たちは、自分が良かれと思ってしている行為を、
一度立ち止って振り返ってみる必要があるのかもしれない。


そのミーティングでは、視点を変えて、こんな切り口でも意見交換がされた。


そもそも、ある決められた時間内に、ダイニングルームに全員のレジデントを
集めて食事を取らせようとするのはなぜか。食事時のダイニングルームには、
いつも慌ただしい雰囲気がある。静かに、ゆっくり食事を楽しみたいレジデントも
いるだろう。そんな彼らにとって、ダイニングルームは食事を楽しむような場所では
なくなっているのではないか。


では、その都合はどこから来ているのか。


それは、Caregiverの休憩の時間が後ろ控えているからか。


いやそうではない。


Caregiverのシフトチェンジが午後3時にあるからだ。
後番のシフトに、レジデントの情報共有や薬の情報交換をしてから
交代することを考えると、彼らが、その準備のために食事を無意識に
急がせてしまう理由もわかる。


すると、食事を決められた時間にまとめてとらせようとしたり、急がせたりして、
レジデントの食を細らせているのは、組織の仕組みが原因と言うことになる。


一対一の関係の中でできる創意工夫がある。
その関係を無意識に規定しているかもしれない全体の枠組みを変えることで
解決できることがある。


以上の努力をすることになっている前提にあるものを改めて問うことで、
先に行けることもある。


いつでも、全体的に考えないといけない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

セラピストではなく、人間として…

インストラクターであるRobの、以下のような問いかけで始まった
今週のHakomiのクラスだった。


「どんなカウンセリングスキルも、クライアントとの信頼関係の上でしか機能しない。
では、そのクライアントとの信頼関係を築くために何が必要なのか」


「お互いが、クライアントとしてではなく、セラピストとしてでもなく、
ひとりの人間として向き合う。


実は、それこそクライアントがセラピストに最も期待していることというデータがある。
そして、それが出来たとき、そのセッションはクライアントにとって、もっとも機能する。


では、人間としてクライアントと向き合うとはどういうことなのか」


一つ目の問いかけを解く鍵が、「体が持つメッセージ」だ。
二つ目の問いかけを解く鍵が、「オープンハートなあり方」だ。


まず一つ目について、Robは言った。


「クライアントの体の動きは嘘をつかない。クライアントの体の動きが
どれだけ貴重な情報を提供してくれているか、我々、セラピストは、
もっと再認識すべきだろう」


クライアントの顔の傾き、顔色、目やまゆ毛の動き、視線、声の大きさやトーン、
話すスピード、呼吸の速さと深さ、姿勢、手の位置、足組み、笑顔の有無、
言葉数の多寡…。


セラピストがクライアントと向き合った時にTruckingすべき要素はたくさんある。
それらの動きは実にたくさんのことをセラピストに伝えてくれている。


そのために、常に、次の3つの問いを念頭に置いておくとよい。


1. What are they doing?(クライアントは何をしているか?)
2. How are they doing it?(どのようにそれをしているか?)
3. What are their experiences?(それによって何を体験しているのか)



体の動きが意識の深層を正直に表している、言うことは、同時に、
セラピストの体の動きも、セラピストの深層意識の表れであり、
クライアントの心理に影響を与えているということでもある。


セラピストとクライアントの関係は、どんなに注意を払っても、
対等にはなり得ない。セラピストとクライアントとの間にはヒエラルキーが存在する。
セラピストとしてのポジションパワーが働いている。


そこに鈍感であってはいけない。


そのポジションにいるセラピストの体の微細な動きが、思いもよらない影響を
相手に与えることがある。


クライアントの体の動きから、彼らの言葉になっていない心の動きや状態を
いかに掴むか。自分のしぐさや体の動きが相手に与えている影響に対して、
どれだけ高い感度を持つことが出来るか。それらは、クライアントと信頼関係を
築くためにとても重要な要素だ。


二つ目について、Robはこんなロールプレイの指示を出した。


二人組をつくって、セラピスト役とクライアント役に分かれる。


僕は、隣に座っていた悪友のJeremyと一緒に組んだ。
アイダホ出身のEasy Goingな好青年だ。


僕は最初にクライアント役を選んだ。


そのロールプレイでは、最初の10分間、クライアント役は自分の生い立ちを語る。
セラピスト役は、セラピストとしてではなく、友だちの感覚で相手の話を聞く。


10分後、Robはいったん会話を止めるように言った。
そして、セラピスト役にこんな指示を出した。


1. 目を閉じて、自分の心と魂に影響を与えてくれた恩人を思いだす。


2. その人が自分の心と魂に何をしてくれたか、その人から自分の心と魂が
   何を学んだかを思い出す。


3. 自分の心と魂が傷つけられた経験を思い出す。


4. そこから、自分の心と魂が受けた影響を思い出す。


5. たったいま、自分の心と魂が、いったいどうありたいと自分に語りかけているか
   静かに耳を澄ましてみる。


6. 自分の心と魂を動きで表現するとどうなるか、静かに体の動きで
   表現してみる。


7. 目を静かに開けて、クライアントと向き合う。


僕は、再び目を開けたJeremyと先ほどの話の続きをしたのだが…、


彼の雰囲気の変わりように、僕は驚いた。


相鎚やうなづきが減り…、コメントが減り…、
ただ僕の話を黙って聞いているだけなのだけど、
目がとても温かく、包み込むような雰囲気がそこに生まれていて…、
まさにセラピューティックな存在がそこにあった。


セラピストとしての役割や、カウンセリングスキルを飛び越えて、
温かい血肉を持った、自身も傷つきやすいひとりの人間として
そこにいる感じだった。


僕はその時、去年、プラクティカムサイトのインタビューで、
Golden Gate Counseling Centerの責任者、Jessicaとのセッションでも
同じ雰囲気を感じたことを思い出した。


その体験は、ものすごいインパクトがあったのだけど、
同じインパクトをJeremyから感じたのは驚きだった。


次に僕がセラピスト役をやったのだけど、同じことが起こった。


クライアント役のJeremyが、小さいころよく遊んだ故郷のアイダホの大自然と、
乾燥した気候と、良く遊んだ砂漠と深い谷を思い出して、頭を抱え込んで、
涙が溢れるのを抑えようとするぐらいのパワフルなセッションになった。


あの時、Jessicaの何がすごかったのか、いま、ようやく腑に落ちた気がした。
彼女は、オープンハートで、魂を全開にして、包み込むようにして、
一人の人間として、僕と向き合っていたのだ。


掴みかけたこの感覚、大事にしたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Spousal AbuseのワークショップⅠ

Dsc06811

今週末のサンフランシスコは、土日共に、雲ひとつない青空の広がる
素晴らしい天気だった。気温も、サンフランシスコには珍しく、
暑いぐらいだった。


そして、


僕は、両日とも朝9時から夕方5時半まで丸々2日間、
CIISの307教室で2日間のワークショップに参加していた。


Spousal Abuse(配偶者の虐待)のクラス。
単位にはならないのだが、プログラムの卒業要件に組み込まれている
必修のクラスだ。


24名の参加者による、とてもディープな2日間だった。


インストラクターのAllanは、歳を召していて、正直言って、風采の上がらない、
でも温かみのある、雑巾のような雰囲気のインストラクターだった。


彼は、冒頭に、5つの約束事を確認した。


1. Confidentiality(守秘義務)
2. Right to Pass(無理にアクティビティに参加しなくてもよい権利)
3. Feelings(相手の感じたこと、自分の感じたことを大事にすること)
4. Try it on(試してみること)
5. “I” statement(“私”を主語にして話をすること)
6. Take care of Yourself(自分の体調管理に責任を持つこと)


扱うテーマは、午前中からなかなか強烈だった。


例えば、こんなアクティビティがあった。


生徒は、教室の真ん中に一列に並んで手をつなぐ。
Allanは、僕たちに質問を投げかけた。


「もし、あなたがキリスト教徒だったら一歩前に進む。その他の宗教だったら、
一歩後ろに下がる」


「もし、あなたが白人だったら一歩前に進む。でもユダヤ人だったらその位置に留まる。
有色人種だったら一歩後に下がる」


「あなたがストレートだったら一歩前に進む。ゲイレズビアン、バイセクシュアル、
トランスジェンダーだったら一歩後ろに下がる」


20問ぐらい、かなりプライバシーに関わる質問がされた。
そのたびに、僕たちは、前に一歩進んだり、後ろに一歩後退したりした。
次第に僕たちの繋いでいた手は離れ、お互いに距離が生じ始めた。


