カウンセリングに感じる距離 1
欧米生まれのカウンセリングサイコロジー。
そのセオリーも手法も、欧米のスタイル。
欧米社会には、キリスト教の懺悔(告解)の伝統がある。
そこでは、罪を告白する。
アドバイスをもらうことが目的ではないから、神父さまは聞き役。
この伝統が、1対1のダイアローグの中で感情を扱うことのできる
素地になっているような気がしています。
さて、このカウンセリングサイコロジー。
日本にも、今後ますます根付いていくのか否か…。
興味があります。
僕の通う大学院CIISは、西洋と東洋の知恵の統合を謳っています。
ところが!
西洋心理学に対して、その統合のカウントナーパートナーとなる
「東洋心理学」というのが、果たしてあるのか。
ササッと調べただけで、語弊を恐れずに、
「えい!」と断言してしまうと…、
ない。
で、興味が湧くわけです。
「日本では、伝統的にどのようにして心の問題を扱ってきたのか」
で、クラスで行うプレゼンの関係もあって、またササッと調べたわけです。
すると、
独断と偏見ですが、
一つの流れは、座禅、瞑想など、独力で心の問題に迫るアプローチ。
感情が流れて行くのを、ただ観察する。
そして、感情にいちいち動じないあり方を養う。
武道などの「道」のつく修行も、これに近いのかもしれません。
独力で迷いを振り払う。
もう一つの流れは、井戸端、共同風呂、
寄り合い・隣組(地域の会合)、飲み会、お祭り、など
集団の力を使って、心の問題を発散していくアプローチ。
コミュニティの中で、心の重荷を分散させていく。
つまり、日本では伝統的に、
だいたい一人か、グループによるアプローチで
心の問題を扱ってきたのではないか、と考えられるのです。
いや、本当か?
日本において、1対1で心の問題に迫るアプローチは
なかったのか。
で、ふと思ったりもする。「占い」「霊能力者」みたいなのは
1対1だなあ、と。日本人、結構、好きだし。
寺や神社、村の長老等の知恵者に相談とかにも当然行っただろうし。
でも考えてみれば、あれは、ほとんどアドバイスをもらいに
行っている。そこで、西洋心理学で言うような、感情を扱ったわけでもないだろう。
心の問題に対して、1対1のダイアローグで迫る
セラピューティックなアプローチ。
僕たちの日本人にとって、実はとても不慣れで、
同時に、革新的なことなのではないかと思うわけです。
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