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2009年3月

“CIIS”という水族館

California Academy of Science。
http://www.calacademy.org/
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ゴールデンゲートパークに新しくできたミュージアム。
一貫したコンセプトの元に、熱帯林や水族館、プラネタリウムなどが
入っている知的な空間です。


入館が25ドルもするのに、毎日、大勢の人で混みあっている。
年間パスポートを購入して、何度も訪れる人が多いのだとか。


で、ここのB1Fはワンフロアが水族館になっている。
特別に大きな魚や必見の何かがいるわけでもない感じなのだけど、
何だか、美術館を回っているような感覚になる。
要は、とても美しいのだ。


大きさも色も種類も多様な魚たちが、まるで本物の海底のように
デザインされた大きな水槽の中を泳いでいる。
しばし、時を忘れて眺める。
Aqua












ある瞬間、目の前の風景がサンフランシスコと重なった。


僕はいま、サンフランシスコという水族館の、CIISという水槽を泳いでいるだけ
なのかもしれない。


そこには世界中からいろいろな魚が集められている。
一見、ダイバーシティ。僕は自由に泳いでいると思っている。


でも、本当はどうだろう。


そこは、明らかに“用意された環境”なのだ。
泳ぐ動線は計算されているし、実は水温だって、照度だって、水流の強さだって、
餌の時間だって決められているのだ。


誰かがつぶやく。


CIISは、海じゃない。


僕はそのことをもっと深く深く認識する必要がある。
海は、どこだ。

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Multi-Generational Transmission Process

Murray Bowenと言うFamily Therapyの大家が提唱した
Multi-Generational Transmission Processという概念がある。


それはどういう概念か。


簡単に言うと、


「家族の抱える問題は引き継がれる。そして、代々の積み重ねがピークに
達したとき、その先端にいる特定の子孫に精神分裂病が発症する」
ということだ。


もう少し具体的に説明すると、


「ある問題を抱えた家庭の子供が成人する。そして、別の、
やはり問題を抱えた家庭の子供と結婚する。

なぜなら、問題を抱えた子供は、同じような問題を抱えた子供と
引き合う傾向にあるから。

両家庭からの問題は、それら子供の家庭に引き継がれる。

そして、その子供夫婦の間にできた子供(孫)は、前の世代と同様に、
両サイドからの問題を自らに内在化してしまう。

更に、その子供(孫)は、別の同じような歴史をたどってきた家庭の
子供と引き合い、やがて結婚をする。その孫夫婦の子供たち(ひ孫)もまた…。」


Murray Bowenによれば、そうやって代ごとに問題が蓄積されていき、
数代後に、精神分裂病の子どもが発症するのだという。


彼のセオリーが、本当に正しいかどうかはわからない。


でも、僕たちは、無意識にたくさんのものを代々引き継いで、
現在(いま)にある、そして、それらを無意識に次代に引き継ごうとしている、
ということは、今一度、立ち止まって考えてみる必要があるかもしれない。


僕たちはいったい何を引き継いで、何を引き継ごうとしているのか。


それらは目に見えるものとは限らないからやっかいだ。
例えば、夫婦としての在り方、関係の作り方や維持の仕方、
言葉づかいや口調、表情や目線…。つまり、家族のコミュニケーションスタイルだ。
それらのほとんどは、無意識に行っている癖の領域かもしれない。


語弊があるかもしれないけど、
悪しきコミュニケーションスタイルは、まるで“放射能汚染”のような
特徴があるということだろう。世代を超えて、子子孫孫に悪影響を及ぼす。
(もちろん、良いコミュニケーションスタイルは、良い影響を及ぼすのだろうけど)


自分が、無意識に家族から引きついでいる癖や思い込みを明確化すること、
意識的に把握すること、理解することが、そのネガティブサイクルを
断ち切る第一歩となる。


さて、僕の場合、それはいったい何だろう。
そして、あなたの場合は…。

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Differences between Eastern and Western culture

CIISのクラスメートが面白い情報を流してくれた。

欧米とアジアのカルチャーの違いを、イラストで分かりやすく表現している。
作者は、ドイツ在住の中国人らしい。

青 --> 欧米人
赤 --> アジア人

1.Opinion

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確かに、欧米人はロジカルに、話の結論に最短距離で迫っていくんだろうな。
アジア人は、その結論に行くにも、それを取り巻く人間関係を考えたり、
タイミングを考えたり、相手の気持ちを考えたりして、いろいろ、
クネクネする。

2.Way of Life
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欧米の「個人主義」とアジアの「集団主義」の違い、かな。
「人は自立して最終的に独りで生きていく生き物なのか」。あるいは、
「人は協力し合って生きていく社会的な生き者なのか」。
どちらの前提に立つかで、生き方が違ってくるということだろう。

3.Anger
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この違いはわかりやすい。自分を振り返ってみても。
CIISでも思う。アメリカ人は感情を分かりやすく表現するなあ、と。
ただアメリカ人と言ってもいろいろで、アフリカ系とラテン系は、
更にわかりやすく表現するように思う。男女では、どうでしょう…。

4.Queue when Waiting
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順番の待ち方。
そうだなあ…。日本において、トイレやレジの並び方で、空いている所に
それぞれ別々の列をつくろうとするのは、欧米的にあまり評判が
良くないようですぜ。最近の東京では、少し離れて一列を作って、
空いたレジやトイレに順番に行くようになってきていると思うけど。
えっ、違うかな。

5.Me
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欧米人は、まずは確固とした自分を中心に置いて、それから他者との関係や
物事を考えているよね。まず自分あっての世界だろうと。
我思うから我あるんじゃって感じ。だから環境に流されたり左右されにくい。
特に日本人のMeは環境に溶け込んじゃっているよね。日本語ではよく主語が
省かれるけど、その表れかもしれない。

6.Sundays on the Road
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スイス人と結婚をした友達が言っていた。「スイスでは日曜日はお店が
全部閉まって、通りが閑散としているの」。キリスト教圏の文化と
仏教圏の文化とでは「日曜日」に関する捉え方が違うんだろうな。
そう言えば、敬虔なユダヤ人のクラスメートは、全15回のうち一回だけ催された
日曜日のクラスに、宗教上の理由で参加できませんと言って本当に出席しなかった。

7.Party
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確かにアジア人は、みんなで何かをやりたがる。司会でも企画でも、
とにかくみんなで何か、一帯感を作れるものをということで頭をひねる。
会話をストップさせて無理やりにビンゴとかゲームとかやっちゃう…。
欧米では、パーティは会話を楽しむもの。社交とは、「場」ではなく、
「個」と「個」で間で行われるのが基本なんだろうなあ。

8.Travelling
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最近、なんでアジア人は写真を撮るが好きなのかなって考えてたんだけど…、
実はこれも、「集団主義」の影響なんだろうなって感じてる。
写真を撮れば、後で、家族や友人と擬似共通体験としてみんなで楽しめるものね。
そう、僕たちは、自分のためでもあるけど、それ以上に他の誰かのために一生懸命、
写真パチパチしているのだ。

9.Handling of Problems
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「目の前に在るものや、環境に働きかける」のか。
「目の前に在るものや、環境を受け入れる」のか。
これって、「開発」と「共生」の違いだったりするんだろうか。
ちなみに、「君子、危うきに近寄らず」って、右側の赤いアジアの絵のスケールを
とてつもなく大きくしたものじゃないだろうか。
欧米なら、君子こそ、逃げずに危うきに率先して取り組んで解決すべきだろうから。