質問が終わって、


教室の一番前方にいたのは、ストレート(ヘテロセクシュアル)の白人男性で、
教室の一番後方にいたのは、レズビアン(ホモセクシュアル)の黒人女性だった。


微妙な空気が教室に流れた。


僕は、真ん中より少し後ろになった。
前にいるのは、白人の生徒だけだ。


自分が選べない要素で、自分の社会的ポジションが決まる。


これがアメリカにおける僕の位置か…。


それらの質問の後、Allanはこう言った。


「さて、これから短距離走が始まると思って、みんなそれぞれの位置で、
スターティングポジションを取ってみるように」


不思議なのだけど、その瞬間に、焦りと怒りにも似た感情が自分の中に巻き起こった。


「何で自分はこんな後ろにいるんだ?奴らに追いつかなきゃ」


当然のことながら、このワークの後、生徒にいろいろな反応が起こった。
否定的な反応が大半だった。


“現実”を突き付けられるのは、いつも不愉快だ。


でも、それがお互いが意志疎通をするための土台になるのも事実だ。


今回のワークショップに参加した24名の生徒のうち、
男性は7名、女性は15名、トランスジェンダーは2名。
ストレートは19名、レズビアンは4名、ゲイは1名。
白人は19名、有色人種は5名。


そして、


インストラクターのAllanはゲイの白人男性。


とてもCIISらしい構成だった。
Dsc06800

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Spousal AbuseのワークショップⅡ

二日目のワークショップは、初日以上にディープだった。


自分たちが、社会によって決められている性別の役割に対して、
いかに無意識の刷り込みが行われているか、そんなことに直面していく
ワークがたくさんあった。


例えば、こんなワークがあった。


女性と男性が二つのグループに別れて向き合う。


そして、Allanはまず男性に質問をする。男性は、自分に当てはまると思ったら、
椅子から立ち上がる。当てはまらなかったら座ったままでいる。
20問ぐらい、昨日以上に過去をえぐるような質問がされた。
そして、その自分にとっての意味を内省してみるようにという
Allanの言葉が各質問の後に続いた。


「男の子らしくない振る舞いのせいで、医者やセラピーに連れて行かれたことがある」
「恋人、妻、子供に暴力を振るったことがある」
「レイプをしたことのある人を身近に知っている」
「…」


次に女性。


「自分の容姿を気にして、ダイエットをしたことがある」
「Noと言えずにYesと言った経験がある」
「子供のころSexual Abuseを受けた友人が身近にいる」
「…」


こういうワークの賛否はさておき、日本ではなくアメリカで、
特にCIISのような体験を重んじる大学院でカンセリングサイコロジーを学ぶことに
メリットがあるとしたら、それは、良くも悪くも、極端な事例がたくさんあって、
アメリカ人には、その体験を正直に、むき出しの感情でシェアしようとする人が
多いことではないだろうか。


当然、このワークに対しても、いろいろな感情が巻き起こる。
疑問を呈する生徒もいる。


Allanは、そのひとつひとつの意見としっかり向き合う。


「なぜ、このアクティビティをするのか。不安を感じたり、怒りを覚えたりするのは
当然のことだ。本当にその通りだと思う。


私は、あなたたちが自分の感じたことを正直に
口にしてくれたことをとても嬉しく思う。そして、不平にせよ不満にせよ、
私を“使うこと”によって、一緒にプロセスを探ることに惜しみない協力を
したいと思っているのだよ」


Allanが意味しているのは、そのことについてディスカッションをすることではない。


生徒からなされる批判や否定の言葉に対して、自分を包み隠さず晒すと言うことだ。
しっかりと受け止めるということだ。


この2日間、生徒のプロセスに自分を捧げる覚悟を持った、
老先生の深くて静かなプレゼンスがずっとそこにあった。


クラスの最後、短いシェアが採られた。
その時、この2日間、Allanに対して疑問の声を上げたり、ワークで直面して涙を
流した参加者から、感謝の声が上がった。


僕は、その言葉を静かにうつむきながら聞くAllanの横顔を見ながら、
世阿弥の「花伝書」の言葉を思い出した。


“若さ”というのはその時だけの「時分の花」であり、
その枯れた後に残るのが、その人の本質である。


Allanは、「まことの花」のある老インストラクターだった。
Dsc06806

| | コメント (0) | トラックバック (0)

幸せそうに見える人…。

先々週のセラピーセッションから、継続して宿題が出ている。
一日の終わりに、次の3つの質問を考えてみる、と言うものだ。


1.What touched me today?
(今日、どんなことが心に触れたか?)

2.What moment of joy did I experience?
(どんな喜びの瞬間を体験したか?)

3.What was meaningful?
(何が有意義だったか?)


そもそもの発端は、Pacific Instituteでレジデントと接していると、
人生の最後の20年間を幸せに過ごすのは、なんて難しいことなのだろうと、
いろいろと考えさせられる、と言ったことだった。


セラピストのHelgaは僕に尋ねた。


「Pacific Instituteで、幸せそうに見える人と、そうでない人には
どんな違いがあるのだろう」


頭の中にいくつかの考えが浮かんでは…、消えた。


幸せな人とは、モノやお金を持っている人のことでは無い。
もちろん、ある程度のお金が無いと、Pacific Instituteのような施設には
入居できない。でも、どんなに素晴らしい家財を持っていたとしても、
Pacific Instituteの部屋には持ち込めない。


過去の社会的地位でもない。.


家族や友人などの「絆」はどうだろうか。
「モノ」では無くて、人としての「繋がり」だ。
でも、実際問題として、Pacific Instituteでも、毎日、家族が会いに来る人は稀だ。
それに、年齢とともに、他界する家族や友人も増えていく。
絆も人間関係も、時間と共に失われていってしまう。


では、「想い出」はどうだろう…。


楽しい思い出がたくさんあり、目を瞑ると、懐かしい風景や人々に囲まれる。
その世界に時間を忘れて浸ることが出来る。そんな、宝物のような想い出を
たくさん持っている人は幸せなんじゃないかと思った。


でも…、


認知症によって、振り返る過去を手放さざるを得なくなった人が
Pacific Instituteにはたくさんいる。


…。


幸せそうな人とそうでない人との違いは何なのだろう。
僕はここで行き詰まってしまった。


改めて、Pacific Instituteのレジデントの顔を想い浮かべた。


幸せそうに見えるレジデントの共通項らしきものを語弊を恐れずに挙げれば…、


自分の足で歩くことができて、ほどほどに健忘症で、
且つ、そういう自分を受け入れている、ということだ。


自分の足で歩けると言うことは、空間を移動する自由があると言うことだ。
自分の意思を現実化できる余地があるということだ。


ほどほどに健忘症とは、過去に囚われず現在(いま)をシンプルに
生きているということだ。


そう言う自分を受け入れている、とは、過去と現在の自分とを比較して
くよくよと思い患わないということだ。


結局、現在(いま)を十全に生きている人は、
年齢や国を問わず、幸せそうに見える、ということなのかもしれない。


ありきたりの答えなような気もするけど、
ではどうすれば、僕たちは現在(いま)を生きることが出来るのだろう。


…。


そう言えば、幸せそうに見えるレジデントには、もう一つ、共通点があった。


それは、


いつも周囲に感謝の気持ちを表現している、ということだ。


確かに、「感謝をすることを探して伝える」というのは、現在(いま)を感じる近道だ。


というのも、


「感謝することを探して伝える」とは、現在(いま)起こっていることを見つけて、
現在(いま)この瞬間の自分の気持ちを表現することだから。


もし「幸せ」が「現在(いま)を生きること」であり、
「現在(いま)を感じること」であるならば、


「幸せ」とは、


ちょっと立ち止まって、感謝することを身の回りに探してみる思考の習慣のことを
言うのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

変化をどう捉えるか

Pacific Instituteのクリニカルディレクターで、僕のSupervisorでもある
Aninは、大容量の感情を持った人だ。


人と向き合うと、あったかい感情が、大きな体からどっと溢れてくる。


時にそれは大きな喜びとなって表現されるし、時には、
大きな悲しみとなって表現されたりする。


彼女は、いつも僕たちインターンに、いつも感情を正直に表現して見せてくれる。
感情と共に生きることは、とても大切なことなのだと教えてくれようとしている。


そのAninが、現在のインターンと一緒に7月いっぱいでPacific Instituteを
去ることが発表になった。


急な出来事だった。


僕は、Aninが、来期に向けた新しいインターンの採用を終えて、
来期もまた素晴らしい人たちが来る、いっしょに働くのが楽しみと
言っていたのを覚えていたので、とても驚いた。


