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2008年10月

カウンセリングに感じる距離 1

欧米生まれのカウンセリングサイコロジー。
そのセオリーも手法も、欧米のスタイル。


欧米社会には、キリスト教の懺悔(告解)の伝統がある。
そこでは、罪を告白する。
アドバイスをもらうことが目的ではないから、神父さまは聞き役。
この伝統が、1対1のダイアローグの中で感情を扱うことのできる
素地になっているような気がしています。


さて、このカウンセリングサイコロジー。


日本にも、今後ますます根付いていくのか否か…。
興味があります。


僕の通う大学院CIISは、西洋と東洋の知恵の統合を謳っています。


ところが!


西洋心理学に対して、その統合のカウントナーパートナーとなる
「東洋心理学」というのが、果たしてあるのか。


ササッと調べただけで、語弊を恐れずに、
「えい!」と断言してしまうと…、


ない。


で、興味が湧くわけです。


「日本では、伝統的にどのようにして心の問題を扱ってきたのか」


で、クラスで行うプレゼンの関係もあって、またササッと調べたわけです。


すると、


独断と偏見ですが、
一つの流れは、座禅、瞑想など、独力で心の問題に迫るアプローチ。
感情が流れて行くのを、ただ観察する。
そして、感情にいちいち動じないあり方を養う。


武道などの「道」のつく修行も、これに近いのかもしれません。
独力で迷いを振り払う。


もう一つの流れは、井戸端、共同風呂、
寄り合い・隣組(地域の会合)、飲み会、お祭り、など
集団の力を使って、心の問題を発散していくアプローチ。
コミュニティの中で、心の重荷を分散させていく。


つまり、日本では伝統的に、
だいたい一人か、グループによるアプローチで
心の問題を扱ってきたのではないか、と考えられるのです。


いや、本当か?


日本において、1対1で心の問題に迫るアプローチは
なかったのか。


で、ふと思ったりもする。「占い」「霊能力者」みたいなのは
1対1だなあ、と。日本人、結構、好きだし。
寺や神社、村の長老等の知恵者に相談とかにも当然行っただろうし。


でも考えてみれば、あれは、ほとんどアドバイスをもらいに
行っている。そこで、西洋心理学で言うような、感情を扱ったわけでもないだろう。


心の問題に対して、1対1のダイアローグで迫る
セラピューティックなアプローチ。


僕たちの日本人にとって、実はとても不慣れで、
同時に、革新的なことなのではないかと思うわけです。

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現場はいつも動いている

大学の後輩が、サンフランシスコで開催される
マーケティング学会に参加するので行きます、
と連絡をくれました。


彼は日本の大学でゼミの1年後輩、
大学院の経営管理研究科でも、課程は違いましたが
1年後輩でした。縁を感じる存在です。


今、大学で助教授をしています。
研究者としての道を純粋に探究していこうとする姿勢と、
たくさんのゼミ生を抱える指導者としての責任感。
見習いたい点が多々あります。


フィッシャーマンズワーフにあるPIER39のレストランで晩飯を食べながら、
たくさんの話をしました。


実は、日本のマーケティングは非常に進んでいること。
サンフランシスコのショッピングセンターの展示の仕方を
見ても日本の優れている点を実感した。でも、それをうまく
世界に発信できていない現状があること。


例えば、サンフランシスコのH&M。
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その品揃え、品質から見て、日本ではそんなに
流行らないのではないか、と彼は言っていました。
ユニクロの方がモノは数段良いことに日本の消費者はすぐに
気がついてしまうだろうと。さて…。


他にも、最近、初めて生徒に逆切れをされたこと。
ゲイであることをカミングアウトする学生がでてきたこと。


研究者・教師の権威が失われつつある今、
何を持って生徒に指導を強いることができるのだろうか。


あるいは、マーケティングという学問の性格上、さまざまな
分野から研究者が流入してきている。
(脳科学であったり、社会心理学であったり…)
マーケティングという学問の将来の方向性や、
自身の専門性の再定義をどうするか。