10.Elderly in day to day life
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核家族が中心となった今でさえも、やっぱり孫と一緒に過ごせるのが、
年老いてからの代表的な「幸せのカタチ」ってイメージが僕にはあるなあ。
この右側のアジアの赤い絵の後には、大家族の存在を感じる。
でも同時に、年老いてからの自立っていうのも大事なんだろうなあ。左の絵のように。
これからは、とくに…。

11.Shower timing
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うん…、確かに。僕は朝晩両方派だけど。今の時代に、もし「シャワーは
一日一回だけ!」という法律ができたら、どっちを選ぶだろう…。
朝シャワーの方が、実際的な気がしないでもないけど。

12.The Boss
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日本に比べてアメリカでは、Bossに限らず、親、先生に対しても、
付加的な「へつらい」は限りなく無いように思う。「個人」として人間は
対等なんだから。もちろん、社会的な立場の違いからくる機能の違いは
認めているんだろうけど。でも、それによって、絵にあるように、
人間が特別に大きくなるようには捉えない。
アジア人のこれって、かなり儒教の影響があるような気もするけど、どうだろう。
昔は、BOSSも先生もみんな年上だったから、年配者と言うことで、
その経験から来るであろう人間性の豊かさに対して敬意を払っていた。
年下のBOSSや先生が増えてきた今後は、この大きさは、
だいぶ左の絵に近くなっていくんじゃないかなあ。
でもさ、CEOの給料の高さから言うと、アメリカは明らかに右だ。

13.The child
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先日、サンフランシスコで興味深い光景を見かけた。
アメリカ人のカップルが肩をガシッと組んで歩いている。
そして、その2メートルぐらい後方を、3歳ぐらいの娘がパタパタとつけて歩いている。
アジア人のカップルなら、常に子どもは二人の間にいたり、手を引かれていたりして
いそうだけど。
欧米の家庭では、あくまでも夫婦が中心、且つ主役で、子供は脇役みたい。


というわけで、ちょっと長くなりました。失礼しました。


以下が、これらの絵のあるオリジナルサイトです。
http://www.mountainrunner.us/2008/01/differences_between_eastern_an.html


では皆さま、良い一日を!

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風光明媚

今週、大学院はSpring Break。
久しぶりにサンフランシスコの海の近くを歩きました。


僕の出身は、千葉県の九十九里浜、の近く。
親元を離れてからは、東京はもちろんだけど、
横浜、博多、神戸と海に縁のある街で暮らしてきた。
海や水のある風景は落ち着くんだな。


昔、日本を車でぐるぐる旅したときにこんなことを感じた。


通り過ぎた名前も知らないたくさんの港町。
それらは四国でも北海道でも、つくりや匂いや空気が似ていた。
それは漁に生きる人たちの「生活」の色合いだったように思う。

同じ港街でも、観光都市サンフランシスコにそんな色合いはない。
港のあるFISHERMAN'S WHARF一帯は、観光客相手のお土産物屋や
シーフードレストランがひしめいている。
言うまでもないことかもしれないけど、ここは、Peet'sのコーヒーを片手に、
風光を楽しむ場所なのだ。


僕はFERRY BUILDIUNGの前からEMBARCADEROを西に、
路面電車に乗った。
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FISHERMAN'S WHARFの喧騒を避け、その先のAQUATIC PARKへ。
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FORT MASONと、そこから眺めたGOLDEN GATE BRIDGE。
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途中にあるPALACE OF FINE ARTS。
この6月、ここでCIISの卒業式が催される。
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更に足を伸ばして、GOLDEN GATE BRIDGEへ。
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少し南下して、サンフランシスコの西端にある、SUTRO HEIGHT PARKで夕陽を眺めた。
この向こうが、日本だ。
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懐かしい歌詞が思い浮かんだ。


海は 広いな / 大きいな / 月が のぼるし / 日が しずむ
海に おふねを / うかばせて / 行ってみたいな / よそのくに


僕はいま、その「よそのくに」にいる。
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University of California, Berkeley(カリフォルニア大学バークレー校)

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Tシャツ一枚で歩けるような天気に恵まれた今日、
UCバークレーを訪れてきた。

キャンパスのシンボル、Sather Tower。
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そこからキャンパスを眺めてみる。吹き抜ける風が気持ちいい。
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UC Berkeley Art Musium(美術館)と…、P3190147











Phoebe A. Hearst Musium of Antholopology(人類博物館)にも
足を伸ばしてみた。
人類博物館は、その展示物以上に、そのとても力強い
明確なミッションが印象的だった。
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今年に入ってからのキャンパス訪問は、スタンフォード大学、SFSUに
続いて3校目。

http://ookina-ki.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/stanford-univer.html
http://ookina-ki.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/san-francisco-s.html

UCバークレーも想像以上に美しい大学だった。


このキャンパスには色濃い文化が流れている、と感じた。
「感情系の雰囲気」、とでも言うのだろうか。その点は、「理性系」の
スタンフォード大学とは大きく違う。
周辺のオシャレなアベニューの雰囲気が流れ込んでいるからなのか…、
キャンパスに「別世界観」「閉じてる感」がない。その点はSFSUとも違う。
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アメリカの大学らしい素敵な風景にもたくさん出会えた。P3190035
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夕方、サンフランシスコ三田会で知り合った、現在、UCバークレーの
博士課程でナノの研究をしているT君と待ち合わせた。
忙しい研究の合間を縫って研究室を案内してくれた。


ちょうど授業をしている教室があったので、外から一枚。
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彼は慶應を卒業後、東大の修士課程に進み、そして昨年、
UCバークレーの博士課程にやってきた。
いま、28歳の新進気鋭の教授の研究室に属して、日々研究に
打ち込んでいる。


「結果を出さないのなら、来期から契約を更新しない」
教授から、日々、そうプレッシャーをかけられながらの研究活動だそうだ。
アメリカでは、研究者の世界も競争は熾烈だ。


僕は彼に聞いてみた。

「こちらの研究室の学生の質って、日本の学生と比較して、どう?」

「うーん、そうですね…。質は変わらないと思うんですが、やる気が
違いますね」

「やる気?」

「ええ。日本ではまずは修士課程に2年行って、それから博士課程を
どうするか考える人が多いんです。こちらの学生は、初めから
5年間研究する覚悟で入ってきてますから」


彼はアメリカに来て、研究者にこそコミュニケーション力が必要だと
痛感しているそうだ。専門性の深さだけでは不十分で、やり手の教授に
なればなるほどプレゼンもうまいと。そのためには、研究室に籠って
ばかりではだめだ、と。この地で、いかに人間関係を広げていけるかが大事だと。


やらなきゃいけないことは、本当にたくさんある。
確かに、UCバークレーはそんな刺激に溢れていた。
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Top dogとCoach、Under dogとTherapist。

Gestaltセラピーのクラスで。


二人組を作る。
クライアント役は、自分の“Under dog”から生じる問題をセラピストに話す。
セラピスト役は、それに対して自分の“Top dog”に生じるアドバイスを
クライアント役に伝える、というワークがあった。


Gestaltセラピーの理論によれば、人間の心には二つの側面があり、
常に対立と葛藤がある。


その二つとはTop dogとUnder dog。


Top dogは、
「こうあるべき」「そうしなければいけない、してはいけない」と
自らに縛りを入れて、自分を社会的、理性的、現実的な方向に
導こうとする。


Under dogは、
「こうしたい」「絶対に嫌」と、まるで子供のようにあるがままに
振る舞い、時には、「どうせ…」とか、「無理だよ」と防衛的に、弁解的に、
被害者の立場に自分を置こうとする。


