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2009年4月

アメリカ人の「空気を読む」について

日々実感していることなのだけど、
アメリカでは「場の空気」なんかに影響されない方が評価される。


それはBoundary(境界)がしっかりしていて、他人に左右されない、
しっかりとした自分持っている、という評価になるのだ。


だから、語弊があるかもしれないが、彼らの多くが空気を読まない、
というか、読もうとしない、というか、読めない。


CIISのクラスでは、よく冒頭に「チェックイン」がある。
本格的にクラスに入る前に、インストラクターが生徒に、この一週間、
何があったか、今どんな気持ちでここにいるのかを尋ねるのだ。


今週のGestalt Therapyのクラスでこういうことがあった。


ある生徒が「チェックイン」でシェアをした。
「今日はとても落ち着いた気分。クラスでみんなに会えて嬉しいわ!」


その瞬間、場が明るくなる。
(いや、そうなったように僕には見えただけかもしれないけど)


次の生徒が続く。
「昨日、家族でシリアスな出来事があって…。もう信じられない…。
夫と姑が私に対して…」と、話している最中にボロボロ泣きだす。


場が、一気に暗くなる。
(いや、もしかしたら僕の思いすごしかもしれないけど)


隣の生徒が、素早く彼女の手をそっと握る。
(おっ、いいぞ、などと僕は思う)


彼女の涙のシェアは1分半ぐらい続く。


それが終わるや否や、その手を握っていた生徒が続く。
「実は私、今日は最高に楽しい気分なの!こんなことがあって…」。
ウキウキと話し出す。


その間も、隣の彼女は、目を真っ赤にして鼻をグズグズさせている。


いまこの場の「空気」はいったいどういう状況にあるんだろう。
僕のセンサーがサーチしだすのだが、混乱しているのがわかる。
カーナビが、ルートを見つけられないでいるような感じだ。


そして、思う。


もしこの場の空気というものがあるとするなら…、


それは、暑さと寒さが混在している状態と言えるかもしれない。


アメリカに住む彼らは、物ごころついた時から、そういう環境で育っているから、
部屋の温度に合わせて、薄着をする、厚着をするという感覚が薄いのかもしれない。


部屋が暑かろうと寒かろうと、その同じ部屋で、タンクトップの人は
いつもタンクトップだし、トレンチコートの人はいつもトレンチコートを着ている。


部屋の温度に左右されず、常に同じ服でいる。
いつも自分が自分らしいと思える服装でいる。
それが健全な個性ということなのだ。ここアメリカでは。


さて、僕はいまここで、どんな服を着ようとしているだろうか…。

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共感できない私

クラスメートは、苦しんでいるなあと思う。
もしかして、苦しむのが好きなんじゃないだろうか、と思うぐらい。


Gestalt Therapyのクラスで、ロールプレイで組んだ彼女。


「いつも食べたい、食べたいと思っている。特に甘いもの。
でも、食べると太ってしまう。だから食べちゃいけない。でも、食べたい。
どうして私は食べちゃいけないと思っているのだろう。それは太るから。
太るとなぜいけないの?それは愛されないから。誰に?周りに。
女の子は痩せていないといけないから。痩せてないと愛してもらえないから。
でも、私にそう思わせているのは誰?それは社会通念。私はそれが憎い」


とオイオイ泣くのだ。


僕も、「おいおい」と心の中で思った。


そんなに大げさなことなんだろうか。でも、そうなんだろうな…、彼女にとっては。
でも、そんなに苦しいなら食べればいいのに、そして、その分、運動すればいいのに…。
そんな太っている風にも見えないし。


なんてことを、話を聞きながら考えてしまう、
自分の共感力の乏しさを嘆かわしく思った。


次のロールプレイで組んだ、別の彼女。


「私は夏休みに自分の国に帰りたい。すごく帰りたいの。でもそのお金がない。
アメリカ人のボーイフレンドは、お金を貸してくれると言う。彼は仕事を持っているし。
金銭的に余裕もあるし。でも私は絶対に借りたくない。なぜ?それは私は常に
自立していたいから。誰にも依存したくないから!その思いは自分の育ちから
来ているのだと思うけど。でも、そういう風に好意を示してくれた彼には、
申し訳ない気もするし。どうしたらいいか、すごく悩むの」


と、彼女は熱く話す。
そして、熱を込めてその悩みを話されるたびに、僕は冷めていく。


借りれや!そんなに悩むんだったらとっとと借りちゃえばいいのに。
今の悩みって、自分の考える自立の問題とは別の問題だろうと気付くのに。
そして、帰国してスキッとして、帰って来てから自分のタイミングで
返せば済むこと思うんだけどな。何よりも心が健康でいれるよ。


なんてことを、話を聞きながら考えてしまう、
自分の共感力の乏しさを嘆かわしく思った。


…。


いや…、ウソだ。


実は、嘆かわしくだなんて本気で思っていない。
やっぱり、とっととやってみろよ、と、心のどこかで思ってしまう自分がいる。

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40th Birthday

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先日、サンフランシスコで2回目の成人式を迎えました。
そう、2回目です。


ひっそりと過ごす予定が、以前、サンフランシスコ三田会で知り合った、
在米歴30年の大先輩の仙人Kさん、そして、アメリカで結婚をして、
仕事をしながら逞しく生きている二人の後輩ビューティーズ、
ユリさんと未奈さんと、そのご家族が心づくしのお祝いをして下さいました。


場所は、ユリさんのご主人ノアさんのご実家。
彼の母親が住む、高級住宅街Hillsboroughにある邸宅に招いて頂いたのでした。
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鹿やリスが庭に遊びに来る、古き良きアメリカを感じる大きくて素敵なお家です。
どのぐらい素敵な場所かというと…、二人が結婚を挙げる場所に選んだぐらい!
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最高の空間で、最高の手料理と最高のワインと最高の会話で、
身に余るもてなしをして頂きました。スペシャルケーキまで頂いてしまって…。
みなさま、お忙しい中、本当にありがとうございました。
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改めて、40歳。


20歳や30歳の時と違うのは、40歳というカーブの向こうに、
何となく「人生の終わり」が見えるような感じがすることぐらいか…。
別に、そんな悲観的なわけじゃないけど。


ふと思う。
人生の終わりが見えない若い時には、ひたすら希望を持って人生を前に進めばいい。
でも、終わりが見えてしまったらどうなるんだろう。
前に進んだら、それだけ終わりに近づくだけだ。

さらに思う。
でもだからこそ、その年齢になって、現在(いま)というプロセスに、より感謝が
できるようになるんじゃないか。


そう。終わりを感じるからこそ、プロセスに感謝できる。


だから、40歳。


きっと、現在(いま)に感謝もできるし、未来にまだ突き進める、
素敵な年齢だ。
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Susan BoyleとPaul Potts

先のブログで、遅ればせながらと断ったうえで、
Susan Boyleについて触れたら、多くの方から、2年前のPaul Pottsは、
更に素晴らしかったと思う、という声をたくさん頂きました。


というわけで、恥ずかしながら、更にさらに遅ればせながら、拝見したら…、


うわっ、確かに!