急に辞めることになった理由は、
彼女の母親がレビー小体型の認知症と診断されたからだそうだ。
つい最近の話しで、Anin自身もとても辛い判断だったと、僕たちに話した。


他のインターンは、彼女と一緒に卒業をするので、彼女の母親のことはショックでも、
彼女が辞めること自体には、さほどショックを受けていないようだった。


ところが、僕は、Aninが辞めた後も、まだ、期間が半年残っている。
そして、Aninのことを、Supervisorとしてはもちろんのこと、
人間としても本当に素晴らしい人だと敬意を払っていたので、
ショックだった。


でも、彼女の置かれた状況を考えると、それはやむを得ないことだと言うことも
充分理解が出来た。


その発表の後、Aninは、Pacific Instituteのクリニカルディレクターを辞めた後も、
僕のSupervisionを続けられるように調整をしてくれると言った。


とてもありがたかった。


…。


僕が1月に来てから、Pacific Instituteのバランスが、良くも悪くも崩れ始めた。


インターンは毎年変わる。レジデントも入れ替わりがある。
これまでは、優れたCaregiverの責任者と、クリニカルディレクターが、
不動のタッグを組んでPacific Instituteのサービスのクオリティを支え、
変化とのバランスを保ってきた。


ところが、僕が来てからの5ヶ月間に、長年、Pacific Insituteのサービスの
クオリティを支え続けてきた、3人のCaregiverの責任者のうち、現在、
残っているのは1人だけだ。


1人は離職し、1人はオークランドにあるPacific Instituteの
テコ入れのために異動したためだ。


そして、今度はAninだ。


組織を支え続けてきた人が、組織を抜ける。
組織は不安定になり、残された人は大きな不安感を抱く。
組織は、新しいバランスを見つけるまで迷走と試行錯誤を続ける。


人間だけにではなく、その人間が構成する組織にも生と死がある。
Agingがある。


僕は、ゆっくりと崩壊していく組織の死に立ち会っているのかもしれない。


そして…、


この8月から、新しいクリニカルディレクターと新しいインターンによる
新しい組織の誕生に立ち会うことになる。


その体験は、これまでと同様に、貴重なものになるに違いない。
そう思うことにした。


すべての変化は、捉え方次第だ。
そこから何を学べるかも、自分次第だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Eさんとホスピスケア

僕のクライアントの一人であるEさんは、92歳のアメリカ人女性だ。


昔は、人権問題を中心にした有名な社会活動家で、人生のかなりの時期、
FBIにもマークされていた。


86歳までは、非常に幅広い交友関係の中でパワフルに過ごしていたのだが…、
転んで腰の骨を悪くして、体が不自由になってから、激しく心身の老いが進んだ。


僕は、Pacific Instituteに来てからの、静かに、今にも消え入りそうな姿で、
部屋で椅子に座っているEさんしか知らない。


僕が会いに行くと、Eさんはとても喜んでくれる。
僕の手と頬に、優しくキスをしてくれる。


Eさんには、僕もとても親しくさせて頂いている二人の息子がいる。


彼らは毎日交替で、Pacific Instituteに彼女に会いに来る。
そして、彼らは、毎回、彼女を散歩に連れ出す。晴れた日には外に。
雨の日には、屋上のRoof Topに。少しでも彼女に歩いてもらいたい、
健康でいてもらいたい、長く生きてほしい、という想いからだ。


先週、彼らとクリニカルマネジャーと、僕の4人でEさんに関する
Care meetingがあった。3か月間に一回の割合で催されて、家族と
Instituteが意見交換をする。僕はCare Meeting自体に、初めて参加した。


そこでの話題は、Eさんのホスピスケアについてだった。
その話題は、彼ら二人の息子が切りだした。


ホスピスケアとは、死期が間近に迫ったクライアントに対して行われる
ターミナルケア(終末期ケア)のことだ。身体的苦痛を和らげて、
精神的援助をして生を全うしてもらうことがその目的になる。


僕は、彼らがどれだけ彼女を愛しているか、大切に想っているか、
長生きしてほしいと思っているかを知っているだけに、
そのことを話題にせざるを得ない彼女の現在の健康状態と、
彼らの気持ちを考えると、とても複雑な想いになった。


事前にリストを用意して、淡々と、決めるべきことを決めていこうとする
二人の姿勢に、逆に、彼らが抑制している悲しみの深さを想った。


僕たちは、万が一、彼女に緊急事態が起こったら、どういう順番で、
どこに連絡をするのか。その時には、どういう準備が必要になるのか、
そして、彼女はどこに、何日間、安置することができるのか、
彼らの希望を踏まえて、一つ一つを明確化していった。


ケアマネジャーは、Pacific Inastiteが提携しているホスピスサービスと
現状について二人にこんなことをアドバイスした。


「通常、余命が6カ月以内と診断された場合にホスピスがつくことが多いの。
ここで彼らが提供しているサービスは素晴らしいわ。毎日訪れて、レジデントの
話し相手になったり、髪を整えたり、爪を綺麗にしたり、服装をオシャレにしたり…。


その1対1の深い関わりと、自分は関心を払われていると言う意識が、
クライアントを再び元気にしてくれるケースがとても多いの。


だから、ここでは、ホスピス=ターミナルケアとダイレクトに
結びつけて発想する必要はないわ」


彼らの表情が和らいだ。


そして、彼女は現在ホスピスケアを受けているレジデントの例を
いくつか紹介した。


確かに、それらのレジデントの表情はとても活き活きしていた。


そのミーティングの場に参加させて頂きながら、僕は、改めて、
Pacific Instituteでたくさんの大切なことを学ばせてもらっていることに感謝した。


この場所をPracticum Siteに選んだことを、本当に誇りに思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Hakomiのクラス

この夏セメスター、僕が履修しているクラスの一つがHakomiだ。


体の感覚や動きなど身体の感覚を手掛かりにして、
深層意識を探っていくアプローチだ。


夏にしか催されないこのクラス、とても人気があって募集枠がすぐに埋まってしまう。


そのクラスが今週から始まった。


僕は、これまで、CIISで色々なクラスに出席した。
当然、学派によって、心の深層に迫るアプローチは異なる。


例えば、


クライアントとセラピストの関係の中で起こる転移や逆転移現象を手掛かりにする。


現在(いま)ここで起こっているの体の感覚に手掛かりにする。


夢、あるいは絵や箱庭などの作品を手掛かりにする。


あくまでもクライアントの自発的な開示を手掛かりにする。


それぞれのアプローチは、どれも印象深い。


でも、最近、僕は、クラスで生徒にもっともインパクトを与えるのは、学派と言うよりも、
それを教えるインストラクターが持っているセラピー観ではないか、と思うようになった。


インストラクターのセラピー観と、彼が教える学派のアプローチが一致している様子が、
そのインストラクターの立ち居振る舞いを通して伝わってくる。


これに勝るインストラクションは無いのではないか。


ちなみに、このクラスのインストラクター、Robは経験豊富なハコミセラピストだ。
彼はクラスの冒頭に、彼自身のセラピー観として、こんな言葉を紹介した。


"Psychotherapy is the gentle unfolding of the soul"
サイコセラピーとは、魂が柔らかく開くこと。
サイコセラピーとは、魂が優しく広がること。
サイコセラピーとは、魂が静かに発達すること。


今日の最初のクラスは、インストラクターの自己紹介と、
生徒のそれぞれの一言ずつの自己紹介、そして、Hakomiの背景にある考え方の
説明と簡単なエクササイズがあって、終了した。


自己紹介で、Robは生徒に、自分のことを素晴らしいセラピストにしてくれると思う
要素を一つだけ挙げるように、という指示を出した。


生徒は一言ずつ述べたので、その一部を紹介すると、


Enthusiasm(熱意)
Interest(興味)
Curiosity(好奇心)
Connection(絆)
Patience(忍耐)
Insight(洞察)
Care(関心)
Passion(情熱)
Selfaware(自覚)
Empathic(共感)
Refrain(抑制)