彼の現場から伝わってくる変化の数々。
話題は尽きなかったのでした。

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世界のカタチ

先日、クロスカルチュラルカウンセリングのクラスで行った
プレゼンの掴みで世界地図を二つ使って、
世界観の違いを説明しました。


アメリカで使われている世界地図。
Photo







日本で使われている世界地図。
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僕のクラスメートたちも、日本をFar Eastと呼ぶのは
自分たちを中心にした世界観だと知っている。


でも、この地図は、その知識にも関わらず、僕たちの認識を
思いもよらないところで制限している。


ちょっとクールに構えているインテリぞろいのアメリカ人の
クラスメートたちにインパクトを与えたのが、以下の問いかけ。


「みなさんは、太平洋に対して、どんなイメージを持っている?」
「裏庭の池みたいな感じじゃない?」


笑い声が起こる。


アメリカで使用している地図だと、太平洋の広さは伝わってこない。
分断されてるし。


一方で、


多くの日本人は、太平洋に良いイメージを持っていると思う。
広大で、向こうにはハワイがあって、その先にはカリフォルニア、
つまりアメリカがある。自由で開放的なイメージだ。
坂本竜馬でなくても思う。太平洋は、世界へ向けた扉ぜよ、と。


先日、友人にサンフランシスコ-ロンドン、サンフランシスコ-東京の
フライト時間は同じぐらいだ、と言ったら驚かれた。
東京って思ったより近いのねって。


こちらの世界地図から、東京-サンフランシスコを物理的に
イメージするのは難しい。


僕だって同じだ。
僕の慣れ親しんだ日本の世界地図だと、アメリカはいつも西を向いているのだと
思っていた。顔に例えると、西側が顔で、東側が後頭部。


でも、アメリカの世界地図を見ていると、
アメリカはいつもヨーロッパの方を向いていたんだなと実感する。
物理的にも近いし。だから、顔に例えると、東側が顔で、西側は後頭部。
まったくの逆だ。


彼らにとって世界は、右方向(つまり東)に広がっている。


本当の意味で、地球は丸いのだと意識するのは、なかなか難しい。


ではまた!

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洗練されたレイシズム 3

自分自身であることが
差別の理由になってしまうRacism。


経済的な格差だけだったら、
なんとか自分の努力と運で乗り越えられるかもしれない。
でも、人種の壁はそうはいかない。


それどころか、その立場に逃げ込む人、それを政治的に
利用する人もいたりして、問題をより複雑化してしまう。


クロスカルチュラルカウンセリングのクラスの中で、
プロフェッサーのAlzakが言っていました。


「いまアメリカでは、より洗練されたRacismが問題だ」


昔と違って露骨ではない、でも確実に存在する、
ガラスの天井みたいなRacism、ということでしょうか。


いまアメリカは大統領選真っ盛りです。


語弊があるかもしれませんが、もしかしたら共和党員よりも、
「差別はいけないことだ」と前面に謳っている民主党員の
アメリカ人がしている差別の方が、より根が深いかもしれないと
いうことです。無意識なだけに。


考え続けていきたいテーマです。


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洗練されたレイシズム 2

「アフリカンアメリカンの30代と思われる黒人女性が
白人の2人の子供を連れて公園にやってきました。
子供は二人とも青い目と金髪でとても可愛らしいです。
その女性は、二人の子どもが遊ぶのを近くで見守っています」


さて、その女性と子供たちの関係は何でしょう。



答えは…、



血のつながった親子です。


「私が子供を連れていると、他人の子供の子守をしていると
見られてしまうのが、とても悔しくて、悲しい…」


クロスカルチュラルカウンセリングのクラスで、
ユダヤ人の白人男性を夫に持つ、
アフリカンアメリカンの女性クラスメートの発言です。


買い物で、散歩で、街ですれ違う人たちと交わす何気ない
ささやかな会話から、言った本人は気づかないけど、
言われた当人は気づいてしまう何か。


先日、大学院の図書館で、僕と同様に毎日、図書館に通ってくる
黒人男性と友達になりました。


彼の名前はシャンバラ。
ちょっと個性的な服装、流暢な英語。


僕は、「Where are you from?」と尋ねました。


で、その質問をした時、僕はいったいどういう前提に立っているのか。


相手が「生まれも育ちもサンフランシスコさ」と笑いながら
応えるのを聞いて、「あっ…。」と気づくのです。


この無意識の前提が、ひとつのRacism的な思考プロセス。


あの…。分かりにくかったら、すみません。


でもね、こういう類の、無意識のいろいろな前提が
社会全体のいたる所に山のように積み重なっている。
そして、今も社会の隅々にどんどん浸透している。
表面上は見えにくいかもしれないけど…。