二つの間の葛藤とは、Top dogの命令に対するUnder dogの不平不満のこと。
両者の対立が心的エネルギーを消耗させる。


それをどう解消すべきか…。


実は、この考え方そのものよりも、それに続いたインストラクターのGreyのコメントが
僕の興味を引いた。


「Top dogの世界を扱いたいのならコーチになるのも手よ。
Under dogの世界を扱うのがセラピストなの」


ふむ…。
Top dogの世界を土俵に選ぶのがコーチで、
Under dogの世界を土俵に選ぶのがセラピストか。


主にTop dogに働きかけて、外部環境に実際に働きかけていくのがコーチで、
主にUnder dogに働きかけて、内面世界を癒していくのがセラピスト。


こう捉えると、二つの世界に求められるバックグランド、スキル、
アプローチはずいぶん違うもののようにも思えてくる…



マル。

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フィットネスクレイジー

先週の土曜日に初めて行ったGym、Sava Poolは朝6時から開いている。


その方が空いているだろうと、月曜日、無理して朝5時半に早起きして
出かけてみた。まだ、外は真っ暗だ。


おおっ、暗闇に、Gymの明かりが煌々と照っている。
まずは、ちゃんと空いていたことに感動した。
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すると、どうだろう。
僕の予想に反して、広めに設定された5コースには、既に、
1コースあたり平均4人は泳いでいるではないか!


さすが、フィットネスクレイジー大国 アメリカだ…。


みんな速い。常連か。その割に、太い。


僕も、そんなみなさまに迷惑をかけないようにと、全力で泳いでしまった。
日本人の性(さが)だ。早朝から20往復。1キロ。休みなし。


疲れた。でも気持ちいい。


実は今朝も行ってきた。
僕も、きっとクレイジーだ。


余談だけど、


泳いでいるとき、ふと考えた。


泳いでいると気持ちいい。それはなぜなのだろう。


…。


その瞬間、僕は「Here & Now」を生きているからだろうか。
それとも「無」、つまり何も考えていないからだろうか。


…。


おっと。
前からターンしてきた人とぶつかりそうになった。

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百年樹人(ひゃくねんじゅじん)

いまファミリーダイナミクスのクラスでプレゼンをするために、
祖父母の代からの家系図を作っています。


スカイプとメールを駆使して、日本にいる両親から、彼らの若かりし頃の写真や、
今は亡き祖父母や、いとこ全員の写真を手に入れたり、はとこの名前を
確認したり、なかなかのワークロードです。


というわけで、写真の年代はバラバラながら、一応、
簡単な顔写真付きの家系図が出来上がりました。


ざっくり眺めてみる。ふむ…。


このブログではTJ SUZUKIとなっている僕の本名は、
鈴木大樹(たいじゅ)。


自分で言うのもなんですが、良い名前、と思う。
特に、「たいじゅ」という呼び方が。


家系図に出てくるたくさんの名前を見比べても、特異な名だ。
匹敵するのが、母方の祖父の名前の「亀吉(かめきち)」ぐらいだろうか…。


しかし、だ!


実はもっと珍しい、意味不明の名前が、僕のひとつ上にあった。


その名は徳樹(とくじゅ)。


そう、僕の父だ。
この名前の由来は長らく不明だった。父も両親に聞きそびれたと言っていた。
その祖父母は今、天国にいる。よって確認しようがない。


今回、この家系図を眺めていて、改めて不思議に思ったので、
ネットで調べてみた。


あっ、まったく興味ない方、身内の話でごめんなさい。
でもここから、ちょっといい話かも。


というわけで続けると…、


出てきたのが、以下の管中の「管子」百年樹人の一節。
管中とは、中国の春秋時代の斉の名宰相。


「百年樹人」
一年の計(はかりごと)は、穀を樹(う)うるにあり
十年の 計 は、木を樹うるにあり
百年の 計 は、徳を樹うるにあり

(一年之計莫如樹穀 十年之計莫如樹木 終身之計莫如樹人)

一年にして、利を得ようとすれば、五穀を耕すにまさることはない。
十年にして利を得ようとするなら、木を植えて育てるのにまさることはない。
百年にして利を得ようとするなら、徳をほどこすにまさるものはない。


つまりは、人の育成の大切さを説いている。


はあ、ここから来ているのか…。
深い意味のある名前じゃないか!と少し感動した。


企業だったらこんな風に言えるかもしれない。


「百年樹風」
1年の計は、営業力を強化することにあり。
10年の計は、人材を育成することにあり。
100年の計は、風土を醸成することにあり。
                        by TJ

こんな時代だからこそ、社内に風を樹(う)えよう。
ではまた。

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“Here & Now“と“I feel Message”

CIISの日本人が中心となってつくっているマインドフルネスグループがあって、
初めて参加してきました。


今回の集まりの約束事は極力削られていて、「何でも話していい」
「人を傷つけるような発言は慎む」という大きなもの。
ある意味、チャレンジングな試みと言えるかもしれない。


通常、エンカウンターグループでは、「Here&Now」と「I feelメッセージ」
が約束事の柱になることが多い。つまり、「今此処(いまここ)」で「感じていること」
を話すのだ。CIISのグループのクラスではそれを叩き込まれる。


今回、その約束事が無いことによって、逆にその約束事の“意味”が
僕の中でとても明確になった。それがとても良かった。


まず、Here&Now(今此処)「以外」の話をされると、聞き手はどうなるか。
例えば、過去や未来の話。これをされると、周囲の聞き手と話し手は、
体験としての接点がないので、聞きながらその話を「理解」しなくては
いけなくなる。すると、自分の気持に意識が向かずに、頭に向く。


すると、「なるほど」「本当かな?」「こういう考えもあるのでは?」
「そういえば自分にも…」という会話が、ごじゃんと頭の中に飛び交う。


結局、遅かれ早かれ、聞き手の僕は内面の会話に忙しくなり、
相手の話を「聞けない」状態になる。


しかし、「今此処」には、「その場から湧き上がってくる気持ち」という共通体験がある。
それは頭を通さずに、互いの気持ちに直にアクセスできる基盤となる。



次に、I feel「以外」のメッセージを使うとどうなるか。
例えば、Youが主語となるようなメッセージ。


こんなケースが考えられるかもしれない。


いろいろな発言が飛び交ったあと、誰かが
「あなたはとってもユニークな考えをお持ちだ」
「あなたと出会えたことが今日の成果だ」と発言したとする。


すると、どういう感情が周囲に起こるだろう。
あくまでも可能性の話だが…。


「もしかして、他の人の考えはユニークではないのか?」
「他の人との出会いはどうなんだろう?」


本人がそう意識せず、善意で言っていたとしても、
そこには微妙な「評価」が入る。
その評価が、グループにダイナミズムを引き起こす。


「ユニークなことを言おう」
「もっと良いことを言おう」


その結果、どうなるだろう。


刺激的な場になるかもしれない。
でも、そこはもう何でも言える安全な場、ではないのかもしれない。


人は、評価の匂いに敏感だ。


そう言えば、ビジネスのミーティングでは、リーダーや上司の何気ない
一言が、場の空気をつくっていた。


もちろん、ものを決めるミーティングで「Here & Now」「I feel」ばかりやられたら、
物事が前に進まない。そこにはまた別の約束事が必要だ。


どのやり方も一長があり、一短がある。


個人的には、
分けずにうまく融合させたいものだ、と思う。


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Gymで泳ぐ

サンフランシスコは、スポーツの春、らしい。


今日も近くの公園では、


少年野球。P3150031











青年バスケ。
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中年テニス。
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更には、端っこの方で太極拳に勤しむ老人たち。


年齢によってきれいに分かれている。


ふむ…。


さて、僕は今日、プールで泳いできました。
サンフランシスコに来て初めて!


