日本的な便利さの先にあるもの

東京を歩く。冬だから外が寒いのは当然だけど、ビルや地下鉄に一歩入ると、
そこはとても蒸し暑い。


僕は、上着を全部脱ぎ、Tシャツ一枚になる。
その服装は、当然、周囲から浮いている。


こんな蒸し暑いのに、どうしてみんなコートを着たままでいられるんだろう…。


サンフランシスコに行った当初、僕が寒くてジャンパーを着て、手袋をしているのに、
サンダルと短パンで平気で街中を歩いている白人を見て驚いたことを思い出した。


もしかしたら、僕の体も、だいぶサンフランシスコの冷涼な気候の仕様に
なっているのかもしれない。


久しぶりの東京では…、
みんな黙々と歩いている、黙々と座っている、と思った。


東京駅で、Suicaにチャージをする。
電子音の説明がとても丁寧だ。


駅でも、自動音声による案内をフォローする形で、駅員が放送を重ねている。
だから、バックミュージックのように、いつも案内が流れている。


利用者の手間を省くためのサービスが、細かく、細かく、重ねられている。


手間を省くとは…、他者とのコミュニケーションの煩わしさ省くことだ。
良いサービスとは、他者とのコミュニケーションが生じるような事態を
限りなく減らしてくれるサービスのことだ。


便利さを追求し、あらゆる場所で手間を省くサービスを網羅させていった結果、
東京は他者とのコミュニケーションが不必要な街になった、


んじゃないかなと思った。

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The Bucket List

2007年の映画だ。日本への帰る飛行機の中で観た。


入院先で、末期がん患者の老人二人(ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマン)が
知り合った。


一人が、自分の人生でやり残したことを一枚の紙にメモをした。
もう一人がそれを見て、その紙に自分のやり残したことを付け足した。
二人のリストが出来上がった。


二人は、残された人生の時間の中で、助け合いながらそのリストを実行していくのだが、
そのプロセスでそれぞれが自分の人生において真に大切なものに気が付いていく…。


そんなストーリーだ。


実は…、


僕も同じような自分のリストを持っている。


5~6年前、100個を目標に3日間ぐらい考えて、101個書き出した。
その書き出すプロセス自体に、なかなかの気づきあった。


ちなみに、現在のCIISへの留学もそのリストの一つに挙げたものだった。


僕は、映画の二人と置かれている状況も年齢も違う。
だから、リストの目的も使い方も違う。


リストアップしたものを実行するだけなら、ただのTo Doリストになってしまう。
おそらく、実行した一つ一つを自分の中の「いまここ」の人生に統合する
意識的な努力が必要になるのだろう。


それはそれで、またタフなプロセスになりそうな気がしている。


でも、それによって初めて僕は、
「リストを生きた」のではなく、「自分を生きた」ことになるのだと思う。


ちなみに、この映画の邦題は、「最高の人生の見つけ方」というものだった。

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一時帰国

14日、サンフランシスコを経った。
アンナがスタンフォード大学に行く途中だからと、SFOまで車で送ってくれた。


日本への帰国はちょうど一年ぶり。今回は、一ヶ月ほど滞在する予定だ。


自分がこの一年でどう変わったのか、
内面の変化を定点観測できる機会として、“日本”に感じるであろう
一瞬の違和感をとても楽しみにしていたのだが…。


今回は、初めて日本航空の翼で帰ったせいか、
機内の人となるや否や、自分の細胞が、速やかに日本モードになっていくのを感じた。


離陸して3時間も経つとサンフランシスコライフが、急に、現実感の薄い、
夢の中の世界のように霞んでいった。


…。


到着した成田空港で、一番最初に感じたのは、周囲にいる日本人の
男の子たちの身なりがみんな小奇麗なこと。
サンフランシスコの基準だと、みんなゲイに見える。


他に大した違和感もなく、その程度しか感じなかった自分にちょっと失望した。


「1年じゃ、あまり変らんか…」


成田には両親が迎えに来てくれていた。
開口一番、母親は僕に言った。


「あなた、頭は丸坊主だし、赤いTシャツをだらしなく着ていて、
まるで刑務所からたった今、出てきた人みたいだわよ」


…。


僕の外見は確実に変化していたらしい。

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「老化」の意味とは

あなたは、“老人”あるいは“高齢者”という言葉に対して、
どんなイメージを持っているだろうか?


そのイメージ、


かなりの確率で偏見かもしれない。


来年から始まるPacific InstituteのPracticumに備えて、
Gerontologyに関する本をいくつか読んでみた。


ちなみに、Gerontologyは、介護の学問ではない。
それは、我々が加齢に対して持っている偏見を取り除き、
高齢化社会の新しい在り方を探る学際的な学問だ。


こんなことが書いてあった。


介護が必要な老人は、全体の5%しかいない。
就業能力と年齢は相関しない。それは科学的に実証されている。
老化プロセスは一様ではない。個人差がとても大きい。
筋肉の強度や耐久性はトレーニングによって何歳からでも元に戻すことができる。
学習能力は一般的に70歳までは何ら支障がない。
老年期に活躍した芸術家、政治家、作家、学者は枚挙にいとまがない。
老年期に獲得できる能力もある。


“老人”は、多分に、社会によって作られているものだと知った。


周囲は、誤った情報や偏見によるイメージに基づいて老人を扱う。
その結果、老人も、自分自身をそのような存在として思い込むようになる。
そして、“可哀そうな老人”が大量生産されていく。


他にも興味を引いたことはたくさんあるのだが、
こんなことも面白いと思った。


「老化」とは、野生動物にはほとんど見られない現象だそうだ。


野生動物の多くは、遺伝子を引き継ぐ生殖期が終わると死んでいく。
あるいは、その前後でも、少しでも弱った時点で捕食者に食べられてしまう。


ところが、人間だけが、生殖・繁殖という遺伝子にプログラムされた役割を
終了した後も、長く生き続ける。


文明の発達と社会のサポートがそれを可能にしたのだ。


ということは、「老化」とは、社会の進化によって
生物としての進化を追い越した人間が勝ち得た成果、と云うことになる。


「老化」を体験するとは、遺伝子にプログラムされていない世界を生きると言うこと。
「老化」を生きる高齢者とは、遺伝子の束縛から離れて生きている人々のこと。
より多くの自由を獲得した人々のこと。


そういう視点で捉えてみると、


高齢者が体験している心理的変化とはどういうものなのだろう。
その変化を通して培った価値観とはどういうものなのだろう。
その価値観に基づいて創り出される社会はどうあるべきで、
どういう可能性が秘められているのだろう。


僕が来年に向けて興味を持っていることだ。

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2009年Fall Semesterを振り返る

いろいろバタバタしながらも、何とか最後のレポートを提出した。


ようやく、僕の5つ目のセメスターが終了した。


来年の春からPracticumが始まるので、このFall Semesterが、
純粋にCIISの生徒らしい最後の学生生活になるのだろうなと思っていた。


それらしく一生懸命、予習・復習に打ち込むつもりだったのだが…。


Practicumの活動と、それにまつわるごたごたが想像以上の負荷になって、
それに振り回されて、終わってしまった感じだ。反省しきりだ。


反省ばかりしていても仕方がないので、
今セメスターをなるべくポジティブに振り返ってみた。


僕は先のSpring SemesterでLaw & Ethicsの科目を落としたので、
このFall Semesterに別の先生のLaw & Ethicsを再履修した。
実は、僕が来年から行くことになるPacific Instituteを紹介してくれたは
その先生だ。不思議なめぐり合わせを感じた。


僕の英語力を不安視して、CIISのCounseling Senter以外のセンターを
探すようにと、これは決定事項ですと、厳しいフィードバックをくれたのは、
CIISの名物インストラクターで、ファカルティメンバーでもある
大ベテランのJudyeだった。僕は彼女に敬意を払っていただけに、
当時、そのコメントはショックだった。


納得のいかなかった僕は、僕がプログラムディレクターに交渉をして、
許可を得て、3つのCIISセンターを受けて、実際にその2つからofferをもらった。


不利な決定は、従順に従うのではなく、打開する。
この件から、自分の道は自分で切り開く、そんなアメリカの基本姿勢を
少し学ばせてもらったような気がする。


ちなみに、


Judyeは、僕が彼女の意図に反してCounseling Centerを受けたことに対して
何ら気にする様子もなく、僕が合格したことに対しては、
「私は、TJがカウンセリングセンターに受かったことに驚きは無いわ。
彼は言葉を超えたところでカリスマティックだから。ああいう人間性は、
真似ようと思ってできることじゃないわね」と言っていたそうだ。
後日、クラスメートから聞いた話だ。


その英語が思うように上達しないことは、ストレスだった。
周囲はそんなことないと言ってくれるのだが…。


英語力について、その実感が持てるようになるまでは3年かかると、以前、
色々な人にアドバイスされた。でも3年経つ頃には、僕はCIISを卒業だ。


この件に関しても、動くと何かしらの反応が返ってきた。
僕は英語のチューターを2名見つけることができた。
一人は有料でカナダ人、もう一人は無料で、アメリカ人。
どちらも人間として繋がっていける、とても良い人たちだ。
来年もお世話になろうと思う。


アメリカ生活も予定の3分の2を終える。
今後の人生の展開についても、今まで以上に考えるようになった。


日本の外で学んだことを、日本で広める。
それは昔から多くの日本人の先人達がやってきたことだけど、
僕はそういう方向に進みたいのだろうか。


あるいは、海外に身を置いて、日本の外に住むことで見えてきた日本のユニークさを
世界に広める。そういう風に自分をポジショニングすることはできないものだろうか。
特に、目に見えない、伝統的な価値観やコミュニケーションやおもてなしや
関係に対する気配りのようなものは、もし、それらをアメリカで教育サービスや商品に
できたら、面白いと思うのだけど。


でも、今のところ、ここアメリカで、現地に溶け込んで、自分の力で一定以上の
生活レベルを勝ち得ているイメージが湧いていない。
単に英語にビビっているだけかもしれない。


ビジネスの世界のOutputによる躍動感を少し懐かしく思い出した今セメスターだった。
Inputは楽しい。しかし、世の中に学ぶべきはたくさんありすぎる。


CIISの博士課程で東洋哲学を専攻しているTさんが、
こんな言葉を紹介してくれた。


「知識は限り無い。しかし人生は有限だ。有限の
人生を以て、無限の知識を追うのはとても危険
な事だ。。」(荘子の養生主篇)


納得いくOutputのために学ぶべきことはたくさんある。
でも、その準備が十分に整うまで人生は待ってくれない。


人生は、いつも見切り発車なのかもしれない。

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映画“Iris”を通してDementia(認知症)を考える

今学期課せられたペーパーには、習った理論を実際にクライアントに
当てはめてそれをまとめるというテーマが多かった。


既に、プラクティカムをスタートさせている生徒も多いので、
クラスでの学びを、一層、実践に近づけると言うことなのだろう。


僕のプラクティカムは未だスタートしていない。
なので、来年から始まるPracticumに少しでも関係するように、
Psychopharmachologyのファイナルペーパーでは、
Dementia(認知症)をテーマに選んでみた。


インストラクターが、そのイメージを掴めるようにと、
Iris”という映画を紹介してくれた。


それは、後年、Alzheimerを患ったイギリスの著名な女流小説家&哲学者、
Iris Murdochの実話だ。とても素敵な映画だった。


Dementia(認知症)とは症状のことであり、その原因はいくつもある。
Alzheimerはその一つだ。それは、脳のニューロンが破壊されていき、
記憶を始めとして、脳のつかさどる機能が徐々に失われていく原因不明の病気だ。


Alzheimerにはいくつかのステージがある。
初期のステージでは、患者は、自分が失われていく自覚がある。


映画でのIrisもそうだったが、霧の中にいるようだと言う。
話している途中に言葉が自分の頭の中に消えていく。
質問されても何を聞かれているのかわからなくなる。
単語が思い出せなくなる。例えば、「郵便配達員」という言葉が思い出せなくなり、
「何か、小さく包まれたものを持ってきてくれる人」というような表現になる。


IrisがAlzheimerによって直面したことは、僕がアメリカ生活で
直面していることと似ているように思った。


話している途中にあの単語が思い出せないとか、質問が聞き取れないとか、
相手の英語が自分の中に落ちてくるまで時間を要する時があるとか…。
英語に関しては、度忘れ状態の連続のような気がしている。


色々振り返ってみると、
異文化の中で暮らすとは、精神疾患の状態を間接的に経験できる
貴重な機会であるのかもしれない。


Alzheimerを患ったIrisの認知力は落ちていくが、感受性はさほど落ちない。
だから、周囲の自分に対するいらつきもわかる。日々、いろいろなことが
できなくなってくる自分への苛立ちもある。


それが彼女を混乱させる。


これだって、僕がアメリカ生活の中で直面することで、体験してきた感情の揺れに
通じるものがある。日本では簡単にできたことがアメリカではできない。
買い物一つにしても、こちらに来た当初は大変だった。


Irisが正常な人と違うのは、彼女はそれを乗り越えるために、
思考力、認知力を使うことができないということ。
それらの能力は 既に衰えてきてしまっているから。


さらに、


彼女は頭の中で過去や未来をイメージすることで、現状から逃避することもできない。
そういう能力も病気に奪われてしまっているから。


そんな居たたまれない「いまここ」から逃れるために、Irisは徘徊をしたり、
暴れたり、脈絡のない言動をとったりするのだろうと思った。


認知症患者の問題行動には、「いまここ」に対する彼らなりの明確な理由がある。
あるいは、それまでの人生体験の何かが反映されている。


ここに、Dementia(認知症)に対するCounseling Psychologyの余地があるのだと思う。

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ラティーノ間の差別

CIISで清掃員をしているグアテマラからの若者がいる。
名前はグスタボ。まだ20才前後だろうと思う。


彼は夕方6時ぐらいからCIISに来て、夜の10時過ぎまで働いている。


僕も遅くまでいることが多かったので、彼によく話しかけられるようになった。


先日、久しぶりに学校で僕を見かけた彼は、話しかけてきた。
そして、彼自身の仕事の話から、中南米人からのラティーノが
アメリカで置かれている立場についての話になった。


曰く、


ここアメリカで、彼ら中南米からのラティーノは、
メキシコからのラティーノにたくさん差別を受けているのだと言う。
だから、仕事になかなかつけないし、そのことで彼も苦労をしたのだとか。


いま、彼がこの仕事につけているのは、彼のボスもグアテマラ人だから
とのことだった。


ちなみに…、


アメリカ人はメキシコ人を差別している。
そう言いきると問題があるかもしれないけど、まあ、僕があれこれ聞いた
範囲ではそうだ。そのメキシコ人は、中南米の人々を差別する。


されたことをやりかえす。
負のサイクルは、より弱い対象を求めて伝播し、繰り返されるのかもしれない。


メキシコもグアテマラもスペイン語圏の国だ。
グスタボは、アメリカで母国語のスペイン語を話すとき、
わざわざメキシコのアクセントや、言い回しを使うのだという。


僕の知らない苦労と世界が身近にたくさんある。

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バリアフリーな気配り

クリスマス前のサンフランシスコ、Financial District(金融街)の一角にて。Dsc03124













木曜日、日ごろ、大変お世話になっているKさんにお声をかけて頂いて、
サンフランシスコ地区の名門クラブ、Bankers Clubでクリスマスと忘年会を兼ねた
Dinnerをご一緒させて頂いた。


そこはサンフランシスコで一番高いビルの最上階52Fにあって、
周囲を360度見渡すことができる。


僕は、窓際の席で、ライトアップされたBay Bridgeを眼下に眺めながら、
Kさんのセレクトしたワインで、料理を頂いた。Dsc03156













Kさんとは昨年、サンフランシスコ三田会で知り合った。
元S商社マンで、現在は、こちらで会社を経営されている。
アメリカ滞在は30年以上にもなる。飾らない、豪快、でも繊細なお人柄で、
僕のような若造にも、本当に良くして下さる。


いつもバリアフリーの気配りが満載だ。


「これから、こういう人がメニューを聞きに来て、こう尋ねるよ。
僕のお勧めはこれとこれだから、これは僕の一存で決めていいかな。
あっ、食べれないものは何かあるかな?メインは自分で選んでね。
右のページの下にサラダの下に書いているからね」


「トイレは、右手の奥だよ。あっ、もしかしたらトイレの中に、
ボーイの人がいて蛇口の水を出してくれたり、タオルを渡してくれるかもしれない。
その時は、彼に1ドルを渡してもらえるかな?
1ドルでいいんだけど、持っているかな?」


とてもナチュラルに、次に起こること、とるべき行動のガイダンスを教えてくれる。


僕は、尋ねてみた。


「あの…、僕はここにきてから、一時も緊張することなく、
常にサポートされている安心感があるのですが、
そういう能力は、商社時代に培ったのですか?」


「アハハ…、そうだね。何事にも全力を尽くす性分なんだよね。
例えば何かがあって、直前にレストランの場所を変更する必要が
あった場合でも、相手の好みに合わせて対応できるように、
いつ何時も、3か所ぐらいは代替案を頭に入れているかな。

例えば、今日も天気が心配だったんだ。曇った日に、ここに連れてきても
意味がないからね。いくつか別の候補を考えていたよ。
もちろん、利用するどこのレストランのメニューも全部頭に入っているよ。」


今回も、たくさんの勉強になるお話を伺った。


「確かに、アメリカでは、主張をすることはとても大切なことだ。
でもね、言いたいことを云い放って、関係を悪くして終わり、
というのでは駄目なんだ。

普通の人は、言いたいことを言うことにエネルギーを使い切ってしまって、
そのあとの関係修復のためエネルギーを残していない。

いいかい。相手に主張をする。クレームを言う、大事だけど、
それによって相手が何かをやってくれたあとには必ず関係を修復するための
コミュニケーションをとることを忘れてはいけないんだよ」


主張と関係修復は、セットで考える必要があるということか。


アメリカに根を下ろし、アングロサクソンの世界に溶け込みながらも、
日本人として生きるKさんのお話は、いつも示唆に富んでいる。Dsc03144

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より良い友達になるための努力

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水曜日、ドイツのハンブルグに帰国するSaschaを見送りにSFOに行った。


彼のガールフレンドのAnneのスタンフォード大学院での研究期間が、
来年の3月までなので、おそらく今回のサンフランスコ滞在が
最後になるだろう、ということだった。


将来は、日本とドイツを家族ぐるみで行き来しよう。
ドイツ企業と日本企業のビジネスマンを混ぜ合わせて、
異文化トレーニングのプログラムを展開しよう。
二人が日本に来たら、こことこことここに一緒に行こう。
僕がドイツに行ったら、こことこことここに一緒に行こう。


僕たちはたくさんのイメージを共有した。


Saschaは、今年、サンフランシスコを3回訪れた。
僕たちは、毎回、どこかしらにhikingに出かけ、友情を深めた。
そして、毎回「すぐに会えるよ」と言いながら別れた。


そう言って別れたけど、今回は、その“すぐ”がいつになるのかはわからない。


…。


先月、SaschaとAnneと僕の3人でGrand Canyonに8泊9日のhikingに出かけた時、
Saschaが尋ねてきた。


「TJにとって、友情って何だい?」


「うーん、そうだね、相手の人生に興味を持ち続けることだと思うけど。」


「なるほど、僕と似てるかもしれないね。僕にとって友情と云うのはね、
一度そう決めたら、相手の良いも悪いもとことん受け入れながら
続けていく関係のことなんだ。」


Saschaはよく僕にこんなことを言った。
「アメリカ人と違ってね、ドイツ人は打ち解けるまでに時間がかかるけど、
いったん打ち解けたら、その友情はとても深いんだ。
日本人の場合は、どうなんだい?」


僕は、個人的に、友情と云うことに関しては淡白だ。
作るのは早いけど、続けていくための意識的な努力が欠けているというか…。
自然に続いていくのが友情だと思っていたから。


でも…、


それは幻想なのだろう。


いや、運が良ければ維持できるかもしれない。
でも、努力なしに決して深まったりはしないだろう。


思いっきり話が飛ぶようだけど、


今週火曜日の最後のMarriage and Couples Counselingのクラスで、
インストラクターのMichaelが、こんな余談をした。


来年早々に、急きょ、1ヶ月間の瞑想セミナーに参加することを決めた。
そのことで奥さんと喧嘩をした。クライアント、友人との約束、
そのほかの調整も大変だった。でも、どうしても参加したかった。


その時に、彼は、調整をした関係者一人ひとりに、こう言ったそうだ。
「僕はあなたにとって、より良い夫であるために、
より良い父親であるために、より良い友人であるために、
より良いセラピストであるために、努力をしたい。
だから、どうしてもこのセミナーに参加したい。」


それを聞いて僕は思った。さしあたって、彼が挙げた4つの関係のうち、
僕に当てはまるのは「友人」だけだ。


僕は…、


より良い友人であるために日々どんな努力をしているだろうか。


あれこれいろいろと反省をした。

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Fall 2009 すべてのクラスが終わる

ここ数日、サンフランシスコはとても冷え込んでいる。


今朝、大学院に行くために自転車で横切ったGolden Gate Parkは、
芝生一面に霜のパウダーがかかっていた。Dsc03094













その中にあるサッカーグランドも(正式にはPoloグランド)も、
冷え冷えと凍っていた。Dsc03084













手袋をしている指先が寒さで痛かった。


さて、今日、2009年Fall Semesterのクラスがすべて終了した。
まだレポートが残っているので解放感はないのだけど…。


火曜日の今日、終了したのはPsychophermachology(精神薬理学)と
Marriage and Couples Counselingの2クラスだ。


PsychophermachologyのインストラクターMelissaは、最後、
こんな問いかけをしてクラスを終えた。


「セラピストとして、Drugとどういう距離感で付き合うのか。
例えば、クライアントから、抗うつ剤の使用について相談されたときに、
あなたの中にどういう反応が起こるのか。
そもそも、クライアントは、Therapyに何を期待しているのだろうか。」


Drugの使用を推奨するのでもなく、頑なに否定するのでもなく、
それについて自分の中に起こるCounter Transferenceをしっかりと見据える。


Drugについて学ぶPsychopharmachologyのクラスは、
想像していたよりもずっと哲学的だった。


Marriage and Couples Counselingの最後のクラスでは、
インストラクターのMichaelが、ふと漏らしたこんなフレーズが印象に残った。


僕たちのクラスでは、最終的に5名のクラスメートが自分のパートナーを
クラスに連れてきて、インストラクターのMichaelと50分のライブセッションに
臨んだのだが…、


「生徒のサポートの視線を肩に感じながら、ライブセッションに臨む。
インストラクター冥利に尽きる瞬間なんだ。君たちはまだ分からないかもしれないけど、
カウンセラーと云うのはとても孤独な仕事だから」


サンフランシスコで引く手あまたの売れっ子カウンセラーの
彼の本音なのだと思った。


今セメスターが僕にとってどういうセメスターだったのか、
また日を改めて考えてみたい。まだその余裕がないので。


今日、10枚と20枚の2本のレポートを提出した。
残り、あと1本。

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