すごい。
何度も観てしまった。


Susanの時と比べて、男女の持つ雰囲気の違い、あるいは演出の仕方や
選曲の違いもあるのだろうけど、彼女のコミカルで、温かくて…、という雰囲気に比べて、
Paulは、自信がなくて、陰鬱で…。


見てもらうと分かるけど、Susanは、登場する段階から腰に手を当てて、
胸を張って、堂々としている。

「最初はみんなが私を侮る。でも、そんなのわかっているわ。慣れっこよ。
歌が始まったらそうは言わせないから、見てなさいっ」てオーラが出ている。


Pottsには、それがない。「どうせ僕は…」という雰囲気全開だ。
歯並びの悪さを隠すためか、最初から笑顔もひきつっている。


だからこそ、


彼の素晴らしいパフォーマンスとのギャップが大きい。
そのギャップがドラマをつくる。感動を大きくする。


本当に何度も何度も観てしまった。
教えてくれたみなさま、ありがとうございました。


当時の、彼の予選と決勝のパフォーマンスが出ている画像があったので、
彼のウィキペディアと一緒に載せておきます。


私と同じく、「遅ればせながら」の方がいましたら、ぜひどうぞ。

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ファミリーセラピーのデモンストレーションをする

今セメスターも、いよいよ終盤。


月曜日のファミリーダイナミクスのクラスでは、各人のプレゼンの他に、
毎回、クラスメートの演じる模擬ファミリーに対して、生徒がセラピスト役になっての
デモンストレーションが行われる。


で、今週が僕の番だった。


緊張は…、ほどんどない。
日本で、場数だけはたくさん踏んできたから。
セッションを英語でやるのが、気が重いだけ。


さて、そのデモンストレーション。
家族の特徴・背景、抱える問題、あるいは誰が問題と思われているのかetc、
については、事前に、その役を演じる家族メンバーのみに伝えらている。
そこから真剣勝負のLIVEセッションが始まる。


今回の設定は、母子家庭。
18歳と14歳の二人の娘。母方の祖母と一緒に住んでいる4人家族。
問題と目されているのは14歳の娘。無断外泊、ドラッグ、交友関係、
それを管理しようとする母親に対するあからさまな反抗…。
終わらない戦争状態に困り果てて、家族でファミリーカウンセリングにやってきた。


僕に与えられている時間は約25分間。


結論から言うと…、


大絶賛だったのでした。これ以上ないぐらいに。


インストラクターのJudyeからは、
「あなたのユニークな視点、洞察にあふれるコメント、素晴らしかったわ!
あなたの、本質を的確に掴んで、それをシンプルにダイレクトに伝える
そのコミュニケーションのスタイルは、昔、ダライラマのセッションに参加した時の、
彼のことを思い出したわ。シンプルな指摘に、言われた本人は、一瞬『???』と
なるんだけど、すぐに『おお、なるほど!』と深く納得するの。」


と、セッション中に僕がした発言を具体的に指摘しながらのフィードバックをもらった。


普段は手厳しいオブザーバーのクラスメートたちからも、
「すごく洞察があって、とても説得力があって…。でも、TJにそれを指摘される前に、
どうして私、そのことに気づかなかったんだろうと思うと悔しいわ」etc。


そして、役を演じていたクラスメートからも、「TJの洞察には、演じている最中にも
いろいろなことを気づかされた」とたくさんのコメントをもらった。


思ったのは、日本でコーチとして身につけたことが、ここアメリカのファミリーセラピーや、
グループセラピーのセッションでも充分に活かされているんだな、ということ。

例えば、参加者間のコミュニケーションのやり取りを、飛び交う線のように見る感覚…。
網の目のように広がる回線の、どこが太くて、細くて、どこが遮断されているのか…。
電話会議などで鍛えられる早い会話のパス回しでそれを探る。

そして、誰が発言しているとき、誰の態度はどうなっているのか。表情やしぐさを見る。
それによって、人や議題に対する参加者の温度差を計る。

この場で話されていることは何で、話されていない実は大事なことは何か。
そこから感じることを素直に仮説にして、その場に出す。
「自分にはこう見えるけど、どう思う?」と。そして、その場の参加者の反応を探る。

どれも「場づくり」のファシリテーションのベーシックだ。


改めて思うけど、ある問題を、個としてではなく、関係性の中でとらえる感覚、
あるいは「場」の現象として捉える感受性は、何となくだけど、アメリカ人より、
日本人の方が鋭いかもしれない。「察する」なんて日本人のお家芸のような気がするし。


僕たちは、科学技術や工業技術だけでなく、コミュニケ―ションの技術についても、
もっともっと、日本でやっていること、やってきたことに自信を持っていいのかもしれない。


というわけで、ぼちぼち、学期ファイナル突入です。
もしかしたら、ちょっと更新間隔が空くかもしれません。


みなさまも、ゴールデンウィーク前の素敵なひと頑張りを!

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Susan Boyle(スーザン・ボイル) 人生の歌声

学期のファイナルが近づいてきた。


うー、忙しくなるなあ、と思っていた矢先に、この動画の存在を知った。
Susan Boyle(スーザン・ボイル)。


既に、ご存じの方も多いかもしれない。


彼女は、先頃、イギリスのオーディション番組に登場した47歳の中年女性。
太めの容姿、お世辞にも器量は良いとは言えない。


彼女は、登場したステージで、審査員からインタビューに
将来の夢はプロの歌手になることと、胸を張って答えた。


会場全体を包む、冷やかな笑い。


そこにいる誰も、彼女のパフォーマンスに期待していない。


そんな彼女が歌うのは、レ・ミゼラブルの「夢やぶれて」。
彼女の人生を重ねるような選曲に審査員も失笑する。


イントロが流れる。そして…、


彼女が一声を発したとたんに、審査員の表情も、会場の空気も一変した。


彼女は、周囲の反応を気にせず、のびのびと歌う。


「夢やぶれて」の歌詞と、彼女の素晴らしい歌声と、
透けて見える彼女のこれまでの人生とが重なる。


私たちは目の前にいる、これまで気にも留めなかった普通の誰かの人生の、
とてつもなく大きな変化の瞬間に立ち会えているのかもしれない。
そんな興奮と感動に、会場全体が一瞬に染まっていく様子が画面に映っている。