日本では10数年間、毎週2回、ジムで泳いでいました。
なので、サンフランシスコでも、「泳ぎたい泳ぎたい、でも、お金がお金が」と、
常々思っていたのでした。


ところが、なんと、今週の火曜日、家から歩いて10分の場所に、
公営プールを見つけたのです。CHARLIE SAVA POOL。
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一回4ドルなり。中を見せてもらうと、どうも出来たばかりらしく、きれい。

いいじゃない!

早速、翌日の水曜日に行く。
ところが、点検のため休み。手書きの張り紙がしてあった。
他に来た人も諦めているし、まあ、仕方ない。

翌日の木曜日に行く。また閉まっている。「あれっ?」と思う。
中にいるスタッフに尋ねると、「実は、水の濾過機が壊れている。
思いのほか、修理に時間がかかっている。明日は大丈夫だ。
技師もそう言っている」とのこと。

さらに翌日の金曜日に行く。すると、何とまた閉まっていた。
今度は、タイプしたオフィシャルバージョンで故障のためと書いている。
ヘイヘイ、と思う。他のお客も呆れていた。


でも、ふと思った。


実は、これも称賛すべきアメリカの一部なのではないか、と。


僕たちは、「アメリカは自由の国だ!」と称えながら、
「MUNI(バス&メトロ)がよく遅れる」と文句を言ってはいけない。
おそらく、それは自由の美徳と裏表一体なのだ。


僕たちは、「日本の電車はオンタイム!」と称えながら、
「日本の生活は慌ただしいのよね」などと文句を言ってはいけない。
おそらく、それは勤勉の美徳と裏表一体なのだ。


「アメリカはとっても自由の国!且つ、電車はいっつもオンタイム!」
という風にはならないのだ。それには無理があるのだ、おそらく。


だから、今回の件でも
「日本ならそんなの2時間で直すぞ!なんで、連絡もなしに、
修理に3日間もかかっとんねん!」と、僕のように怒ってはいけない。


「君はまだ、この自由な国アメリカをよくわかっていないようだね、
ふふん」と笑われてしまう。でも、誰に笑われるのかは知らない。


というわけで、4日目の土曜日の今日、初プールでした。
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水につかると、体中の細胞が歓喜しておりました。
思わず1キロ、泳ぎました。おかげで、いま眠いです。



<補足>
こちらのプールはどんな流儀なのだろう、
日本と何が違うのだろうとドキドキしていたのですが…。

案の定、ロッカーに鍵がない。でも、となりの人は立派な鍵を持っている。
「どこで手に入れたの?」と尋ねると、「鍵は自分で持ってくるんだ」とのこと。
ほう、自己責任か。クールだ。
その人の鍵はこんな感じ。キラッ。
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コースは、上級、中級、初級に分かれている。泳ぐときは、
日本と同じく、コースを左側通行。でもアメリカの道路は、
右側通行じゃなかったっけ?この違い、いったいどういう感覚なんだろう。

サンフランシスコでは、刺青もファッション。
日本のジムだと入場を断られてしまいそうな刺青をした人たちもいる。
今日、間近でその刺青を眺めてつくづく思った。その柄は小学生が
描いたみたいな鳥だったり、花だったりしている。とても大味だ。
もう少し、何とかならなかったのか…。でも本人は満足そうなので、
当然のことながら、僕は何も言わない。

というわけで、今日一日の体験からだけど、日本と比べて、
こちら方が、遅い人が速い人にコースを進んで譲るように思う。
「場」と「空気」が読めないはずなのに(?)、そこにはちゃんとパブリックマナーがある。
僕は日本ではジムを4つ経験したけど、コースを譲らない人が多かった。

でも、もちろん、いいことばかりじゃない。日本の方が優れていることもある。
だから、このブログで小さな声で言おう。

アメリカ市民よ、全員とは言わないが…、
泳ぐときには、スイミングキャップをかぶりなさい!

このプール、しばらくハマると思います。

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芸術体験という真実があなたをつくる

この3月いっぱいで約1年半のサンフランシスコ生活を
終えて日本に帰るルームメートと、今朝、キッチンで立ち話をした。


彼女は一昨年の11月にサンフランシスコにやってきた。
なぜなら、キアヌ・リーブス主演の映画「Sweet November」が
大好きだったから。そのサンフランシスコが舞台のラブストーリーを
僕は知らなかった。


彼女は、昨日日本からサンフランシスコにやってきた妹をドロレスパークに
案内するのだという。なぜなら、そこはその映画のラストシーンに登場する
場所だから。


彼女は、その映画についてイキイキと語ってくれた。
僕と同じサンフランシスコの風景の中で暮らしていても、
彼女の中には、僕とはまったく違うものが見えているのだろうと思った。
豊かで、甘美で、透き通った何かを。


僕にとっては日常の生活シーンが、彼女にとっては別次元の眩しい
人生のワンシーンになる。映画に疎い僕は、そんな彼女を羨ましく思った。


「人生体験の事実ではなく、芸術体験の真実が創造性を生む」


遠藤周作の言葉だ。小説家の人生にだって、毎日、感動的で、人生を
考えさせてくれる示唆に富む出来事なんかめったに起こらない。
これまで読んだ音楽、絵画、文学などの芸術作品が、自分の
小説家としての創造性を支えてくれている、という文脈だった。


僕は、日本の田舎育ちだ。豊かな自然の中で育った。
芸術には、本当に疎かった。大学1年生の5月、サークルの女の子が
自己紹介の趣味の欄にモネとかダリとか書いてあるのを見て、
いったい何のことだか皆目見当がつかなかった。


僕はずっと人生体験が創造性を生むのだとばかり思っていた。
直接経験だけが自分を育てるのだとばかり思っていた。


ずっと海外に興味があった。大学4年生の時、念願だった内閣府主催の
「東南アジア青年の船」に乗った。その時、外国では日本のことばかり
聞かれるので驚いた。もっと驚いたのは、自分がそれに何一つ満足に
答えられないことだった。


それからは、まずは日本を知ろうと、外国への興味関心は封印した。
そして、日本を旅した。京都、奈良に何度も訪れた。平泉にも行った。
出雲大社にも伊勢神宮にも鳥取砂丘にも屋久島にも知床にも四万十川にも、
注目される前の黒川温泉にも石見銀山にも行った。
鎌倉や浅草は言うまでもない。すべては日本を直接体験するためだった。


それはそれでとても良かったけど、時間とお金がかかるのが難点だ。
だから、僕は世界に飛び出るのにえらい時間がかかっちまった。


そんな僕からこれから世界に飛び出ようとする人に一言伝えたい。


一昔前は、日本の古典芸能や純文学を知っておくと良かったかもしれない。
でも、今は違う。


Haruki Murakamiの小説と、Takeshi Kitanoの映画。


これらには一通り目を通しておくように。


これらの作品について、自分の感想と自分の考えを自分の言葉で
述べれるだけで、あなたは、自立した日本人として、目の前の人と
繋がっていける可能性が高くなる。一目置かれる可能性も高くなる。


芸術体験の真実が、あなたの人間としての深さと奥行きを作ってくれる。
それを通してつくられる人としての魅力はグローバルに通用する。


健闘を、祈る。

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体の感覚、体の知恵

体が甘いものを欲する、酸っぱいものを欲する、果物を欲する、
お肉を欲する。これ日本人には分かりやすい感覚だと思うのだけど、
どうだろう。体はちゃんとその時、自分に必要なものを知っている。


今週のGestalt Therapyのクラスで、この体の感覚の話が出たのだが、
これは、アメリカ人のクラスメートには、頭では理解できても、
感覚として分かりにくいらしい。