こういう前提が、社会の深層で、グロテスクな
モンスターみたいになっているのです。

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洗練されたレイシズム 1

こちらに来て、日本にいる時と明らかに違う認識を持てるように
なった概念のひとつ。それがRacismです。


「人種を意識することによって、差別が生まれるのではないか。
みんな同じ人間という意識を持てば、心と心で繋がることができる」


実は、僕もそんな考えを持っていなくもなかったのですが、
これは、日本人が陥りがちなユートピア的思考。
もしかしたら無知と紙一重かもしれなくて、
却って、こういう考え方は、差別を促進してしまうかも
しれないのだなと思うようになりました。


白人の持つheritage(生まれながらの地位・境遇)。


アメリカでダイバーシティや差別の問題について
話し合う時に必ず出てくる言葉です。


マイノリティの人々には、
「ここでは、生まれた時から、人種によって立っている場所が違う」
という強い認識があります。


ここの部分の、彼らの実体験に基づく認識の深さが、僕たちとはまったく違う。


これを無視して、そこを考えずして、人間はそもそも平等だ、公平だ、
というのはあり得ないのだと。


ではいったい、このheritageとはどういうものか。


それは、そもそもheritageを持っている人は意識する必要がないもの。
だから、そのことで悩んだことがない。気づかない。
こういう悩みの存在自体も、本人の意識の外にある。
そういう性格のものです。


言い変えると、水の中にいる魚は水を意識しない。
だから、heritageの中にいる人はheritageを意識しない。
でも、外からは良く見える。つまり、それを持っていない人からは
良く見える、という性格のものなのです。


これが、日本に生まれ育って、日本に住んでいる多くの日本人、とくに
男性にはどうも掴みにくいのです。


だって、意識しようがしまいが、あなたは生まれたときからマジョリティ。
すでにheritageの中を生きてしまっているから。









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CIIS

CIISの正式名称は、California Institute of Integral Studies。


アメリカにおけるトランスパーソナルサイコロジーの拠点と
言われている研究・教育機関です。


東洋と西洋の文化の統合を掲げ、
知性だけでなく、精神性と、肉体の持つ知恵を重視し、
心理学、哲学、文化人類学、芸術等の学際的研究を行っています。


ちなみに、僕の通うIntegral Counseling Psychologyは、
看板学部の一つで、カリフォルニア州のカウンセラーの資格(MFT)の
合格率では毎年TOP3に入っています。

なのに!

校舎は、とってもshabbyな感じ。
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「高い学費とっているんだからさ、頼むぜ!」と思うのですが、
家賃が高いサンフランシスコ市内に校舎を構えるのは
なかなか大変ということでしょうか。


ちなみに、アメリカへの留学を考えた時に漏れなくついてくる
キャンパスらしきものはなく…。


僕はサンフランシスコ市内全体がキャンパスだと思い込むようにしました。
ええ、それからはとっても快適です。


建物のイメージと違って、一歩、建物の中に入ると別世界。
3Fの廊下は画廊のようになっていて、毎月、違った絵が飾られています。
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僕はこのところ、毎週末、学校に缶詰です。
昨日土曜日の玄関受付バイトは、この秋セメスターから
Drama Therapyで学んでいるLaurenでした。
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今日の玄関受付バイトは、同じICPで先輩にあたるCourtney。

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ちなみに、この2人は雰囲気がよく似ていると、
よく間違えられています。

今日の4Fの受付は、イギリスからの留学生、Alison。

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そして、3Fのカフェはこんな感じ。
ちなみに、この右端に移っている金髪の人、
女装している男性なんですよね。身長190cm以上もある…。
毎日、この格好で、世の中には不思議な人がいるもんだと思います。

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6Fに行くと屋上があって、禅ガーデンがあります。

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屋上から見たFinancial District。


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今日のサンフランシスコは快晴でした。



ではまた!