ああ、何度も見てしまった。


最高のドラマは、現実の世界にある。


よかったら、以下のサイトでどうぞ。
http://talent.itv.com/videos/video/item_200081.htm

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「日常」とAppreciation(感謝)

当たり前のことだけど、
アメリカに留学していても、異文化の中で暮らしていても、「日常」は始まる。


あれほど苦労したアメリカの生活コードにも慣れ、
新鮮な風景も見慣れたものに変わっていく。
気づかないうちに。


サンフランシスコで1年と4カ月が過ぎようとしていて、
いつのまにか、僕の周りは「日常」に溢れていた。


もちろん、日常には日常の素敵な側面もある。
でも、今はそのことを言いたいわけじゃない。


いかに「日常」を新鮮な視点で見続けることができるか。
視点の位置、視線の角度を自在に変えることができるか。


そう言えば、日本にいる時、いつも思っていた。
海外旅行をする時のような視点で、日本での毎日を見れたらどんなに楽しいだろう。


でも、僕は、日本に限らず、
ここサンフランシスコでも同じ「日常」を感じ始めているわけで…。


実は、「日常」を打破する視点は、Appreciation、つまり感謝の気持ちにある。
そんなことを、アメリカ人のクラスメートと話をして気付かされた。


僕なんか、慣れてくるとつい批判をしたくなる性質だから…。
そう、恥ずかしながら、自分のいまの環境に対する感謝の気持ちをつい忘れるのだ。


家族が健康だからアメリカに来れた。
会社や同僚、クライアントの理解があったからCIISに来れた。
友人、知人の後押しがあったからその勇気をもらえた。
サンフランシスコで素敵な友だちにも出会えた。
そうそう昨日、CIISで玄関の挨拶係のアルバイト面接があって合格した。
自転車で通学の行き帰り、毎日風を感じながら素晴らしい風景にも出会えている。


うーん、ちょっと考えてみたら、Appreciationだらけだ。
何に不平不満があるというのだ、まったく…。


そのクラスメートのおかげで、
ちょっと自分の置かれている「現在(いま)」を感じることができたような気がする。


なぜなら、そもそも「感謝」とは、それ自体が「いまここ」に起こっている気持ちのこと。
だから、感謝することが意識を「現在(いま)」に引き戻してくれるように思うのだ。


「感謝」の気持ちは、「過去の悔恨」と「未来の不安」から僕たちを解き放つ。
僕たちがすべきは、その感謝の気持ちという「現在(いま)」に立って、「過去と未来」の
頸木から逃れ、曇りのない目で地平を眺めること。そして、開けた視界で、
正しい方向に努力をすることだ。


Appreciation。
それは、自分の「現在(いま)」を素直に眺めることができた時に、
本当の意味で実感できる気持なのかもしれない。

Appreciation。
それは、何となく、「現在(いま)を生きること」と密接な関係にあるのではないか。

Appreciation。
それをマントラのように日々唱えることにでもしよう。


昨日の自転車での帰り道、夕暮れのOcean Beachにて。
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ではまた。

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夢をワークする

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Gestaltでも夢を手掛かりに深層を探るというアプローチをする。
僕は、日本にいる時、夢にまったく興味が無かったけど、実は、今も左程ない。


Gestaltのクラスで、インストラクターのGreyが、ボランティアの生徒を一人募り、
その生徒が自分の見た夢を、他の生徒を登場人物にして実演して、
カウンセリングを行うというデモを見せてくれた。


正直言うと、僕も登場人物の一人にさせられてしまったせいで、
何が起こっているのかよくわからなかったのだが…。


手を挙げたのは、レズビアンの女性。
彼女は自分の夢について簡単な説明をした。


彼女の夢の中では、ムービースターか何かになっている。
いま、出演する前の楽屋にいる。自分の着る衣装がフリフリのきれいなドレスなのか、
タキシードなのか、スタッフと揉めている。本番まであと何分という声がかかる。
自分はタキシードを着たいと主張した。結局、自分の主張が通り、最高級の
タキシードを着た。メイクアップさん、スタイリストさん、最高の技術陣にお膳立てを
してもらって、ばっちりキメた、はずだった。
でも、その衣装を着た自分に寄せられる周囲からの称賛を受け取れない…。
それを信じられずに惨めな気持ちでいる自分、というストーリーだった。


そのデモの後、何人かの他のレズビアンの女性から発言があった。


昔から、自分の着る服に対してはたくさんのトラウマがあると。
自分が将来ウェディングをする時に、いったい何を着るべきかに
ついても、よく頭を悩ませると。


なるほど…。


その後、男性のクラスメートが質問をした。


「自分はよく夢の中で銃で撃たれて死ぬ。殺される夢の意味とは
いったい何なのか」


「ここでデモしてみる?」
Greyは尋ねた。


「いや、いい。強烈すぎる…」
そう彼は答えた。


Greyは、続けた。
「夢はしばしばウソをつくわ。立場を入れ替えるの。自分のセルフイメージを
守るために。つまり殺人者であるよりも被害者である方を選ぶ。
だから、あなたを撃ったのは、もしかしたら、あなた自身かも知れないわ。
そうだとすると、あなたの中でどんな新しい解釈ができるかしら…」


夢の中の登場人物は、全部、自分の内面の一部分を表現しているかもしれない、
と言うことか。


別のクラスメートが続いた。
そのクラスメートはコカイン中毒から立ち直った女性だ。
「私は、朝起きてから自分が見た夢をノートに書き留めているの。
ぜひみんなにも勧めたい。それを眺めると、繰り返し登場してくる人物がいたり、
モノや風景があったり…。私の深層に横たわる何かを感じる時があるから。
私にはとっても機能しているの」


僕も夢を見るけど、すぐに忘れてしまう。


ちなみに、今朝、起きて書いてみた。
でも、それは書いている端から頭の中で消えていく映像を追いかける作業に似ていた。
結局、ノートに残ったのは、文でもキーワードでもないウニョウニョした文字の羅列だ。
トレーニング次第で、自分の見た夢をちゃんと覚えていられるようになるらしいけど…。


明日もやってみよう。

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ファミリーダイナミクスのプレゼン

休み時間の一コマから。
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月曜日、ファミリーダイナミクスで、僕のプレゼンが終わった。
英語は相変わらず超イマイチだったが、人前で話すのは職業柄もあって苦じゃない。
パワーポイントをほどほどに使ったストーリー仕立てのプレゼンは、
自分で言うのも何だが、こちらでも結構、バッチリだ。


さて、僕の発表はMono Drama(モノドラマ)という形式を割り当てられていた。
自分の祖父母からの家系図を作り、それを見せながら、自分を取り巻く
それぞれの関係を説明し、クラスメートから質問を受け、あらゆる角度から
フィードバックをもらうことで、現在の自分の抱える問題やテーマのルーツを
家族の中に探る。