アメリカ人の視点だと、
「体の欲するままに行動したら、『Addiction(中毒)』になってしまうんじゃないか」
と不安に思うようだ。


おそらく、心と体は別物で、理性ある心が本能の肉体をコントロールしている
という暗黙の前提があるのだろう。


でも実は、体には、命に直結した知恵がある。


その体と、心のコミュニケーションが何かの理由で途切れてしまう。
その結果、心と体に統一感がなくなってしまう状態、
あるいは、体の声が無視され、心の欲求に極端に走ってしまう状態。
それが「中毒症状」なんじゃないかと思ったりする。


それは例えば、
体はアルコールに悲鳴をあげているのに、心がアルコールを渇望する。
あるいは、体は栄養を求めているのに、心が頑なに食べることを拒否するetc。


もし体と心のコミュニケーションがスムーズであれば、
命を健全に保つ上でバランスのよいレンジに落ち着くんじゃないだろうか。


繰り返すと…、


命に対して、体はいつも正直だ。でも、心はしばしばウソをつく。


もし、その体の正直な感覚を頼りに心身のバランスを回復できるのなら、
体に注目したGestaltのHere and Nowやソマティクスというカウンセリングアプローチは
面白い。


そう、ここで余談だけど、以前、僕はサンフランシスコに多い、
ベジタリアンという“アイデンティティ”に少し抵抗を感じると書いた。
それは体の声を、頭の知恵で押さえつけているような、不自然な感じが
するからかもしれない。


いずれにしても、体の知恵にフォーカスすることは、心によって抑圧された
「本来の自分」を取りも戻そうとする試みでもある。


体の知恵を人生に取り戻す試みは、次の時代の波だ。

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Family TherapyとIndividual Therapy

ファミリーセラピーのクラスで、2週続けてビデオを観る機会があった。
先週は、C.Whitaker。今週はV.Satir。
二人とも、ファミリーセラピー界の重鎮だ。


実際に家族をセラピーしているセッションのビデオだった。


家族をセッションするとは、どういうことか。
それは、親と一緒に子供もいるということだ。


何をあたり前のことを、と思うかもしれない。


でもね、子供は幼児だったり、青年だったりする。
つまり、幼児の場合だと、セッションの最中にワイワイガヤガヤ、
あっち行ったりこっち行ったり。脈絡なく話しかけてきたり。
子供は一人の場合もあるし、二人、三人、いやもっと、の時もある。


思春期の子供の場合だと、ムスッとして何も話さなかったり、
我関せずとよそ見してたり…etc。


つまり、1on1のセッションの雰囲気とは、かなり違う。
何をどう仕切るか、そこにセラピストの個性がわかりやすく出る。


さて、それぞれのビデオの中で、二人はとてもよくしゃべっていた。


Whitakerは男性。
とても型破りなスタイル。服装はラフ。
粗野な言葉遣いで遠慮なく家族のタブーに突っ込んでいる。
皮肉もたっぷりだ。日本語で雰囲気を伝えようとすると…、
「ん、あ?そりゃ、おめえ、ちがうんじゃねーの」みたいな感じ。


V.Satirは女性。
とても大らかで、世話焼きのお婆さんと言う感じ。
とてもきちんとした身なりをしている。特筆すべきは、
セッション中にスキンシップを多用する。ボディワークもたくさんする。
その指示を出しながら、家族の感情を共有させていく。
そんなスタイルだ。


いずれにしても、僕のイメージするセラピストとは大違い。
そこで、インストラクターのJudyeに質問をしてみた。


「二人とも、僕のイメージするセラピストのコミュニケーション
スタイルとは程遠いのだけど…。果たして、彼らのしているのは、
セラピーと言えるのだろうか?」


Judye曰く、


「確かに、Family Therapyは、Individual Therapyに比べて、
こうやらなきゃいけないという制約は少ないわ。セラピストのスタイルには
かなりの幅があるの。それが、私がFamily Therapyが好きで、この道を
選んだ理由の一つね。もう一つは、Family Therapyは後発のジャンルだから、
フロイディアンの影響が少ないということもあるかもしれないわね。」


ちなみに、Judyeは、セッション中に、ファミリーに起こるダイナミズムや
変化に直に触れた時、1on1のIndividual Therapyに対する興味が
一切消え失せて、Family Therapyの道で生きていこうと決めたのだとか。


なるほど。


さて僕はどうだろう…。

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高度経済成長時代の生きざまに触れる

先月参加したサンフランシスコ三田会でお目にかかった
慶応の大先輩K氏のご自宅にお邪魔してきました。
(K氏の正体がバレないように?、逆光の写真を使ってみました)
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財閥系一流企業の元商社マンで、現在、貿易コンサルティング会社の経営者。
アメリカ生活30年。本当に気さくで飾らないお人柄。サンフランシスコ三田会の顔と
言われている名士です。


実は、先の三田会ではお話しする時間もなく、残念に思ったので、
「宜しかったらお話を聞かせて頂けませんか?」と後からメールを
打ったのでした。


その時、当日、同じテーブルだった「自称おやじキラー」M女史と、
同じく「自称おやじキラー」Y女史の二人のBeautiesにも声を掛けていました。
本当に自称通りなら、確度が高まるかなと思って。
(まさにその通りでした!)


当日は、K氏行きつけのイタリアンレストランで、Mummの
赤ワインを飲みながら、楽しいひと時を過ごしました。


その時の話から、K氏は実はクリントン元大統領がアーカンソー州知事の頃からの
昵懇の間柄で、その後の大統領選挙も傍で支えていたという有名な経歴の方だと、
知りました。


お昼のあとは、Embarcaderoの高層ビルディングにあるご自宅に
お邪魔し、お茶とデザート三昧。奥さまも交えて、時間の経つのも忘れて、
再び話を伺いました。それにしても、ベランダからの眺めが……。
P3090020_2










K氏は高度経済成長時代を全力疾走してきた世代。
僕はバブルをぎりぎり知らない世代で、
後輩のM女史Y女史は就職氷河期世代。


それぞれ、経験してきた「日本」が違う…。


もともとパワフルな二人が、さらにパワフルなK氏の話を聞いて、
「日本に、会社を使って無限の可能性を追求できて、何でも実現できるんだと
自分を純粋に信じて働けた時代があったんだなと知って、日本人としての
プライドを確認できたような気がします」
と言っていたのが印象的だった。


ちなみに、二人のBeautiesの苗字は外国姓。
日本を飛び出て、現地の企業で働きながら、十二分に逞しく、しなやかに、
美しく生きている。


ああ…、ふと思った。


僕は今、自分の思ってもいなかったところで、狭い枠の発想をしていないだろうか。
未来の生き方も、保守的に縮こまろうとしていないだろうか。
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(Beautiesの年齢がバレないように?、ピンボケ写真を使ってみました)

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Big Basin Redwoods State Park

月曜日の今日、サーシャはドイツに帰国しました。
約3週間の休暇を終えて。


先の土曜日、これが今回の滞在の最後の週末ということで、
再び、Anneと3人でハイキングに行きました。


朝8時半にサンフランシスコを出発。
車でサンフランシスコを2時間ほど南下。


最高の天気に恵まれた一日になりました。
Big Basin Redwoods State Parkは海の近く。
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浜辺の駐車場に車を止めて、山に向かってハイキングコースへ。
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どんどん歩く。
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途中、大きな木が道に倒れていたり…、
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あるはずの橋が架かってなかったり…、
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急な坂道があったり…、
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大きな滝があったり…、
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イモリがいたり…。
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多様性に富んだ充実したコースでした。
ちなみに、遠くに小さく見えるのが、僕たちの出発地点だった浜辺。
P3080148