なかなか面白いと思った。


エクササイズでは、こんなことをした。
僕たちは、まず二人組になって、AさんとBさんを決める。
そして、立ちあがって向かい合い、相手の掌と自分の掌とを両方合わせる。


アクティビティⅠでは、セラピスト役のAさんは、Bさんの動きをリードして掌を動かす。
Bさんは、Aさんのその動きに合わせて、合わさった掌を動かすことになる。


アクティビティⅡでは、セラピスト役のAさんはBさんのエネルギーを感じて、
そのエネルギーの感じるままに自分の掌を動かす。Bさんは、先ほどの
アクティビティⅠと同じように、Aさんの掌の動きに合わせて自分の掌を動かす。


Aさん、Bさん共に、アクティビティⅠとⅡではどんな印象があったか、という
シェアがされた。


エクササイズの合間に言った、Robのこんな言葉が印象に残った。


「クライアントがセッションの中で真に必要としているのは、
Explanation(説明)ではなくExperience(体験)だ」


「“ユーモアと詩心”は、セラピストに不可欠の要素だ」


「一人ひとり、人は違う。クライアントと向き合った時に、
一人ひとりが持つ異なるFlavor(香り・趣き)を体全体を使って感じるように」


僕がCIISで過ごす最後の夏に履修できたこのクラス。
何を学べるのかとても楽しみだ。


ちなみに、


僕が自己紹介で言った一言は、


Grounded(動じないこと)


だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

GloriaとのSupervisionが始まる

CIISではプラクティカムが始まると、CIISが認定しているSupervisorに
スーパービジョンを受けることが卒業要件として義務付けられている。


Supervisorは、経験や知識が不足しているインターンに的確な助言、指導をしたり、
時にはメンターの役割をになったりする。


インターンがセッションをするクライアントに対して全責任を負う人、
という位置づけなので、経験豊富なセラピストがその役を引き受けることになる。


僕は、Pasific InstituteでもAninからスーパービジョンを受けているが、
それはPacific Instituteが独自に行っているスーパービジョンであって、
カリフォルニアのMFTライセンス取得には重要であるが、CIISの単位とは関係ない。


春セメスターのグループスーパービジョンのクラスが終了し、夏セメスターのクラスが
始まった今月から、僕は新しいSupervsorのもとに通うことになった。
以前、このブログで紹介したことのあるGloriaだ。


その初回のセッションが、今日あった。


彼女の専門は、サイコダイナミクスだ。
わかりやすく言うと、セラピストとクライアントとの間に起こる、
転移や逆転移を辿りながら、深く内面を探っていくアプローチだ。


Aninの専門は表現アートセラピーでカールロジャースのClient Centeredの考えが
ベースになっている。僕が通っているセラピストのHelgeは、体の感覚を重視する
ゲシュタルトのアプローチなので、3者3様だ。


Gloriaとは、およそ一か月前に面談をしたことがあっただけだ。
その時、深さのある落ち着きと、温かみのある知性と、
人に対する尽きることのない関心を持った人だと思った。
その印象は変わらなかった。


今日のセッションでは、簡単なやり取りの後、彼女は、プラクティカム全般に
ついての感想、そして、僕が担当しているクライアントについて尋ねた。


僕は現在、Pacific Instituteで担当している4人のクライアントのうち、
まずHさんについて話した。


というのも、このブログでも紹介した通り、最近、僕自身のプロジェクトとして、
丸一日彼女と一緒に過ごしたことがあったし、今週、ケースプレゼンテーションで、
僕は彼女について発表をするので、たくさんの情報を持っていたからだ。


Hさんは、認知症を患っている。そして、現在は、日本語しか話すことが
出来なくなってしまったJapanese Americanの女性だ。もうすぐ86歳になる。


Hさんは、自分で寝起きすることも、歩くこともできない。
関節炎を患っているので、手も不自由だ。いつも車椅子に座っているのだが、
車椅子を自分で動かすことはできない。ご飯はかろうじて自分で食べることができる。


朝起きて、Caregiverによって車椅子に移され、そのまま押されていった場所で、
一日中、いつも静かにほほ笑んでいる。そのことについて、
一切、不平不満を言うことなしに。


そのプロジェクトで、僕は朝5時から夕方6時半まで、およそ13時間、
Hさんの隣で彼女と同じように車椅子に座って過ごしたのだが…、


その時、早朝に彼女の部屋を訪れて、彼女のベッドの傍らに座りながら、
僕はこんなことを考えた。


彼女は僕を全面的に信頼してくれている。それは彼女だけじゃない。


僕はインターンと言うこともあって、Caregiverたちも、スタッフも、
上層部も僕を信頼してくれている。だから、僕はこうして早朝から彼女の部屋への
出入りが許されて、ベッドの傍でセラピストとして彼女と話をしているのだ。


彼女は…、認知症を患っている。
僕を認識できても、僕の名前を覚えることができない。
彼女は、日常の自分の身の回りのことを自分ですることが出来ない。


彼女は、環境に対してまったく無力な存在なのだ。


そのような彼女と向き合った時、僕は、自分がまるで全能の存在であるかのように
感じた。自分の持つ力の強さを感じた。まるで彼女の運命でさえも、
僕自身が握っているかのような感覚だった。


もし僕が、冷酷非道の自己中心的な人間だったら…、


彼女につけ込むことは容易だろう。例えば、そういう高齢者に近づいて、
お金を騙し取る事件は、日本でも後を絶たない。


もし僕が、どこか精神的に屈折している被害者意識の持ち主だったら…、


彼女に暴力をふるうかもしれない。無力な彼女を前にして、相対的に優位に立った
自分の力を振るい、社会で満たされない自分の歪んだ内面を満たすのだ。
そして、相手が認知的に不自由であることをいいことに、しらを切る…。


老人ホームでしばしば起こる虐待事件には、相対的に強者となった
自分の強さに耽溺したい、そんな理由もあるんじゃないかと思ったりしている。


で、僕がここで何を言いたいのかと言うと…、


ここに書いたことは、実は、僕の内面にもある感情かもしれないということだ。


だって、Hさんの部屋で、Hさんのベッドの隣に座って、ベッドの上で横になっている
Hさんを眺めならが、そんなことを思いついたのだから。


ユング派の心理学ではそれを影(シャドウ)と言うらしい。


Gloriaとのセッションでは、そんなことも話しながら、対話を通して深く内面に
降りて行った。 クライアントの話をしながら、自分のことを深く探って行った。


50分のセッションは、あっという間だった。


最後に、Gloriaは僕に言った。
「自分の内面を見つめる、それを誰かに話す。あなたの育ってきた文化圏の
特徴を考えるとそれはとても勇気のいることなんじゃないかしら?」


「ええ、CIISに来て、最初はとても戸惑いました」


「でも、あなたは、今日、とてもオープンだったと思うのだけど、どう?」


「はい…。だいぶ慣れてきたのかもしれません」


「その在り方はセラピストとしては、とても大事なことだわ。でも、何故だと思う?」


「セラピストがオープンでなければ、クライアントもオープンになれない。
セラピストの状態は、無意識にクライアントにも伝わってしまうものだからだと
思います」


「そう…、セラピストは、自分のプライベートについてクライアントに何でも
話すわけじゃない。でも、そうありながらも、魂は常にクライアントに開かれている
必要があるの」


Gloriaとのスーパービジョンは、毎週、月曜日の午後3時から。
僕のプラクティカムが続く、来年1月までの予定だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

現在のコミュニティとその先の物語

先週の金曜日、また一人、Pacific Instituteのレジデントが旅立った。


彼は、部屋の中央でいつも静かに車椅子に座って、読書をしていた。


一週間前まではとても元気だったのに、急に体調を崩して、病院に運ばれて、
一度退院してPacific Instituteに戻ってきて、翌日再び入院して、
そして…、先週の金曜日の明け方に帰らぬ人となった。


以前、彼が散歩のActivityに参加したいと言ったのだけど、
片足が義足で遠くまで歩けない彼を心配して、ナースが止めたことがあった。


そうは言っても、ずっと部屋の中にいるのは良くないだろうと思って、
僕は彼を誘って、エントランスの外に椅子を用意して、そこに座ってもらって
小一時間ほど太陽の下で一緒に過ごしたことがあった。


道行く人を眺めながら、いろいろ話をした。


人生でやり残したことがあるか、と冗談交じりに尋ねたら、
「離婚をせずに、しっかりと一人の女性を愛すること。
離婚は愚かなことだ。とても後悔をしているよ」と彼は静かに言った。