この課題、家系図を仕上げる作業段階から、思った以上に勉強になった。

親に家族や親類の写真を送ってもらって近況を確認したり、
スカイプで、自分の育てられ方を尋ねてみたり、今まで確認したかったけど
できなかったことを直接聞いてみたり、時間を遡って両親の子供のころや、
兄弟の関係について質問をしたり…。

「うちの家族の問題って何だと思っているの?」と、両親に尋ねるのは、
なかなか面白い経験だった。


家系図もそう。つくったのは祖父母の代からの3世代の家系図だったけど、
じっと眺めてみると、それなりに、自分に押し寄せている命の「流れ」を感じる。
妙な責任感が湧いてきたりする。


このワーク、自分を血縁という文脈の中からいったん取り出して、
CIISという“外気”に触れさせて、もう一度、同じ文脈の中に戻す感じなのだけど、
プレゼンを終えて思うのは、一度、外に出してから戻すと、今までとはまた違う
認識を持てるようになるんだな、ということ。

自分自身だけでなく、自分の置かれた文脈自体も客観視できるようになる、というか。


僕の経験を普遍化することはできないけど、
これまでのクラスメートとの比較の中で、僕が感じている日本とアメリカのファミリーの
目立った違いは、「対話の有無」と「感情の扱い方」にあるんじゃないかということ。


こちらのスタンダードとしては、
家族に生じる問題は、当事者同士の対話によって、つまり話し合うことで解決を図る。
ネガティブな感情は、心を許せる家族だからこそ、そこで発散することで解消を図る。


一方、日本ではどうか。


家族に生じる問題は、
お互いに我慢する、あるいは、察することで自発的に修正を図る、諭す、
母親が調整する、父親のトップダウンで収める。なんだか、対話ではないような気がする。

一方、ネガティブな感情は、
家族の中でダイレクトに発散させずに、家族の外で発散させる。
あるいは、じっと耐える。周囲も、そういう時はそっとしておく。


…。


時代は変わる。人の関係性も、生活スタイルも変わる。
いまのストレスフルな日本社会の中で、上記のような家族環境は、
どのような心の問題を生み出しているのだろう…。
もちろん、日本とアメリカ、どっちがいいとか悪いとかを言いたいわけじゃない。


そうそう、CIISに来た当初、個人の心理的な問題の原因を、
その家族関係に求めるスタイルにはすごく抵抗があった。強引すぎないかと。


でも…、いまは思う。


いやいやどうしてなんのなんの、家族の影響は大きいぞ、と。

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サンフランシスコの生活ゴミ回収

実は、サンフランシスコ生活で一年ほど抱えていた疑問が昨日解けた。
どんな疑問かと言うと、トラックのゴミの回収の仕方について。


サンフランシスコでは、各家庭が指定の黒・緑・青のゴミBOXを保有していて、
そこにゴミを捨てる。僕の住んでいる家だと、1Fのガレージに置いてある。
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毎週決められた日に、それを家の前に
出しておくと、トラックがその中に入ったゴミを回収してくれる。
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僕の住んでいるところでは毎週月曜日がそれにあたる。
ちなみに、緑が生ゴミ、黒が一般ゴミ、青がリサイクルだ。
黒と青を回収するトラックは同じで、緑はまた違うトラックが回収に来る。


で、何が疑問だったかというと、黒と青を回収するトラックだ。


せっかく分別しているのに、一緒に混ぜて回収している、ように見える。
遠くから見ると特に。なので、僕はずっと疑問に思っていた。変だぞ、と。P4140066_3











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学校でアメリカ人のクラスメートに聞いてみた。でも、自分も同じ疑問を
持っていたとか、え、そうなの?と逆に聞き返される始末。
つまり、誰も知らなかった。


というわけで、昨日の朝、回収している人に直接聞いてみた。
忙しそうにしているところ、申し訳ないと思いつつ。


分かりにくかったんだけど、ちゃんと内部で分かれていました。
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右にリサイクル、左に一般ごみ。丁寧に教えてくれました。


写真も近くで撮らせてくれて、ありがとうございました。


実は、クラスメートとかけをしていた。

僕は混ぜて回収している。
クラスメートは、いやいや、やっぱりそんなことないんじゃない?

というわけで、僕の負け。カフェでお茶をおごらなくては。

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CIISのカフェで

カウンセリングを専攻しているクラスメートよりも、
文化人類学や東洋哲学を専攻している学生の方に仲の良い友だちが
多かったりする。まあ、彼らは異文化に興味があるのだから当然か…。


文化人類学を専攻している博士課程のKirk(カーク)。
日本の歴史が大好きという変わり者(?)だ。
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彼とカフェで話しているとき、ひょんなことからこんなことを聞かれた。


「で、TJはこれから世の中はどう変わっていくと思うんだ?」


はて…、と思ったが、その時に頭に思い浮かんだのが、
西洋的なIndividualiam(個人主義)でもなく、
東洋的なCollectivism(集団主義)でもなく、
全てを繋がりの中で考える、Connectivism(連帯主義?)が、
ますます大事になるんじゃないかな、と答えた。


環境問題だけじゃない。経済もそう。全てが繋がっている。
繋がりの中で考えなくてはいけない。


全部繋がっているんだから、シンクロニシティも起こりやすい。
現代は、みんながネットで繋がっているから、「ご縁」が機能しやすくなっている。
利用しやすくなっている。だから、意思ある人の、物事を実現するスピードが
ものすごく速くなっている。


「いやあ、ご縁があったんですよ」なんて、他力っぽく受け身に結果論を語っている
場合じゃないんだろうなあ。自らの「意思」で「ご縁」を働かせる時代なんだから。


あっ、この話にオチはありません。


なんて話で盛り上がっていたら、Chip(チップ)が合流してきて、また違う話になった。
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「日本のアニメやゲームの、暴力シーンは、日本の若者に悪い影響を
与えているのか、良い影響を与えているのか」


悪い影響と言うのは、わかりやすい。
アニメやマンガ、ゲームの暴力や殺人の過激な世界は、リアリティとファンタジーの
境目を曖昧にし、リアルな世界での犯罪を誘発する、というもの。


では、良い影響とは何か。


それは、日本ではアニメやゲームの世界の疑似体験によって、それらの負の欲求が
発散されているために、リアルな世界での犯罪抑止に繋がっている、そう考えるのだ。
これはあくまでも、アメリカの青少年犯罪と比較しての話。


えっと、この話にもオチはありません。


ではまた。

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家→坂→海→Park→街→CIISの通学路

Golden Gate Parkにて。
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自転車による通学が続いている。片道約1時間。


