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2009年5月

才能と、物語と感動。

イギリスのオーディション番組、「Britain's Got Talent」の準決勝が始まった。


僕はweb上で結果と映像を確認しているだけだけど、以前このブログで触れた予選
比較して、その違いに感じることがたくさんある。


予選と準決勝では何が大きく違うのかと言うと、何と言っても「期待値」だ。
準決勝では、観客は最初からパフォーマンスに期待している。


しかし予選では違った。
番組の趣旨からいっても、パフォーマーたちはさほど期待されていない。
そもそもが素人なのだから。


だから、その素人が観客や審査員の「期待」を裏切るパフォーマンスを見せた時、
大きな感動が生まれた。


パフォーマーたちは、
つい先日まで多くの観客と同じように「自分たちのサイド」にいた人たちなのだという事実。
そして、諦めずに努力を重ねてきたのであろうその歳月。
さらに、チャンスをつかむために舞台に立ったその勇気。
最後に、事前に共有されている彼らの人生のもろもろのストーリー。
それらが僕たち観客の想像力をかきたて、パフォーマンスの感動の増幅機として働いた。


でも、準決勝では、その増幅器が働かない。
なぜなら、観客の期待値は最初から高いから。パフォーマーの背景にある、
処々の物語は既に期待値に織り込まれてしまっているから。


多くのパフォーマンスの感動を生みだしてくれた「ギャップ」は既に埋まっている。
だから、準決勝では、純粋に「才能」が問われてしまう。


いや、もし準決勝でも何らかの方法で「ギャップ」を作り出せるパフォーマーが
いたら、それも何かの才能だろうと思う。同時に、準決勝のプレッシャーの中で、
予選を上回る驚きと興奮を与えることができたのであれば、その才能はかなり
突き抜けているということだ。


個人的な見解だけど、準決勝で予選を越える感動を与えてくれたパフォーマーは少ない。
予選とは違う緊張感もパフォーマーたちに影響していたのかもしれないけど。

そんな中でも僕が素敵だなと思ったパフォーマンス、
Julian Smithのソプラノサクセフォン。

すごいなと思ったパフォーマンス、Aiden Davisのダンス。


毎回高まっていく観客やクライアントからの期待を越えつづけることの
できる一握りの人が、Tatentとして輝き続けることができるのだろう。


なんだか、つまされる話だ。


さて、いよいよ明日が決勝です。
詳しくはこちらで。

http://talent.itv.com/


<付録>
才能は「驚き」を与えてくれる。でも、それは「感動」とは少し違うのかもしれないと思った。
真の感動は、才能だけではなく、そこにパフォーマーの人生を感じたり、
自分の人生を重ね合わせたりした時に起こる。つまり、そのパフォーマンスに何かの
「物語」を発見した時に。
2 Grandは、おじいさんと孫娘のペア。準決勝では予選以上のパフォーマンスで
見事決勝進出を勝ち取った。彼らには、感動があった。今や失われつつある
「大家族」という物語が、パフォーマンスを効果的に引き立てた。
「物語」は、感動を膨らませてくれる。

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Have a beautiful evening!

先週金曜日にソーシャルセキュリティーナンバーが無事に届いた。
申請してから、ちょうど一週間…。


さて、火曜日から正式にエントランスでGreetingの仕事が始まった。
その日は13時30分から19時までのシフト。


仕事を終えて帰るスタッフや、生徒が目の前を通る。
みんな笑顔で出ていく。


「Have a good evening!」
「Have a beautiful evening!」


と声をかけられるので、僕も同じように返す。


Have a beautiful evening!
(素敵な夕方の時間を過ごしてね!)


返しながらふと思った。


そっか、これからBeautifulな時間が始まるんだ。
今日一日の、それまでの延長線上ではない、非連続な新しい時間帯が始まるんだ、と。


それがちょっと不思議で新鮮な感じがした。


なぜなら、僕自身の経験で言えば、日本での一日は、朝昼晩のすべての時間帯が、
連続して繋がっていたような気がするから。


もちろん「一年」という単位では、そこには明確な季節の移り変わりがあり、
祭りがあり、行事があって区切りを感じることができた。
それが、一年を過ごす上での気分転換になっていた。


仕事上の経験で言えば、
1年を期に分けることで、モチベーションをそれなりに維持することができた。
上期は上期、下期は下期で、気分を一新することに役立った。


でも、僕は「一日」という単位の中には、何の区切りも持っていなかった。


Have a beautiful eveningという挨拶は、一日の時間の非連続性を前提に
しているような気がする。朝は朝、昼は昼、夕方は夕方、夜は夜…。
一日の中に連続していない時間帯がそれぞれあると考えるのだ。


だから、


Have a beautiful evening!
(素敵な夕方の時間を過ごしてね!)


なのだ。


お互いに気持ちをリセット&リフレッシュして、次の時間帯を素敵に過ごそう!
僕は、Have a beautiful eveningの語感に、そんな意味の広がりを感じる。

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アメリカ人とイギリス人はまったく違う

何度か話題にしたことだけど、僕はこちらに来る前、
アメリカとヨーロッパの区別をほとんどしていなかった。
言葉のとおり、「欧米」とひとくくりに捉えていた。


でも、ドイツ人のアンナと話していると、「欧」と「米」はしっかり
分けて考えないといけないんだなとつくづく思う。


そんな話をアンナにしたら、こんな答えが返ってきた。


「実は、私もなの。アメリカに来る前は、イギリス人とアメリカ人って
同じだと思っていたの。でも、実際は全然違うのよね。同じ言葉を話して、
文化も似ているはずなのに。こちらでイギリス人に会うと、
みんな、アメリカ人とイギリス人はまったく違うと、口を揃えて言うわ」


なるほど。


以下は、ちょっと似ているけど、ちょっと違う話。


先週、大学院からの自転車での帰り道、オーシャンビーチで、
同じく自転車で僕を追い越して行った白人のおじさんから、
追い越し際に声を掛けられた。


「ヘイ、どこかで会ったことがなかったかい?サイクリングショップか
どこかかな?」

(ちっ、俺をナンパか?)

こちらでは、日本人の常識には無いことがよく起こる。

「人違いだと思うよ。僕、学生だから」

「おおそうか」

と彼は自転車を並列させながら話かけてくる。

「で、何を学んでいるんだ?」

満面の笑顔で僕に話を振る。

「カウンセリングサイコロジーを学んでいるよ」

「おおおっ、そうか!どのぐらい学んでいるだ?」

いちいち大きなリアクションだ。

「もう1年半になる」

「なるほど!」

そして、彼は続けた。

「その一年半で学んだことを、一言で言うと何だ?ぜひ俺に教えてくれ」

むむっ?一言で?