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コース後半の帰り道、山を照らす夕陽と、青空に浮かぶ白い月。
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18時にようやく出発地点の砂浜に戻ってくる。
ちょうど日没のタイミング。P3080317











僕たちは、海に沈む奇麗な夕陽と、それが茜色に染める砂浜を堪能したのでした。
P3080361










記念に3人で一枚。真ん中の影が僕。
P3080334










というわけで、Saschaとの最後のHike。


「まあ、またすぐ会えるだろ!」


と、カリフォルニアの大自然の中で、別れの挨拶もソコソコだった僕たちでした。
P3080344

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グループを観察する6つの視点

P3100002_2前回の続きです。

ファミリーセラピストの基本的な仕事の型は、
家族に安心して自分たちの問題を話し合える空間を
提供し、そして、セッションのあとに自分たちがそこに
見たもの、観察したものを家族に伝えることです。
もちろん、議論が滞れば積極的に介入します。

ファミリーセラピストは、当事者である家族には見えない、
家族の陥っている“パターン”を見抜く必要があるのです。


課題図書「The Family Crusible」によれば、その洞察をサポートする視点は以下の6つ。

1.Stress(ストレス)

どこから生じているストレスかによって、アプローチする場所が違ってくる。
そのストレスの種類は大きく次の3つ。

・The acute situational stress(外部環境から来るストレス)
深刻な病気とか転職とか引越しとか子供の誕生とか。

・Interpersonal Stress(人間関係からくるストレス)
家族、友人、職場、仕事上のつながりなど。
この本は、家族からくるストレスがもっとも複雑だと言っている。

・Intrapersonal Stress
(心の内部の葛藤からくるストレス)
それは、個人の過去に積み重ねられたものから生じている。
自分が育った環境から、自分が内在化してきたストレスのこと。

ちなみに、ストレスは、どの家族・グループ・組織にも存在する。


2.Polarization and Escalation(両極化とエスカレーション)
両極からのフィードバックの応酬がもたらす混乱のこと。
例えば、対立している者同士のするネガティブフィードバック。
相互のフィードバックはどんどん共振して、どんどん大きくなる。
そのエスカレートする共振の中で、そもそもの発端や、問題の本質は
覆い隠されてしまう。

ちなみに、共振しているその関係に、当事者が自ら変化をもたらすことは
難しい。なぜなら、共振している関係とは、ある意味、“安定している状態”だから。
そこに、外部の視点を持ち込めるセラピストの在意義がある。


3.Triangulation(三角の関係)
三角形のそれぞれの角をA(父)、B(母)、C(娘)としてみる。
例えば、BC(母娘)間で何か問題が生じているとき、その原因は、
果たしてBとCの間にあるのか。

いや、もしかしたらAB(父母)間にあるのかもしれない。

なぜなら、実はB(母)は、A(父)との間で起こっている問題を直視したくないために、
無意識にC(娘)との間に問題を引き起こしているかもしれないからだ。

そして、実は、A(父)も、AB(父母)間の問題を直視したくないと思っているために、
BC(母娘)間の問題を、そう意識せずに黙認しているのかもしれない。
この場合、C(娘)は家族のScapegoatになっている可能性がある。

問題の本質は、案外、表面上ではないにところにある。


4.Blaming(責任転嫁)
「犯人探し」のこと。多くのメンバーは相手が変われば、相手がいなければ
この「場」はもっと良くなるのにと考える。実はその瞬間、相手も同じことを
考えていたりする。

両者とも自分を非力な存在として位置づけ、被害者意識に陥っている。
そして、相手は、強力であり、自分の運命を左右するほどの大きな存在に
思えてしまう。互いを過大評価し、等身大の人間として見ることを忘れて
しまう。実は、相手の中に見ているその偏見は、自分自身の自己認識に
根差していることが多い。

本来、家族の構成員が向き合うべきは、特定の個人ではなく、自らの
属する家族やグループの持つシステムである。


5.Defusion of Identity(アイデンティティの拡散)
グループに所属するメンバーは、多かれ少なかれ互いに依存している。
それが個性の抑圧に繋がっていく場合がある。つまり、相互に強く
依存しすぎるあまり、その関係を揺らすような行為を直感的に慎むようになる。
個性の発揮と引き換えに、互いの関係は、ますます複雑で回りくどい、硬直した
定型パターンに陥ってしまう。この時、「個」は「システム」にコントロールされている、
と考える。

メンバーは、この硬直したシステムから逃れて、個性を取り戻すために、
問題を起こしていることが多い。


6. Stasis(停滞)
メンバーが深層意識下でもっとも恐れていること。
グループの未来と、そこでの自分の展望が描けない状態。

この状態に置かれると、メンバーの関係性は次第に冷めてくる。
そして、距離が生じ出す。

なぜそうなってしまうのかについては、自分がこれまで所属してきた
グループ(特に、家族)からの「擦り込み」がある。
我々は、感情的にならないように、感情の温度を低く設定するように
教え込まれている。したがって、感情的な問題が起こったとき、多くのメンバーが
有する唯一の選択肢は、相手から距離を置くことだけ。

実は、冷え切ったように見える関係の深層部では、お互いへの感情は
マグマのように存在し、絶えず出口を探している。


ファミリーセラピストとは、以上の6つのポイントを念頭に、メンバーが、
そのグループに所属しながら、真の自由と本物の親密さを享受するには
どのようにすればいいか、ということをメンバー全員と一緒に探究する、
そんな仕事なのです。


小難しく書いてしまいました。すみません…。

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The Family Crusible

P3100002










Crucibleとは「るつぼ」とか「厳しい試練」とかいう意味。
ファミリセラピーの課題図書だったんだけど、
本当に、示唆に富む内容が満載だった。
http://www.amazon.co.jp/Family-Crucible-Intense-Experience-Therapy/dp/0060914890/ref=sr_1_4?ie=UTF8&s=english-books&qid=1236389460&sr=8-4


組織やグループのダイナミズムの基本を考える上でも、
「場」の考え方にも参考になる。


Family Therapyを扱ったこの本には、1on1のアプローチに対して、
僕が持っていた疑問に対する一つの回答があった。


その疑問とは、


「クライアントは、セッション中には症状が改善されたり、
元気を取り戻すかもしれない。でも一歩、カウンセリングルームを出れば、
そこには以前と変わらないシビアな現実が待っている。
その環境に働きかけない限り、クライアントの症状の本質的な解決に
つながらないのではないだろうか…」ということ。


ファミリーセラピーの基本的な考え方は、家族のメンバーに、
あるいはメンバー間に何か問題が起こった場合、それはその当人の、
個人の問題ではなく、家族全体のシステムに何か不具合が起こっていると
考える。


ここで言う家族のシステムとは、家族が組織化されている方法のこと。
言い変えると、家族の構成員のコミュニケーションの取り方であり、
日々の関わり方のこと。


だから、ファミリーセラピーでは、対処療法的に、個をフォーカスするのではなく、
問題の本質に迫るために家族全体にアプローチするのだ。
その点が、問題を抱えた当人だけをその環境から切り離して、
個人の内面に1on1でアプローチする従来のカウンセリングと大きく異なる。


この本自体は、実際のセッション風景をベースに、物語形式で話が進むのだけど、
いくつか家族というグループを観察する時のパースペクティブが提示されている。
それを次回、簡単に紹介したい。

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Here and Now(いまここ)

「Here and Now」の概念は、Gestalt Thearpyの大事な柱の一つだ。
なぜクライアントの意識をそこに向けることで、治癒に導けるのだろう。
不思議だ。


