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2009年2月

“Human Pace”なMUNI

もう違和感も何もなくなったけど、
サンフランシスコのMUNI(バス&メトロ)は、決してHigh Paceではなく、
かと言ってLow Paceというわけでもなく、日本と違ってPunctualでは絶対になく…。


そう、何と言うか、イイ感じに“Human Pace”です。


最近は、坂の向こうから登ってくるMUNIから、えっちらおっちらと、
声が聞こえるようになってきたような気がする(な、わけないか…)。


Lラインと、
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JラインP2250008











働く人もHuman Pace。
昨日のWest Portal Stationで、こんなことがあった。
というよりも実によくある。


MUNIがしばらく動かない。運転手が交代するらしい。
やや遅れてきた交代の運転手、手にWalgreens(ドラッグスストア)の
袋を抱えている。そして、満面の笑顔で、


「いやあ、買い物に時間がかかっちまったよ」


そして、40秒ほど同僚と談笑をしてから、運転をしだす。
買い物袋をドサッと運転室において。

生活が職場に入り込んでいる。
こういうの、日本ではあまり見なくなった光景かもしれない。
妙に新鮮だったので、運転室に置かれたWalgreensの袋の証拠写真。P2170052













ちなみに、MUNIが遅れることはしょうっちゅうだ。
理由はいろいろだ。ドアが突然閉まらなくなって、ストップしたり。

壊れて開かないドアがそのままになって、
「Out of service」と手書きの張り紙がしてあって、
そのまま運転されていたりもする。

これはMUNIがサロンパスをして仕事をしている感じかな。
(痛てて、痛てて…って感じで)
本当にHumanな感じなのだ。


話変わって、最近のHot Topicsから。


Lラインのとても太った黒人の運転手。
その人が、MUNIの車内放送を全部、広東語で話す。それも得意そうに。
このエリアはチャイニーズが多いのです。


彼が放送をしだすと、周りの中国系アメリカ人が「あれっ、今日は変だな」と
お互いの顔を見回す。ただ、続く、英語の放送がない。


というわけで、それ以外の僕たちは、何を放送しているのか
わからない。


もしかして、過剰サービスではないのか?!


といっても、なんにも車内放送をしない運転手もいるから、
その辺は、各自の自由らしい。Human Paceだ。


こんなこともあった。


Churchと30thにある教室に行くためにJラインに乗った時。
むっ、何かが動いたぞ!と思ったら、でっかい犬だった。
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別に、盲導犬というわけでもない。
飼い主に連れられてただMUNIをご利用しているのだ。P2180088











別の日。
僕がいつも利用しているLラインの終点は、San Francisco Zoo(動物園)。
先日、乗り込むと、車両の後方で何やらバタバタ音がする。


運転手に声をかけられた。


「おう、兄ちゃん、中に鳩がいっぱい入っちゃってさ。
まあ気にしないでくれ。終点はZooだから、そこで降ろせば
ちょうどいいだろ。ガハハ」
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鳩が、僕の脇の通路を、前に飛んで行き、後ろに飛んで行き、を繰り返す。
5羽ほど…。


というわけで、サンフランシスコのMUNIは、Animal味にも溢れているのでした。


補足)
MUNIは、Lineにもよるのですが、日本と比べたら、スリとか、
ドラッグ・アルコール中毒らしき人とか、安全面はいろいろです。
そういう意味では“Human Base(?)”、と言えるのかもしれません。

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それは儒教の影響なのか

アメリカ人のクラスメートと話をしていると、自分と比較して、
「本当に感覚が違うんだな」と身近に思うようなことがいくつもある。


最近、特に感じるのが、「子々孫々」の考え方の違いについて。


僕なんか、子供は欲しいタイプだけど、それを言うとき、
自分とバイオロジカルに遺伝子の繋がった子供、というのが
暗黙の前提になっている。


でもね、もちろん全員とは言わないけど、
僕の周囲のアメリカ人の考え方はけっこう違う。


CIISの寿司仲間でミュージシャンのChipと、
その彼女Brendaのカップル。二人とも20代後半で、
この9月に結婚予定。


「俺たちは子供はつくらないよ。ブレンダも同じ考え。
子供が欲しくなったら養子をもらえばいいしね」


クラスメートの30代のLisa。


「私、養子がいいわ。絶対に中国人がいいの。
本当は日本人がいいけど…。日本人の赤ちゃんは少子化で
手に入りにくいから。中国人の赤ちゃんは、中国政府の政策も
あって、ほら…」


僕が「ずいぶん感覚が違うんだね。日本じゃ、まったく他人の子を
養子にするって、少なくとも僕の周りじゃ一般的じゃ無かったよ」と言うと、


「どうして?親のいない子どもがたくさんいるんだから、そういう子を
養うってとてもいいことじゃない」


ふむ…、そういう話の展開になるのか。


子供が欲しいなら、それは実際的に「子供が欲しい」ということであって、
別に遺伝子の継続性は無くても良い、ということなのかな…。


それって、僕には、ペットを飼う時の感覚に近いように思えるけど。


他にも、どこに自分の中の「儒教」を感じるかというと、こんなケース。


CIISのクラスメートと話していると、
父がアル中、姉がコカイン中、甥がゲイ、叔父が刑務所、母が鬱…。
こんな話が日常でサラッと出てくる。


日本人の場合、そういう家族の事情は、古い感覚かもしれないけど、
「それは一家の秘密?、タブー?、時に、恥?」なんて言う捉え方で、
蓋をしようとしないだろうか。
「家柄」や「遺伝の問題」として、周囲からの一族に対する評判を
心配しないだろうか。


ずっと昔、高知県幡多郡の過疎の村に遊びに行った時、
あそこの血筋はイイ、そこの血筋は悪い…、というのが結構、
お年寄りの井戸端の話題になっていた。


「あんたも血筋のいいところから嫁を貰いなさい」と。
お世話になったお婆さんからも諭すように言われたし。


人を、家で見る。格式で見る。血筋で見る。系図で見る。
韓国はもっとすごい、と英語学校の韓国人の友達から聞いたけど。


ところが!


僕の知る限り、アメリカでは、あくまでも個人。私は私。


肉親がアル中だろうが、コカイン中だろうが、芸能人だろうが、
大経営者だろうが、自分は自分。まったく別の人生なのだ。
そう!まったくの別もの。気持ちイイぐらいに。


ちなみに、人が精神疾患になる理由は、先天的か、後天的かよくわかっていない。
CIISではそう習った。もちろん、先天的にそういう資質があるのかもしれない。
でも、それが発症するかしないかは、本人が置かれた環境にもよるのだ。


ゲイやレズビアンも、似たような構造らしい。
ゲイの両親に育てれても、子供はゲイにならないし、
ゲイの両親から生まれた子どもがゲイになるとも限らない。


話を戻すと…、そう。
自分の中に、意外や意外に「儒教」の影響らしきものを
発見する毎日です。

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Glooooooooomy(憂鬱な、陰気な)!

なんとなく元気が出なくて、クラスメートとも左程、積極的に
コミュニケーションをとろうも思えなくて、その理由がよくわからなくて、
サンフランシスコの霧のように悶々としていた2週間ほどでした。


理由がわからん、何でかな、どうしてかな?


と思っていたら…、


ようやく昨夜、腑に落ちました。


その理由は…、


「CIIS的なもの!」


先日久しぶりに、ある友人からメールが来ました。
その人はCIISの卒業生でもあるのですが、
こんな趣旨のことを書いてありました。


「福祉とか心理の世界にいる人は心にトラウマを抱えた人が多いから、
気をつけないとその世界に引き込まれてしまうの」


なるほどな、と思った。


CIIS自体が大きなCounseling Roomのような感じなのだ。
でも、まあ、カウンセリングを勉強する場は、国の内外を問わず
みんなこんな感じなのだろうけど。


クラスメートと話しても、トピックスは内向きなこと多い。
内面のプロセスの話が中心で、パワフルに未来を描いて、
そこに向けて元気にビューーン!!!という話には、
まずならない。


クラスで聞かされるシェアは、価値はあるけど、ほとんどがGloomy。


たとえば、先日のクラスで、実際にクラスメートの親族が来ての
ライブなファミリーセラピーのセッションがあった。


分かりやすく言うと、こういう話だった。
クラスメートの幼少時、父親が、妻を殺めて国外に追放。
父親は中国、ビルマ、タイ等を転々として、現在の所在は不明らしい。
その父をアメリカに戻したい一部の親族がいる。
弁護士によると、再入国は違法らしいが、可能らしい。
でも、もし彼が戻ってきたら、自分の命が危険に及ぶのが目に見えている。
だから、クラスメートはその親族と対立している。


その葛藤の日々とはどんなものだろう…。
いつもナイフを枕の下に置いて寝る日々とはどんなものだろう…。


自分の苦しい心の内を、同時に、僕たちにとって学びになる貴重なシェアを、
惜しげもなくしてくれたクラスメートには本当に感謝の気持ちしかない。


僕の日本での日常生活からは想像もつかない
映画や小説の中だけで存在していたような世界を生きている人たちが、
普段は僕の隣で普通に勉強しているのだ。


それがCIIS…。


クラスで読まされる本は、当然のことながらGloomy。
課題のレポートの内容もGloomy。
学内に飾られているヒーリングアートの絵もGloomy。
おまけにCIISの教室には窓が少ないからGloomy。
ついでにカフェでインドっぽい音楽が流れていると、僕としてはややGloomy。
とにかく、何かが、そこはかとなく、Gloomy 笑。