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僕が感じた個人主義 3

いろいろなシーンで、勇気を持つ。
今セメスターのテーマです。


というわけで、クロスカルチュラルカウンセリングの
クラスで実践してみたわけです。


(ちなみにこのクラス、有色人種は、アフリカンアメリカンの
女性一人と、台湾からの女性の留学生と、僕の3人のみ。
残りの15名は白人のアメリカ人です。)


先日、土曜日を丸一日使うクラスがありました。
クラスの半分を終えたところになるので、これまでの感想を
一人ひとりシェアしていくということになったのです。


みんな、I appreciateセンテンスを使って、良いことを言う。
アフリカンアメリカンの女性(クラスで唯一の黒人女性)は、その時、
なぜかシェアをしませんでした。つまり、パス。
で、順番がぐるぐる回って、僕の番。


いろいろ考えた挙句、まあ、いいかなと思って、
言ってみました。


「何となく、僕とクラスメートとの間に壁を感じる。
これが言葉(あるいは文化)によるものなのか、差別に
よるものなのかはわからない。確信はないが、
後者の可能性はまったく無いと言えるだろうか」


「僕はこのクラスに良い印象を持っていない。なぜなら、
白人と黒人文化、白人とアジア文化、白人とアフリカ文化、白人と南米文化。
白人のアメリカ人を中心としたカリキュラム構成になっているから。
自分はこのクラスで、みなさんの自己成長とプロセスの
手段として使われているような気がする」


ナハハ!


この発言がトリガーとなりました。
僕の発言に大きく頷いていたアフリカンアメリカンの女性が、
堰を切ったようにシェアを始めたのです。


彼女のこれまでの人生、アメリカという白人社会において、
彼らがほとんど無意識に行ってきた彼女に対するアンフェアな
扱いについて。


アメリカに5年住んでいる台湾からの留学生も同様でした。


クラスは、とってもまずい雰囲気になりました。


アメリカにおいて白人の持つPrivilege(特権)とSupremacy(支配権)に
対する批判は、僕が知ってい以上に、何倍も根深いのです。


でもね、この僕の発言について、クラスメートは称えることがあっても
人としてネガティブに扱うことは無いのです。


この話題、以上です。


ではまた!



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僕が感じた個人主義 2

クラスなんかでも、個人主義のアメリカ人と、
集団主義のアジア人では、ずいぶん認識が
異なってくるんだなと思うのです。


例えば、クロスカルチュラルカウンセリングのクラスで、
Caucasian(個人主義の、ここでは、白人のアメリカ人)と
Asian American(集団主義のアジア系アメリカ人)と
のカップルに対するカウンセリングが採り上げられる。


そこでは、悩むAsian Americanの女性が、
家族にカミングアウトすべきか否かがテーマになる。


文化について何も学習していない状態だと、
ほぼ100%近くのアメリカ人のクラスメートは、
カミングアウトすべきだ、と答えるのです。


(実際に、多くのCoucasianのホモセクシュアルの
人たちはカミングアウトする傾向にあります)


なぜなら、人は自分自身に正直であるべきだから。


自分以外の、例えば家族のために、組織のために、
本当の自分を偽る、というのは、まったくナンセンスなのです。


ちなみに、この時、
「自分に正直であるべきなことは分かるが、
ただそれだけの理由で本当にカミングアウトしていいのだろうか」と
疑問の声を上げたのは、僕と、もう一人、台湾からの
留学生の二人だけでした。


(このクラスで、アジアからの留学生は僕たち二人のみです)