彼には、一度離婚歴があった。前妻には3人の子供、後妻には2人の子供がいた。
彼の子供たちは、全員、とても成功を収めていると聞いていた。


彼が旅立った金曜日の午後、Pacific Instituteでは、同じフロアに住む
レジデントがダイニングルームに集まって、彼との思い出をシェアして、
彼の死を悼んだ。


皆、彼のことが好きだった。


一人ひとりのシェアを聞きながら、生前に、コミュニティのメンバーと
どんなに強い絆で結ばれていても、“その時”が来たら、人は、
たった一人で逝かねばならないのだなと思った。


考えてみたら、Pacific Institute自体が、最後の旅の待合室のようなものだ。
いつかは自分の番が来る。誰かの死と出会うたびに、誰もがそれを意識せざるを得ない。


未知の世界への一人での旅立ちには誰だって不安があるだろう。


だから、人は、その不安を癒すために、旅立ち前のコミュニティはもちろんのこと、
旅立ち後の物語を持つことも必要になるんじゃないだろうか。
未知の不安を、少しでも、既知の安心に置き換えてくれるような…。


いや、


死んだら全てが消えてなくなるのだと思っている人は、
そのためのコミュニティも物語も必要ないかもしれない。


でも、人はそんなに強い生きものだろうか…。


もちろん今は大丈夫かもしれないけど、いつか“その時”が間近に迫った時に、
自分の根幹を揺るがすような不安に気づいたら、
その人は、いったいそれにどう向き合うのだろう。


その先の世界のことは非科学的だと否定して、何の物語も持たずにいることは、
とても怖いことなんじゃないか。


だから宗教、だから信仰、と言うのではなく、


先に逝って待ってくれている人がいる、あるいは、大好きだったあの人たちも、
同じ経験を通り抜けて先に逝ったのだと、その人たちと繋がりを自然に
感じることができたら…、と思った。


見えない人たちとだって、見えないコミュニティで繋がっている。
そんな自分の物語を今から育むことも悪くはない。
Dsc06749_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Otolaryngology(耳咽喉科)に行く

3週間ほど前から左耳の調子がおかしくなり、聞こえが良くなったり、
悪くなったり繰り返していた。


原因は、90%以上の確率で4月から通い始めたスポーツジムのプールだ。


今週、再び調子が悪くなり、遂に医者に行くこと決めた。
耳にキャップがかぶさっているよう感じがして、聞こえがとても悪い。


実は、何度か行こうと思っていて、大学院を通して契約している保険会社に、
ネットワークのドクターを紹介してもらう電話を何度かしていたのだが…、
毎回、電話に出た担当者によって答えも違うし、救急病院を紹介されたりして
要領を得なかったので、今一つ、医者に行く気分が盛り上がらずにいた。


おまけに、アメリカの医療は高い、保険に入っていても高い、
そんな先入観もあった。だから、なるべく医者には行かないように済ませようと思っていた。


でも、困ったことが起こってきた。


プラクティカム先で、ただでさえ聞き取りにくかった何人かのレジデントの言葉が
輪をかけて聞き取りにくくなった。すると、社交が億劫になった。


これではいけないと思い、腹をくくって、改めて、保険会社に問い合わせると、
今回の担当者は、家の近くにある耳鼻科を3件紹介してくれた。


僕は、そのうち、一件に電話をして、翌日の朝10時15分にアポイントをとった。


翌朝、Supervisionを終えてから、ドクターのオフィスに向かった。


指定の住所に着くと、そこには古いビルディングがあった。
どうやらドクターのオフィスがたくさん入っているらしい。
Dsc06743_2
Dsc06742

3階の、この無味乾燥な廊下の一番奥が、僕の目指すオフィスだ。
Dsc06740

ドアを開けて入った第一印象は、ずいぶん古めかしい。
千葉の実家近くにある、老先生がやっている耳鼻科を思い出した。
Dsc06735

大丈夫だろうか…。


受付で、名前を名乗り、保険会社のメンバーカードを渡した。
そして、簡単な質問表を渡され、質問に応えた。


受付の窓口から、中をのぞいてみた。
Dsc06736

とても古めかしい。僕の田舎の耳鼻科よりも古めかしいかもしれない…。


名前を呼ばれて、中に入ると、待っていたのは、
きびきびしたエネルギッシュな白人の、やはり老先生だった。


ドクターは簡潔に症状を聞いて、右耳、左耳を目視して、
すぐに診断を下してくれた。


予想通り、中耳炎だった。


「抗生物質を処方するけど、どこの保険会社を使っているのかな?
抗生物質はちょっと値が張るからね」


薬は、耳に点滴するタイプのものだと言う。


一日に2回、2滴、耳に注す。それで経過を見るので、アポイントをとって、
一週間後にもう一度来るようにと言われた。


費用は、かからなかった。


僕はその場でドクターが描いてくれた手書きのメモ用紙のような
処方箋を持って、近くのドラッグストア“Walgrees”に行った。


そこで、処方箋と保険のメンバーカードを見せた。


処方してもらった抗生物質は、定価126ドル。
僕が支払ったのは30ドルだった。


この2年間、一度も使ったことのなかった保険を使って医者に行った。


初めての体験は、いつでも新鮮だ。
処方してもらった抗生物質の効き目も、3日目が終わって、なかなかだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

打楽器の持つ可能性

サンフランシスコに二つあるPacific Instituteのビルディングのうち
Laguna Grove Carehouseの2階には、認知症がかなり進行したレジデントが
住んでいる。


彼らのする会話に脈絡はなく、徘徊するのは普通で、一か所にじっとしていることが
出来ない。集中力もない。だから、彼らに何かActivityに参加してもらおうと思ったら、
CaregiverかInternが1対1でつきっきりにならないといけない。


そういうレジデントは、Pacific Instituteと言えども、Group Activityへの
参加のチャンスがぐっと減ってしまう。


彼らに対してもっと何かできないか、というのが、Pacific Institute全体の
課題として、Managementスタッフ側からも、Clinicalスタッフ側からも声が
上がっていた。


というわけで、僕ともう一人のインターンMehganが相談をして、
いっしょに2階のフロアでアクティビティをやってみようと言うことになった。
これはなかなか画期的な試みだった。


地下にたくさんの、色々な形の打楽器があるのを知っていたので、
僕たちはそれらを使うことにした。


打楽器がレジデントに及ぼす好影響については、容易に想像が出来る。
抑圧した感情を健全な形で開放する、言葉では無い形での自己表現をする、
参加意識を醸成する、原始的なリズムが魂を刺激する…。


不安だったのは、そもそも彼らは打楽器に興味を持つだろうか、
ということだった。


僕たちは水曜日の午後3時に2階に行く。
案の定、まったりしたムードで、4人のレジデントがダイニングルームで、
居眠りをしていたり、何をすることもなく空中に視線を泳がせていた。


僕とMeghanは、とりあえずダイニングの中央に行き、彼らに打楽器を見せて、
興味を持つかどうか手渡してみた。


案の定、誰も興味を示さなかった。


「期待することを忘れてはいけない。でも、大きな期待をしてもいけない」


これは、このような人たちを対象にActivityを行うときの鉄則だ。
小さな変化に大きな意味が含まれているのだ。


と言うわけで、僕は一番大きなドラムを手にとって、叩き始めた。


「ドンドンドン、カッ…」


Meghanもそれに合わせて、鈴とマラカスを鳴らした。


僕はダイニングルームを歩きながら、Meghanは中央に座りながら、
レジデントの表情を注意深く見ながら、単調なリズムを刻み続けた。


最初の5分間はまったく何の変化も起こらなかった。


ドラムを敲いてるのは、レジデントじゃなくて、インターンだ。
これでは、まるで狙いとは逆の、インターンのためのActivityだなと思っていると、
小さな小さな手拍子が後ろから聞こえた。


