続編のブログについて

新しいブログのアドレスをお伝えします。
http://wanderwell.cocolog-nifty.com/blog/


wanderwellとは、サンフランシスコのインターン先で知り合った、
偉大な探検家である両親を持つレジデントのファミリーネームです。


彼との間に、魂の触れ合うような会話がありました。
彼は、両親のように世界を探検することが出来なかった自分自身の想いを
僕に託しました。そして、この名前を僕にくれました。


僕は、微力ながら、彼の分も世界を体験してきたいと思いました。


僕の旅は、中国の上海を皮切りに、既に始まっているのですが、
準備不足と旅先でのインターネット状況、生活スタイルの違いなどから、
後手に回っていました。


タイトルは、「Inner Journey(インナージャーニー)」です。
ぼちぼちとアップしていきますので、引き続き、どうぞよろしくお願いします。


中国 洛陽にて
鈴木大樹

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Next Stage

<更新をしていなかったにも関わらずメッセージをくれた皆さま、
そして、このブログに訪れてくれたみなさま、どうもありがとうございます>



帰国してから、一ヶ月と…、少しが過ぎた。


ごくたまに上京する以外は、千葉県のとても外れに位置している実家にいる。
だから、少しだけ楽しみにしていた逆カルチャーショックは、
今のところまったく感じていない。


2月1日にSFOを発ち、サンフランシスコ・デイズを終えた僕には、
人生を次のステージに進めるために、この日本ですべきことが大きく二つあった。


一つは、親との対話だ。
親は僕が進もうとする次のステージに対して、大反対だった。
僕にどれだけ失望しているか、数ページの手紙がアメリカに届いたぐらいだ。
そのことについて、僕は親と向き合う必要があった。


もう一つは、会社との対話だ。
会社は、留学が終わるまでの3年間、僕を待つと言ってくれていた。
でも、その3年間が終わり、僕には、現在(いま)と言う人生の時間を使ってしたいことが
もう一つあった。そのことについて、僕は会社と話し合う必要があった。


僕を待ちうけるそれらの話し合いについて考えると気分は重く、
アメリカから意気揚々と帰国したわけではなかった。


今回の僕がする選択と、それに付随して起こったいろいろについては、
3人のスーパーバイザーやTherapist、友人はもちろんのこと、Pacific Instiuteの
レジデントやその家族の方々が、たくさん相談に乗ってくれたし、アドバイスもくれた。


僕は、いろいろ考えた結果、自分が考えた通りの次のステージに進むことを決めた。
CIIS風の表現をすると、自分の声に従った、と言うことになるのだろう。


最終的に、親は理解をしてくれた。
表現の仕方はいろいろであっても、親が言うあれこれは、
僕のことを心配してくれてのことであることに変わりはない。
そのことを心から嬉しく思い、感謝をした。


会社では、僕は会長と社長と、別々の日程で、個別に会って話をした。
その結果、僕は退職することになった。


僕は、完全な私費留学生だった。
海外のMBAやロースクールで学ぶ際によくある企業派遣などではない。
自分のお金で、3年間のCIISの学費とサンフランシスコでの生活費を賄った。


でも…、


会社はこの3年間、社会保険料を負担してくれていた。
僕は、アメリカではそれとは別に、高額な健康保険に入ることが大学から
義務付けられていたので、日本の保険を使う予定は無かったのだけど、
やはり、その心遣いは嬉しかった。


というわけで、


Next Stage、僕は世界を見てくる事に決めた。


バックパックを背負って、ゆっくり、ぐるっと地球を周ってくる。
CIISの学費とサンフランシスコの生活費で、僕にはもう大したお金は残っていない。
でも、やっぱり世界を見てきたい。自分の五感をフルに使って、
この地球を直に体験してきたい。