「これが本当の私なんだ!!!!!」ということへの
アメリカ人のこだわり度合いは、どうも僕たちとは
天と地ほど違うようなのです。


続く。





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僕が感じた個人主義 1

別に特別なことでもなく、渡米する前からアメリカが個人主義の国だと
知っていました。


ところが、僕がいま感じているのは、
そのことと、自分がアメリカで個人主義者として振舞えるかどうかは、
まったく違うことなのだなということ。


なに、そんなの当たり前じゃん、と軽く言われちゃあ…、
まあ、その通りなのですが。あはは。


でもね、ここでは、「自分が自分自身であること」に、
日本では想像できないぐらいに重きが置かれている、
それが実感です。


例えば、先述したフィードバックでもそう。


ネガティブフィードバックを相手にする。
その時、フィードバックしている本人の第一の価値は、
「自分の気持ちに正直であろうとすること」。


一方、フィードバックをもらう本人の第一の価値は、
「相手が自身の気持ちに正直にいてくれたこと」。


言い変えると、


「あなたが私を目の前にして、あなた自身であってくれたことを私は誇りに思う」


なのです。


まずはお互いに、この部分を称え合おうという気持ちがあることです。
もちろん、本心からの場合もあれば、「マナー」としての場合もあります。
アメリカ人全員がさばけているわけでもないので。


でも、日本人に比べたら、この称え合うスタンスをとても大事にしていると
いうことです。


でね!


いま感じているのは、日本から来た僕が、


「アメリカは個人主義の国なんだ!
だから、自分のその通りに行動しても大丈夫なんだ!」


と実践できるようになるには、まずはそれを信じれるように
なるための時間がどうしても必要になる、ということなのです。


「おいおい本当に大丈夫なんだろうな」と、
信じることができるようになるため試行錯誤の時間です。


これはある意味、自分の文化の壁を乗り越えるための時間なのかもしれません。


意外や意外に!
自分の想像していた以上に!
自国の文化には足を取られるもんなんだなと、実感している今日この頃です。


このテーマ、少し続きます。

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サンフランシスコも秋です

なんてことはない写真です。
学校からの帰り、最寄りのバス停を降りた時に見えた海と夕陽。


サンフランシスコもすっかり秋らしく、空気がヒンヤリしてきました。


みなさまも、体調にはお気をつけください。


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ではまた!




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フィードバックを考える 5

実は、私は日本にいる時、フィードバックについては良い印象を
持っていませんでした。それをすることも、されることも。


さて、フィードバック4の続きです。


「うむ…」と思わず唸らされたのが、
インストラクターのJudyeのコメントでした。


「全員からフィードバックが欲しい」
という僕のリクエストを聞いて、何て言ったかというと…、


「オーケー。誰からフィードバックをもらいたいか指名しなさい」


最初、耳を疑ったんですね。


(ん?)


「あの、全員からもらいたいですけど…」


Judyeは微笑みながら、再び、穏やかに言いました。


「誰からフィードバックをもらいたいか指名しなさい」


その瞬間、自分の中に、いろいろな葛藤が起きてくるのがわかりました。


(誰かを選ぶことは、それ自体が相手に対して何かのフィードバックに
なってしまう。そして、誰かを選ばないことも、同様に…)


クラスに、静かな緊張感が走りました。


腹をきめて、僕は、11名のクラスメートの中から5名選びました。


しっかり目を見て伝えました。
「あなたとあなたと…、あなたからフィードバックが欲しい」


これね、やはりやってみて分かったのですが、
「全員からフィードバックが欲しい」って、何だかすごいようで、
ものすごく自己防衛意識が働いているんだなと。

全員からフィードバックをもらうって、実は、選ぶという
コミットメントから逃げているんだと。
結局、すごく受け身になってしまう。それは、フィードバックする方も、される方も。


さて、その後、どうなったか。


フィードバックをもらい終えた後、別のクラスメートが発言しました。


「私はいま複雑な気持だ。疎外感を感じている。
あなたはなぜその5名を選んだのか。説明が欲しい。
なぜ自分が選ばれなかったのか知りたい」


(おう!やはり、そうきたか…)


「この5名を選んだその理由は…」
と、ぐるぐるフィードバックのサイクルは続いて行くのです…。


グループダイナミクス。


「いまここ」のI feel発言と、フィードバックのみでクラスが回っていく、
CIISでもっともインテンシブなクラスです。


ではまた!

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フィードバックを考える 4

荒波に翻弄された春セメスターと違って、
この秋セメスター、「自分へのチャレンジ」を目標に掲げ、
日々、やはり浮き沈みを繰り返しています。


ハッハッハ!