「CIIS的なもの」は、まるでミストのように知らないうちに僕に
まとわりついていたのかもしれない。


去年は、英語学校とダブルスクールをしていた。
物理的にはとても大変だったけど、ふたつの世界を持つことで、
精神的に大して影響を受けずにいられたということか。


誤解のないように言うと、
このCIISの雰囲気を気に入っている人の方が圧倒的に多い。
だって、オープンだし、多様性を尊重しているし、見ようによっては明るいし…、
はまる人には思いっきりはまる。


だから、僕が今感じている印象も、今後、行ったり来たりするの
かもしれない。


というわけで、ね。
悶々としていた原因が分かれば、後は動きようもある。


さて、僕はこのGloomyな環境をどう楽しむか?
ちょっとしたChallengeだ。

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Saschaと再会する/the Point Reyes National Park

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去年、英語学校で友達になったSaschaが、5か月ぶりにサンフランシスコに
戻ってきた。このブログにも何度か登場しているけど、AnneのBoyfriend。
どっちも僕の大の仲間だ。


Saschaは今、ハンブルグ大学で教壇に立っている。


今回、サンフランシスコに3週間滞在予定とのこと。
ドイツは、そのぐらいの長さの休暇が一般的。
そして、それでも経済は回っていく。日本といったい何がどう違うのか。


というわけで、3日前に「帰ってきたよ」と連絡があって、
いきなりサンフランシスコの北にあるthe Point Rayes National Parkに
日帰りハイキングに行くという話になった。
サンフランシスコから車で約2時間の場所だ。


僕たちは海沿いを歩くコースをとった。
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日本より少し肌理の粗い砂浜。
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それから、僕たちは海を離れて山を登った。
今日はあいにく曇り空。海と空の境界がだんだん曖昧になっていく…。
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そんな薄青色の世界に原色が落ちていた。
道沿いに一輪だけ咲いていたポピー。
カリフォルニア州の花だ。
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ハイキングの帰り、僕はサンフランシスコ市内にある
SaschaとAnneの家で食事をご馳走になった。


Saschaは料理が好きで、とても上手。
育ちがドイツ南部で、フランスとの国境近くで育ったせいもあるのだろう。
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Anneは「最近は、私も料理が上手になってきたのよ。
Saschaの見習いはもう卒業!」と、自らドレッシングをつくって、
サラダをご馳走してくれた。


それに対して、Sascha曰く、
「彼女の腕はまだまださ。何せ、ドレッシングも
バリエーションが一つしかないんだんから」。
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一皿作って、みんなで一緒に食べる。それを食べ終わると、
また一皿作る。作りながら会話をして、ゆったりとした時間が過ぎる。
それがドイツ流…。
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Anne曰く、


「ドイツではいつも食事のときはキャンドルを使うの。
アメリカでは特別の日にしか使わないけど。

天候が悪いドイツでは、いつもそうやって、いかに家の中を
楽しく過ごすかについて考える伝統があるの」


写真をとる以外、何となく手持無沙汰だった僕は、お茶の飲み方を彼らに教えた。
といっても「両手を添えて、2回ぐらい回して、柄のある表面は
相手に向けて飲むんだよ」と、そのぐらい。
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帰り際に思う。
次回は、僕が何かをつくらねばなるまい。


気になるメニューは…、


ジャパニーズ・カレー。


決定。

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寿司屋で、ちょっと振り返ってみる

今日は金曜日。

やらなきゃいけないことは山ほどあったんだけど、
クラスの後、CIISの親友、ChipとSushi Zoneに行った。
寿司好きのChipと3週間前から約束をしていたのだ。
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何度かこのブログでも登場しているSushi Zone。
http://ookina-ki.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/sushi_zone.html
月曜をのぞく毎日営業。17時開店。毎日満員だ。


今日も16:45に現地待ち合わせをすると、もう人が並んでいた。
運よく、第一群でお店に入ることができた。


もしこのブログを観て行く人があったら、いろいろなロールを食べて欲しいのは
もちろんだけど、ぜひ、AppetizerのSHIITAKEを試してください。
ものすごくイケます。
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なんて思いながら写真を撮ったら、入りきれずに次の回にまわってしまった
家族連れの女の子が、外で僕たちを見ている。

お先にごめんね~。パチリ。
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さて、Chipの専攻は、EAST & WEST PSYCHOLOGY。
東海岸のリッチな家庭の出身。いつも身なりが小奇麗でおしゃれで、
素晴らしい音楽の才能の持ち主でもある。
以前も紹介したけど、ここで聴けるのでぜひ。
http://www.myspace.com/chipcosby
近々、新曲を2曲アップロードすると言っていました。


9月に恋人のBRENDAと結婚をする。僕も何度か会ったことがあるけど、
とても明るくて、チャーミングな女性。おしゃれな二人は、
本当はいつもこんな感じだ。
M_a6755d95af4340d290dec405878c57e_4 












その貴重な「Hang Out(飲み)」仲間は、この6月にCIISを卒業。
その後、ヨーロッパ、カナダ、アイスランドあたりの海を
ハネムーンでクルージングして、来年から博士課程の生徒として
戻ってくる予定だとか。


実は他にも、この6月にAntholopology専攻のフレンドリーな
仲間たちが大量にCIISを卒業してしまう。そのほとんどが、
サンフランシスコ以外の出身だから、卒業後の進路もそれぞれ。


僕がCIISに来てから、僕の周りで滞留していた大事な時間が、
いろいろな方向に流れだす。


それは、昨年の苦しかった時期に見つけた居心地の良い澱みだったけど…。


感傷に浸っている暇はないや。どんどん人生を前に進めないと。
2009年Spring Semesterが始まって、今日でちょうど一か月です。
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(Sushi Zoneからの帰り道、Market Streetにて)

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Therapy、料金、そして自己探求

今日のクラスはProfessional Ethics and Law。
セラピーの料金をいかに設定するのか、ということが
話題になった。


インストラクターのMark Frommが言うには、
MFTの資格を持つ人の平均が1セッション120ドル。
Ph.D.の資格を持つ人の平均が同じく150ドル。


レンジとしては、だいたい1セッション70ドル~200ドル。
クライアントが満足している限りは、値段の決め方に上限はなく、
ただ、1セッション200ドルをチャージできるセラピストは、
あまりいないだろうということだった。


何が70ドルと200ドル差なのか、質問してみた。
Mark曰く、それは資格の差であり、技術の差であり、経験の差であり、
クライアント数の差であり、マーケティングの上手さの差であり…。


僕としてはイマイチな回答だった。


個人で払うに70ドル~はなかなか出費だ。
当然、クライアントは「保険」によるカバーを考える。
だからセラピストも保険会社との付き合いを考えなくてはならない。
ここはコーチングとの大きな違いだ。


他にも興味引いたのが、セラピストはセッションの記録をとることが
推奨されているが、それはクライアントに共有するためではないと
いうこと。要求されても提示するのは記録のサマリーのみ。
(その理由を聞きそびれました。次回にでも)


では何のために記録をとるかというと…、


①セラピストが自分用の記録として。
②もしもの訴訟のケースに備えるため。
③保険会社への証明のため。


というのが大きな理由なのだ。


なるほど…。コーチングとはずいぶん違うものだ。


今や、セラピーに求めるクライアントのニーズも多様になっている。
大きくは次の3つ。
①抱える苦痛、問題、症状を和らげる。
②苦痛は減らないものの、それとは別の成長実感、自己拡張感がある。
③純粋に自己を探求する。


今後、③のような需要がますます増えてくれば、それについて医療保険を
適用することついては何か議論が生まれるかもしれない。


いずれにしても、
いま直感的に思うのが、先日、スタンフォード大学やSFSUを訪れた時にも
感じたけど、自己成長や自己探求、大学院などの「超高等教育」は、今後、
ますます経済的富裕層の特権になるのかもしれない。


思うに、今や「教育を受ける」とは、人生の最高の贅沢であり、
道楽かもしれないのだ。


果たして、その時のコンテンツは何か、どういうメソッドなのか…。
そんなことを考えた。

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San Francisco State University(SFSU)

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最近なぜか、CIIS以外の世界観に無性に触れたく…。

今回は、前回のスタンフォード大学に続いて、
http://ookina-ki.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/stanford-univer.html
サンフランシスコ・ステート・ユニバーシティ(SFSU)を見学してきました。

特に、TESOL(英語教授法)では全米屈指の大学と言われています。
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案内してくれたのはルームメートの真那未ちゃん。
ホテルマネジメント専攻の2年生。
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ご厚意もあって、朝一番のマーケティングの授業に潜らせて頂きました。


大教室で僕を待っていたのは…、


いろいろな髪の毛の色。


昔、僕が抱いていた“アメリカ留学”に限りなく近いイメージがそこにあった。
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講師はスーツを着ている。
実際にビジネスに携わっている実務家らしい。

パワーポイントを使っての説明に、学生からはポンポン質問が飛ぶ。
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マーケティングのレクチャーを聴きながら、
昔々、疑問に思っていたことが蘇ってきた。


「そもそも論」で恐縮だけど、そもそもマーケティングって学問なのか…。


この疑問の前提は、本来、学問とは真理を探究していくものじゃないのか、ということ。
ここでいう真理とは、セオリーであって、まあ、半永久不変なもの、という意味だ。


でも、社会も、市場も絶えず変化している。
それにつれて、マーケティングのセオリーも変わっていく…。
だから思うのが、絶えず陳腐化していくセオリーって、いったい何なのだろう、
ということ。