このおっさん、なかなかいい質問をするじゃないか。
一言で表現すると何だろう?はて…。


というわけで、一言じゃなかったけど、今学期、ファミリーダイナミクスで感じた、
日米の文化の違い、家族の在り方の違い。特に感情を扱い方の違いに驚いた、
と話した。


すると、彼は大きくうなづきながら言った。


「実は、俺の両親はイギリス人なんだ。先祖代代のね。彼らもまったく
感情を家族の中で扱うことなんてしなかったよ。アメリカ人が特別なのさ。
このベイエリアの家族は特にね。」


実は、彼の専門は、ミュージックセラピーで、アーティストなのだとか。
彼は僕の通うCIISの教授陣にも知己が多いと。


別れ際、ぜひこの本を読むといい、と一冊の本を推薦してくれた。
ちょうど読みたい他の本があったので、早速、アマゾンで注文した。


本当のところはわからなかったけど、疑ってすみません。

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日本人留学生のSATC

今月、CIISを卒業した日本人留学生の家に招かれての食事会があった。
日本人4人の中で男は僕一人。そして、彼女たち全員がアメリカ人の
ボーイフレンドを連れて来ていた。改めて、女性は逞しいなと思った。
ちなみに、そのボーイフレンドたちもみんな素敵な奴らだ。


Around30sから40sにかけての、日本を飛び出してきた魅力的で元気な日本人女性たち。
込み入った話になると、その場は日本語トークになる。


「私、最近ね、日本人男性もなかなか悪くないと思うの。
アメリカ人男性はね、貯金の概念がまったくないし。
将来の安定性に欠けるっていうのかな…」

「こういう国だから、アメリカ人男性はいつも強さをアピールしなきゃいけないのよね。
でもつくづく思うんだけど、この国の男って、外見とは裏腹に、内面がものすごく脆いの」

「やっぱり、結婚を考えだすと、お金、SEXは大事な要素だ思うの。
今の彼はお金が心配。SEXは、まあまあ…ね」


話題となっていることも知らずに、男性陣は、部屋の向こうで
歓談している。多少、こっちが気になっているみたいだけど。


僕は向こうにも行って話に混ざる。


「おいTJ、アメリカでのDating(デート)のルールはな、その期間中は
誰と会ってもいいんだ。別に、他の人と関係を持っても構わない。
それがDating期間中の、まあ、お互いの了解事項。
でも、コミットしたら話は別さ。」

「へえ、コミットってどうするのさ」

「口頭の約束さ。そうお互いが合意した時点でコミットが成立するのさ」

「じゃあ、君は彼女にコミットしたんだね」

「もちろんさ!決まっているだろ、ガハハ!」


国を問わず…、
女性に比べて男の現状認識はどこか甘いようだ。


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ブラジルからの研修医

AnneのルームメートJonsonはブラジルからUCSFに研修に来ている、
20代のブラジル人の若手医師だ。ブラジル人らしからぬ、と言っては
叱られるかもしれないが、細やかな神経の持ち主の物静かな好青年だ。


いずれは医師としてアメリカで働きたいのだという。
そのために彼は日夜猛勉強をしている。来るべき将来に向けて、此処アメリカでも
医師として働けるように。


優秀な彼は、先日、何かの試験を受けて、当然のことながら、素晴らしく良い成績を
修めたとのこと。そして、来週の2次試験で、臨床のテストがあるのだそうだ。


その試験では、役者が来て、患者の演技をする。
そして、医師は、彼らとの問診の中から患者の症状を特定するのだとか。


で、練習のために僕とAnneに患者役で協力をして欲しいと。


もちろん、二つ返事で引き受けたのでした。


実際には、43のケースが用意されていて、役者はそこから役をつくるのだそうだ。
それぞれのケースに病気の症状や生活背景が80項目ぐらい書かれている。
医師からこの質問が来たら、この症状の患者はこう答える、という情報も
そこに入っている。それを見せてもらって、僕たちも役に臨んだ。


試験官によるチェックポイントはたくさんあるのだけど、
Jonson曰く、今日のポイントとしては特に次の6つをフィードバックしてほしいと。

1.質問をする際に許可をしっかり取っているか?
2.専門用語を使って患者を混乱させていないか?
3.敬意を払ったソフトなやり取りをしているか?
4.入室前にノックをしているか?
5.患者の名前を間違えることなく、ファミリーネームで呼んでいるか?
6.患者の目をしっかり見て話しているか?

特に1は重要だそうだ。
「今から症状について尋ねますけどよろしいですか?」
「少し生活に立ち入った質問をしますがよろしいですか?」
「個人情報に触れる質問をしますがよろしいですか?守秘義務は必ず守ります。
でも、答えるのが嫌な場合は、無理して答えなくていいですからね。」


与えら得た25分間の試験時間の中で病気を診断するために、Jonsonが
尋ねるべき項目は山ほどある。


アメリカというお国柄もあるのかもしれないが、ドラッグ経験や性生活、
パートナーの有無やそのジェンダーなども大切な質問項目だ。


彼にとって、おそらく良かった(あるいは不幸だったのか)のは、
Anneは心理学の博士で、僕はコーチであり、且つカウンセリング
サイコロジーを学んでいる学生だということ。


褒め言葉を交えながらも、本質をついた容赦のない厳しいフィードバックが
飛んだのでした。


ジョンソン、ぜひ患者とのコミュニケーションを大切にする素晴らしい医師に
なってください。



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SonomaとGallery

先週末の土曜日、ドイツ人の友だちAnneとSonomaに行った。
Anneは車を持っているのだ。ソノマはサンフランシスコから車で約1時間。
カリフォルニアワインの産地だ。


著名なワイナリーがたくさんあって、試飲ができる。


こじんまりした街の中心から車を30分も走らせると葡萄畑が広がり出す。

僕にはアンデルセン童話の中ぐらいでしか親しみのなかった葡萄畑。

先日、カメラを無くしてしまったので、その風景をお見せできないのが心から残念だ。


僕たちは、BENZIGER FAMILY WINARYという、小さいけどとてもきれいなワイナリーに
寄って、ワインを試飲した後、酔いざましに葡萄畑を散歩した。


その日のソノマは快晴で、とても暑かった。サンフランシシコは曇りで霧が出て、
とても寒かったのだけど。


今回のソノマへのドライブで、葡萄畑以上に印象に残ったことがある。
それは、写真家Lisa KristineのGalleryに立ち寄ったこと。ソノマのダウンタウンにある。


サンフランシスコ出身の彼女は、60カ国以上を旅して、写真を撮っている。
ギャラリーでは素晴らしい写真の数々と一緒に、彼女のドキュメンタリービデオが
流れていた。


被写体といかに一瞬で信頼関係を築くか、不意に訪れる偶然をいかにとらえるか。
そんなことを静かに微笑みながら語る彼女がいた。思わず、そのDVDを買った。
25ドル。写真は高すぎてとても手が出なかった。


彼女の作品は、日常の閉塞感を打破してくれる何かに溢れている。
彼女の作品からは風が吹いてくる。その未知の世界からの風に頬を撫でられていると
気分がリフレッシュする。元気が湧いてくる。

いくつかご紹介します。
Dunes

Twilight1zanzibar1999








Warriorspng2000









Kumbhmelaindia2001










他にも、ジャズが聴こえてくるオープンテラスのカフェでコーヒーを飲んだりして、
とても美しい一日になった。


快晴だったソノマからの帰り、道路のずっと向こうに見えた
サンフランシスコの街は、相変わらず巨大なガスのボールに包まれていた。


それはまるでハリーポッターの世界に出てくるような魔術師や魑魅魍魎の住む
暗黒都市のように見えた。さしづめ、ゴールデンゲートブリッジは霧の中にそびえる
冷酷な地獄の門か。


僕たちは、その霧の中に時速100キロで突っ込んだ。

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Virginia Satirを観る

Satir









ヴァージニア・サティアはファミリーセラピーの創始者の一人だ。


彼女は、NLPの創始者リチャード・バンドラーがモデルにしたと言われている
3人のセラピスト(他はフリッツ・パールズ、ミルトン・エリクソン)の一人でもある。


CIISの図書館には彼女のファミリーセラピーセッションのビデオが3本ある。
というわけで、先週、彼女のビデオを3本観た。


僕の印象に残ったのは、


サティアの「心の通わせ方」。


自分とクライアントだけではない。家族同士の心の通わせ方。


では、いったいどうやって心を通わせているのか?