しばしば、友人・知人に尋ねられる。世界を見てくるその目的は、何かと。


実は、具体的な目的などはない。目標もない。
目的や目標は持ってもいいし、持たなくてもいいと思っている。


社会で生活をする上では、目的や目標を定めた方がいい場合が多いのは事実だ。
でも、人生を歩む上では、どうだろう…。


もちろん定めてもいいと思うし、定めなくてもいい場合、定めても意味のない場合、
あるいは、最初に立てた内容に囚われずに柔軟に変えて行った方がいい場合も
たくさんある。


人生は、山あり谷あり、丘あり川あり、海あり空あり、昼あり夜ありだ。
いろいろ体験し学ぶ中で人生の前提が変われば、目的も目標も変わる。


その時々、自分の気持ちと体に尋ねながら、各大陸を訪ねて行こうと思う。
その時々、出会うこと、起こることに常に心を開いていようと思う。


僕は、今回の旅で、ブログを書くかどうか迷った。
実は、こんなブログでも結構な時間がかかるのだ。


そして、もし書くとしたら、日本語で書くのか、英語で書くのかについても考えた。
アメリカの友だちは、英語で書けと言う。
僕の旅と人生の軌跡を追いかけたいのだそうだ。
日本の友だちも同じだろうし、僕の両親もそうだろう。


だから…、


ブログは続けようと思う。
自分のペースで、ブロークンな英語と、日本語のミックスで。


たぶん、慣れた同じココログで、別の無料アドレスを使って書くことになるはずだ。
そのアドレスは、近々このブログにアップします。


というわけで、みなさま、今後ともどうぞよろしくお願い致します。

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最後のサンフランシスコ・デイズ

僕はいま、San Francisco International Airportにいる。


僕のサンフランシスコ・デイズも、これでいよいよ終わりだ。


アメリカに来る前にイメージしていたサンフランシスコの日々と、
振り返って思うサンフランシスコの日々。


何のどこがどう違って、どこが期待通りで、どこが期待以上で…、
今となっては渾然一体となってしまっている。


僕は、世の中で言う働き盛りで、


そして…、


多くの人々が生活に忙しく追われているであろう40歳を挟む年齢で、
日本を離れてサンフランシスコにやってきた。


40歳。


それは、人生のだいたい半分でもある。
だから、人生の「これまで」と「これから」を見通すには、
理想の立ち位置だったように思う。


僕は、サンフランシスコと言う美しい街で、
3年間と言うまとまった時間を持つことが出来た。
本当にありがたいことだったと思う。


僕はCIISで、カウンセリングサイコロジーという学問と実践に触れながら、
客観的にこれまでの40年間を振り返り、主観的にこれからの40年を考えることができた。


Pacific Instituteのインターンとしてレジデントと向き合う日々の中で、
老いとは何か、死とは何か、そして、生とは何か、人生の本質について考える
機会をたくさん頂いた。


サンフランシスコという多様性に溢れる街で知り合った人々との触れ合いを通して、
異質を受け入れる、あるいは異質と共存する寛容さと温かさを身をもって
体験することができた。


僕は、それらのサンフランシスコの日々の中で、笑い、怒り、哀しみ、嘆き、感動し、
そして、泣いた。このブログでもたくさん書いてきたように…。


僕がこの3年間で得たものを説明するのは難しい。


でも、それを敢えて表現するなら…、


僕は、とても普通になった、ように思う。


いろいろな感情をごく普通に味わえる自分になった。
いろいろな想いをごく普通に表現できる自分になった。
僕は、ごく普通の自分を手に入れた。


普通、それは英語で言うと、“Ordinary”。


もうそろそろGateに向かわないといけない。


昨年の11月、12月、そして今年の1月にかけて、本当にたくさんのことがあった。
どてもDeepな3ヶ月間で、このブログにはとても書ききれなかった。


落ち着いたら、そして、そうしたいと思ったら、また少し書き足したいと思う。


ひとまず、僕のサンフランシスコデイズはこれで終わりです。


今までこの拙いブログを読んで下さった方々、コメントをくださった方々、
本当にありがとうございました。


いつかどこかでお目にかかれることを、あなたのプロセスを、
僕のプロセスを語り合えることを楽しみにしています。


あなたのこれからの人生も、たくさんの素敵なDaysで溢れますように!
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旧インターン仲間たちによる最後の送別会