晴れて風の穏やかな日には、家の近くのTaraval St.を一気に走る。
それは海まで一直線の下り坂。ほとんどペダルを踏む必要がない。
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そして、海に出てからは、Ocean Beachを一気に北上する。
平坦だけど、風の強い日には、ガッツがいる。
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ほら、木がこんな風になっている。
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しばらく走ると、ゴールデンゲートパークの西端にぶつかる。
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そこからゴールデンゲートパークを東に横断するのだ。
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更にそこから、Panhandleという木漏れ日の落ちるサイクリングゾーンを抜ける。
写真じゃ伝わらないと思うけど、サンフランシスコの陽射しは強く、風はとても冷たい。
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そして、街中に入る。
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そうそう、自転車用のレーンはあるものの、道には、車、他の自転車、ジョギング、
散歩中の歩行者、犬、そして、ゴールデンゲートブリッジの中には、
馬に乗った保安官もいる。
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だから、僕は、風を切る音を聞きながら、神経を八方に研ぎ澄ませる。


そのことで、日々、自分の中に“野性”が戻ってくるような気がする。
それが、嬉しい。


というわけで、帰り道、夕陽の染めるOcean Beach。
いま、サンフランシスコの日没は、19時30分ぐらいです。
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ではみなさま、また元気な一週間を!

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Salvador Minuchin(サルバドール ミニューチン)。

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先のブログでも書いたが、ファミリーダイナミクスのクラスで観た、
Minuchinのファミリセラピーのビデオがあまりにも印象的だったので、
図書館で別のビデオを観てみた。


彼はアルゼンチンの出身。決してきれいな英語を話すとは言えない。
親近感がわく。彼の話すスピードを声を出して真似てみた。
とてもゆっくりなので驚いた。自分の話すスピードを3分の1に
落としても大丈夫だなと思ったぐらいだ。


クライアントが、感情的になろうが、早口になろうが、大声になろうが、無口になろうが、
反論してこようが、彼の話すスピードはまったく変わらない。訥々(とつとつ)、
且つ、飄々(ひょうひょう)と、たっぷりと自分の「間」を取りながら話す。


今日、思った。
表現が適切ではないかもしれないが、その口調は、マギー司郎やつぶやきシローに
似ているような気がしないでもない…。それは独特な世界観を作り出す語り口だ。
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今回のビデオに登場したのは7人家族。
父親は2人の子供を連れて2回目、母親は3人子供を連れて3回目の再婚。
複雑な構成だ。


今回のセッションの目的は、母親が一番下の13歳の男の子の非行・反抗を
何とかしたい、彼とのバトルで、家庭は崩壊しまっている、というもの。


先に結論を言ってしまうと、Minutinが指摘したのは、


「私の聞く限り、この子供には何の問題もない。
いちいちすべてが、この年齢の子供にはありがちなことだ。
思うに、問題はまったく別の所にあるのではないか」


というものだった。


やりとりの中で明確になってきたのは、妻が夫に自分の気持ちを思うように
伝えることができていないということ。つまり、彼女が子供とぶつかるのは、
実は、夫の代替として、子供に過剰な干渉をしてしまうということが
原因ではないか、ということだった。


Minuchinの言葉を借りれば、


「あなたは自分の子供をTeddy Bear(テディーベア)にしている」。


夫婦間のコミュニケーションがうまく言っていれば、母も子供に過干渉をする
必要がなくなる。子供は自立できる。もちろん、それは母親の人としての自立でもある。


そして、Minuchinは、子供の方を向いてニヤリと笑って言った。


「もし、きみの母親がこの問題を解決できなければ、きみの運命は…、
一生、Teddy Bearだ」


Minuchinの上記のような切り口の背景には、家族のダイナミズムに関する
以下のような基本認識があるように思う。


子供は成長する。それに従って、家族の中でのそれぞれの役割、位置づけ、
つまり、システムは変わっていかざるを得ない。

しかし、多くの親はこれまでのシステムを変えることに抵抗がある。
子どもが変化しているにも関わらず、旧態依然とした関わり方を
しようとしてしまう。そこに火種がある。

家族は、子供の成長というダイナミズムを内部に抱えている“組織”なのだ。
それに合わせて、家族全員が変化していかねばならない。


話を戻す。


今回のケースでは、この家族の問題は、「母vs.子」から、「夫vs.妻」に移った。
つまり、妻が夫に自分の思いや気持ちを伝えられていないことがテーマとなった。


それの意味することとは…、


それまで、この家族があれほど問題と思っていた問題が消えた、ということ。
いや、正確に言えば、そのまま残っているのだが、問題ではなくなったということ。


Minuchinは、家族に、現状を違う角度から見せることによって、
閉そく状態にあった問題を消して見せたのだ。


そして、この家族の問題を、夫婦間コミュニケーションという、彼らにとって、
より本質的で、具体的な対応が可能な問題に定義しなおした。


Salvador Minuchin。


すべてが、鮮やかだ。

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Gestalt Therapyのクラスにて 1 SelfとBoundary

昨日のゲシュタルトセラピーのクラスで。


Gestalt Therapyでは、
硬直した「セルフ」が生き方を苦しくしている、と考えるらしい。


持つべきは柔軟なセルフ。それは、


「あっ、これでいいんだ、私」


なんて、肩の力が抜けた時に感じる自分自身だ。


ではそれと、やはりGestalt Therapyが推奨する、
他者との間に「健全なBoundary(境界)を持つ」こととの関係はどうなんだろう。


僕はまだ、「Boundary(境界)」と「Self(自己)」との関係があいまいらしい。
Selfの外郭がBoundaryのようなイメージを持っていたのだけど…。


インストラクターのGrayによれば、Boundary(境界)は、本人の意図がつくるもの。
セルフは、本人の意図とは関係なく、すでにあるもの。


不理解なままで申し訳ないが、柔軟なSelfを保つ上でも、健全なBoundaryを
持つことが機能する、と、今はしておこう。


すると、


自らの意図で、相手との間にBoundary(境界)を作る。


それは、分かりやすく言えば、瞬間瞬間、しっかりとNoと言う、しっかりと
相手に要求をする、と言うことだろう。意味不明に微笑む前に。


多くの日本人には、かなり強い「決め」が必要かもしれない。
そして、日本の外に出て一番最初に学ぶことになるのも、このことかもしれない。

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Gestalt Therapyのクラスにて 2 現在(いま)を明らかにする

同じく、昨日のゲシュタルトセラピーのクラスで。


カウンセリングルームに「過去」を持ってこられても扱えない。
たとえば「過去の怒り」をここに持ってくることはできない。
持ってきたところで、それは「リアル」じゃない。


だから、Gestalt Therapyでは、過去を扱うことをしない。


Gestalt Therapyは、「今此処(いまここ)の感情」、
つまり、カウンセリングルームの中で起こっている「リアル」を扱う。
それが、「現在(いま)、自分がどこにいるのかを明らかにすること」に繋がると考える。


だから、Gestalt Therapyの大目的は、

「現在(いま)の自分を明らかにすること」、
「自分の現在(いま)を明らかにすること」、

と言えるかもしれない。


なぜなら人は、過去や未来、あるいは以前書いたTop DogやUnder Dog
囚われてしまって、現在(いま)を見失っているから。


あなたが頭の中で勝手に描いた過去や未来のファンタジーを断ち切って、
現在の立ち位置を明らかにすることができれば、これまでと違う風景が見えてくる。
違う地平が開けてくる。


インストラクターのGrey曰く、そういうことらしい。


ふむ…。


僕の「現在(いま)」は明確だろうか?
明確だとしたら、それは何だろう…。


あなたは?