僕が感じた印象の中から一つだけを挙げるなら…、


それは、「スキンシップ」。


本当に特徴的だ。彼女はクライアントによく触れる。肩に触れる、背中に触れる、
手に触れる。片手の時もあれば両手で触れる時もある。

彼女のスキンシップは、「触れる」というよりも、クライアントを「包む」と言った方が
適切だ。 相手に触れながら、大きな体を前かがみにして、相手のスペースに
入り込んで、微笑みながら目を見て話す。相手はサティアに包まれている感じになる。


彼女はよく動く。それだけでなく、クライアントのこともよく動かす。自ら席を移動して
話し手の隣に座ったり、問題を抱えたメンバーを真ん中に移動させて、他のメンバーと
一対一の対話をさせたり。その間でさも彼女はスキンシップすることを忘れない。


だいたい問題を抱えた家族や、問題と思われている家族のメンバーには、
「触れ合い」がない。日本語にはもっと深い意味があるのだろうけど、字義は
「スキンシップ」だ。


彼女のセッションは、いずれもハグで終わっている。
あるビデオでは、お互いに上手なハグの仕方を知らない親と子供たちに
そのやり方を教えて、それを毎日することを宿題にして、最後、再びハグをして
終えていた。


サティアは、スキンシップによって醸成される安心感の中で、家族間にこれまでとは
違った質の「相互交流」を創りだそうとしているのかもしれない。


以下は、You Tubeにあった唯一の彼女の動画。雰囲気ぐらいは伝わるかもしれない。



ちなみに、CIISの画像資料は、ほとんどが旧いVHSで、おまけに字幕機能もない。
「字幕のない映画」を観ているようなものだから、僕には、聞きとりが難しいところも
多々ある。


でも、だからこそ見えてくるものがあるかもしれない。
それに期待しながら観ている。

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Friends3

順番は前後するけど、先週末、アメリカ人のクラスメートJulesと公園で
ねっ転がりながら話をしたとき、印象に残ったことがあった。


彼女は、フロリダ育ちで、サンフランシスコに来る前は、ニューヨークに5年間住んでいた。
映画が大好きだという。特に、人生に深く入っていくマニアックな映画が。

「サンフランシスコでもよく映画館に行くわ」

「へえ、一人で?それとも、趣味の合う友だちがいるの?」

「そう!いるの」

「でも、そういう友だちがよく見つかったね。サンフランシスコは初めてで、
友だちはいないって言っていたから」

「アハハ。インターネットで見つけたの」

ちなみに、レズビアンの彼女は、現在のパートナーもインターネットで見つけた。

「だって、私、こっちには知り合いが一人もいなかったから…。
TJが可笑しく感じているのは分かるわ。でも、とっても合理的なの」


そう、僕からすると、アメリカでは、友情や愛でさえも、気軽にインターネットで
手に入ることができるんだ、なんて印象に映る。でも、こちらではそういう行動は
すごく一般的だし、すごく自然だ。出会い系的なやましさもない。


こちらの人にとっては、たびたび本人の意思とは関係ない次元で話が進む、
縁談の仕組みの方がよっぽど不思議に映る。


アメリカは、自由と独立の国。個人主義の国で、自分のSelfを軸に物事を
考える人たちの国。18歳を過ぎたら、子供は家族から完全に離れることを
推奨される。自分の人生は自分で歩めと。


でも…、なぜだろう。


アメリカ人のパートナーを求める欲求は、ものすごく強い。
強い自己を求め、そう振舞おうとする割に、一人で存在することなんてまったく
考えられない人たちのようにも思える。常にパートナーを求めている。


多くのアメリカ人が抱える、「自立すること」と「パートナーを求めること」との間の葛藤。
俺は俺だ、私は私よ、とパートナーシップを組みながら、お互いが毎日近距離で
主張し合うのだからなかなか大変だ。


これを解決するポイントが、互いに「健全なBoundary(境界)」を持つこと。
そして、そのサポートこそセラピストの主な仕事と言えるのかもしれない。
ここ、アメリカでは。


アメリカ人は、なかなか不思議な国民性の持ち主だと思う。

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Friends2

「アメリカ人男性の押しは超強いから困っちゃう。おまけに、
読まないのよね、こっちの気持ちを…」


と、これまた一昨日、夕ご飯を一緒に食べたドイツ人の友だち、
アンナが憤慨しながら話す。


彼女は、僕の親友、ドイツ人のサーシャのガールフレンドだ。
サーシャはいまドイツに戻って、ハンブルグ大学の教壇に立っている。
アンナは、1年間の予定でスタンフォード大学に研究をしに来ている。


確かに、去年29歳で博士となったアンナは、頭が良くて美人でスレンダーで
スタイルも良い。幼少のころ、アメリカに5年住んでいたから英語も堪能だ。
彼女にアプローチをするアメリカ人は多いんだろうなと容易に想像できる。


アンナがさらに憤慨していたのが、同僚のアメリカ人は、
何度断っても「俺はお前の今のボーフレンドよりもいい男だと思う」と、
そう言いながら食い下がってくること。「会ったこともないくせに、
本当に失礼だわ」と怒っていた。


こういう話は、他の留学生女性からも山ほど聞く。


彼女と話していてすごくありがたいのは、
「あっ、アメリカとヨーロッパって違うんだな」って、深く深く実感させてくれること。


出会ったばかりのころ、彼女の口から「だからアメリカ人は…」って
セリフが出てくると、可笑しく思ったのを覚えている。
僕にとっては、アメリカ人もドイツ人も「欧米」と言うひとくくりで、
何の区別もなかったから。


彼女も僕の人生の貴重な茶飲み友だち。
そう遠くない将来、サーシャも一緒に、互いにドイツと日本を行ったり
来たりして、仕事にプライベートに楽しく過ごそうと約束している。

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Friends

サマークラスが始まる前の少しの休み。この4日間ほど、人に会ったり
しながら、のんびりと過ごしている。


一昨日、Hyojungに久しぶりに再会した。彼女とは、去年の夏、
American Academy School(AAE)で知り合って仲良くなった。


才媛の彼女はいま、ミズーリ州立大学のマスコミュニケーション学科の
博士課程に在籍している。


ランチをしながら、お互いに近況を話す。


彼女が言う。


「韓国でもセラピーって今ひとつ普及していないわ」

「へえ、日本ではだいぶ変わってきたけど。まあ、普及しているって
ほどではないけどね。でもなぜ普及していないんだと思う?」

「韓国ではね、みんな、他人のゴシップにすごく興味があるの。
だから逆に、自分のゴシップを話しちゃいけないってプレシャーが
強いんだと思うのよね。ほら、セラピーで話す内容って、基本的に
ゴシップに近いことも多いじゃない」

なるほどなあと思う。

彼女は続ける。

「たとえば、韓国や日本では歴史的に鬱や精神分裂病って
病気と思われていなかったところがあるんじゃないかしら。
だって、例えば鬱になっても、『人生にはそういうことってよくあるから気にしない、
気にしない』なんてアドバイスをもらって終わり、みたいなところもあるし…。
精神分裂病だって、何となく、そうなんだなって感じで、隣近所でサポートしていたと
思うの」


逆に、僕も彼女の考えていることや悩みを聞く。


こう言ってはなんだが、僕はコーチという職業柄、そして、現在、勉強している
内容もあって、かなり良い聞き手だと思う。


話しをしていて感じたのは、多くの悩みは、かなりの部分、当人の所属している
文化的な規範に拘束されていることから起きるんじゃないかな、と。


つまり、韓国人の彼女にとって悩みになることでも、日本人の僕には悩みにならない。
だって、違う常識で生きているから。それをフィードバックする。
そのことを知ることで、彼女の肩の力が抜けたりする。


国籍の違う友だち同士では、よくこういうことって起こるんじゃないだろうか。


彼女は翌日ミズーリに戻る。僕と同じくサマークラスをとるために。


晴れ渡ったサンフランシスコの昼下がり、とてもいい時間だった。


別れ際、人生で最も幸せなことの一つは、世界中にたくさんの茶飲み友だちがいる、
そんなことかもしれない、なんて思った。

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何が観客を巻き込むのか

最近ハマったのが、イギリスのオーディション番組「Britain's Got Talent」。
歌、ダンス、演奏、珍芸…、いろいろな才能が出てくる。


僕が興味を持って見ているのは、何が観客を感動させ、何が審査員を
惹きつけているのか、ということ。


どうも、才能だけじゃないようだ。
才能が、それぞれの個性やそれまでの人生の作り出す「文脈」と合わさった時に、
プレゼンテーターは観客を自らの「世界」に巻き込むことに成功しているように思える。


それらを見比べながら見るのが面白い。


まず、僕のお気に入りから二つ。


先のブログでも紹介したけど、Susan Boyle
彼女はお世辞にも良いと言えない容貌と、高齢と、自信満々の態度。
そして、そこからイメージできない美声と歌唱力。それらの鮮やかなギャップによって、
彼女は一声を発したその瞬間に観客を惹きつけてしまった。


それと対照的なのがJamie Pugh。彼の舞台あがり症というストーリーと、
無愛想さと、妙な間と沈黙は、一気に審査員と観客を惹きつけた。
僕は、最初に彼のパフォーマンスを観たとき、自分が何に引き込まれているのか
よくわからなかったけど…。


惹きつけてからは、実力が問われる。それはもちろんだけど、実力を発揮する
前段階で、プレゼンテーターの職業や年齢はもちろん、表情や態度や審査員との
簡単なやり取りでつくられる「文脈」が、観客の「聞く耳」を立てさせているように思う。


強いて言えば、つくり出される「感動」=「文脈」×「才能」と言えるだろうか。


プレゼンテーターの醸し出す「文脈」が観客の共感を誘い、その共感の上に
発揮される「才能」が「感動」を大きくする。


だから、自分の「才能」に限界を感じても、豊かな「文脈」を築くスキルがあれば、
観客に与える「感動」をカバーできるということだ。


余談だけど、審査員は本当の「才能」に出会った時、あまり笑っていないように思う。
どこかの瞬間に、必ず真顔になっている。


次に、「文脈」の幅や深さが圧倒的に小さいけれど、桁外れの「才能」で
審査員と観客を圧倒してしまったのが、次の12歳と11歳だ。


まず、Shaheen Jafargholiの歌。彼は歌の神さまに愛されている感じが全開だ。
歌と自分が一つになっている。僕はただ歌うことが大好きなんですってオーラが
伝わってくる。実は、彼は審査員に選曲が悪いと歌を途中で止められた。
でも、曲を変えて歌った曲で、さらに審査員と観客の度肝を抜いた。
試練を軽く乗り越えてチャンスにしてしまった。彼には、突き抜けた才能と、
そういう人が持つ特有の無垢さがある。


次に、Aidan Davisのダンス。すべて独学だそうだ…。本当に圧倒的な「才能」だ。
このぐらいの年齢の子が持つ、ただそれをすることが大好きなんだという
ストレートさが伝わってくる。大人と違って、「文脈」が薄いことが、
逆に彼の「才能」を鮮やかに引き立てている。
僕たちは、彼の素晴らしい「才能」に純粋に驚き、そして、堪能することができる。


二人とも、歌が自分そものので、自分がダンスそのものな感じだ。
母親が、彼らの才能に対して大きな役割を果たしているのが共通点だ。


次は、この3つだ。
Flawless
クオリティが優れているのはもちろんだけど、スピーディで統率感もあって、
全員の表情の一つ一つまでがダンスと演出に組み込まれている。
さすがにこのグループの上をいくダンスは出てこないんじゃないのかな、
なんて思っていた。でも翌週に、個人的にはさらに「へー!」と思える別のグループが
出てきた。それが次のDiversity。

Diversity
そのクオリティ以上にすごいと思ったのが、ダンスの中に物語が組み込まれていること。遊び心のある演出も盛りこまれていること。だからワクワク感があると驚きがある。
先のFlawlessと比較をして、ダンスという枠を超えて、こういう方向に踏み出すことで、
さらに先に行くことがきでるんだ、なんて勝手に思った。
人間の創造性に限界はないんだなと、改めて感じた。

Stavros Flatley
単にクオリティ勝負ではない、遊び心とコミカルさで、観客の心を掴んだ親子。
自らが本当に楽しんでいるオーラが溢れている。計算ではない、素の喜びの表情が
会場を盛り上げる。しかし、ポーズの際には必ず体の向きを観客に向けて
一瞬止めている。その間が、観客をパフォーマンスに巻き込むスペースを
作っているように思える。一つ一つの細かい動きがとても大事にされている。
例えば、子どもが登場するとき、走りながら体を会場に向けてひねって、一瞬、
動きを止めているのがわかる。こういう細かいところをしっかりキメているから、
楽しい中にある「本物度合い」が観客に伝わるのだろう。感動の度合いと質は、
僕の中では上の二つとはまた違う感じだけど、多くは「文脈」によっているからかな。
そんなことを考えた。


長くなりました。


最後は、Julian Smithのソプラノサックスで。
流れるような、素敵な曲です。


ではまた。

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サンフランシスコ・デイズ

実は、このブログのタイトルは、
鴻上尚史の本「ロンドン・デイズ」をもじってつけたものだ。


彼は、僕とほぼ同じ年齢の39歳の時に、ロンドンの演劇学校に 1年間、留学をした。
この本はその時の体験をまとめたものだ。なかなか面白い。


話し変わって、今朝、ドイツ人の友だち、アンナから電話があって、
「ベイ・トゥー・ブレーカーズ」を観に行くことになった。

それは、サンフランシスコの観光の目玉の一つにもなっていて、
参加者が10万人を超えると言われている12キロの仮装マラソンだ。

僕たちはヘンテコリンな格好をしている人を眺めながら、ゴールデンゲートパークを
歩いた。その時の会話の中で、アンナが偶然に、「ねえ、クリス・アイザックの曲で
サンフランシスコ・デイズって歌があるの。知ってる?私、けっこう素敵な歌だと思うわ」
と教えてくれたので、僕はその存在を知った。

彼女が親切にURLを送ってくれたので、歌と歌詞をご紹介します。
ちょっと古い歌みたいだけど。


San Francisco Days

I still love you
I still want you
I still need you
Don't hang up and say goodbye

Walking on the beach last night and hoping things would be alright
But later lying on her bed, it's you I saw instead
Thinking of the one I love
You know what I'm thinking of
San Francisco days, San Francisco nights

I met a girl in Mexico
And should have told her then I know
That I still think of you
We never will be through
San Francisco days, San Francisco nights
San Francisco days, San Francisco nights

I still love you
I still want you
I still need you
Don't hang up and good-bye

Walking down on Market Street
And feeling my heart skip a beat
To see someone that looks like you
I guess that I'm not through
Dreaming of the one I love
You know what I'm dreaming of
San Francisco days, San Francisco nights

I'm headed for that Golden Gate
And hoping I won't be too late
To find the one that I still love
It's you I'm dreaming of
San Francisco nights
San Francisco days, San Francisco nights
San Francisco days, San Francisco nights
San Francisco days
San Francisco
San Francisco nights
San Francisco
San Francisco
San Francisco


ちなみに、ベイ・トゥ・ブレイカーズの様子をブログに載せようと思って、
写真を撮ったのですが、出先でカメラを無くしてしまいました。


何たる失態!


だから、もうしばらくこのブログでは写真を紹介できなくなりました。
ああ、残念。

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贅沢な時間の過ごし方

昨日に続いて、Bartに乗って、オークランドまで行った。
クラスメートのJulesが家に招いてくれたのだ。


彼女は以前もこのブログに登場している。自分の周りに、相手に話をさせる
スペースをいつも持っている、アメリカ人には珍しいタイプの女性だ。


今日のサンフランシスコは長夏日。気温は30度を越していた。
10分も歩くと汗ばむ感じだ。でも、オークランドはもっと暑かったように思う。


彼女のパートナーのAmyを紹介してもらって、家でご飯を頂いた。
しばらくしてから、Julesに「近くに素敵な公園があるの。行かない?」
と声をかけられ、一緒に出かけた。


素敵な公園だ。ちょっと皇居のお堀のある一帯に似ている。
P5170048










Julesは木陰を見つけると、家から持ってきた大きなシートを広げた。


僕たちは、その上に寝っ転がって、いろいろ話した。
先のセメスターのこと、クラスメートのこと、夏のクラスのこと、
彼女のパートナーのこと、他愛もない話もたくさん…。
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晴れた日に公園に出かけて、日当たりの良い、日陰にも入れる場所を
見つけて、ただねっ転がる。空を見上げながらの3時間。


僕自身、日本ではあまりしたことのない、欧米的な時間の過ごし方だと思った。


贅沢な時間だった。
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Alexの世界中に友だちができる理由

CIISの博士課程に在籍しているAlex。
世界中に友達がいるAlex。
風貌が誰かに似ていると思うのだが…、誰だろう。
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彼は昔、日本の仙台の近くの塩釜に英語教師として2年間住んでいたことがある。
CIISの博士課程に来る前は、チベットに2年間、その前は中国に2年間、
ずいぶん前にイラクにも住んでいたことがあるという、不思議な経歴の持ち主だ。


CIISのカフェで知り合って、今度ゆっくり話そうぜ、と言いながら半年ぐらい経っていた。
ようやくその約束が実現した。


彼の住むバークレーのちょっとオシャレなカフェで、野郎二人でお昼を食べた。
ちなみに、二人ともストレートだ。念のため。
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「アメリカ人と、アジアの人たちは表面的には似ているところも多いんだ。
会わせるのもうまいしねでも、核となる部分は全然違う。
一方、アラブの人たちは、表面に見えることは全く違うんだけど、
核はアメリカ人と似ているんだよ」


なんて話から、お互いの異文化体験や差別の話へ。


「日本でマリファナが問題になっているんだって?へえ!
日本人はもっとマリファナを知るべきだよ。あれ、最高だよ。
でも、なんで今頃何だろう。僕が日本にいるときだって、渋谷の交差点の
交番近くの道端で、マッシュルームやらLSDやらドラッグをたくさん売っていたけど。」


なんて話から、原始宗教とドラッグの関係の話へ。


「今度、新しくアメリカ人の女性がルームメートになったんだけど、
台所は散らかすし、虫をヒステリックに殺すし、本当にひどいんだ。
言っても聞かないしね。女性をルームメートに持つって、なかなか大変だよ。
僕はもう今の部屋を出ようと思っているんだ。」


なんて話から、効果的なリクエストの仕方の話へ。


他にも、これまでの人生から将来の方向性までいろいろ話した。


ひげ面のAlexはとても話しやすい雰囲気を持っている。


なぜかなと思って観察をしていると…、


彼はどんなに興奮して話していても、僕が口を開くと、自分が話すのを
一切やめることができるんだなと思った。


相手に耳を傾けることができる。話の先取りを一切せずに、待つことができる。
そういう美点を持っている。


自分を振り返ってみて、日本語でもなかなかできないことだと思う。
彼が世界中に友達を持てる理由は、こんなところにもあるのかもしれない。


でもね、世界中に友達がいるAlexだけど、その世界中で一番苦手なのが、
アメリカ人の20代白人女性と言っていたのが面白い。


僕たちは場所を移して、UCバークレー近くのカフェで夕方まで話し込んだ。
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ではまた。

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Greeter(挨拶係)の仕事

今日がエントランスでの「Greeter」係、初日だったのですが…、
まだソーシャルセキュリティナンバーが下りてない。


ヒューマンリソースからは、それが出るまでは絶対に働いてはだめだと言われ、
人手の足りない現場からは、来週には番号を貰えるんだから大丈夫だ、と言われる。


僕は昨日の深夜までダブルバインド状態だったのでした。


今朝、一応、対応できるようにと早起きをしてパソコンを開けると、
現場の責任者からメールが入っていた。そこには、「何とかなるから
来て働いていなさい」と、何ともいい加減なメッセージがあった。


というわけで、朝一番8時から初Greeterの仕事をしたのでした。


ちょっと考えるとわかるけど、僕がいるのはエントランスだから、
当然、出勤してくるヒューマンリソースの担当者たちだって、
前を通るわけで…。


当然、問題になる。


結局、僕が仕事をしている最中に責任者同士の話し合いがされて、
僕は7時間働く予定が、2時間働いただけで、今日の仕事はお役御免に
なったのでした。


それでも、結構面白かったけど。


Greeterの主な仕事は、エントランスを通る人たちと目線を合わせる。
車が駐車場に入る時の門の開閉をする。何か尋ねられたら応える。
そうそう、外部からの全ての電話が集中するので取り次ぐ必要がある。
内容は結構多岐にわたる。今日は、応募について、プログラムについて、
授業の有無、自動販売機のセールスなんていうのもあった。


それ以外は、何をしていてもいい。勉強をしていても何をしても。


トイレに自由に行けないのが難点だけど、慣れれば快適な仕事、のはずだ。


たった2時間だったけど、これからCIISをまた違う視点で見れそうな楽しみがあった。
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つみきのいえ

今日ハイチに出発する予定の仲の良いTaiwaneseのクラスメートが、
メールでURLだけを送ってきた。


何の説明も無いので、とりあえず観てみた。


テーマは…、


「追憶」、


なのか。


そのアニメーションには、あまり歓迎できない地球の“未来の姿”が、
温かいタッチで、控えめに描かれていた。


水没していく地球と、
そこを舞台に一人の老人が積み重ねてきた家と時間…。



地球も生活も、すべてが変化していく中で、記憶の中の時間だけがいつも止まっている。
人生のすべてのシーンが、色褪せないままそこにある。



画面の最後のロールに出てくる名前から、日本人クリエーターの作品だと知った。
更に調べたら、先ごろ催された第81回米国アカデミー賞短編アニメーション賞
受賞作品ということがわかった。


そうか…。


温もりのある、静かな12分間。


寝る前に観るといいかも。
いつもより、少し優しい夢が見れるかもしれない。

<1/2>


<2/2>

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Spring Semester終了

昨日、CIISに来てから3度目のセメスターが終わった。


それは、サンフランシスコに来て1年半が経つということ。
つまり、会社と約束した休職期間の半分が過ぎたということだ。


半分か…。


良く言われることだけど、これをどう解釈するか。
まだ半分あると捉えるか、あと半分しかないと捉えるか…。


サンフランシスコに渡り、まさに「道半ば」な現在(いま)、僕はこれまでに
何を手に入れたのだろうか…。


残念ながら、実感がまったくない。


今セメスターを振り返って思うのは、英語が相変わらずどうにも上手くならない、
どうにかならないものか、ということ。これは昨年から変わらない。


少し実感できたことを強いて挙げるなら、僕の「場」や人に対する洞察と
その表現方法は、アメリカでもかなりユニークで通じそうだとうこと。
クラスメートでも先生でも一目置いてくれる人が増えてきた。


大きな違いは、今セメスターは、昨年に比べて、段違いに余裕を持って過ごすことが
出来たということ。これは、良くも悪くも慣れてきたというだろう。


でも、すぐに夏のクラスが始まる。
プラクティカムのサイト探しも始めなくてはいけないし、プラクティカムを始めたら、
自分のTherapyに通う必要がある。そのTherapistも見つけねば。


秋に向けて、新しいステージが動き出す。


でもその前に、夏セメスターが始まる前のほんのちょっと休みに何をするかだ。

目標を立てようと思う。

まずはCIISのクラスでとても興味を持ったGroup DynamicsとFamily Dynamicsの
課題図書の読み直しだ。情けないことに、英読スピードの関係で読めてないところが、
多々ある。それを含めて全部読みなおそう。それの内容を踏まえ、自分の経験と
照らし合わせて、「場」と「空気」のマネジメントに関する本を書いてみよう。

次に、CIISのライブラリーには著名なTherapistのビデオがたくさん保管してある。
それを片っ端から観てみようと思う。字幕なしの映画を観るようなものだけど、
何か得られるはずだ。

そして、英語だ。去年の今日、セメスターが終わった翌日に、確か僕は藁をもつかむ
思いで、英語学校の門を叩いた。その時の映画を教材にした資料がある。
それを使って復習をしよう。


「宣言効果」が出るといいなと思いながら書いてみました。


ではまた!


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ファミリーダイナミクス 最後のクラス

ファミリーダイナミクスのクラスが終わった。


先のセメスターに履修したグループダイナミクスに続いて、
CIISでもっともインテンスなクラスと言われているJudye Hessの二つ目のクラスが
終わったことになる。


セオリー解説、ビデオ鑑賞、模擬セッション、プレゼンテーション、
ライブセッション、コンスタレーション…、一回4時間のクラスだったけど
まったく飽きることがなかった。


13人のクラスメートのうち、実際に自分の家族をクラスに連れて来て、
Judyeによるライブセッションに臨んだ生徒が4人いた。


他のクラスメートが見る中でのリアルなセッションはさすがに迫力があった。
そして、家族を呼んだ本人が想像もしていなかったことが毎回起こった。


あるクラスメートは、母親との間に長期にわたる問題を抱えていて、
その母親をクラスに呼んで、リアルセッションに臨むべきかどうか、最後まで悩んでいた。
自分の通うセラピストにも相談したらしい。そのセラピストの意見は、


「絶対に呼んではいけない!ナンセンスだ」


でも、Judyeは、「是非、呼びなさい。あなたのお母さんに会えること
とても楽しみにしているわ」と満面の笑みで答えた。


セッションの結果は、母娘二人の関係に新たな展開をもたらすことになった。


ファミリーセラピーとは、家族のシステムに働きかけるアプローチということなのだが、
僕の解釈だとそれは、「場」の持つ可能性を信じるアプローチ、と言えるのかもしれない。


幸いにもこのクラスには、
僕以外にアジアからの留学生が一人、南米からの留学生も二人いた。


それぞれの問題を比較する中で、
そのぞれの国の文化が家族に与えている影響はもちろんのこと、

アメリカ人の「問題のすべてをオープンにする、率直に話し合おうとする」ことの
強みと痛み。

それに対して、
特にアジア人の「問題をそっとしておく。曖昧なままにしておく」ことの弱みと優しさ。

いろいろなことが見えてきた。


確かに、アメリカの家族は多くの問題を抱えている。でも、だからと言って、
どこかの国の家族に正解があるわけでもない。完璧な家族なんて存在しない。


あるのは、起こり続けることに働きかけていくこと。それのみだ。
できることなら…、正しいやり方で。


そんなことを深く実感できた、最高のクラスだった。

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ソーシャルセキュリティンナンバー

学校のエントランスでGreeterのサマージョブをするために、
ソーシャルセキュリティナンバーの申請に行った。


アメリカで生きていくためには、運転免許証番号と同じぐらいに大事な番号。


まずペーパーワークがある。
学校提出用とSocial Security Administration Office(SSA)提出用と。
その資料のために、CIIS学内で人事、財務、インターナショナル、オペレーションの
4つのオフィスを行ったり来たりさせられる。


そもそもペーパーワークはいつも苦手。人生の天敵だ。
情けないことに、一度でスキッと上手く行ったという経験が、
記憶にあまりない。なので慎重にするように意識している。


でも!だ…。


すべて記載し終わって、サインも貰う。
いよいよソーシャルセキュリティオフィスに出向く。
これは政府の機関だ。幸い、学校から4ブロックほどにブランチがある。
Mission ST.と7thの交差点にある新しい建物がそれだ。
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入館の際に空港でGateに入る時のような厳重なチェックがある。
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中に入るとすぐ大きな待合室になっている。
写真を撮れるような雰囲気でもなかけど、一枚撮ってみた。
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周りを見ると、有色人種が8割だ。窓口の担当者も有色人種がほとんど。


僕は銀行にあるような順番待ちのチケットを引く。
出てきた番号はD314。


「Estimated Waiting Time 22minites」とある。
22分待ちか。知らせてくれるなんて、良心的じゃない、と思ったけど…、
甘かった。22分たっても呼ばれたのがD308。あと6人…。


結局、更に1時間ほど待たされ、窓口に行く。
そこで、書類が足りないと言われた。本当か?!
学校に戻る。 インターナショナルの担当者に確認すると、資料は
すべて揃っている。問題はないはず。彼らのミスだ、とのこと。


翌日、もう一度行く。番号札を引くと、今度は18分待ち。
でも、やはり1時間ほど待たされて窓口へ。


昨日とは別の担当者。彼女は言う。


Form SS-5、I-20、Contract、I-797c、Passport。

資料は揃っているわ。でも、いつからスタートするのか、責任者の
記載がどこにもない。それをもらってきて。


ちなみに、そんな項目は用紙のどこにもない。


「その日にちを知っているから自分で書いていい?」
と聞いたら、ダメだと言われた。


というわけで、もう一度学校に戻って、オフィスに行く。
すると、オペレーションの責任者が、チャチャッと、その項目を適当に
手書きで付け足して、そこに日にちを書く。


その資料を持って、出向いて、さらに1時間待って、ようやく受理された。
番号をすぐもらえるのかと思ったら、レシートだけが渡された。
そこには2週間以内に自宅に届くと書いてある。


疲れた。



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閑話(かんわ)1/空続き

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ここ数日、サンフランシスコは快晴です。


最近、気にいっている言葉があります。


「そ・ら・つ・づ・き」


何となく自分で思いついた言葉だけど。


「陸続き」じゃなくて、「空続き」。


誰とでもいつも繋がっている感じ、
誰とでも自由に繋がっていける感じが気に入っている。


あなたとおいらは空続き。
いつでもどこでも誰とでも空続き。


というわけで、
CIISの学生は、いまファイナルレポートの真っ最中です。


みなさまも素敵なGW最後の休日を。
ではまた!!!

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世界最高の遺伝子

「日本人は、世界最高の遺伝子を持っていると思うの」


今朝、学校でイスラエルからの留学生モーと話をしていると、
彼女の口からこんな言葉が出てきた。


なぜか。


…。


なぜだと思います?


…。


それは、


若く見えるから!


歳を取らないから、なのだそう。


確かに、女性なら15歳ぐらい若く見られるんじゃないかと思う。
とりあえず、あなたが30代なら、確実に20歳前半ぐらいには見られると思う。


男の僕だって、日本でも比較的若く見られる方だったけど、こちらでは、
10歳ぐらい若く見られる。


クラスメートに、74歳のグラムというバングラディッシュから
移民をしてきた、在米40年以上になるジェントルマンがいる。


親切によくアドバイスをくれるので、僕はいつも熱心に聞くようにしている。
でもそのアドバイスは、なんだか20歳の若者にするような内容がほとんどだ。
だから、おそらく、彼は僕をそのぐらいと思っているに違いない。


「一生懸命、勉強しなさい。若いんだからたくさん素晴らしいことがこの先に待っているよ。
そうそうアメリカ人の奥さんは絶対にもらっちゃいけない。わかったかい?」


「はい!わかりましたっ!」


彼の目に僕はまだまだ未熟に映るんだな、と思うようにしている。

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日本人の適応性

最近、つくづく感じるのは、日本人は、なかなか面白い民族かもしれないぞということ。


まず、他国の人に比べて、相対的に何でも食べることができる。
魚も豚も鳥も牛も、クジラでさえも。イタリアン、フレンチ、中華、エスニックetc、
基本的に何でもOK。

サンフランシスコで出会った人、特に留学生の中には、中華は苦手とか、
和食はダメとか受け付けないとか言う人も意外にいる。
食べ慣れていないということだけかもしれないけど。


お酒もそう。日本酒はもちろん、ビールでもウイスキーでもワインでも、
基本的に何でも飲む。

箸はもちろんだけど、スプーンやフォークを使うことも苦にしない。

個人差はあるけど、総じて食事に対する適応性がとても高いと思う。
宗教的なタブーが少ないせいもあるのかもしれない。


スポーツもそう。
ベースボールもサッカーもバスケットボールも比較的何でも楽しんで観戦できてしまう。
だから、だいたいどのスポーツもマンガの題材になっている。

アメリカにきて思ったけど、サッカーとベースボールの両方を楽しめる国民は、
案外少ない。これって、密かに面白い現象だと思っている。

イタリアとブラジルからの留学生は、サッカーは詳しいけどベースボールは…、
という感じだし、アメリカ人は、サッカーがいま一つだ。そして、アメリカ人に多いのが、
アメリカンフットボールは観るけど、バスケケットボールは観ないのでさっぱりとか、
傾向がはっきりしていること。


スポーツだけじゃない、文化もそう。
日本人は、オペラやバレエやアートも、わからなければ、それなりにそういうもんかと
最後まで鑑賞できる忍耐力を持っている。


だから、日本人はどこにでも出かけて行ける。くっついても行ける。


ここに書いたことなんて、日本にいる時は、ごく普通のことで気にも留めなかったけど…、
実は、僕たちはなかなか大したものなのかもしれない。


ところが、生活や社交の場に対する適応性は抜群に富んでいるはずなのに、
多くの人たちはある要素に苦しむことになる。


それが…、


コミュニケーションだ。そして、英語だ。


学校教育のせいだけとは言わないけど…、もう少し何とかならないものか。

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自立という強迫観念

ファミリーダイナミクスのクラスで、2週続けて、クラスメートの親が来ての
ライブセッションがあった。


そのクラスメートの一人は、二人の子供を育てながらのお母さん学生。


子育ては大変。でも、子供を育てているだけでは、誰も評価をしてくれない。
それが現実。だから、子育ての他にも、もっともっと、何かしなきゃと
自分を追い込んでしまう。

親からも無言のプレッシャーを感じてしまう自分がいる。
子育てをしているだけでは、娘として充分ではないような気がして。

いま大学院で学んでいることも、そのプレッシャーと無縁じゃないかもしれない。
この気持ちをだれにも相談できないのが辛い…。


そう言えば、別のクラスで、別のお母さん学生も言っていた。


結婚をして、子どもができた時に仕事を辞めた。ものすごく良い条件の仕事だったけど。
いま私は、2歳の子供を育てながら、主人のサポートで大学院に来ている。
そんな私は、自分が自立していないことをいつも不安に思う。
主人からも、主人の家族からも、いつもプレッシャーを感じてしまう。
自立していない自分を引け目に感じてしまう…。


ファミリーダイナミクスのもう一人のクラスメートも似たようなテーマだった。


彼女は23歳。ユダヤ人の彼女の母親は、昔、アメリカに単身でやってきた。
誰もサポートしてくれる人がいない中、全て自分で賄って、苦学して生き抜いてきた。
母親は自分の娘にも同じ強さを求める育て方をしてきた。
ところが、自分に比べると、娘の生き方はどうしても甘く思えてしまう。
そして、母親の想いと価値観が、今、娘を苦しめている。


母親の口癖。
「一人で生きれる強さを身につけなさい。誰にも依存することなく生きなさい。
母親の私のことも必要としないように。」


実は、彼女は、今、父親から幾ばくかのサポートをもらっている。
それを彼女は重い罪に感じているし、母親から突き放されることを辛く寂しく思っている。


自立と依存のはざまで激しく揺れるアメリカの女性たち。


文化はもちろん、宗教の影響もあるのかもしれない。
親に甘える期間が他の人より長かったかもしれない僕には、
彼女たちのその苦しみの深さを計りかねるところがある。
すごく深い苦しみなんだなってことはしっかり心に刻もうと思う。


でも…、


人間は本当にアメリカ的な意味で、「自立」することなんて可能なんだろうか。
誰も頼らずに自らの意思のみで生きるなんて、可能なんだろうか。


現実には存在しえない、極端なまでに純粋培養された「自立」という強迫理想観念が、
彼女たちを、いや、おそらく多くのアメリカ人の心を深く蝕んでいるように思える。

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スタイルを変えていく

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対ロッキーズ戦、サンフランシスコジャイアンツ勝利の瞬間。


小さい頃、野球少年だった僕には、大リーグは夢のまた夢の世界だった。
野球からは離れてずいぶん経つ僕だけど、ずっとRoger Clemens(ロジャー・クレメンス)の
ピッチングを生で観たいと思っていた。


というのも、彼は、300勝以上を挙げ、大リーグ史上最高の投手といわれているから。
でも、その最強右腕も引退間近と言われている。観たい観たいと思っていたが、
そんな機会が来るかどうか…、と思っていた。


でも、先日、似た形で夢がかなった。


それが、Randy Johnson(ランディ・ジョンソン)。
300勝まであと4勝と迫り、奪三振数では、クレメンスの上を行く大リーグ史上2位。
そして、クレメンスより1歳若い45歳の彼も、やはり引退間近と言われている。
大リーグの歴史に輝く最強左腕だ。


ずっとずっと昔、彼のインタビューを観たことがある。こんなことを言っていた。
「ピンチングで大事なことは、投げるボールの速さじゃない。いかに、バッターの
タイミングを外すかだ」


当時、もっとも速い球を投げると言われていた彼のコメントだったので
印象に残っていた。


幸運なことに、彼は今年からサンフランシスコジャイアンツに所属している。
そして、先日、観戦に行った日が彼の登板日だった。
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往年のスピードはないはずなのに、
いきなり5連続三振から始まった彼のピッチングは圧巻だった。


僕は3塁側のバックネット寄り、グランドに近い席から見ていた。
横から見ていても打者が空振りするとき、前に投げたボールと球速が
異なっているのが分かる。彼の腕を振る速さは同じなのに…。
おそらくスライダーか何かを放っているのだろう。昔、インタビューで言っていた通りだ。


淡々と三振の山を築いて、彼は297勝目を挙げた。


彼は、ハードトレーニングに加えて、年齢に応じたピッチングスタイルに変えることに
成功したから、45歳の今も輝かしい成績を残せているのだろう。


ふと思った。


これは、人生のスタイルやコミュニケーションスタイルにも当てはまるのだろうか。


20代、30代、そして40歳…。
僕の場合、これまでどうだったか。そして、これからはどうしたいのか。


あなたは?


彼の背中が問いかけているような気がした。
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Gestalt Therapyの最後のクラスで

先週のGestalt Therapyの最後のクラスで、
74歳のインストラクターGreyが僕たちに贈った言葉はやっぱりこれだった。


Here and Now。


「セッションでは、常にHere and Nowに起こっていることに興味を持ち続けなさい。
いまこの瞬間に、クライアントとの間に起こっていることに、そして、自分の中に
起こっていることに探求心を持ち続けなさい。

もしその態度を忘れなければ、あなたは、セラピストとして、
生涯、バーンアウトせずにすむ。常に創造的であり続けることができる。
エキサイティングであり続けることができる。」


その通りだ。考えてみたら、Here and Nowを心がけているだけで、
Therapistとして、かなり“優秀”になれるんじゃないかとさえ思う。


だって、もしクライアントからセッションが退屈だと言われたなら、
それを話題にできるのだ。どうして退屈に思うの、それはどこからきているのと。
反対に、自分が退屈だと思っても、それを自己成長の題材にできるのだ。
どうして私は退屈に感じてしまうのだろうと。


もし、クライアントが感情的になって、怒りをぶつけてきても同様だ。
それを話題にするのだ。その気持ちはどこからきているのだろう、なぜだろうと。
自分が相手に怒りを感じても同じだ。この怒りはどこから来るのだろうと、
省察するのだ。


Here and Nowには、扱うべきトピックスがザックザックと溢れている。
まるで、過去も未来もすべてが詰まっている魔法の空間のようなものかもしれない。


Here and Nowについては、これまでもブログでいくつか触れてきた。
たった10文字のアルファベットだけど、実に奥が深い。


Here and Nowとは、次の4つに意識を向け続けること、話題にし続けることなのだと思う。
今この瞬間に、自分に起こっていること、
クライアントに起こっていること、
二人の間に起こっていること、
この場全体に起こっていること。


僕はまだGestalt Therapyの初歩をかじった程度。
でも、Gestalt Therapyで学んだあれこれすべてが、
Here and Nowのより深い理解ためのような気がしている。

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二つの故郷を持つ意味

日本にいる時に三軒茶屋のベルリッツに半年ほど通った。


その時に、仲良くなったニュージーランド人の講師がいる。
好奇心旺盛で、探究心があって、政治経済文化、そして人生に造詣が深い。
まだ20代半ばなのだけど、僕は今もたくさんのことを教わっている。


彼は日本人の女性と結婚して、いまは母国のウェリントンに戻り、
大学院の博士課程で政治学を学んでいる。


今もたまにChatで話す。いつも僕の動向を気にかけてくれているみたいだ。
ありがたいことだ。


先日、久しぶりにChatをした。


「サンフランシスコの生活には、もうすっかり慣れたんじゃない?
そうそう、添削してあげるから、いつでもレポートを送っておいでよ」


まだ実現していないけど、いつもこう言ってくれる。


「うん、だいぶ慣れたよ。君の住むウェリントンほどじゃ無いと思うけど、
サンフランシスコはすごくいい街だよ」 と答えると、彼はこう言った。


「アハハ。それは良かったね。ウェリントンもね、多様性にあふれる素晴らしい街だよ。
でも今はね…、住んでいた世田谷を懐かしく恋しく思うよ」

「そっか、世田谷もいい街だったよね。僕も住んでいたから」

「でもさ、いずれわかると思うんだけど、これでTJも僕の仲間入りだよ、おめでとう!」

「何の?」と聞くと、彼はこう言った。

「国を超えて故郷を二つ持ってしまったということさ。日本とサンフランシスコに。
僕は世田谷に住んでいるとウェリントンが恋しくなり、ウェリントンに住んでいると
世田谷が恋しくなる。いつでも恋しさだけが募るんだ」


なるほど。確かに、それは困ったことだ…。


いやいや、きっと素敵なことだ。
そうに違いない。


附録)
彼と話しているときに、ニュージランドとオーストラリア両国の関係が話題になった。
この両国、ライバルでもあり、友好国でもあり、お互いに言いたいことを言い合えて、
互いのタブーをけなし合えるユニークな関係らしい。

彼の紹介してくれた、両国の関係を皮肉いっぱいに描いたYou Tubeに、
ある種の健全さ(?)を感じたのは気のせいか。
ビデオ途中に出てくる"infantry"とは「歩兵連隊」のことです。
よかったらどうぞ。

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