振り向くと、チャイニーズ系のレジデントがいた。部屋から出てきたのだ。
彼女は、かなり進行した認知症を患っている。


Meghanが彼女に鈴を渡すと、彼女は喜んでそれでリズムをとった。


太鼓の音を聞いて、施設に散っていた別のインターン2名が助っ人に来た。
彼らもドラムを手にとって輪に加わった。


そして、僕のベースとなるリズムにアクセントを加えて、
レジデントを輪の中に誘い出した。


だいぶ賑やかになってきた。


一人、また一人と、部屋に籠っていたレジデントがダイニングに集まりだした。


僕たちは一人ひとりを輪の中に迎えていった。


僕は、レジデントの間をドラムを叩きながら、練り歩く。
時に、レジデントのもっている楽器を一緒に叩く。


気が付いたら、2階に住むレジデントが全員、ダイニングルームに集まり、
僕たちの輪の中に加わっていた。


重度の認知症だったり、死の準備のためにホスピスが付いていたりして、
僕たちがこれまでActivityに参加させることを諦めていたようなレジデントまでもが
楽器を叩く、あるいは叩こうとするのを見ると、僕たちの方が興奮した。


僕たちには、まだまだ出来ることがある。
Dsc06726

| | コメント (0) | トラックバック (0)

週末のPacific Institute

5月は、CIISのSpring Semesterが終わったこともあって、
平日だけでなく、週末も含めて、毎日、Pacific Instituteに顔を出すようにしていた。


行けば何かしら学びがあるし、何よりもレジデントが喜んでくれる。


自由に外出することのできないレジデントにとって、僕たちインターンは、
彼らと外の世界とを結ぶ、貴重なインターフェースになっているのだろう。


週末にPacific Institueに行くと、平日には無いメリットあることも知った。


それは…、


レジデントの家族に会えると言うことだ。


彼らは当然、仕事を持っているし、平日は忙しいので、
週末にPacific Instituteを訪れることが多い。


彼らと交わす会話は、また別の角度からレジデントの人柄や
彼らの人生を教えてくれた。


また、彼らから、自分の親に対してこうして欲しい、こう接して欲しいとの
リクエストをもらうことも出来る。


僕は、何の義務や仕事もないので、時間を自由に使うことが出来る。
可能な限り、Caregiverの手伝いをするようにした。


と言っても、徘徊しているレジデントを椅子に座らせたり、
食事をサーブするのを手伝うことぐらいのものだけど。


それでも、いろいろ学ぶことがある。


レジデントの健康度合いによって、サーブされる食事が違う。
一部の食事が細かく砕かれていたり、ペースト状になっていたりする。


デザートも、糖尿病持ちのクライアントには、他のレジデントとは
違う糖尿病患者用のデザートを配る必要がある。


個人的な嗜好もあって、スープはいらないとか、コーヒーを必ずつけるとか、
生クリームをケーキの乗せないとか、ジュースを水で薄めるとか、
そんなことも覚えないといけない。


食が細くなって体重が減り周囲が心配していたあるレジデントは、
僕がスープをカップに移してあげると、それを全部平らげた。
そして、もっと飲みたいという仕草をして周囲を驚かせた。


それからは、彼女にはカップに移して提供されることになった。


それを見ていてのことだと思うのだけど、


後日、別のある家族から、彼らの母親に、僕をインターンとしてつけて欲しい、
とリクエストがあったことをSupervisorのAninから知らされた。
嬉しいことだ。


現在、別のインターンがその人を担当しているので、急に変えると
いろいろなダイナミズムが起こる。現在のインターンが卒業する8月から、
僕がそのレジデントを担当することで落ち着いた。


僕のインターンは5ヶ月目は、こんな感じで進んでいる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

真ん中の40年間

「社会との関わりの有無」という視点で人生をざっくり眺めてみると…、


生まれてから最初の人生20年間と、死ぬまでの最後の人生20年間、
現代に生きる僕たちの多くは、社会活動に直接関わっていない。


社会に出るまでの最初の約20年間と、社会人としての中間の約40年間と、
会社をリタイアしてからの最後の約20年間が、おおまかに僕たちの人生だ。


その人生の中間にある約40年間をいかに“社会的な成功者”として過ごすか、
“裕福に暮らすか”という価値観と思考に、多くの人は囚われているのではないだろうか。
ご多分にもれず、僕もその一人だ。


僕は現在、Pacific Instituteで最後の20年間を生きる人たちと日々接している。
その中で思うのは、この年齢層の人々たちは、明らかに人生の中間の40年間とは
異なる価値観の中で生きていると言うことだ。


それを表現する良い言葉が見つからないのだけど、


“社会的な成功軸”ではなくて
“人間としての成熟軸”、とでも言えばよいだろうか。


例えば、「俺は、こんなに成功したんだ。こんなことを成し遂げたんだ」と
吹聴しても、その人の人間性が悪ければ、他のレジデントは離れていくし、
Caregiverには「はい、はい」と適当に相槌を打たれて、車椅子を押されて
ダイニングルームの端に運ばれて、前掛けをされて、目の前にジュースを置かれて、
それで終わりだ。


色々考えさせられる。


そんなことを先週の木曜日のTherapy Sessionで話したら、
TherapistのHelgaがこんなことを教えてくれた。


マホメッドが死ぬ間際に弟子に言った言葉だそうだ。


「お前たちに二人の先生を残そう。“話す先生”と“沈黙の先生”だ。
“話す先生”とは、コーランのことだ。お前たちは、そこから、たくさんの
知恵を学ぶことができるだろう。もう一方の“沈黙の先生”とは、死のことだ。
お前たちは、そこからやはり多くのことを学べるだろう。」


僕たちは、真ん中の40年間を見据えて、人生の最初の20年間を
どう過ごすか考えようとする。


それに比べて、人生の後半の20年間を見据えて、真ん中の40年間を
どう過ごそうとするのかを真剣に考える人は、そう多くないのではないだろうか。


真ん中の40年間、経済的成功や地位・名誉を求める生き方をすることが悪いとは
言わない。でも、その真ん中の40年間を、インドの聖者のように、修行と称して
右手を上げたまま暮らす生き方がいいとも思わない。


沈黙の先生から、僕たちは何を学ぶのか。
そして、真ん中の40年間をどう生きるのか。


Pacific Instituteに行くようになってから、いつも考えさせられている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

One-day project 1

Never criticize a man until you've walked a mile in his moccasins.
その人のシューズを履いて1マイル歩いてみるまでは、批判をしてはいけない。


ネイティブアメリカンの諺だ。


相手の靴を履いて歩いてみて、初めて、その状態やその人の気持ちを
知ることが出来る。まずは相手の立場になって考えてみることの大切さを説いている。


これを、Pacific Instituteでの経験に当てはめると、どうなるだろう…。


Never empathize with a man until you've sit in his wheelchair half a day . 
その人の車いすに半日座ってみるまでは、共感をしてはいけない。


レジデントの立場や状況を本当に理解し共感することは、
とても難しいことだと思うから。


彼らは、どんな一日を過ごしているのだろう。
どういう風景を見ながら暮らしているのだろう。
どんな気持ちの移ろいがあるのだろう。


僕たちインターンが日々しているように、ある日のある時間だけレジデントと接して、
相手を理解した気持ちになるのではなく、丸々一日、朝起きるところから
ベッドに着くまで、そのレジデントの隣で、同じように車椅子に座って
時間を過ごしたら、僕はいったい何を感じるだろう。


知りたいと思った。


僕は、一緒に過ごすレジデントに、日系アメリカ人のHさんを選んだ。


というのも、Hさんの家族は、サンフランシスコに娘さんが一人いるだけで、
その彼女も多忙なために月に2回ぐらいしか面会に来れないために、
Hさんはほとんどの時間をいつもダイニングルームで一人で過ごしているからだ。


それに加えて、Hさんは日本語しか話すことが出来ない。
認知症が進むに従って、英語を話す能力を失ってしまった。


周囲とコミュニケーションが取れない環境でずっと過ごすと言うのはどんなに
辛いことだろう…。


先日、病院でインターンをしているCIISの日本人の友だちも同じことを
言っていたのだが、アメリカ人のレジデントは、CaregiverやInternに
たくさんリクエストをする。


コーヒーが飲みたい、クランベリージュースが飲みたい、トイレに行きたい、
部屋に戻りたい、あそこに移動したい、肉を食べやすいように小さく切ってほしい、
背中が痛いのでナースを呼べ、etc。


それに比べて、Hさんは、一切、リクエストをすることが無い。
それは言葉だけの問題では無い。文化的なものもあるのだ思う。


Hさんは、自分に与えられた状況を、ただ全面的に受け入れている。
いつも、Caregiverに連れて行かれたダイニングルームの隅っこで、
何の不平を言わずに、ただ車いすに座って、静かにほほ笑んでいる。
村のはずれにあるお地蔵さんのように…。