例えば、僕がMBAを修得したのは10年も前。
もし僕が、そこで習ったことを、今も金科玉条のごとく、ビジネスシーンで
振り回しているのであれば、僕の頭の中は、かなり時代に取り残されている、
ということになるんじゃないか。


僕自身の経験から言えば、
MBAで1000近いケーススタディに取り組む目的とは、
「(意思決定の)反射神経を研ぎ澄ます」ということにあったように思う。
その後の人生で、どんな仕事についても大丈夫なように。


当時のケースの中身やセオリーなんて、こう言っちゃなんだが、覚えていない。


繰り返すと、マーケティングという「学問」分野。
現場の知恵が大学教授によってセオリーになった頃には時代が移り変わってしまう。


だから、マーケティングはその最先端にいる実務家たちの話の方が
圧倒的に面白い。


ちなみに、今日の講義の中心は、市場のセグメント。
マーケティングの基本だが、競合との差別化を打ち出すためにも重要だ。
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その説明を聞きながら、何かといえば、「人はそれぞれ違う!」と
「個性」と「違い」を強調する多様性と個人主義の国アメリカで、
マーケティングのセグメンテーション(市場を特性に応じて細分化し、
グループ化すること)の考え方が生まれてきたのは興味深い。


そうそう、余談ですが、今日のクラスはほぼ満員。
僕は遠慮して、椅子には座らず、大教室後方に立って聞いていた。
途中、遅れて教室に入ってきたのは日本人の女の子。
今日はあまり勉強する気ないのかな。床にペタッと座って、手帳を開いて、
プリクラを眺めてる。
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(おら、いま懐かしんどらんで、もっとレクチャー聞かんかい!)


と思ったけど、もちろん、口には出さず。当たり前か…。


クラスが終わると、近寄ってきたこれまた日本人の男の子とカフェに消えていきました。


(おらおら、お国仲間で固まらず、もっと散らばらんかい!)


と思ったけど、もちろん、口には出さず。これも当たり前か…。


最近、サンフランシスコで日本人若者を見ると、
無性に説教がしたくなる私でした。「お前ら、夢はあるのか?!」と。
はい、余計なお世話でした。すみません。


さて、クラスの後、「黒人の生徒が少ないのはなぜ?」と、
こちらは夢に向かって邁進中の真那未ちゃんに聞いてみた。


「サンフランシスコの家賃のせいじゃないかしら。
郊外に行けば、もっと安い生活費で済ますことのできる
他のステートユニバーシティもあるし」とのこと。

ちなみに、このキャンパス内にも学生用の宿舎があるけど、
住むだけで月約1000ドルだとか。


やはり、アメリカ社会の抱える格差なのか…。


学内のカフェに、ゲームコーナーがあるのには驚いた。
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(おらおらおら、なんでゲーム…)


とちょっと思ったけど、
そのゲーム機、日本製なのがわかってなぜかバツが悪かった。


そうそう、マーケティングのクラスで思ったのが、
英語のレクチャーがすごく聞き取りやすい。


それもそのはず、慣れ親しんだビジネス用語の
オンパレードだったから。


なるほど、僕がCIISで聞き取りで苦しんでいるのは、
心理学の専門用語に不慣れなせいもあったんだなあ、と。


他の世界を知ることで、自分の世界を相対化できる。
それによって、自分の固定観念に揺らぎが生まれる。


というわけで、陽射し眩しく、若さ溢れるSFSUのキャンパスでした。
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最近、ちょっと疲れているかもしれないかな、と思うあなたへ

CIISのクラスメートから、こんなショートムービーが送られてきた。
タイトルは“Validation”。


有効化、とか承認という意味だ。


とても素敵な内容だったので、ぜひ。


今日、いろいろあって元気がないかな、と思う人は、特にぜひ!


全編英語だけど大丈夫と思う。


Have a beautiful day !!!

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GestaltのClassで、Blue...

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Gesutaltセラピーのクラスで。


「あなたが人生の中で認識しているものの98%は、
                      自己の投影(Projestion)にすぎない」



これは、Gestalt Therapyの創始者、パールズの言葉だそうです。


ということは、あなたの認識していることのほとんどすべては、
あなたが作り出した空想にすぎない、ということになる。


例えば、好きな人ができる。


「あの人のここが好き!」


と酔うのは、単に、あなたは自分の要素や、あるいは、過去の何かの要素を、
勝手にその人に反映させているだけにすぎないということになる。
実際には、違うかもしれないのに。
(もちろん、2%の確率で本当にそうなのかもしれない)


だから、こういうことも言える。


「俺はあいつのここが気に入らん!」


これも、自分の中の要素を相手に反映させているだけ。
つまり、実は自分のことを語っているだけ、ということになる。


ああ、面白恐ろしや…。


というわけで、今日のクラスのテーマの一つがProjection(投影)。
それを体感するワークを行った。


このクラスは、全員が靴を脱いで、円形になって、床にダイレクトに座る。
インストラクターのGreyが、その円の真中に、ドサッと雑誌の切り抜きを
山のように置いた。


一人一枚、選ぶように、と。


それは、いろいろな雑誌から切り抜いたファッションモデルやムービースターの写真、
あるいは、商品広告から切り抜いた写真、抽象画のようなものetc。
人の写真が多いけど、サイズはいろいろだ。


そして、二人組になる。


Greyはこう指示した。


「自分が選んだ絵から、内面に浮かんでくる物語を相手に話しなさい」


Greyは、もう一つ付け加えた。


「なぜ、その絵があなたを選んだのかについても語りなさい」


で、その時、僕が選んだのは、冒頭の切り抜きだ。


何でこの絵だったのか…。


ちょっと寂しそうだ。孤独。でも、仮面をかぶって、帽子をかぶって、
全体を覆うような服を着て、自分の姿を相手に見せないようにしている。
自分では何も話さないけど、ギターを静かに弾く。
服装とは正反対に、僕はここにいるよ、と主張したいのだろうか。

窓の向こうには別世界が広がっている。僕が立っているのは、
その風景の中か。部屋の中か。それとも、また別の場所なのか。


ふむ…。
果たして、これは自分を語っているのだろうか…。


もしそうだとしたら、僕は、最初、これは去年のアメリカでの1stセメスターと
関連しているのかな、と思った。
知人が誰もいないサンフランシスコ、初めての海外生活、下手な英語、
初めて学ぶ科目に専攻…。


でも、それだけではなくて、思い出したのは、小学校に上がる前の頃の自分。
こういうポジションを取りがちだったかもしれない。
ありゃりゃ…。


ほらほら、だんだん思い出して、だんだんBlueになってきた…笑。


まあ、いいんですけど。どうせ空想にすぎないんですから。


では、なぜこの絵が僕を選んだのか…。


それは、おそらく誰も選びそうもない、目立たない絵だけど、
僕なら分かってくれる、と思ったんだろう。

素直に口に出して、一緒に何かしようと言えない。
扉を開けて待っているんだけど、横を向いてしまっている。
でも、本音では気づいてほしい…。

そういう絵を選んだ自分をほんのちょっとだけ嬉しく思った。
だって、そういう声にならない声で呼びかける「存在」に、
いつも気がついて、手を差し伸べてあげれるような存在でいたいと思うから。


そんなわけで、気分はBlueの帰り道。
JラインのMUNIでChurch Stationに向かう途中にあるDOLORES PARK。
高台にあって、景色が見下ろせる場所にある。
雨も上がり、ちょうど黄昏時。途中だったけど慌ててMUNIを飛び降りた。
Blueがとてもきれいだったので。
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ではまた!

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なぜアメリカのファミリーは…。

今日のサンフランシスコは、朝から大雨が降ったりやんだり。
僕の部屋の窓から撮った、今朝の風景です。
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さてさて、本題です。
なぜ、アメリカ人の家族はこんなに離婚が多いんだろう。
こんなに問題を抱えているだろう。


ファミリーダイナミクスのクラスに出てから、この1か月間、
ずっと考え続けている。


で、いま何となく、うっすらと感じているのが、
もしかしてアメリカ人の家族には、一人ひとりにRoleはあっても、
Positionがないんじゃないか…、ということ。


Roleは、Doing。つまり、役割を「果たす」こと。
Positionは、Being。ある決められた「位置がある」こと。


父親のポジション、母親のポジション、長男のポジション、
長女のポジション、次男次女のポジション、三男三女のポジション。
兄のポジション、妹のポジション…。


各人が決められたポジションに納まることで、
家族にStability(安定性)が生まれる。


で、アメリカの家族にはそれが、ものすごく欠けているように
僕には思える。


ポジションに比べて、ロールの流動性は高い。
だから、各自の果たすロールは、その家族の置かれた状況や、
環境によって、柔軟に、頻繁に変わったりする。


例えば、時に父親的なロールを長男が担ったり、
母親のロールをお姉ちゃんが担ったり。
まとめ役は、時に父親だったり、長男だったり。
叱るロールも、時に母親だったり、父親だったり。


もちろん、ロールは、ポジションとセットになっていることも多い。


ところが、ポジションとロールがあまりにもガチッと一体化して、
相互の流動性もなく、硬直化してしまうと、どうなるか。
個が抑圧された、とても窮屈なファミリーになるのかもしれない。
それなりに、安定はしているんだろうけど。
もしかしたらアジアに多い形態なのかな…。