あまりにも不思議だったので、
それについて、今日、図書館でじっくり考えてみた。


これまでのところの理解。


クライアントは、
今この瞬間にしている解釈で、過去を悔いている。
だからその時、その心は過去を感じている。つまり、心は過去にある。


クライアントは、
今この瞬間にしている解釈で、未来を憂いている。
だからその時、その心は未来を感じている。つまり、心は未来にある。


では、そのクライアントは、
「今この瞬間」に、「今この瞬間」をどう解釈しているのだろうか。
「今この瞬間」に、何を感じているのだろうか。


Gestalt Therapyでは、まず五感について質問をすることで
クライアントの心を今に戻すところから始める。たぶん。
過去や未来に思いを患うことがないように。


ところで、どうだろう。
人は、「今この瞬間」に、今を解釈することは可能なのだろうか…。


いや、何も起こせないんじゃないか。
だって、「知覚したものを認識して、解釈する」にはタイムラグが
あるだろうから。解釈した頃には、それは「いまここ」じゃない。


おそらく「今この瞬間」に確かなものは、
「背中がモゾモゾする」「胃がムカムカする」
「顔が熱い」「疲れ気味~」という体の感覚のみだろう。


うん、それのみだ。


では、その感覚たちはいったいどこから来るのだろう。


実は、本当に病気の場合を除けば、その感覚さえも、
過去や未来に対して今この瞬間にしている
自分の「解釈」から来ているのかもしれない。


それに気付いた瞬間に、その“不快感”はどうなるだろう。


あれれ、その字から、不の字がとれた。だって解釈だから。
およよ、快の字もとれた。だって解釈だから。
あらら、「感」だけになっちゃった。


っていうことになるんじゃないだろうか。


するとその時、僕に残ったのは…、


Here and Nowの「感」。


感 …。


それだけ。


クールだ。


実際に書きながら自分の体で試していた。
すると、確かに、胃のあたりの不快感が消えた。


ん?!ほんとうか!?

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Frits Perlsの距離

私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
私は私。あなたはあなた。
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

~ゲシュタルトの祈り Frederick Perls~


ゲシュタルトセラピーのクラスで、Perlsのビデオを見た。
2時間ぐらい。


インストラクターのGreyは、「グロリアと3人のセラピスト」の Perlsのセッションは、
彼としてはクオリティがよくないと、僕たちに違うビデオを見せてくれた。


そのビデオ、Perls72歳ぐらいの時のものらしい。
ちなみに、グロリアのビデオは、おそらく60歳前後の時ではないか、とのこと。
二つのビデオの彼を比較してみるのも面白いかもしれない。


でも、残念ながら、僕がクラスで見たそのビデオをYou Tubeで見つけることが
できなかった。おそらく、その年齢と近いと思われる頃のもので、比較的、
画質の良い映像を見つけたのでご参考まで。


なんだか、二つ同時に流すと変な感じだ…。


さて、ビデオ鑑賞の後、クラスで。


予想通りだが、
ロジャース的な傾聴をスタンダートと考える多くのクラスメートに
Perlsのウケはよくない。


クライアントとクライアントも思わない、 “暴虐不尽”というか、
“唯我独尊”的なアプローチに映るから。


ひっきりなしにたばこを吸うのも私はダメ、という
今の時代ならではの反応も多かった。


僕の印象は違ったけど…。


クライアントが目の前で怒ろうが、泣こうが、おもねろうが、
Perlsのクライアントに対する距離は変わらない。
物理的、というよりも、彼の心理的な距離が。
まずそれが印象的だった。


何があっても、Perlsは変わらない。
クライアントとの間に、距離と空間を保ったまま、自分らしく振舞う。


いや、それは正確な言い方じゃない。


彼は、その距離と空間を相手に与えているのだ。


そこには「ここで俺は俺であるから、あんたもあんたであれよ」
そんな気持のよい突き放し感がある。
まず自分からそうすることで、相手にもそれを促す。
自分からカタチを崩して見せてあげる、そんな優しさがある。


彼のたばこは、いつも左手に持たれている。
その手は決められた軌道以外にはあまり動かない。


話す声のトーン、スピードが変わらない。
クライアントが嘆こうが、叫ぼうが、ずっと一定だ。
その無いようで…、実はある、ある種の一定感が、
クライアントとの間に妙な安心感を醸し出す。


それら全ての要素が、彼の独特の容貌と相まって
Perlsという空気をつくっている。 というような意図を込めて、クラスで発言をした。


英語では残念ながらとてもこんな風には語れない。
でも、まあ何とかニュアンスは伝わったらしい。


「お前の視点は、とってもクールだ!!!」


インストラクターのGreyと複数のクラスメートから賛辞が飛んだ。

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「心は底の抜けた鍋である」と仮定してみる

「怒りや悲しみなどの感情を抑圧すると、それは本当に溢れるのだろうか」


実は、ほんのちょっと疑っている。


そもそも、それは、心とは、器や鍋みたいに「形あるもの」と思っている
前提から来ているんじゃないだろうか、と。


仮に、


「心は底の抜けた鍋である」


こう考えてみたらどうだろう。


いくらで放り込めるよ。どんな感情でも。
底がないんだから、「抑圧」しようがない。


じゃあ、その抜けた先はどうなっているのか?
どこに繋がっているのか?


それは簡単。


宇宙だ。


だって、人の内面は、小宇宙と言うじゃない。アハハ。


僕たちの体は、宇宙の成分と同じだ。
だって宇宙誕生から、地球誕生、生命の誕生と考えてくると、
全部が同じ成分からできていないとおかしい。ロジカルな帰結だと思う。


だから、物質的な肉体だけじゃないく、目に見えない心の
ようなものだって、宇宙と同じ成分でできているんだろう。


その宇宙。今も膨張しているらしい。
そして、今日もどこかでブラックホールが誕生している。
結局、宇宙だって、底の抜けた空間、と考えて差支えない。
だから、ネガティブな感情の行く先なんて心配しなくていい。


いやいや、そもそもその感情だって宇宙と同じ成分で出来ているんだから、
宇宙にリサイクルされるよ。


というわけで、


感情なんて発散させなくてもいい。
自分の心にどんどん放り込め!
それはあなたの内側を通して、宇宙に抜けていく。


こんな仮定からスタートしたら、どんなカウンセリングが生まれるんだろう。
その時は、「西洋心理学」に対抗して、「東洋心理学」とでも名付けようか。


ああ、実は、今日、なんだか熱っぽいんです。
早く寝ます。

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埋まらない距離…。

ファミリーダイナミクスのクラスでは、毎回、クラスメートの
家族についてリアルな話題を採り上げる。


前回は、クラスメートが実際に家族を連れてきての、
ライブなセッションだった。今日はクラスメート2人が、
「Constellation」と「Psychodrama」という手法を使って
それぞれ1時間20分ずつのセッションを行った。


「Constellation」。辞書には「配置」とある。


本人も含めた家族の役に指名された人は、本人のイメージに従って、
教室に「配置」される。誰と誰が近くて、あるいは疎遠で…。
それらが、位置はもちろん、互いの距離、体の角度、などによって
表現される。


専門のインストラクターが呼ばれて、当事者のクラスメートとの
コラボレーションのもとに「配置」が作られて行く。
そのインストラクターが持ってきたFlier(ちらし)から。
P3030001










とてもシンプルなんだけど、そのぶん観客の想像力を喚起するのか、奥が深い。
能と一緒かな…。


役を振られた人は、何も演じない。ただ、全体の中のその位置、
その体の向きに何を感じるか、「今此処(いまここ)」で感じた
ことをただ伝える。


僕は、そのクラスメートとコンフリクトのある、離婚した父親役だった。
位置や角度を変える度に、僕はその位置から何を感じるか
インストラクターから尋ねられた。


クラスメートの心の傷は、本当に深いものだった。


そのコメントは、父親に対する「悲しみ」と「怒り」の、終わりのない繰り返し。
仕方ないのだけど、父親役の僕に対しては、控え目だけど、
辛辣なコメントがたくさん飛んできた。