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Gestalt Therapyのクラスにて 3 Polarity(両極・対立)のワーク

というわけで、昨日のゲシュタルトセラピーのクラスでは、
ポラリティ(両極・対立)のワークを行った。


一方の極としては、「こうしたいけど、できていないこと」。
もう一方の極としては、「それをしなかったら、手に入ること」。
その二つについて相手に話す。


そして、相手からいろいろ質問をしてもらってやり取りをした後に、
それらとは全く関係なく、たった今ここで、自分の中に浮かんでくる
ファンタジー(空想)について話す。


海に行きたい、とかソファに寝っ転がりたい、とか、実際はもっと具体的に。


最後に、その空想と、その前に自分が話した両極との関係を話す。
そんなワークだ。シンプルだけど、意外に発見が多いとクラスメートが
驚いていた。


僕は、この夏の予定について話した。
クラスを取って勉強する、でもエキサイティングじゃない、という一極。
それらを取らずに世界のどこかに出かけたい、でもプランもないし、
そのお金もない、という一極。


ファンタジーは、晴れた日にきれいな海沿いのビーチを風に
吹かれながら自転車で疾走する、というものだった。


話していて明確になってきたのは、僕は、単に今、
サンフランシスコの外の世界に飛び出たいんだなと言うこと。


ほら、だって昨年からずっとこの空気にどっぷりと浸かってきたから。


今、ようやく一息ついて、違う空気が吸いたくなっている、
そんな気分らしい。


で、その時に気がついたのは…、


そう言えば、日本でも同じことを感じていたかもしれない、ということ。


だから、アメリカに行くことが人生の空気を入れ替えることだと思っていた。
そして、CIISで学ぶことがアメリカに来る正当な理由づけになる、
なんて考えたのかもしれない。


でも…、


いませっかく来たアメリカで、再び同じことを感じている自分がいる。
それはどういうことだろう…。


ほほう、と思った。


そうか、これは自分の中の癖なのだ。
どこにいても、そう感じるのだ、きっと。


思わず笑ってしまった。


と、笑ったものの、


さて…。

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瞑想ルーム

ずっと昔、3年間ほど毎朝禅寺に通っていたことがある。
ヴィパッサナの11日間の瞑想トレーニングにも参加したことがある。
だからその効用はわかっているつもりなのだけど…。


瞑想は、僕の中では「重要だけど絶対に緊急ではない」領域だから、
後回しになってしまっていた。


CIISの6Fには瞑想ルームがある。
広さは6畳ぐらい。いつでも自由に座っていい。
P4080102










この部屋には、いわゆる精神世界の“Guru”と呼ばれる人たちの写真が置いてある。
CIISの代々の生徒が置いたものだ。なんとなくトレンドが見えるような気がする。
P4080106










今日、クラスが始まるまで40分あったので、久しぶりにその部屋に行って、
瞑想をしてみた。


眼を閉じる…。


すると、体の中の水が波打っているのがわかる。


でも、しばらく経つと、波が落ち着いてくる。
そして、水槽の中を舞う砂利が、静かに底に落ちていき、水の透明度が
回復して行くような感覚を感じることができる。


呼吸がゆっくりになる。息をしているのかしていないのかわからないぐらい静かで、
深い呼吸になる。



…。



ガタッ。



突然、ドアの開く音がした。
誰かが入ってきた。


その瞬間、心臓が高鳴る。呼吸が浅くなり、早くなる。
平静だった水槽の水は再び荒れ、砂利が中を舞う…。


瞑想に来た他の生徒だ。


とても静かな所作なのだろうけど、その人が入って来たことで、
部屋の空気がとても揺れているのがわかる。


しばらくするとそれは落ち着くのだけど、部屋の空気の質はそれまでとは
また違ったものになる。


僕は再び内面に集中する。


何人かが入れ替わり立ち替わり入ってくると、そのたびに、
この感覚が繰り返されることになる。


むむっ、いかん。


Boundaryがしっかりしていれば、動じずに済むのだろうか…。


なんて思っているうちに、40分が過ぎた。
さあ、クラスだ。

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唐揚げとコロッケ

先週の金曜日、ルームメートのKさんが帰国した。


Kさんは、社会人を経験したあと、TOEFLの勉強をするために、
2年前サンフランシスコに来た。
頑張ったけど、こちらでは思うように点数が伸びなかった。
行きたい大学院に最後のチャレンジするために、サンフランシスコでの生活を
いったん切り上げて、日本で仕切り直す決心をしたのだ。


いろいろな人生がある。


そんな彼女のために、前々日の水曜日、他のルームメートにも声を掛けて
キッチンにて「手造りの唐揚げ&コロッケ」によるささやかな壮行会を催した。


手作り、といっても僕にその技術は、未だない。
同じルームメートにSUSFでホテルマネジメントを専攻している、料理上手の
まなみちゃんがいる。個人的に、料理を趣味にできたら最高だろうなと
常々思っていたので、ぜひぜひ一緒に作ろう、料理を教えてくださいませと
お願いをした。


というわけで、監督のもと、楽しそうに油の温度を計る、わたし。
P4020122










唐揚げづくりに勤しむ、わたし。P4020119











料理には、食材を「選ぶ」楽しさ、料理を「創る」楽しさ、作品を「食べる」楽しさ、
などなどがあって、その気があれば文化も歴史も学べるし、創意工夫を
試せる余地がたくさんあって、とにかく実利的で奥が深いのがいい。