というわけで、先日のグループダイナミクスのクラスでは、
僕が口火を切りました。


「ここアメリカで、自分のあり方に対して新しい可能性を拓くために、
みなさん全員から僕に対するフィードバックが欲しい」


とリクエストしました。


ついでに、付け加えました。

「僕はアメリカ人の、I appreciateで始まるセンテンスは、社交辞令的で
信じていない。そいういうのはいらない。ネガティブでもかまわないので
正直なフィードバックが欲しい」と。



「フィードバックが欲しい」


これね、僕としてはなかなかチャレンジングな発言だったのですよ。
アメリカ人のクラスメートも、今のところ、リクエストした人はいない。


で、どうなったか…。


次回に。

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フィードバックを考える 3

グループダイナミクスは、CIISのクラスの中で、もっとも
インテンシヴなクラス、つまり、精神的にハードなクラスと
言われています。


「いまここ」で何を感じているか、というI feelで始まる生徒の
自発的な発言と、それに対するフィードバック。
このやりとりのみで3時間のクラスが進行していくのです。


例えば、AさんがBさんに何かネガティブフィードバックをしたとします。
ファシリテーターは、だいたい以下のサイクルでグループのダイナミズムを
回していきます。


1 「フィードバックをしたAさん、その気持ちはどこから来るのか?」
2 「BさんはAさんのフィードバックに対して何を感じたか?」
3 「Bさんのコメントを聞いて、Aさんはどう感じたか?」
4 「Bさんはそれを聞いてどう感じたか?」
5 「他のメンバーはどう感じたか?」
6 「以上を聞いて、Aさんは何を感じたか?」


シンプルに言うと、これだけ。
議題はなし。筋書きもなし。まさにLive。


クラスは、毎回、簡単な瞑想のあと、いきなりスタートする。


今日は誰が発言するかわからない。どんな発言をするのかもわからない。
誰が最初に口火を切るのか…。


ジリジリジリジリ…。


しばらくの沈黙の後、
いろいろなことが出る出る出る出る。


先週、親とこういうぶつかり合いがあった。
彼と別れ話が…。
姑と、夫と…。
あなたに対してフィードバックしたいことがある…。
実は、あなたのこの発言に自分は傷ついていた…etc。



互いの激しい感情がぶつかり合うこともしばしば。



このクラス、毎回、
人間には、日々、本当にいろいろなことが起こるんだな、
人間は、毎分毎秒いろいろなことを感じ続けて生きているだなと
実感します。


きっとこのクラスのこの時間がなければ、その人はそういう発言を
しなかった。だから、周囲もクラスメートも誰もそれに気づかない。


でも、当人は、その抑え込んだ感情から、時に無意識的に
ネガティブな自身の言動や反応をつくり出してしまう。


で、そういう事情があるとも知らず、僕たちは相手に勝手な印象を持つ。
誤解がどんどん膨らんでいく。


考えてみたら、これは恐ろしいことかもしれないなと。
ぜひフィードバックで確認しないとな、と思うわけです。


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フィードバックを考える 2

フィードバックでは、なぜI feelメッセージが大切なのか?


日本では、Iメッセージと言っていたけど、feelがとても大事だと
知りました。


I feel.....


日本語に訳すとどう表現するのがいいんだろう。


実は これ英語でもなかなか難しく、I feelのあとにthatがついて、
I feel that ブラブラブラと説明が入ると、それはもはや
I thinkであって、I feelではないということになるのです。
いやはや…。


ただね、やってみると分かるのですが、純粋にI feelメッセージを
使うとき、そのフィードバックは、相手ではなく、ほとんど自分を
語ることになるのです。


「いまここ」で感じているI feelによって、相手に対する自分の主観を
語るわけですから、心理学を少し勉強すると分かるのですが、
そこにはだいたいTransferance(転移)が起こっていると思って間違いない。


つまり、相手に対して自分が引っ掛かっている部分は、
自分の過去の体験を相手に投影している場合が多い、と。


すると、フィードバックをする時、当人は自分を語っているにすぎないわけ
ですから、フィードバックすることによって相手を傷つけることに
はならない、となるわけです。


I feelのメッセージをお互いに受け止め合う。
このキャッチボールが、どこか温かみのある独特の空間を
作っていく…。


このイメージ、伝わりますでしょうか?