だから、ポジションというと、もしかしたらヒエラルキーを連想する人も
いるかもしれない。

あるいは、それは、父親仕事、母親家事みたいな旧い概念で、
文化や時代背景による固定観念と結びついていると考える人もいるかもしれない。

ネガティブな側面からみれば、確かにそうなのかもしれない。

だから、アメリカの家族の中から「ポジション」という考え方が消えたのだろう。


ところが、そのポジションが無くて、ロールだけだとどうなるだろうか。


家族の中に自分の居場所は決まっていない。
自分を家族のどこに位置付けるのか、都度、判断する必要がある。

もちろん、果たすべきロールはある。
個人の意思を尊重するから、家族内でロールがバッティングしたり、
誰も果たさないロールが出てくるかもしれない。

おそらく、「型」がない分、Dynamismが生まれやすいのだろう。
でも、Stabilityはどうだろう…。

個人的に思うのは、Positionがあるということは居場所があること。
だから、別に何をしなくても、そこに収まるだけで、家族は所属による
安心感を持つことができる。

Roleだけだと、それを果たすことでしか存在を認めてもらえないような、
ベースには常に緊張感があるような気がする。


家族の中のRoleとPosition、そして、DynamismとStability。


うむ…。


いずれにしても、だ。
僕がいま、アメリカの家族というものに感じているのはこういうこと。


ベースボールでもサッカーでも、スポーツにはプレーヤーがいて、
就くべきポジションがある。彼らには果たすべきロールもある。


でも、ポジションが決まってなければどうなるのか。


例えば、ベースボール(別にサッカーでもいいんだけど)。
いきなり、9人がグランドに出ろ、言われる。
でもポジションは決まっていない。


なのに、アンパイヤは、
「プレイボール!!!!」と宣言する。


試合が始まっちゃった。


9人は、試合中にもかかわらず、グランドでこんな感じ。
要はアウトを三つ取ればいいんだろ。了解。
あたしピッチャーがいいわ。俺も。あっ、俺も。
ねえねえ、キャッチャーがいないよ。えっ、別にいなくていいんじゃない?
サードって何するところ? じゃあ、僕、ファースト!
外野は嫌だよ。
私、ここがいい!!!(ファールグランドを指して)


僕から見れば、
あれ、なんで三塁に3人も固まってるんだよ。
ライトがガラ空きじゃんか。ちょっとちょっと、キャッチャーは…。


みんな個人主義。適当に散らばって守りたいところを守る。
そして、それが尊重されるのだ。ポジションなんて堅苦しいことを言わず、
自分らしくあることが大事なのだから。


これがアメリカの家族の置かれている状況、なんじゃないか。
かなり一面的で、粗い仮説だけど。


でも…、本当のところはどうなんだろう。


しっかり検証してみようと思う。
今セメスターのファミリーダイナミクスのクラスで。


というわけで、今日のいったん晴れた昼下がり。
右手にSafewayの見える、Taraval St.と15thの交差点から。
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キッチン

いきなりで恐縮ですが…。


「それは、TJさんの基準じゃないですか!!!
少しぐらい、いいじゃないですか!!!」


今日、家で、キッチンの共同スペースにものを一切置くな!
洗いものは出しっぱなしにせずすぐ洗え!と注意した僕に対して、
ルームメイトの一人、24歳クンのやや逆切れなコメントでした。


相手の感情噴火は、こちらの感情噴火の呼び水になる。


(ゴゴゴゴゴーーッ、ドドドドドーーッ。キターッ!)


何だと、てめ~~~!


その瞬間、僕の中で誰かがつぶやいた。


(感情的になったら負け)


えっ、誰?


その正体は…、


僕の中の「社会クン」でした。


ファミリーダイナミックのクラスでもしみじみ感じたんだけど、
日本では、家族に限らず、会社でも、社会でも、
つまり、人のいるところならどこでも、自分の感情を押さえるんだなあ。
それが大人。それが社会人。


感情的になったら負け。


いま思えば、感情的になると、何がどう負けるのだろう…。
本人が感情的になったことさえ後悔しなければ、
問題なんて何も無いような気がしなくもない。


だって、それでスカッとして、良い決断を下せばよいわけで。
クラスメートのアメリカ人女性を見ていてそう思う。
今度、誰かに聞いてみたい。


と、言うわけで、
ぐぐっと込み上げてくるおいらの怒りの感情はどうしてくれようか、
押さえるべきか、吐き出してぶっつけるべきか、
さて、どっち?このハウスシェア生活、長期的に見てどっちが得?


僕は、目の前の24歳クンと、自分の中のTJクンの
二つの感情を相手する。


でも、まあ、せっかくだからと、


「ダメものはだめだ!その少しだけが、いまの体たらくだ。
自分の散らかしたものを見てみろ!!!」


と言ってみた。まあ、自分で言うのもなんだが、
感情の出し方としては、100点中の20点だ。


で、どうなったかって?


感情を出した後は、日本人は妥協がしやすい。


僕は、「ならば料理に使うワインだけは置いていい」と
速やかに提案して、24歳クンの、僕の“基準”では、
山のように散らかしてあった調味料、鍋、その他を、
共同スペースから撤去させた。


こういう妥協の運び方は、ずいぶんと社会人的だな、
と思いながら。


共同生活も、夫婦生活も、生活に関して客観的なルールや
基準があるわけでもない。


では、どうするのか。


日本スタイルで、お互いに我慢、我慢になるのか。
アメリカンスタイルで何でもオープンにガチンコにぶつかるのか。
それとも、「第三の道」があるのか。


いずれにしても、僕自身に関して言えば、感情を押さえこむ以外に、
発露させた自分の感情を上手に扱う術をもっと知っておく必要がありそうだ。


いやいや、それ以前に、僕は、「自分の感情に触れる」ということに、
意外や意外にまったく慣れていないのかもしれないぞ。


うむ…。


というわけで、キッチン。
P2160001









補足)
ファミリーダイナミクスのクラスで感じていることですが、
アメリカ人のファミリーと比較して、日本人は、家族の中で、
「感情」的なことについて、あまり話をしない。

それはアメリカ人にとって、日本人は家族の中で、
人生で本当に大切なことを話さない、という風に
見えるらしい。

これは、引き続き、考えたいテーマです。
なので、後日また。

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あなたが本を書くための、3人。

昨日、いつもお世話になっているクラスメートのStephanieから、
彼女の友人でフランス人のLuluの誕生会をやるから来ないかと
誘われて、フェリーに乗ってLarkspurまで行ってきた。


フェリー乗り場で、通勤にセグウェイを使っている人に会った。


「足が不自由でね。毎日使っているんだ」とのこと。
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さて、誕生会のメンバーは、Stephanieと、彼女のパートナーのJim、
Jimのお母さんの86歳のEllen、そしてLuluと僕。


Stephanieのファミリーには、去年、クリスマスパーティや、
冬休みのLake Tahoですごくお世話になった。


彼らは、ものすごくインテリ。集まれば、いつも教養が口から噴き出す。
使う言葉は文学的でシャレていて、話すスピードは速くて、
話題は政治経済文学音楽と多岐にわたって、ジョークも
どんどん飛ぶ。僕は…、そう、とにかく、大変だ。
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で、その時の話題から、かろうじて一つだけ。


Jimが、「いまね、本を書いているんだ」とのこと。
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彼曰く、数年前にサンフランシスコで受けたWrithingの
セミナーが本当に素晴らしく、目の覚めるような
感動があったんだと、まるで昨日のことのように話してくれた。


「TJ、いいかい。書きたくても書けない“Writer's Block
(ライターズブロック)”がどういう時に訪れるかというと…、


同じ部屋に3人の登場人物を同時に招いてしまう時に起こるんだ。


その3人とは、
“Crazy Child(クレイジーチャイルド)”、
“Writer(ライター)”、そして、
“Editor(編集者)”だ。


彼らの役割は、精神分析で言う、イド、エゴ、スーパーエゴの役割と同じさ。


彼らを同じ部屋に同時に入れてしまうと、
お互いに足を引っ張り合って、頭がスタックしてしまう。


それがWriter's Blockなんだ。


だから、そうしないために、
まず“Crazy Child”だけを部屋に入れる。


そして、何でもいい。文の順番も構成も何も関係ない。
ただ、筆に任せて書くんだ。とにかく、思いついたことを書きまくる。
書きまくる。書きまくる。


それを終えたら、“Crazy Child”は部屋の外に出す。


そして、“Writer”を部屋に入れるんだ。彼の仕事は、
“Crazy Child”の書いた表現や言い回しを修正しながら、
文章を磨いていくこと。


それを終えたら、“Writer”は外に出す。


今度は、“Editor”を中に入れる。
彼は“Writer”が磨いた文章を、ああでもない、こうでもない、
と批判的に検討するわけだ。全体のより良い構成を考えたりね。


これが、僕が今まで受けた中で、もっと有益なライティングトレーニングでね。
なるほどと、クラスの途中で思わず声を出して笑ってしまったぐらいさ」


Jim、素敵なナレッジシェアでした。
僕もアメリカにいるうちに本を書こうと思っていたので、
ものすごく有益なアドバイスでございました。


Happy Valentine's Day !!!
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経営コンサルタントの仕事

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前々回のブログでスタンフォードのビジネススクールを、
ほんのちょっと見てきたことについて触れたました。
それを書いている時に思い出したこと。