ちなみに、魚を三枚に下ろせるようになるのが目標です。


作品たちと一緒に。
P4020129










ここから時間をちょっと飛ばして…、
金曜日の朝、Kさんを玄関で見送った。


サンフランシスコでのルームシェア…。
人の出入りがあるたびに、ちょっとした感傷が起こる。

年齢はもちろん、通う学校も違う。普段はさほど交流もない。
広くもなく、深くもなく、お互いの人生が一瞬交差しただけな僕たち。
考えてみたら、不思議な関係だ。

人生をいつか振り返ったとき、これらの出会いにも、
やはり何かの意味があったのだと思うのだろうか。

そう、思いたい。お互いに。

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ファミリーセラピー最後の大御所

存命しているFamily Therapy界の最後の大御所と言われる
Salvador Minuchinのビデオを観た。


Carl whitekerもそうだったけど、二人ともロジャースの傾聴とは
程遠いスタイルだ。


今回のビデオに登場するのは、黒人の母子家庭だ。
子供は13歳。非行の連続。学校にも行かない。警察にも捕まる。


母親が怒りを抑えながら、その話をする。


母 「この間もこういうことがあって、本当に…」

子 「覚えてない」

母 「警察に捕まったでしょう!その時、何と言ったか覚えている?
   ここで言ってごらんなさいよ!」


みたいな感じだ。


一般的に、ファミリーセラピーに来るクライアントの多くは、
インディヴィジュアル(個人)のセラピーではどうにもならなくて、
最後の頼みの綱として紹介されてくる。


このケースもそうだ。
母親は、原因はまったく子供にあるという前提でセッションに臨んでいる。


で、Minuchin。
どうアプローチするのかと見ていたら、簡単な事実関係を短く確認した後、
子供にこう言い放った。


「何で捕まったんだ?間抜けだな」


彼は“Dumb”という言葉を使っていたけど…。


「間抜けだから捕まるんだ。逃げた仲間もいるんだろう。
まったく…。どうやったらそんな間抜けになれるんだ?ぜひ教えてくれ」


母親はそれを聞いて失笑する。
息子も苦笑いする。


「きっとお前の母親がお前をそんな間抜けに育てたんだろ。
ここで母親のどういう育て方がお前をそんな間抜けにしてしまったのか、
彼女に説明してやれ」


Minuchinの口から、何度も“Dumb”という言葉が彼に浴びせられた。


この言葉、実は、母親が息子に毎日罵っている言葉なのだろう。
Minuchinがその言葉を連呼するたびに、母親の方は、だんだん笑えなくなってくる。
Minuchinの姿が自分に重なるのか。


Minuchinは子供に言う。


「お前は本当に間抜けだ。そんな風にお前をしたのは母親だ。
実は母親は、お前から自立できていないんだ。間抜けなお前は、
母親が自立するために間抜けなりに協力する必要がある」


この家庭の問題は、息子なのか、それとも母親なのか…。


Minuchinのセオリーで言えば、家族のコンフリクトの原因は、全員にあるのだ。


彼のパーソナリティーなのだろうが、ユーモアと皮肉を混じえて、
時に直接的、時に婉曲的にフィードバックをする。そしてその時、
母親へのフィードバックが、実は子供へのフィードバックになっていて、
子供へのフィードバックが、母親のフィードバックになっている。
メッシュなやりとりの中で、視点の転換が起こる。


Salvador Minuchin(サルバドール ミニューチン)。


とにかく、ユニークだ。

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楽しむとSelfの関係

もっと物事を“楽しめる”ようになれたら…。
真面目になりすぎてしまう。

と、台湾人のクラスメートも同じようなことを呟いていた。
東アジア人に共通するのだろうか。

今日も自転車に乗って学校に行った。
Taraval St.からLincoln St.まで、13のStreetを横断する。
左方を見ると、全てのStreetのゆるやかな下り坂の消えていく先は、
白波がきらきら走る海だ。

最高の眺めだ。
でも、昨日も、一昨日も気がつかなかった。


そっか…。


楽しむことを忘れていたかな、このサイクリングを。
楽しむことを忘れていたかな、サンフランシスコを。


なんて思いながら、学校を目指して“必死に”ペダルを漕いだ。


結局、学校には50分で着いた。昨日より10分早い!
でも、いったいそれが何だというのだ。


というわけで、
図書館で、息を整える時間を利用して、なぜ楽しむのが下手なのかについて考えた。


で、今日のところの結論。


楽しむためには、もしかしたら、その行為や対象と健全な距離のとれる
確固たる「自分」というものが必要なんじゃないだろうか。

なぜなら、確固とした「自分」がないと、その行為や対象と一体化してしまう。
それがすべてになって、その対象に飲みこまれてしまう。
良く言えば、一生懸命な状態だ。

でも、そこには楽しむための隙間はない。自由がない。
精神を開放的に遊ばせる余地がない。

自分は自分なのだ。良い意味で“変わらない自分”。
これまでも、今も、これからも、いつも同じ自分。

おそらく西洋的な観点では、自分なんて、変える必要も、
成長する必要も、磨く必要も何もないんだろうなあ。
だって、そのままで充分な自分なんだから。

何にも影響されない自分がガッチリ担保されることで、
対象に対して健全な距離を保つことができる。つまり余裕を持てる。
その距離の中で、自在に近づいたり離れたりしながら、対象を楽しめる。

でも、「万物は流転する」的なメンタリティの僕たちの場合、
「自分」だって流転してしまう。だから、目の前の対象に必死に
しがみつくしかない。アハハ…、ちっとも笑えない。

だから、もし欧米人と比較して「日本人は楽しむのが下手」という
一般化が成り立つとしたら、それは「自分」、つまり「Self」が
希薄な国民性だからではないだろうか。

あるいは、集団主義の日本人のメンタリティのまま、
個人主義の欧米人的な楽しみ方をしようとしているからではないだろうか。
僕たちには違う質の楽しみ方があるかもしれないのに…。


「楽しむ」と「Self」の関係。


いやいや、真面目に考えすぎちゃいけない。




<付録>
そうそう、こちらでは、料理をしてくれた人や、レストランでサーブを
してくれた人から、よく「Enjoy!」と言われる。

ここで、あなたは「何を!楽しめだと?余計な御世話だ」などと憤慨してはいけない。

その時、料理を目の前に、Enjoyできる自分かどうかをちょっと確かめてみよう。

目の前の料理に呑み込まれていると、あなたは楽しめない。
もし、お好み焼きは楽しめても、高級料理(例えば、高級フレンチ)を
楽しめないのなら、その時、あなたは何らかの理由で、その高級フレンチとの間に
健全な距離を取れていないのかもしれない。

言い変えると、その対象を前に自分(Self)を見失っているのかもしれない。

うっ、格好悪い。

そんなものを目の前にしても、しっかり自分で、

いたまえ。

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自転車

ちょっと良い自転車を手に入れた。
ドイツ人の友だちSaschaが残していったのをAnneが自由に使っていいと。


最近、“中だるみ”ぎみで、生活に変化を作り出そうと思っていた矢先だった。


というわけで、昨日から自転車通学を始めた。
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片道約1時間。行きは、ちょっと遠回りぎみだけど、北上して
ゴールデンゲートパークの中を走る。
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街中は、サンフランシスコだけに坂道も多くてなかなかタフ。
でも、それは昨日まで。