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フィードバックを考える 1

フィードバックは、何のためにするのか?


グループダイナミクスのクラスで、フィードバックについて、
いくつか新鮮な視点をもらいましたので、ご紹介します。


「フィードバックは、自分が相手に感じる曖昧さをクリアに
するために行う」


これまで、フィードバックは相手(の成長)のためにするものと
ばかり思っていました。


もちろん、そういう目的もあるのですが、
自分のためにする、という視点が僕には新鮮でした。


言われてみれば、自分が相手に感じたネガティブな印象が、
自分の思いこみに過ぎないことも多いわけです。


「私はあなたの○○に対してこのように感じていますが…」



いろいろ判断するのは、確認してからでも遅くないのです。



このテーマ、少し続きます。

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ダイバーシティのダイバーシティ

CIISでは人種的に圧倒的Minorityの私です。
ここで学ぶ生徒のおそらく9割が白人なのです。
CIISはサンフランシスコというダイバーシティの海に浮かぶ真っ白な島、
と言っても良いのかもしれません。


さて、クロスカルチュラルカウンセリングのクラスで、
ダイバーシティについてディスカッションするうちに
感じたことがあります。


それは、ダイバーシティに普遍的な形やモデルがあるわけじゃないんだということ。


例えば、ここアメリカには、「アメリカのダイバーシティ」があるのだと。
そもそもが移民の国で、クリスチャンがマジョリティで、
奴隷制度の歴史を乗り越えながら、今もなお、人種の問題を抱えている。
そして、ダイバーシティには、女性だけでなく、ゲイ・レズビアンの
立場も含まれる。


カナダには、カナダのダイバーシティがあり、
ブラジルには、ブラジルのダイバーシティがある。
だから、ダイバーシティにもダイバーシティがある。


日本でも、とくにビジネスシーンでダイバーシティが
叫ばれていること思います。さて、どんなダイバーシティを
イメージしているのか…。


僕がCIISで学んでいるアメリカのダイバーシティは、
思っていた以上にシリアスです。


ではまた。

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サンフランシスコでの出会いと別れ

サンフランシスコはいい天気が続いています。
日は短くなり、だいぶ秋らしくなってきました。
遠くに臨む海は青く、坂道を吹いていく風が気持ちいいです。


さてさて、そのような素敵な天気にも関わらず、
僕は、荒波に揉まれながら、パドリングに勤しむ毎日です。
おかげさまで元気です。


さて、少し間が空いてしまったので、どこから書いたものかと…。


先月、英語学校で知り合って、キャンプにも何度も一緒に出かけて、
とても仲良くなったサーシャとアンナがドイツに帰国しました。


サーシャとアンナとは、彼らの帰国直前まで、
共に語り合いました。


お互いに、第二外国語の英語で、人生を語らう。
互いに不自由かというと…、必ずしもそうでもない。


お互いの言いたいことを察しよう、相手の使ったその言葉の奥にある
真の気持ちを汲み取ろう、そんな温かい空気がそこに流れる。


時に、ドイツワインを飲みながら…、
極上の時間なのでした。


お互いに遠くない未来の別れを前提としていたことが、逆に、
良い人間関係作りに必要な時間の密度を高めてくれていたような
気がしています。



ではまた!

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間があきました。

みなさま、ご無沙汰しております。


サンフランシスコも、秋らしく?
なってきたのか、だいぶ日が短くなってきました。


さて、大学院が始まってからの約1ヶ月間、ブログを更新できませんでした。
一部の方々、たいへんご心配をおかけしました。


大学院と英語学校のダブルスクールは、想像以上にハードで、
余裕のない毎日を過ごしていました。


でも、日々、もがきながら、いろいろなことを感じ、たくましく
生き延びています。ええ、元気でやんす。


ブログ、近々、ぼちぼち、アップしますので、少々お待ちください。
取り急ぎ。ではでは。

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