僕は、今年のインターンと去年のインターンと、
期の違う2つのグループを経験している。


昨年のインターンの仲間たちによる送別会が、昨日の日曜日、
クリニカルディレクターだったAninの自宅で催された。


この集まりは、僕にとって特別だった。このメンバーとのお別れが済んで、
初めて僕のサンフランシスコ・デイズは終わりを告げることができるのだ、
と思っていた。


期の途中にも関わらず、特例として僕をインターンとして採用してくれたAnin。
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そして、途中から新しいメンバーを迎えることが自分たちが先の半年間に
作り上げてきたグループに与える影響を体験的にも学問的にも
知り尽くしているにもかかわらず、僕がインターンに加わることを
温かく迎えてくれてくれた僕の大好きな仲間たち。
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ここでの出会いによって、僕は、“アメリカ”という社会、あるいは、
“アメリカ人”の人間関係に、日本人として溶け込んでいく自信を与えてもらった、
と言えるかもしれない。


国が違えば、言語も文化も価値観も違う。人間関係の結び方も違えば、
コミュニケーションスタイル、感情表現の仕方も違う。


それでも、人間として触れ合うことが出来る同じ部分がある。


そこをお互いの起点として、その後の付き合いの中で、お互いの違いを理解していく。
硬い言葉でいえば、違いについて合意をつくっていく。


合意をつくっていくプロセスとは、その人の、文化的バックグランドも含めた
人間性をお互いが受け入れていくことである。
起点がしっかり結び合っていれば、それができる。
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僕は二日後にサンフランシスコを発つ。
だから、これがサンフランシスコでの最後のFarewell Party.


今この瞬間を感じよう。刻々と過ぎていく時間を噛みしめよう、
そう思っていたのだけど…、


感じようとする矢先に、あっという間に時間は過ぎ去ってしまった。
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パーティの途中、僕の知らない間に、皆は一人ひとり抜け出して、
別の部屋に行って、僕にメッセージを書いてくれていた。
最後に、僕はそれを手渡された。


僕は一人ひとりとハグをする。
みんな、目に、涙を浮かべてくれている。


サンフランシスコを離れる実感が、まだ良く持てていない僕以上に、
彼らの方が、僕との別れを深く感じてくれている…。


不思議な気持ちになった。


去る人間よりも、見送る人間の方が、「今この瞬間における、
その人がこの場にいる価値」というものを深く感じることが出来るからなのかもしれない。
だって、その場でこれからも生きていく人たちだから。


Aninが言った。


「皆がどれだけあなたを大好きだったか、愛していたか、そして、あなたがどれだけ
大きなものを私たちに残してくれたか…。TJ、本当にありがとう。」


僕たちは、再会を約束した。


East BayにあるAninの家からは、Mollieがサンフランシスコまで車で僕を送ってくれた。
Bay Bridgeを走っているときに、窓から見えるダウンタウンの大きな夜景を見ていたら、
その日、はじめて目頭が熱くなってきた。


夜10時に家に着いた。


僕たちは車を降りると、もう一度、ハグをした。
長い長いハグをした。


Mollieの目には、やはり涙が浮かんでいた。


僕たちは、もう一度、再会を誓い合った。

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僕のサンフランシスコファミリー

先週の土曜日、僕が参加する最後のTai-chiの集まりだった。


Pacific Instituteで僕のクライアントだったEMさんの息子Tengが
20年以上にもわたってDoroles Parkで続けているTai-chiのグループだ。
もう一人の息子、Markもずっと参加をしている。


以前、Tengが僕にこう話してくれたことがある。


「もちろんTai-chiはしっかりとやる。自分もしっかり教える。
でも、それだけじゃなくて、この場は、メンバーが何でも話すことができて、
別に何もしなくても良くて、ただ安心して居ることのできる集まり、
それをいつも目指しているんだ」


確かに、この集まりには、人種を超えて、いろいろな人が集まっている。


Tai-chiの後、Tengの家に行って、Tengの用意するコーヒーと、
皆が持ち寄ったお菓子や果物をつまみながら、侃侃諤諤、世相を語る。
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こう言う場は、自然にできるわけではない。


この場をつくるために、維持するために、さらに発展させるために、
Tengがまるで皆の母親のように、気を配り、世話を焼いている。


だから、オープンな集まりなのだけど…、誰でも参加できるわけじゃない。


僕たちが、朝、Tai-chiをしていると、それを見ていた人がしばしばTengに尋ねる。
いつやっているんだ?自分も仲間に入っていいのか?