実は、今日、慣れた感じの若者が前を走っていたので、適当に付いていくと、
彼は坂のないStreetを選んで走っていた。昨日のハードさがウソのようだ。
Thanks!
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自転車に乗ることで、実はサンフランシスコは自転車に優しい街だと知った。
道にBike専用Laneがたくさんある。

夕暮れの帰り道。
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自転車通勤で帰宅途中の人と重なる。
エコなサンフランシスコライフ…。
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自転車は、自分の中に点在していた風景を線で結んでくれる。

「あっ、この道は、この風景につながっていたのか!」

その瞬間、ちょっとした感動がある。

サンフランシスコが、また違う表情を見せ始めた。

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「生活」と「人生」は違う

なぜサンフランシスコで、シリコンバレーの傍にいながら、
薦められた梅田望夫の本ではなく、たまたま手に取った
遠藤周作の方に惹かれるのだろう…。


「生活」と「人生」は違う。遠藤周作の言葉だ。


日本には「生活」しかない、と彼は言う。
仕事や名声、社会的地位などは、その人にとって「生活」の領域に属するのだと。
しかし、我々は生活だけで生きているのではない。
我々には社会的生活とは異なった個人的人生もあるのだと。


更に、彼はインドで、こう感じたそうだ。


インドでは生活と人生が一緒になっている。日本では生活しかない。



だから…、


おそらく、「キャリア」と「人生」も違う。
僕たちの世代,の多くはこれを分けて考えない。


あなたは、いま輝かしいキャリアを歩んでいるのかもしれないけど、
果たして、「人生」を生きているのだろうか。


「あなた」-「学歴や職歴など」=「あなたの生きている人生」だ。


もしかしたら、移項した方がわかりやすいかもしれない。


「あなた」=「学歴や職歴など」+「あなたの生きている人生」


学歴や職歴など「生活」の経歴をさっぴいた時に残るものが、
あなたの生きた「人生」の大きさなのだ。


コーチは、主に「生活」の分野を扱っている。
一方で、セラピストは「人生」を扱うのかもしれない。


僕は…、


そのどちらも扱いたい。
あなたが、より大きく、あなたらしいあなたであるために。



<補足>
以前このブログでちょっと触れたけど、
「芸術体験という真実があなたをつくる」

今週末日本に帰国するルームメートが、
キアヌ・リーブス主演の「Sweet November」を貸してくれた。
サンフランシスコが舞台の映画だ。

昨日、この映画を観た。

「生活と人生」、「キャリアと人生」、
つまり、「人生を生きるとはいったいどういうことなのか」。
今更だけど、いろいろな作品でテーマになっているのだなと思った。

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Blue Bottle Coffee

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ノースビーチに数ある個性派カフェではなくて、また別の話。


サンフランシスコでは、シアトル生まれのスタバやタリーズを
利用せず、バークレー生まれのPeet's coffee&teaに入るのが
正道かもしれない。高級感のあるdeepな味は、他の2つよりも
上のように思う。


でもね、それよりも、格段に美味しいのがある。
それが、Blue Bottle Coffee.


まだサンフランシスコに2店舗しかないけど(全米でもそうかな)、
コーヒーの味なんかにまったく詳しくない僕が、おおおっ、
これは違う、と唸ったぐらいだ。


オーガニック、無農薬、48時間以内に焙煎したコーヒー豆を使用。
あとサイフォン式と言うのが特徴、かな。


いつも長い列ができている。
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値段は、上記の大手チェーン店よりも少し高い。
でもそれだけの価値がある。


いつか日本でも誰かが始めるだろうか…。
もちろん、僕がやってもいいかもしれない。アハハ。


でも、そのぐらい違いのあるCoffeeだ。
機会のある方は、ぜひ!
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FAMILY CONSTTELATION

Flyer2
















今日のファミリーダイナミクスのクラスで、
2度目のFAMILY CONSTELLATIONのワークがあった。
CONSTELLATIONとは「配置」のこと。


プレゼンテーターのクラスメートは、専門のファシリテーターの協力のもと、
クラスメートを使って、家族のメンバーをマッピングする。


選ばれたクラスメートは何も演じる必要はない。
ただ、その役割で、その位置、その体の向きに置かれて、
何を感じるか、自分の心に思い浮かんだものをコメントする。
http://ookina-ki.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-04f7.html


今回、プレゼンテーターとなったクラスメートの父親は、
アカデミー賞も受賞している著名な映画音楽監督。

彼女の物心がつく前に両親は離婚。その後、父親は再婚し、二児を儲ける。
プロセスではいろいろあったものの、現在は、全員が良好な関係で、
年に複数回揃って食事をしたり、旅行をしたりするという。

このスプリングセメスターも自宅のあるロスに全員が集まったということで、
クラスの前にカフェで会うと、こんなことを言っていた。

「今、私の家族に何も問題はないと思うわ。今回もすごくいい時間を過ごせたし。
でも、もし何か自分の中から出てくるなら、それはすごく楽しみ!」

写真まで見せてくれた。


といわけで、FAMILY CONSTTELATION。


役を割り振られた人は、その位置で自分が何を感じるか、
その時、湧きあがってくるものをただ述べるだけ。
セッションはとても静かに進む。


でも、


なぜ毎回こんなにインテンシブになるのだろう…。
「○○という感じがする」、ただこれだけのコメントが続くだけなのに。


そのあとに続く沈黙と、その配置が、何かのイマジネーションを掻き立てるのだろうか。


「確かに、そう感じたことがあったわ…」
「○○は、よくそういうことを言うの…」


プレゼンテーターのクラスメートの目が、次第に潤んでくる。
インストラクターのJudyeが、彼女にそっとティッシュを手渡す。


人は自分の感情を素直に掘り下げた時、他人と繋がることができる。
素直に掘り下げるとは、意図の入らない感情を探るということ。
つまり、それは深いゆっくりとした直観だ。


ちょっと変な考え方かもしれないけれど、
人は、自らの感情に静かに深く降りて行くと、大きな感情の地下水脈に出会う。
それを通して、人は、他の誰の感情とも繋がることができるのかもしれない。


その位置とその関係図の中で、家族役を割り当てられたクラスメートは、
時空を超えて、明らかにその家族の感情の本質を代弁しているように見えた。


改めて、FAMILY CONSTTELATION。
位置の持つ力と、人の直感にフォーカスした不思議なメソッドだ。

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