いったいどんな気持ちで座っているのだろう。


僕は先週の日曜日、朝3時45分に起きて、5時にPacific Instituteに着くように家を出た。
Caregiverから、Hさんは朝5時にはいつも起きていていると聞いていたから。
外はまだ真っ暗だった。


<5:00am>
朝5時に部屋を覗くと、Hさんはあいにく目を閉じていた。
当直のCaregiverに尋ねると、さっきまでは起きていたらしい。


<5:20am>
もう一度部屋に行くと、今度はHさんは起きていた。


Hさんは、僕が誰だか認識するのにしばらく時間がかかった。
そして、僕だとわかると、満面の笑みになった。


そして、堰を切ったように語りだした。


それは、感謝の言葉と、自分の境遇を嘆く言葉だった。


「会えてとても嬉しいわ。あら、おかしい、なぜ涙が出てくるのかしら」
Hさんはそう言って、ベッドに横になりながら涙をぬぐった。


Hさんはひたすら話して、40分ほどすると、再び目を閉じた。
眠ってしまったようだ。


<6:15am>
僕はHさんの部屋を出て最上階のRoof Topに行った。
快晴だ。


One-day projectの一日が始まった。
Dsc06444_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

One-day project 2

<7:00am>
再び、7時にHさんの部屋に行った。


Hさんは起きていたが、先ほど、僕が部屋に来たことを忘れてしまったようだ。
あるいは、昨日のことのように認識していたのかもしれない。


「あら、いま来たの?私が昨日さびしい想いをしていたから来てくれたの?」
と僕に尋ねた。


Hさんは、ベッドの上で先ほどと同じように僕を歓迎してくれて、
「今日は、一緒に岡山にいけるといいな」と言った。


CaregiverがHさんを着替えさせるために部屋にやってきた。
僕は席を外した。


部屋の外にHさんの車椅子があった。
座って見ようと思ったのだが、座席のシートから異臭がする。


僕は別のCaregiverにお願いをして、そのシートを洗ってもらった。


<8:00am>
朝食を取るために、Caregiverに連れられて、Hさんがダイニングルームにやってきた。
朝の光に照らされて、Hさんはとても明るく眩しく見える。笑顔だ。


Caregiverの手によって、Hさんは円形のテーブルに着いた。


スタッフによって、食事が運ばれてきた。
僕は、スタッフとCaregiverに同行して、彼らが1階から3階まで、朝食の給仕をするのを
手伝った。朝のCaregiverたちはとても忙しい。着替えさせたり、
シャワーを浴びさせたり。僕のサポートを彼らはとても喜んだ。


<8:40am>
給仕のサポートを終えて、1階に戻る。


Hさんは、ちょうど朝食を済ませたところだった。


彼女は僕に、
「いま来たところなの?」と尋ねた。


僕は「ええ、そうなんです。いま来ました」と答えた。


<8:45am>
僕は、彼女が朝食後にいつも座る位置に、
予備のWheelchairを置いて座った。


その位置は、彼女が食事をしているテーブルの位置の、
ちょうど真向かいになる。


僕は、その位置からしばらくHさんを眺めていた。


<9:15am>
ダイニングルームには、陽射しがふんだんに入ってくる。
僕は空になった彼女のコップにジュースを注いだ。


彼女は、「ありがとう」と言ってそれを飲んだ。
彼女がそれを全部飲んだのを見て、僕はもう一度、
今度は違うジュースを彼女のコップに注いだ。


僕は、車いすに座って周囲を観察した。
これがHさんの見ているいつもの風景なのだなと思いがら。


<9:30am>
「いずみさん、いずみさん」と呼ぶHさんの声で、僕は目を開けた。


いけない、眠ってしまっていたようだ。


“いずみさん”とは、彼女の幼馴染の友だちの名前だ。
彼女は、親切な男の人を全員、「いずみさん」と呼ぶのだ。


「眠いの?」とHさんは、テーブルの向こうから笑顔で僕に尋ねた。


<9:40am>
テーブルをはさんでHさんの目の前に座っているアメリカ人男性のNさんが、
鼻をゆっくりほじりだす。彼の癖なのだが、厳しい躾の家で育ったHさんは、
これが大嫌いだ。


「ほら、やめなさい。みっともない。やめなさいと言っているでしょう!」


Hさんは、Nさんに日本語で注意をするのだけど、もちろん、アメリカ人のNさんには
通じない。


<9:50am>
Hさんは、周囲で慌ただしく働くCaregiverたちに、「はい」「ありがとう」「すみません」と
ずっと声をかけ続けている。これが彼女の習慣だ。だから、Caregiverたちは、
「ありがとう」という日本語だけは覚えてしまった。


<10:20am>
時間の経つのが遅い…。


僕は、Hさんを散歩に連れ出すことにした。
今日は、とても天気が良いから。


でも、正直言うと、僕自身が行く必要があったのだ。
眠気を覚ますために。


Hさんに尋ねると、彼女もぜひ行きたいと言った。
おそらくだけど、Hさんが外出するのは6カ月ぶりぐらいではないだろうか…。


僕は寒くないようにHさんにジャンバーを着せ、膝に毛布をかけた。
Hさんは僕に、「ありがとう、お父ちゃん」と言った。


<10:25am>
僕たちはHayes Streetを歩いて、公園に向かった。


「花がきれい」「子供が可愛い」「犬が恐い」「あの置物が恐ろしい」


僕は、Hさんの発話に相槌を打ちながら、静かに車椅子を押した。


<10:50am>
Pacific Instituteに戻ってきた。


僕たちが、再びダイニングルームに行った。、
Hさんはスタッフに、「はろー」と言った。


僕はHさんが英語を話すのを初めて聞いた。


<11:10am>
Caregiverが僕に尋ねた。


「Hさんにマニキュアをしてあげたいのだが、それを確認してもらえるか?」


Pacific Instituteでは、よくあるサービスだ。
僕が確認すると、Hさんはとても喜んだ。


Caregiverは肌色のマニキュアを使おうとしたが、僕はそれを制止して、
ピンク色のマニキュアと二つ並べて「どっちがいい?」とHさんに尋ねた。


Hさんは「色がはっきりしているから、ピンクがいい」と笑顔で言った。


<11:20am>
マニキュアが終了した。Hさんは、指を伸ばして眺めている。


Caregiverが、部屋にいるレジデントをダイニングルームに連れてきはじめた。
もう昼食の時間らしい。


人が集まり、再び、ダイニングルームが賑やかになりだした。


僕は、朝食時と同様に、1階から3階まで食事のサーブを手伝った。


<12:10pm>
Hさんはランチ食べ終えた。
彼女は食器を下げるスタッフに「さんきゅべりまっち」と言った。


<12:30pm>
僕が食事のサーブから戻ってくる時、その表情を見て、Hさんが
「何かあったん?」と、とても不安そうな表情をした。


「何もないですよ」と僕は笑顔で答えたが…、


ちょっと思うことがあって、Hさんに尋ねてみた。


「Hさん、僕がこういう風に表情を変えたら、どう思いますか?」


彼女に了解をとってから、それをやってみた。


「いいですか?変えますよ」


僕が顔の表情の変化を変えると…、


「うわあー、怖い」


Hさんは恐れ慄いた。恐怖で、Hさんの顔が引きつった。
あまりのHさんの驚き具合に、僕の方が驚いた。


僕は急いで謝った。


彼女は、僕が無表情な顔を作っても、とても怖いと言って怯えた。


認知症の方は、相手の表情にとても過敏になるとSupervisorのAninに
聞いたことがある。


認知症とNon verbal communication。
一考してみる価値がありそうだ。
Dsc06501

| | コメント (0) | トラックバック (0)