クラスメートは言う。
「自分は、あなたが離婚した母親の人生を背負わされている。」


それに対して、インストラクターが指示を出した。
「その重荷がこのクッションだと思って、父親(役の僕)に渡してみて。」


クラスメートは、僕にクッションを渡すとき、小さな声で何かを呟き、
僕をドンと軽く突いた。僕は思わず後ろによろめいた。
心に痛かった。


結局、最後まで、クラスメートの父親に対する距離は埋まらなかった。


彼の深い悲しみが嫌というほど伝わってきていた僕も、安易に、
ハッピーエンドの終わり方を意図したコメントはしなかった。


セッションが終わった時、インストラクターが役を演じたメンバーに
「最後に何かある?」と尋ねた。


僕は手を挙げて、


「これは、俺から」


と、クラスメートをハグした。


僕から申し出たのだけど、クラスメートは、1分間ぐらい無言で
僕をずっとハグしていた。長くて、強くて…、そして、
体が震えているのが伝わってきた。


クラスの終わりにJudyeがシェアをとった時、
そのクラスメートはこう言った。


TJが「父親からのハグ」と言わなかったことが嬉しかった。
だから、素直にハグを受けることができた。
その心遣いに感謝している。





<補足>
実は、今日、もう一つの「Psycho Drama」の方でも、
クラスメートの父親役を振られていたのでした。

家族の構成員の役割を割り振られた各クラスメートは、
実際にその家族にインタビューをして、セッションのテーマや役作りに
必要な情報を仕入れる。僕の場合だと、台湾に住むクラスメートの父親と、
現在、アメリカに短期留学をしている妹に電話でインタビューをした。

そして、Judyeが僕たち模擬家族に対してライブな
セッションをしたのです。

いやはや、何となくそれらしい雰囲気になるので驚いた。

というわけで、今日は2つ続けて、約3時間も演じっぱなしだった。
ヘロヘロだ…。

えっ、TJ、たくさん指名されて人気あるじゃないって?
どうもありがとう。

実はこのクラス、男が二人しかいないんだな!

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それはHealing Art(ヒーリングアート)…、だったのか

先のブログで、
もしかして「CIISという環境はGloomy(憂鬱、陰気)」なのでは、と書いた。
http://ookina-ki.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/gloomy-5c30.html


実は、先週のGesutalt Therapyのクラスでその発言を実際に
してみたのでした。アハハ。


クラスメートの反応はどうだったか。


ほとんどの生徒が「えっ?そんなことはないんじゃない」と
疑問と否定の反応。


その中で、インストラクターのGreyだけが、
わが意を至り!と、満面の笑みで賛成してくれた。


「そのとおり、賛成するわ!あそこはひどい場所…。
窓も少ないし、本当にGloomy。実は、そういう理由もあって、
このクラスは、MIssionの校舎ではなく、ここ、Churchの
カウンセリングセンターで行っているの」


(フフッ、ほら見ろ!どうだ、感じる人には感じるのだ)


と、僕が心の中で一瞬そう思ったかどうかはさておき、
一例としての物的証拠をみなさまと共有しようではないか。


校舎にいったついでにパチパチ撮ってきた、学内にかけられている絵の数々。
どれもけっこう大きな作品で、壁にバーンとかけられている。
卒業生の書いたものが大半なのだろうと思うけど…。
とくとご覧あれ。
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P2280119














P2280133_2 














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どう?やっぱり僕の思い込み?
(だったらスミマセン…)


実はね、CIISでクラスメートと接していてよく感じることがある。


あなたは、将来、誰かを癒そうと思ってここに来たのか。
それとも、とにかく自分が癒されたくて来たのか。


だから、CIISで飾られているアートを観ていても強く感じるのかも。


あなたはこの絵を、観る人を癒そうと思って描いたのか…。
それとも、自分が癒されるために書いたものなのか…。


えっ、両方?


そうっすか…。
まあ、無くはない、のかな。


いや、

プロフェッショナルとして生きるなら、両方が完全に同じ
バランスというのはないんじゃないかな。やっぱり。
僕はそう思うよ。
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ジョギングコースをご一緒に

雨も上がり、気持ちよく晴れ上がったので、
久しぶりにジョギングに行った。


いつも同じコース。
近くに、「Stern Grove & Pine Lake Park」という、
夏には無料ライブ・音楽会が催されることで知られた公園があるのだ。
P2270039













ご近所紹介も兼ねて、そこまでご一緒に。


早速ですが、家の玄関を出る。
P2270015











そして右方向に走り出す。するとこんな風景が広がっている。
P2270020











走りながら、視線を左に向けると、
こんな風に家々が並んでいる。
P2270014











突きあたりのVICENT St.を右に折れる。
そして、まっすぐ。
P2270023











この左手に野球グランドを眺めながら走る。
テニスコートとバスケットコートもある。みんな自由に、
勝手に、楽しく使っている。


次の道を左折。突きあたりのここを、グニーーーーンと右に曲がる。
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道なりに1分ほど走ると、左手に公園の入口がある。
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白い柵の向こうは、急な坂道。
そこを降りていく。P2270036











すると、右手に、「もうちょっと整備された感じの東京大学の三四郎池」
みたいなのがある。渡り鳥のオアシスになっている。P2270041












そこを抜けると、緑の芝生が目の前に広がる。
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いつも、犬を連れた散歩の人たちがいる。
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こちらの犬は、よくトレーニングをされている。
まず、吠えてきたり、飛びついて来ることはない。
同じコースを走る僕を追い越して行ったり、P2270090











真ん中の芝生で
寝っ転がったり、それぞれの時間を楽しんでいる。
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と、アメリカンなワンちゃんたちを信頼しきっていたのだが…、

あるワンちゃんにカメラを向けたら、
サンフランシスコで、はじめて吠えられ、飛びかかってこられた。
なんとなく、このワンちゃんの緊張感、伝わります?
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この写真のあとは、興奮したでっかいワンちゃんたちに囲まれて、
いやはや、噛まれるかと思った。


さすがアメリカのワンちゃん、プライバシーには厳しいぜ。


さて、それ以外は、いつもいたって平和なこのコース。
考えをまとめたり、深めたりするのにとてもいい。


京都には「哲学の道」がある。
茂木さんが書いていたけど、考え事をするには、脳が思考に
耽ることのできる、余計な気の散ることのない慣れた道を歩くのが
良いらしい。それが脳をいい感じに思考のゾーンに導いてくれるというのだ。
西田先生が、外からの余計な刺激をうけることなく、
ぼーっと?、自分に沈殿しながら哲学することができた道、ということなのだろう。


僕の場合、そこまで格好よくも、おおげさでもないけど、
慣れ親しんだ、このジョギングコースはイイ感じだ。
かなり気分転換になる。だいたい3周。


そして、なんと、実はこの公園の奥に、
「もう少しエコロジーな感じを追求した日比谷野外音楽堂」みたいな
ステージがある。ここで夏、音楽会が開かれるのだ。
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舞台の上から、ガランとした観客席に向かって、


「Hey folks !」


と言ってみた。
当然のことながら、何の反応もない。
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というわけで、ここから引き返す。
お疲れ様でした。

なんだか…、何と言うこともない内容で、
失礼いたしました。


明日のサンフランシスコは雨らしいぜい!!!!

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