先日参加したサンフランシスコ三田会での話なのですが、
テーブルをご一緒させて頂いた、初老のジェントルマンが
いらっしゃいました。


その大先輩の名簿の仕事欄がSelf-Employedとなっていたので、
どんなお仕事ですか?と尋ねたところ、
フリーで経営コンサルタントをしておられると。


クライアントは、日本人と、アメリカの日系人がほとんどで、
アメリカ滞在歴はもう20年になるということでした。


日本では、家業の製紙会社の経営者を長くやられて
おられたというご経歴の持ち主でもあり、


「TJさん、経営者はね、本当に孤独なんですよ」


という言葉から始まった、彼のお話はとても面白かった。


でね、どうもその大先輩のお話を総合するに、
僕の印象では、彼の仕事は「経営」コンサルタントではないぞと。


では、何ぞやというと、


それは、経営者の「人生相談役」、みたいな感じなのです。


だって、相談される内容が、「経営」はもちろんなのですが、
子供の進学から奥様とのSEXまで多岐にわたっているのですから。


挙句の果ては、
「先生、今度、この経営コンサルタントを雇おうと思うのですが、どう思いますか?」


(それを相談される私は、いったい何者と思われているのだろう…)


と、ひとり苦笑いをすることもあるとか。


そのぐらい信用をされている。
だから、クライアントにとっては、他の誰かと比較・競合のしようがない、
という存在なのでしょう。


彼曰く、


「真の経営者は、コンサルタントのマネジメントの知識などをあてにしない。
コンサルタントを雇うとき、その人間性を、その信用を買うのです」と。


だって、経営者は、本質が孤独なのですから。
それを何とかしたいのですから。目先の売り上げも大事だけど、
そっちの解決の方が、緊急、且つ、長期的にも重要な課題なのですから。


僕は、経営コンサルタントの仕事を考える時に、いつも思い出す言葉がある。
これまたいつも可愛がって頂いている人生の師の言葉で、
その人は、住友系の財閥企業のカリスマ部長と言われている。
大手外資系コンサルタントを何社も使う立場にあった人だ。


「おいTJ、社運をかけて経営コンサルタントを雇う経営者は、アホだよ」


コンサルタントは、責任を取らない。
経営者しか意思決定の責任を取れないのだから。


ちょっと話がそれました。戻します。


海千山千の経営者の、人間としての孤独感を和らげることが
できるというのは並大抵の仕事ではない。
そして、そのニーズは常にあるということだ。


こういう仕事内容は、コンサルタントというよりは、
コーチ、あるいはセラピストと呼ぶ方が、適しているのかもしれない。


でもね、真の経営者から信頼を得る人間としての力や信用は、
大学の勉強では身につかない。MBAや、セラピストの資格を
取ったところでどうしようもない。


だから、たぶん、ここCIISでも学べない。


さて…。
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(写真は、いずれもスタンフォード大学構内にある教会と美術館にて)

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最近の僕の英語について

今朝の雨上がりのサンフランシスコから。
住んでいる家の近くのTaraval Street。遠くに海が望めます。
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さて、最近、英語の話題について書いていない。
もちろん、1年経って、英語がペラペラになったわけでもなく、
ばっちり聞き取れるようになったわけでもない。


はぁ~っ、情けない、情けない。


相変わらず、クラスのディスカッションのみならず、
インストラクターのレクチャーもよくわからことも多いし、
質問はするけど、その回答がよく聞き取れないことも多々ある。


相変わらず苦労ばかりだけど、やっぱり昨年までとは
全然違う次元の苦労だと思う。


いつもゆったり聞けるし、わからないことは、
かなりの頻度で聞き返している。


そして、何より、自分を責めなくなった。


人間の頭はコンピューターではない。
インプットしたことがすぐにアウトプットとして
機能するわけでもない。


最近、僕は毎朝、自分でコーヒーを入れる。
コーヒーフィルターにコーヒーの豆粉を入れて、お湯を注ぐ。


お湯を注ぐスピードと同じスピードでコーヒーが出てくるわけじゃない。
タイムラグがある。


焦って、どんどんお湯を入れたって、溢れるだけだ。
フィルターが濾すスピードには限度がある。


それと同じ。
焦ってどんどんインプットして、がばがば頭に注いだって
脳みそがそれを濾過(ろか)するのに時間がかかる。
語学は特に。


最近は、年齢のせいか、フィルターの性能がますます高くなってきた。
だって、なかなか濾過しない。へへっ、ざまぁみろ!笑



とにかく、時間が必要なんだ。



でもね、


最近、自分の中に少しコーヒーがたまってきたのが
わかるのが、嬉しい。


まだまだです。

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スタンフォード大学Stanford University

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この地域には珍しく、今日は小雨模様の天気。

スタンフォード大学のメディカルスクールで研究をしている
ドイツ人の友だちAnneが案内をしてくれた。

授業料と家賃の固定費のみで年間500万円の費用がかかる。
まさに、良家の子女のための学校だ。
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とても奇麗な建物、舗装されたごみの落ちていない滑らかな道、
刈り込まれた芝、点在する見事なパームツリーに清潔なベンチ、
品のあるオブジェの数々。まさに秩序ある世界。
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さらに続けよう。
調和のとれた統一感のあるクリーンで、温室のようなキャンパス。
勉学に集中できる、全てが用意された最高の環境。
理想郷と言ってもいいんじゃないだろうか。
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一方、サンフランシスコはどうだろう。
街には溢れる喧騒、通りには浮浪者…、道路はボコボコ、
坂道だらけで、空には電線だらけ。
アンモニア臭の漂う道も多くて、霧も出る。
雑多で混沌。まさにカオスな世界だ。
良く言えば、ステンドグラスのような街だけど…。


カルトレインで1時間。
僕は、スタンフォードとサンフランシスコに、
HeavenとHellぐらいの差を感じた。


MBAを学ぶGraduate School of Businessの校舎にも行ってみた。
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教室は、思ったよりもシンプルで古くて、僕が学んで
いたときの慶応ビジネススクールと同じ雰囲気だ。P2120156










ここで、選りすぐりの秀才たちが、全てがお膳立てされた、
クリーンな環境の中で、経営の最高のエッセンスを学ぶ。
厳しい競争と、選ばれた人間関係のネットワークに揉まれて。


で、ふと思った。


“スタンフォード”という学習環境には、人間の象徴と言えるかもしれない
「無駄」と「矛盾」と「混沌」が、限りなく、無い。


道理で、ここでMBAを修得する彼らの頭から「にんげん」が
抜け落ちてしまうわけだ、と言ったら言い過ぎだろうか。


企業は、「無駄」と「矛盾」と「混沌」に溢れた心をもった「にんげん」が集まり、
働き、そして、動かしているのだが…。


スタンフォードとサンフランシスコ。
実は、どっちがHeavenで、どっちがHellなのか。


ふむ…。


ちょっとクリティカルに考え過ぎかもしれない。


でも、スタンフォード大学は、いつの日か、やっぱり来たい学校だ。
その時は、教える側として。
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ではまた!

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Confluence(一致)とEmpathy(共感)の違い

火曜日のゲシュタルトセラピーのクラスは、Misshion 11thにある本校舎ではなく、
Church Steetにあるカウンセリングセンターで行われます。


近くに、映画「天使にラブソングを…」の舞台になったセントポール教会があります。
クラスが終わって夕方、その前を歩くのがイイ感じ。
P2040005















さて、今回のクラスでは、
CofluenceとEmpathyの区別についてのワークがありました。


それは、クライアントと接するうえで、ゲシュタルトセラピーではとても大切な考え方の一つ。


その違いはというと…、


Confluenceは、セラピストが、クライアントに対して、彼らの話に全身全霊で、
まさに一体化するかのように共感すること。

一方、Empathyは、セラピスト側が、自身にしっかりとBoundary(境界)を
持って共感をすること。



Confuenceでは、セラピストは、セッションのあとに、どっと疲れが出るかもしれない。
なぜなら、クライアントに対して自らつくるBoundary(境界)が不十分なために、
クライアントの影響を受けすぎてしまうから。

Empathyでは、そういうことにはならない。
なぜなら、セラピストはしっかりとBoundaryを持った上でクライアントに接しているから。



Confluenceでは、セラピストは、クライアントをハグしている感じ。
ハグをしている間、セラピストにはクライアントの姿が見えていない。

Empathyでは、クライアントにコンタクトしている感じ。
セラピストは、クライアントを見ながら手を伸ばして、肩に、腕に、背中に…、
しっかりと触れている。



違いは、セラピスト側にBoundaryの在る、と無し。


Boundaryはセラピストのつくる、意識上の境界、バリアー。
まるで、超能力者かサイキックソルジャーみたいだ…。


そんなことを考えながら、
クラスの後、夕暮れのChurch Streetを歩いたのでした。
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ではまた!


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ファミリーセラピーの模擬セッション

インストラクターのJudyが、ファミリーダイナミクスのクラスで模擬セッションを実演した。
模擬家族メンバーの4人は、クラスメートから立候補を募った。


父役、母役、二人の娘役。すぐに手が挙がる。
アメリカ人は、こういうのを決めるのが早い。


というわけで、この擬似ファミリーの“問題児”とされる次女役を決めて、
筋書きのない、即興のドラマが始まった。


Judyは簡単に自己紹介をする。


そして、まずは、母親から自己紹介をするように求めた。
ここで大事なのは、家族の問題について話すのではなく、
母親は自分のことについてただ話すということだ。
それは、彼女の人生、仕事、趣味、最近のトピックスetc。


次に父親、長女、次女と続く。


Judyは、一人ひとりと質問をいくつ交わす。
例えば、「いまどんな気持?」「家族の中では誰とよく話すの?」
「よく喧嘩をするのは誰と誰?」


いよいよ、家族で起こっている(次女の)問題について話すのだが、
さて、どこから、そして、誰から、どのように始めるのか?