One-day project 3

<12:40pm>
おしめの交換のために、彼女はCaregiverにトイレに連れて行かれた。
その間に、僕は急いで、自分の昼食を済ませた。


<12:50pm>
彼女が戻ってきた。


さて、午後もたっぷり時間がある。


僕は、デジカメでHさんと一緒に写真を撮った。
それを見せると、Hさんは、自分を指さして、


「あら、ここにずいぶんポターンと太った婆さんがいる」と言った。


「それは、Hさんですよ。隣に写っているのが僕です」


と僕が言うと、


「これが、私?」


Hさんは、どうも、納得していないようだった。


<1:05pm>
Hさんの認知症はかなり進んでいる。
でも、その状態は、日によって違うようだ。


一人娘や昨年末に亡くなった夫の名前を思いだせる日もあれば、
思いだせない日もある。


僕は、簡単な質問をしてみることにした。


「Hさん、ここがどこだか分りますか?」
「えっ…、岡山?」


「ご主人の名前は何て言うのですか?」
「えーっと、なんと言ったかな。あれ、おかしい…。どうして出てこないのかな。
えーっと、ゆたか」


「お兄さんの名前は?」
「えーっと…、知らない」


「いま何歳ですか?」
「大正13年6月20日生まれ。」


「いまいくつですか?」
「大正13年6月20日生まれ。だから…。良く知らない。うーん…。40歳ぐらい?」


一緒に算数もしてみた。


まず足し算。
1+2=3
3+2=5


5+3=4。


もう一度、5たす3は?と尋ねると、
しばらくの沈黙の後、8という答えが返ってきた。


次は引き算を尋ねてみた。


3-1=4。
2度ほど尋ねると、正解が返ってきた。2だ。


2-1=1
8ー3=2
この8引く3は、どうしても出来なかった。


「でもね、私は叔母よりも頭が良かったのよ」
Hさんはそう言った。


<1:35pm>
Hさんに喉が渇いたかどうかを尋ねた。


「どっちでもいいの」と言ったので、お茶を持ってきた。
「ありがとう」と彼女は言った。


<2:00pm>
Hさんに、アメリカ人女性のレジデントが話しかける。
彼女は、2年前に半年だけPacific Instituteに滞在したことがあって、
その時、Hさんと同室だったのだ。でもHさんはそのことを覚えていない。


「私は、あなたが孤独なのを知っているわ。すごくあなたの気持ちがわかるの。
私はあなたが大好きよ。だから友だちになりましょう」


彼女は、想いをこめてそうHさんに伝えた。
僕はそれを日本語でHさんに伝えたのだが、情感をこめて話しかける
そのレジデントの表情がとても真顔なので、Hさんは心を閉ざしてしまう。


「友だちになるって言われても、どうすればいいの」
「私は何をすればいいっていうの」
「私とあなたとは、違う人だと思うの」


Hさんは混乱していた。
日を改めて、もう一度、Hさんに尋ねてほしいと、そのレジデントにお願いをした。


<2:20pm>
Hさんの口数が減った。
僕が、トイレやCaregiverや他のレジデントの手伝いに、ちょっと席を立つ時も
不安な表情をしなくなった。


他のレジデントは部屋に戻ったので、ダイニングルームはとても静かになった。
通りすがりのCaregiverに「ありがとう」と言うHさんの声が、沈黙の空間に
定期的に響いた。


<2:50pm>
Hさんの隣に静かに座っている。
「んー、…。んー、…」と静かに声を出して、定期的にリズムを取っているのがわかる。
今までは気づかなかった。


<3:00pm>
Hさんは手を摩り続ける癖がある。でも、珍しくこの時間になって、それが止まった。


改めて、SupervisorAninが言っていたことを思い出した。


「孤独な老人は、自分で自分に刺激を送るために、手をさすったり、
体を前後に動かしたり、独り言を言ったりする。そして、それにも飽きて、
自分の中に引きこもるようになる」


Hさんは、少し何かが満たされ始めたのだろうか。


<3:20PM>
Hさんは、しばらくの沈黙の後、


「私は、会いたい人に会えて幸せ」と僕に言った。


「会いたい人って誰ですか?」と尋ねると、
Hさんは「私が、いま見ている人」と言って僕を見た。


「わかったでしょう?」


「わかりませんでしたよ。もう一度やってみてもらえますか?」


しばらく、こんな他愛のない会話が続いた。


<3:40pm>
しばらく沈黙があった。


彼女は、定期的に「はい」と言う。周囲の動きを見て何かの拍子を
とっているようだ。


僕はHさんが「はい」と言うたびに、
「いまなぜ“はい”って言ったのですか?」と尋ねてみた。


いろいろな答えが返ってきたのだけど、僕が3度目に尋ねた時に、
彼女はこう言った。


「周りの人のことばかりを考えていると、とても疲れるの。
だから、時々、はい、と声を出して、気分を発散させるの」
Dsc06630

| | コメント (0) | トラックバック (0)

One-day project 4

<3:55pm>
車椅子に座っている僕のお尻が少し痛くなり出した。


僕はHさんに尋ねた。


「1日中、車いすに座っていると、お尻は痛くなりませんか?」


するとHさんは、「痛くなる」と言った。


「そういう時はどうするのですか?」と尋ねると、


Hさんは、
「どうにもできないから、何も言わないで、ただ座っているの」と言った。


<4:00pm>
そろそろ晩ご飯の準備だ。Caregiverが部屋で寝ているレジデントを
ダイニングルームに連れてくることを始める。


<4:35pm>
晩ご飯の給仕が始まる。
僕は1階、2階、3階のサーブを手伝う。


<5:20pm>
1階に戻ってくると、Hさんの食事は終わっていた。
僕は、Hさんの空のコップにジュースを注いだ。


この時間になるとCaregiverは、再び、とても忙しい。
食事の済んだレジデントをダイニングルームからお手洗いに連れて行き、
歯磨きをさせ、おむつを交換し、着替えさせ、ベッドに連れていくのだ。


順番に行っていくので、多くのレジデントはそのままダイニングルームで
何をすることもなく待っている。順番待ちに苛つくレジデントもいる。


Hさんが、「今日もあと少しね」と僕に言う。


「え?わかるんですか?」と尋ねると、


Hさんは「ううん、わからない」と笑った。


<5:50pm>
ダイニングルームで静かに自分の順番を待つHさんに「寒いですか?」と
尋ねると、「寒い。でも、いいの」と言う。


僕がHさんの部屋から、膝かけを取ってくると、とても喜んだ。
「この中に手を入れるとあったかい」と言った。


<5:55pm>
ダイニングルームのテーブルを拭くCaregiverを見て、彼女は言った。
「一生懸命、掃除してくださってありがたいよな。ありがとう」


<6:00pm>
ようやくHさんの順番が来た。歯磨きのために、Caregiverに車椅子を押されて
お手洗いに行った。


<6:15pm>
歯磨きを終えたHさんは、Caregiverによって、お手洗いから、
自分の部屋に移った。そのままCaregiverの手によって、おしめを取り替えられて、
パジャマに着替えた。当然、僕は部屋の外で待っていた。


<6:30pm>
Hさんに「お休みなさい」と挨拶をするために、部屋の中に入って、そして、出た。
ドアを閉じると、いつものように、Hさんの寝る前の独り言が廊下に聞えた。


「はい、ありがとう」


「神さま、ありがとう」
Dsc06700

| | コメント (0) | トラックバック (0)

土曜日の午後のジャズピアノ

週末のサンフランシスコは、とても良い天気だった。
Pacific Institeの屋上から撮った写真。
Dsc06375_4

さて、Pacific Instituteでは毎週土曜日、生のJazz演奏が催される。


なかなか自由に外出することのできないレジデントに、
午後のひと時をジャズを聴きながら過ごしてもらおうという試みだ。


先週の土曜日は、最上階のRoof topでピアノによるJazz演奏があった。
Dsc06360_3

僕は、屋上にある離れの建物で、もうすぐ始まるCIISの夏のクラスの
課題図書を読んでいたのだが、ピアノが奏でる青い色のリズムとメロディに
導かれて、一番後ろの椅子に座った。


たくさんのレジデントが聴きに来ていた。
週末に彼らを訪れた家族も一緒にいた。


音楽は、改めてすごいなあと思う。日常の空間がまったく違う装いになってしまう。
生演奏なら、なおさらだ。


その場にいる全員が、日常の空間の中に現れた非日常を楽しんでいるようだった。


車椅子のレジデントの何人かは、目を静かに閉じて、体を少し揺らしていた。
想い出とダンスをしているのだろうか…。


それを見ていて、音楽は、不自由な肉体から、つかの間かもしれないけど、
彼らの魂を解放してくれているのかもしれないと思った。


今日、演奏してくれた人は、Pacific Instituteのスタッフのガールフレンドの
お父さんということだった。プロフェッショナルではなく、自分の娘に教わって、
ピアノを引くようになったアマチュアらしい。


こういう社会貢献の仕方もありなんだなと思った。


演奏会は午後3時過ぎに終了した。
幸せに溢れた午後のひと時だった。
Dsc06381

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »