アメリカ人の「空気を読む」について
日々実感していることなのだけど、
アメリカでは「場の空気」なんかに影響されない方が評価される。
それはBoundary(境界)がしっかりしていて、他人に左右されない、
しっかりとした自分持っている、という評価になるのだ。
だから、語弊があるかもしれないが、彼らの多くが空気を読まない、
というか、読もうとしない、というか、読めない。
CIISのクラスでは、よく冒頭に「チェックイン」がある。
本格的にクラスに入る前に、インストラクターが生徒に、この一週間、
何があったか、今どんな気持ちでここにいるのかを尋ねるのだ。
今週のGestalt Therapyのクラスでこういうことがあった。
ある生徒が「チェックイン」でシェアをした。
「今日はとても落ち着いた気分。クラスでみんなに会えて嬉しいわ!」
その瞬間、場が明るくなる。
(いや、そうなったように僕には見えただけかもしれないけど)
次の生徒が続く。
「昨日、家族でシリアスな出来事があって…。もう信じられない…。
夫と姑が私に対して…」と、話している最中にボロボロ泣きだす。
場が、一気に暗くなる。
(いや、もしかしたら僕の思いすごしかもしれないけど)
隣の生徒が、素早く彼女の手をそっと握る。
(おっ、いいぞ、などと僕は思う)
彼女の涙のシェアは1分半ぐらい続く。
それが終わるや否や、その手を握っていた生徒が続く。
「実は私、今日は最高に楽しい気分なの!こんなことがあって…」。
ウキウキと話し出す。
その間も、隣の彼女は、目を真っ赤にして鼻をグズグズさせている。
いまこの場の「空気」はいったいどういう状況にあるんだろう。
僕のセンサーがサーチしだすのだが、混乱しているのがわかる。
カーナビが、ルートを見つけられないでいるような感じだ。
そして、思う。
もしこの場の空気というものがあるとするなら…、
それは、暑さと寒さが混在している状態と言えるかもしれない。
アメリカに住む彼らは、物ごころついた時から、そういう環境で育っているから、
部屋の温度に合わせて、薄着をする、厚着をするという感覚が薄いのかもしれない。
部屋が暑かろうと寒かろうと、その同じ部屋で、タンクトップの人は
いつもタンクトップだし、トレンチコートの人はいつもトレンチコートを着ている。
部屋の温度に左右されず、常に同じ服でいる。
いつも自分が自分らしいと思える服装でいる。
それが健全な個性ということなのだ。ここアメリカでは。
さて、僕はいまここで、どんな服を着ようとしているだろうか…。
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