Judyは、模擬セッションをストップして、クラスメート全員に
意見を聞いた。


もちろん、いろいろな可能性があるが、
通常、いきなり親同士、あるいは子供同士を選ぶということはないとのこと。


今回のケースでは、まずは母親と長女に、この家族の問題について
対話をさせるのがスタートとなった。この二人は、ある程度、客観的に
次女の問題を話せる関係ということだ。
(父親と長女だと、このケースでは少し遠い感じになるらしい)


Judyは、二人に席を移動して向き合うように指示する。
そして、対話が始まった。


それぞれの役を振られているアメリカ人クラスメートは
演技がうまい。迫真のノリになっていく。


そのプロセスで、家族のいろいろな事件と登場人物が出てくる。
いろいろな問題が明らかになると、それについて今度は別の当事者同士を
対話させる。長女と父親。次女と母親。次女と長女。
その間、他の家族は黙って聞いている。


Judyは、「その時、あなたはどう感じたの?」と、
当事者に「気持ち」を話すように促す。


初回のセッションの目的は、それぞれの抱えている思いを
明らかにすることか。


セッションの最後にJudyは、一人ひとりに感想を聞いた。
そして、一人ひとりに、「次回のセッションに来たいと思いますか?」
と聞いた。


本気で役になりきったクラスメートたちの答えは…、


子役たちは、ぜひ来たい。
親役たちは、二度と来たくない。


Judy曰く、実際の現場でも、
親に日頃言えなかったことを言えた子供は、ぜひ来たいと言うし、
子供から初めて本音のフィードバックをされた親たちは
自己認識がガクガクになって、ヘロヘロに疲れて、もう来たくないと言うらしい。


でも、家族の“問題児”と親が思っている子供本人が「また来たい」というのであれば、
親としてもやはり次のセッションに臨まざるを得ない考えるのが妥当だろう。


家族の問題をストレートに、赤裸々に語りながら、解決の道を探っていく
ファミリーセラピー。果たして日本の文化にも根付くスタイルだろうか…。
どういう風に、アレンジすれば可能だろうか。


いろいろな可能性について考えさせられました。

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写真と現実

今セメスターのファミリーダイナミックスのクラスでは、
プレゼンテーションが2回ある。


そのうちのテーマの一つが、自分の家族が抱える問題について。


今回、クラスメートの一人が「Monodrama」という手法を使って
プレゼンをした。


「Monodrama」が何かという説明はさておき、
今回のプレゼンテーターは、20代前半のレズビアンの女性。
実母を除いて、家族の誰も心から信じられないというのが彼女の悩み。


彼女は、2歳の時に両親が離婚。母に引き取られる。
その後、別れた父、母ともに再婚。そして、両方の親に、
自分と半分だけ血のつながった兄弟が2組ずつ出来た。


実父は現在アルコール中毒だという。
実母は、かつてコカイン中毒だったという。
母の再婚相手の継父からは、幼少時、虐待を受けたという。
父の再婚相手の継母からは存在を疎まれ、最近まで関係がうまく
いっていなかったという。


ファミリーダイナミクスが満載だ。


その後のディスカッションはさておき、
それ以外で僕の印象に残ったことを一つ。


彼女はプレゼン用に家族の写真を何枚も持ってきた。
実父と実母が知り合った時に二人でとった写真。
(お世辞抜きに、美男美女だ!)
そして、自分が生まれた時の両親と撮った写真。
自分が子供のころの写真。
母の再婚ファミリーと自分が映っている写真。
父の再婚ファミリーと自分が映っている写真。
祖父母も含めた親族全体の写真etc。


どれも、これも、全員が素晴らしい笑顔。
肩を組んで、抱き合って、まるで映画の一コマのよう。
幸せいっぱいに写真に納まっている、ように見える。


でも実際は…。


プレゼンの後、僕は彼女に聞いてみた。


「持ってきてくれた写真、どれも最高に幸せそうに見えるよ…」


すると、彼女は、少しだけ微笑んで言った。


「でしょう…。


アメリカ人って、取り繕うのがうまいの」


深い、寂しさが伝わってきた。




補足)

【Monodrama】

プレゼンテーターは、両親の祖父の代からの家系図を
書いた紙をつくり、クラスメンバーに配布する。
そこには親族の名前、年齢が書かれている。

次に、プレゼンテーターは自分が抱える家族の問題について
述べる。

そして、家系図の中の主な人物について説明をする。

プレゼンテーターの抱える問題を念頭に説明を聞いた
クラスメンバーは、プレゼンテーターに質問をする。

ただそれがちょっと変わっていて、こういう感じだ。

例えば、クラスメートは、その家系図を見て
「母方の叔父の○○に質問をします。プレゼンターの抱える
問題をあなたの視点から見てどう感じていましたか?」と尋ねる。

プレゼンテーターは、指名された叔父になったつもりで、
彼の観点から、プレゼンテーターの問題を語る。
演じるわけだ。

「えー、私の視点からは…」

このワークの趣旨は、家系図に出てくるいろいろな
人物の観点から、プレゼンテーターに、自分の抱える問題を
客観的に見つめさせる、というものだろう。

そして、最後に、クラスの全員が、そのプレゼンテーターの
抱える問題の本質は何か、分析と所見を述べる。

なかなか、よくできたワークです。

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San Francisco Mita-kai 新年会

サンフランシスコ三田会の新年会に参加してきました。
場所は、サンフランシスコから少し南に下ったBurlingameにあるイタリアンレストラン。
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去年は、年代別のサブグループの集まりに一度だけ
参加できただけだったので、正式な三田会行事への参加は、
実質、初めてでした。
http://ookina-ki.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-19bc.html


聞くところによると、
サンフランシスコ三田会は他地域の三田会に比べて盛況だとか。
P2090009










理由はいくつかあるのでしょうが、勝手な感想として、


一つは、女性が仕切っていること。
会長のサックミサ子さんはじめ、ツワモノ系で仕切り系、且つ、
魅力的な姉御が多い。例えば、①70年代以前の卒業生は会長、
②80年代卒業生ではT島女史、③90年代卒業生では、KM女史、
④2000年以降の卒業生でも…、どの代にも必ず複数名いる感じです。

二つ目は、若手が多いこと。
シリコンバレーが近くにあるせいか、IT系の日本企業に勤める
男女を問わず若手の参加者が多い。メーカーの技術者、研究者、あるいは、
スタンフォードやバークレーの留学生だったりします。

三つ目は、年配者が大切にされていること。
これは、慶応のカルチャーなので、どこの三田会でも同じかも
しれませんが。若い人が年代が上の人を立てるコミュニケーションを
上手にとります。だから、年配の実行委員OBも、若手の実行委員を
余裕しゃくしゃくに、楽しみながらサポートしています。

四つ目、これが最後ですが、参加者を歓迎しようとする
実行委員(世話人)全員のパッションとコミット!

その一例ですが、
2か月前に、会開催の最初のお知らせメールが届く。
1か月前に正式のメールが届く。
数日前にリマインドメールが来る。
前日にも来る。

会場までの足がないと、その調整の労も厭わずにやってくれる。

会場に着くと、名札はもちろん、初めて参加した人のための
「お世話係」がちゃんと用意されている。

お世話係は、会が始まる前に、責任を持っていろいろな人に
その人を紹介して、初参加者がその場に溶け込みやすいようにする。

名簿などの配布物は、表紙に本人の名前の記載されたものが渡される。

挨拶、司会、乾杯、ゲームの進行などは、各年代からバランスよく選抜されている。

誰かが前で話しているときに、ガヤガヤしだすと、
だれともなく、「静かに~!聞いて~!」とやんわりと
声が飛ぶ。


本当に全員で作っている「場」なのだと感じました。


さて、会の最後は、慶応義塾らしく、肩を組んで全員で「若き血」の熱唱です。
サンフランシスコでやると、何となく「東洋の奇行」に感じなく、もない。
でも、僕、好きだけど。
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というわけで、学P2090020びの多い、そして、楽しいひと時でした。




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Chinese Lunar New Year Parade

2月7日、ダウンタウンのユニオンスクエアからチャイナタウンに
いたる一帯で、旧正月を祝うパレードがありました。


道路の両脇は人でいっぱい。
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道路の向こうにある百貨店のMacy'sから見下ろしている
見物客もいる。P2080038_2












17:00から始まったパレード。
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山車は、とても中国的。去年の6月に同じダウンタウンで見た
ゲイパレードとはずいぶん趣が違う。
http://ookina-ki.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/gay_pride_parad.html
まあ…、当たり前か。


最も印象深かったのは、大音量の爆竹とともに、近づいてきた真っ赤な光の龍。
ものすごいスピードで僕の目の前を翔け抜けて行った。P2080082_3
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いま、「部外者」の僕は、ここサンフランシスコで、日本で言う四季の
移り変わりを、自然ではなく、こういうパレードで感じている。


言うなれば、このパレードも僕にとってはその程度の位置づけだ。
(だって、サンフランシスコの2月の代表的な『観光』行事だし…)


でも、多民族な街や国で実際に暮らす「当事者」たち、
例えば、中国系アメリカ人にとって、今日の日は、異国の地で
自分たちのアイデンティティを再確認し、一体感を醸成する…、
いや、もしかしたらそれ以上の意味があるのかもしれない。


帰りのMUNIの中で、きれいに民族衣装を着飾った小さい子供を
連れている何組ものチャイニーズ系ファミリーを見かけて、
そんなことを考えました。

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「絆づくり」とBENIHANA

経営コンサルタントの塩田先生の言葉。


「絆づくり」は、
「一杯のコーヒーより、一杯の飯。一杯の飯より、一杯の酒」


コミュニケーションの深さと時間の長さの関係を言った言葉だろう。


でもね、ここサンフランシスコでは、
男を誘うとゲイと思われるし、女を誘うにはこちらの英語力が頓に問われてしまうので、
日本にいる時とはまた違った角度と知恵とガッツが必要になる。


さて、


「あんた、まだBENIHANAにも行ったことがないの?」


とクラスメートのLisaが言うので、試しに一緒に行ってみた。
故ロッキー青木のお店。サンフランシスコではジャパンセンターにあるP2070062











各テーブルを8人前後のお客が囲む。コックが目の前で
パフォーマンスをしながら料理をし、サーブしてくれる。
鉄板の上でチャーハンを炒める時、それを固めて、
ハートの形にしてみたり、卵を焼く時、それを鳥の形に
描いてみたり、エビのしっぽを上にぽいと飛ばして、
頭のハットで受けてみたり、玉ねぎのリングを重ねて、
そこから蒸気を出して、火山の噴火を演出して見せたり…。
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とにかく、不景気とは思えない盛況ぶり。
味も良かったし、日本酒も「真澄」なんかが置いてるのが嬉しかった。
個人的に、「絆づくり」には、ちと賑やか過ぎる店かなと思ったけど…。
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でもね、仲間の誕生日を祝うために集まっていた、同じテーブルの別のグループ。
彼らの表情を見るに、BENIHANAは、仲間の「絆を深める」には、
最高の場所のようで…。うーん、ナイス!
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アイリッシュバーで

最近、以前に比べて英語が上達してきたせいか、少しずつ、
クラスメートと学外でのコミュニケーションが増えてきた。


昨日はJulesに飲みに行こうと誘われて、Missionの
アイリッシュバーで。
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彼女はNYブルックリンの出身の、ちょこっとレズビアン。


彼女の周りには、いつもスペースがある。
相手に、ただ居てもいいんだと思わせる雰囲気がある。
だから、彼女の周りには、いつも誰かがいる。
そして、だいたい彼女は聞き役になっている。


クラスでも、彼女は一番最後に発言をする。
それが独特のアングルで、鋭かったりする。


僕は、彼女の周りにはいつも人がいるので、
たくさん友だちがいるのと思っていた。


ところが、話を聞くと、どうもそうではないらしい。


「みんな、背後に『目的』があるような気がしちゃうのよね。
自分にとって何かメリットがあるから近づく、という感じかな。
だから、目的限りの友だち、のような関係。

正直言うと、ここCIISで、私にとって心からの親友と呼べる人はいないわ。
まだ…、ね」


ちょっと寂しそうに言った。


それから、僕たちはメキシコ料理屋に場所を移した。


現代の、そして、都会の、希薄な人間関係。
サンフランシスコにあるCIISだって例外じゃない。
アメリカ人の若者も、いろいろ悩んでいる。
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Anneとの再会

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昨年、僕が英語学校のAAEで知り合って、本当に仲良くなった
友だちがドイツ人のSascha。そして、その彼女がAnneです。
http://ookina-ki.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/lassen_volcanic_1.html


二人とも、ハンブルグ大学の組織心理学の博士課程に在籍。
昨年、Anneがスタンフォードで1年間研究するのに合わせて、
Saschaも一緒にやってきて、彼の方は英語学校に通っていたのでした。


専門性から人生のことまで、いろいろ何でも話せる外国人の親友。
本当に貴重な存在です。


食事はもちろん、ヨセミテ、ラッセン等の国立公園にキャンプを背負って、
一緒に泊りがけのハイキングにも行きました。そこから学んだことは、
いまCIISで学んでいるのに勝るとも劣らないインパクトがありました。


二人とも昨年9月にドイツに帰国。
今度はAnneだけが、再び1年間の予定でリサーチのために
2月1日にサンフランシスコに戻ってきたのでした。


彼女は、ドイツ帰国中に博士論文の口頭試問に合格し、
見事、ドクターになっての再訪米です。


MissionのSushi Zoneでお寿司を食べて、それから、CastroのCafeで、
ビールとワインを少々。近況、過去、未来と、たくさん話しました。


3月にはSaschaも休暇を取ってサンフランシスコにやってきます。


サンフランシスコという異国の地で、
流れ去っていく時間ばかりではなく、カーブを描いて戻ってくる時間もある。


それが、とても楽しく、そして、とても楽しみ。


ではまた!

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Change comes from inside support.

Gestalt Therapyのクラスの続きです。


僕は、前回のクラスで、聞きそびれてしまったことを
インストラクターのLu Grayに聞いてみました。


「クライアントのつくるBoudary(境界)をくぐり抜けて、
相手の心にアクセスすることは可能なのか?」


Lu、笑いながら答えました。


「クライアントの望まない限り…、それは無理ね」


僕は続けました。


「でも、Gestalt Therapyの創始者であるパールズのセッション
をビデオで見ると、Boundaryを突破して、クライアントを
無理やりこじ開けて、変化を作り出しているように見えるけど…」


Luの隣のティ―チィングアシスタントの女性が言いました。


「確かにそうよね。でも、一瞬に作り出したその変化が、
長期的な本質的な変化につながるとは限らないの」


そして最後に、Luが、これまた笑いながら言いました。


Change comes from inside support.


うむ…。


でも、僕は、そのinside suportにアクセスする方法が知りたい…。

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セラピストにできること

今日のGestalt Therapyのクラスで。


クライアントに対して、セラピストができることは何か。


インストラクターのLu Grayは言いました。


「それは…、


 クライアントが、自ら望む成長をできるように
 サポートしてあげること。」


では、クライアントが望む成長をサポートするとは、どういうことか。


「それは…、


 クライアントがもう少し自分らしく生きれるために、
 今よりもう少し、夢を、喜びを、悲しみを、怒りを表現できる
 ようにしてあげること。」


人間としての成長は、すべてそこから始まる、ということか。


言いかえれば、それらができなくなっているからこそ、
人間としての自己成長が阻害され、歪み、
さまざまな精神疾患が生じてくるということなのかもしれない。


でも、ここで「成長する」ということについて、
少し考えないといけないかもしれない。


ここで言う成長とは…、
おそらく、自然界で、植物や動物が、そのものとして成長する
ように、人間も、そのものとして、天然自然に成長する。
その意味の成長だ。


自己実現とか目標達成とか立場に応じたとかの社会的な、
不自然な「意図」の入らない、生きものであるヒトとしての成長…、
ということだ。


ここまで書いて、思い出したことがある。
坂村真民さんの詩だったか…。


「生命(いのち)には、それ自体、外に開こう開こうとする力がある」


という趣旨の文章を読んだことがあった。


「クライアントの生命(いのち)が、自然に開くことを支援する」


それがセラピストの仕事なのかも。

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家族の中のポジション

前回から、クラスの続きです。


Family Dynamicsで、クラスメートの話を聞いていると、
アメリカでは、離婚をしないでいることの方が、奇跡のように思えます。
そのぐらい離婚経験のある親ばかり。


別に、結婚してなくても、CIISでも、僕の周辺のアメリカ人は、
とにかく、よくくっついて、よく別れる。


僕には、彼らはコミュニケーションという名のボクシングを
いつもガチンコでやっているように見える。


男は、毎日、「愛しているよ」というジャブをこまめに繰り出している。
ジャブで相手の様子を伺い、スキンシップという名のクリンチをする。
でも、相手も相当に手ごわいから、その過程で、いいパンチを
2,3発食らってしまうこともある。逆も然り。


だから、アメリカ人のカップルは表面のアツアツぶりとは裏腹に、
心の中では、パンチで目が腫れてたり、顔に大きなアザができてたり、
ボディーブローが効いて膝が折れてたり、それでも必死にパンチを繰り出して…、
お互いにきっとボロボロ、に違いない。アハハ。


ちょっと皮肉が過ぎました。すみません。


それで、クラスが終わってから、ちょっと考えてみたのでした。


サッカーや野球にルールがあるのはもちろん、ポジションというものがある。
みんなそのポジションに求められる働きをする。そしてゲームをつくる。


家族にもルールがあるのと同様に、家族のメンバーにだって、
それなりの果たすべきポジションがあるのではないかと。


そう、ポジション。


それは、夫として、妻として、父親として、母親として、
子供として、長男として、長女として、次男次女として、のポジション。


これは一歩間違うと、固定観念につながってしまう恐れがある。
個の抑圧になったり、男女差別に繋がったり…。
このポジションの考え方自体が、かなり文化的・時代的な
影響を受けていたりするから、尚更、難しい。


で、思うのが、


今、アメリカの家族が置かれている状況というのは、
家族の構成員が、自分のポジションにつくことを否定、
あるいは放棄して、「私は私、自分は自分らしく」と、家族の中で
個人としての「私」を追求し過ぎた結果ではないか、ということ。