僕は、はっきりと聞いたわけじゃないけれど、Tengはほとんどの場合、
やんわり断っているように見える。でも、時々、Tengは、新しい人を
オブザ―バーとして自ら呼んできたりもする。


だから、この集まりは、やんわりと開かれていながら、やんわりと閉じている。


その開閉のさじ加減を決めているのは、Tengだ。
凝集性とある程度の温度と湿度の保たれたコミュニティとは、
そういうものなのかもしれない。


僕は、Tai-chiメンバーも良く知っているEMさんのインターンだったこと、
彼女の息子であるTengとMarkが、僕を本当の家族のように思ってくれていることも
あって、いきなり、真ん中に入れてもらった。


日本に帰る前にだいたいの動きをマスターできるようにと、別の日程にわざわざ
特別にトレーニングもしてくれた。


Tai-chiの集まり。


それは、僕が、ここサンフランシスコで手に入れることのできた、
本当に貴重な、温かい繋がり、仲間たち、コミュニティだ。


その日の夜、僕は、Tengの家にディナーに招かれた。


実は、もう何度も何度も食事に招いてもらっていて、その度に、TengとMarkと
別れを惜しんできた。でも、これが本当に最後のディナーだ。


いつものメンバー、YaoYanも来た。
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EMさんの実子はMarkだけなのだけど、EMさんが息子と娘と呼んだ
TengとYaoYan。そして、最後に、僕。


僕のサンフランシスコファミリー。
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一人の人間の中でのバランス

先週の日曜日、Pacific Instituteの創設者で、CEOでもあるNaderから、
彼の自宅に夕食に招かれた。お別れ会を兼ねて、と言うことだった。
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Naderが僕を気に入ってくれているのは知っていた。
同時に、僕は、彼が典型的なアントレプレナー気質で、一緒に働くのはとても
難しい人間であることも知っていた。


僕は、Pacific Instituteで素晴らしい経験を積むことが出来た。
それは間違いない。


しかし、


良くあることなのだが、Pacific Instituteは事業を急拡大しているために、
マネジメントと人材の育成が追い付いていない。


スタッフに彼の素晴らしいVisionとPhilosophyが共有されていない。


Naderが気づいていないか、あるいは、彼が直面することを避けて
無いことにしてしまっている問題のせいで、現場が混乱している。


僕は、ほとんど毎日、Pacific Instituteを訪れていたこともあって、
レジデントの家族や、Caregiverからたくさん意見を聞いていた。
もちろん、僕自身が思うところもたくさんあった。


2人のSupervisorからは、こう言われていた。


「TJが見て、感じた問題点は彼に伝えるべきだわ。レジデントの為に。
あなたはものすごく評判が良いから、彼も耳を貸すと思うの」


そのディナーには、彼の奥さんとその姪、Naderの母親と、
Naderの妹でpacific InstituteのディレクターでもあるElkeも一緒だった。


その場がラストチャンスかもしれなかったのだが、
笑いの絶えない和やかな雰囲気で、仕事の話をする空気でもなかった。


というわけで、僕は本来の趣旨に則った、とても楽しい時間を過ごした。


ドイツ人とイラン人のハーフで、アメリカで育ったNader。


MFTの資格を持ったセラピストであり、同時に、ドイツ文学の博士でもある。
物事の本質を考えぬく力、独自のビジョンと描き、それに向かって物事を前に
進める力は圧倒的だ。


でも…、


周りに人材が集まらない。皆、離れていく。


カリスマティックな魅力があるのに、自分が一番でないと気が済まない
ナルシシズム的なあり方が、彼の周りから人を遠ざけてしまうのだろう。


意見が衝突すると、相手を徹底的にやりこめてしまう。
周囲はそれを見ているから、萎縮してしまう。
意見を言わなくなってしまう。


いま、僕には、彼の周りにはイエスマンしかいないように見える。


僕は、そのディナーの場で、Naderから週明けの木曜日に行われる
彼の講演会に誘われた。Castro Valleyにある病院で催される大きなイベントだった。


木曜日の朝、彼が運転する車に乗って、僕は会場に向かった。


彼のスピーチは、聴衆のハートをあっと言う間に掴んだ。
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Visionを語る彼は、とてもパワフルだ。
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Naderが語る理想と、Naderが経営するPacific Instituteの実際は違うんじゃないか。
彼をそう批判するのは簡単だ。


でも…、


高い理想を持ち、その理想を社会に向けて語る勇気を持つ人が極端に少ないのが、
今の世の中ではないだろうか。


Naderを見ていて、いつも思う。


優れた哲学者であると同時に、優れた実践者であることは、とても難しい。
優れた起業家であると同時に、優れた経営者であることは、とても難しい。
強くあると同時に、自分の弱さを認め、それを受け入れ続けることは難しい。
幅広い心理学の知識を持ちながらも、それらを自らに当てはめて考えることは難しい。


すべては、バランスなのだろうけれども。

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Tai-chi(太極拳)グループのみんなによる送別会

Pacific Instituteで僕のクライアントだったEMさんの息子、
Tengが20年以上も毎朝Doroes Parkで続けているTai-chiのグループがある。


土曜日の朝の集まりが一番大きくて、毎週12名―20名ぐらいのメンバーが集まる。
その多くのメンバーが、10年、15年来の友人関係にある。


僕は、去年の夏ぐらいからこの輪に入れてもらった、
一番の新参メンバーだ。


Tai-chiの動きのわからない僕を、いつも真ん中に置いてくれて、
どの方向を見てもベテランたちの動きをフォローしやすいように配慮してくれた。


とても温かいコミュニティだ。


僕自身は決して長い付き合いというわけではなかったけど、
主催者のTengの人柄を表しているのか、とても素晴らしい人たちばかりが
集まっていて、僕はこのグループが大好きだった。


その人たちが、先週の金曜日、僕のために送別会を催してくれた。
主催者は、Teng。場所は、Drores parkに近くにあるTengの家だ。


彼がTengだ。
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ポトラックパーティ。


開始時間ちょうどの夕方6時半。
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そして、人が少しずつ集まり始める。
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自分の持ってきた料理を自分でお皿に盛りつける。
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次々と玄関のブザーが鳴る。
早く上がってこい、とTengが言う。
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どんどん人が集まる。
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料理も、どんどんテーブルの上に並ぶ。
これは何だ、レシピは何だと、料理の上を会話が交錯する。
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TJ, 料理だけじゃなくてこっちも撮れ、とTengが言う。
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料理を乗せたお皿を手にリビングルームに戻る。
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大きな円が出来る。
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EMさんのもう一人の息子、Markが皆にシャンパンを注ぐ。
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楽しい時間は、あっという間に過ぎていった。
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このブログでも触れたけど、MarkとTengの母親であり、
僕の大切なクライアントでもあったEMさんは、昨年12月23日に他界した。


Markは立ち上がると、皆の前で、僕の方を見てこう言った。


"He is my family. We lost one but gained one."


僕たちの家族は、一人を失った。でも、新しく一人を得ることが出来たんだ。

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第一回目のConsultation Group

Pacific Instituteのインターンシップが終了した夕方、
昨年の旧インターンの4名の仲間たちがスタートさせたコンサルテーショングループの
初回の集まりに呼ばれた。


主催者はAndrewで、メンバーは他に、Mollie、Heinz、
そして、SupervisorだったAninだ。


あいにく、Aninは急用で直前に参加がキャンセルになった。


会の趣旨は、それぞれが違うインターンシップ先で経験を積んでいる現在、
定期的に集まって、ケーススタディ、セオリー、人間としての成長、
プロフェショナルとしてのサポート、などなどについてディスカッションをして、
お互いに高め合って行こう、というものだ。


“インターンシップ”と言う場が終了したら、今度は自らそういう場を生みだし、
メンバーとの関係を継続的に深めて行こうとする姿勢は、大いに見習いたい。


さて、


個人的にしばしば感じているのだけど、セラピストとは孤独な商売だ。


実際に、独立してクライアントを取るようになると、
部屋でクライアントと向き合うことが日々の仕事になる。


来る日も来る日も、椅子に座りながらクライアントの話を聞き続ける…。


ハードだ。


ところが、セラピストは、仕事のストレスを発散させるために、
レストランやバーなどの公共の場で、友人にクライアントの話をするわけにはいかない。
周囲に誰がいるかわからないし、そもそも、それは守秘義務に反してしまう。


クライアントとセラピールームの外で会って、人間的な触れ合いをすることもない。
サイコセラピーという、関係性を扱う繊細なサービスの質に余計な影響を与える
恐れがあるからだ。


思うに、セラピストとは、公私ともに、結ぶ人間関係に強い制約条件が
課せられてしまうとても窮屈な職業なのかもしれない。


その結果、人間関係を専門としているはずのセラピストの人間関係は、
狭窄しがちになる。人間関係に揉まれる場や機会が少なくなる。


それをどのように防ぎ、自らを耕し続けることが出来るか。
セラピストとして成長し続けるために、とても大事なテーマだ。


Andrewの今回の試みも、その一環だ。


ディスカッションの後、僕たちは簡素なディナーを楽しんだ。
Andrewの息子、Mikeも輪に加わった。


Andrewは言った。


「長く運営していくこと、それ自体がこの集まりの一つの目的でもあるんだ。
TJは記念すべき初回のメンバーだ。TJがいつかアメリカに戻ってきたときに
いつでも参加できるこういう場があるって素晴らしいだろう?」


本当だ。
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インターンシップ最終日

2011年1月17日、Paific Instituteでのインターンシップ最後の日だった。
スタートしたのが去年の1月18日だったから、ちょうど1年間ということになる。


その日は、Duty Dayの当番に当たっていて、自分のクライアントであるか否かに
関係なく、フロアを歩き回り、すべてのレジデントを必要に応じてサポートするという
日だった。午後3時までの役割だ。


朝9時半から始まるスタンドアップミーティングに参加して…、
それから、僕はLGCビルディングに向かった。


いつもと同じように、各フロアを訪れ、レジデントやCaregiverと会話を交わして、
今日が最後の日なんだと、お別れの言葉を添えた。


認知症を抱えているレジデントは、僕のことをすぐ忘れてしまうのかもしれないけど、
それでも、“You were very kind to me. I will miss you”と悲しんでくれた。


彼らは、僕のことを覚えていることが出来ない。
だからこそ、僕は彼ら一人ひとりのことを覚えておいてあげないといけない。
そんなことを想いながら、一人ひとりを訪ねた。


午前中、現在は2人だけになってしまった、
僕のクライアントのHAさんと、LJさんの部屋も回った。


彼らには、今日が最後の日であることを確認のために伝えて、
帰る前にもう一度、訪れるからねと伝えた。


Terminationの準備は、およそ2か月前からしていた。
だから、最後の日だからと言って、別に何かを特別なことをするわけでもない。
あっと言う間に、午後2時半になってしまった。


僕のクライアントで昨年の12月に亡くなったEMさんのルームメート、
Cさんの部屋を尋ねた。Cさんは、身寄りが無いのだけど、心身ともに
とても健康で、クリアで、いつも僕に素晴らしいアドバイスをくれた人だ。
たくさんお世話になった。


彼女はいつものように、部屋でクロスワードパズルをしていた。
僕を見ると、「ヘイ、ボーイ、ついに最後の日ね」と笑った。


部屋に入る前は何も感じていなかったのだけど、
その部屋に入って、亡くなったEMさんの空いたままになっている
ベッドに腰掛けて、Cさんの笑顔を見た瞬間に、涙があふれてきた。


Cさんは、静かに立ちあがると、僕を黙ってハグしてくれた。


「いつもあなたの幸せを祈っているわ」


彼女はそう言った。


「僕も…」


僕は辛うじてそう言って、涙を拭いて、彼女の部屋を出た。


僕は同じフロアに住む、僕のクライアントのLJさんの部屋に行った。
94歳のアフリカンアメリカンのLJさんは、妻で93歳のAJさんと
部屋のソファに座っていた。


彼は僕を見かけると、“Hey kid, what's up?”と笑った。
僕はやっぱり涙があふれてきた。


彼は、“I love you, kid”と言って、ハグしてくれた。


一階に住む、もう一人のクライアント、HAさんの部屋も訪れた。
あいにく、彼女はベッドの上で、お昼寝をしていた。


彼女は、認知症が進行するに従って日本語しか話せなくなってしまった
日系アメリカ人だ。


僕は、そっと彼女の手に触れた。彼女は、目を開けると、
僕にうっすら微笑んだ。


僕は、最後のお別れの挨拶に来ました、と伝えた。


彼女は、静かに頷いた。そして…、再び目を閉じた。
僕は、そのまま部屋を後にした。


僕は、地下一階のインターンルームに戻り、ネームタグを外して、
鍵を自分のロッカーに置いた。


これで、本当に最後だ。


僕は荷物を持って1階に行き、玄関を出て、建物を振り帰った。
この場所で、本当にたくさんのことを学ばせて頂いた。
最高のプラクティカムサイト、最高の1年間だった。


たくさんの出会いと学びと思い出を、どうもありがとう。
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新インターン仲間たちによる送別会

先週の土曜日、僕がプラクティカムに通うPacific Instituteの
インターン仲間たちによる送別会があった。


僕は、期の途中からプラクティカムを始めたおかげで、
半年間ずつ、新旧2つのグループのインターンと知り合うことができた。
いずれもハートのある素晴らしいメンバーたちだった。


今回の送別会は、新しい期のインターンたちによるものだ。


仲間の一人が、家を会場として提供してくれた。
アメリカでは良くある、みんなが食べ物を持ち寄るポトラック形式のパーティだった。


会場となったSteveの家は、PresidioというNational Parkの中になる。
Partyは午後2時から。


僕は自転車で彼の家に向かった。
快晴だった。
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先に着いていたメンバーが、僕をベランダから見つけると手を振った。


家の窓、ドアは空き放たれていて、音楽がかかっているのが聴こえる。
僕は冷蔵庫を勝手に開けて、ビールを飲む。
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メンバーは、三々五々に集まる。
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僕は誰かが到着するたびに、その一人ひとりとハグをする。


彼らは自分の持ってきた料理を適当にテーブルの上に並べると、
ビールを片手に、会話の輪に加わる。
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Steveの飼っている猫も楽しそうだ。
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ベランダから見える海の方向に、日がどんどん傾いていく。
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日が暮れる前に、今集まっているメンバーで写真を撮ろう。
Margaritaがそう言った。
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Barbaraが用意をしてくれたケーキが出て来た。
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「お店にちゃんと頼んだのに、スペルが間違っているのよね…」
そう言って、Barbaraは、その場でナイフとフォークを使って、tをjに、何とか変えた。


僕は、簡単なスピーチをした。


再び、いろいろな場所に会話の輪が出来る。
部屋に流れる音楽が変わり続ける。
鳥のさえずりと汽笛の音が窓の向こうから聞える。


日が落ちて…、人は、来た時のように三々五々に帰り始める。


僕は、会話を止めて、近寄ってくる一人ひとりとハグをする。


ベランダに出ると、立ちこめる夜霧が気持ち良い。


爽やかな、本当に爽やかな一日だった。
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