だって、ひとつのポジションにつくことは、時に、個性を自由に発揮することを
我慢することも求められるしね。


話が逸れるようだけど、
日本で、「親にとっては、何歳になっても子供は子供」という
言葉を何度か聞いたことがある。


一般的には、好意的に受け止められる言葉だと思うけど…。


親のポジションと子のポジション。


何歳になっても、お互いが敢えてそのポジションにつくことで
得られる安定がある。


だからといって、ここではアメリカより日本の方が良い、
と言いたいわけじゃない。


ちょっと考えてみたかっただけ。


果たして、家族にポジションはあるのか、ないのか。
あるとしたら、現代において、それはどんなポジションなのか。
そして、それらと、一人ひとりの個性との関係をどう考えるのか。


ふむ…。


なのでした。


補足)
家族の中でも、リーダーとかムードメーカーとか、調整役とか…、
そういうポジションがあるかもしれない。
でも、それだって、その役割を固定してしまったら、
個性の抑圧につながることもあるんじゃないかな。
でも、どうだろう…。

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家族のコミュニケーション、いろいろ。

昨日のFamiliy Dynamicsのクラスの冒頭に、3人組になって、
こんなワークがありました。


4つの質問。
1 あなたにとって家族でもっとも近い関係なのは誰か。なぜか。
2 あなたにとって家族でもっとも遠い関係なのは誰か。なぜか。
3 あなたの家族のタブーは何だと思うか。
4 あなたが家族に言えていないことは何か。


これらをきっかけにどんどん会話が膨らんでいく。


僕はアメリカ人のクラスメートに僕自身の体験を話す。


「家族では、そんなに感情的なことは話さないかも。
もちろん、嬉しいことや楽しいこと、仕事が大変なこと、
そういうことは話すけど。泣き叫んだり、怒りの感情を
ぶつけたりは…、僕自身、なかったと思うよ」


ところが!


彼らホワイトアメリカ人の家族は違う。どんな感じかというと、
端的に言えば、


「さあ、全員集合。これから家族会議だ。思っていることを
何でも話せ!」


ギャーギャー、ワーワー、怒鳴ったり、泣き叫んだり、侃侃諤諤にやる。
そして、すっきり。


これこそ、コミュニケーションを大事にする家族の姿、ということになるらしい。


だから、上の僕のコメントなぞを聞くと、


「TJは、家族の中で本当の気持ちを話せなかったのね。
自分の気持ちを抑圧して。なんてかわいそうなTJ…」


そんな風に受け取られてしまう。
いや、ダイレクトにそう言われずとも、明らかに、
彼らの目がそう語っている。


だから僕は「ちょっと!違うぜ!」と慌てて補足を加える。
でも、これを理解してもらうのに、なかなか骨が折れたりする。


世界には、いろいろな家族のコミュニケーションがあるものだと、思う。


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Family Therapy的アプローチ

ファミリーセラピー。


それは家族を扱うセラピー。
つまり、家族という単位で行うグループセラピーだ。


通常の1on1のセラピーでは、家族の一員に何か問題が起こった場合、
その個人の内面がテーマにされる。過去を掘り下げて行ったり、Selfを扱ったり…。


ところが、、Family Therapyでは、家族の一員に何か問題が起こった場合、
それは個人ではなく、家族全体に何か問題が起こっていると考える。
それが特徴だ。つまり、クライアントは、家族の関係の中で起こっている問題を
自分の中に取り込んで、それを外部に反映させているのだという見方をする。


インストラクターのJudyのメタファーから。

「1年ほど前から、ある子どもが登校拒否になってしまった。
そして、家では奇行を始めるようになった。話すスピードが極端に遅くなり、
動作もそれに合わせて鈍くなってしまった。

セラピーに連れて行ったが一向に改善しない。困り果てて、
ファミリーセラピーの門をたたいた。そこで見えてきたことは…。

1年半ほど前に、親類全体のまとめ役となっていた祖父が亡くなった。
それ以降、親族全体が、それだけでなく、その子の家族自体もバラバラに
なってしまった。

その子供は、家族の関係をもう一度取り戻すために、
無意識のうちにその祖父の役割を演じようとしていたのだ。
この発見がきっかけとなって…」


さて、もう一つ興味を引いたのが、
家族の中で生じる問題の原因となる、二つの力のバランス。


それは、


①家族の「Growth forth(成長しようとする力)」
②家族の「Homeostatis forth(均衡を保とうとする力)」


どういうことかというと、


どの家族にも①のGrowth forthが働いている。
分かりやすく言うと、子供は常に成長していくし、
それにつれて、家族も成長していく。


ということは、親と子の関係性も変化していかざるを得ないのだが、
②のHomeostatis forthが強く働き過ぎてしまうと、それがうまくいかない。
親は、17歳になった子供を、相変わらず9歳の子供のように扱おうとする。
行きすぎた管理、強すぎる管理をしてしまったりする…。


というわけで、「Growth forth」と「Homeostatis forth」。


これら2つのforthのバランスをいかに取っていくか。
家族に限らず、チームや会社など、すべての組織に当てはまる
考え方だと思う。

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Black Church

アメリカ人クラスメートから、Black Churchに行くので、
一人じゃ心細いから、良かったらお前も来ないかと誘われて、
行ってきました。


Black Churchとは、African American(黒人)の人たちの教会。


そのクラスメートは、白人でカソリック。
参加するのは初めてとのこと。当然ながら、僕も初めて。


というわけで、FillmoreとEddyの交差点にある、
Coltrane African Orthodox Churchに行ってきました。


ミサは12時からスタート。15時まで。


通りに面した教会に似つかわしくない建物。
中は、コーチング研修会場のような感じ。
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30個の椅子がきれいに並べてある。
参加者は全員で28人。うち4人が白人らしき人。黄色は僕一人。


実は、12時に着いたら、もう演奏が始まっていた。
ボーカル、サックス、2種類のドラム、ベース、ピアノ。
ものすごい大音量。


静かに祈るっていう感じじゃない。


演奏者も参列者も、ソウルフルな音楽に体を任せて震わせて…、
まるで、自分の「魂」を神さまに叩きつけているような感じだ。


神さまとの対話は、理性じゃなくて感情で行うものらしい。


さて、その神さまの絵は、向かって正面にある。
イエスキリストの大きな絵だ。


肌の色は…、黒だ。


黒人のイエスキリスト。


もともとアラビアの出身なのだろうし、
こっちの肌の色の方が本物には近いのかもしれない。


でも、その絵の表情には、「慈愛」みたいな優しさはなくて、
何かものすごく強い意図をもって、まっ正面からこちらを見据えている感じだ。
僕には、日本の寺院で、「不動明王」の像を見ているときの感覚に近いものが
あった。


さて、この演奏、なんと13:30まで続いた。
まさにミサというより、エンターテインメントだ。


これから、牧師の話が始まるという段になって、
僕を誘ったクラスメートが、なんと、頭が痛い、もう出よう、等と言う。


というわけで、残念ながら出てきちゃったのだけど…。


同じキリスト教のミサのスタイルが、人種によって
こうも変わってくるのか、というのが驚きだった。


全身を使って祈りを表現する彼らの向こうに、
アフリカ大陸が見えたような、気がした。

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TherapyとCoaching

Therapistのライセンスをとるためには、大学院で修士の資格をとり、
その後、確かな資格保持者によるSuperviseのもと、膨大なセッション数を
こなして、国家試験を受けて、それにパスする必要があります。
本当に、気の遠くなるようなプロセスです。


というわけで、Professional Ethics & Lawのクラスで質問をしてみました。


「果たして、Therapistの資格は、コストパフォーマンスに見合うのか。
コーチとしてでも、似たような仕事ができるので無いか」


インストラクターのMark曰く、

「保険がきく、きかない等の点はさて置き、Self Markethingが上手いのであれば、
Coachとしての方が稼げるだろうね。あとは、社会的な意義や価値、やり甲斐など、
本人がどこに重きをおくかによって、その評価は違ってくるのではないかな」


クラスでは、これがきっかけとなって、TherapyとCoachingの違いに
ついてディスカッションになりました。


クラスメートからは、いろいろな意見が出たのですが、
代表的なものを言うと、


Therapyが「正規のライセンスが有り」に対して、Coachingは「無し」。

Therapyが「Depth Oriented+Mental Health Related」に対して、
Coachingは「Goal Oriented」。

Therapyが「Healing Self + Expanding Self」に対して、Coachingが「Expanding Future」。


Mark曰く、
TherapistはCoachingの領域を扱うことができるが、
その一方で、Coachには扱えない領域が、Therapyにはある。


それは…、


「診断と治療」と言うことでした。


さて、膨大な労力と時間をかけて習得するTherapyのライセンスですが、
Therapistがそれを失効するケースもいろいろあります。
ご参考まで。


・クライアントと性的な関係を持つ
・守秘義務、秘密保持契約を破る
・不適当な治療テクニックを使う
・記録をとらない
・不十分なInformed consent
・不適当な広告をする
・保険の不正行為
etc


それを防ぐためには、


・法的な訴訟になっても対抗できるような、Good Record Keeping
・Law&Codesを熟知する、決められたStandardに則る
・SupurviseやConsultationをしっかり受ける
・良心的なInformed consentを心がける
・疑問は常に参照する
etc


ふむ…。基本的なことを徹底する以外ないようです。

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